Bloodstained Hand
第十七章 本当の宝物
ぱん、と剣が鳴った。
「………ったく、やる気あんのか?」
やる気のなさそうな声とは裏腹に、ゼクは攻撃の手を緩めようとはしない。棍棒のように『修羅』を振り回しながら、徐々にライアスを圧している。
ライアスは答えない。いや、言い返す余裕などあるはずもなかった。
風を切り、唸りを上げて迫る『修羅』を捌くだけで精一杯だった。一歩、また一歩と後ろに押されている。
『無我』ほどではないにせよ、『修羅』もかなり大振りな神剣だ。ただ振り回すだけでも相当な威力になる。ライアスも何とか『求め』で受け止めてはいるが、それだけでも十分な衝撃が身体を貫いた。
どうしても消耗は避けられない。
それだけ重い剣を、まるで棒切れのように軽々とブン回せるゼクの腕力も尋常ではない。やろうと思えば、素手で石くらいは砕けるのではなかろうか。
ライアスは、一方的に劣勢に立たされていると言わざるを得ない。
だが、その最たる原因は別にある。
(くっ、身体がついていかない………ッ)
そう、見えてはいるのだ。いかにゼクの一撃に威力があろうと、決して切り返すチャンスがないわけではない。何より、剣の腕前だけで言うならライアスはゼクより上である。
が、いかに次の手が読めたところで、身体がそれに反応しないのでは意味がない。
ライアスの動体視力は『聖光』の反応速度に慣れてしまっている以上、『求め』を握っているとどうしても意識と体の反応にタイムラグが生じてしまうのだ。
上位神剣と下位神剣の格差、と言わざるを得ない。
―――見えたっ!
そう思っても、身体が反応するときにはすでに切り返すタイミングを逸してしまっている。
ライアスの中では、そんなジレンマが焦りに変わり始めていた。
いい加減ゼクも飽きてきたのか、
「ちったあ意地を見せてみやがれッ!!」
激しくライアスの胸めがけて突き出してきた。
「………っ、調子に乗らないでください!!」
ライアスは夢中でそれをとっぱずすと、激しく突きに転じた。
確かに、いつまでも守勢を維持するのは得策とはいえない。守りだけでは気組みも萎え、ついには気死してしまうだろう。
それを見たゼクはニッ、と片頬を吊り上げた。
「やれば出来るじゃねえか………。甘いけどなッ!!」
そう吼えると、ゼクは『求め』の横っ面を思いっきり
あまりと言えば、あまりの暴挙である。
「なッ!?」
これにはライアスも唖然とした。というより、呆れた。一瞬、自分が剣を交えていることを忘れてしまったほどだ。
目を白黒させた、というのが、そんなライアスを表すには適切だろう。
何にせよ、ライアスは大きな隙をさらけ出すことになってしまった。
むろん、その隙を見逃すほどゼクはお人よしではない。体勢を立て直す間も与えずに、がら空きになったライアスの胴を残る片方の足で鋭く蹴り飛ばした。
錐で刺し貫いたような、細く鋭い痛みが鳩尾に走る。
「がっ………!!」
同時に、ライアスの身体は宙を舞った。そのまま受身を取ることすら出来ずに地面に叩きつけられる。
「けほっ、けほっ………」
咳が止まらない。蹴られたあたりを中心に、灼けるような感覚が広がっていった。
それでも無理に呼吸を整え、『求め』を握りなおすと、何とか立ち上がろうと試みる。
が、その途端、強い圧迫がライアスの動きを封じた。
「もう満足か?」
ぐっ、とライアスの胸を踏みつけながら、ゼクはつぶやいた。
「どうやら、とんだ勇み足だったみてえだな、坊や?………本気で勝てると思ったか?」
「くっ………!」
「ったく、テメエもわかんねえ野郎だ。そんなに『聖光』が大事かよ?」
ゼクには、何がライアスをそこまで掻き立てるのか、どうしても理解できない。
ゼクも、長い時間生きてきたエターナルである。これまで、何度も「命をかけて」というセリフを聞いてきた。
そういう連中を見るたびに、一笑に付してきた。
(何が大切なもの、命をかけても守る、だ。くだらねえ………。結局、最後に残るのは自分だけじゃねえか。他のヤツのためなんぞに、たった一つしかねえ命を張れるかってんだ………)
軽々しく命をかける連中が、気に入らなかった。
ライアスに浴びせた言葉には、嘲りのほかに、ほんの少しの困惑が混じっていた。
「かけがえのないモノを持たないあなたには分からないでしょう………!」
ほら来た、ゼクはそんな顔である。
「ああ、分かんねえな。分かりたくもねえ………ガキの感傷なんざよ」
「とことん可哀想な人ですね、あなたという人は………!」
ライアスの怒りと哀れみの入り混じった眼差しに、ゼクは眉をひそめた。
「やかましい………。じゃあ、テメエの未練さっぱり断ち切ってやるよ。………そのナマクラ刀をへし折ってな!!」
吼えるように言うと、ライアスの腰の『聖光』に手を伸ばした。
刹那、ライアスの目の色が変わった。
「そんなことは………絶対にさせないッ!!」
それは、温和なライアスが今まで誰にも見せたことのない表情だった。
気づいたときには、がっしりとゼクの腕を掴みあげていた。滲み出るように、ほの青いオーラフォトンがライアスから湧きあがっている。
「………っ、テメエ………!」
ゼクがどれだけ力を込めようとも、掴まれた腕は微動だにしなかった。
(この野郎、一体どこにこんな力が………っ!!)
