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 楽しい時というのは、早く過ぎるものである。
 そのことについて、常に例外はない。
 多分にハイペリア流儀だったが、初めて祝うことを許されたお正月。
 その期間、ラキオスのスピリット達は、いつにもまして大声を上げ、笑った。
 心底、楽しそうに。
 本当に、嬉しそうに。
 それは、彼女達がこれからの運命を知っていたから、なおさらそうであろうとしたのかもしれない。
 楽しいときでも、つらいときでも、それには必ず終わりが来る。
 このつらい戦い、その中でもたらされた、まるで花火が咲いて散るように短い、楽しい時間。
 その終わりと同時に、再び戦争は幕を開ける。
 それは、誰にも止めることはできない。
 彼女たちは知っている。サーギオス帝国、そのスピリットのどの一体もが、これまでの戦いを遥かに凌駕する力量であることを。
 それに正面切ってぶつかっていく。
 誰かが死ぬかもしれない。
 その誰かは、もしかしたら自分かもしれない。
 ……だが、行かねばならない。
 戦争は、つらいことである。
 しかしつらいことにも、また必ず、終わりが来る。
 自分達の手で、それを終わらせる。その覚悟が、彼女達にはある。
 そしてそのつらいことが終われば、今度はまたきっと楽しい時間が始まるはずなのだ。
 いや、きっと始めてみせる。なぜならこれは、そのための戦いなのだから。
 生きて、帰ろう。後一息なのだ。
 生きて、争いがなくなった世界に帰ってきたら、その時はまた、このお正月みたいに、馬鹿みたいに笑おう。
 何度でも、笑おう。いつまでも、飽きるまで笑おう。
 そしてそれに飽きたら、今度はまた何か別の楽しいことを探そう。
 だから、今だけは。

 久しぶりの馬鹿騒ぎだった。
 いろんなことがあって、時にヒヤリともした。
 思い返して見ると、なんだかろくな目に遭ってないような気がしたが……
 それでも、そんなろくでもない目に遭っている自分を客観的にみると、やっぱりなんだか、笑えた。
 久しぶりのまとまった休暇。レスティーナにも大分無理をしてもらったが、十分にその甲斐はあったと思う。
 休暇の最終日、その夜。騒ぐのはこの日の昼までにした。
 明日からは、また戦争だ。
 ユートは一人、自室で静かに『求め』を磨く。
 ――明日からまた、この剣で、スピリットを斬る。
 自分達が遊び、楽しんでいる間にも、訓練をし続けていたスピリット達を。
 ――勝てるだろうか?
 ふと、胸をよぎる不安。数日程度の休暇でスピリット達の強さに差が出るとは思わないが、こうして一人冷静になると、そんなことを考えてしまう。
 そして次の瞬間。
 ――斬れるだろうか?
 そんなことも思う。
 休暇の間に目にした、遊び、そして騒ぐ自分の部下であるスピリット達。
 やはり何も、人と、自分と変わりはなかった。
 そしてそれは敵国のスピリットも同じはずなのだ。
 ただ人間の都合を押し付けられて、人格を神剣に明け渡してしまった少女達。
 ……発見される場所が違えば、この休暇中、同じようにして自分とともに楽しんだかも知れないスピリット。
 それを、斬るのか?
 言葉にならない自分への問いかけ。
 答えなど見つかりようもなく、剣を磨く手が止まる。
 ……震えていた。
 手の震えは『求め』にも伝わり、ランプの灯が小刻みに反射して照らす場所を変える。
 そのうちの何本かが、ユートの目を焼いた。
 キン。
 紅いランプの灯が反射した、蒼い光。
 『求め』の声は、今は聞こえない。
 しかしその光は、確かにこう言っているように響く。
 当然だ。
 斬れ。
 それ以外に何がある?
 危機に陥った時には頼もしいとさえ感じる、その『求め』の輝き。
 それが今は、忌まわしくて仕方がない。
 だが、ユートは目を逸らそうとはしない。
 逸らしてはいけない。
 ユートは、刀の手入れを再開する。
 自分は剣に呑まれてはいない。自分の意思で剣を握り、自分の意思でそれを振るう。
 だから例え望まぬ運命によってであっても、スピリットを斬るのは自分である。
 剣になすり付けてはいけない。
 もはや、罪を犯すことは避けられない。
 ならば今の内に覚悟を決めておこう。
 ――斬らねばならない。
 斬って帝国と神剣から解放してやることが、スピリットにとっても幸せだ――
 そのような考えを堂々と口にできるほど、ユートはいまだずる賢くはない。
 例えそれがあながち間違っていなくとも、いや、間違っていないからこそ、そう言ったスピリットのことを考えると、いまだにユートはためらいを消すことができない。
 人の都合によって人格を歪められ、そして人の都合で殺しあわされる。
 ただ、目の前に来れば、斬るしかない。
 生き残るためには、ためらってなどいられない。
 剣は所詮、時に狂気とさえ言える、ただの凶器。
 斬ることで救われるものがあるなど、絶対に、信じたくはない。
 だから、罪を、背負おう。
 ……その愚直とも言える信念は、果たしてユートの若さゆえか。あるいは……
 敵を殺したくはない。しかし殺さねば、カオリを助けられない。
 カオリ。
 ……シュン。
 手の震えは止まらない。

