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 ――ラキオス王城、大ホール――

 かねてからの条件通り、悠人は新年の一日目、ラキオス王城へと参じた。
 すでに国民への年賀の挨拶も終わり、舞台はここ、ホールで年賀の宴へと移っている。
 供として登城しているのはエスペリアただ一人。
 アセリアは館で待機している。
 というより、昨晩あれだけのことをやらかしたのだ。昨日の今日で登城できるはずがない。
 オルファはオルファで、やはり館でネリーら共々二日酔いにうめいている。
 さすがのエスペリアも、二日酔いに効くような効能のあるようなハーブティーの知識はないらしい。
 代わってといっては何だが、今は光陰と今日子が介抱している。
 さすがの光陰といえども、弱っている女の子に変なことはすまい。
 それに、今日子も付いている。この点に関しては安心していいだろう。
 しかし――

(光陰も、かなり飲んだはずだよな……?)

 それでも昨日の内に回復していたし、今日に至っては重症者の介護をする余裕まである。
 碧光陰。やはり只者ではない。
 それはさておき、ラキオス城は大ホール。レスティーナの予見は当たった。
 この大宴会。
 集まっている者が皆、単に新年を賀すためにここに来ているわけではない。
 例えば、酔いに任せて女王に一言言ってやろうという老いた貴族。
 或いは、息子を推薦してあわよくば王族の親戚になろうと、下心丸出しで言い寄ってくる中年の貴族。
 もしくは何を勘違いしたか、自分こそが女王を口説き落とそうとこれまた言い寄ってくる、自意識過剰な貴族のボンボン。
 そういった者たちが、次から次へと機会を窺っては女王に近づいてきたのである。
 鬱陶しいことこの上ない。
 と、普通であればそうなのだが、今日に限ってはその誰も皆、挨拶もそこそこに引っ込んで行った。
 原因は悠人。女王の傍にずぬりと控えるエトランジェのせいである。
 それは決して悠人が備える貫禄などということではない。
 どちらかと言えば今の悠人には、貫禄などこれっぽっちもないといった方が正しい。
 率直に言うと、だるっそーに、不機嫌そのものの顔で突っ立っているのである。
 それはもう、マナを直接感じることのない普通の人間でさえ、そのオーラが見て取れるほどであった。
 意味をとれぬなら説明しよう。
 そのような悠人の前に――正しくは、彼が護衛しているレスティーナの前にだが――誰かが現れるとどうなるか。
 あらかじめ悠人のために言っておこう。彼は単に二日酔いなだけである。断じて年賀の儀を鬱陶しく思っているわけではない。
 頭は痛いし、気を抜けば吐き気がこみ上げてくる。そんな状態を押して登城した彼の態度は、殊勝とさえ称してもいい。
 しかし、悠人は体調不良なのである。
 そんな彼が、目の前に現れる胡散臭い男どもに向ける視線は。
 悠人の名誉のために記しておく。悠人にその気はない。しかし。しかしである。
 そんな悠人に目を向けられた不幸な誰かは、

「んだ、コラ。俺は今機嫌が悪いんだ。何か文句でもあるのか? イワすぞ、あ?」

 というような視線を感じざるを得ないのだ。

 それは女王の前に立ったときから始まる。
 ニコニコと笑顔で、しかしその裏で胸に一物詰めて女王の前に立ち、深々と一礼をして――
 顔を上げれば、いきなりさらされる傍らの不機嫌そのものの視線。
 しかも相手は百戦錬磨のエトランジェである。もはや生きた心地もすまい。
 女王の前に立ったその者は、この時点でもう既にその場を辞したくなる。
 しかし、踵を返すことは許されない。
 エトランジェごときに怯むことなど、貴族の誇りが許さない。それ以前に、女王陛下の御前で挨拶もなしに立ち去るというのは不敬の極みである。
 すべからく貴族というのは、誇りと儀礼によって成り立っているのだから。
 だが、その挨拶の最中にも無言で突き刺さる視線。
 自然動悸も激しくなり、言葉も早口になってくる。
 そして彼はこう思う。
 ――もはや胸の一物などどうでもいい。また今度にすればいいだけだ。
 とにかく今だけは、今だけは一刻も早くこの場を立ち去らねば……!
 哀れにもその者は、思いも叶わず、足早に歓談の場へ戻るその最中に置いても、その背中にエトランジェの視線を受けることになるのであった。
 そして今。もう何人目かになるともわからない哀れな貴族が自分の前から立ち去った時、レスティーナは溜め息とともに、傍らに立つエトランジェを小さく叱責する。