二つの視線が絡み合った瞬間だった。
『求め』が強烈な光を放ち始めた。
「マナよ、一条の光となりて敵を貫け………オーラフォトンビームッ!!!」
至近距離で、神剣魔法が発動した。
あたりに轟音が響くとともに、一瞬でゼクは光に飲み込まれた。
濁流に浮かぶ木の葉同然の様子で、そのままはるか彼方へ押し流されてゆく。
「ぐっ………こんなモンが効くかよッ!!」
もっとも、ダメージは負っていない。せいぜいかすり傷がいいところだろう。残念ながら、上位神剣と下位神剣の力の差は覆しがたい。
言ってみれば、ゼクは目の細かい鎖帷子を着込んでいるようなものだ。
光の大河に流されながらも、何とかゼクは踏みとどまった。
ライアスもじっとしてはいない。全身のバネを使って跳ね起きると、ゼクに向かって駆け出した。
足の裏でオーラフォトンを小さく爆破させ、一気に推進力を得る。
「はああああっ!!」
(あの男、よくも我を足蹴にしてくれたな………。この恨み、万倍にして返してくれよう………!)
何やら、『求め』もひどくやる気のようだ。
「とことんムカつく野郎だ………!あんまり調子に乗るなよッ!!」
あたりに甲高い金属音がこだました。
一方、ユーフォリアは。
岩陰に隠れていた。
決して逃げたのではない。第一、ユーフォリアの性分からして、ライアス一人を置き去りにするようなマネができるはずがなかった。
じっ、とまぶたを閉じ、「あるモノ」に意識を集中している。
ユーフォリアが、両の手のひらに包むように抱いていたもの。
それは、光の玉だった。
そして、これこそが二人を勝利へと導く唯一の可能性でもあった。
ライアスとて、何の勝算もなしにここに乗り込んできたわけではない。そもそも、不思議なほど博打っ気に欠けた男だ。
何より、ユーフォリアを死なせるわけにはいかなかった。あの場でこそ、「連れて行く」と言ってしまったが、『聖光』がない以上、ユーフォリアの無事を保証してやる自信はなかった。
むしろ、そのまま連れて行けばわざわざ殺されに行くようなものだろう。
やむなく、ライアスはユーフォリアに訓練を行った。正直な話、こんなことをユーフォリアに教えたくはなかったが、場合が場合だけに仕方がない。
第一、今さら置いていくと言ったところで聞き入れるユーフォリアではなかろう。
悠人とアセリアがあえてユーフォリアを戦いから遠ざけていたため、まともに戦い方を教わるのはユーフォリアもこれが初めてだった。
まずは基本中の基本、オーラフォトンの扱いから始めなければならなかった。
これがまた難儀だった。
なかなか安定しないのだ。集中できずに全然オーラが集まらなかったと思えば、制御しきれないほどの量を暴発させてみたことも一度や二度ではない。
その場に残るのは、ユーフォリアとライアスの黒焼きである。
もう、こうなれば集中講義である。どうやらライアスには教育癖もあるらしい。手取り足取り、いちいち細かい点を注意していった。
それをマスターするのに、ユーフォリアは半日かかった。
が、これは決して遅くはない。どころか、すさまじい飲み込みの速さと言うべきだろう。
教師のデキがいいのか、生徒のデキがいいのか。あるいは、両方かもしれない。
そこから先は、坂道を下るようなものだった。雪だるま式に知識を吸収していくユーフォリアに、さしものライアスも舌を巻いた。
その中で、神剣魔法もいくつか教えた。『悠久』の形状を考えても、ユーフォリアの戦闘スタイルは魔法メインになるのは間違いない。
ファミリアも、そこで教えたものの一つだ。
そのほか、攻撃用、防御用、サポート、必要なもの一式をすべてユーフォリアは習得した。これだけで、十分戦力になる。
が、ライアスは最後に切り札を授けた。
それが、今ユーフォリアの手の中にあるものだ。
(あと、少し………!)
とはいえ、欠点もある。発動、というかチャージに滅法時間を食ってしまうのだ。全身のオーラの流れを一定の向きに整え、その上で残らずかき集め、凝縮しなければならない。
いくらユーフォリアの飲み込みが早くとも、一日でこれをやれという方が無理な気がする。
が、他に手がないのも事実。そういう意味では、珍しくライアスも賭けに出たといえる。
遠くで、立て続けに爆音が鳴り響いた。
これで何度目だろうか。
その中には、いつもライアスの苦痛の声が混じっていた。
それを聞くたびに、ユーフォリアは何度も駆け出しそうになった。助けに行きたかった。
だが、それは今許されることではない。唇をかみしめ、必死で感情を押し殺した。
眼前の岩のおかげで、ライアスの姿が見えないのがせめてもの救いだった。
上空でも、激しい戦闘が繰り広げられている。
「も〜、本当にしつっこいんだから!!」
なかば悲鳴に近い声を上げながら、ハーシュはファミリアをなぎ払った。バサッ、とハイロゥが音を立てると、数枚の羽が宙を舞った。
その隙を突き、残る一体のファミリアが死角にもぐりこむ。
とっさに身体をひねり、回避を試みるハーシュ。ひゅん、と軽い音を立てながら、円月輪と化したファミリアが顔ギリギリのところをかすめた。
恐怖とも驚きともつかない感情に、一瞬、ハーシュの時間が止まった。が、すぐに元通りになると、思い出したように冷や汗が背に浮かんできた。
血が、うっすらとした線を頬に描いている。
そこに追い討ちをかけるように、先程弾き飛ばされたファミリアが旋回してきた。
たまったものではない。
「インシネレートッ!!」
最速のタイミングで高速魔法を完成させる。爆発音とともに、炎が二体のファミリアを包み込んだ。
まともに衝撃を受け、ファミリアはあらぬ方向へとその軌道を逸らされてしまう。
が、消滅してはいない。エサに群れるピラニアのごとく、しつこくハーシュを追い掛け回し続ける。
高精度のホーミングミサイルに狙われているようなものだ。
上空で悪戦苦闘するハーシュの姿を、テムオリンは苦々しげに見上げていた。
「まったく、あんなモノに手こずるなんて見苦しいったらありませんわね………」
コツ、コツと『秩序』の柄で地面を打ちつけている。見ているだけで苛立ちが伝染ってしまいそうなほど、険悪な表情だった。
たまりかねたのか、『秩序』から『種子』を通じてハーシュに語りかけた。
(ハーシュ、さっさとリミッターを解除なさい!!そうすれば、そんなモノすぐに片付くでしょう!?)
