僕と剣
第六話 夢の痕
夢、それは夢だ。
だって、目の前にはあの人がいる。
どこかに行ってしまったあの人、
もう、どんな人だったか思い出せないのに、何となく目の前のあの人は笑っていると理解した。
……理解はしたが、何故笑っているのかその理由までは分からなかった。
伸ばしかけた手は幻想を掴む事はなく、空をきる。
その瞬間、世界は崩壊した。
――そして夢は流れる。
今度ははっきりとしている。
胸の中心、ぽっかりと穴が開いて、そこから熱いものが流れている。
――――痛い。それがこの夢の感想。
誰かの視線を感じる。
「――、―――、」
助けを呼ぼうとして、それが出来ない。口から明確な意思は漏れず、金魚のようにぱくぱくと喘ぐだけで、呼吸も満足に出来ない。
目の前に立つ少女は美しい。月の光に晒された青い髪は光の雫をさらさらと砂金のように零している。まだ顔立ちは幼いが、それは絵本に出てくる天使を思わせた。
天使が、すっと腕をあげる。
それが、あまりにも儀式めいていて、見惚れるほど、美しかった。
振り上げた手の先には一振りの剣。
気の利いた飾り気のないそれはただ、自身の敵を殺すためだけに存在を許されている。
不純物がないその凶器を不覚にも、綺麗だと認めてしまった。
―――それに殺されるのなら、自分の命も無駄にはならない、と。
そう、思ったやさき、―――――銀の閃光が振り落とされた。
「……………朝」
がばっと毛布を押しのけて体を起こす。
窓から指す日の光は既に高く、昼を少し過ぎたくらいだ。
………ん?
思考は一瞬だったと思う。何か大事な事を夢に見ていた気がするのだが、目が覚めると、それが何だったのか思い出せない。
「………」
体には何も違和感は無い。無くした左腕と左目はずきずきと痛むが、気にならない程度だった。
とりあえず、一階のリビングを覗くが誰もいない。
「そっか、今日はみんな休みなんだ」
だったら起こしてくれればいいのにと思ったが、大方、自分の方が起きてくれなかったのだろう。食卓には一人分の朝食が置かれていた。
食事を済ませた後はすることも無かったので訓練棟に向かった。そこで意外な人物にあった。
「漆黒の翼……」
と、その漆黒の翼はこちらに気がついた。
「そんな所に立ってどうされました。手前に何か用事でも?」
訓練の後なのだろう。タオルで顔の汗をぬぐいながら訪ねてくる。
「用事はないです。暇で、来てみただけです」
「………そうでしたか。貴方は――カズヤ、殿、よろしければ手前と手合わせをお願いできますか?」
一瞬、躊躇して何を言い出すのかと思えば、そんな事を彼女は言った。
「僕と?」
あまり言葉の意味がのみ込めていない微妙な返事を返すと、ええ。と涼しいげにウルカ答えた。
『いいんじゃねえ? 最近アウトローな事ばっかりやってたから、ここらで基本の復習でもしたら?』
返事に迷う前に、『煌』がそんな事を言う。別に他にやることも無いし、自分が基礎訓練の段階でドロップアウトしたのも事実だ。正式な訓練を受けていた人と訓練をするのは戦いの常識を知るためには必要な事だ。
「いいですよ。今すぐですか?」
ウルカがどれくらいの運動量をこなせるか知らないが、見た限りはではかなり前から訓練をしていたと思う。
「手前はいつでも、カズヤ殿がよろしければ」
「じゃあ、少し待ってください」
カズヤは跳んだり、腕を動かしたり、捻ったり、伸ばしたり、曲げたり、体の調子を量る。問題が無い事を伝えると、適当に距離を開けて、自分の神剣を構える。
大陸最強とまで謳われた黒のスピリット、漆黒の翼ウルカ。その強さはエトランジェにも匹敵する。
和也もそれは判っている。自分では悠人のように力で押し切ることは出来ない。だというのに技で出し抜く何ていうのは論外だ。ウルカの剣技は大陸最高。だから、和也は相手の土俵の上で戦う訳にはいかない。
ウルカの体が僅かに沈んだ。
戦いが始まる。両者の距離は十メートル。その距離を一瞬で埋める事はウルカにとって造作もない事だった。
横に振りぬかれた一撃、それを後ろに跳んで避ける。ウルカの剣が目の前で空を斬る。
「――、!」
ウルカが十メートルの距離を詰めるために動いたのなら、僅かでも後ろに下がればいい。
ウルカが前に出たのに対して、和也は後ろに引いただけ、一瞬だが、それはウルカにとって相手に隙を与えた事になる。
