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Bloodstained Hand

エピローグ

 どこにあるのかは分からないけれど、とにかくどこかにある小さな世界。あんまりにもちっぽけで、ロウ・エターナルも気にも留めないような小さな世界。

 そこでは、今日も平和な時間が流れていた。

 街のはずれにある、ちょっとおしゃれな喫茶店に二人の姿はあった。

「はぁ〜むっ。……ん〜、美味しい〜♪」

 口いっぱいにパフェをほおばりながら、ハーシュは幸せそうに声を上げた。

「こんなに美味しいものが食べられると、生きててよかったって実感するよね〜。の〜たりんもそう思わない?」

「……別に」

「む、何か反応が薄い。の〜たりんらしくないぞ?」

「ほっとけ」

 そっけないゼクの反応に、ハーシュは不満げに頬を膨らせた。

「つまんないの〜……」

「……ったく、文句ばっか言ってるとおごってやらんぞ?」

「あわわっ、そんなのズルいよっ」

 ハーシュはかばうようにパフェのグラスを抱え込むと、必死の形相でゼクを睨みつけた。

「……はぁ。別に取り上げたりしねえから、黙って食ってろよ」

「……本当?」

「パフェごときで嘘つくかよ……」

「ん、ならばよろしい♪ はぁーむっ」

 嬉しそうに笑い、再びスプーンを動かし始めるハーシュである。

(やれやれ……)

 コーヒーをあおると、ゼクはうんざりした顔で頬杖をついた。どうにも、ハーシュには頭の上がらないゼクであった。

 ライアスとの決戦の後、消滅しかけていたゼクを救ったのはハーシュだった。眠りから覚めたハーシュは、ライアスから一部始終を聞くと矢も盾もたまらず、「門」をくぐってゼクを追いかけてきたのだ。

 ゼクが消滅する間一髪のところで、ハーシュは間に合った。一度ならず二度までもハーシュに救われたことになる。おかげで、もともとそうだったのが、ますます頭が上がらなくなってしまった。

 結局、あれからハーシュはずっとゼクについてきている。

(ま、今更テムオリンのところにも戻れやしねえだろうしな)

 それはそうだろう。ハーシュを守るために、ゼクはテムオリンを斬り捨てたのだ。テムオリンの目にはハーシュも裏切り者と映っただろう。

 ハーシュに行き場がないのはゼクにも分かる。それも兼ねて、ライアスはハーシュにゼクを追わせたのだろう。

 まあ、それはいい。

 ゼクにとってどうにも頭が痛いのは、ハーシュの薬指に光る物体である。銀色に光るリングに美しい水晶石がはめ込まれたそれは、誰がどう見ても指輪だった。そして、同じものがゼクの指にもはまっている。

 これこそが、ライアスの「いたずら」だった。

 細工の上手いアセリアに頼み、マナ結晶体を宝石代わりにしてお揃いの指輪を作ってもらったのだ。それを、ゼクを追おうとするハーシュに持たせてやった。何ともライアスらしいいたずらである。

 ゼクが目を覚ましたときには、すでに指輪ははまっていた。

 慌てて外そうとしたのだが、その度にハーシュが泣きそうな顔で見つめてくるものだから、どうにもならない。

(ライアスの野郎、次に会ったらただで済むと思うなよ……)

 姿のないライアスに、心の中で呪詛を放っていたときである。

「ねえ、のーたりん」

「あぁん?」

「……そんなに、それつけるの嫌なの?」

「え」

 振り向くと、ハーシュがしょんぼりした顔で指輪を指差していた。どうやら、思っていたことがそのまま表情に出ていたらしい。

(やれやれ、こりゃ参ったな……)