なかば、命令である。語気に、拒否は認めないという意図がありありと見て取れた。
額に大粒の汗を浮かべながら、ハーシュは答えた。もちろん、その間もファミリアは待ってはくれない。ハーシュの身体は激しく動いている。
(ダメだよ、テムちゃん?の〜たりんと約束しちゃったからね〜)
(何を言っているのですッ!そもそもあなたの主人はこの私ですわ!それを………!)
(………ごめんね、テムちゃん)
先を続けようとするテムオリンに割って入ると、ハーシュは一方的に通信を打ち切った。
歯噛みしながら、テムオリンは大きく舌打ちをした。
「使えないミニオンですわ………!それもこれもゼクが余計なことを吹き込むから………ッ!!」
一方、ハーシュ。
いい加減、息が上がってきた。鼓動が耳に届くくらい、心臓も高鳴っている。
『種子』を一振りするのさえ億劫だった。重いのである。全身の筋肉という筋肉が、悲鳴を上げているといっていい。
限界は、近い。
が、ハーシュはようやく突破口を見出していた。
(あの光、まるで生きてるみたい………)
そう、ファミリアの動きが精巧すぎるのだ。一体が襲い掛かればもう一体がハーシュの死角を突き、片方が弾かれればもう片方が絶え間なく攻め込んでくる。休む間を与えてくれないのだ。
しかも、毎回動きに微妙なズレを仕込んでくるものだから先が読めない。
どう見ても、この動きは出来合いのプログラムで再現できるものではなかった。
(ってことは………)
ファミリアを操っている者がいる。そうとしか考えられなかった。
おそらく、ゼクと剣を交えながらライアスが操作しているのだろう。
ハーシュは、そう結論付けた。
実際、ユーフォリアがライアスにファミリアを委ね、後ろに下がったところまではハーシュも見ている。もっとも、
(あの子を巻き込みたくなかったのかな?)
くらいにしか考えてはいなかったが。
ともあれ、逆に言えば、操者の指示がなければファミリアは無力化する、ということでもある。
もう一つ、ファミリアの耐久力にも大体の見当がついている。
二体のファミリアが交互に襲ってくる間の、空白の時間。つまり、それ以上の時間を詠唱に要する神剣魔法には耐えられない、ということだ。
(でも、どうやって時間稼ごうかなぁ………?)
巧みにファミリアを捌きつつ、思案をめぐらせる。行動が読めないとは言いつつも、さすがに対処のコツは掴んできた。
そして、思いついた。
何を考えたか、ハーシュはハイロゥを目いっぱい広げると、はるか上空を目指して加速し始めた。
ファミリアも後を追う。ハイロゥ全開で飛ぶハーシュを相手に一寸たりとも距離を広げさせない。
驚異的なスピードといわざるを得ない。
が、それがハーシュの策だとはライアスも気づかなかった。
そのまま、雲に突っ込んでしまった。
当然、地上のライアスにはハーシュの姿は見えない。
(しまった………!)
