悠人とエスペリアの二人が館に戻ると、なにやらまた居間の方が騒がしい。
何事かと二人は顔を見合わせ、そしてドアを開けると――
「いいか? まずコツの一つとして、芯の部分を強く巻くんだ。そうしないと解けてしまって上手く回らないからな。そうそう、そんな感じだ。それから……」
光陰と今日子の二人が、円錐形をした物体の中央に棒が生えたようなもの……日本の伝統的な玩具、独楽の遊び方をスピリット達に指南していた。
独楽というのは、シンプルなようでいてこれでなかなか奥が深い。
そもそもの形状が形状である。
決して自然には安定しない形。
それを床に直立させるのは、一重に回転の力だ。
巻きついた紐を伸ばすことによるモーメントの付与。それによって回転運動を生じさせ、不安定な重心をジャイロ効果を伴って芯の上に固定させる。
このような複雑な過程を経て初めて、この物体は見た目にも、そして力学的にも美しい安定性を得ることができるのである。
――以上、薀蓄。
もちろんそんな考えは、光陰にも今日子にもそして悠人にも無い。
ただ、自分達がいざ正月というものを教えるにあたった時、彼らの暮らしていた地球、日本では、物欲にまみれ、正月という風習は既にその意味も忘れられ、ただ単になんとなくおめでたい、怠惰な時間を過ごすだけの期間だったのである。
しかし、それでは意味が無い。
この企画は、少しでもスピリット達に楽しみを知ってもらうためのものである。
であれば、例え多少はステレオタイプであったとしても、彼らの知る「お正月」をスピリット達に伝えるべく持ち出した光陰と今日子のこの遊びは、評価されるべきであろう。
「……光陰、何やってるんだ?」
「お、悠人、帰ったか。お勤めご苦労。つってもただの宴会だけどな。どうだ、やっぱり王城の酒は旨かったか?」
「いや、俺は一滴も飲んでない。ていうか昨日の今日で飲める訳ないだろ? それはともかくとして、これ……独楽回しか?」
「ああ、見ての通りだ」
「なるほど、確かに正月っぽいな。でもこれだけの独楽、一体どこから用意したんだ?」
「ああ、これか。まあ最初は俺たちで用意しようとしたんだが、俺はともかくとして今日子は、なあ……アレだろ?」
「うるさい」
ペシッ、と、今日子が光陰の頭をはたく。
しかし光陰の言に多少の自覚も無ければ、今日子の顔も赤くはなるまい。証拠に、威力の小さい平手である。食らった光陰もほとんどダメージを受けた様子がない。
「……とまあ、それはいいとして、そう言う訳でアセリアに作ってもらった」
「アセリアが……意外だな」
「何を言う。この娘の器用さはもう目を見張るものだぞ。きっと料理も上手いに違いない。いつか食えたらと思うと、楽しみだ」
「そ、そうか……」
いい加減に疲れている悠人は、光陰の言葉に反論もしなかった。
傍らのエスペリアも同様である。
何事においても、幻想とはそれに裏切られるまでは、常に美しいのだから。
当のアセリアにあっては、器用さを褒められたことか、それとも料理を期待されたことに対してかはわからないが、「ん」となにやら満足そうに気合を入れていた。
「よーし。皆、巻けたか? それじゃあ続きを説明するぞ。と言っても簡単なんだが、まずは独楽をこう握って、サイドスローの要領で投げると……ヨッ、と!」
光陰は皆が自分の指示に従って準備を終えたのを確認すると、今度は回し方の説明に入る。
もちろんスピリット達にとってサイドスローという概念は無いが、それはそれ、人間などは及びもつかない運動神経の持ち主たる彼女達である。言葉に交えて動きを見せてみれば、それを一目で習熟することに何の苦があるはずもない。
光陰が振った右手からは、独楽が次第に紐の束縛から離れるに従って回転力を得、見事に安定性を持って床に降りると、そのまま日頃エスペリアのたゆまぬ努力によって磨き上げられた居間の床の上でクルクルと優雅に舞ってみせる。
その様に、集まって己の独楽を見ていたスピリット達は、名々に『へぇ……』だの『おぉ……』だのと感嘆の声を漏らした。
「な? 簡単だろ? まあそう見えて結構回すまでには練習がいるんだけどな」
回り続ける独楽と、それを心入ったように見つめるスピリット達に、まんざらでもないように光陰が皆を見回して言う。
「な〜に言ってんのよ。こんなの誰でも出来るって。それにみんな、独楽の面白さはただ回すことだけじゃないのよ。例えばこうやって……」
光陰だけが尊敬の視線を受けるのが面白くないのか、今日子も自分の独楽を構える。
「ん〜〜……ソレッ!」
同じくサイドスローで独楽を投げ出すと、それは光陰の独楽の直上を捉え、落下の衝撃によってバランスを失わせる。
やがてフラフラと力なく横たわった光陰の独楽を尻目に、今日子の独楽は悠々と回り続けた。
……何もここまで、と思わせるほどの、忠実な現実世界の再現である。
「こうやって独楽をぶつけあって、誰の独楽が最後まで生き残るかを競う喧嘩独楽っていう遊びもあるんだから」
「って今日子。雷落しは反則だろ」
注釈を入れるならば、雷落しというのは先程今日子が演じて見せた、ターゲットに最大の初速と落下の衝撃を以ってダメージを与える喧嘩独楽の戦法である。これはベーゴマの世界においても反則とされるルールがあるほどの、いわば破壊的とも言った威力を持った反則技として知られている。
