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Bloodstained Hand

第十三章 見えなかったこと、そして……

<焼け跡>

 サワサワ…………

 頬に感じる風が心地いい。

「……」

 ひとりたたずむ少女。

 見上げれば、そこに広がるのは満天の星空。やわらかな月明かりが彼女を優しく包み込んでいる。

 だが、風に混じる何かが焦げた匂いは覆うべくも無かった。

 見渡せば、そこは一面の焦土。もともとは森か何かだったのだろう。青々と葉を茂らせていたであろう大樹も、今では醜い炭素の塊へと姿を変えていた。

そして………それらの合間から、かすかに立ち上り続ける金色のマナ。

 ひとつ、またひとつと命が消え行く証だった。

 血でけがれた大地を清めるように、幾筋もの光が天に向かってゆく。

――あの光は、どこまで昇っていくのだろう?――

 そんな醜と美が共存する光景の中、少女はありふれた疑問を夜空に向かって投げかけた。

 その瞳にあるのは不安、恐怖………自分を待ち受ける強大な存在――それこそが、この現世離れした景色を生み出した元凶――に対してのものである。

 だが、その中でもひときわ輝きを放つのは決意の色。

(ユーフィ………覚悟はいいね?)

 引き返すなら、これが本当に最後のチャンス。そのニュアンスをこめて、普段より厳かな口調で『悠久』は語った。

 いざ、という時になって決意を覆す者は多い。これは事態の切迫が、たとえそれがわずかであれ、自分が抱える不安要素を過大に思い込ませるからである。

 だが、幼いながらもそれに打ち勝つだけの精神力が彼女には備わっていた。

(………わかってる。けど、お兄ちゃんのためにも………アイツに殺された動物さんたちのためにも……行かなくちゃ!)

 テムオリンが小鳥の翼をもぎ取り、生き血をすする光景がフィードバックする。炎に照らし出された彼女の笑みは、今もって忘れることが出来ない。

 ユーフォリアが生まれて初めて【敵】を認識した瞬間だった。

 自分が大切に思うものに仇なす存在…………放っておくことは出来ない。

 力が及ばないから指をくわえて待つだけ、そんなことはしたくかった。自分の力が及ぶ限り…、それがたとえわずかであろうと、何かしたかった。

「『悠久』のユーフォリアの名のもとに命ずる!わが神剣『悠久』よ………<門>を、開け!!」

 カッ!!

 大気中のマナが発光し、凝縮しはじめる。それは見る見るうちに形を成し、一本の太い柱になった。

「これが、<門>………」

 ユーフォリアが自分で<門>を開いたのは、これが初めてだった。<門>自体は見慣れているものの、自分一人で開くのに成功したことは無かった。

 ぶっつけ本番だったにもかかわらず成功したのは、それだけ今のユーフォリアの意識が研ぎ澄まされているからだろう。

 真剣な眼差しで<門>を見つめる彼女の姿は子供ながらに凛々しく、一種近づきがたい雰囲気をかもし出している。

(じゃあね、お兄ちゃん……)

