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Bloodstained Hand 
第十五章 力か心か

 シュウウウウウゥゥゥゥゥ………………

 肌をつんざくような冷気、視界を染め抜く青いオーラフォトン。

 アセリアのバニッシュスキルを受け、ハーシュの神剣魔法は実体化することなく、白煙を上げながら消えていった。

「………チッ」

 その光景を見たテムオリンは、いかにも残念とばかりに舌打ちする。

「折角の悲劇が台無しですわね………」

「ユート、大丈夫!?」

 心配げに悠人に駆け寄るアセリア。

 それに対して悠人は、痛みをこらえながらも笑顔で答えてみせた。

 ここで苦痛の表情など見せようものなら、人一倍自分のことを心配してくれるアセリアに申し訳なかった。

「ああ、何とかな………。サンキュ、アセリア」

「そうか………良かった」

 胸をなでおろすアセリア。

(悪いな、心配かけちゃって)

 声にこそ出さなかったが、悠人のその気持ちはアセリアにも伝わったことだろう。

 黙って笑顔をかわす、この二人にはそれで十分だった。

 そんな二人に割って入る声があった。

「あの〜………二人の世界に入るのはいいんだけどさ、あたしのこと忘れないんで欲しいんですけど〜〜?」

 邪魔をされたことが不服なのか、のけ者にされているのが不満なのか、ハーシュは、ぷうっ、と頬を膨らせてみせた。

 口を尖らせて、

「それに、一対一じゃなかったの〜?ねえ、テムちゃん?」

「そうですわね………ルール違反には、それなりのペナルティを用意しないとといけませんわね………」

 邪魔をされたことが相当気に食わなかったのか、テムオリンの顔からは、いつもの、どこか相手を見下したような笑みが消えていた。

 キッ、とアセリアを睨みつけながらも、何かしらの形で報いてやろうと思案をめぐらせていた。

 そして、苛立ち紛れにポツリとつぶやく。

「………ミニオンでも送り込んで、あなたたちの娘に死んでもらいましょうか」

 それだけ言うと、テムオリンはスッ、と頭上に『秩序』をかざした。

「本当は、あなたたちの屍をユーフォリアと坊やに晒した後、二人をなぶり殺すつもりでしたけど………気が変わりましたわ。ユーフォリアの死をもって、そこのスピリットにはルール違反を償ってもらいましょう」

「ま、待てよ!何でお前がユーフィの居場所を知ってるんだ!?」

 まさかテムオリンの口から、ユーフォリアの居場所についての話が出るとは思ってもみなかった。悠人は、驚きをそのまま口に出していた。

 テムオリンは、わずらわしさを隠そうともせずに答える。

「ロウ・エターナルに保護されたカオス・エターナル………こんな珍しいことは滅多にありませんからね。私にも、すぐにその情報は届きましたわ。もっとも、ユーフォリアの引渡しを要求しに行ったのですけど、あっさりと坊やにはねつけられましたけどね………。まったく、敵との約束に律儀だなんて、信じられない人の良さですわ………。所詮、あの坊やは出来損ないのロウ・エターナルなのでしょう」

 ユーフォリアが<門>に飲み込まれ、ライアスに救われて間もない頃の出来事だった。決然とユーフォリアの引渡しをはねつけるライアスの顔を思い出したのか、テムオリンの表情がより一層険悪になっていく。

 対照的に、悠人とアセリアは安堵のため息を漏らした。少なくともユーフォリアの無事だけは確認できたからだろう。

(そうか、アイツは約束を守ってくれたのか………)

 たった一度戦っただけ。それほど言葉を交わしたわけでもない。

 それでも、ライアスの持つ雰囲気は、悠人を信頼させるに足るものだったようだ。

 ――アイツがユーフィを守ってくれているのなら――

「………なら、大丈夫だ。俺が言うのも妙な話だけど、アイツはミニオン程度にやられるようなやつじゃなかった。俺とアセリアがその証人だ」

 だが、自信ありげに言う悠人を、テムオリンは冷笑で迎えた。

「ククク………。それは、坊やが『聖光』を失ったとしても、ですか?」

「………え?」

「あら、よく聞こえなかったようですわね………。いいですこと?坊やはもう神剣を持っていない。ただの人間と変わりありませんわ。………さて、そんな坊やと半人前のユーフォリアのもとに、ミニオンを送り込んだらどうなるでしょう?」

「なっ………!」

 愕然とする悠人。それ以上言葉はなかった。

 そんな悠人の様子に気を良くしたテムオリンは、嬉しそうに片頬を吊り上げ、

「ふふ、いい目ですわ………。ですが、もう手遅れ。普段のミニオンの作り方に比べれば多少ロスはありますが、『秩序』のマナを直接小娘のところに送り込んで、そこでミニオンを実体化させてみましょう。ふふふ………あなたがそんな素敵な顔をしてくれるのなら、もっと早くこうすべきでしたね………」

 渦を描きながら、『秩序』にマナが収束していく。そして、十分にマナを吸収した『秩序』は、ぼうっ、と鈍い光を放ち始めた。

「よせっ!!テムオリンッ!!」

 『聖賢』を片手に飛び出す悠人。アセリアもそれに続いた。

 だが、テムオリンの前にはすでに小さな<門>が開かれ、そこに向かって『秩序』から糸状のマナが流れ込み始めていた。

 距離的にも間に合いそうにない。

(ユーフィ………!!)

