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「さて皆、とりあえずこうして集まってもらったわけだが」

 昨日と同じく夕食後、またしてもスピリット隊の面々は館の居間へと集まっている。
 何かと言えば、光陰が説法会をやると言い出したのである。
 何を正月から、と言うなかれ。
 繰り返しになるが、光陰は寺の息子である。
 その彼にとっては、正月であるからこそ檀家を集め、釈尊の尊い教えをこねくり回し、大げさに修飾して、即ちこれからの一年をどう過ごすか、というのをありがた〜く聞かせてやるのも、当然の恒例行事なのである。

「と言っても、あまり硬くならなくていい。皆には仏教なんて予備知識もないだろうけど、なに、心配はいらん。この俺がそれを易しく説き聞かせて進ぜよう」

 果たして父親の見よう見まねか、顎の無精ひげに手を伸ばし、尊大な態度で告げる光陰。
 対して口調は軽いくせに、今この場に袈裟があったらさぞ立派な坊主に見えてしまいそうなのは、なんとも理不尽にさえ感じられる不思議である。

「多くの人は誤解しているが、人間は悪い行いをすると、死んだ後地獄に落ちると信じている。ところがそれは間違いだ。生きている間にどんな行いをしようと、死んだらすべて終わりだ。そう、全部チャラ。何にも残らない。ああ、って言うか皆はスピリットだったな。いやいやしかしスピリット達も変わらん。死んだらただマナの霧になって消える。どちらかと言うと死に対してそう言う認識を持っている君達の方が、人間なんかより遥かに正しい理解を得ていると言っていい」

 その上切り出しからしてむちゃくちゃヘヴィであることこの上ない。
 誰だ、こんな坊主を呼んだのは。
 いや、呼び寄せられたのは悠人に巻き込まれたからに他ならないのだが。
 それはともかく、かなりのインパクトを伴っているが、光陰の説法、内容自体は正しい。この場で宗教論議、もしくは仏教への勧誘活動をするつもりはないのでかなりボリュームを間引いて説明するが、仏陀の唱えた仏教では死後の世界を重要視してはいない。
 というよりほとんどそのことについて触れていない。本来仏教というのは、いかに現世で精神的に美しい生を送るかということを説いて聞かせたものなのである(実話)。
 まあそのために実践すべき方法が全ての欲を捨てるだのなんだの到底非現実であることは否めないが、それは先に言ったようにこの場で話すことではないので割愛する。
 話を元に戻せば、悠人と同じく招かれた者、エトランジェであることを差し引いても、この世界でこれだけおおっぴらに人間よりもスピリットを持ち上げるとは、一重に碧光陰の破天荒ぶりのなせる業である。
 事実言われたスピリット達が、その言葉に戸惑いの視線を投げかけていた。
 だが当の光陰、久方ぶりに自分の本職(?)を取り戻して勢いが乗ったのか、そんなスピリット達に構うことなく説法を続ける。

「いいか? 命というのは、生きている間が全てだ。わかるか? つまり実際に死を目の前にしたとき、その生を振り返って後悔するような生き方ではダメなんだ。人生というのはすべからく、楽しく美しいものでなければならない」

 戸惑いの視線はさらに濃くなる。当然である。何を言うのか。
 ――自分達は戦争をしているんだぞ?
 スピリット達の疑問を言語化すれば、そう言うことになる。
 殺し、殺される存在。そもそもが戦奴である。そう教え込まれてきたのである。
 それからすれば光陰の言葉は、あまりに困惑を誘うものなのだ。
 ……しかし。その困惑を抱けることは、ラキオスのスピリット達の意識がまた、他のスピリットとは一線を画している確たる証拠でもある。
 つまりこれがラキオス以外の敵国――と言ってももはやサーギオス帝国しか残っていないが――のスピリットであれば、このようなことを言い出す者など、もはや気が触れているとして相手にしないか……いや。
 果たして戦闘命令以外の言葉を聞くことがあるだろうか。
 そしてそのことは光陰の反応を見てもわかる。光陰の顔に浮かんでいるのは即ち……愉悦。
 それは決していやらしい類のものではない。
 光陰もかつてはマロリガンでスピリット達を率いて戦った男である。そしてそのマロリガンが精鋭、稲妻部隊は、先の戦争に置いてデオドガンを陥落させた時、皆その自我を保っていたという。
 しかしそれは光陰が軍を率いるにあたって、彼がこのように部下達に説法をし、生きる意味を説いていたから、ではない。
 神剣に呑まれてしまえば、それは機械と同じである。
 常に一定の、安定したパフォーマンスを見せる。それは確かだ。そうした安定性を持つ兵器を保有することが軍事に置いて優先される戦略であるというのは、ハイペリアでもファンタズマゴリアでも変わりはない。
 しかし光陰は別の方法を取った。
 不安定ながらも、時として想定されているパフォーマンス以上の働きをしてみせる自我を保ったスピリット隊を作り上げ、その上でポテンシャルを高めることこそ、戦争を生き抜く手段であると結論付けたのである。
 それは、その彼とともに召喚され、神剣を握らねばならなかった彼のパートナーの姿を見ればわかった。
 岬今日子。かつて剣に呑まれてしまった、彼の幼馴染、親友、そして――
 いや、皆まで言うまい。
 彼女を救うために生き残らなければならない。その一念から、彼は強力な部隊を作り上げる事に専念した。
 すなわち今日子に心を砕かねばならなかった光陰からすれば、例えまともに話のできるスピリット達を前にしても、この様にダラダラと説法をかます余裕などあったはずがない。
 全ては、今日子とともに生き残るための戦略によって生み出された、『結果』なのである。
 その光陰からすれば、例え返される反応が戸惑いであっても、そのように自我を保ったスピリット達と人として向き合い、今またこうして一講説法をぶつの余裕があるというのは、仏僧として、いや、それ以前に人として、純に喜ぶべきことなのだろう。
 そして彼の喜びはそれに留まらない。なぜなら彼にはその戸惑いさえ退けて、彼女達を御仏が見出した正しい生のあり方に導く術も、また胸の中にあるからである。
 ……あらかじめ、碧光陰だと言うことに念を押しては置く。