「なーに言ってんの。アタシは雷撃の今日子よ。耐えられなかったのはアンタの根性ね」
「そんな……」
光陰はガックリと肩を落とし、自分と同じくわがままな姫君に打ちのめされた分身である独楽を回収する。
「さ、皆も見てばっかないで。見てるだけじゃあ独楽は回らないわよ?」
そんな光陰を気にせず。今日子は皆にやってみろと促す。
スピリット達もスピリット達で、そんな光陰を気にかけることもなく、我先にと独楽を回し始めた。
その結果、居間の床には、或いは成功して回り、或いは失敗してゴロゴロと転がる独楽で一杯になる。
特にこちらもスピリットとしての生体能力か、早くも二日酔いから回復した幼いスピリット達などは、きゃいきゃいと年相応の歓声を上げてその成否に盛り上がった。
そんな中。
「……ん」
自分も出遅れてはならないと思ったのか、アセリアも自分の独楽を握り締め、無造作に構える。
そしてゆっくりと右腕を振りかぶると……
「行く!」
ブン!
投げ出された独楽は、強烈な勢いに乗ってそのまま真っ直ぐ「飛行」する。
……ハイロゥの力でも宿されたのか、その独楽は勢いを緩めることなく次の瞬間、
「のわっ!?」
ドガッ!
何の警告もなく傍に立っていた悠人の頬をかすめ、そのまま木材をシュルシュルと削って壁にめり込んだ。
それぞれに独楽回しに興じていた皆も、突然のそのアクシデントに――というより、改めて見せ付けられたアセリアの威力に動きを止め、言葉もない。
やがて硬直から解けたエスペリアが、ハッとしたように悠人に駆け寄る。
「……! ユートさま、お怪我は!?」
「い、いや、大丈夫。かすり傷だ」
「ああ! 血が、血が流れています!」
「だ、大丈夫だって、エスペリア」
心配そうに悠人の頬に癒しの力をこめた手をかざすエスペリア。
……しかしあえて言えば、これは断じて独楽遊びであり、戦闘訓練ではないはずなのだが……
悠人の傷があらかた癒えると、エスペリアは向き直ってきつくアセリアを見据えた。
「アセリア、なんてことをするんですか!」
「ん……」
「なんとか言いなさい、アセリア! 主人であるユートさまに対してのこの仕打ち、許されると思っているのですか!?」
「いや、いいから、エスペリア。かすり傷だし」
「ですが、ユートさま……」
「ほんとにいいんだ。それより、アセリア」
「……?」
悠人はエスペリアの叱責を遮って、壁にめり込んだアセリアの独楽を――ていうか普通、独楽って拾うもんだよな、とかなんとか思いつつ――ズボッと壁から引き抜くと、近寄ってアセリアに手渡す。
アセリアは、何が起こったのか自分でもわからないのだろうか――恐らく指示通りにやったはずなのにと、しかし何故か失敗した自分の独楽を悲しそうに見つめる。
「いいか? 独楽って言うのは、投げっぱなしじゃダメなんだよ。こうやって……」
悠人は言いながらアセリアの紐を借りてクルクルと器用に準備を整えると、
「よっ、と……ほら。こう、紐を引いて戻さないと、さっきみたいにどこかに飛んでってしまうんだよ」
説明しながら悠人が放ったアセリアの独楽は、確かに床の上で綺麗に回っていた。
「……そうだったのか?」
「ああ。ま、その加減にも多少のコツはあるんだけどさ。だから一度失敗したくらいでそうめげるなって」
「ん」
悠人のフォローに多少気が楽になったのか、アセリアは悠人の手から紐を受け取ると、再度自分の独楽を拾い上げて準備にとりかかる。
「ほら、皆もやろうぜ。今のでコツがわかっただろ?」
悠人が見回して言うと、呆然としていたスピリット達も自分の独楽を拾い上げる。
結果からすれば、その一言で要領を飲み込んだのか、成功率は格段に飛躍した。
それまで失敗していた少女達の表情にも、喜びの色が見て取れる。
そんな中、ただ一人ウルカだけはなにやら思案しているように手に持った自分の独楽を見つめる。
「ん……どうした、ウルカ?」
「いえ、今のユート殿のお言葉。打ちと戻し。それは手前の居合にも通じるものがあると思いまして」
「あのなあウルカ。そんな難しく考える必要ないって」
「しかし……」
「いいから。ほら、考えてばかりいないでやってみろって」
「はい。それでは」
言うなり、光陰の指南もどこへやら。独楽と手を腰に添えて抜刀の姿勢を取るウルカ。
その姿勢に悠人はなにやら不穏なものを覚える。
「……ウルカ?」
「お静かに。今は精神を集中しております」
「いや、あの」
「……参る!」
なおも悠人が声をかけようとした次の瞬間、ウルカのがキラリと光った。
と、目にもとまらぬ早業で独楽は打ち出され、やがて巻かれた紐は半分程までその長さを取り戻す。
「ハッ!」
それを感じると同時に、同じく神速の技でその紐を引き戻すウルカ。
その動きには一部の無駄もなく、独楽はそれまで与えられた移動の力を打ち消されると同時に、更なる回転力を与えられた。
空中に投げ出されたウルカの独楽は、傍目には静かだった。なにしろ軸を中心に一転のぶれも見当たらない。
しかし激情とは時に静けさの裏に好んで潜むものなのである。
ガガッガッ、ギンッ!