そう思ったときには、手遅れだった。
「マナよ、光の奔流となれ………彼の者どもを包み、究極の破壊を!」
真っ白の雲が、雷雲のように閃光を帯びる。空が、光った。
「オーラフォトンノヴァ!!」
まばゆいばかりの光が空を染め上げ、大地に降り注ぐ。視界が、白一色以外何も映さなくなった。
空がもとの明るさに戻ったとき、雲はすべて消し飛び、あとには見渡すばかりの青空が広がるだけだった。
ファミリアの姿は、ない。
「ふぅ〜………、さすがにちょっと疲れた………かな」
ほっ、と安堵のため息をつく。自分でも意識しないうちに、自然と力が抜けていった。同時に、たまりにたまった疲労が一気に押し寄せてきた。
もっとも、今のハーシュには心地よい疲労感だった。思いっきり運動をした後のような、さっぱりした感触を覚えた。
う〜ん、と声を漏らしつつ、大きく伸びをする。
「さってと、の〜たりんはどうしたかな?」
右手を額に当て、帽子のひさしのようにして大地を覗き込んだ。空が近いせいか、すこし、太陽がまぶしい。
ちょうど、下も決着がついたようだ。あまりに高度があるせいで顔の判別はつかなかったが、地面に突っ伏しているのはライアスだろう。
「の〜たりん、お疲れ〜♪」
手を振りながら、相変わらずの間延びした声で呼びかけた時だった。
二人に駆け寄る影があった。
いや………光が。
その光を見た途端、ハーシュは全身が総毛立つのを感じた。何かは分からないが、とにかくやばい。
そう、直感した。
「の〜たりん、危ないっ!!」
「王手、ってトコか?」
『求め』を片手に膝を突いたライアスに向かって、ゼクは傲然と言い放った。
「まだ………まだ、終わりませんッ!」
見返すライアスの瞳には、まだ気概が失われていなかった。
だが、血に染まった衣装が限界を物語っている。右肩から先の部分は引きちぎられ、腕があらわになっている。
肩で息をしながら、『求め』を杖にゆっくりと立ち上がると、再びゼクと対峙する構えを見せた。
剣が、防御に落ちてしまっている。
「ま、そのザコ剣にしちゃあ、よく頑張ったとは認めてやるけどな………。どっちにしろ、結果は変わんねえけどよ」
「そんなことは………無いッ!」
「いつまでも夢見てんじゃねえ、クソ野郎。………そろそろ黙らせるか」
一歩、ゼクは踏み出した。
「………黙るのはそっちだよ?」
「あぁ?」
弾かれたように振り返る二人。その目に飛び込んできたのは、よく見慣れた青髪の少女だった。
(間に合ったのか………?)
「お待たせ、お兄ちゃん!」
満面に笑みを浮かべてライアスの傍らに駆け寄ると、ユーフォリアは籠のように包んでいた両手を、そっと開いた。
現れたのは、小さな太陽。
と言っていい。春の日差しがあたりを暖かく照らし出し、柔らかな光が天衣のように身をくるんでくれた。
そばに立っているだけで、あれほど尽きようとしていた気力がとめどなく湧き上がってくるのをライアスは感じた。
そして、ゼクはまったく逆の圧迫感をその光に覚えた。喉はからからに渇き、何とも形容しがたい息苦しさを覚えた。同時に、肌に秋水を突きつけられたように戦慄した。
金縛りにあった、としかいいようがない。
「テメエ、おとりだったのか………?」
「………そういうことです。もっとも、命がけの陽動でしたが」
静かに答えるライアスに、ゼクは顔をゆがめた。
相手の飛車角を取ることに夢中になって、王将を見逃した結果だった。
それにしても、
(何でコイツはこんなガキに命預けられるんだよ………?)
あまりにも分が悪い賭けだろう。力が安定していないユーフォリアにすべてを託すなどと、ゼクは考えただけでぞっとした。
ライアスは、ゼクの表情から敏感に読み取った。
「なにがあっても信頼できる、いや、信じ続けようと思える誰かがいる、その大切さを分かろうとしないあなたの負けです、ゼク!」
そう言って、『求め』を高々と掲げた。それが、合図だった。
同じようにユーフォリアも、両手で『悠久』を持ち上げると、ライアスの『求め』と交差させた。
歌うように、二人は詠唱を始めた。
「すべては光に始まり、光に終わる。たとえ一時の闇が空を覆いつくそうとも、明けぬ夜は無い」
「星間の瞬きよ、迷いし旅人を正しき道へと導け」
「太陽よ、生まれしものには祝福を、消え行くものにはその暖かな腕をさしのべよ」
「母なる光よ、希望となりて我らが行く手を照らし出さんことを………そして、永遠に通じる加護となれ」
「マナよ、精霊光になりてすべての闇をなぎ払え!!最終奥義………」
かっ、と二人は目を見開いた。同時に、ユーフォリアの前に浮かぶ光が一気に膨張し始めた。
「
世界に、光が満ちた。
光の玉ははじけると、その姿をマナ嵐へと変えた。悠人たちがダスカトロン大砂漠で見たものとはアリと人間ほどの差がある、それくらい強烈なものだった。
一瞬で、ゼクは光の渦に飲み込まれた。
身を切り刻むマナ嵐の中、聞こえるのは白色騒音じみた、ざーっという音だけだった。視界は白一色に染まり、1メートル先も見えない。
いや、見えるはずがない。全身を引きちぎられるような、異常な痛みがゼクの神経という神経を麻痺させかけていた。
目など、開いていられるわけがない。
さくっ、とりんごの皮がむけるように、肌に裂傷が走り、まっ赤な鮮血が勢いよく飛び出していく。
(くそ………こんなところで終わんのかよ………)
いかにゼクの神経がふてぶてしかろうと、この状況ではそうもいかないらしい。
腕を交差させ、自分の身体を抱くようにして襲い掛かるマナ嵐に立ち向かっていたが、ついに膝を屈した。
意識が、かすむ。
(畜生………何でもうちっとマシな死に方できねえんだよ………)
誰にともなく愚痴をこぼした。それを最後に、顔から地面に突っ伏した。
嵐が、おさまった。
(死んでねえ………?)