「いやいや、皆の言いたいことはよ〜くわかる。確かに今俺達は戦争の中に身を置いている。しかしそれもずっと続くわけじゃあないだろう? 何しろこの戦争はじきに俺達の勝利で終わる。そしたらどうだ? 君達スピリットは、戦う必要はなくなる。そんな時、戦い以外に何も知らなければ、君達の人生は凄まじくつまらない、灰色のものになりはしないか?」

 正月の説法、といいながら、さりげなくスピリット達の士気を煽る光陰。
 ……この男、たとえ宗を破門になっても、きっとアジテーターとして食っていけるに違いない。

「そう、俺達には未来がある。何度でも言うぞ。その未来は薔薇色でなければならない。……いやいや、何も言うな。皆の顔を見ればわかる。剣を手放して、どうやって生きればいいかわからないんだろう? だが、心配することはない。釈尊の教えは、そんな君達の迷いにも当然救いの道を示してある。……知りたいか?」

 光陰は再び無精髭をなぞって、ニヤリと笑う。
 対してスピリット達の反応は……これは、どう表現したらいいのか迷うところであった。
 何度も言うが、スピリット達は戦奴である。ここラキオスに置いては、最近ではそうではなく、勇敢な兵士である、という認識も、小さいながら広がりつつあるが……
 しかしそのスピリット自身は、そう言う自覚を何年にも渡って持たされ続けてきた。
 そこへは、光陰の話は、急なのである。
 日頃悠人の言葉に、人間らしく――それが無理ならば、せめて自分らしく――生きろ、と言い聞かせられてはいるが、その言葉もやはり戦争という状況の中に留まっている。
 ところが光陰はそれさえも打ち破って、剣を捨てた生き方を示唆するのだ。
 自分は、そうしてもいいのか――
 いまだそのような葛藤の中にいるスピリット達からすれば、果たして光陰の告げる「人生を薔薇色に送る方法、知りたいか?」という問いには、どう答えるかにすら迷ってしまうのだ。
 皆、神妙な面持ちである。恐怖とも言えそうな戸惑いの空気が、粘質的に居間の中を満たしている。
 だが、光陰はその空気を否定とは取らなかった。
 迷いがある、ということは、それは例え自覚していなくとも、本人達が少なからずそうしたいという希望を抱いている証拠だからである。
 だから、光陰は言う。
 しかし、それは決して押し付けではない。
 俺は言うだけ、深入りはしない。受け取った側がそれをどうするかは、後は本人の自由だ。とりあえず知っておいても損はないだろう。
 そんな非情とも言えるどこか浮世離れた態度を見せられるのも、また碧光陰の特質なのである。

「ふむ。すぐには答えられないか。まあいい。じゃあ一方的に聞かせる。嫌なやつは耳を塞いでろ。聞く気のあるやつは心して聞いてくれ。なにしろこれは生きていく上で一番重要なことだからな。心の準備はいいか? まだなら待つぞ。ほら、深呼吸、深呼吸。……そうそう。じゃあ、いいか、いいな? 言うぞ? 人生に置いて最も大切なこと。それは……」

