〜僕と剣〜
第一話 日常って・・・
第一章・僕の日常
その日、何か変わったことがあるとすれば、妙な夢を見たということだろう。
「剣・・・煌・・・頭は・・・うん。大丈夫」
体を起こし、ベッドから出る。冬の朝、体が急激に冷やされる。
「七時か・・・」
急げばまだ部活の朝錬に間に合う。急いで身支度を済ませると学校への道を急ぐ。
「やっぱり寒い」
コートの裾を手繰り寄せる。白い息が宙を漂っている。
学校にはすぐに着いた。元々家とあまり離れていない。
「あ、やっぱりもう着てるんだ」
校門をくぐり、校庭に目を向ける。そこには陸上部で自分の先輩に当たる人が練習をしていた。今は休んでいる。
「おはようございます。岬先輩早いんですね」
挨拶をする。岬今日子と言えばこの学園で知らない人はいない。彼女に憧れを持っている人は多く、僕もその中の一人でもある。
「おはよう。宮元君も早いね」
「先輩ほどじゃあ、ありません」
ほんの少しの言葉を交わす。それだけで今日一日が楽しくなりそうだった。
(何か話題を探さないと・・・)
瞬時に浮かんだのは学園祭の事だった。
「あの、先輩のクラスは学園祭の出し物決まりましたか」
「一応ね。演劇をするんだけど・・・ちょっとね」
言葉を濁す。なんとなく気になって聞いてみた。
「それがね、悠・・・あ、うちのクラスの男子なんだけど、そいつがさっぱりセリフ覚えなくてさ。香織ちゃんの事意外は本当にさっぱりなんだから・・・あっ、そうだ」
今日子が何か思いついたようで声を上げる。拝むように手を合わせる。
「宮元君ってさ、香織ちゃんと同じクラスだったよね。今日さ、放課後に神木神社に連れ出してくれない?」
「ぼ、僕ですか!? そ、む、無理ですよ!」
慌てて否定する。だが、今日子はそれで引いてはくれなかった。
「お願いっ! 宮元君だけが頼りなんだ。あとで何か奢るから。ね」
「う、わかりました・・・神木神社ですね」
勢いに押されて思わず承諾してしまう。いつもこのパターンで僕はいらないやっかい事をもらってしまう。
「ありがとうね」
この選択が日常を覆してしまう事になるのを和也は知らなかった。
「――というわけで、高嶺さんに神木神社まで来て欲しいんだけど・・・」
学校帰り、何とか一人になった高嶺香織に今日の朝の出来事を伝える。
「うん。大丈夫だけど」
幸運な事に彼女はすぐに了承してくれた。もしかしたら今日はそっちの方に用があったのかもしれない。
「じゃ、じゃあ先輩達より早く行こう! すぐ行こう!」
「え? あっ、ああ、宮元君!?」
我知らずの内に香織の手を引いて和也は走り出した。
「はあ、はあ・・・はー、やっと着いた」
境内の中を見渡す。どうやらまだ誰も来ていないようだった。
「よかった。先輩にどやされなくてすみそうだ」
「はー」とため息をつくと、一気に体の緊張がとれた。そこで自分の手がずっと香織の手を握っていたのに気づく。
「うあわっ! あ、ああ。すみません!」
ぱっと、手を離す。
「え、えと。これはですね・・・あの、その・・・って、どうしたんですか?」
見ると、香織が地面に手を着いて苦しそうにしていた。
「だ、だって・・・宮元君・・・速い、んだもん」
暫くそうして息を整えていると、だいぶ良くなったのか立ち上がる。
「えと、それじゃ、今日ちゃん達が来るまで待ってよ」
「あ、うん」
境内の中に入っていく。普段は閑散としている境内も今日だけは違っていた。
「あれ、誰だろ」
巫女。来ている服装から最初に浮かんだ言葉はそれだった。柔和そうな女性が何をするでもなく立っていた。誰かを待っているにしてもあんな格好では場違いに思えた。いや、神社なのだからやっぱあれが普通なのかもしれない。それが突然こちらを振り向く。
「こんにちは。どうかしましたか」
「あ、いえ学校の先輩とここで待ち合わせしてて」
慌てて取り繕う。女性は気にした様子もない。
「私、高嶺香織です」
「あ、僕は宮元和也です」
香織に続いて慌てて自分も名乗る。女性はその様子がおかしかったのか、くすりと笑うと自己紹介してきた。
「私は倉橋時深といいます」
「よろしくお願いします」と笑顔で言う。それにどぎまぎしながら、
(僕って情けないな・・・)
これまでのやり取りでそう思う。肝心な時に慌ててしまう。
(こんなんだから、大会でも結果出せないのかな・・・)
夏の大会。顧問は大丈夫だって言ってくれたけど、結果は散々だった。
「大丈夫ですよ」
「!」
こちらの心を読み取ったかのように時深が言う。
「あの、――」
何か言おうとして口を開こうとするが、それより早く時深が言う。
「来たようですね」
「え?」
時深が境内の入り口に視線を移す。和也も向く。そして良く見知った女性と、それとよく一緒にいる人物が現れた。
「先輩!・・・と碧先輩と高嶺先輩でしたっけ」
駆け寄る。が、悠人はこちらには目もくれず香織の方へ行ってしまった。
(妹しか目に入らないって本当なんだ)
「なんだ今日子の後輩か?」
「あ、はい。宮元和也って言います」
「今日一番の功労者なんだから」
今日子がそう言うと、光陰はうんうんと何度も頷きながら、
「そうかそうか。同じ境遇の者として君には同情するぞ」
「光陰君・・・それってどういう意味かな?」
二人の会話はいつもこんな感じだった。まるで夫婦漫才だ。なんとなく疎外感を感じて二人から少し距離を開ける。いや、きっとこっちの事なんてもう目に入ってないのだろう。それぐらい二人の絆は深いんだ。
(僕も碧先輩くらい出来ればな・・・)
そう思った。その瞬間。何か言いようの無い圧迫感が胸の中に広がる。激しい目まいと頭痛が起こり、立っていられなくなる。
(何だ・・・!)
