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 戦時下という状況であるというのは、別段自分たちの傍に火の手が迫らなくても、確実にその領民の精神にストレスを与えるものである。
 幸い――これが幸いと言えるのかは判断に苦しまなければならないが――この世界、ファンタズマゴリアでは、闘うのは人間ではなく、マナにより生まれた妖精――
 スピリット。
 人を遥かに超えた力を持ちながら、しかし人に逆らうことが許されず、結果として戦奴としてしかその存在価値を認められていない少女達である。
 剣を、魔法を交えて闘うのが常に人間ではなく彼女たちの役目であるため、ファンタズマゴリアにおいては、戦争が民衆に与える不安と言うものは、存外に小さい。
 なぜなら、人間たちは、死ぬことはない。
 少なくとも、直接刃をその身に受けて息絶えることはない。
 戦争とは、常にスピリット達の殺し合いなのである。
 時には市街地――守り手からすれば自分たちの領土であり、攻め手からすれば手に入るはずの領土である――を傷つけないために、街から遠く離れた荒野でスピリット達を戦わせて、その勝敗において支配権を決定する、といった交戦規定まである程だ。
 それはもちろん、一体でもスピリットが残っていれば、街のひとつくらい簡単に殲滅できると言う認識を双方が持ち合わせているからだが、実際にそれを行なうことはない。
 人の軍では、ただ一体のスピリットにさえ敵わない。
 また、支配地の領民は貴重な税収減である。殺す理由はない。
 何より、スピリットは人を――ごく希な例を除いては――殺すことがない。
 かくしてこの世界における人が、戦争に抱く不安感というのは、例えばそれまでの支配体制の崩壊――即ち王族など、為政者の処刑や、政治体制の改変。
 或いは属国として定められたそれまでより重い税制や、勝手の違う支配国の法律への戸惑い程度である。
 しかし、それも高々5年か10年。慣れるまでそう、長い時間はかからない。
 なにしろ、血は流れないのだから。
 流れる血は、すぐに金色の霧となってマナに還る。
 一説によれば、それはこの地のどこかにある再生の剣へと還り、そしてまた、数ヵ月後か数年後には、新たな形を以ってどこからともなく湧き出るのだ。
 そんなのんびりした戦争の中で、例えば来るかもしれない重税に備えて備蓄品の価格が高騰したり、また漠然として純然たる不安から、犯罪発生件数の増加などにもその影響がみられたりもするが、それも平時に比べれば、ごく小さなものにすぎなかった。
 ――人間の生活では。

 前線に立つスピリットは、そうではない。
 彼女達は常に戦いを――殺し、死ぬ覚悟を強いられている。
 そしてそのストレスは、後に控える人間たちよりも何倍も大きな重圧となってのしかかるのである。
 あるいは神剣に意識を渡して――呑み込まれてしまえば、それほどつらくもないだろう。
 実際多くのスピリットは、皆、そうである。
 なぜなら、そうなれば殺すのは常に神剣であり、自分たちの身体はまた、それを振るうだけの道具にしかすぎないのだから。
 そしてその結果、例え殺され、マナの霧となってしまっても、いずれはまた再生の剣によって再構成され、地球の人間の概念で言えば、生まれ変わることは約束されている。
 少なくとも、伝承によれば、そうだ。
 だから――というのは間違いだ。多くの場合それは「信頼のおける道具」を量産するため、人間が強いてきた訓練制度の結果なのだから――
 多くのスピリット達は、殺し、殺されることに、ためらいを覚えることがない。いや、許されない。
 そして、そのように生きることがスピリットにとって幸せなのだとも、どこかから捕獲された彼女達に、幼い頃から徹底的に思い込ませるのである。
 それが、ただ一つの例外を除いた、この地に息づくスピリット達の実態。
 そう、ここラキオス以外においては。