 ゼクは、困り果てた表情でため息を漏らした。が、ここはきちんとさせておくべきだろう。というより、そうしないとゼク自身が恥ずかしくてかなわない。

「あのなぁ、ハーシュ。お前、これつけるってのがどういう意味か分かってるんだろうな?」

「知ってるよ、それくらい。……ずっと一緒にいる、ってことでしょ?」

「だったらよ……」

「いいのっ!」

「……!?」

 聞いているゼクがびっくりするくらい大きな声だった。

「ずっとついて行くって決めたんだから! だから、これつけたままがいいのっ!」

 が、ハーシュはすぐに肩を落とすと、今度は消え入るような声で、

「……それとも、の〜たりんはあたしが一緒じゃイヤ?」

 まるで飼い主に置き去りにされそうになった子犬のような表情で、ゼクを見つめた。

(そんな目で見るなよ、おい……)

 ゼクは苦りきっていたが、やがて盛大なため息を吐いた。そして、ほとんど聞こえないくらいに小さな声で、

「……嫌じゃねえよ」

 ぽつりと言った。何のことか分からず、「え?」と目を見開くハーシュに、

「嫌じゃねえって言ったんだ!」

 怒鳴りつけるように言った。瞬間、ハーシュの顔にこぼれんばかりの笑顔がよみがえる。

「……ほんと?」

「そのかわり、分かってんだろうな? 今回の件で俺はロウ・エターナルにとっても厄介者だ。いつテムオリンの野郎が襲ってくるかもしれん。俺のとこにいりゃあ、当然お前も巻き込まれる。それでどうなっても知らんぞ?」

「うん……。確かに、テムちゃんと戦うのは嫌だけど……。あれでもあたしの生みの親だから」

 と、ほんの少し混じった寂しさを拭い去ると、にっこりとハーシュは微笑んだ。

「でも、いいんだ。テムちゃんの十倍……ううん、百倍はの〜たりんの方がいいもん。あたし、の〜たりんと一緒にいたい」

 かなわない、と思った。どうしてもハーシュはついてくる気らしい。とうとう、ゼクもさじを投げた。

「……勝手にしやがれ」

「うん。ずーっと一緒だよっ♪」

 あけすけな言葉に耐え切れず、ゼクはそっぽを向いた。ふて腐れたような顔をしているのは、ゼクなりの照れ隠しなのだろう。

「ね、の〜たりん」

「何だよ、まだあんのか?」

「うん、もうひとつだけ」

「お前なぁ、ワガママも大概にしとかねえと、そろそろ俺も怒……」

 と、振り返った瞬間だった。

 ――目の前に、ハーシュの顔があった。

 唇に触れるやわらかい感触。口の中に広がる、ほんのり甘いクリームの味。

 何が起こったのかわからず、一瞬ゼクの思考が真っ白になる。が、ようやく把握した瞬間、今度は顔が真っ赤になった。

「お、お前――――!?」

「えへへっ♪」

 と、にこにこしながら、背後からゼクの首に腕を絡めてきた。

「ばっ、バカ! 離れろ!」

「いいじゃない。どうせこれからも一緒にいるんだから」

「そういう問題じゃねえっ!」

「聞こえなーいっ♪」

 ぺろり、と舌を出していたずらっぽく笑うハーシュ。ふりほどこうと必死でもがくゼク。どこからどう見ても、騒がしくてバカではた迷惑な二人。

 だが、これこそが二人に一番似合った姿なのだろう。

 この平和な光景がいつまで続くのかは分からない。互いにロウ・エターナルに狙われる身である。いつマナの霧と帰るかも知れない。

だが、一つだけ分かっているのは、

「あたし、の〜たりんが大好きだよっ♪」

 ――そういうこと。





「えっと、確かここに片付けたはずなんですが……」

(ライアスよ、あのティーカップはユーフォリアが割ってしまっただろう。忘れたのか?)