 振り向いて、姿の無いライアスに別れを告げる。無論、彼には今回のことは一言も話していない。

 彼の性格からして、話しても止められるだけなのは分かりきっていた。

 ライアスが寝静まるのを待って、こっそり小屋を抜け出してきた。

「よおし……行くよ!!」

 気合は十分。大きく深呼吸して、一歩足を踏み出した瞬間だった。

「こんな時間にどこへ行くつもりですか…………ユーフィ?」

「え!?」

 焼け跡にただ一本そびえる大樹――当然黒焦げではあるが――の影から現れたのは、ここにいるはずのない人物。

 その手には、赤サビにまみれた『聖光』が握られていた。

「な、何でお兄ちゃんがここに……?」

 が、ライアスはそれには答えない。いつに無く厳しい表情、それに合わせた辛辣な声で、逆に彼女を問い詰める。

「答えなさい、ユーフィ!」

「えっと、その……月がキレイだなあって」

 あはは、と乾いた笑い声をあげてみる。これでも彼女の中では、うまくごまかせたつもりである。

 ……悲しいかな。言うまでもないが、バレバレである。

 嘘が下手なのは悠人に似たのだろう。

「そんな見え透いたウソを………ならばコレは何のつもりですかッ!」

 と、ライアスは剣先で<門>を指し示す。こうなってはユーフォリアになす術は無い。

「いや、だからこれはあのそのえっと……(以下略)」

「……テムオリンのところ、ですか」

 ビクゥッ!!

 たった一言で、口を封じられてしまう。

「どうやら図星のようですね……」

 はぁ、と呆れ顔でため息をつくライアス。

 いつものパターンならばここで、しゅん、としおれてしまうユーフォリアだが、さすがに今回に限っては引き下がるわけにいかなかった。

「お願い、行かせてお兄ちゃん!!」

 顔に必死の色を浮かべて頼み込む。

 とはいえ、ここですんなり了解するようでは彼らしくない。

「絶対にダメです。死にに行くつもりですか?」

「違うもんっ!!絶対生きて『聖光』さんを連れて帰って来るっ!!」

 だが、その言葉を聞いたライアスの顔から、さっ、と血の気が引いた。

「………それならば、なおさらここは通せませんね。どうしても行くと言うならば………私を殺せる程度の覚悟は見せてもらいましょうか」

 そう言い放ち、いつも通りの型に『聖光』を構える。力を失ったとはいえ、相変わらず見事な姿だ。

 しかも、その目は真剣そのもので、冗談でこんなことをしているわけではないとすぐに分った。

「ちょ……なにワケわかんないこと言ってるの!?やめてっ!!」

 夢想だにしなかったライアスとの対峙。ユーフォリアは慌てふためくばかりで、戦闘態勢もへったくれもあったものではない。

 が、ライアスはそんな彼女にお構いなしに襲い掛かった。

「……そういうわけにはいかないのですよ。はあっ!!」

 バンッ、と地を蹴る。だが、『聖光』の加護の無い今の彼は、能力的には普通の人間と変わらない。

 ユーフォリアから見れば、悲しいくらい遅い動きだった。

「そこかっ!?」

 シャッ

 当然、彼の繰り出す斬撃(もちろんユーフォリアを傷つけないように、『聖光』は鞘に収めた状態)はかすりもしない。空を裂く音だけがむなしく響く。

 その空虚な音こそが、今のライアスそのものであるとは知る由もない。

「何で止めるの!?私、お兄ちゃんのために行くんだよ!?」

「だからこそ行かせるわけにはいかないんですっ!」

 シャッ

 またも攻撃をかわされるライアス。だが、この間にも二人の体と口は激しく動き続けていた。

「も〜、意味わかんないよっ!!」

「分からなくて結構!!とにかく、ここでおとなしくしていなさいっ!!」

「何よ、それ!!理由も教えてくれないなんて勝手すぎじゃない!?」

「……ッ、人の気も知らないで!!」

「それはお兄ちゃんの方でしょ!?」

「いいえ、ユーフィです!!」

「違う、お兄ちゃんだよっ!」

「ユーフィ!」

「もういい!!お兄ちゃんの、分からず屋〜〜〜〜っ!!」

 カッ!

 ユーフォリアの罵声とともに、『悠久』が青白く輝く。その瞬間、強烈な衝撃波が発せられた。

 大気がうねりながら、一発の弾丸と化し――――

「うっ!?」

 直撃。

 そのまま5メートルばかり空中を舞うライアス。

 そして落下。

 ドサッ。

「ッ痛………!!」

「あ……お兄ちゃん!?」

 無意識のうちの行動だったのだが、自分がやってしまったことに対し、ようやく頭の回転が追いついた。

 気づいた時には、すでに彼のもとに駆け寄っていた。

「お兄ちゃん、しっかりして!お兄ちゃんってば!!」

 ユサユサと身体を揺らしてみるが、どうにも反応が思わしくない。

(ゆーくん!!何てことするのよ!?)