誰かが、何か喋っている。その声も遠い場所の事のように感じられる。
「先・・・輩、みんな・・・」
朦朧とする意識の中、光が膨れ上がり世界が暗転とした。
第二章・彼女達の日常
生暖かい風が頬を撫でたような気がした。とりあえず、そのおかげで僕は目覚めた。
「こ・・こは?」
倒れていた。体はだるく、動かす気にさえなれない。視線だけをめぐらせて周囲を確認する。始めにもった感想は森だった。うっそうと生い茂った森の中、辺りが暗いのは夜だからだろうと勝手に推測する。
周囲を確認した所でもう一度、体を動かそうとする。ゆっくりと全身に力を入れていき、だるさを吹き飛ばすように一気に体を起こす。思った以上に軽く感じた体は、いつもより好調を示していた。
「?・・・刀?」
そこで初めて気づいたのだが、手にはしっかりと鞘に収められた刀を握っていた。自然にそれに目が奪われた。
「な・・・に? 永遠、神剣・・・何で、分かるんだろ・・・夢と同じ、形」
声が震えている。喉が渇く。怖いはずなのにその刀だけしか考えられなくなる。
「うっ・・・あ、何これ!? 怖い、怖いよ」
心の中を何かが押しつぶそうとする。
「あぁ・・・」
よろめき、その拍子に背中が硬いものに触れる。たぶん木だろう。脱力したように体から力が抜ける。
ガサッ――
「!」
何かをかき分けるような音、――その音に正気に戻る。さっきまでのだるさが一気に抜ける。今気づいたが凄い量の汗をかいていた――足音、そして声が聞こえる。
「ここにいたか」
静かな声、それと同時に姿を現したのは、
「女、の子・・・!?」
青い髪と瞳、剣を携えた少女だった。かなり綺麗な子だったが、手に持っている剣のせいで何となく台無しにしていると思った。嫌な予感だけがして後ずさろうとするが、背中の木がそれを邪魔した。
「エトランジェ。一緒に来てもらぞ。断ればここで死んでもらう」
行くな。本能はそう言っている。でも、理性は行くべきだと答える。行けばきっと僕は僕として生きることはできないだろう。行かなければ僕は僕のまま死ぬのだろう。あまりにも幅の無い二択。そして片方には未来が無い。
(どうすれば・・・)
頭の中は逃げろとさっきから言っている。でも、膝が笑って走るにも走れなかった。
まただ。肝心な時に何にも出来ない。一人じゃ何もできない。じゃあ、どうすればいい。僕は。悔しさで目の前が滲む。
「僕は・・・死にたくない」
精一杯の勇気を持って答える。その返事に気をよくしたのか少女の顔が少し緩んだような気がした。
「だけど! 僕は行けない!」
そう言うと緩んだ少女の顔が冷徹な眼差しを宿したような気がした。が、それを確認する気にはなれなかった。
足に活を入れ、だっ、と背を向けて全力で走り出す。元々走りには自信があった。学園の中等部の中では一番足が速い。体力にも自信はある。逃げ切れる。そう信じて走り出した。
どれくらい走っただろう。かなりの距離を走った気がする。暗い森の中は地面が見えず、何度も木の根に足をつまずかせた。それでも転ばなかったのは奇跡かと思えたぐらいだ。不思議な事に体は疲れを知らないのかのように動き、力強く足を運んでくれた。
やがて視界が開ける。暗闇の中から急に月明かりに照らされて目を細める。その時、遠目に街らしき明かりが見えた。
「街?・・・やった! これで助かる」
街まで行ければ誰かに助けを求められる。そう思って安堵する。だが、
「それはどうかな」
「え!?」
無視すれば良かったかもしれない。だが、体はその声に反応して止まってしまっていた。声のした方を見る。少し高い位置にさっきの少女が翼を広げて飛んでいた。月の光を浴びた翼が蒼白い燐光を辺りに照らす。ゆっくりと降り立ち、口を開く。
「逃げられると思ったか」
「な、何で!?」
だが、それを無視するように少女が続けて言う。
「もう一度言う。私と一緒に来るか、それともここで死ぬか」
冷たく、言い放つそれは今度こそ逃げられない事を和也に知らせた。
理不尽だった。急に変な所に出て、分けがわからず走らされて、それで何にも納得できるような事が一つだって無い。
「あなたは何なんですか! 僕に構わないで下さいよ!」
叫ぶ。普段からあまり大きな声をださないからその声量に驚く。だが、それすらも涼しい顔で受け流すと、少女は今度こそ言い放った。
「時間の無駄か・・・他国に渡る前に消えてもらうぞ」
一瞬少女の体が大きく震えたような気がした。とっさに手に持っていた刀で体を庇う。鋭い衝撃に吹き飛ばされ、背中から木に激突する。空気が肺から抜け、一瞬胸が締め付けられるような痛みに襲われる。
それを信じられない面持ちで見る自分がいた。
口の中を鉄錆の味が広がる。
(何なんだよ・・・これ。痛いじゃないか)
ふつふつと、自分の中を何かが埋め尽くしていく。憎しみとも、怒りともつかない黒い感情のようなものだった。
(ふざけるな、こんな所でわけのわからないまま死ねるわけ無いじゃないか!)
『だったらさっさと俺と契約しろ。力を貸してやるぜ』
突然降って沸いたような声。それに驚きはしなかった。何故かそれが当たり前のような気がしてならない。
(契約してやる! こいつをどうにか出来るなら・・・力を貸せ!)