ゼクは、我ながら自分のしぶとさに呆れる思いがした。まだ頭はぼんやりしているが、意識は割とはっきりしている。
少々傷はひどいが、命に関わるというほどでもなかった。
が、いくらなんでもこれほど傷が浅いということは考えられなかった。それくらい、さっきのマナ嵐はすさまじいものだった。
それを裏付けるように、周りの騒音は消えていなかった。
ゼクは、ゆっくりと地面に沿って視線を走らせた。
「………な、テメエ何やってんだ!?」
考えるより先に、言葉が口をついて出た。そこには、よく見慣れた人物が立っていたから――――
「………あ、の〜たりん。気がついた?」
ゼクを守るように、ハーシュが立ちはだかっていた。二人を、すっぽりと球状のオーラフォトンの障壁が包み込んでいる。
まだ、マナ嵐は過ぎ去っていなかった。轟然たる音を立て、ひたすら荒れ狂っている。ただ、濁流に浮かぶ小島のように、二人の周りだけを避けて通っていた。
顔だけを後ろのゼクに向け、ハーシュは笑いかけた。が、あからさまに作り笑いであることが、ゼクには分かった。
どう見ても、無理をしている。
「何考えてやがる、死にてえのか!!」
「………借りは、返さなきゃね」
みしっ、と音を立てて、オーラフォトンバリアにひびが入った。ハーシュの表情が強張る。
『種子』を握る手に力を込め、障壁の修復に当たる。が、それより先に、別の場所に亀裂が走った。
「バカヤロウ、んなこと言ってる場合か!?さっさと退けッ!!」
「や〜だよ、何と言われてもここは退けないよっ♪」
どこにそんな余裕があるのか、相変わらずハーシュの声は明るい。聞いているだけで周りを陽気にさせるような、そんな雰囲気がある。
が、今のゼクに効果はない。
「このタコ助!!テメエ、俺が言ったこと忘れたのか!?」
ひたすら暴言を投げつける。とはいえ、これもゼクなりの気遣いではある。
ハーシュは、悲しそうにうつむいた。後ろを向いているため、ゼクにはその表情は見えない。
「覚えてるよ。『テメエは何が楽しくて生きてるのか、ちゃんと見つけて来い』………だよね?」
「分かってるなら退けッ!どうせテメエの貧弱なバリアじゃ持たん!!」
地面を這うようにしてハーシュににじり寄ると、その足首を痛いほどに掴んだ。
「どいつもこいつも癪に障るヤツばっかだ………!無駄死にするヤツに生きてる価値はねえっ!!」
矛盾した言葉ではあるが、これはゼクのまぎれもない本心だった。ゼクに学があれば、自己愛が足りない、とでも言っただろう。人が人であるためには、なくてはならないものである。
が、人はまったく逆の価値観も持っている。それは、ゼクに決定的に欠けているものでもある。
先程の沈んだ表情は影をひそめ、ハーシュははっきりといった。
「あのね、の〜たりん。あたし、やりたいこと見つけたんだよっ!!」
めりっ、とバリアがゆがんだ。もう持ちそうにない。
「だったらなおさらだッ!!死んだら元も子もねえだろうがっ!!」
さすがに、ゼクも焦りだした。一刻の猶予もない。おせじにも他人思いとはいえない性格だが、死ななくてもいいハーシュを巻き込む気はさらさらなかった。
「違うのっ!!」
駄々っ子のように、ハーシュは叫んだ。
「あたしがの〜たりんを守って見せる!!それが今一番したいこと!!」
叫びに呼応するように、ハイロゥが広がった。
数時間前は純白だった翼。今は、薄汚れてしまっているけれど。
それでも、黒く染まりきることはなかった。ギリギリで引き止めた人がいるから。
どこか嬉しそうに頬をかくと、ハーシュは小さく小さくつぶやいた。
「えへへ………」
出来うる限りの、最高の笑顔を浮かべてゼクの顔を見た。
「ホントは、あたしの力ってこういう風に使えばよかったんだよね………」
『種子』が、まがまがしい紫の光を放ち始めた。ドス黒い気配のオーラフォトンが、ハーシュにむかって収束していく。
「リミッター、解除………」
瞬時に、ハーシュが何をしようとしているのか、ゼクには分かった。ゼクの顔色が一気に青ざめる。
「お、おい………」
「バイバイ、の〜たりん………」
「よせッ!!」
ゼクが叫ぶのとほぼ同時に、柔らかな緑色の光が二人を包みこんだ。
「モードチェンジ『聖緑』!すべてを守り抜く力を………」
ちょうどそのとき、バリアが砕け散った。
「アブソリュートッ!!」
ハーシュの高い声とともに、すべてが爆音に飲み込まれた。
ぺちぺち
と、軽い音がした。頬に、何ともいえない不思議な感覚が走った。
(くすぐったい………)
これが、『死』なのだろうか。
ハーシュはそう思った。
不思議と、怖くはなかった。少なくとも、『種子』に飲まれかけたときに感じた、底なしの奈落に吸い込まれるような、不安さは微塵も感じなかった。
あるのは、安堵と達成感だけだった。
自我をなくし、人形のまま生きるくらいなら死んだ方がマシ。ハーシュは、ゼクの言葉に実感を持って納得してしまっていた。
(クスクス………なんか、の〜たりんの馬鹿っぽさがうつっちゃったみたい)
多分、ゼクは助かっただろう。ユーフォリアにライアス、二人の全力を込めた神剣魔法といえど、絶対の防御力を誇るアブソリュートならばかなりのダメージを軽減することが出来たはずだ。
なにより、こちらは命をかけているのだから。
防ぎきれなかった分も、ハーシュ自身が盾代わりになったおかげでゼクには届いていまい。節々に感じる、力が抜けていくような感覚は、多分、そのせい。
自分はマナに帰るのだろう、ハーシュはそう思った。
(の〜たりん、どんな顔するかなあ………?)
