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 全ては予想していた事だった。肌に感じるひんやりとした空気、風の音。ただ、それが理由というわけではないが。

 単にわかっていただけだ。そうなるように仕向けられていたのだから。それを確認するかのように胸中で繰り返す。古の約束事のように。

 それは実際時間をも超えた約束であった――彼女には一瞬の出来事だったかもしれないが。

 彼女は目を閉じていた。何を考えるでもなく、ただ感覚だけを鋭くしていく。

 いまだに五感は回復していなかった。だから彼女はいつもより慎重になっていた。ゆっくりと体に力を込めていく――拳を強く、握る。そして開く。寒気が彼女の指の間に入り込んで少しかじかんでいる。

 「・・・」

 目を開いた。

 光と呼べるものは彼女の傍らにある電柱に添えつけられている蛍光灯だけだった。それが夜の深さを強調していた。

 雲に覆われて空には何も映し出されていなかった。この空に月はあるのかと思い苦笑する。自分は何を言っているのだろう。この世界の月と自分がいた世界の月が同じとは限らないのに。

 知っている。そんなことは知っていた。『あれ』の魔法は完璧だ。そうなるように仕組まれているのだから。

 「さて・・・」

 彼女は辺りを軽く見回す。

 「名前がいるわね。この世界の、この国にあった名前が」

 『あれ』の魔法は完璧ではあったが、名前だけはくれなかった。彼女は深く息を吸い込んだ。冷たい夜気が心地いい。息を吐き、再び息を吸う。今度は短く。

 「・・・『紅葉』・・・いい響きじゃない」

 会心の出来におもわず口元が緩む。それだけの自信はあった。

 瞬間、明かりが消える。蛍光灯が切れたらしい。周囲の闇に溶け込み何も見えなくなる。彼女の瞳だけが輝いている。

 彼女は歩き出した。足音はない。そして彼女の胸にただひとつ――

 与えられた命題があった。





5本目の神剣〜破滅の予兆〜





 「ほい――こいつでラストだ」

 言いながら――べしっと、木剣で頭を軽く小突く。ジュリが小さく悲鳴を上げて尻餅をつく。日も高い時間の訓練棟である。この間ラキオスとの戦争が終わってスピリット隊の面々には休暇を言い渡してあった。ラキオスの生き残ったスピリット隊がイースペリアに渡ったが、あそこは元々国土も広く豊かな国なので他の国を侵略する気配は無い。当面はダーツィ大公国にさえ注意していればいい。バーンライトも今回の戦争での被害が大きく、スピリットの数も開戦当初と比べればかなり減った。他にも色々な問題があるがとりあえずはおおむね問題は無かった。

 季節が変わり始めているのだろうか、緑の匂いが風に運ばれてくる。ジュリが服についた土を払いながら立ち上がる。こちらを多少睨んでくる。

 だが、志貴はそれを軽く笑ってその視線を受け流す。年は17歳。黒髪黒目のエトランジェである。黒を基調とした服を着込み、本人もそれを好んで着ている。前にコートが焼けてからはもっぱらこの格好である。いつも腰に掛けている彼の神剣は今は近くの壁に立てかけてある。

 それが得意そうに言う。

 「どうやら・・・俺の勝ちみたいだな」

 「うぅ・・・」

 喉の奥でうめくのが聞こえる。年のころ十代前半といったところだろう。あまり歳は離れていないはずなのに見た目と言動から必要以上に幼く見える。ブラックスピリット独特の黒髪をショートカットにしている。以前はロングだったのだが、どういう心境の変化か突然髪を短くしたのだ。その効果かどうかは分からないが喋り方にも変化が起きていた。

 「納得できません!」

 例えば、一回でちゃんと言い切ることが出来るようになっていたし、今のように強気に出る事もある。

 「納得できないっていってもなぁ・・・」

 とんとんと、木剣で肩を叩きながら志貴がぼやく

 「勝負は勝負だろ? お互い自分の獲物で相手の体に触れたら一本。それを十回。お前が先に言ったんだぞ?」

 「そんなの分かってます!・・・たった今ストレート負けしたんですから・・・」

 はあ、とため息をついて小石を蹴るように靴で地面を蹴ってからいう。

 「あのですね、シキ。わたしこれでも剣の扱いには少しは自信があります」

 そういえば最近名前で呼ばれるようになったなと思いながら手で制して言う。

 「あのなぁ、剣についてなら俺はお前より小さいころから修練しているし、専門の先生に師事してきた。そこで自分より技量の上の人間と戦う時の方法も学んだし、実際そういう人達に揉まれてきたんだ。悪いが、この国の剣術レベルと一緒にしないでくれ」