落下を始めたウルカの独楽は、その穏やかさとは裏腹に、不幸にも直下にあってそれに触れることになったその他の独楽を、見境無く弾き飛ばした。
また直接に触れずとも、回転力の落ちていた独楽などは、巻き起こる風圧によってよろめく次第である。
ギュルルルルルルルルル……
そして邪魔者のいなくなった床に降りると同時に、ドリルのように床を穿ち、細かな木片を削りだしたかと思うと……
ボッ!
その木片に、摩擦の熱によって小さな火をともす。恐ろしいことに、あれだけの独楽を蹴散らしておきながら、その威力はなおも薄れることはない。
それを眺めていた一同、先程のアセリアの威力とはまた別の、ウルカの技量の切れ味に、やはりまた言葉も無かった。
炎にあぶられながらも、回転の軸を保って微動だにしない独楽。
ただ一人ウルカだけはその様子を満足に見つめると、どういう理屈かは知らないが、いまだものすごい勢いで回転を続けるそれを易々と拾い上げ、床の火を踏み消して悠人に向き直った。
「いかがでしょう、ユート殿。これは新しい技量となります。これを用いれば、戦場での火の確保に困ることはありません」
「い、いや、ウルカ。これはただの遊びなんだけど」
「それはそうですが、時に戦術というのは、思いも寄らぬところから涌いて来るものです。それに、これならば赤スピリットの神剣魔法と違ってマナの動きを敵に察せられることもありません。主に野戦に置いて重宝すると思われますが」
「か、かもしれないな」
「そうですか! やはりユート殿もそう思われましたか。それでは手前は、これよりこの技法の研究に取り掛かりましょう。必ずやラキオスに貢献する成果をご覧に入れて見せますゆえ」
「あ、ああ。頑張ってくれ。でも館の中では火事になると危ないから、なるべく外で頼む」
「承知!」
悠人の答えを受け、俄然張り切って居間を辞すウルカ。
後に残されたスピリットもエトランジェも、その背中に畏敬と、というよりは畏怖の念をもって視線を送る。
しばし、沈黙。
「あー、えっと……まあ、あれだ。何事も上達するのはいいことだよ。なにもウルカみたいにしなくてもいいから、皆適当に楽しんでくれ」
とりあえず、重くなった雰囲気を取り繕う悠人。スピリット達も従順に、コクコクと何度も頷いた。
適当に、というのは本心である。皆が皆ウルカ並の技量を持ち合わせてもらっては、館の床がいくらあっても足りない。
悠人は言うだけ言うと、いまだ戦慄から覚めやらぬスピリット達を捨て置いて、壁際のエスペリアのところに戻った。
「……ウルカらしいというか、なんというか」
「ええ、そうですね」
「しかし、ま、これでウルカにも剣以外に打ち込めるものが出来たんなら、それはそれでいいかな?」
「はい。さすがはユートさまです」
「いや、別に俺は何もしてないけどな」
首の後ろで手を組み、ポリポリと頭を掻く悠人。
しかし答えるエスペリアの声は、心なしか暗い。
「それより、エスペリアも遊んで来いよ。見てるだけだとつまらないだろ? やっぱり実際にやってみた方が面白いって」
「あ、はい……私もそうしたいのですが……」
「ん、何?」
「ええと、その……壁と床のことを考えると、少し……」
言ってエスペリアは、穴の空いた壁板と、焦げて削れた床板を悲しそうに見つめる。
言うまでもなく、ここはエスペリアにとって長年済み続けている愛着のある自宅である。それが例え悪意の無い遊びによってであったとしても、このように傷ついてしまったのならば、そうなるのも当然であろう。
悠人もそこまで思い当たらないながらも、壁と床の損傷を見る。
「……修理は手伝う」
「ありがとうございます……」
そして二人は仲良く溜め息を吐き、うなだれるのであった。
報告。わが国のスピリット達は、客観的に見ても優秀である。今後も期待されたし。