 磨き終わった『求め』の刀身を、ランプの灯にかざす。
 かつて、カオリを救ったこの剣。
 そしてその代償に、カオリやキョウコ、コウインまでをも巻き込んで自分をこの世界へと呼び寄せた剣。
 全ての始まり、と言うべきか――
 全ての元凶、と呼ぶべきか――
 カオリを助けるためならば――
 幼い頃にそう祈った、ただ無心の願い。
 そして今、再びその思いを胸に、あの時とは別の方法で『求め』に頼り、戦っている。
 その、運命の皮肉。
 あまりの皮肉さに笑えもしない、皮肉。

 ……そろそろ、決着をつけよう。
 シュンとも。そして、コイツとも。
 ユートは求めを鞘に戻す。
 気分が沈んでいた。
 考えるな、せめて今だけは――
 そう思っても、一度回りだした思考は、容易に止まってはくれない。
 だからユートは、その試みを諦める。
 止まらないのなら、別の考えで打ち消せばいい。
 そして心の中で、この楽しかった休暇のことを思い浮べた。
 正月を知らないスピリット。
 だからと持ちかけた提案。
 結果、時に失敗することもあったが、その中でも一瞬、本当に久しぶりに、ハイペリア――かつて自分のいた世界で過ごしているような感覚に襲われた。
 懐かしかった。
 戦いもなく、バイトに明け暮れ、ひねた目で見つめていた世界。
 いた頃はろくなものじゃないと思っていたけど、それでも少し離れただけで、これほどまでに自分の胸の中で大きくなっていたとは。
 ふと目を細めて、もう一度振り返る、このお正月。
 本当に、楽しかった。
 もしかしたらこの休暇は、ユート自身のために提案したものだったかもしれない。
 言い出しておいてなんだが、カオリがいないのにお正月なんて、と、初めは思っていた。
 シュンの下にいて、つらい目にあっているかもしれないのに。
 それなのに、自分だけが?
 そう、思っていた。
 しかしいざ蓋を開けてみれば、いろんなアクシデントに見舞われた。
 そのどれもがくだらないものだったが、そのくだらなさが、やっぱり楽しかった。
 そしてその瞬間だけ、カオリのことを忘れはしなくても、気にかけることが小さくなっていた。
 もしかしたら、ユートは逃げたのかもしれない。
 毎日カオリのことを思う。
 その度に、陰鬱な気分になる。
 思っても、それだけでは、事態はどうにもならない。
 時には膠着し、戦況に何の変化もないまま、ただ日々だけが過ぎることになる。
 その間にも、募る思い。
 そしていまだに忍び寄る『求め』の干渉。
 いい加減、心が疲弊していた。
 ユートの無意識は、そんな自分の危険を敏感に察知していたのかもしれない。
 だから、他の事で気を紛らわそうとしたのかもしれない。
 卑怯だ、と、ユートは思う。
 しかし、誰も彼を罰する者はいない。
 それは、ユートが誰にも話していないから、だけではない。
 例えもしこのことを誰かに話しても、例えばキョウコやコウインなら、一定の理解を示しながらも考えすぎだと苦笑するだろうし、例えばレスティーナや部下であるスピリットに告げるなら、心からユートの心身を案じてくれるだろう。
 そして――例えもしカオリにこのことを告げたとしても、彼女は絶対にユートを責めたりはしないだろう。それどころか「自分がお兄ちゃんに心配をかけた」と、本気で泣きながら謝りかねない。
 それは、ユートにも容易に想像がついた。そして、自分がそのような、優しい人達に囲まれているということを、素直に嬉しくも思った。
 だが、それでは自分の気がすまない。元来の性質から、簡単に自分を許せるほど、器用な真似もできない。
 それに、そのような優しい人達を、自分の都合で戦いに巻き込んでしまっていることも、申し訳なく思う。
 しかし、それでも彼を罰してくれる者は、いない。