 と肩をすくめてみせる。だが、実際はそんなに悪いものではない。事実、剣の扱いならアルエットのほうが上だった。ようは彼女の戦い方に問題があるのだ。

 「わかってます!・・・だからシキに教えて欲しかったんです」

 むくれるジュリに志貴は嘆息しながら言う。

 「わかったわかった。ちゃんと訓練に付き合ってやるから」

 そこで今更ながら気になったことを何とはなしに聞いてみた。

 「そういや、お前なんでいきなり俺に訓練つけてくれなんて言い出したんだ? せっかくの休暇をふいにしてまでするようなことでもないだろ」

 「うん・・・そう、なんだけどね」

 どこか歯切れの悪い返事をする。それを黙って聞いているとジュリが何か告白するかのように言う。

 「わたしって、隊の中でもけっこう弱いんだよね・・・足手まといになるの・・・嫌だから」

 うつむきながら言う。最後のほうは蚊の泣くような声だった。それを聞いて理解するなと言うほうが無理があったが、志貴にはそれだけとは思えなかった。それはこの頃の彼女を見ていれば安易に想像できるものであった。

 「お前、本当にそれだけか? 俺に何か隠し事してるんじゃないのか?」

 半眼でジュリににじり寄る。彼女はぎくりとして後ずさる。

 「えっ!? そ、そうかな。あ、あはは・・・」

 表情を引きつらせて否定する。

 「ふーん。ま、俺でいいってんなら付き合ってやるが・・・」

 それだけ言うと志貴はそれ以上追求しなかった。

 「教えるならフェイのほうが良くないか?」

 「そんな事ないです! 私、一生懸命頑張りたいです!」

 「あ、ああ・・・じゃあ、今日はこれくらいにして明日からスケジュール組んでみるか」

 ジュリの剣幕に押され、流されるまま承諾する。

 「はい! よろしくお願いします!」

 (うーん。やっぱりわからん・・・)

 とりあえず訓練を終えて第一詰め所に戻る事にした。ジュリはどこかに出かけるらしく訓練棟でわかれた。目的の部屋の前に来ると息を整えてからドアをノックした。暫くしてから――

 「はい、どうぞ」

 中から声がする。どうやら入っていいらしい。

 がちゃ、と音を立ててドアを開ける。どの部屋にもいえる事だが、あまりものがあるわけではない。この部屋にも簡素な机と椅子そしてベッドがあるだけだった。今はそのベッドにこの部屋の主が体を起こしてこちらを見ていた。

 「何だ、もう起きられるのか」

 「はい、おかげさまで随分良くなりました」

 ファーレーンがそう言って頭を下げる。

 「礼を言うほどの事じゃないさ、それに君は当分・・・この戦争が全部落ち着くまではこっちの戦力として使われるんだ」

 「そう、ですね」

 一瞬ファーレーンの顔に陰が見える。それも一瞬で消えたが。その印象は記憶に長くとどまりそうだった。

 (今の彼女は戦士じゃない・・・)

 仮面をつけていないからだろうと志貴は思った。

 その彼女がこちらを向く。白い、清潔そうな寝巻きを着ている――確かネグリジェとかいうやつだ。彼女はどこか恥じるように、

 「その・・・あまり見ないで下さい・・・顔・・・見られるのが恥ずかしくて・・・」

 何で――そう言おうとするがやめる。彼女は既にその理由を言っている。変わりに違うことを言ってみた。

 「そういうのって本人が気にしている以上に他人は無関心なもんだって、知ってるか?」

 そのまま何かを探すように部屋を見回す。ファーレーンがそれにつられて部屋を見回す。

 簡素なつくりだった。最低限ではないにしろそれに近かった。必要以上のものはなく、必要なものだけが置かれていた。机と椅子とベッド。後は申し訳なさそうに小さな窓があった。椅子をベッドのそばに引いて座る。