『へっ、後悔するなよ』
声がすると同時に紅の魔方陣が足元に浮かぶ。そこから熱い何かが全身に伝わってくる。
『俺は永遠神剣第九位『煌』お前が持っている刀だ。今のお前は無敵だ。存分に暴れろ!』
「うわああああ!」
『煌』を抜き放ち、僕は少女に飛び掛った。
僕はいきなり後悔していた。
(どこが、『無敵』なんだよ! 全っ然だめじゃないか!)
剣をあわせた。たったそれだけだった。それだけで和也は吹っ飛ばされた。幸い怪我は無かったが、腕の差とかそんなの関係ない。圧倒的に決定的に純粋に単純に力で負けていた。
来た道を引き返して森の中に逃げていた。とにかく逃げていた。必死で逃げていた。全力で逃げていた。
(大体、僕は武器なんて持ったこと無いんだから戦えるわけないじゃないか!)
息を殺し、茂みの中に隠れる。幸い、森の中はこうした隠れ場所が多く何とかやり過ごせている。
「困ったな・・・これじゃあ逃げられないよ」
戦うと決めたのに既に頭の中は逃げることしか無い。正直情けない。
「ん・・・任せろ」
「うん。お願い」
この際この状況をどうにかしてくれるなら誰でも良かった。素直に頷く。そこではたと気づく。
「えと、君だれ?」
もう既にこの状況になれ始めている自分がいるのを自覚しながら聞く。この少女もまた髪と瞳が青かった。それに重そうな甲冑を身につけて妙にアンバランスな気がした。
「ん、行く!」
完全に無視された形で少女が飛び出す。その時になって自分が完全に一人になった事に気がつく。
「・・・今なら、逃げられる?」
誰かに聞いたわけではない。恐る恐る茂みから抜け出す。遠くの方で何か物音が聞こえる。きっとさっきの少女が戦っているのだろう。正に千載一遇のチャンスだった。
「ごめんね」
音のするほうに向かって小さく呟く。そして森の外に向かって駆け出した。目指すのは遠目に見えた街の明かり。
振り返らず走る。そのせいで和也は気づかなかった。すぐそこにさっきの少女が連れて来た気を失っている悠人の姿に・・・
第三章・平和と言う日常
無事に街まで来る事が出来て数日がたった。その間に分かったことが、この街の名前はラキオス。北方の小国だということ。
「腹減った・・・」
路地裏の片隅にうずくまり力なく呻く。街の中に入れたのはいいが、お金が無かった。
「『煌』はいいよね。食べる必要がなさそうだし」
『まあ、俺は低位の神剣だからな。空気中のマナを取り込む程度で足りるしな』
「うぅ・・・」
呻く。その声にだって空腹の腹にとても響く。
「おーい。にいちゃーん生きってかー?」
その時、路地の向こうから元気な声がしてくる。ぼさぼさの髪に汚れた服。年の頃十代前半の子供だった。名前はケイト。俗に貧民街と呼ばれている所の子供だった。
「ぁぁ・・・救世主到来」
情けないがここ最近この少年に食べ物を恵んでもらっている。本当なら自分で働けばいいのだろうが、エトランジェだと言うだけで門前払いにされた。当ても無く路地裏をふらふらしてた所をこの少年に助けられたと言うわけだ。
「ほら、にいちゃん。今日の稼ぎ」
そう言って。腕に抱えたパンを一つくれる。
「いつもありがとう。僕はケイトに何もしてやれないのに」
「気にすんなって。困った時はお互い様だし、にいちゃんの話面白いしさ」
にかっと、笑う。まぶしいその笑顔に元気を貰ったような気がした。
「あ、そういや、にいちゃんに知ってもらいたいことがあるんだよ」
深刻そうな顔でケイトが言う。
「何かあったの?」
「うん。どうやら、バーンライトと戦争が始まりそうなんだよ。にいちゃんエトランジェだから、兵隊に見つかったらきっと連れて行かれちゃうよ」
『へっ! スピリットが何人来たって俺がいれば平気だって』
「そっか、じゃあこれからはもっと慎重に動かないとね」
『煌』を無視してそう言う。はっきり言ってこの剣が、目の前の少年より頼りになるとは思えない。少なくとも食べ物に関しては絶対にそうだ。うん。
「でさ、話変わるけど、にいちゃんさ、俺達と一緒に暮らさないか?」
「え?」
あまりに唐突な誘いに目が点になる。
「う、嬉しい誘いだけど、いいの?」
思わず聞く。それにケイトは首を縦に大きく振ると、
「うん。ボロいけど服もこっちのあるし、仕事もうちの親方が新しい奴探してるって言ってたから、その剣だって普段持ってなければばれないだろ?」
その一言に胸にぐっと来るものがった。自然と目頭が熱くなる。
「ありがとう。本当にありがとう・・・」
嬉しかった。熱いものが頬を伝う。この世界に来てからこんなに嬉しい事は無かった。
「お、おいおい。泣くなよ。にいちゃんの方が年上だろ」
人目を避けるために夜になったら迎えに来ると言い残してケイトと別れた。
夜。約束通り迎えに来たケイトに連れられて僕は一つのボロ家に来ていた。ボロいが、中々大きい。他の家と比べるとほのかな明かりしかない。夜はロウソクか何かで明かりをとっているのだろう。
「ここが君の家? すごいね」
少し前まで裏路地で寝泊りしていた自分の境遇を考えればこれはすごい事だ。
「へへ。早く入ろうぜ」
照れくさそうに言いながら玄関の扉を開ける。
「ただいま」
ケイトが言いながら中に入る。すると、たっ、たっ、たっ、たっと軽い足音と一緒に小さな女の子が玄関に迎えに来てくれた。
「おかえりなさーい」