 ラキオス王国スピリット隊隊長、求めのユート。
 幼い頃の願いにより、神剣『求め』を握ることを余儀なくされた、異世界からの訪問者――エトランジェ。
 彼が率いるラキオスのスピリット達は、他国のスピリットと一線を画す大きな特徴がある。
 即ち、自我。
 人と神剣の道具に成り下がっているスピリットは、数える程もいない。
 こう表現することが許されるならば、彼女達はあまりに人間らしい。
 彼女達は他国のスピリット達と違い、よく笑い、時に怒り、そして――泣く。
 『普通』に生きたスピリット達が、死の間際、神剣から開放された僅かな一時にのみ許されるその振る舞い――それを、彼女達は平時から隠すことはない。
 その基には、常からユートの語る、ある言葉が据えられている。
 即ち、生きろ、と。
 人間のためではない。神剣の為でもない。
 ただ、自分の為に。そして、助けあう仲間のために。
 生きろ。
 それは、ユートから見れば、当然のことであった。
 ユートのいた世界には、スピリット達はいなかった。
 ヒトの形をして、自我を持ち行動するのは、人間だけである。
 そんな彼から見る、スピリットのいる世界、ファンタズマゴリア。
 ただスピリットというだけで、虐げられる存在のいる世界。
 確かに、スピリットは人ではない。
 時に神剣を握り、ハイロゥを輝かせ、そして恐るべき力を振るう。
 だが、それだけだ。ただそれだけなのである。
 そうでないときの彼女達は、確かに人格を備え、自分の意思や考えを持っている。
 何も人と変わらない。
 そんな彼女達が、ただ人間の都合のために、戦争の為だけの道具と成り下がることは、許せない。
 同じく人間でなく、神剣を握り、闘わざるを得なかったエトランジェ――ユートからすれば、共感と相まって、さらにその思いは当然であったことだろう。
 だから彼は、それまでのスピリット達の教育方針に逆らい続けた。
 どんな避難を、奇異の視線を受けても止めなかった。
 それは、都合のいい介錯かもしれない。
 エゴ、と言ってもいい。
 事実、そのような人間臭さを持つのは、戦闘においてはデメリットである。
 死にたくないという意識は、戦いの中で死の恐怖を煽り立てる。
 自分に自我がある、生きたいという思いがあるならば、それは敵を前にして相手も同じなのではないかと、刃を鈍らせる原因となる。
 戦闘の後、今のラキオススピリット隊の面々が身体を震わせているのは、果たして傷の痛みか、心の痛みか。
 ――生きろ、という自分の言葉が、逆に彼女達を死に近い場所へと追いやってはいないか?
 望まぬ戦いを強いられ、そしてその中で自分の生きる意味さえにも迷い始める中、その疑問は確実に悠人の心を削っていく。
 それでも彼は部下であり、家族であるスピリット達に言い続けた。
 自分の意味のために。そしてそれを成し遂げるために。
 生きろ。
 と。

