聖ヨト暦329年ソネスの月 赤二つの日 夜
ダーツィ大公国 首都キロノキロ 資料室




白いエーテルの光に照らされながら、一枚…また一枚と書類を捲っていく。
調べた部分に不備があれば、そこに付箋紙のようなものを貼り付け注釈を入れていく。
一枚あたりにかける時間は短く、そこに書いてある文章を瞬時に理解していることが伺える。
作業工程が早いからといっても、そこには一切の妥協が無い。
彼の机に広げられていた数々の資料は、程なく姿を消した。


「ふむ…概ねのところ問題は無いな…危惧していたような改竄の類も無いようだし…」


呟きながら背筋を伸ばして首をゴキゴキと鳴らす。
長時間に渡るデスクワークで強張っていた背中と首周りの筋肉を解しながら立ち上がる。


「……1日で仕事が終わっちまったよ……」


どこか遠い目をして言った。
机の上には全ての仕事を終え、指示を書き記した書類が山積されている。
もし現代管理職の人間が見たら、辟易するか卒倒するかのどちらかしか無い程の殺人的な量だった。


「…週末までは空き時間にしてもいいか。いや待て、その前に一応指示を分かりやすく纏めておくか」


ぶつぶつと独り言を呟きながら、再び椅子に腰を下ろす。
引き出しからノートを取り出すと、今までにチェックした部分の要約を行い始めた。
最早、サラリーマン戦士かワーカーホリックの様相を示している。


「ふふふ…これで文句は言えまい…ふふふ…ふふふふふ…」


何かに取り付かれたかのように筆を奔らせる。
かの魔物の咆哮と呼ばれる魔書を書き記した偉大なる狂人も、きっと彼のような様相をしていたに違いない。
今、この時間。この場所は紛れもない魔窟と化したのであった…










結局、彼は朝方まで資料室に篭りきり全ての仕事を正に1日で済ませることになるのであった。




この間、彼の鬼気迫る仕事ぶりに誰も資料室には近づけなかったと言う……








永遠のアセリア
The Spirit of Eternity Sword

〜人と剣の幻想詩〜

第二章
“Oath and Emperor”
ACT-4

【アキラの同盟国漫遊記A】
- In the Duchy “Pleasure Trip U” -




聖ヨト暦329年ソネスの月 赤三つの日 早朝
ダーツィ大公国 首都キロノキロ アキラの部屋




彼…即ち、アキラは脱力していた…
明け方近くまで仕事を続けていた反動から睡眠を取ろうと部屋に帰ってみたら、彼のベッドは既に占領されていたのだ。
本質的に寝る必要も食事の必要も無いとはいえ生体を伴って実体化している以上、欲求と言うのは存在している。
つまり何かと言うと…食欲。性欲。睡眠欲…それらの生存欲求が満たされないと、いわゆる欲求不満のような状態になるのである。
自身にマナを満たすことで、それら全てを同時に満たすことは可能だが、元人間の彼はやはり人間としての在り方を止められない。
食欲は食事で満たしたいし、性欲はセックスで満たしたいし、眠たければ寝たい。
それなのに…


「何故に俺のベッドで寝ているかな…こいつは…」


そう…彼のベッドは正しく占領されていた…公女殿下ことアルティールに……
最初は部屋を間違えたのかと思い、部屋を再確認してしまった。
しかし、自分の荷物が隅にあるのを見て間違いの可能性は消滅した。
間違いなく、彼女は、彼の部屋で、寝ている。


「……ソファで寝るか?……いや、まあいいか……」


脱力から立ち直り、彼は改めて寝ることを決める。
2〜3時間も寝れば欲求も解消され頭もスッキリとするだろう…そのような事を考えつつ。
綿織の服装に着替えて、彼はベッドに…そう、ベッドに潜り込んだ。


「んにゃ〜…まだ、眠たい…あと5分……」


掛けられた豪奢なキルトを動かす感触に寝言を口走るアルティール。
着ているのは薄手のキャミソールとショーツだけ。
随分と挑発的な格好をしている。
本人としては間違いを起こす気が満々なのでいい事なのだが、事情を知らない彼にしてみれば呆れるしかなかった。


(……大公殿は、知ってて放置しているのかねぇ……)


心の中で呟きながらキルトを引き上げる。
アルティールの隣で、彼は睡眠を取るためにゆっくりと意識を落としていった…




聖ヨト暦329年ソネスの月 赤三つの日 昼前
ダーツィ大公国 首都キロノキロ 城砦裏庭




「……で……俺は見事に殴られ損という訳か?」
「し、しょうが…ないでしょ!? 起き、抜けだった…んだし…」


─キンッ! ガキッ!