と、こちらに気づいたのか、慌ててケイトの後ろに隠れるようにこちらを覗く。
「おにいちゃん、この人だれ?」
「この前話したカズヤにいちゃんだよ。ほら挨拶して」
そう言って少女を前に押し出す。少女は少し、恥ずかしそうにして、
「レイチェルです・・・よろしくお願いします」
小さくお辞儀をしてまたケイトの後ろに隠れてしまった。思わず笑いそうになるのをこらえてこっちも自己紹介をする。
「始めましてレイチェルちゃん。僕は宮元和也。和也って呼んでよ」
「あ、あたしも呼び捨てでいいです」
隠れながら恥ずかしそうにそう言うレイチェルは本当に可愛らしかった。
その日、ささやかなもてなしを受けた後、部屋に案内された僕は久しぶりのベッドに沈み込んだ。
「カズヤおにいちゃん朝だよ」
翌朝、レイチェルが僕の部屋をノックすると外から声がかかる。その声に僕は体を起こした。元々寝起きはいい方である。窓から日が差し込んでいて日当たりはいいようだ。
「あ、はい・・・今起きました」
軽く身支度を整える。昨日ケイトから貰った服に着替えるだけだった。自分の身長があまり高くないのは自覚していたが、それでもこの服は袖を何回か折らないと着れそうになかった。たぶん大人用なのだろう。
「おはようレイチェル」
「おはようカズヤおにいちゃん」
昨日ハイペリア――僕がいた世界をそういうらしい――の話をして随分仲良くなった。昨日は暗くてあまり分からなかったが、レイチェルはケイツと違って身だしなみに気をつけているようだ。長い黒髪にはちゃんとくしが通っているし、服もそれなりにいいものだと思う。現金な話だが、仕立てはきっと僕の服よりいいはずだ。
「今日はおにいちゃんとお仕事に行くんでしょう」
「うん。今日からちゃんと僕も働いて恩返ししないとね」
レイチェルと一緒にリビングに入ると美味しそうな匂いがする。パンとスープだけという簡単な食事だが、それだけでもありがたい。ケイトが既に席について待っていた。それに習って自分も席につく。最後にレイチェルが席について食事が始まった。
最初に口を開いたのはレイチェルだった。
「カズヤおにいちゃん。昨日は気持ちよく眠れた?」
「うん。いつも路地裏で寝てたから昨日はすっごく気持ちよく眠れたよ」
「ええ! カズヤおにいちゃん外で寝てたの!? 寒くなかった?」
レイチェルが目を見開いて驚く。それに頷き、
「うん。とっても寒かったよ。それにこうして朝食を食べることだってなかったしね。だから二人にはとても感謝してる」
「そんなの気にすんなよ。にいちゃんが一緒に働いてくれたら俺達の暮らしも少しは良くなるしな」
「うん。がんばるよ」
その後は仕事に遅れるといけないからと急いで食べ終えた。家を出る時にレイチェルが「いってらっしゃい」と言ってくれた。
大通りの一角。そこにケイトの仕事場があった。どうやら建設業らしい。大工の格好をした人たちが集まっていた。その中の一人、ケイトの後に従って歩くと、恰幅のいい男の前に止まった。
「親方。今日もよろしくな」
「ようケイト。そいつか? お前が紹介したいって奴は」
「そう。カズヤって言うんだ。カズヤ、こっちが親方」
「は、初めまして。一生懸命頑張りますのでよろしくお願いします」
「おう! 俺はヴォイドだ。兄ちゃんにはガンガン働いてもらうからな!」
親方――ヴォイドが意識していないだろうが大声でそう言う。それから大声で笑い、僕の背中をばしばしと勢いよく叩きだした。
「お、お手柔らかにお願いします」
軽く咳き込みながら、僕は苦笑するしかなかった。
こうして僕の新しい日常が始まった。仕事は思ったより大変だった。家の建設から道の補修、城壁の修繕なども手がけていて幅広く仕事を受け持っていた。僕はエトランジェだったから多少の無理はきいた。『煌』のサポートもあってその日の疲れは残らないようにした。仕事場の人たちも、とても良くしてくれていた。戦争が近づいているらしいけど、僕の周りはそんな様子とはとてもかけ離れていた。
第四章・戦争と言う日常
休日の昼。暇になったので僕は部屋で『煌』の力を引き出す訓練をしていた。
「どう『煌』、随分使いこなしてきたと思うけど」
足元に浮かんだ紅の魔方陣。どうやらこの範囲内にいると効果が現れるらしい。展開できる位置は自由に特定できて、魔法陣の大きさもある程度なら変えられる。自分の意思で常に自分の足元に展開させることも出来るようだ。その時は大きさを変えられないのが難点だ。
(もしかしたら後方支援向きなのかな)
形状からして接近戦が得意なのかもしれないと思ったが護身程度なのかもしれない。そうだったらもし、またスピリットと戦うようなことになったら大変だ。
『おいおい。俺とお前が前に出ないで誰がスピリットと戦うんだよ』
威勢だけはいいのだが、『煌』から聞いた話だと、第九位の神剣とは最弱クラスの力しか持ち合わせていないらしい。
「無理だよ。たぶんいくら頑張っても僕達じゃどうしようもないよ」
それ以前に戦いたくなど無いが。
と、その時だった。こんこん。とドアをノックする音がした後にドアが開かれる。
「カズヤおにいちゃん、なにしてるの?」
レイチェルが不思議そうな顔をして部屋の中を覗き込んでいた。ここのところよく部屋に来てハイペリアの話を聞きに来る。
「ん? ちょっと、『煌』の訓練をしてたんだよ」