 「君がさ、顔を隠すから皆気にするんだよ。隠さなきゃ誰も気にしない。まあ、ただの言葉遊びっていえばそれまでなんだが」

 と、最後は肩をすくめて見せる。

 「そういうものでしょうか・・・」

 今までそうしてきたせいもあるのだろう。やはり納得できないといった感じで言う。

 「少なくとも、無いものねだりは意味がない。仮面が無いと生きていけないってんなら考えてやらんでもないがな」

 ぽん、と彼女の頭に手を置いてやる。その手で優しく頭をなでる。ファーレーンは突然の事に驚いてあたふたしている。

 「あ、あの!」

 「妹が」

 さえぎるように志貴が言う。ファーレーンそれは以上何かを言おうとはせずは恥ずかしそうにうつむいて、黙って話を聞いてくれた。

 「妹がいたんだ」

 昔を懐かしむように言う。徐々に記憶が蘇る。

 「歳の離れた妹でね、凄い泣き虫でいつもおにいちゃん、おにいちゃんって泣きついて来るんだ。だから、こうやって頭をなでて言うんだ『どこか痛いのか? お兄ちゃんがいるから大丈夫だぞ』って・・・」

 「妹・・・ですか」

 「君にもいるんだろ? そういうのが」

 尋ねる。ファーレーンは小さく頷く。

 「ニムって言います。私が、どんな事があっても絶対に守らないといけない娘です。とっても口が悪いんですけど、本当はいい娘なんです」

 ニムという娘の事思っているのだろう。その表情は戦場では決して見せない柔らかなものだった。なんとなく寂しさを感じて志貴は言う。

 「・・・また会えるといいな」

 自分でも気づかないほどその表情は寂しげだった。それに気づかないファーレーンが短く言う。

 「はい」

 その後は傷の具合を診て、休んでおくようにとだけ告げて部屋を出た。

 (そういえば、謁見の間に行くように言われてたっけ)

 朝、アルエットに言われた事を思い出して、志貴はその足を城に向けた。





 彼は自分の役割を忘れているわけではなかった。その手に持つ『求め』の切っ先はすでに彼女に向けられている。だが、彼女の瞳に射すくめられ、それ以上の事はできなかった。

 彼女は自分を含め四人の人間に囲まれながらもその注意を自分だけに向けている。

 「私を・・・殺すのね」

 静かに、彼女の声だけが響く。

 「あなたは・・・何を知ってるのですか!」

 叫ぶ。彼女は天を仰ぐように見る。彼女のつややかな髪がそれに合わせるように動く。

 「この世界に神はいない。いえ、この『世界』に神はいないのよ。だから世界に奇跡は起きない。現存する神は破壊しか与えないから」

 「あなたは・・・」

 わけがわからないが、彼は我知らず囁いていた。

 「真実を知っているのですね」

 「真実?」

 聞いてきたのは彼女のほうだった。静かに首を横に振る。

 「違うわ・・・シルダス。これは現実、誰も気づかないで、誰も気にしなかった・・・隠してきたわけではないから・・・これは現実なのよ」





 謁見の間に通されてから志貴は膝を折って待っていた。今ここには自分とアルエット、それに数名の文官がいるだけだった。開戦以来、来たのは初めてだった。やがて王――アイデス・ギィ・バーンライトが姿を現した。かなり鍛えているのだろう。若い王は身のこなしに隙がない。

 (これが・・・王・・・若いな)

 ちらっと盗み見るが、三十代半ばといったところだろう。王としては若い。よく通る声が響く。

 「お前達の活躍は私にも届いている。表を上げるがいい」

 「は!」

 「・・・」

 アルエットは返事をし、志貴は黙って顔を上げる。顔を上げたところでアイデスと視線が合う。暫くそうしているとアイデスが唸るように口を開く。

 「ううむ。中々の面構えだな。シキよ」

 「は、はぁ・・・」

 突然のことにうめく。目の前の人物が何の目的で自分をここに呼んだのか正直分からなくなりつつあった。

 「あの、陛下・・・火急の用で呼んだのではないのですか」

 「うむ。そうであったな。実はダーツィが動き出した。すまないがアルエット・ブラックスピリットよ。そこに居る文官とともに会議室に行ってくれ。武官達が既に待っているはずだからそこで今後の対応について話し合ってほしい」