心の中で微笑を浮かべながら、ハーシュは消え行く感覚に身をゆだねた。
そのときだった。
「おい、目ェさませよ、このお天気娘。………聞こえてんだろ?」
ゼクが、ハーシュの柔らかい頬を叩きながら言った。さっきの不思議な感覚の正体はこれだった。
(ははっ………もう少し、時間があるみたいだね………)
せっかくだ、最後に言葉を交わすのも悪くない。いつものようにからかってやろうか、と思った。
薄目を開けて、ハーシュはにっこり微笑んだ。
「………生きてたか」
ゼクの口から真っ先に飛び出てきたのは、そんな飾りも素っ気もない言葉だった。ハーシュには、それが面白かった。くすっ、と笑みをこぼすと、
「ふふっ………ホント、相変わらずの〜たりんだね」
「何わけわかんねえこと言ってやがる。勝手に自爆しやがって………」
つん、とハーシュの額を小突いた。
(どうやら、自我は飲まれてねえな………)
一番気がかりなのは、それだった。ハイロゥは、ほぼ完全に黒く染まりきっているものの、最後の一線でハーシュは持ちこたえたらしい。
口にこそしないが、正直ほっとした。
が、それも束の間だった。
遠くから、黙って二人の様子を見ていたテムオリンがはじめて口を開いた。
「………ゼク。ハーシュを殺しなさい」
と。
それを聞いた瞬間、ゼクの時間が止まった。
―――今、コイツなんて言った?
「………テメエ、何言ってやがる」
辛うじて、そう問うことが出来た。呆けた、としか形容しがたいゼクの表情をながめつつ、テムオリンは極めて事務的に告げた。
「ハーシュからマナが流れ出していますわ。『聖光』に戻されては厄介ですから、先にハーシュを殺してマナを回収してしまいなさい、と言ったのです」
確かに、ハーシュの身体は『聖光』が放出したマナから出来ている。しかもそのマナは『修羅』で吸収したものであるため、『聖光』の概念情報を消去しきれていない。
放っておけば、そのマナが元の器である『聖光』に戻るというのは確かだろう。
事実、ハーシュの傷口からはすでにマナの流出が始まっており、それが細い線をなして『聖光』に吸い込まれてゆくのが見て取れた。よく見れば、寒そうにハーシュは震えている。
ゼクは地面の一点を見つめたまま、瞬き一つせずに固まっていた。が、その拳が小刻みに震えているのは見間違いだったかどうか。
「何をためらっているのです、ゼク。どのみちハーシュは死ぬのですよ?だったらそのマナを有効活用したほうが本人も浮かばれるというものですわ」
ゼクは、答えない。
その沈黙を、テムオリンはこう解釈した。悪魔がささやく、そんな情感たっぷりに、
「いいですこと?ミニオンとは『下僕』という意味なのです。つまり、主の意のままに行動する存在………。生かすも殺すも主人の自由。何も後ろめたく思うことなどありませんのよ?」
ぴく、とゼクの肩が震えた。ゆらりと立ち上がり、そばに転がっていた『修羅』を拾い上げた。
「テメエの言うとおりだな………」
片頬を吊り上げながら、不敵に言い放った。あえて、ハーシュの顔は見ないようにしている。
「確かに、自我もねえミニオンなら生かしとく価値はねえよな………」
あえて「自我」にアクセントを置いたことに、テムオリンは気づいていない。
これから始まるであろう虐殺に、テムオリンは心躍らせた。仮にも味方であり、決して背いたわけでもないというのにハーシュを葬り去ろうとしている。
しかも、それをもう一人の味方にやらせようという。その神経、もはや人間のものではない。
テムオリンは待ちきれないとばかりに、
「あなたも、ようやく私の言うことを聞くようになりましたわね………。さあ、早くやりな………」
が、言い切る前にゼクが割って入った。
「ご満悦のところあいにくだが、ここにミニオンはいねえよ………」
出鼻をくじかれ、テムオリンは機を飲まれてしまった。不思議そうに目を細めると、
「何を馬鹿な………。あなたの目は節穴ですの?それなら、あなたの目の前に転がっているのは何だというのです?」
「あぁ、こいつか。こいつはハーシュとかいう、どこにでもいるバカ娘だ」
ますますわからない。いい加減、テムオリンもいらだってきた。
「だからそれがミニオンでなくて何だと………!」
刹那、ゼクは吼えた。
「コイツは他の誰でもねえ、『ハーシュ』だっ!!テメエの言う『ミニオン』でもなけりゃあ『下僕』なんかでもねえッ!!」
その表情、阿修羅と呼ぶにふさわしい。テムオリンでさえ、全身が怖気だった。
「確かにテメエはムカつくヤツだが、それでももう少しマシだと思ってたんだけどな………。どうも見込み違いだったらしい。本気で頭に血ぃ上ったのは久しぶりだ」
「な、何を………!?」
「ムカつくヤツは斬る、それが俺のやり方だ。さっきハーシュに言ったのを聞いてなかったとは言わせねえ………」
つぶやくと、思いっきり前かがみの姿勢をとった。『修羅』は腰の辺りに控えている。ちょうど、居合いのような格好だった。
テムオリンは、固まったように動くことが出来なかった。
(馬鹿な………私が怯えているというのですか………?)
テムオリンには、ゼクの背後に立ち上る赤黒いオーラフォトンが地獄の炎に見えた。荒れ狂う竜のごとく、炎が吼えた。
それが、テムオリンの見た最後の光景だった。
ばさっ、と血煙が舞い上がった。血しぶき、というのがはばかられるほど、粉状に砕け散った。
『修羅』を肩に担ぐゼクの背後に、白いマナの霧が立ち上っていた。
(ゼク、よくも………ッ!)