すぅと、魔法陣が消す。「おいで」と言うとレイチェルがぱあっ、と顔を明るくして、ぎゅっ、て抱きついてきた。それから少し心配そうな顔でこちらを見上げる。身長差でどうしてもこうなってしまう。
「カズヤおにいちゃんも戦争に行っちゃうの?」
僕は安心させるように頭を撫でながら言う。レイチェルはくすぐったそうに目を細めた。
「大丈夫。僕は戦うのが怖いから戦争なんて出来ないよ」
それでも、何か不安そうに口を開く。
「じゃあ、何のために訓練をしていたの」
「ん? そう言えば何でだろう・・・」
戦いたくないはずなのに、そのための訓練をしている。この世界の戦争は全てスピリットがしてくれている。だから、たとえエトランジェであっても、それが周りに知られなければ戦う必要性はないはずだ。少なくとも、僕はまだ誰にも知られていないから戦争に参加していないのだろう。
「それより、僕に何か用があったんじゃないの」
「あ、うん。えと、一緒にお買い物しようと思って、おにいちゃんってね、お仕事がお休みの時ってずっと寝てるんだもん」
つまりは荷物持ちが欲しいのだろう。それに普段もレイチェルは一人で買い物に行っているに違いない。ケイトのしている仕事は夜遅くまでかかる。だから、休みの日ぐらいは手伝って欲しい。だが、疲れている。ケイトを起こすのはかわいそう。そんな所だろう。
「うん。じゃあ、行こうか」
僕達は市場へと向かった。市場は僕達が暮らしている所から少し遠くにあった。ここら辺の人たちは着ている服も綺麗で、僕の着ている服とは比べ物にならなかった。ちらりとレイチェルの着ている服を見る。彼女の服は地味ではあるがそれが彼女の美しさを引き立てていた。ここら辺の人と比べても遜色はない。むしろ向こうで暮らしていることの方に違和感がある。
聞いていいのかどうか迷っているとレイチェルが口を開いた。
「この服ね。おにいちゃんが買ってくれたの」
スカートのすそを少しつまんでみせる。楽しそうというより、嬉しそうに話す。
「『街に行くのに汚い格好はさせられない』って言ってね。買ってくれたんだ」
(ああ・・・そうか)
この兄弟も深い絆で結ばれている。レイチェルの会話を聞いているとそれが伝わる。
(やっぱり、時間には勝てないんだよな)
レイチェルは今僕と話しをしている。だけど、その会話の中に僕は写ってなかった。何となくそこに疎外感を覚えてしまった。
(ずるいよな・・・)
何がずるいのか、本当は分からなかったが、何となくそれが一番合う言葉だと思った。
「ねえ。カズヤおにいちゃんは、今日のお夕食何が食べたい?」
いつの間にかレイチェルの話は今日の晩御飯に移っていた。頭の中の嫌なものを振り払って言う。
「レイチェルが作ってくれるものならなんだって美味しいよ」
「えっと、それじゃあ・・・おじさん、これとこれ下さい」
店の前ので止まる。手馴れた様子で店の親父が袋に品物を詰めていく。袋を受け取り、代金を渡す。店の親父がよく通る声で言う。
「レイチェルちゃん。そっちの彼氏は紹介してくれないのかい?」
「えっ! お、おじさん・・・これは、その・・・」
レイチェルが顔を紅くして言い繕うとするが、何故かもじもじとするだけだった。仕方なく自分で言う事にした。
「初めまして、カズヤです。当てもなくふらふらしてた所をケイトに助けられたんです」
適当な所だけを伝えておく。親父は「そうかそうか」と何度か頷いてから、
「お前も苦労してるんだな。レイチェルちゃんのところもな、両親が戦争で死んじまったんだよ。スピリットの馬鹿共が街中で戦ってせいでな」
最後のスピリットという部分だけは嫌なものを吐き出すようにして言った。
「そう、だったんですか」
何となくそんな気はしてた。だけど、それを改めて聞かされると戦争の凄惨さが目に見えてくるようだった。そんな中でも、ケイトとレイチェルは強く、幸せそうに生きている。戦争がなくても不幸な人はいる。戦争があっても幸せに生きていく事はできる。
(僕には、どっちがいいのか分からないな・・・)
戦争が日常化したこの世界ではきっと自分のちっぽけな倫理観なんて何の意味もないんだろう。
それから何度か店を変えて材料をそろえていくと、僕の両手は紙袋でもういっぱいだった。レイチェルがこっちを振り返る。
「次で終わりだから」
そう言って。店の前に着くと、僕の両手が塞がってるのを見て「ここで待っててね」と言って一人で買い物に行ってしまった。すぐ近くにいるからはぐれることはないだろう。何となく視線を道を行き交う人々に向けてみる。
誰もかれも自分がエトランジェだと言う事に気づいていない。今の自分はこの行き交う人々と同じこの世界の住人として生きている。だから戦わなくていい。
(でも、ケイト達は戦争に関わっている)
戦わなくていいから戦争に関わらないわけじゃない。戦争が起これば、そこにいる人たちが傷つくのは当たり前だった。
その時、さっきまで混雑していた道が、一瞬のざわめきと共に少し開けたような気がした。理由は簡単だった。そこにスピリットがいるから。
(あいつ!)
スピリットは二人だった。一人は緑スピリット。もう一人はこの前森であった甲冑を着込んだ青スピリット。店に寄ろうとはせず、歩きながらきょろきょろと辺りをうかがっている。まるで誰かを探しているようだった。
(僕を探している?)
何となくだが、それは確信に近いものがあった。
「ん?」
(まずっ!)