実質2時間程の睡眠後…彼は目を覚ますことになっていた。
無論、自分の行動をすっかり忘れていた公女殿下の攻撃で…
ある意味では予測できた結果が返ってきただけとも言える。


「いや、それ以前に人のベッドに勝手に潜り込んでいるほうには非は無いとでも?」
「そ、れは……だって……ああ、もううるさい、わねっ! 男の、くせに…文句言わないっ!」


─ギンッ! ギンッ! ギンッ!


アキラが正論を持ち出す。
ちなみに女性が寝ているベッドに潜り込んでいる彼にも当然ながら説得力は無い。
しかし、現在の彼女にはそこを突くだけの余裕が無かった。


「性差を都合良く使うのは格好悪いぞ? …っと…さて、チェックメイトだ」
「あれっ!? ど、どうしてよっ!」


冷静さを欠いた彼女の剣筋を外側にずらして体勢を崩させると、そのまま細身の模擬剣を突きつける。
疲れきった彼女はそのままぺたんと床に座り込んでしまった。


「才能があることは認めるが、スタミナと瞬発力が足りないな。後は状況判断か……要努力だな」
「うう…これでも、そこいらの剣術師より強いのに……」


どんよりと落ち込む彼女に彼は評定を下す。
確かに彼女の動きや剣の才覚は中々に抜きん出ていた。
一対一では大抵の剣術師よりも戦えるだろう。
だが、結局の所…基礎的な能力が付いていなければ宝の持ち腐れなのである。
その結果、彼女は野盗の集団に捕まるという醜態を晒したのだから。


「いいか? 確かに時間の制限された一対一であれば、アティは十分な実力を持っている。
 だが、基礎能力が足りてないから長引けば力が落ちるし、状況判断が甘いから集団戦にも弱い。
 練氣を扱えるのには驚いたが…発力までの間があり過ぎる。
 よって、まずは徒に応用に走ろうとしないで、絶対的な基礎力を身に付けろ」

「…ぅ……耳に痛い言葉よね……先生に知られたら絶対に虐められる……」


さて、先程から何をしていたかというと…ずばり鍛錬である。
アキラが帝国の将軍であり、エトランジェでもあるという事を知ってから彼女は自分の剣を見て欲しいと頼んでいたのだ。
まあ、野盗如きに屈辱を味あわされたという事もその一端となっていることは間違いない。


「先生ね。生徒を見れば師も知れるとは言うが……なるほどな……ちなみに師匠の名は?」
「…………ミュラー・セフィス……まあ、実際に習えたのは三ヶ月ぐらいだったけど」


ミュラー・セフィス…この大陸で唯一、剣聖と呼ばれる剣術師。
曰く、50年前から若いままに大陸を放浪している。
曰く、神剣を持ったスピリットと互角に戦える。
等々…とかく人外の能力を持っているとの噂が絶えない。


「ほう…あの剣聖か。帝国の文書にもよく名が出ているが……アティにはまだ重い肩書きだな」
「…う、うるさいわね! まだまだ成長期なんだから、これから強くなるのっ!」


やれやれ…とばかりに笑うアキラにアルティールは憮然としながら抗議する。
それを微笑ましく思いながら彼は唐突に言葉を紡いだ。


「……で、そこの人としてはどう思う?」


一見して何も無い虚空へと投げかけられる言葉…
怪訝な表情をするアルティール…
…果たして、応えはあった。


「…おや。気付かれていたようだね……私の隠行も鈍ってしまったかな……」


木陰から滲み出るように黒衣に身を包んだ白い女性が姿を見せる。
雪のように白い髪…柔和な美貌。
どことなく日本の出で立ちをした装束。
手には黒檀の杖を持ったまま、艶やかに微笑んでいる。


「げっ……せ、先生!?」
「…先生?……つまり、貴女が剣聖ミュラー・セフィスか」
「剣聖なんて名乗った事はないけど…世間ではそうなっているらしいね」


剣聖という呼ばれ方に苦笑で返すとミュラーはアルティールのほうを向いた。


「それにしてもアルティール…随分といい男を見つけたようだね」
「もう…先生っ! あたしと彼はそんなのじゃなくって…その…なんと言いますか…」


軽い口調でからかってくるミュラーに、しどろもどろになってしまうアルティール。
そして、そんな面白い事を一人で見ているほどアキラも甘くは無い。
即座に参戦を決める。