 アセリアの胸が焦燥感に満たされる。

 もちろん、悠人を救ったことを後悔などしていない。むしろ、あの場で悠人を放っておくという選択肢は、はじめからアセリアの中には存在しなかった。

 それでも、これは自分が招いた結果だと思うにつけ、締め付けられるような息苦しさを感じないわけにはいかなかった。

「邪魔はさせないよっ!!」

 そんな悠人とアセリアめがけて、『空虚』と化した『種子』から稲妻が放たれる。ハーシュも憂さ晴らしとばかりに、めったやたらと神剣魔法を撃ちまくり、悠人たちの接近を許さない。

(くそ、くそ、くそおおおおぉぉぉぉぉっ!)

 気ばかり焦って、一歩も前に進むことが出来ない。

 まさに絶望的な状況、そんなときだった。

 グニャリ

「何ですの………!?」

 音もなく、テムオリンの周囲の空間がねじれてゆく。

 そして次の瞬間。

 テムオリンの気配が掻き消えた。

「時深さん………また邪魔をしますか………」

 呆れ顔でつぶやくテムオリン。そのまわりには球状に結界が張り巡らされており、中にいるテムオリンは、まるで蜃気楼のようにゆらめいていて見えた。

「「「え?」」」

 突然の出来事に、悠人、アセリア、ハーシュの三人はそろって疑念の声をあげた。

 ただ一人、ゼクのみが興味なさそうに様子を見ていた。

「………何の関係もないユーフィを巻き込むなど、この私が許しませんよ………」

 驚いて振り向く悠人。その目に飛び込んできたのは、額に汗を浮かべ、苦しそうに『時詠』を握りしめる時深の姿だった。

「時深!?これは一体………」

「………今、『時詠』の力で………テムオリンの周りの時間をねじ曲げました………ッ。これで………テムオリンは外部との干渉が出来ないはず………です」

「そ、そうか!時深、サンキュ!!これでユーフィは………」

 ぱっ、と悠人の表情が明るくなる。

 だが、邪魔をされたはずのテムオリンは、今回はいらだった様子を見せなかった。むしろ、

「フフフ………何も分かっていませんわね、『聖賢者』ユウト」

 悠人を見下すように言う。

「何だと?」

「『時詠』による時空の歪曲。これは、術者に相当の負担がかかる技ですわ………。特に私ほどの者を封じ込めようとするのですから、術者が感じる苦痛は並ではありません。そうですわね、時深さんの力量をもってしても、10分が限界ではないでしょうか?」

「………っ、テムオリンの言うとおりです、悠人さんっ………!私が力尽きる前に………何とか決着をつけてください………っ!」

 荒い息を吐きながらも、何とか悠人に告げる。

 ようやく悠人にも事態が飲み込めた。

「………分かった。時深、お前がくれたこの10分、絶対無駄にしないからな!アセリア、行くぞおッ!!」

「うん!………トキミも頑張って!」

 アセリアの激励に対して、時深は、ニヤリ、と笑みを浮かべた。

「もし負けたりしたら、承知しませんからね………」

 その言葉を背に受け、悠人とアセリアは一斉にハーシュに飛びかかっていった。

(悠人さん、アセリア………頑張ってください………)

 視線だけを悠人たちの去った方へ向け、時深はそう祈った。

 だが、そんな時深に、テムオリンは勝利宣言とも取れる嘲笑を浴びせかけた。

「ふふふ………その甘さが、あなたたちの最大の弱点ですわね………。まあ、聖賢者たちの苦悶の顔が見られないのは残念ですけど、たかが小娘一人のおかげで、一番厄介なあなたを相手にする必要がなくなったのですからね」

 時深に見せ付けるように、宙に浮かぶ『秩序』に寄りかかり、くつろいだ姿勢をとるテムオリン。

「………」

 時深はそれを黙殺した。

 というより、口を開くのさえ苦痛だったと言った方が正しい。

(お願い、たった一秒でも長く持って………ッ!)




「だあああっ!!」

 悠人の左足は、いまだに血を流し続けていた。だが、今はそんなことに構っていられない。

 鬼気迫る表情で、ハーシュに『聖賢』を振り下ろす。

「当たらないよ!」

 ハーシュは宙返りをしながら悠人を飛び越え、その背後にまわりこんだ。

 渾身の一撃をかわされ、悠人はそのまま体勢を崩してしまう。

 右腕を引いて力をためるハーシュ―――そして、『種子』を突き出そうとした瞬間。

「せいやあああっ!!」

 悠人の背を取ったハーシュだが、アセリアはさらにその後ろからハーシュに切りかかる。

 ハーシュが悠人を貫くよりも一瞬早く、『永遠』を薙ぐ。

「………まずっ!!」

 ハーシュも瞬時に自分に迫る殺気に感づく。足元でオーラフォトンを爆発させると、それを推進力に一気に二人から離れた。

「モードチェ………」

 再び形を変え始める『種子』。

 だが、悠人も二度も三度も同じ手を食うほどお人よしではない。

 目ざとく『種子』が『理念』に変化しようとしているのを見抜くと、

「アセリア、距離を取らせるなッ!!神剣魔法で狙い撃ちにされるぞっ!」

「うん、分かってるッ!!」

 それだけ言うと、アセリアはハイロゥを展開させた。そして、悠人の右手を握り締めると、悠人を連れたまま急激に加速を始めた。

 すさまじい速度で引っ張られ、悠人の全身に強烈なGが襲い掛かる。それでもアセリアの手を強く握り返し、『聖賢』を握る左手に力をこめ直す。

 するうちにも、見る見るうちにハーシュとの間が縮んでいく。

「………バレちゃったか」

 ハーシュも詠唱が間に合わないと悟ると、再び『種子』を『空虚』に戻した。

「ユート、このままぶつかるっ!!」

「構うもんか!一気に行けぇッ!!」

 そして、アセリアは悠人の手を離し―――

「だああっ!!」

 勢いを殺すことなく、悠人は一気にハーシュに詰め寄り、体当たりの要領で『聖賢』を突き出す。

「くっ!」

 ギインッ!!