 なれているのだろう。黙礼するとアルエットはすぐに文官とつれたって謁見の間を出て行く。後には志貴だけが残された。それを確認するとアイデスが口を開く。

 「シキにはこの書簡をイースペリアに届けて欲しい」

 そういって書簡を手渡される。中は和平の申し出か何かだろうと見当をつける。

 「わかりました。では・・・」

 謁見の間を出ようとするとアイデスが慌ててそれを引き止める。

 「ま、待て! もう一つ、シキに頼みたい事があるのだ!」

 そういって今度は懐から大事にそうに紙の封筒を取り出す。差出人とあて先が書かれていない封筒だった。中には手紙と、何かもう一つ入っているようだ。少し膨らんでいる。

 「これは?」

 「う、うむ。アズマリアとは龍の魂同盟の席で何度か面識があってな、その手紙もその時に渡そうと思っていたんだがラキオスとの戦争でそうも行かなくなった。私は戦後処理の仕事がまだ山積でここから動くわけにはいかない・・・」

 「それで俺ですか?」

 「う、む・・・頼まれてくれないか」

 「わかりました。ですが条件があります」

 志貴は毒つくように呟いて封筒を受け取る。

 「わかった。何でもいってくれ!」

 目を輝かし、まるで懇願するかのように言うアイデスを半眼で見ながら胸中でうめく。

 (これが・・・この国の王・・・はぁ・・・)

 志貴は頭を抱え込みたい気持ちを抑えてため息をついた。





 彼女が何か言うのを彼は待った。

 「あなた達に私は殺せないわ」

 唐突に彼女はそんなことを言い出した。思わず『求め』を握る手に汗がにじむ。彼女が使う神剣魔法は強力だった。自分達の持つそれとは次元が違う。本当の意味で魔法と呼べるのは彼女のもつそれだろう。

 (そもそも彼女を殺せるつもりでいたのか?)

 意味のない問いで自問する。神剣を使おうが使わないが自分は彼女にかなわない。

 それでも、相対したかったのかもしれない。彼女だからこそ。

 「私はこの世界から消えるわ」

 「・・・」

 何もいえなかった。彼女の瞳が何か言うのをためらわせた。

 「どの道世界は滅びへと向かっているわ・・・私は全てが滅びないようにするだけ」

 そして謳う。彼女の柔らかな唇が謳うように詠唱する。

 「『求め』、『誓い』、『因果』、『空虚』・・・これは私が使う最後にして最大の神剣魔法・・・これはあなた達を一つに戻さないための呪いの詩。」

 彼女が詩を紡ぐたびに彼女の体が急速に乾燥し、ひび割れていく。

 「この詩は私を分解し、数百年の後ここではないどこか遠くの世界で再び再構成する・・・その時あなた達に掛けた呪いも解ける。」

 彼女が謳う詩は彼女自身を瓦解させて完成していく。自重に耐え切れなくなったのだろう。足首が折れ膝を突いたが、彼女は謳うことをやめなかった。

 「今は、私を超える者はいないかもしれない。知識、行動力、先見性・・・私を超えるものはいない。だけど、遠い未来に私を超えるものがいるかもしれない、神剣の力に頼らずとも自らの力で未来を築いているのかもしれない」