 ユートにとって幸いだったのは、彼のそんな思いを強大な力が後押ししてくれたことだ。
 レスティーナ・ダイ・ラキオス。
 ラキオス王国先国王の第一王位継承者にして、現ラキオス王国女王。
 彼女もは王族ながら、珍しくもスピリットだけが苦痛を味わうことに心を痛めていた者の一人である。
 人もスピリットも同じである。
 ならば、生きるための喜びも、苦痛も、同等に味わわなければならない。
 その考えから、彼女はスピリット達だけが戦争に赴くことを善しとしない。
 例えば、先に述べた「スピリットだけの殺し合いによる戦争」という交戦条件を呑んだことは一度もない。
 それは彼女が即位するとほぼ同時に、世界中の各国から注目を集めた理由の一つである。
 なぜなら、従来の戦争からすれば型破りに過ぎるのだ。
 しかし今はもう亡い、マロリガン共和国クェドギン大統領をして「独裁者」と言わしめたのは、彼女のそのような戦争指導だけからではない。
 彼女の国政は、そのような戦争の、さらに先にあるものを見据えている。
 ただ人とスピリットの平等を謳うためならば、それは彼女らに戦いを挑ませる理由にはならない。
 もしそれのみが掲げる理想であるならば、戦争などを仕掛けず、ただ国内に篭って内政に従事し、国民の意識改革にでも励んでいればよいのである。
 争いなど、無いに越したことはないのだ。
 しかし、時に運命はそう願う優しき王さえ、容赦なく戦争へと駆り立てる。
 それはある信憑性のある仮説に基づいた、来たるべき世界の貧困を防ぐためである。
 マナの減衰。
 人がこの世界のまま、マナとエーテルに頼って享楽的な、かつ自堕落な生活を送るならば、遠い未来、必ず訪れるマナの消失。
 それは、生活の不便さなどという生易しいものではない。
 マナというのは、すべからく命の根源である。
 それは、エーテルからなるスピリットだけではない。
 ファンタズマゴリアの大地、世界という命を支えているのが、マナなのである。
 マナを失う事は、即ちそれは命を、世界を失うことと等しい。
 木々は枯れ、愛でられるべき花は咲き誇ることはなく、そして――人も生まれることはない。
 その兆候は、少し昔の資料に疑うべくもなく記されている。
 ならば、どうするか。
 エーテルを使い続けることによって、世界は滅びる。
 エーテルの為のマナを確保するために、争いは起こる。  それを防ぐためには、エーテルを使わなければいい。
 これは少し考えれば、誰にでも自明と受け取れる発想である。
 しかし快適さと言うのは、時に人を愚かにもする。
 この世界で人は、もはやエーテルなしでは暮らしていけないほど堕落しきっているのだ。
 そして利己的な人間は、争いによって他国を蹂躙し、マナを得ることによって安息を取り戻そうとする。
 そのために増大する軍事費。
 大量に投機、費やされる、エーテル……イコール、マナ。
 マナを得るためにマナを費やし、そして減少したマナを取り戻すために起こる争い。
 人が自分のことしか考えられぬならば、容易には想像できない悪循環。
 そして争うことに疲れて辺りを見回したとき、そこにあるのはまた、恐らく絶望的なまでに疲弊した世界――もはや滅ぶことしかできない未来なのだ。

 彼女は、先を見すぎているのかも知れない。
 それは確かに起こるが、しかし今日明日の問題ではない。
 サーギオス帝国という脅威が迫っているとは言え、しかしそれまでの一般的な王族のように、自分と自国の利益だけを考えるならば、これほどの戦火を広げている場合ではないのだ。
 むしろ過去の信憑性のあるデータ――シージスの呪い大飢饉時に示された、軍事費と出生率の相関グラフ――
 それを信じるのならば今すぐ軍を退き、多少の屈辱に耐えようとも、大地にマナを止めておくことのほうが遥かに重要である。
 だが哀しいかな、それを受け入れられるほど、彼女は怠惰ではなかった。
 確かに、戦争が口火を切ったのは自分の父王の野望によってであれば、そのけじめをつける義務が自分にある、と思ったことも本当である。
 その思いから戦争を受け継ぎ進める中、しかし次々と現れる運命の糸が絡まりあい、結果として彼女にこの世界の未来を見せ付けたのは、果たして誰にとっての禍福であろうか?
 そのビジョンを手にした者がレスティーナであったことは、ファンタズマゴリアという世界にとっては幸福以外のなにものでもない。
 他の者ならば、その事実に震えて自国のためだけの戦争に走っただろうが、この聡明な若き女王は、確実にそれを避けるべく動いているのだから。
 しかし、それではその責を与えられた彼女にとって、それはどうであったのか。
 レスティーナは、いまだ恋も満足に知らない、二十歳(はた)にも満たない少女なのである。
 その重責、推し量って余りある。
 我々は神を呪うべきだろうか。
 否、もしその神に多少でも慈悲の心があるならば、彼もまた、この小さな少女の背にはあまりにも重過ぎる荷を負わせることにためらわなかったはずが無い。
 やはりすべては、マナの導きなのか――
 ならば、どれだけ悲しく映っても、その導きは間違ってはいない。
 食い止められる滅びなら、それは早いうちに食い止めねばならない。
 耐え難いほどの罪の意識を背に、それでもレスティーナはこの思いを持ち続けるだけの強さを、確かに持ち合わせているのだから。
 それにこの戦いは、レスティーナにとってもまた、同時に好機でもあった。
 この戦いによって拡大する、領土。そして、得られるマナ。
 女王たる彼女が、その先端となって働くスピリット達の功を率先して認め、ねぎらってやれば、それはそれまでスピリットを蔑みの対象としてきた国民達への、大きな意識改革の一歩となる。
 端からすれば妄執とさえいえる決意。
 そしてこれもまた、エゴとも言える理想。
 人とスピリットは平等、などという題目を掲げているくせに、彼女のとっている政策は、成功すればマナからエーテルへの変換を不可能にする。
 即ち計画が完了すれば、エーテルによって構成されるスピリットたちは新たに生まれ出ることもなく、否応なく滅ばねばならないかもしれないのである。
 世界を救うとは言え、あまりに人間に都合の良すぎる理想。
 人とスピリットは平等。
 しかし危機を回避して得られるのは、世界の一部であったはずのスピリットを切り捨てて、それ以外が繁栄する世界でしかない。
 それは、戦争の道具としてスピリットを利用するより、遥かに残酷なことではないのか?
 スピリットにも人間らしく生きてもらいたい、そんなもう一つの理想と拮抗する、矛盾。
 王族としての英才教育、帝王学を叩き込まれてそれでも、この矛盾は、すべてを背負い込もうとする、時に自虐的とも言える慈愛に溢れた小さな身体をいつも揺さぶり続けてきた。