 だから彼は悩みに悩んで、悩みぬいた挙句――
 うん、やめた。
 あっさりと考えを変えた。
 それは、ユートが自分を許した、ということではない。
 今は、どうしても自分を許せない。でも、誰も罰してくれはしない。
 だったら、自分で自分を許せるようになるまで待てばいいじゃないか。
 神剣を握って以来、自分の心と常に向き合ってきたユートは、そのような発想ができるほどには、この数年で精神も成長していた。
 ――でも、カオリだけには謝ろう。
 多分、逆に心配されるだろうけど、それでもやっぱり謝っておかないと。
 それから、一緒にいなかった時間を取り戻そう。
 もしヨーティアの研究が何年もかかるようだったら、その間にまた、今度はカオリも一緒に正月を祝えばいいじゃないか。
 それは、悪くない想像だった。
 実際この休暇中も、楽しかったのは事実である。
 それに今度はカオリもいるならば、エスペリアにもおせちの何たるかが詳しく説明できるだろう。
 ――何が何でも、帰りたい。帰ってやる。
 ファンタズマゴリアに召喚されて、望まぬ戦いを強いられて、初めの内こそはそう思っていた。
 だが、それでも年月が経ち、アセリアやオルファ、エスペリアらといった仲間達と過ごして来た中で、ユートはこの世界にも確実に愛着を持ち始めている。
 ――帰れないなら、まあ、それもそれで悪くないかな。
 ふとそう思った自分を、ユートは一瞬、え、と意外に思う。
 しかしすぐに納得した。
 さっき自分で考えたばかりじゃないか。
 この世界にも、信頼できる仲間ができた。
 それに、戦いがないなら、この世界は充分にいい世界じゃないか。
 そうも思う。
 コトリや、ハイペリアにいる友人のことを思うと心が痛まないではないが、それは既にこの世界での家族ともなったスピリット達にも同じ事が言えた。
 ――結局、なるようになれ、か。
 自分ではどうしようもない運命もある。例えば今壁に立てかけてある『求め』などは、その典型だ。
 だが、それに悲観してばかりではどうにもならない。いや、それでは、その中にある小さなきっかけを掴むこともできない。
 だから。
 ――できるだけのことを、精一杯やろう。
 今は、戦うことしかできない。だけどきっとそれが終われば、なにかあるはずなんだ。
 そのためにも、負けない。負けられない。
 そして、シュンを……倒す。
 そう考えた瞬間、鞘に包まれているはずの『求め』の刀身から、蒼い光輝が広がるように見える。
 ――後、少しだ。
 全てにカタをつけるまで、あと少し。
 それまで、力を貸せ、バカ剣。
 ――承知。
 そんな声が聞こえた、様な気がした。
 ユートの求めを受けてか、蒼い揺らぎは次第に小さく鞘の中に収まっていく。
 カオリを取り戻す。
 それがどこになるかはまだわからないけど、生きて、必ず帰ってやる。
 ……手の震えは、もう、ない。

 ――寝るか。
 気付けば、いい加減深夜も過ぎていた。どうやらいろいろと考え過ぎてしまっていたらしい。
 早く寝なければ、また明朝、エスペリアの世話になってしまう。
 それは、いくらなんでもみっともない。
 ユートはランプの灯を落とすと、ベッドに潜り込んで目を閉じる。
 何度か肌触りの悪い毛布の中で寝返りを打ち、そのまま――
 ――夢は、見なかった。


 どこからか、どこにいるのかわからない、そんなユートを見つめる視線。
 それは或いは興味深そうに、或いは面白そうに、或いはほんの少しだけ悲しそうに……
 彼がそれに気付くことは、まだ、ない。

 運命の輪は、いまだ半分も回ってはいない――


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