 逃げられないと判断したのか、ハーシュは力任せに『聖賢』を弾き飛ばす。

 だが、直撃こそ受けなかったものの、悠人の全体重に速度をプラスした負荷をまともに受け、よろめいてしまった。

 そこに、アセリアが上空から突撃を敢行する。

「たあああっ!!」

 的確にハーシュの急所めがけて、『永遠』を突き出す。

「………ッ、モードチェンジ『献身』!!デボテッドブロック!!」

 珍しくあわてたハーシュの声に応じ、大気が収束して高密度の壁に変わっていく。

 ガガガガガガ………

 だが、侵入を拒む壁を、まるでドリルのように『永遠』が削り取っていく。圧縮された空気が少しずつ切り裂かれ、熱と光を放ちながら糸くずのように飛び散っていった。

(くっ、どうせこれ以上は持たないかな………)

 ここに来て、ハーシュは初めて苦い顔を見せた。

 何しろ、目の前でアセリアがタキオスを、それもたったの一撃で消しさる様を目の当たりにしているのだ。

 タキオスに比べ防御力の劣るハーシュにしてみれば、アセリアに直撃を食らうのは冗談抜きで死を意味する。

 これで平然としていられる方が、神経がおかしいというものだろう。

 ハーシュの首筋を、一筋の汗が伝う。

 だが、それを合図に、何かを覚悟したようにハーシュの目つきが変わった。

「それならっ!!」

 その声とともに、バリアが消えた。

 そのまま『永遠』がハーシュを貫く、そう思える。

 だが、ただ剣尖の一点にのみ力を集中していたアセリアにしてみれば、突然、肩透かしを食ったのと変わらなかった。支点を失って、『永遠』の刃先はあらぬ方向に曲がってしまう。

 そして、それこそがハーシュのねらい目だった。

 ハーシュはとっさに屈んだかと思うと、猛烈な足払いをアセリアに仕掛けた。

 足を引っ掛けられ、うつぶせに倒れこんだアセリアに『種子』を突き立てようとする。

 が、今度は悠人が割り込んできた。ハーシュの横っ腹めがけて『聖賢』を薙ぐ。

 ハーシュもここで無理をするのは得策でないと判断し、アセリアに止めを刺すことなく、バックステップで二人から離れた。

「ふー、危なかったぁ………。正直言って、バリア解いた瞬間は死ぬかと思ったよ………」

 げっそりした顔で本音を漏らすハーシュ。

 すでに悠人とアセリアには、二連戦による疲労が蓄積している。次第にそれが、身のこなしや剣さばきの鈍り、という形で現れ始めていた。

 だが、そんな逆境にあるにもかかわらず、この二人にはどこか自信のようなものがうかがえた。

 無論、本人たちに自覚はなかっただろうが。しかし、ハーシュは敏感に、流れが悠人たちに向き始めたのを感じていた。

 悠人にしろアセリアにしろ、一対一での戦いなら消耗している分、ハーシュに分がある。

 だが、二人同時に相手にするというのは、よほどの武芸の熟練者でなければできることではない。

 確かに、先の悠人との戦いや、たった今繰り広げられた攻防を見る限りでは、決してハーシュが劣っているようには見えないだろう。

 それでも、殺し合いという神経の極限状態において、二方向に注意を分散させるほど辛いことはないのだ。表面にこそ出ていないが、たったこれだけの攻防でさえ、ハーシュの神経は相当の疲労を溜め込んでしまっている。

 それにハーシュの見るところ、この二人は組んで戦う場合、普段の数倍も力を引き出せるようだった。

 事実、その推測は間違っていなかった。さらに今回はユーフォリアの命がかかっている。守るべきものがある場合、この二人がハンパでない底力を発揮するのは周知の通りだ。

 正直言って、このまま戦えばジリ貧になるのは分かりきっていた。

 テムオリンは、そんなハーシュの考えを見透かしたように言う。

「ふふふ………ハーシュ。そろそろ本気を出したらどうですか?」

「え………」

 だが、その言葉を聞いた途端、ハーシュの顔が強張った。何かを恐れるように、一歩後ずさる。

「どうしたのですか、ハーシュ?早くアレを解きなさい」

「………」

 その目に浮かぶのは、恐怖の色。

 遠目にも、ハーシュの華奢な体が震えているのが分かった。

 それに気づいていながら、一切の感情を省いて告げるテムオリン。

「まだ、死にたくはないのでしょう?それならば………」

(仕方ないのかな………?でも、どうせ死ぬくらいなら………)