青スピリットと目が合う。あっちはこっちの顔を知っている。慌てて顔を背ける。
「おまたせ、カズヤおにいちゃん。帰ろう」
「ああ・・・」
買い物袋を抱えたレイチェルが来る。僕は内心どきどきしながらその場を後にした。
(あれは・・・見たことがある)
森の中でいなくなったエトランジェ。それに似ていた気がする。
「エスペリア、あれ」
エスペリアと呼ばれた緑スピリットがそれで全てを理解したのだろう。自分の視線の先を見る。
「わかりました。アセリア、あなたは先に戻ってください」
「わかった」
アセリアと呼ばれた青スピリットはそれだけ言うとさっさと来た道を戻っていく。それを見届けるとエスペリアは慌てるように消えていくエトランジェを尾行した。
こんこん。夕飯の支度をしていた時、玄関をノックする音が聞こえる。
「お客さんかな?」
夕食の準備する手を止めてレイチェルが玄関に向かおうとする。
「あ、僕が出るよ」
急いでそれを止める。どういう人が来ているのかわかる気がした。リビングを出て、玄関に向かう。
(もし・・・)
もし、スピリットだったら僕はどうなるのだろう。震える手で扉を開く。扉は力を加えると何の抵抗もなく開いた。
「!」
スピリットだった。市場で見た緑スピリット。
(あの、青スピリットが知らせたんだ)
ふらふらとよろめきながら分かりきった事を聞く。
「どちら・・・様ですか?」
「私はエスペリア・グリーンスピリットと言います。エトランジェ様」
いきなり核心をつかれて動揺してしまう。
「ぼ、僕はエトランジェじゃないよ・・・神剣だって持ってないし」
苦し紛れだと言う事は分かっていた。エスペリアもそれは分かっているようだった。
「微弱ですが、この家から神剣反応があります。それにアセリアがあなたの事を覚えていました」
静かに事実だけを告げてくる。
「僕を、連れて行くのか・・・」
エスペリアが「はい」と静かに告げる。
それは自分が戦争をしなければいけないと言う事、
それは自分が戦わなければいけないと言う事、
それはいつか自分が誰かを殺すかもしれないと言う事、
それはいつか自分が誰かに殺されるかもしれないと言う事。
「・・・嫌だ、行きたくない」
「・・・」
「やっと、普通に暮らせるようになったのに・・・僕は嫌だ」
「・・・」
「ここは暖かいんだ! ずっと僕が求めていたものがあるんだ! あんただってスピリットならわかるだろ・・・」
「・・・はい」
「出て行けよ・・・出て行けよ!」
頭を抱え込んでうずくまる。
「出てけ」
小さく呻く。彼女がどんな顔しているか分からない。だが、彼女が「はい」と言って、扉が閉じる音がする。
彼女の言葉は寂しそうだった。
「・・・カズヤおにいちゃん」
レイチェルだった。きっと聞いてたのだろう。いや、聞こえて当然だったかもしれない。
「何?」
振り返る。彼女は胸の前で腕を抱くような格好で心配そうにこちらを見ている。
「大丈夫?」
それ以上は何も聞いてこなかった。この小さい少女は自分の事を案じてくれているのだ。それを思うと胸が熱くなる。
「うん。大丈夫。じゃあ、僕はケイトを起こしてくるから」
立ち上がり、僕は行きがけにレイチェルの頭を撫でてあげた。この生活がいつまでも続きますようにと願って。
第五章・壊れていく日常
仕事場での昼休み、僕が昼食を食べているとヴォイドがどかっ、と隣に腰を落とした。
「おう、カズヤ。お前、そんななりしてっけど、結構頑張ってるじゃねえか」
ヴォイドがこっちをじろじろ見ながら言う。確かに僕の体は小さいし、腕だって細い。だが、それはヴォイドと比べれば大抵の人はそうなのではないかと思ってしまう。
「そんな事ないですよ。僕なんかよりもケイトの方が頑張ってます。僕より小さいのに妹のレイチェルも守ってすごいと思います」
「まあな・・・あの二人は強いぜ。初めは俺らが面倒見てやろうと思ったんだがよ、二人で生きていくのに意味があるんだって言って聞かなかったんだ」
「意味?」
「ああ。強くなって自分達のような奴を助けるんだと・・・まったく泣けるじゃねえか」
(ケイト・・・)
少し離れた場所に仲間に囲まれながら楽しそうにしているケイト。とっても強いと思った。
「やっぱりケイトはすごいですね。僕は弱虫だからきっと誰も守れない」
「んなこたぁねえだろ? お前はいつだって頑張れる奴だ。そんなお前が誰も守れないはずがないんだよ。俺が保障してやる」
「はは、ありがとうございます」
乾いた笑いしか出なかった。僕は本当に何も出来ないのに。
「そう言えば、エトランジェが現れたんだってよ。このラキオスに」
――どくん!