 果たして、素晴らしい一生を送るために必要なこととは、なんなのか……
 光陰の言葉に、耳を塞ぐ少女は一人もいない。
 それどころか皆、身を乗り出さんばかりの勢いである。
 光陰は、中には息までひそめて自分の言葉を待つそんなスピリット達を相手に、これでもかとばかりにじらし、もったいぶる。
 そして自身も一端言葉を切り、深呼吸をして、それからもう一度大きく息を吸い込むと――腰を折るかもしれないが、その光陰の呼吸に合わせて多くのスピリット達の肩が上下しているあたり、やはり碧光陰、天性のアジテーターに生まれ付いているようである――

「それは……恋だ!」

 声も高らかに言い放つ。
 全員、硬直。同時に絶句。
 その仕草、キョトン、などという生易しいものではない。それを表現する言葉は、果たしてこれまで開発されたことがあるだろうか――
 挙げるとすれば、愕然という表現が一番近いかもしれない。
 それほどまでに光陰の言葉は、なんとも間抜けな衝撃を以ってスピリット達に襲い掛かったのである。

「いいか、皆。恋は素晴らしい。恋は人生においてなくてはならないものだ。いや、むしろ必要十分と言ってもいい。そう、恋さえあれば人は生きていける……!」

 右手をググッと握り締め、それを目の前に掲げ、そして視線はその拳を越え、遥かに遠くどこかを臨む光陰。
 もしかしたらそれは、彼の心の中に燦然と輝いて止まない、カスタム釈尊・イン・コウイン・ドリーミングワールドかもしれない。
 分かり易い日本語に翻訳するならば、色ボケ生臭エトランジェ坊主が拠り所とする、至尊の最上仏、と言ったところである。
 そして光陰は、気色の悪いことに、まるでトニーに出会ったマリア夢見る少女が歌うようかのに説法を続ける。

「ああ、スピリット、恋をすることも知らない哀れな少女達よ。しかしそれは君達のせいではない。なにしろ君達は戦っている。それでは恋をする相手が見つからないのも無理はない。だが安心しろ。それも今日で終わりだ。なぜなら……この俺がここにいるからだ!」

 光陰は遥かな視線の彼方からカスタム釈尊・イン・コウイン・ドリーミングワールドの加護を得たのか、視線を戻してスピリット達を見回し、自信に満ち溢れすぎな声で高らかに宣言する。
 ……これはもはや説法と言うより演説、いやむしろ……

「俺はいいぞ。何しろ永遠神剣第五位、『因果』の持ち主だ。危険な戦場でも、常に君達を守ってやれる。いや、神剣の順位で言えば悠人の方が上だが、しかし惑わされるな、男の価値は神剣じゃない。心だ、ハートだ! 俺はあんな木石に毛の生えたような朴念仁とは違うぞ。時に甘く、時に切ない君達の揺れる乙女心をいつでも受け止められる男だ。この俺といる限り、もう君達に悲しい思いなどさせはしない。さあ、ためらうことはない、みんな、遠慮せずにここで今、俺の胸に飛び込むがいい!」

 ぶわっと両手を広げ、そして恐らく次の瞬間にそこに飛び込むであろう、柔らかな衝撃を待ちわびるように目を閉じる光陰。
 ……しかし、それが不幸となる。
 光陰に飛び込んだのは、柔らかさなどは微塵もない、それどころか鋭さのみで構成された――

「こんんんんんんんんんんの――」
「……え?」
「――あほんだらーーーーーーーーーーー!!」

 スパーーーン!
 ……飛び込んだのは、鋭さのみで構成された今日子のハリセンだった。
 哀れ光陰、目を閉じていては――いや、例え開いていてもかわすことはおろか、防御さえできなかっただろう、それほどまでに鋭い一閃。
 壁際まで吹っ飛ばされたことから、その威力は証明されている。

「正月の説法だって言うから付き合ってあげたけど、なにが『人生において最も大切なこと』よ! なにが『心だ、ハートだ!』よ! アンタ結局は皆を集めて、体のいいナンパしたかっただけなんじゃないの! あーもう、キレた。久しぶりにキレたわ。今度と言う今度はアンタのその一つに集約した百八つの煩悩、このハリセンで綺麗に頭ん中からまとめて叩き出してやる!」

 ……今日子の言うとおり、説法よりも演説よりも、確かにナンパという他はなかった。
 今日子は鬼の形相で、なおもイヤイヤをする光陰に迫る。

「ま、待て、今日子、そんな百八回って、いくら俺のディフェンススキルでも回数が追いつかんぞ! そんなの食らったら死ぬ! マジで死ぬ!」
「うっさい、馬鹿は死ななきゃ治んないのよ! ほら立つ! さっさと立つ!」
「ヒィッ! お、俺が悪かった、悪かったから、許して! お、おい悠人、お前からも何か言ってくれ!」