「ユート。せっかくの晴れの場で、なんですかその態度は。もっとしゃんとなさい」
「いや、うん、わかってる。わかってるけど……」
「わかってるじゃありません。このままでは場の雰囲気が悪くなるだけです」
「いや、うん。すまない……」

 息も絶え絶えに答える悠人。
 もはや一言答えるのにも億劫である。

「大体何ですか二日酔いとは。私は羽目を外すなと言ったはずです。未明のアセリアの一件にしてもそうです。皆にどれだけ迷惑をかけたか、少しは反省しているのですか?」
「ああ、反省してる。反省してるから。だからもっと声を小さくしてくれ。頭に響くんだ……」
「まったく、だらしない」
「うぅ……」

 容赦のないレスティーナの言葉に、悠人はいろいろな意味で返す言葉がない。

「ちょっと、ユート。聞いていますか」
「ああ、聞いてる。聞いてるよ」
「ともかくですね。貴方は人の気持ちに鈍すぎです。確かに常に皆のことを考えて行動している様は評価します。ですが、ユート。肝心なところでの鈍さにはもう驚くほかありません。わかりますか?」
「……わかるような、わからんような……」
「それが鈍いと言うんです。中庭の一件にしてもそうです。あの場所に呼び出されて、人払いもさせられて、何かと私は期待したんですよ?」
「期待って……別に期待することでもないだろ。あの時はもう戦争も一段落してたし、スピリット達の訓練報告書だってきちんと提出してたし」
「そうではなくて! ああもう、ちょっとこちらへ来なさい! ……もっと近く!」

 レスティーナは玉座に座ったまま、見当違いのことしか言わない悠人を近くへ呼び寄せた。
 そして自身もずいっと身を乗り出し、再び文句を言おうとする。

「そもそもですね……」
「ちょっと待て、レスティーナ」

 慌ててそれを押し止める悠人。
 気が付けば、レスティーナとの距離は、息がかかるほど接近している。
 そして感じる、甘い、そう、甘い吐息。
 悠人は嫌な予感を覚えながら、訊ねる。

「レスティーナ、もしかして、かなり酒、飲んだか?」
「ええ、飲みましたとも。めでたい席ですもの、飲まないわけがありません!」
「なるほど。それで、レスティーナ。かなり酔ってる?」
「酔ってなんかいません!」

 言葉と同時に、ムハァッと投げかけられる息。
 その香りは、確かに果実酒に染められ、甘く、そして酒臭い。
 そしてこれは女性に対して、女王に対して、限りなく失礼な表現だが……
 そういうものは、二日酔いの人間に対して、これ以上はないほどの猛毒となりうるのである。
 事実、頭のなかで蛇がとぐろを巻いている悠人は、たまらず顔をしかめた。
 ……それがまずかった。

「なんですか、その顔。こんなに可愛い女の子の近くで、そんな顔をする者がありますか!?」
「お、おい、レスティーナ。落ち着け」
「私は落ち着いています! それからここは公式の場ですよ。陛下と呼びなさい、陛下と!」
「わ、わかった、わかりました陛下。だからもうちょっと声を小さくしてくれって。頭に響くんだってば。……それになんか注目されてるし」

 喚き始めるレスティーナ。悠人はおろおろし、酒の匂いに耐えながらも顔を近づけ小声で宥める。
 事実、近いところの何人かは、何事かとこちらを振り返っていた。
 レスティーナも、酔っ払いながらも恥じ入るところがあったのか、あたりを見回すと、声のトーンを落とした。
 そしてそのまま大人しく、麗しい女王陛下に戻ってくれれば良かったのだが……
 そこは腐っても酔っ払い、声と同時に気分も下降させて、なにやらブツブツと繰言を唱え始める。
 悠人はもはや触らぬ神に祟りなしと、適当に受け流すことにした。