その僅かな空隙に和也は刃を奔らせ、返す刃で弾かれる。
「っ………!」
距離をとり、構えなおす。ウルカは追ってこない。お互い、まだ手の内明かしてない以上、深追いは出来ないと思ったのだろう。
「――ふむ。反応は上々、ですが、動きが雑過ぎる。それでは――」
「………」
訂正。深追いが出来なかったのではない。ウルカは今のでこちらの技量を見抜いたのだ。
黒い影が揺れる。さっきより速い。視界に納めている筈なのに見えていない。だというのに、どこから攻撃が来るのか判ってしまう。
だが、それに何の意味がある。体はどうしても動かない。意識だけが時間という束縛から解放されたように鮮明だ。
逃げられない。和也ではこの一撃、――いや、あらゆる攻撃を防ぐ手段はない。
"それは違う"
「――なっ!」
驚愕する。
完璧と思われたその一撃は、申し合わせたように弾き返され、返しの刃でウルカを襲う。
しかし、今度はウルカが後ろに跳んでそれを避ける。
僅か五メートル。両者の距離は縮まらず、互いに出方を伺っているようだった。
先に動いたのは和也だった。それを見据えて、ウルカは神剣の声に意識を傾け、掌を和也に向けて放つ。
「――ディバイン、インパクト!」
闇の衝撃が放たれる。
一瞬、和也の動きが鈍るが、かわそうともせずそのまま突進する。
「―――――」
馬鹿な……、そう思った。
和也の行動は無茶苦茶だった。神剣魔法を前に何の抵抗をせず飛び出すのだから……
そして、何より、闇の衝撃は和也に直撃する寸前で悉く弾かれていく。
「っ―――!」
そして、和也が裂帛の気合と共に大きく踏み込む。
渾身の一撃をウルカは神剣で受け止めた。火花が迸る。
「ですが……!」
一瞬勢いに押されかけたウルカだが、相手の勢いを後ろに跳ぶ事で受け流す。体勢が崩れて、前の目に倒れかける和也の頭上に、これで終わりとばかりに峰撃ちを叩き込む――
――その時、和也の眼だけがウルカに向いていた。ウルカはそれを見てしまった。何か、得体の知れないものが、その奥に居るのだ。
べちゃ。そんな擬音が相応しいくらいに和也は前のめりに倒れた。
ウルカの神剣は和也に当てる前に止まっていた。手にはじっとりとした汗をかいていた。
「いたたた………」
倒れた和也はすぐに起き上がり、苦笑交じりに服を払う。
「凄いですね、やっぱり、大陸最強は伊達じゃないです」
本当はただ自分が転んだだけなのだが、照れ隠しにそう言う。
「あ、いえ、手前はまだまだ……カズヤ殿も腕は悪くないと思います」
ウルカは本当にそう思っているのか、少し考え込んだあと、意味深にそんな事を言った。
「そうですか? 僕は隊の中じゃ一番弱いですよ」
だから、ウルカの言った事は嬉しいというより、驚きの方が強かった。
「一番……弱い?」
「え、ええ…訓練じゃ、まだ誰にも勝ったこと無いですし、実戦でも戦果はないし…」
ウルカはこちら以上に驚いている。というか、驚愕している。
そして、暫く考えに耽った後に、再び、
「恐らく、単純な力や技ではそうなのでしょう。ですが、カズヤ殿の強さはどちらかというと、そういった基本とは関係なく、神剣の力を使っている時の戦闘力によるものと思われます。一度、ヨーティア殿に聞いてみると良いかもしれません」
「う、あの人苦手なんだよな……」
それから暫く雑談したあと、カズヤは訓練棟を後にする。
「ふう……!」
どさ。と、訓練でくたくたになった体を芝生の上に投げ出す。
見えるのは青い空、白い雲だけだ。
火照った体を冷たい風が熱を奪っていく。
あまりにも気持ちがよくて眠ってしまおうかと思ったとき、背後から草を掻き分けるような音がする。
「ん……何だ…?」
体を起こす。辺り一面は草の緑以外はない――と思われたが、いた。
「うさ……ぎ?」
そこいたのは正しくウサギだった。見間違えるはずもない。ウサギだ。つぶらな瞳をこちら向けて鼻をひくひくさせる様はウサギだろう。
いや、ウサギのようなものが正しい。なぜなら、そのウサギはウサギにはないものを持っていたからだ。
角。それがそのウサギをウサギでないと言わせているものだった。まあ、実際、それは大した違いなどではないのだろう。だってウサギだし。
「お、おいで…」
興味本位から恐る恐る手を伸ばす。ウサギは差し出した手の臭いを嗅ごうと顔を近づけてくる。
もう少しで撫でられる。そう思った時、ウサギと目が合う。
きゅぴーん!