(いや、ユーフィがあんまり大声出すもんだから、つい……。けど、命に別状ないみたいだし)

(そーゆー問題じゃないでしょ!)

(まあまあ、これで邪魔されることはなくなったわけだし)

(それは………そうだけど……)

 心配そうにライアスを見つめるユーフォリア。が、

 シュゥゥゥゥゥゥゥゥ………ッ

「ん?」

 ガスの抜けるような音に、何気なく振り返る。

 そこにあったのは、消えかかる<門>。輝きが大分、弱々しくなっている。

 彼女には、もう一度うまく<門>を開く自信はない。やむなく、

「……ごめんっ、お兄ちゃん!!私、行かなくちゃ………。後でちゃんと謝るから……」

 そう言い残し、彼に背を向けて歩き出そうとした瞬間。

 ガシッ

「!?」

 突然、肩をつかまれた。

 驚いて後ろを振り返ると、そこには肩で大きく息をするライアス。軽い脳しんとうでも起こしているのか、あるいは単にダメージが大きかったからか、『聖光』を杖に身体を支えている。

 どちらにせよ、まさに執念のなせる技。

「……ユー……フィー…待ちなさ…い……ッ」

「も〜!お兄ちゃんったらしつこいんだか………ら?」

 思わず怒鳴り返してしまう。

 だが、最後の部分は声にならないまま終わった。

 それくらい、ユーフォリアは自分が見たものに呆然となっていた。

 彼女の見たもの。それは頬を伝う涙。

 それもユーフォリアの、ではない。

「……お願いですから……………行かないでください…!」

「な、何でそこまで……?」

 訳が分からず、困惑の声をあげるユーフォリア。

 その間にも、ライアスは切々と懇願を続けていた。

「もう、これ以上……私のために誰かが死ぬのはゴメンです……………!」

「お兄ちゃん!!」

 力が抜けてしまったのか、膝から崩れ落ちるライアス。再び彼に駆け寄るユーフォリアの意識には、すでに<門>のことなど寸分もない。

 フッ、とあたりが暗くなる。彼女がライアスを抱き起こすと同時に、<門>が消えたのだ。

 ユーフォリアに上半身を支えられ、何とか起き上がるライアス。

 その顔は苦渋にゆがんでおり、彼が内に抱えるモノの重さを物語っていた。

「私は、これまでに二回、罪を犯しました………」

「二回?」

「一度目は、私がエターナルになったとき…………。私をかばって死んでいった臣下………私は、彼らを見殺しにしてしまったのです………」

「…………」

「そして、二度目は………自分の故郷を失ったとき…………。みすみすテムオリンの思い通りに………。自分の故郷すら守れなくて、何がエターナルでしょうか……」

「…………」

 夜空を見上げ、一人語り続けるライアス。ユーフォリアに、というより自分自身に対して言い聞かせているようだった。

 瞳の光は弱々しく、今にも消えてしまいそう。ユーフォリアにすら、今のライアスは遠い存在に思われて仕方なかった。

 サラサラと流れる風が、二人の髪をなびかせる。

 焼け焦げた木の葉も、ザワザワと寂しいメロディーを奏でながら、彼らのそばを飛び去ってゆく。

 そして、彼のつむぐ言の葉さえも………風に流されてしまうように感じられた。

 いや、彼自身がどこかへ消え去ってしまいたい、そう思っているからこそ、そんな風に聞こえるのに違いない。

「結局、私は……エターナルになっても無力だった……。誰かを、いや皆を救う力を得たと思ったのは……所詮は錯覚。自己満足に過ぎなかったのでしょう………。そして、私なんかに付き合わせたせいで『聖光』も失ってしまった……。いえ、あれでは私が『聖光』を殺したのと変わらないでしょう………あの世界もろとも、ね……」