 ハーシュは、覚悟ともあきらめともつかない寂しげな笑みを浮かべると、ポツリ、とつぶやいた。

「リミッター解除………」

 そして、ハーシュの純白のハイロゥが―――

 黒く染まり始めた。




「………おい、テムオリン。アレはどういうこった?」

 ゼクは、いぶかしげに目を細めながら、自分の前に広がる光景の説明を求めた。

 ちなみに、ゼクの眼中に時深の姿はない。第一、究極の無精者であるこの男が、放っておいても力尽きるだけの相手にわざわざトドメをさすような面倒をするはずもなかった。

 テムオリンも、時深の苦しむ姿を見たいものだから、あえてゼクに動くようには命じなかった。

 時深にしてみれば、幸運以外の何物でもなかったが。

 さて、テムオリンは、結界の中に封じられたままながらも、余裕の表情でゼクの問いに答える。

「見ての通りですわ。ハーシュは自分の心を代償に、更なる力を求めた………それだけのことですわ」

「………ああん?」

 相変わらず物分りの悪いゼクに、盛大にため息を漏らして見せるテムオリン。だが、それでも律儀に説明してやるあたりは、不思議と言えば不思議ではある。

「いいですこと?もともと『種子』は様々な神剣の能力をコピーし、それを再現することが出来ますわ。やろうと思えば『運命』さえも」

「………ヤベえだろ、それ」

「………まあ、『運命』をコピーしたりすれば、『種子』そのものが耐えられずに崩壊するでしょうが。それでも第二位までなら何とかなるでしょう」

「待てよ、それなら何でアイツは、さっさと上位神剣に変化させなかったんだ?そうすりゃ、あのスピリットが邪魔する前に、『聖賢』持ったガキをぶっ殺せたはずだろ」

 至極もっともな疑問。だが、テムオリンはそれにもあっさりと答えた。

「いくら無限に再現できるとはいえ、『種子』にも制約はありますわ。つまり、『種子』の所有者の器を超える神剣は再現できないということです。ハーシュの場合、第四位まで。それ以上の神剣を再現しようとすれば、自我が徐々に失われていきますの。だからリミッターをかけて、『種子』の力を制御していたのですわ」

「………つまり、アイツは第三位以上の神剣を使わないと勝てねえ、って判断したのか?」

「ま、そういうことですわね」

「………」

 沈黙するゼクをよそに、テムオリンは淡々と言葉を続ける。

「ハイロゥが黒く染まりきった時、完全にハーシュという名のミニオンは消え去るでしょう。残るのはただの抜け殻。………まあ、たかがミニオン一匹の自我など、虫一匹程度の価値しかありませし、その方がこちらも使い勝手がいいというものですわ」

 だが、その言葉を聞いた途端、珍しくゼクの表情が歪んだ。

(………バカが、心を食い荒らされてまで何がしてえんだよ。命あっての物種とは言うが、自分の意思がなくなったら、生きてたって何も楽しくねえだろ………)

 人生楽しければそれでいい、という一見おちゃらけた主義のゼクだが、それだけに自由に対するこだわりは強い。カオスにもロウにも属していない理由の一つには、とにかく自分は何者にも縛られたくない、という彼の思いがあげられる。

 もっと言えば、この男は自分に決定権のない生き方に何の価値も見出していない。むしろ、そんな人生を送るくらいなら死んだほうがマシ、それくらいに考えている。

 そんなゼクにすれば、ハーシュのやり方はヘドが出るほど気に入らなかった。

 こみ上げる不快感をそのまま形にするように、ペッ、と唾を地面にはき捨てる。

 テムオリンは、なにやら意味深な表情でゼクを見つめていたが、

「あら、柄にもなくハーシュの心配ですか?」

「………そんなんじゃねえよ」

「ククク………気になるなら加勢に行ってやればどうですの?」

「………バカ言ってんじゃねえ。この俺が、わざわざ一文の得にもならねえことをすると思ってんのか?俺が心配してんのは、アイツを構成してる『聖光』のマナだけだ。あいつが死んでくれりゃ、それが解放される。そしたら今度こそ『修羅』なんぞに吸わせずに、俺のものにしてやる。もともとそのマナは俺のボーナスだったんだからな。………それだけだ」

 だが、その言葉には、いつもの突っけんどんな雰囲気はなかった。




「くっ………長くは持たないからね………一気に終わらせるよっ………!」

(な、何だ?ハーシュのオーラフォトンが膨れ上がった………)

(ユウトよ、今のヤツはさっきまでとは別人と考えよ。甘く見れば………ただでは済まんぞ)

 『聖賢』の警告に黙ってうなずく悠人。

 そして、もう一度ハーシュを見る。

(え………?)

 ここにきて、初めてハーシュの異変に気づいた。それは………

 ――ハイロゥが黒くなってる?――

 見間違いかと思って、目を凝らす。

 確かに、今ならば白い翼といえなくもない。だが、先程までの一点のけがれもない純白そのものだったハイロゥに比べれば、別物というほかなかった。端の方から、黒く色が変わり始めていた。

 ゆっくり、ゆっくりと。

 黒いハイロゥ――悠人が何度も見続けた、限りなく忌まわしいものである。そして、それが何を意味するのかも身をもって味わっている。

(まさか………自我を食われかけてる?)

 自我を『存在』に飲まれ、殺戮兵器と化したかつてのアセリアの姿がハーシュに重なって見えた。

(テムオリンめ………何てことをさせやがる………ッ!)

 たとえ敵であろうと、悠人はハーシュを憎んでいるわけではない。立場の違いから剣を交わしているに過ぎないのだ。

 出来れば殺さずに済ませたい、悠人はそう思っている。それはエトランジェの頃から変わっていない。

 だからこそ、こういうマネを平然とさせるテムオリンが許せなかった。

「ユート………」

 アセリアは、相変わらず小さな声で、悠人に呼びかけてきた。

 たったその一言で、悠人はアセリアの言いたいことが分かった。

(アセリアも、黒いハイロゥを怖がってる………)

 悠人は、落ち着かせるようにアセリアに言う。

「大丈夫だ、アセリア。心配いらないさ」

「う、うん………」

 アセリアは不安げにうなずくだけだった。

(はは、やっぱ無理があるか………)

 言っておきながら、自分の言葉に苦笑する悠人。

(俺がビビリそうなのに、それでアセリアに大丈夫なんて言っても説得力ないよなぁ………)

 だが、そこで悠人の思考は中断した。

「モードチェンジ『無我』!!はああああっ!!」

 ハイロゥ全開、すさまじい速さで、ハーシュは悠人の懐にもぐりこんだ。防御のことなどいっさい考えていない、捨て身の斬撃を繰り出す。

(くそっ!素早いタキオスなんてアリかよッ!!)