「えっ!」
一瞬心臓が大きく跳ね上がる。もしかしたら自分の事がバレたのかもしれない。
「それが何でも、リクディウスの魔龍。サードガラハムを打ち倒したって話なんだ」
ほっ。心の中で安堵する。僕は魔龍なんかと戦った事は無い。と言う事は別人だ。
(でも、誰なんだろう・・・そう言えば、あれから先輩達はどうしたんだろう)
非常事態だったからとは言え、今更ながらに思い出す。
(もし先輩がそうなら会わない方がいいのかもしれない)
会えば一発で僕がエトランジェだと言う事がばれる。
「それでな、ラキオス王はこのチャンスを使って、一気にバーンライトを潰そうとしてんのさ」
「戦争・・・ですか?」
「まあな、昔から小さいいざこざはあったから緊張も高まってんだろうよ」
「バーンライトも終わりだな」とヴォイドが言うのを聞きながら嫌な予感だけが大きくなっていた。
(嫌な予感って結構当たるんだよな)
今日の仕事が早めに終わったのでいつもより早く帰宅した。
「ただいま。レイチェルいる?」
呼びかける。が、それに答える声は無い。
「たぶん、買い物に行ってるんだよ」
ケイトがそう言う。僕もそれに頷いて、
「そうだね。待ってれば来るよね」
中に入ろうとした時、玄関の扉が勢い良く開かれた。
「お前ら無事か!」
ヴォイドだった。酷く慌てていた。
「親方!? どうしたんだよ。そんなに慌ててさ」
「急いで避難するぞ!」
「だから、どうしたんだよ」
理解の遅いケイトに多少いらついてきているのだろう。声を荒げる。
「スピリットが攻めてきてるんだよ!」
「守りのスピリットはどうしたんだよ!?」
通常、敵国に攻められないように街の要所に守りのスピリットがいるはずなのだ。そこが突破されたと言う事はラキオスにはそれを止めるすべはない。
「馬鹿のラキオス王がスピリットの殆どをバーンライトに行かせちまったんだよ。守りのスピリットなんていないんだよ。だから急げ!」
「まってよ! レイチェルが買い物から帰ってきてないんだ!」
必死に訴えるケイトの表情を見てヴォイドが言う。
「わかった。俺が必ず連れて行くからお前らは安全な所まで逃げるんだ」
迷うそぶりも見せず、ヴォイドは走り出した。きっと市場まで行くに違いない。
「そんな・・・ヴォイドさん無茶だよ」
「にいちゃん?」
僕は部屋に駆け出すと、『煌』を手に取った。
『はっ! ようやく俺様の出番かよ!』
「にいちゃん!」
ケイトが部屋の前で叫んでいる。
「レイチェルは僕に任せてケイトは先に逃げて!」
「駄目だよ! そんな事したら、にいちゃんずっと戦わなきゃいけないよ! 戦いたくないって言ってたじゃん!」
「うん。戦うなんて嫌だよ・・・でも、もしレイチェルが、ケイトが、ヴォイドさんが、みんながいなくなったらもっと嫌だよ・・・行かせて・・・ケイトはみんなを守りたいから強くなりたいんだよね。そして強いケイトは僕を助けてくれた。僕は、僕を守ってくれた人達に恩返しがしたい」
そこまで言うとケイトは黙ってくれた。僕もそれ以上は何も言わなかった。
力を全開にして駆け出す。周りの人たちが物凄く遅く感じる。その中でヴォイドを見つけた。
「ヴォイドさん!」
「お前ぇこんな所で何してやがる! ケイトは?」
「ケイトは先に逃がしました。ヴォイドさんも急いでここから離れてください。レイチェルは僕が探します」
「何言って――」
「僕はエトランジェなんです! スピリットと戦えるのは今ここに僕しかいないんです!」
ヴォイドが何か言う前に叫ぶ。そのせいで、今まで胸につかえていた物が消える。言ってしまえばこんなにも楽なものかと思えるほどだった。だが、これで全て失った。僕が欲しかったものが全て失われた。
「だから、行って下さい。今ならたぶんケイトに追いつけますから・・・」
「・・・すまねえ」
小さくそういうとヴォイドは来た道を戻って行った。正体がばれてしまえばもう振り返る事はないだろう。
それを見届けることなく僕は走り出した。
ケイト。この世界に来て初めて親切にしてくれた命の恩人。
レイチェル。いつも朝起こしに来てくれてご飯を作ってくれた人。
ヴォイド。気持ちのいい人で快く僕を受け入れてくれた人。
大勢の大工仲間、一市場の人たち、近所の人。
それらが一瞬で離れていく。エトランジェ、たったそれだけの事で。
「ちくしょーーーっ!」
やけくそになって天に向けて叫ぶ。それが空を貫けばと思いながら。
スピリットはすぐに見つかった。元々レイチェルを探すために市場に来たのだが、スピリットがそこにいたのだ。辺りは瓦礫が散乱していた。
数は二人。赤スピリットと緑スピリット、正直手に余ると思った。それがこっちに気づく。
「『煌』、ムーブメントだ」
『よっしゃあ! これで俺達は最速だぜ!』
紅の魔法陣が一際輝きを増す。同時に緑スピリットに向かって走り出す。『煌』を上段から振り下ろす。
スピードを乗せた斬撃だが、それは緑スピリットの守りに阻まれる。横から赤スピリットが斬りかかってくるが何とかかわす。
一旦距離が開くと赤スピリットにマナが集まっていく。初めてみるがあれが神剣魔法だろう。
『来るぞ! 楽勝によけろ!』
今の状態なら交わす事はできるだろう。楽勝ではないが。火球が飛んでくる。
「うぅ・・・」
「!」
振り返る。そこにはレイチェルが倒れていた。瓦礫の影に隠れて見えなかったのだ。
「レイチェル!? くっ・・・」
急いで抱きかかえて飛び退る。火球をよけると、レイチェルを抱えたまま走り出す。
『おいおいどうするんだよ。これじゃあ戦えないだろうが』
「でも、レイチェルを置いては・・・くそ、もっと力は出ないのかよ! お前は!」
――どがっ!
顔を掠めて緑スピリットの神剣が瓦礫に突き刺さる。それに冷や汗を感じながら逃げ続ける。
『んあ! お前俺のせいだっていうのか!?』
「あったりまえだろう!」
『だったらもっと集中しろ! 誰よりも速く走る自分、緑スピリットの壁をぶち破るだけの威力、お前がイメージすればそれが現実になるんだよ! いいか、お前が高速移動なんてイメージしたから俺はそうしたんだ! 逃げ回ることだけじゃなくて、相手とぶつかることを考えろ!』
「だったら・・・」
走っていた足を止める。
「受け止めてやる!」
赤スピリットが再び火球を放つ。それを眼前に見据えながら、
『ぎゃー! 死ぬ! 死ぬってー! そんな上手く出来るわけねーだろうがー!』
だが、それも既に遅い。火球は触れるか触れないかそこまで来ていた。
じりじりと肌を焼くような熱気が迫る。熱に眼球が押され思わず目を背けたくなる。だが、そんなことをする暇も無かった。レイチェルを抱く腕に思わず力が入る。
(出来る! 出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る!)