「そんな……ことって……」

 とっさに否定しようとするユーフォリアだが、場の重々しい雰囲気に沈黙を余儀なくされる。

「何故、私なんかをかばって………。かつての臣下といい、『聖光』といい………。ユーフィ、あなたもそうです。私なんかのために、命を捨てるようなマネはやめてください……。私一人がどうなったってそれは構わないですから………。それよりも、私のような者のために誰かが死ぬことの方が耐えられません……!」

 ほとんど土下座でもしかねない勢いで訴える。ここまで彼が、自分の内面をさらけ出す姿を見るのは初めてだった。

 だが…………そんなライアスに対し、ユーフォリアは話を聞けば聞くほど腹が立ってきた。

(間違ってる……!)

 ついに我慢できなくなり、限界まで充満した感情を爆発させる。

「バカッ!!」

 まずは罵倒。

「……え?」

「どうして「私なんかのために」なんて言うの!?そんなのお兄ちゃんが大切な人だからに決まってるじゃない!!」

「……!」

 あまりのユーフィの剣幕に、今度はライアスが黙り込む番になった。

「私だけじゃない!!お兄ちゃんをかばった人たちだって、お兄ちゃんのことが好きだからそうしたんじゃないの!?臣下だからって……キライな人のためにそこまでするわけないでしょ!?自分が死んでもお兄ちゃんだけは生きていて欲しい、それくらい大切に思われていたのに、どうして「私なんか」なの!?」

「……」

「この前の戦いの時だってそう!私を巻き添えにしたくないっていうのは嬉しいけど……だからって何で一人で全部背負い込もうとするの!?自分のせいにするの!?あの世界を守れなかったのも、お兄ちゃんが悪いんじゃない!お兄ちゃんは全力で戦ったんだから!誰もそれを責めることなんて出来ないんだよ!?」

 言っていることが正しいかどうかは別。だが、これこそがユーフォリアの偽らざる本心だった。

「……それは違いますよ、ユーフィ。「自分は努力した」「最善を尽くした」「どうしようもなかった」……そんなのは言い訳に過ぎません。一度失われた命は二度と帰ってこないのですから…………守ってあげられなかった私には責任があります。そう考えれば、私の手はどうしようもないくらい血にまみれているのですよ……」

 感情の赴くまま、まくしたてるユーフォリア。何もかもをあきらめきった様子で反論するライアス。

 話は平行線をたどるばかりだった。

「だから何!?これからその人たちのために、何か償いをすればいいでしょ!!」

「何度言えば分かるのです。命というものは取替えがききません……それなのに、何を償えと言うのです?。それに誰かを救おうにも、もう私には何の力も………」

「まだ『聖光』さんがいるじゃない!?今なら間に合うんだよ?」

「……私には『聖光』に会わせる顔などありません。今さらどんな言い訳をしたところで……許されはしないでしょう」

「そんなことない!『聖光』さんは最後までお兄ちゃんのことを心配して……」

 が、これ以上話すことはない、とばかりにライアスは声を荒げた。

「もういいんです!全部私が悪いんですから…………これ以上私の中をかき回すようなことを言うのはやめてくださいッ!!!」

 そんなライアスを見つめるユーフォリアの視線は、冷ややかなものだった。

 彼が激高したのに反比例するように、落ち着いた声で告げる。

「……そうやって一人で抱え込むから、『聖光』さんはこうなっちゃったんじゃないの!?」

「え?」

「私、知ってるんだよ?お兄ちゃんと『聖光』さんが、マナ嵐を起こす起こさないで言い合いしてたのを……。本当はお兄ちゃんだって、あの時はマナ嵐でテムオリンたちを吹き飛ばすしか方法がないのは分ってたはずでしょ?もし、お兄ちゃんが『聖光』さんの言うことに耳を傾けてたら、『聖光』さんがお兄ちゃんを気絶させる必要もなかったし、後でマナを回収して『聖光』さんを元に戻すこともできたでしょ?それなのにどうして、『聖光』さんは説得をあきらめて………自分が消えちゃうかもしれない危険を冒してまで、お兄ちゃんを気絶させたんだと思う?」