 叩きつけるような『種子』の一撃を、『聖賢』の横面で受け止める。

 ドゴオッ!!

 とても剣がぶつかり合っても起こりそうにない、何かが爆ぜるような音が響く。

 ただ『種子』を受け止めただけ、それなのに悠人の身体は勢いよく弾き飛ばされた。

 ズザッ、と地面を削りながら踏みとどまる。

 だが、ようやく姿勢を立て直したばかりの悠人に、ハーシュの次の手に備える猶予はなかった。

「モードチェンジ、『不浄』!」

 ハーシュの声とともに、鞭と化した『種子』が首に巻きつく。そのまま宙に持ち上げられてしまった。

 ギリギリと音が出るほどに締め上げられ、血がにじみ始める。

(っ………息が………!)

 必死でもがいてみるが、ギチギチに巻きついた『種子』がはがれることはなかった。徐々に悠人の顔が赤く染まってゆく。

「ユートを放せえええっ!!」

 この小さな体のどこから、と思えるほどの叫びを上げながら、アセリアが突撃してくる。

 ハーシュの背を割り付けるように、高々と『永遠』をかかげる。

 だが、ハーシュはアセリアに一瞥を与えただけだった。

 そして、『永遠』がハーシュの肉に噛み付こうとした瞬間―――

「………モードチェンジ『深遠』」

 その声と残像だけを残し、ハーシュ本人は掻き消えた。

「ど、どこ………!?」

 アセリアの眼に映るのは、『種子』から解放されて、苦しげに地に横たわる悠人の姿だけだった。

 キョロキョロと辺りを見回すアセリアだが、

「………っ、ゴホッ………、アセリア、右だッ!!」

 のどをつまらせながらも、辛うじて悠人はその一言を叫んだ。

 反射的に、アセリアはハイロゥを広げて空高く飛び上がる。

 見下ろせば、いつの間に離れたのか、悠人から優に100メートルは離れたところにハーシュが立っていた。

 じっ、と感情のこもらない瞳でアセリアを見上げている。

「逃がさないよ………」

 ポツリ、とつぶやくと、ハーシュもまたハイロゥ―――すでに三分の一は黒く染まっていた―――を広げてアセリアの後を追った。

 気づけば、ハーシュの手には一本の日本刀が握られていた。

 『深遠』を手にしたハーシュは、『種子』を『冥加』に変化させた時以上のスピードで、空に浮かぶアセリアに襲い掛かる。

「くっ……やああっ!!」

 アセリアは、一個の弾丸と化して迫るハーシュを正面から迎え撃った。

 ギュイン!ギインッ!

 大空を飛び交いながら切り結ぶ。あたりに甲高い金属音が響き渡った。

 場違いな言い方だが、互いに制空権をめぐって、縦横に駆け巡る様はまさに壮観だった。

 消耗しているとはいえ、空中戦はアセリアの十八番である。生まれたてのハーシュに、そうそう引けをとるつもりは無い。特に空中での姿勢制御というのは、経験がモノをいうため、その点でアセリアに大きなアドバンテージがあった。

 驚いたことに、リミッターを解除したハーシュを相手にしてでさえ、アセリアが押し気味であった。

 驚異的なセンスと言うほかない。

「これで………決めるっ!!たああああああっ!!」

 何度目かの旋回で、アセリアはハーシュの動きを見切った。残された力をこめ、全速力で突撃を敢行する。

 獲物に襲い掛かる鷲そのものといった感じで、アセリアの瞳はハーシュただ一点を見据えている。

 が、当のハーシュは落ち着いている。いささかも動じることなく、こちらも加速を開始した。

「ククク………冥土の土産にいいものをプレゼントしてあげるよ………」

 その声は、いつもの陽気なハーシュのものとは思えないほど暗く、重く………そして、黒かった。

 そして、両者がぶつかる。

「私の命のすべて………。光になって、『永遠』とひとつに!エタニティリムーバァァァァァ!!!」

「………モードチェンジ、『永遠』。死ね………エタニティリムーバァァァァァ!!」

 ギインッ!!

 二本の剣がぶつかり合う。そして、

 ヴィィィィイイイイイン!!

 ジェットエンジンが暴走でもしたかと思うような、耳障りな音が場を支配する。『種子』と『永遠』のまとうオーラフォトンが、互いに干渉しているのだ。

 ぶつかり合った『種子』と『永遠』は、青白い閃光をあたりに撒き散らしつつ、それぞれの主の顔を照らし出していた。

「………本物のくせにその程度?」

 顔色一つ変えず、淡々とアセリアに問いかけるハーシュ。それに対し、

(………重い………!)

 額に大粒の汗を浮かべたまま、アセリアはハーシュを睨み返した。

 だが、『永遠』を握る手は震えており、すでに限界が近いことを物語っていた。

 それに気づくと、ハーシュは興冷めと言った感じで、

「なら………落ちろ」

 ドゴッ!