「…うむ。俺とアティは、とても人には言えない倒錯した関係で結ばれた仲なのだよ」
「あはは…それは興味深いね。今度、私にもじっくりと教えてもらえるかな?」
「せ、先生〜! っていうか…このバカの言うことを鵜呑みにしないで下さい!」
「ケムセラウトの事を思い出すなぁ…」
「なっ!? ちょっ! 黙りなさい! むしろ忘れなさいよね! 忘れないと殺すわよ!?」
「ふふ…随分と仲が良いんだね。アルティールのこんな姿は初めて見るよ」
「俺としては昔の姿が気になるのだがな…まあ、猫でも被ってたんだろうが」
「…こ、この…馬鹿アキラーーーー!!」


アルティールの叫びは城砦の隅々にまで届いたとか届かなかったとか。




聖ヨト暦329年ソネスの月 赤三つの日 昼下がり
ダーツィ大公国 首都キロノキロ 城砦訓練場




城砦の訓練場には既に多くの見物人が集まっていた。
…とは言っても、そこに居るのは城内のものだけであり剣聖と黒龍将軍の試武に興味があるものだけであったが…
少なくとも血気に溢れる若い騎士達や熟練の訓練士、更には大公達まで見ているとなると、また違った雰囲気がある。
言わば御前試合のようなものである。


「まさか、君が噂の黒龍将軍とは思わなかったよ…」
「いや、こちらとしても剣聖が、このように見目麗しい女性だとは思っても見なかった」
「あはは…そう言われるのは久しぶりだね。ひょっとして、見た目よりはずっと年上かな?」
「…それはどうかな? まあ、お互い秘密が多い身は苦労するな」


互いに含みのある笑顔で話しながら、それぞれの得物を確かめる。
事の起こりがアルティールに細剣を使った戦闘を見せるという事だったので両者とも、それを持っている。
それも訓練用の剣ではなく、本身である。


「それにしても…楽しみだね…久しぶりに心が昂ぶっているよ…」
「熱を入れすぎて速度を上げ過ぎないようにしてくれよ? あくまで最初は試武なんだからな」
「…ふふ…さあ、どうだろうね…」


視線を交し合う。
互いの気が昂ぶっている。


「流派・一貫が祖……ミュラー・セフィス……参る!」
「さあ……おぢさんの胸に飛び込んでおいで♪」


アキラの恐るべき軽口に周囲が度肝を抜かれた瞬間…戦いは始まった。


縮地の歩法から一気に間合いを詰めてきて、首・心臓・鳩尾をほぼ等速で貫く。
まるで銃弾のような恐るべき速度の突きをアキラは軽快なサイドステップで大きく回避する。
反撃を行いたかったが、ミュラーの速度が予想以上に速かったため大きく避けざるを得なかったのである。
しかし、アキラもタダでは済ませない。
サイドステップから瞬動に繋げ、流れるような動作でミュラーの背後を取る。
だが、ミュラーもさるもの…背後の気配を察知して次の動作へと移る。
踵を支点にして勁力を伝達。腕から先をしならせて杭打ち機のような一撃を放った。


「おおっと…おっかねぇ…普通に殺されそうだ」
「はは、折角飛び込んであげたのに受け止めてくれないなんて冷たいね」


一撃を避けつつ、下方から死角を突くように手首の切断を狙う。
されど、それがミュラーを捉える前に彼女は放った勁力のベクトルを側方へと転換し、アキラの一閃を弾く。
初めて金属同士が奏でる音楽が響く。
弾かれた剣同士はそれぞれに振るい手の体勢を崩そうとするが、彼らはそれすらも次の攻撃への布石へと繋げる。
互いの隙や急所を貫こうと刃が光となって奔る!
それでも刃は互いの体を捉える事はできない。
目まぐるしく立ち位置を変え、攻守を変えながらも致命的な隙だけは見せようとしない。
時折、聞こえる金属音すらも軽く、お互いが決して武器に負荷を掛けないようにしている事が伺える。
凄まじいまでの技量の応酬。
それは、まるで予め取り決められた舞をしているように観衆の目と心を惹き付ける。


「凄いね…君は。神剣を持たなくても、これだけ動けるんだね」
「まあ、色々と理由があってね…ところで、もう飛び込んで来てはくれないみたいだな?」
「あれを避けられるだけの剣士が相手では、こっちも危ないからね…」
「ありゃ…読まれている…か」