 彼はただ崩れ行く彼女を見ているだけだった。

 「私はそこで見つけ、育てる。私の後継を」

 そして彼女の最後が崩れ落ちる。

 「シルダス・・・愛し・・・」

 かしゃ、と音を立てて彼女の神剣だけが残る。

 彼は絶叫した。全身を貫く恐怖に、最も恐れ、最も愛した彼女が崩れていく。

 その絶叫が終わるころには彼女の全てが無くなっていた。何もない。彼女がいた痕跡は何もかも無くなっていた。





 志貴は再び謁見の間で膝を突いていた。隣ではファーレーンが自分と同じ格好で膝をついている。

 「それで、そなたはアイデス王の書簡を預かっていると聞いているが」

 「はい。これです」

 なるたけ失礼のないように言う。文官が近づきそれに渡す。アズマリアが文官から書簡を受け取る。

 「確かに・・・アイデス王直々の物のようですね・・・・・・・・・なるほど、わかりました。こちらから伝令を出しておきます。私も争いは好みませんから」

 そう言って、アズマリアはふっと微笑んだ。二十歳を過ぎたばかりだと聞いていたが、その慈愛に満ちた顔はその者の器量のよさをうかがわせた。そしてなにより彼女は美しいのである。流れるような長い黒髪、白く雪のような肌、整った顔立ち。

 (なるほど・・・)

 志貴は何とはなしにアイデスが何のために自分をここによこしたのかわかった。

 「それと女王陛下、ここにいますファーレーン・ブラックスピリットは先のバーンライトとラキオスの戦争の際に私が捕虜として捕らえたラキオスのスピリットです。彼女をイースペリアにいる仲間の元へ返すべきと思いつれてまいりました」

 アズマリアが頷き、

 「そうか。では使いの者に案内させよう」

 アズマリアが手で合図すると奥で控えていた侍女が前に出る。

 「この者を頼みます」

 侍女が一礼しファーレーンを促す。彼女はこちらと侍女を交互に見て少し迷っているようだった。

 「言って来いよ。きっとニムが首を長くして待ってるはずだから」

 「シキ様・・・ありがとうございます」

 「別に、礼を言われるようなことじゃないさ。元々俺があんたに怪我を負わせたのが原因なんだから」

 頭を下げるファーレーンを手で制して言う。

 「元気でな」

 決心がつかない彼女の背中を押してやる。彼女は最後にありがとうと言って侍女と謁見の間を後にした。

 アズマリアに向き直る。彼女は軽く頷き軽く手を挙げる。謁見の間にいるもの全てが黙礼し謁見の間を出て行く。

 「さて、そなたはもう一つ私宛の手紙を預かっていると聞いたが・・・」

 「まあ・・・何となく不本意な気もするんだが・・・」

 半分うめくようにアイデスから預かったプレゼントつきの手紙を手渡す。アズマリアが手紙を暫く読んでいるのを黙ってみている。やがて手紙から目を離し、ほう、とため息をついた。どこか夢見ているように。まるで恋する乙女だと思った。