 思いっきりアセリアの腹を蹴り上げる。

「あぐっ………!」

 激痛に身をよじり、端正な顔を苦痛一色に染めるアセリア。

 さらにハーシュは、うずくまるアセリアの頭に強烈なかかと落としをお見舞いした。

 アセリアは後頭部に刺すような痛みを感じ、目の前に火花が散るのを見た――――

 それを最後に、アセリアの意識は途絶えた。

 受身を取ることさえ出来ずに、頭から地面に激突する。

 それを見ると、ハーシュはダメ押しとばかりに、

「モードチェンジ『再生』………。消えろ、ハイペリオンスターズ!!」

 上空から神剣魔法を叩きつける。

「くっ、間に合ええっ!!」

 地上から二人の戦いを見守っていた悠人だが、アセリアが身動きが取れないと悟ると、自らハーシュの神剣魔法の前に飛び込んだ。

 そして、持てる最大の力で防御壁を張る。

「レジストッ!!」

 悠人を中心に、金色の障壁がアセリアを包んでいく。

 だが――――

 バゴオッ!ドゴオッ!!ズガアッ!!

「ククク………無駄だ。その程度で防げはしないよ………」

 次々に飛来する、特大の隕石群。

 球形の障壁が目に見えて歪んでいく。

 そして、想像以上の負荷が『聖賢』を通じて腕に伝わってきた。

「無駄なあがきはよせ………。苦しみが長く続くだけだぞ………?」

 そう言うハーシュの顔からは、すでに感情らしきものは消え失せていた。

 それでも悠人は一歩も退こうとはしなかった。

(負けない………絶対にアセリアはやらせないッ!『聖賢』、後のことは考えなくていい………今出せるすべての力を貸してくれッ!!)

(いい覚悟だ………それでこそ、わが主というものだ。残された力………………受け取るがいい!!)

 カッ、と目を見開く。

 同時に、『聖賢』から放たれる光が視界を白一色に染め上げ、一気に隕石を押し戻していく。

 そして、

「うおおおおおおっ!!」

 バシュウッ!!

 何かがはじけるような音とともに、ハーシュの神剣魔法は消え去った。

「!!………そ、んな………!」

 ハーシュは目の前で起きた出来事に呆然とした。驚きをそのままに、小さな口をポカンと開いているのが印象的だった。

「へへ………やった、な。『聖賢』………」

(成長したな、ユウトよ)

 不敵に笑いながらつぶやく悠人。

 正直言って、立つのも辛いほどに足がガタついている。

 それでも、『聖賢』から流れ込む心地よい波動が心を満たし、悠人を奮い立たせていた。

 赤ん坊が母親に抱かれたときに感じる安らぎ、それと同種の暖かさが悠人を包んでいる。

「どうだ、ハーシュ………。これが『真の永遠神剣の力』ってヤツだ………」

(………誰かさんの受け売りだけどな)

 心の中で苦笑しつつも、空を見上げる悠人。

 だが、その眼に映ったのは………

「どうして………?」

(………え?)

 ハーシュはうつむいたまま肩を震わせていた。

 殺戮機械の影は、すっかりなりをひそめていた。そこにいたのは、ごく普通の少女でしかない。

 双眸から涙を滴らせ、消え入りそうな声でつぶやいた。

「どうして邪魔するの?何で死んでくれないの………?早く死んでくれなきゃ、あたしがなくなっちゃうよ………。あたしがあたしじゃなくなっちゃうんだよ………それなのに………」

 悲しげにハーシュのハイロゥが震える。もう雑巾のように汚れてしまっていた。

(………!やっぱり、ハーシュは『種子』に飲まれかけてる………!)

「死んでよ!!あなたたちが死んでくれなきゃ、あたしが消えちゃうんだよおッ!!」

 ハーシュの金切り声とともに、再び隕石が降り始める。

 悠人はもう一度バリアを張りなおしながらも、大声で叫んだ。

「よせ!それ以上『種子』から力を引き出したら、本当に………!!」

「うわああああっ!!」

 だが、その声がハーシュに届くことはなかった。

 何かにおびえたように、ただもう滅茶苦茶に『種子』を振り回し、体中から殺意を湧き上がらせていた。

 『種子』は禍々しい紫の光を放ちながら、ハーシュの身体を飲み込もうとしていた。

 ものすごい速さでハイロゥが黒ずんでゆく。

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」

 目を血走らせ、人外の言葉を喚きまくっている。

「くっ………!」

 悠人にはどうすることも出来なかった。

「〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

 狂った獣のように叫びを上げるハーシュは、悪魔のようにも、ただ救いを求める幼子のようにも見えた。

 その姿は、どこか寂しげだった。




(あ………!!)

 ついに、ハーシュが紫の光に完全に包まれた。瞳の光は失われ、ダラリと全身が弛緩していく。

(あたし………………消えちゃう………)

 視界が黒一色に染まる中、ハーシュは心の中で叫びをあげた。

(誰か、助け………て………。こんな………の………ヤダ、よ………)

 それを最後に、ハーシュの意識は完全に闇に沈んで――――




 いかなかった。

 バギイッ!!