言葉を交わしながらも剣閃は放たれ続けている。
それでも互いを刃が捉える事は無い。
避けられるものは最小限の見切りで避け、避けられない軌跡は流麗に受け流す。
それぞれの動作の繰り返し。
このままでは、千日手となることは間違いない。


「そろそろ…決着を付けたい所だな…」
「おや…奇遇だね…私もそう思っていた所だよ…」


続いていた刃の嵐が突然、凪のように静まる…
それと共に、互いの間に張り詰めた空気が流れる…
細剣同士の戦闘における最も重要なポイントは速度。
それも斬りでは無く、突きにおける速度だ。
互いに同格…そして得物にも差が無い以上…斬りの速度では突きの速度に決して勝てない。
ゆえに最速・最高の攻撃が決め手となる。


(だが…彼女とて、それにはとうに気付いているだろう…)
(けれど…彼とて、それが分からないはずは無いだろうね…)


─ドクン


時が凍る…


─ドクン


鼓動が重なる…


─ドクッ


「「はああぁぁぁぁぁッ!!」」


至高の領域で重なり合う呼吸…
互いに狙うは互いの刃。
最早…技量によってなされるものでは無く、研ぎ澄まされた勘による神業。
互いに漆黒を纏い…戦の血を啜り…極みを得た両者は狙いすらも同じ…
使う業すらも世界を超えて重なる…


「「砕ッ!!」」


互いの中間点で切っ先と切っ先が触れ合い…


ゆっくりと刃は砕け散って逝った…




そして時は動き出す。




………

……






「まいった…まさか、決め手まで同じだったとは」
「それは私の台詞だよ…あれを使える剣士が他にも居るとは…世界は広いね」


互いに笑みを浮かべ、刀身の砕けた剣を納める。
魂を抜かれたかのように魅入っていた者達が歓声を上げた。
畏怖と敬意と憧憬に満ちた歓喜。
神剣を使わぬエトランジェと、流浪の剣聖…
例え神剣が無くとも、極めれば人とはここまでやれるのだと。
少なくともこの場にいる観衆達はそう思っていた。


「あ〜、ところで…だな」
「ん…どうかしたかい?」
「あのレベルをアティに求めるのは絶対に間違っている…」
「…そうだね。反省するよ…」


当の剣聖達の会話は、巻き起こる歓声で誰も聞くことは無かった…
結局、高みに至るものは本質的に自分本位だということが証明された一瞬である。




聖ヨト暦329年ソネスの月 赤三つの日 夜
ダーツィ大公国 首都キロノキロ アキラの部屋




「…と言う訳で…だ。ま、色々と要素はあるが根幹にあるのは間違いなく修練と経験だよ」
「へえ…本当に興味深いね…」
「っていうか…ハイペリアって、そんなに物騒な世界なの?」


アキラが逗留している客間で紅茶を飲みながら話を聞いているのは剣聖師弟だ。
どちらも興味深そうに話を聞いている。


「物騒…といえば物騒かもな…武器や兵器にしても比べ物にならないぐらい発達していた」
「それよりも、ディーヴァだっけ? そっちのほうが驚きよ…人を襲うんでしょ?」
「ああ、特に中級ぐらいまでの理性が無い奴はヤバイな…強さもスピリットと同じぐらいだし」
「中級…という事は上級はそれ以上だということだね?」
「上級からは理性があったり人型だったりもするからな…むしろ危険性は低い。まあ、迂闊に戦うと死ねるがな…」


元々はアルティールの修練に関する話だったのが、いつしかずれていた。
今は、何故かハイペリアに関する話がメインになっている。
やはり、この世界の人間にとっての天界とも言えるハイペリアの情報…それは何よりの楽しみなのだろう。


「ともかく、それぐらいの危険があるからこそ化物や能力者といった存在と殺り合うための技術が発達したってことだ。
 そして習得するべき技術が血や系譜に依存するものであれば、使い手が育つまえに人類は全滅していただろう。
 だからこそ、氣術も魔術も習得技術が公式化され、ナノ工学による因子転写といった技術もそれに一役買ったという訳だな…」
「アキラ、質問!」
「はい、アティ君。どうぞ」
「“なのこうがく”とか“いんしてんしゃ”って何?」
「残念ながら、私にも理解不能な単語だよ」