「あ……そういえば」

 と、ライアスは棚をあさるのをやめて、眉をひそめて笑った。

「やれやれ、お気に入りだったんだけどなぁ……」

(ふふ……その割には随分と嬉しそうではないか)

「ええ、それはもちろん」

 と、懐かしそうに目を細めた。

「二周期ぶりですからね」

(そうか……あれから、もうそんなに経ったのだな)

「ええ。ロウ・エターナルのライアスが死んで以来、ね」

(だが、本当に良かったのか? せっかくのカオス・エターナルへの誘いを蹴って)

 気遣うような調子で『聖光』はたずねた。

(ロウ陣営を離れたから、というわけではないが……そなたがカオス・エターナルに身を寄せることを、ユーフォリアも望んでいたろうに……)

「……『聖光』、前も言いませんでしたか?」

(あ、いや。むぅ……)

 ばつが悪そうに口をつぐんだ『聖光』に、ライアスは口元に手を当てて、くすっと笑った。

「いいんですよ、時間はたっぷりあるんですから。これからどう生きていくのか……それをのんびりと考えるのも悪くないでしょう? 結論を急ぐ必要はありませんよ」

(いや、悪かった。そなたが納得しているのなら別にいいのだ)

 思い直した様子で、『聖光』は感慨深げなため息を漏らし、続けた。

(そうだな、確かにこれまでは戦い続きだった。無論、これから先も同じことではあろうが……永劫に続く戦いの中、たまさかの休息もよいかもしれぬな)

「そういうことです。『聖光』も物分りが良くなりましたね」

(……そなたにだけは言われたくなかったな)

「おや、これはとんだご挨拶ですね。勝手に自分だけ納得して、私を放って消えていこうとしたのは、どこのどなたでしたか」

(何を言う。それというのも、そなたを思えばのことではないか。大体、ライアスが何でもかんでも自分のせいにするのが悪い。そのせいで余がどれほど苦労したと……)

 どちらも自分のことを棚に上げているのだから世話は無い。よく言えば律儀、悪く言えばくそ真面目。根っこの部分は相変わらずの二人である。

 ぎゃあぎゃあといがみ合うことしばし。が、やがて沈黙したかと思うと、

「ははっ……」

(ふっ……)

どちらからともなく笑いが漏れ始めた。

「どちらでも構いませんね。全部をひっくるめて『聖光』なんですから」

(ああ、やはりこうでなくては……な)

 そうして、笑みを交し合う。

 はたから見れば、こんなにも他愛もないこと。だがそれこそが、二人が求め、取り戻したものだ。月並みかもしれないが、気の置けない友がいるというのは、間違いなく幸せである。時間の流れから取り残され、永遠の孤独を生きるエターナルに取ってはなおさらだ。

 そのことを改めて思うと、ライアスは言わずにいられなかった。

 もちろん、言わなくても『聖光』には伝わっているだろう。だが、ライアスはあえて口に出して言うことで、あらためてそれを実感したかった。

「……『聖光』」

(……? どうした、急にあらたまって)

「……」

 一瞬の沈黙。ライアスは閉じていた目を開くと、まっすぐに『聖光』を見つめて言った。

「……ありがとう、『聖光』。私を主に選んでくれて」

 万感の想いをこめた一言だった。『聖光』に言葉はない。だが、それが決して不快な沈黙でないことはいうまでもない。感に堪えかねた様子で、『聖光』は一言漏らした。

(……ああ。余も、そなたとめぐり合えたことを嬉しく思う)

「私もです。『聖光』、これからもよろしくお願いします」

 と、頭を下げて……ライアスは苦笑した。

「……こんなんだから、ユーフィに頭が固いと言われるのかもしれませんね」

(ははは、言い得て妙だな。ユーフォリアも良く見ている。だが、それがそなたのよいところでもあろう)

「ありがたいフォローに痛み入るばかりですよ、『聖光』」

 そう言うと、ライアスは思い出したようにつぶやいた。

「そういえば、そろそろ到着してもいい頃なんですが……」

 と、窓の外に視線を移した瞬間だった。勢いよく玄関の戸が開いたかと思うと、

「お兄ちゃん!」

 と、ボールが弾むように、小さな人影が飛び込んできた。そのままライアスめがけてダイブ。その勢いによろめきつつも、かろうじてライアスは抱きとめると、にっこりと微笑んだ。