 すさまじい打撲音。

 重力に引かれるまま、ハーシュは地面に叩きつけられた。

「へ………!?」

 たった一本だけ残された意識の糸。それが切れる直前、ハーシュは右の頬にしびれるような痛みを感じた。

 地面に仰向けになったまま空を見上げ、呆然とする。何が起きたのか、全く理解できなかった。

 そんなハーシュの疑問に答えるように、見慣れた人影が彼女の視界をふさぐ。

「の………たりん………?」

「このバカが………!!」

 ぐいっ、とハーシュの襟をつかみ、宙吊りに締め上げるゼク。

「テメエ、何考えてやがる!ああ!?」

「な、何って………そんなの決まってるじゃない………」

 本職のヤクザも顔負けの迫力で問い詰めるゼクに、ハーシュは普段からは想像も出来ないか細い声で答えた。

「あの二人を殺さなきゃ………」

「んなこたぁ、言われんでもわかる………!理由を吐けっつってんだよ、理由を!!」

「テムちゃんが………殺れって言うから………」

 その瞬間、ゼクは思いっきりハーシュの顔面をぶん殴った。

 ハーシュの白い頬が、ほんのり赤みを帯びた。

「ッ………痛い、じゃない………」

 目だけでにらみ返すハーシュ。だが、ゼクはお構いなしにもう一発ぶち込むと、いらだたしげに言った。

「テメエは………命令なら何でも聞くお利口ちゃんか?それともテムオリンにどうしようもねえ義理でもあんのか?」

「そんなんじゃ………ないけど………」

「じゃあ何でリミッターとかいうのを解除しやがった?」

 締め上げる腕に、さらに力を込める。ハーシュは、そんなゼクに呆れたようにつぶやいた。

「はは………やっぱバカだね、の〜たりん………。そんなの死にたくないからに決まってるじゃない………。当たり前でしょ………」

「バカはテメエだ、このヌケサクが。抜け殻のまま生きてるのがそんなに楽しいか?」

「………え?」

「テメエは何を楽しみに生きてんだって聞いてんだよ!」

 ハーシュは答えない。

「デカブツは、ただ強いやつと戦うのを楽しんでやがった。テムオリンはカオスの連中をぶっ潰して、一位神剣を復活させようとあがいてやがる。で、ついでに言やあ、そこにいる死に損ないどもだって何かやりたいことがあるから戦ってんだろ?」

 ハーシュは、まじまじとゼクの顔を見つめる。

「ま、誰が何のために生きてようが、そんなのはどうでもいい。俺にゃあ、何の関係もねえからな………。けどな、テメエみてえにただ死ぬのを怖がって、自分から人形に成り下がるヤツは、見てて一番ムカつくんだよ!!テメエは何のために命張ってんだ、ああ!?」

 ハーシュはゼクの問いに戸惑いながらも、少しだけ考え込む。が、すぐに苦笑を浮かべ、

「わかんないや。あはは………」

「テメエ、それ本気で言ってんのか?」

「………悪い?」

「………」

 ゼクは、無言で『修羅』をハーシュの首筋に突きつけた。

 金属特有の、冷やりとした感触がハーシュの全身を強張らせる。

「な、何するのよ………」

「あ?この状況見てわかんねえか?………ムカつくヤツは全員消す。それが俺のやり方だ。今回はテメエが消える番なんだよ」

「………じょ、冗談でしょ?」

「あいにく俺は冗談がわかんねえ人間でな………………おかげで、いっつもテメエやテムオリンに振り回されっぱなしだ。それはテメエが一番知ってると思ってたんだがな」

「や、やめてよ………」

 恐怖に満ちたハーシュの声。

 だが、お構いなしに、ゼクはほんのわずかだけ、『修羅』を握る手に力をこめた。

 ノコギリ状の刃がハーシュの白い肌に食い込む。プツリ、と張りのある肌を裂き、細々と血が流れ出した。

 あと1ミリでも深く貫けば大出血、そんなギリギリのところで刃を止めた。

「………もう一度聞く。テメエは何が楽しくて生きてやがんだ?」

「………………」

 返ってくるのは沈黙だけだった。

 ハーシュの瞳は『修羅』に釘付けになり、顔が青ざめていくのが傍目にも分かった。

 それを見たゼクは、『修羅』を少しだけ遠ざけると、一息置いて言葉を続けた。

「もしテメエが、自我もねえ普通のミニオンだったらこんなことは言わねえ………。だがな、少なくともテメエは、自分の好きに生きられるように生まれてきたんだ」

(え?)

 いつにないゼクの真面目な言葉に、ハーシュは自分でも気づかないうちに反応してしまっていた。

 さらにゼクは言う。

「なのに、自分から意思を捨てようとするのが俺には気に食わねえ………というか、信じられねえんだよ。それでいいのか、テメエは?ただテメエの形をしたテメエじゃねえモノが残るだけでよ。もしそれでいいってんなら、ここで俺が殺す。そんなヤツは生きる価値もねえ………。それが嫌なら少しは考えやがれ………」

 やはりハーシュは答えない。

 だが、今度は本気で答えを探しているようだった。瞳を閉じて、じっと深い思案に沈んでいる。

 その間、ゼクは瞬き一つせずに待っていた。

 ――私のしたいこと?――




 ハーシュはゆっくりと口を開いた。

「………あはは、ゴメン。やっぱ見つかんないや………」

 答えは前と変わらなかった。

 上目遣いで、ハーシュは申し訳なさそうに謝った。

 だが、少なくともその声だけは、以前の陽気なハーシュのものに戻っていた。決してただの殺戮機械などではない、そう思わせるだけの表情があった。

 心持ち、ハイロゥの黒も薄まって見えたのは気のせいだったろうか。

「ゴメンね………。あたしって、生きる価値もないんだね………。の〜たりんに言われるまで考えたこともなかったよ………」

 そして、再び目を閉じた。すがすがしい微笑を浮かべながら、ポツリ、とつぶやく。

「いいよ、殺しても………。ざくっ、と首落としちゃってよ」

「………」

「あ、でも痛いのはやだよ?最期くらい苦しくないようにしてよね………」

 閉じられたまぶた。ふっくらとした頬を涙がぬらしていた。

 訥々とハーシュは続ける。

「クスクス………考えたらね、あたしが一番笑ってた時って、の〜たりんやテムちゃんをからかってた時なんだよね………。ほんと、不思議だよね。今思い出しても笑っちゃうよ………」