白い粒子に変わりつつ、テムオリンはゼクに呪詛の言葉をぶつけた。ゼクは軽く鼻で笑い飛ばすと、
「へっ………どうせ斬ったところでテメエは消滅しねえんだろ。だったら、一度消えたら二度と戻れねえヤツのためにいっぺん殺されてみるのも悪くねえと思わねえか?」
(くっ………この私を、ロウ・エターナルを敵に回したこと、後悔しますわよ………!)
「ほざいてろ。もともと俺はロウでもカオスでもねえんだ。今さらテメエらが敵になったところで、何の問題もねえよ」
(その言葉、覚えておきなさい………!)
ひときわ強い光を発すると、白い霧は完全に消え去った。まるで、はじめから何も存在しなかったように。
「………ま、報酬は惜しかったがな」
そう言って、振り返った。当然、そこにはハーシュが横たわっている。当たり前の光景を頭に思い描きながら、ゼクは視線を送った。
が、その姿を見た途端、心臓が大きく跳ねた。
―――こいつ、笑ってやがる―――
もちろん、ただ微笑んでいるだけならばハーシュにしては珍しくない。が、それにしても状況が状況だった。
ゼクにそう思わせるほど、ハーシュの状態は凄惨を通り越してむごくさえあった。
もともと色白の顔をさらに蒼白に染め上げ、額には脂汗の玉を浮かべているい。冷え切った身体を温めるように自分の身体を掻い抱いているが、その程度で収まるはずも無く、ガクガクと体を震わせているのが遠目にも分かった。
当然、マナの流出も止まってはいない。ミニオンであるハーシュにしてみれば、マナは血液と変わらない。それがとどまることも知らず、ただ流れに流れているといえば、どんな具合なのかは想像するにたやすい。
いつ死んでもおかしくない状況なのだ。むしろ、こんなときに笑っていられる神経の方がどうかしている。
―――ゼクは、そう思った。
「テメエ、何で笑ってやがる?」
はたから聞けば、こんな間抜けな問いもあるまい。それでも、ゼクは聞かずにいられなかった。
地面にうずくまっていたハーシュだが、首を少し上げてゼクを見上げると、えくぼを深めながら消え入りそうな声で答えた。
「約束………だもんね」
「………あぁ?」
「『死ぬときは、笑って死ね』………でしょ?」
そう言って、ゼクに同意を求めるようにハーシュは首を傾げてみせた。
「………っ」
ゼクは黙り込んでしまった。かけてやる言葉が見つからないのだ。そのまま、ぷい、と視線をそらせてしまった。
「………今は、笑わなくていい」
しばしの沈黙の後、辛うじて出てきたのはその一言だった。同時に、ばさっと音を立てながら、あるモノをハーシュに投げつけた。
一着の革ジャンだった。
ゼクが普段から愛用している品である。
ハーシュは、不思議そうにそれを見つめていた。その様子を見て、相変わらずのぶっきらぼうな調子でゼクは言った。
「………寒いんだろ。だったらそれ着てろ」
ハーシュは、嬉しそうに微笑んだ。が、すぐに首を横に振ると、
「………ううん、いいよ。どうせそんなに持たないから………」
ゼクに革ジャンを差し出した。今度はゼクが呆れる番だった。
「おい、まだ意味わかんねえのか?さっき「今は笑わなくていい」って言っただろ?」
「へ?」
「お前はここじゃ死なねえからな。………だったら笑う必要もねえだろ」
いつの間にか、呼び方が「テメエ」から「お前」に変わっていることにゼクは気づいていなかった。
「ははっ、無茶だよ………。神様でも人の生き死には変えられないんだから………」
「じゃあ、俺が変えてやるよ。そもそも神なんて信じちゃいねえがな」
平然と言い放った。
ハーシュも唖然とするほかない。こんなことをヌケヌケと、それも真顔でいえる人間が他にいるだろうか。
だが、ゼクなら本当にやりかねない、そんな風にも思えたから不思議だった。ハーシュは、自然と笑いがこみ上げてくるのを抑え切れなかった。
「だからテメエはいい子で寝んねしてな。………すぐに片付けてきてやる」
「そだね。じゃあ、の〜たりんを信じてみよっかな………」
「あぁ。泥舟に乗った気でいろ」
「………それじゃあ沈んじゃうけどね」
「うるせぇ、意味が伝わりゃなんでも構わん」
「ほんと、の〜たりんなんだから………。じゃあ、おやすみなさい………」
すぐにハーシュは穏やかに寝息を立て始めた。やはり、疲れきっていたのだろう。相変わらず、傷口からマナの流出は止まっていない。
それでも、ハーシュの寝顔は穏やかだった。すべてを任せきったように、安心感に満ちている。
その華奢な身体を、ゼクの革ジャンが柔らかく包み込んでいた。
ゼクは、黙ってハーシュに背を向けた。
「もっとも、お前と生きて会うのはこれっきりかもしれねえが………」
覚悟を決めるように一つ深呼吸をすると、『修羅』を地面に突き立てた。
(へっ………俺もヤキが回ったな。坊やのガキっぽさが伝染っちまったらしい)
だが、それほど不快感はない。むしろ、こみ上げる何かがゼクをより一層掻き立てていた。
少し、ライアスが言っていたことの意味が分かった気がした。
だからこそ、ここで引く気は起きなかった。
(おい、『修羅』………久々のご馳走だ。この世界のマナ、たっぷりと吸え)
(………お、珍しいなあ、相棒が自分から俺にマナを吸わせるなんて。んじゃ、遠慮なくいただくぜ?)