彼は、はたと気付いた。
自分の世界でしか通じない単語を使っていたということに。
そして、今度はこちらでも分かるように噛み砕いて解説を始めた。


「そうだな……ナノ工学というのは眼に見えないほど微細な機械や道具を作る技術だ。用途は様々で多岐に渡る。
 ナノと言うのは俺の世界の大きさの単位で…ストゥニクルを10億に分けたものの一つ程度の大きさだ。」


ミュラーがピクリ…とその言葉に反応するが、誰も気付かない。


「…想像しにくいんだけど、物凄く小さいってことよね?」


考えるような仕草をしながら、美しい眉根を顰める。
技術レベルの格差が、思考や想像の困難さとなって現れているのをみて、アキラは比喩で表現することにした。
茶請けに用意したクッキーを割って、まぶされていたゴマ粒のようなものを一つ、テーブルの上に置いた。


「この粒の大きさを1ナノ単位としようか。では、これと比べて1ストゥニクルはどの位の大きさとなるでしょうか?」
「うーん……………お城ぐらい……かな?」
「いや、キロノキロの全部ぐらいはあるんじゃないかな」


アキラの問いに、アルティールとミュラーが答える。
その答えに笑みを浮かべて、彼はとんでもない回答をした。


「…残念。答えは大陸全土を超える大きさ…だ」


一瞬、きょとん…とした表情を見せる二人。
だが、彼の言っていることが頭に浸透するにつれ驚愕へと変化する。


「こ、これと比べてよね? じゃあ、本当の大きさって…」
「最初に言ったよな? 眼に見えない程の大きさだと。そういう事だ。本当に肉眼では判別できない。
 ナノ工学という技術は、それだけの小さなサイズで動作する機械を作成するために発展したものなんだよ」
「ちょっと! でも、だいたいそんなに小さな機械や道具って…人間の手で作れるものなの?」


尤もな意見である。


「人間の手で直接作るのは困難だ。まあ魔術的なものなら簡単だが、機械的なものは順を追って作ることになる。
 つまり、人間が作れる最小の機械を作って、後の作業は機械にやらせていくんだよ」
「…随分と面倒なのね…まあいいわ。それで “いんしてんしゃ”は?」
「因子…といっても様々なものがある。近くは人間の設計図である遺伝子…魂の設計図である情報子などだ。
 このうち、実際に技術として操作できるのは物質側にある遺伝子のほうになる。
 ちなみに遺伝子ってのは、俺達を形作る肉体が持っている最小単位の設計図だと思っておけば間違いは無い。
 因子転写というのは、ナノ工学によって作成した微細な機械を用いて遺伝子を操作したりする技術だな。
 錬金科学的なものでは、能力者が持っている因果情報体を仮想元素化し架空のゲージ粒子たる幻素による根源素の数価変換
 を行い擬似的なアカシャ・ストラクチャーを形成しつつ量子状態へと移行。霊素情報子に結びつ……」
「ご、ごめん。待って! 理解できない単語は無し! ってあんた…わざとやってない!?」


理解不能な内容を実に楽しそうに説明し始めたアキラをアルティールは必死になって止める。
専門的な部分に入っていくと全く解らない上に、念仏か洗脳の如く滔々と解説されてもたまらない。


「はっはっは。バレたか」
「バレるわよ! も、もういいから…それで、その技術ってこっちのエーテル技術でも何とかなるの?」
「まあ、できない事もなかろうが…99%無理だろうな」
「じゃあ何で説明したのよ!」
「アティが聞いたからだが?」


アキラの言葉にがっくりと項垂れるアルティール。
そこで、今まで何かを考えていたミュラーが口を開いた。


「アルティール…そんな事より…君は彼が重要な事を言っていたのに気付かなかったのかな?」
「え…先生? そんなこと言ってましたか?」
「やれやれ…君はいつも肝心な部分では鈍いんだね…彼は何が公式化されたと言っていた?」


ミュラーの言葉を聞いて、ハッと何かに気付いたかのように身を震わせる。
アキラのほうに向き直り…恐る恐る…といった感じで問いかけた。


「氣術や魔術が公式化された……ってことは……あたしでも使える?」


どことなく上目遣いに見上げてくる。
それに多少、気圧されつつアキラは微笑して答えた。


「ミュラーなら直ぐに身に付けられるだろう。アティは…まずは基礎が完成してからだな」
「うっ…また痛いところを…美少女には優しくしなさいよね!」
「見込みのある弟子には厳しく当たることにしているんでな」
「ふふ…アキラは随分とアルティールのことを気に入っているみたいだね」
「せっ先生!?」