 「ありがとうございます。シキ殿、今日は客としてこの城に泊まっていってはくれませぬか」

 志貴はそれに首を横に振って答える。

 「申し出は嬉しいが、このままサモドアに戻るつもりだ。あまり時間がない」

 こちらの状況を理解しているのだろう。アズマリアはそれ以上は引き止めようとしなかった。

 「そうですか・・・では手紙をしたためる間だけ待ってください」

 暫く待ち、アズマリアから手紙を受け取る。そのままイースペリアを出ようとすると出入り口に一人は初めてみるがもう一人は見知った人物だった。

 「よう、ファーレーン。そっちがニムか?」

 すると背の小さいグリーンスピリットがこちらを睨む。

 「ニムって言うな!」

 どうやらこのスピリットがファーレーンの言っていた。ニムらしい。猫のような印象を受ける。ファーレーンが慌て言う。

 「こ、こらニム! シキ様に失礼でしょ!」

 「ふん!」

 いつもの事なのだろう。ニムはそれが当たり前の事だとでも言うようにしているし、ファーレーンの対応もかなり慣れたものだ。

 「それにしても今からどこか――ダラム辺りにでも行くのか?」

 「いえ、実は――」

 ファーレーンが何か言おうとするのをニムがわってはいる。

 「バッカじゃない! そんなわけないでしょ!」

 「ニム!」

 ファーレーンがニムを一喝する。ニムはうっ、と息を詰まらせそれきり黙る。どうやらニムにとってファーレーンは絶対的な存在らしい。

 「じゃあ、なんでこんな所にいるんだ? 見送りってわけじゃないだろ?」

 彼女達は遠征用の装備をしていたのでそれはすぐにわかった。

 「その・・・志願したんです。アズマリア女王がバーンライト王国に対して援軍を派遣する事にしたらしく・・・それで」

 「わかった・・・ったく、よくもあんな弱小国の援軍なんかに志願するよ。アズマリアにも貸しが出来たな」

 がしがしと頭を掻きながらぼやく。

 「それじゃあ、時間がないから行こう」

 「はい」

 「ふぅ、めんど」

 「じゃあ、ニムは留守番な」

 「えっ!?」

 志貴の言葉にニムは一瞬驚いてぽかんとした。

 「ニムがそう言うなら仕方ないわね。元々私が言い出したことだから、ニムが無理してついてくることはないものね」

 バツが悪そうにファーレーンがもごもごと答える。それを聞きながら志貴は空を見上げた。黄昏時が近づきつつある。

 「あ、あれはウソ! 全部ウソ! ニムもお姉ちゃんと一緒に行く!」

 ニムが慌ててまくしたてるように言う。志貴はくっくっくと笑ながら手の届くところまで近づくとニムの頭の上に手を置いて言う。

 「じゃあ、さっさと行こうぜ『ニムちゃん』」

 「もう『ニム』でいい!」

 ニムが叫ぶと辺りを本当に暗闇が包み込んだ。





 全ては予想していた事だった。肌に感じるひんやりとした空気、風の音。ただ、それが理由というわけではないが。

 単にわかっていただけだ。そうなるように仕向けられていたのだから。それを確認するかのように胸中で繰り返す。古の約束事のように。

 それは実際時間をも超えた約束であった――彼女には一瞬の出来事だったかもしれないが。

 彼女は目を閉じていた。何を考えるでもなく、ただ感覚だけを鋭くしていく。

 いまだに五感は回復していなかった。だから彼女はいつもより慎重になっていた。ゆっくりと体に力を込めていく――拳を強く、握る。そして開く。寒気が彼女の指の間に入り込んで少しかじかんでいる。

 「・・・」

 目を開いた。

 光と呼べるものは彼女の傍らにある電柱に添えつけられている蛍光灯だけだった。それが夜の深さを強調していた。

 雲に覆われて空には何も映し出されていなかった。この空に月はあるのかと思い苦笑する。自分は何を言っているのだろう。この世界の月と自分がいた世界の月が同じとは限らないのに。

 知っている。そんなことは知っていた。『あれ』の魔法は完璧だ。そうなるように仕組まれているのだから。

 「さて・・・」

 彼女は辺りを軽く見回す。

 「名前がいるわね。この世界の、この国にあった名前が」

 『あれ』の魔法は完璧ではあったが、名前だけはくれなかった。彼女は深く息を吸い込んだ。冷たい夜気が心地いい。息を吐き、再び息を吸う。今度は短く。

 「・・・『紅葉』・・・いい響きじゃない」

 会心の出来におもわず口元が緩む。それだけの自信はあった。

 瞬間、明かりが消える。蛍光灯が切れたらしい。周囲の闇に溶け込み何も見えなくなる。彼女の瞳だけが輝いている。

 彼女は歩き出した。足音はない。そして彼女の胸にただひとつ――

 与えられた命題があった。

 ただ一つの命題が――自らに課した命題がある。どこまでも求める。この命がある限り。

 世界は滅びてはいない――まだ滅びていないのならば。

 探さなければなららない。自分を継ぐ者を、滅びに立ち向える者を。

『後継者は誰?』――今の彼女の胸にはただ一つの命題だけがある。





あとがき

 どうも作者です。気づいたら既に十一作目です。ラキオス編が終わったので息抜きのつもりで書きました。
 今後の展開に悩んでいますが五、六作くらい書けば思いつくかもしれません(笑)。
 やたらとキャラが多いので、その全てに登場してもらおうと頑張るせいでなかなか話が進みません。作者としては今回の作品のサブタイトルとして『アイデス王恋物語』を推奨します。そういえば、アイデスと、アズマリアは名前だけは何とか知る事が出来たのですが他は何にも知らないので作者は、○ターオーシャン3をイメージしていたりします。
 突っ込みどころ満載ですが、次回作に会いましょう。

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