いつも通りの砕けた口調で答えると、むさぼるような勢いで『修羅』はマナをすすり始めた。大地を無理やりマナに還元し、それをゼクに送り込んでいる。
黒光りする刃に、赤い血管のような模様が浮かんだ。どくん、どくんと胎動するたび、マナがゼクの身体を駆け巡った。
筋肉が盛り上がり、あれほどひどかった出血が見る見るうちにおさまっていく。
(………ふぅ。ごちそうさん、っと。………まあ、こんなもんだろ)
久々に飢えを満たせたためか、『修羅』は満足げだった。この間ライアスと剣を交えたときの倍は吸っている。
が、そんな『修羅』をゼクは怒鳴りつけた。
(コラ、なにしてやがる。さっさと吸え)
(おいおい………これ以上吸ったら相棒の身体が持たねえだろ。まさか反動のこと、忘れちまったのか?)
(うっせえ。この程度じゃ『聖光』を砕くのに時間がかかっちまうだろうが。それじゃあハーシュが持たん)
(………?なんで『聖光』なんだ、相棒?)
(あぁ?ハーシュが『聖光』のマナで出来てるんなら、その大元をぶっ潰せば何とかなるだろうが)
(うっわ、相変わらず当てずっぽうだなぁ………そんなにあのミニオンが大切かよ?)
(………おい、『修羅』。礼ってのはな、同じかそれ以上の価値があるもんを返すことだ。あいつだけ命張って、俺がそうしねえのは気分悪いだろ)
(………へいへい、わかりましたよ。そこまで言うなら限界までマナ啜ってやらぁ!!)
(構わん、やれッ!!)
先ほどとはうって変わって、すさまじい勢いで『修羅』はマナを啜った。
ゼクが、初めて自分以外の者のために剣を取った瞬間だった。
その様子を、ライアスは瞬き一つせずに見守っていた。
(ゼク、あなたも変わりましたね………)
その表情は、信じられないほど穏やかだった。
何を考えたのか、『求め』を腰に戻してしまった。この行動には、『求め』も呆気にとられてしまった。
が、ライアスは気に留める様子もない。柄に手をかけると、鞘からもう一本の剣をスラリと抜き放った。
刀身が、青く光を映している。
ライアスが何を考えているのか、さすがの『求め』も解しかねた。それをライアスも察したのか、
(ゼクは、生まれてはじめて一番大切なものを賭けています。………ならば、私もそれに値するものを賭けなくてはなりません)
(馬鹿なことを言うな。見ればわかるであろう………あの男に集まっているマナ、尋常一様なものではない。ここは退け)
(大丈夫です。『聖光』にも力が戻ってきているようですから………。まあ、まだ意識はないみたいですけどね)
(死にたいのか?第一、それでは汝の求めに反するではないか)
あくまでも、『求め』は反論した。現状では、ライアスが殺されるということと、自分が砕かれるということはほぼ同意義だった。
『求め』の気持ちは、ライアスにも分かっていた。だから、わざと突き放すような、冷たい口調で『求め』に告げた。
(『求め』………やはり、あなたとは縁がなかったようですね)
(何だと?)
(そうでしょう?その証拠に、あなたは一度も私のことを「契約者」と呼ぼうとしない。………やはり、あなたは自分の主はユウト君以外にいないと思っているのでしょう)
その一言に、『求め』は押し黙ってしまった。
(構いません。………それに、私にしてもあなたの力など、もう必要ありませんから。第四位の神剣の力など、蚊ほどの役にも立ちはしません。ユウト君のもとに戻っていなさい)
(貴様………!!)
ライアスの侮辱としか取れない言いざまに、『求め』は業を煮やした。が、それさえもライアスは涼しい顔で受け流した。
二人の会話は、『悠久』を通じてユーフォリアにも伝わっていた。
「ユーフィ、『求め』をユウト君に届けてくれませんか?」
「………うん」
短く答えると、『求め』を受け取った。ちらり、と上目遣いでライアスの表情を見た。
ライアスは小さくうなずきながら、目で答えた。それで、ユーフォリアにはライアスの意が読み取れた。
そのまま何も言わずに振り返ると、ユウトとアセリアのもとに駆け出した。
「………お願いします」
その背に向かって、ライアスは小さく声をかけた。
先程の暴言は、決してライアスの本心ではない。
せっかく欠片からもとの姿に戻れたのだ。ライアスも、これ以上『求め』を危険にさらしたくはなかった。『世界』に吸収されたこともあって、『求め』ほど消滅の恐怖を感じている神剣もないだろう。
それに、十分『求め』は力を貸してくれた。あとは自分と『聖光』の戦いである。
何よりも、『求め』には悠人のもとにいて欲しかった。最高のパートナーがすぐそこにいるというのに、何も自分がそこに割って入る必要はあるまい。
不器用ではあるが、ライアスなりの心配りだった。悪いとは思いつつも、プライドの高い『求め』を説得する方法は、これ以外に見つからなかった。
何にせよ、とりあえず目的は達した。
残るは、自分の「求め」を叶えることだけだ。
「さあ、決着をつけましょう………」
『聖光』から漏れる青い光が、やさしくライアスを包み込んでいた。