そんな音がしたのか疑問だが、確かに目が合った瞬間。ウサギの目は光った。とっさに腕を引っ込めるがそれより一呼吸ウサギの方が早く――
――がぶっと、人差し指を噛まれていた。
「―――――」
落ち着つけ。落ち着くんだ和也。まず何が起こったのか整理しよう。いや、何が起きたのか判っている。噛まれたんだ。『がぶって』、そう『がぶって』。だから、何だって事なんだが、いや、そもそもここが大事なんだ。いいか、噛まれたんぞ? 噛まれたらどうなる? 血が出る。うん、そうだ。噛まれたら血が出る。当たり前だ。噛まれたんだからな。…いや、だからそうじゃなくて! 痛いだろ、フツーは!
「……痛い」
ぽつり。
さっきの激情は何処へ行ったのか、実際痛みはあるが、さっきは驚いただけで、それほど痛みは感じなかった。少し皮膚が裂けたくらいの傷だった。
「はあ…なんだお前、どこから来たんだ、ん?」
当然答えは返ってこない。ウサギだからだ。
「野生のウサギか、飼いウサギか……目が赤いのはウサギだからか……判らん」
一通り疑問をぶつけてみるとあとはさっきの繰り返しのようなもので、ぼけーっと空を眺める。ウサギはそんな自分に興味をなくしたのかどこかに行ってしまった。
と、急に目の前に暗がりが――
「カズヤこんな所でどうしたの?」
「え?」
その人影が、何となく夢の中で出てきた人に似ていた。だから、思わず、呟いてしまった。
「―――……」
「? どうしたのカズヤ、寝ぼけてる?」
その呟きは相手に聞こえなかった。いや、そもそも本当に呟いたのかすら怪しいが。
「あ、な、何でもないです!」
ばっと起き上がる。隣にはセリアがいた。と、彼女が何か腕に抱いていた。
「あ、さっきのウサギ」
「ウサギ? ああ、ハクゥテのこと? さっき通りかかった時、こっちの方から走って来て、そしたら貴方がここに寝てたのを見つけたの」
「そう、ですか…僕は起きたら誰もいなくって、さっき訓練でウルカさんに負かされて、ずっとここで不貞寝してました」
「そう…」
それきり、沈黙。考えてみれば、こうやって二人きりになるのは久しぶりのような気がする。前は始末書とかいろいろと雑用を片付けたりしていたけど、こうやって何もしない時間なんてあっただろうか。
セリアはハクゥテを膝の上に乗せて優しい手つきで撫でている。その仕草は優しかったが、慣れていないのかぎこちなさもあった。その様子が和也の目にとても幸せそうに映った。
この時間がいつまで続くのか。サーギオスを倒して、大陸を一つにまとめて平和になった時、この時間は残るのだろうか?
「ねえ、セリアさんは、この戦いが終わったらどうするんですか?」
「ん?……そうね、暫くは隊に居ようかなって思ってるけど、いつかやめるつもりよ」
「………」
また沈黙、それを聞いてどうしたかったのだろう。聞いても意味がないのに、馬鹿なことを聞いたなと、黙っていると、
「カズヤはどうするの?」
「うーん……」
「ええ。カズヤは元いた世界に帰る方法を探すの?」
「今は、判んない」
言明することを避けて、和也はそういった。
「でも、残れたら、いいなって思ってる」
それは本心からの言葉だった。
「だからさ、この戦争を終わらせなきゃって思ってるんだ」
あとがき
あー…今回も終わったな…なんか今までと書き方が変わったな…もうすこしで終わる予定なんだけど書く時間無いな…
と、言うわけで、六話でした。何かいろいろすっ飛んでいるけど次回はもっとすっ飛ばします。作者的にはサーギオス攻略戦はあんまり重要じゃないんです。あそこはユウトが一番活躍するところだから、書いてても面白みが無いというか、変化が無いというか…まあ、色々とあるんです。作者は今回の作品を書くまでに四つも没を出してしまいました。いやー大変だった。でも大丈夫。最後までの道筋は今回ので大体固まったし、あとは書くだけですね。では次回はいよいよサーギオス攻略戦。一番の見所は多分、瞬がエターナル化するところ。遂に和也がの力の正体が!? ここまでの意味不明だった物語が一本の線に!? なれるの? まだまだ判らない「僕と剣」次は一発で書き終えたいな……。