二人の師匠が結託してからかっている辺り…やはり彼女は愛されているのだろう。
それぞれの表情は柔らかかった…




………

……






「ま、それはそうと…俺はあと2日もしたらバーンライトのほうも廻らないといかん…結局時間の都合が問題だな…」
「うそっ! まだ居られるんじゃなかったの!?」


話もひと段落したところでアキラは今後の予定を切り出す。
アルティールとの出会いもあって中々に楽しかったダーツィ生活ではあったが、彼には仕事がある。
いつまでもキロノキロに居る訳にもいかない。
そして、それを聞いたアルティールは驚いた表情でアキラを見る。


「おや…もしかして、アルティールは寂しいのかな?」


さっそく笑顔で弟子をからかい始める師匠…ことミュラー・セフィス。
だが、アルティールは微妙な沈黙を続ける。
それを気にせずに、アキラは続けて口を開く。


「そうだな…差し当たり、2日でミュラーに一連の修法を体得してもらってだな……」
「……済まないけど断らせてもらうよ。弟子の恋路を邪魔したら馬に蹴られて死んでしまいそうだからね」
「…あのな…」


苦笑しながらミュラーはアルティールを見る。
彼女にとってもアルティールは可愛い弟子である。
そして、アルティール(弟子)の思うことは出来る限り自由にやらせてあげたいというのがミュラーなりの在り方だ。
そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、アキラは溜息を吐いてソファに深く腰掛けた。


「…俺の噂を聞いているんだったら、俺の生活に関する話も聞いているのだろ。そんなのに弟子を任せて良いのか?」
「……別に良いんじゃないかな…君はどちらかと言えば甲斐性があり過ぎるタイプのようだしね」


にこやかに笑うミュラーと対照的に苦笑を浮かべるアキラ。
どうにも扱い辛い相手のようである。
軽く肩を竦めると紅茶で軽く唇を潤し、彼女の指摘を肯定する。


「否定できない所が痛いね…しかし、受け入れた者を…大切な者達を俺から見捨てるような真似だけはしないつもりだ」
「それは大きくでたね…なら一つ、聞いても良いかな?」
「何かな?」
「お約束な質問で悪いんだけど、もし君の大切な者達が危機に見舞われ…誰か一人しか救えないとしたら?」
「…本当にお約束だな…ついでに状況が曖昧過ぎるが…」


ミュラーの質問に瞑目する。
彼女の質問はありきたりだが、一面の真実は突いている。
この手の質問はありきたりであるが故に、その者の心理や生き様を強く反映するのだ。


「仮に、そのような極端な状況となれば間違いなく助けられそうな一人を救う」
「…つまり、他のものは見捨てる訳だね?」
「助けられない者を助けられると勘違いできるほど若くは無いんだよ…残念だがね」
「矛盾しているよ…君の言っていることは」


ミュラーの指摘に眼を細めて愉快気に嗤う。
そんな事は判っているとばかりに嗤う。
くつくつと嗤いながらアキラは言葉を繋ぐ。


「そう。実に矛盾と言う表現が相応しい。だけどな…そういうことも無いんだな。これが」
「………」


怪訝そうに…それでも真摯な眼差しで彼の言葉を待つ。
彼の本質を見極めようと。


「先にも言った様に、これはあくまで“その状況”になった時の話だ。
 人生とは選択の連続であると言った古人も居たが、正しくそれは的を射ている。
 よって、先程定義された状況下であれば、俺は間違いなく救える一人だけを救うだろう。
 まあ、そのような状況を招かないようにする事こそが俺の役目だとは思っているがね…」


淡々と語ると一旦、息をつく。
その瞳はどこまでも暗く、虚ろで、果てしなく…如何なる感情をも映さない。
だが、内在する光は意志の輝きを秘めて果てしない虚無に抗い続ける。
狂気すらも限界を超えると正気と区別がつかなくなるという。
ありとあらゆる二律背反を許容するという瞳。
正しく狂った律我の上に成り立つ視点が正面から彼女を捉えた。


「ミュラー・セフィス……君はまだ、自らの魂と等価とも思えるだけの“全て”を失ったことが無いね?」


どこまでも穏やかで優しい微笑を浮かべる。
全ての喜怒哀楽が同時に含まれ…全てが磨耗し失われ…それでも狂うことを赦されない。
虚無的と表現することすら生温い壮絶な笑みが彼女の魂を侵食し喰らおうとする。


(な…これは?)