念じる。
そして一気に叫ぶ。
「オフセット!」
紅の魔法陣が輝き高速で回転する。瞬間、火球が押しつぶされたように形を変えて音も無く消えた。
それを見ながら自分の体を見下ろす。どこも怪我していないし、レイチェルも無事だ。
「はあ、はあ、は、ははは・・・やった、ははは」
思わず腰が抜けてしまう。思い出したようにどっと汗が流れてくる。
『煌』が呆れたような声で言う。
『たく・・・出来たからいいようなもの、失敗したらどうするつもりだったんだよ』
「出来るって言ったのは『煌』だろ」
『それで出来たら苦労はねえよ』
「はは――」
ざっ――
「は・・・」
視界に足が移る。すっかり忘れていたが、赤スピリットの神剣魔法を防いだだけで、敵スピリットはまだそこにいた。視線を上に向けると青スピリットが冷徹な視線が見下ろしていた。
逃げようにも腰が抜けて動けない。青スピリットが神剣を突き刺そうとする。
「ぎゃーーー死ぬーーー!」
『バカーーーーーー!』
「死になさい!」
目をきつく閉じる。どうか痛くありませんように。
「・・・っ!」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・あれ?」
いつまで待っても訪れない衝撃に訝しげに思い、目を開けて、恐る恐る視線を上げると、
そこには神剣を持った青スピリットがやっぱりいた。
「ぎゃーーーやっぱり死ぬーーー!」
再び絶叫を上げる。が、今度は青スピリットの方がそれで驚いたようだった。
「ちょ、ちょっと落ち着きなさい。私はラキオスのスピリットよ。ラセリオから追いかけて来たのよ!」
「ていことは援軍?」
「まあ、そういう事だけど、あなたは誰なの・・・見たところエトランジェって所かしら」
「えっ、あ、うん・・・」
ついに知られてしまった。覚悟してたことだったけど、やっぱり抵抗がある。
「ちょっと事情があって隠れてたんだけど・・・もう大丈夫ですから」
「そう・・・一応自体の収集には軍が動くと思うけど、あなたには報告のために一度城まで来てもらう事になると思うから・・・その、参考人として」
青スピリットが僕とレイチェルを見て複雑そうな顔をする。見てはいけないものを見てしまったようなそんな顔だ。
「そんな顔しないで下さい。守りたかったんです。だから・・・もういいんです」
レイチェルの髪を撫でる。彼女はまだ目覚めそうに無かった。
「すみません。どこか休める場所ありませんか? この子、安全な所で休ませたいんです」
「それなら第二詰め所に行きましょう。あそこなら安全だから」
と、行きかける青スピリットを呼び止める。
「あ、ちょっとすみません」
「何?」
「腰が抜けちゃって、立てそうに無いんです。手、貸してくれませんか」
「まったく・・・しっかりしなさいよ」
手を取って立ち上がる。
「すみません。僕宮元和也って言います」
「私はセリアよ。よろしくね」
エピローグ
「う・・ん」
「レイチェル! 大丈夫か?」
自分を心配する声。聞いたことがある。兄だ。
「ここは・・・」
見たことのある天井、見たことのある壁、見たことのある風景、分かる。自分の部屋だ。
近くには兄がいる。だが、もう一人の姿が無かった。
「カズヤおにいちゃんは?」
「にいちゃんは・・・」
一旦区切り、再び口を開く。
「俺達を守ってくれたんだ」
「今日から第二詰め所でお世話になります。宮元和也です」
言ってお辞儀する。
あれから、ラキオス王に謁見してなるがままにスピリット隊に編入された。一応エトランジェと言う事もあって第二詰め所の管理を任されたが、正直そんなのいらないと思った。
第二詰め所には僕より年上のスピリットが何人かいるからだ。
「でも、本当に良かったんですか?」
長い黒髪を二つに結った黒スピリット、ヘリオンだった。何か気まずそうに落ち着きが無い。
「何が?」
「だから、戦いがお嫌いだったのなら、わざわざ自分がエトランジェだったと言わなくても良かったんじゃないのかなーと思ったから・・・」
そう。僕は自分からラキオス王にエトランジェである事を言った。セリアは何も言わなかった。だから言ったのだけど、それがヘリオンには不思議だったらしい。
「決めたんだ」
「決めた、ですか?」
「うん。こんな戦争嫌だから、早く終わらせてみんなに幸せになってもらいたいから」
最後に僕を助けてくれたみんなに恩返しがしたいからと、胸中で付け加える。
「むむ。なんかくーるかも」
「かも〜」
二人の青スピリットが言う。こっちはヘリオンと違って機嫌がよさそうだった。
最初に言ったのがネリーで後に続いたのがシアーだ。ネリーは何だか意味が分かってるのか分かってないのかいまいち分からない言葉を使っている。恐らく後者だろう。シアーもたぶん分かってない。むやみやたらに笑顔を振りまいている。
そんなことより、
「え〜と、ハリオンさん。いいかげん頭撫でるのやめてくれませんか?」
ハリオンは緑スピリットでさっきから僕の頭を意味も無く撫でている。
「撫でやすい場所にあったからつい〜」
「ごめんね。こんな奴で」
少し離れた所で疲れた顔をした赤スピリットが言った。
「大丈夫ですよヒミカさん。もうだいぶ慣れましたから」
きっといちいち気にしてたらきっと身が持たない。
「はいはい。みんなそれくらいにして。今日はカズヤの歓迎会なんだから」
セリアがそこでみんなを仕切る。
(なんだが、初めてケイトの家に来た日の事思い出すな)
ネリーとシアーに左右の腕を引っ張られながら奥に行く。
「ん?」
その時になって初めてもう一人の赤スピリットに見られていることに気づいた。
「ナナルゥさん? どうかしたの」
「いえ」
短く答える。きっと寡黙な人なのだろう。
「早く行こう。みんな待ってるよ」
「はい」
そう言って彼女はついて来る。
それから暖かな食事が始まった。
僕はこの日の事をきっと忘れない。
第一話 日常って・・・ おわり