 問題はそれだけではない。
 世界よりは小さな単位。
 自国、ラキオス王城内においてさえ、困難は山積みであった。
 国内、臣下に置いてさえ避難の強い抗マナ政策。
 エーテル技術の完全凍結。それが指し示すのは生活水準の低下に他ならない。
 特に先王の時代に勢力を振るった有力家臣たちは、こぞって声高くこの政策に反対した。
 当然である。
 先王は良き王だった。
 目先の利益にとらわれ、常に己のことを考えている。
 反対するものには容赦しなかったが、それは裏を返せば逆らわねばよいということ。
 常に追従を口にして興を買っていれば、臣下である自分の地位は安泰が約束される。
 常に上等の衣をまとい、食事は最高級。毎日が楽しくてたまらない。
 レスティーナが即位してなお、そう考える貴族たちが溢れているのが、ラキオスという国家の現状なのである。
 それが、見目麗しく、聡明な女王が即位するとほぼ同時に打ち出したこの計画。
 受け入れられるわけがない。
 そもそも為政者たる者の仕事とは、自国の領民にできるだけ良い生活をさせることなのである。
 そのためなら何でも協力いたしましょう。他国侵略、ごもっとも。
 何しろ闘うのは自分ではない。
 軍備増強のために多少のエーテル削減。それも当然我慢しましょう。
 なに、ほんの少しの間ですから。
 これまでは、そういった程度で済んだのである。
 それが、今後、まったく使えなくなる。
 納得がいかないのも当然であった。
 そんな臣下たちを、レスティーナは時に宥め、時にすかし、それでも効果がない時には脅しつけ、最後の手段では不敬罪などの理由をつけて罰しもした。
 もちろんレスティーナの理想に共感し、積極的に強力してくれる臣下がいなかった訳ではない。
 比較的享楽に慣れていない、若い貴族がその多数を占めた。
 しかしそれでも、彼らの力は現段階では今だ微力に過ぎない。
 力ある堕落しきった高位の家臣を押さえるのには、小さすぎるのである。

 それでもレスティーナ・ダイ・ラキオス女王が今も歩み続けていられるのは、一重に彼女がもっとも信頼する部下、エトランジェとスピリット達が彼女を支え続けているからだった。
 レスティーナの理想が実現すれば、己はともかく、種としての存続は打ち切られる。
 それを理解できないような暗愚なスピリットは、この国には一人もいない。
 それでも、彼女達はその理想のために戦ってくれる。
 それは、自分達は所詮、人間の道具であるという、植え付けられた卑しい自己認識ではない。
 殺し合いに利用されるよりはいっそ、生まれてこない方がいい、という諦観でもない。
 恐らく自分達が暮らすことになる、差別も争いもない世界。
 その世界で、生まれ来る自分の同胞も生きてもらいたい。
 そう願わない者はいない。
 それでも。
 この世界が腐っていくのを食い止められるのが自分達であるならば、喜びはしないが、戦いを拒む理由にはならない。
 それが、ラキオスのスピリット達が心に秘める、決意なのである。


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