まるで金縛りに掛かったように身体が硬直する。
直感的な何かが彼女に訴え始める。
理解するな! 知ってはならない! 辿り着いてはいけない!
アレを知ったら壊れる! 人で居られなくなる!


「私の…私達の喪ったもの。辿り着くべき境地。その極み。求める全てを知りたいとは思わないかね?」


彼の整った…否、作り物めいた顔が近づいて来る。
人の望む全ての理想によって平均化されたような貌は、その完全さゆえに逆に恐怖を誘う。
全ての表情が失われ…アルカイック・スマイルだけを浮かべるソレは何と美しく、荘厳で、おぞましいのであろうか…


(こ、これが…そんな…)


迫る、迫る、迫る!
全身全霊の力を結集してミュラーは目を閉じる。
せめてもの抵抗。
それを行えたことすらも評価に値する。


─ぷにっ


そして、鼻頭を指で押さえられた。


「はっはっは。意地悪な質問をしたお返しだ。
 言っておくがな、俺は救えるものは力の…手の及ぶ限り救うぞ?
 そのために力を手に入れたんだし、大切だからこそ厳しく鍛えてるんだからな」


きょとん…という表現が相応しい表情をするミュラー。
先程までの違和感も魂を縛るような圧迫感も何も無い。
まるで蜃気楼のように消え去り、再び暖かな気配だけが満ちている。
そこまで来て、ようやく思考が復帰し、自らが仕返しされたことに彼女は気付いた。


「…負けず嫌いな上に意地悪だね…」
「お褒めに預かり光栄でございます。お嬢さん♪」


快活な笑顔を浮かべる彼には、もはや先程のような作り物めいた陰は無い。
どこか安心してミュラーは全身の力を抜くのだった。


「試した事は謝るよ。君はどうやら、ちゃんとした信念を持っているようだからね」
「長く戦場で生活していれば、嫌でも信念なんぞついてくるさ」


ティーカップを手に取り、今度はミュラーが口を潤す。
一瞬の事とは言え、口の中はからからに乾いていたからだ。


「まあ、そういう訳だ。師匠として安心してもらえたかな?」


悪戯っぽい笑みを浮かべるアキラにミュラーは苦笑するしかなかった。
そして…


「…要するにアキラがあたしに厳しく当たるのは、あたしが大切な存在だからって事よね?」
「うむ。何しろあいつは見てて心ぱ……
は?


頬を赤らめつつ割り込んだアルティールの言葉に周囲の空気が更に弛緩する。
ミュラーも思わず脱力し、危うくソファからずり落ちる所だ。
アキラなどは折角のシリアス顔が崩壊し、見事な二枚目半の様相を示している。
一房だけある銀色のアホ毛などは、所在なさ気にヘタレていた。


「いいわ。そこまで言うなら…あたしはアキラに身も心もあげる。あたし達の恋の炎で大陸を焼き尽くすのよっ!」
「あっはっは。アルティールは大胆だね。それじゃ私も師匠として協力してあげるとしようかな」


アルティールの大胆発言に乗って、ニヤリと邪笑を浮かべるミュラー。
仕返しの仕返しをする気が満々である。
思わず腰を浮かしかけたアキラの肩を押さえて彼の服に手を掛けた。


「いや待て! 人の話を聞け! 師弟揃って馬耳東風か!? 固有スキルなのかっ!?」
「「問答無用!」」




そしてアキラは見事に剣聖師弟に押し倒されるのであった。




後日、彼が強姦される女の気持ちが判ったとかブツブツと呟いていたのを侍女の一人が聞いたらしい。




ミュラーとアルティールにいたっては、その日の昼下がりまで起きれなかったとかどうとか…




真相は闇の中。




聖ヨト暦329年ソネスの月 赤五つの日 朝
ダーツィ大公国 首都キロノキロ




「しかし、良かったのか? 大公のオッサンもよく許可したな…」


朝靄の中、アキラは納得行かんとばかりに呟く。
今日は、ダーツィを出てバーンライトへと向かう日だ。
彼の隣には何時もの如く、女性の影がある。それも二人。


「アキラに着いてくって言ったら、これでダーツィも安泰だって諸手を上げて喜んでたけど?」
「まあ、私は自由気ままな身だしね…暫くは君と大事な弟子に付き合ってみるのも悪くは無いよ」
「…なに考えてんだ…あのオッサンは…娘が心配じゃないのかね」