「………」

 ゼクは答えない。あからさまに苦い顔をしたまま、ハーシュの顔を見ていた。

 そして、

「………チッ」

 舌打ちをすると、『修羅』をハーシュから離した。

「え?」

「よく考えたら、テメエは生まれてまだロクに経ってねえ赤ん坊じゃねえか………。そんなガキ相手に答えろっつってもムリか……」

 そして、ハーシュの襟元から手を離す。

 ドサッ

 急に手を離されたものだから、ハーシュはしりもちをついてしまった。

「いった〜い………」

 ゼクはそんな彼女を見下ろしながら、

「今回は見逃してやる。だがな、もう一度俺の前であんな真似してみやがれ………そん時は遠慮なくテメエをぶっ殺す。いいな、次に聞くまでに答えられるようにしとけ」

 そんなゼクに、テムオリンは

「ゼク………余計なことを吹き込むのはやめてもらえませんか?ハーシュには私に従う義務があるのですよ?」

 心底迷惑そうに言い放つ。

 だが、ゼクは顔色一つ変えずに答えた。

「心配すんな………報酬分くらいはきっちり働いてやる」

 そして、ハーシュに背を向けながら、

「さっさとリミッターとかいうのを起動させろ」

「え?で、でも………」

 どこか煮え切らない様子で、じっと『種子』を見つめるハーシュ。自分が置かれた状況に戸惑いを隠せなかった。

 それを見たゼクは、ぼそりとつぶやく。

「………一人で勝てねえなら、二人でかかればいいだけの話だ。クソ面倒臭ぇが、今回だけは手ェ貸してやる。テメエは放っておいたらそのまま突っ走る、そんなヤツだからな………」

 目を丸くしてゼクを見つめるハーシュ。普段の彼からは信じられないような言葉に唖然としてしまっている。

 ゼクも、自分が言ってしまったことに、どこかむずがゆい思いをしたらしく、ごまかすように大きな声で言う。

「………聞こえねえのか?さっさとしやがれ、このタコ!」

「う、うん………」

 『種子』の放つ、まがまがしい光が次第に弱まっていく。それとともに、ハーシュのまとうオーラフォトンの量も格段に減ってしまった。

 ハーシュは『種子』を杖に立ち上がり、服についたほこりを払い落とした。

「ったく、世話の焼けるヤツだ………。おい、さっさと片付けるぞ。大体、あんなガキに手こずってんじゃねえよ………」

 ぶっきらぼうに言い放つゼク。その背を見ていると、ハーシュはどうしても聞きたくなった。

 だから、そのまま言葉に変える。

「………あのさ、の〜たりん。の〜たりんは何が楽しくて生きてるの?」

「………ああん?」

 面倒臭そうに、首だけをハーシュに向けるゼク。そして、

「俺は酒飲んで、適当にいい女でも抱いて、たまに憂さ晴らしに世界の一つでもフッ飛ばしてりゃそれで十分だ」

 さも当然と言い放つゼクに、ハーシュは吹き出してしまった。それを見ると、ゼクはばつが悪そうに、

「………悪いかよ」

「ううん。でも、の〜たりんらしいなあって」

「………うっせえ。要は人生楽しけりゃそれでいいんだよ。覚えとけ」

「でも、の〜たりんの言う教訓だからな〜。あんまりアテにはならないと思うよ〜♪」

「………やっぱ、今のうちに殺しとくか」

「冗談だってば。真面目っぽいこと言っても、やっぱりいつものの〜たりんだね♪」

(くそ………)

 思いっきり面白くないという表情をすると、そのままハーシュから顔を背けてしまった。

 そんなゼクに、すこし小声でハーシュは語りかけた。

「でもね、の〜たりん」

「………んだよ」

 ゼクはうっとおしそうに手を振って見せる。

 だが、ハーシュは満面の笑みを浮かべてこう言った。

「………ありがとね。あのときの〜たりんが殴ってくれなかったら、あたしはもういなくなってたよ………」

 しばしの沈黙。

 そして、ハーシュに背を向けると、ゼクは少し恥ずかしげに言った。

「………ああ」

 それをおちょくるように『修羅』が語りかける。

(おい、相棒。柄にもなく照れてんのか?へっへっへ………こいつぁ珍しいもんが見れたぜぇ。眼福眼福っと)

「………」

 ゼクは額に青筋を浮かべ、無言のまま思いっきり『修羅』の横面を蹴り飛ばした。

(な、何すんだよぉ………。俺はただ………)

(テメエ、まだ何かほざく気か………?そんなにもう一発ブチ込んで欲しいか、ああ!?)

(………すみませ〜ん)

 何とも情けない声を上げながら、『修羅』はおとなしくなった。

「ったく………おい、ハーシュ」

「な〜に?」

「一つだけいい忘れたことがある」

 あくまで背を向けたまま言う。

「テメエが何のために生きてくのか、んなこたぁ俺は知らん。別に知りたくもねぇ。だがな、それが何であったとしても………」

 そこで言葉を切る。

 その間も、ハーシュは身じろぎもせずにゼクを見つめていた。

 そして、言った。

「死ぬときは………………笑って死ね」

 ハーシュは黙ったまま、今までで最高の笑顔でこたえた。

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