「こんにちは、ユーフィ」

「こんにちは、お兄ちゃん。それと『聖光』さんも」

(ああ、久しぶりだな、ユーフォリア)

 ユーフォリアをおろすと、ライアスはそっと頭を撫でてやった。

「ユーフィ、背が伸びましたね」

「うん。あ、私だけじゃないんだよ。ほら、ゆーくんも」

 と、嬉しそうに『悠久』を差し出す。確かに、以前見たときと比べて一回りは大きくなっていた。

「すぐにお母さんやお父さんも追い抜いちゃうんだから」

「……それは嬉しいような勘弁して欲しいような」

 と、苦笑いにため息を混ぜた何ともいえない表情をした悠人が、アセリアと一緒に入ってきた。悠人の表情に、ライアスも思わず噴き出してしまう。

「おいおい、笑うなよ」

「ははっ、これは失礼しました」

 と言いながらも、口元に手を当てたままクスクス笑っている。一方、ユーフォリアは膨れっ面である。

「何で〜? お父さんは私が大きくなるの嫌なの?」

「いや、別にそういうわけじゃないんだけど……」

(規格外なんだよなぁ、ユーフィは……)

 それはそうだろう。成長するエターナルなど、時深ですらユーフォリア以外に知らない。娘の成長が嬉しくないはずもないが、かといって自分やアセリアが追い抜かれるのも何だかなぁ……というのが、悠人の偽らざるところである。

 が、そのどうにも煮え切らない様子がユーフォリアの気に食わなかったらしい。ぷいっ、とそっぽを向いてしまった。

 それをたしなめるアセリアを横目に、ライアスは悠人に苦笑を投げかけた。

「親の心子知らず、と言いますが……。ははっ、ユウト君も大変ですね」

「他人事だと思って……」

「でも、そんなユーフィが可愛いんでしょう?」

 そう言われては、悠人もうなずくほか無い。が、そろそろこのやりとりを続けることに耐えかねたのか、ふと話題を転じた。

「ところでさ、お前……やっぱり、カオスに来る気はないのか?」

「ええ、まだちょっと……ね」

「ロウ・エターナルの連中が気になるのか?」

「いえ、そういうわけではありませんが……。すこし、考える時間が欲しいんです」

 申し訳なさそうな顔つきで言うものだから、悠人もそれ以上勧める訳にはいかなかった。

「そっか。じゃあ仕方ないか……。まあ、カオスにいなきゃ会えないってわけじゃないしな。今もこうして来てるわけだし」

「すみません、ユウト君。何にせよ、あなたたちの敵に回るような道は極力避けますよ」

「……是非そうしてくれ。またお前と戦うことになるなんてゾッとしないから」

「ええ、それは私も同じですよ。ユーフィのためにもね」

 と、二人は笑いあう。そこへユーフォリアが、

「ねぇ、お兄ちゃん。またピクニックに連れて行ってよ」

 と駆け寄ってきた。ライアスは中腰になってユーフォリアの視線にあわせると、にこりと笑って、

「ええ、もちろん。ユーフィがそう言うと思って、お弁当も準備しておきましたよ」

「わぁ、さすがお兄ちゃん。ありがとう!」

「場所は、前と同じでところでいいですか?」

「うんっ」

 力強くうなずくユーフォリアにほほえましさを覚えつつ、同意を求めるようにアセリアと悠人の顔を見た。二人は即座に首を縦に振ってくれた。

 そうと決まれば、ユーフォリアはじっとしていられない。早く早く、とばかりに、かわるがわる三人の腕を引っ張った。

 それに苦笑しながらも、三人は顔を見合わせうなずきあった。

 今日も、平和な一日になるだろう。

 願わくば、この笑顔が絶えることのありませんよう。

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