どこかげんなりとした表情で言う。
対照的にアルティールの顔は明るく、ミュラーは相変わらずの柔和な笑みを浮かべている。


「あんた…自分の影響力を判ってないわね。剣聖級の剣術師が二人も居るんだから心配しようがないでしょ」
「それに、大公殿としては娘の旦那の心配もしなくて済んだ訳だし、むしろ心労が減っているかもしれないね」
「せ、せせ先生っ! こんな往来で何を言い出すんですかっ!?」
「ふふ、その上に師弟の関係から姉妹にまでなってしまうなんて…ちょっと予想外だったかな」


陶然とした様な口ぶりで遠い目をする師匠に、顔を桜色に染めて慌てる弟子。
そして、疲れたように目頭を押さえる共有物(男)


こんな事なら、サラでいいから連れて来るんだった…っていうか、襲われた俺への配慮は無しか? 合意があったか?」
「結局、あたしの身体に散々溺れてたじゃない。喜んでたんだから合意に決まってるでしょ。バカ?」
「あんなに感じさせられて何度も何度も達したのは初めてだったよ。むしろ最後は、私達に配慮していなかったね」


女性陣の反撃に見事にのされる。
流石は師弟…見事な…余りにも見事な連携であった。


「ぐぅ…い、いいもん。逆境になんてメゲないっ! うっ…目から汗が…フッ、今日も空が高い…こんちくしょう」


その姿には一切の威厳も無く。
ただただ哀愁が漂うのみ。
こうして、彼の弱み(?)を握るものが二人も誕生してしまうのだった。




嗚呼、帝国のエトランジェ……どこへ逝く?



















To be Continued...





後書(妄想チケット売り場)


読者の皆様始めまして。前の話からの方は、また会いましたね。
まいど御馴染み、Wilpha-Rangでございます。


プレジャートリップA 〜ダーツィ編〜 は終了です。
次回はバーンライト編…まあ、あっさりと終わる予定ですが。
っていうかダーツィ編が濃すぎた(爆)
でも予定は未定………どっちだ!?
いや、多くは語るまい。
エロランジェの旅はまだ続く…(次回ぐらいまでw)



次回。永遠のアセリア外伝『人と剣の幻想詩』…第ニ章“アキラの同盟国漫遊記B”…乞うご期待。



「……どういう事だ…何故奴らが此処にいる!?……」


独自設定資料

World_DATA
サラリーマン戦士
24時間以上を連続で働くことができるという現代の侍達。
今ではリストラの嵐と経営観念の変化のせいで絶滅寸前になっている…らしい。


剣術師
訓練士と同義であることも多い。
所謂、剣の技術を磨いて達人の領域へと達した者達の事。
武術に特化しているだけの事はあり、純然たる技量でならスピリットを超える者も多い。
流派・一貫に代表される氣術を用いた系統の剣術師は瞬間的にならスピリットに匹敵する。


恐るべき軽口
アキラがミュラー・セフィスとの試武の際に放った軽口。
「さあ……おぢさんの胸に飛び込んでおいで♪」
間違いなく観客達は度肝を抜かれたことだろう……色んな意味で(笑)


錬金科学
霊子力学論から派生した魔術理論を包括する科学技術。
アキラの居た時代においては通常科学と共に発展著しい分野である。
魔術のような概念的現象操作を、明瞭なメソッドを通すことで行える。
魔力を持たない人間でも魔術と同じようなことを行えるのが特徴。
…まあ、その分だけ材料調達や練成公式という手間が掛かってしまうのだが。
ちなみに元となる理論は、“狂脳公”の異名を持つ天才科学者…結城 玲が提唱したものである。

[Hypothesis in Virtual Element Observation for Quantum Dynamic Super-Phase Conversion Theory]
「仮想元素観測における量子力学的超位相変換理論のための仮説」


「馬に蹴られて…」
曰く、人の恋路を邪魔するものは、そういう死に様を晒すという話である。
ファンタズマゴリアにも似たような逸話があるのであろうか?


目から汗が…
漢は涙を流さない。
流れているのはタダの汗なんだッ!
…どう取り繕っても泣いている事に変わりはないのだが…(笑)




Skill_DATA
※Nothing




Personaly_DATA
※Nothing




SubChara_DATA
※Nothing




Eternity Sword_DATA
※Nothing