 さすがに身の危険が迫っては、光陰もなりふり構ってはいられない。
 自身で言うとおり、本当に命に関わる脅威である。
 もはや昨日の潔さなど微塵もなく、自分でこき下ろした悠人にも命乞いの口添えを頼む始末だ。

「え、あ……なあ、今日子」
「何、悠」

 ところが声をかけようとしたところ、一転ギロリと、肝も凍らんばかりの視線で悠人を睨めつける今日子。
 その視線を受け、悠人は瞬時に悟る。
 ――今の今日子には、絶対に逆らってはいけない――!
 しかしここは親友の命がかかっているのである。ただ引き退がる事は男として許されない。
 ……悠人はあらん限りの勇気を振り絞り、そして口を開いた。

「……今光陰に死なれると、戦力的につらい。出来るだけ手加減してくれ」
「さあ、それはコイツの根性次第ね。悪いけど保証は出来ないわ」

 しかし嘆願はにべもなく却下された。
 もはや悠人になす術はない。悠人は光陰を悲しそうに見やると、小さく数度、首を横に振った。

「おい悠人、お前そりゃないだろう? 俺達は友達じゃなかったのか!? いつからお前はそんな残酷な人間に成り下がったんだ! そんなお前を見て、佳織ちゃんが喜ぶとでも思うのか!? なあ、何とか言えよ!」
「すまん光陰」
「そんな、極めて簡潔!?」
「ほら、グタグタ言ってないで、チャッチャと歩く!」
「い、嫌だ、誰か助けてくれ! 誰でもいい! 誰か、誰か……!」

 今日子に襟首を引っつかまれ、ズルズルと引きずられていく光陰。
 やがてその叫び声も小さくなっていった。

「……無事でいてくれ、光陰」

 そして静寂の中、ボソリと呟く悠人。
 その言葉には、戦友を見送るというより、売られていく子牛を荷馬車に積み込む牧場主の響が含まれていた。

「しかし、皆を集めてどんな話をするかと思えば……なあ、エスペリア」
「…………」
「エスペリア……?」
「…………」

 呼びかけてもまったく反応を見せないエスペリア。
 不審に思った悠人が肩を叩く。

「おい、どうした、エスペリア?」
「は、はい!」

 と、ビクリ、とその体が跳び上がる。

「なんだ、具合でも悪いのか?」
「い、いえ、そんなことは……」
「え、でもなんか顔赤いし。熱でもあるのか?」

 ぴと。
 悠人の手が、無造作にエスペリアの額に触れる。

「!! ユートさま、私は大丈夫ですから!」

 途端にエスペリアはバッ、と、その手から逃れるように身体を後退させる。

「そうか……? なら、いいけど……」
「………………ウルゥ」

 溜め息をこぼすエスペリア。
 悠人はなおも不審に思いながらも、居間をぐるりと見回す。
 ……? 何か、様子がおかしい。
 奇妙なことにいつのまにか、全ての視線が自分に集まっているのである。
 例えば、オルファリル。まるで得物を狙う猫のように、その瞳がキラキラと輝いている。
 例えば、ウルカ。何を思案しているのか、しかし伏目がちな瞳は、悠人を離すことはない。
 いつもと変わらないのは、アセリアの何を考えているのかよくわからない視線だけである。
 ……しかし何を考えているかわからないということは、もしかしたら何かを考えているかもしれないわけで……
 そして気のせいか、その皆が皆、なにやら異様な熱を込めているのである。
 ここで視線を集めているのが普通の男であれば、それまでの話の流れから、何かを想像したり、期待したり、あるいは誤解したり自惚れたりしそうなものだが……
 しかし今視線を集めているのは、高峰悠人である。であればそれは彼にとっては、それはやはり気のせいでしかない。
 光陰の恋愛初等指南を受けたスピリット達の相手にとっては、可哀想な話だが、これほど不適当な相手も他にいまい。
 なぜなら、

「じゃ、今日はこれで解散だ。皆ちゃんと寝るように。特に明日交代する当直メンバーは遅れないようにEジャンプサーバに集合すること」

 などとしっかり隊長の務めを果たしながら、悠人はさっさと自室に引き下がっていく始末なのだから。
 それでも居間の視線は悠人が去ってなお、しばらく入り口辺りに注がれていたが……
 やがてそこここから溜め息が漏れると同時にばらばらにさまよい始め、その日はそれでお開きとなった。

 追記しておくと、どこか遠くから『うぎゃー』だの『ぐぇー』だの言う一日遅れの除夜の鐘が響いていたが、次第に小さくなりながらも無事に百八を数えたことに安心して、悠人はその晩、安らかな眠りに付けたのであった。

 報告書は特に書かなくてもいいだろう。


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