「ユートが大変だというのは解かっています。でも私だってそれなりに大変なんですよ? この前だってサルドバルトの残党が街中で爆弾騒ぎを起こしたと言う報告が入りました」
「ああ、大変だったな」
「それに不公平です。戦いは厳しいかもしれませんが、それでもアセリアやエスペリアはその最中もずっと一緒に行動してるんですから。どう考えたって私の方が不利に決まっています」
「ああ、そうかもな」
「つり橋効果というものがあるそうです。危ない体験を一緒に味わうと、その二人の思いは燃え上がるそう。戦場というのは危険だらけなわけですから、この点でさらに私の方が不利になります」
「ああ、なんか聞いたことあるな」
「経過はともあれせっかく運命的な出会いだったというのに、美味しいところは全部彼女達に持って行かれて……ちょっとユート、聞いていますか?」
「ああ、聞いてる聞いてる」

 もちろんウソである。
 なにしろ悠人も二日酔いである。それをどうやら妙な具合に酔っ払ったレスティーナの繰言を聞かされ始めてから、頭の中の蛇がサードガラハム級に成長してのたくり始めたのだ。
 ……たまったものではない。
 口では適当に相槌を打ちながら、視線はすでにこの場をなんとかすべくホールをさまよっていた。

「……それなのに私ときたら、毎日毎日毎日毎日お城の中で仕事ばっかり。たまには城を抜け出してどこかに遊びに行っても許されると思いませんか? そうでしょう!?」
「ああ、そうだな……っと、ちょっと、そこの人」

 相変らず適当な相槌を打ちながら、ようやく近くを通りかかった侍女を呼び止める。

「陛下はもう充分に楽しまれたようだ。すまないけど、部屋までお連れしてくれないか?」

 突然呼び寄せられた侍女は、悠人の言に初め怪訝そうな顔をしたが、レスティーナの様子を見るとすぐに納得し、近くの者に声をかけた。
 それに応じて、ただちに二三名の侍女が駆けつけると、女王に退室を促す。

「さ、陛下。もうお部屋に戻られましょう」
「戻る? そうですよね。こんな日ですもの。私だって今日くらい、普通の女の子に戻ってもいいはずです。そうです。私だって女の子なんです。だからヨフアルが好きでもぜんぜんおかしくなんかないんです。ああ、ヨフアル食べたーいっ!」

 侍女に支えられ、酔っ払いらしく意味不明なことを口走りながらホールを後にするレスティーナ。
 体重の大部分をその侍女たちに預けているはずだが、それでもレスティーナ自身で立って歩いているように見えるのは、さすがは修練をつんだ女王直属の侍女というべきだろう。
 もちろん突然の女王の退室に戸惑う来客たちに「女王陛下に置かれましては、お集まりいただいた皆様のおかげで大変ご機嫌麗しく、またご自分のことはおきになさらぬようとの、格別のご配慮でございます」などともっともらしいフォローをいれる手並みも見事である。
 そのせいか、戸惑いもしばし、扉の外から聞こえる「ヨフアル〜、ヨフアル〜」という怪しげな呪文が遠のくとともに、すぐにホールはまた雑然とした雰囲気に呑まれていく。
 扉の奥に消えたレスティーナを見送って悠人が視線をホール内に戻すと、いつの間にかエスペリアが傍に控えていた。
 慣れない場である……というよりは、昨夜の一件で寝付いたのが明け方近くになったためだろう。
 酒こそ入っていないが、その顔には疲れの色がありありと浮かんでいた。

「……なあ、エスペリア」
「はい、なんでしょうか」
「王族でも、やっぱりヨフアルなんて食べるんだな」
「それは、ラキオス名物ですから。そう言うこともあると思いますが」
「そうか……」
「ええ……」
「…………」
「…………」
「……帰るか」
「……はい。そういたしましょう」

 かくして女王の護衛という理由もなくなった今、二人は連れ立ってトボトボと家路に着くのであった。

報告。例え王族といえど、飲酒に関する年齢規定は尊守するべきであると進言する。


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