 再び口調がヒートアップする。

「それもこれも、み〜んなお兄ちゃんが自分のせいにするからでしょ?自分のせいじゃないことまで………。そうならないように『聖光』さんは、マナ嵐を起こしたのは自分ひとりでやったことにして、お兄ちゃんが苦しまないようにしようとしてたんだよ?それなのにお兄ちゃんは………今だって、あの世界を滅ぼしたのは自分だ、なんて思ってる。これじゃあ何のために『聖光』さんが犠牲になったのか分かんないよ!」

「ですが……」

 抗議しようとするライアスだが、先を制してユーフォリアは言葉を続ける。

「お兄ちゃんって、今まで誰かに頼ったことないでしょ?」

 それに対し、沈黙がちに答えるライアス。

「……そうかもしれません」

「なんで!?そんっっなに信用できない!?」

「いえ、そんなことは……」

「だったらもっと頼ってよ!!私だってまだ頼り甲斐はないかもしれないけど……お兄ちゃんの苦しさを分かってあげるくらいはできるんだよ!?」

「……」

「特に『聖光』さんは、お兄ちゃんのパートナーでしょ!?それなのに………大切な人が自分を頼ってくれずに、一人で苦しんでるのを見るのはすごくつらいんだよ!?周りに迷惑をかけないのが優しさじゃない!!それこそお兄ちゃんの独りよがりだよ!!」

 自分の生き方を全否定された形のライアスだが、何も言い返すことが出来なかった。

「お兄ちゃんは優しすぎるから…………たった一人でも不幸になる人がいちゃいけない、って思ってる………。そのくせ自分ひとりはどうなってもいいって………」

 目を真っ赤にして話すユーフォリア。双眸には、今にもこぼれんばかりの雫があふれていた。

「……そう。私は他人の命を犠牲にして、今ここに存在しています。そんな私が幸せになる権利など………。それに、私一人が犠牲になることで誰かが幸せになれるなら、それでいいのです………」

「じゃあ、そのせいで不幸になる人はいてもいいの?」

「え?」

 考えてもみなかったことを突然突きつけられ、ライアスは困惑の声をあげた。

 それは、自分なんかが不幸になったところで悲しむ者がいるはずないではないか、という抗議の言葉でもあったが………。

「私も、『聖光』さんも………きっと臣下の人たちだって、お兄ちゃんが苦しむのを見るのは絶対にイヤ!!死んじゃうのはもっとイヤ!!私たち…………仲間に頼ってくれないのが、一番イヤッ!!!」

 涙声で訴えるユーフォリア。

「仲……間?」

「そう………お兄ちゃんが悲しむのを、誰よりも悲しむ人。お兄ちゃんの苦しさを半分持ってあげたいって思う人。お兄ちゃんが泣いてたら、一緒に泣いてあげたいって思う人。何があっても、お兄ちゃんを放っておかない人だよ!!」

 しかし、その言葉を聞いたライアスは顔を曇らせて下を向いてしまった。

「……私にはそんな大層なものは勿体無いですよ。第一、仲間と呼べるような存在は………」

 ロウ・エターナルの面々が脳裏に浮かぶ。同じ陣営にいるというだけで、自分とは根本的に考え方が違う連中。命を平然と奪う連中。自分の中の葛藤を話せば、嘲笑を残して立ち去る連中。

 一度たりとも、心を許せたことはなかった。

 そんなわだかまりに包まれたライアスに、ユーフォリアは強烈な一撃を浴びせかけた。

「そんなことない!私も『聖光』さんも……皆、お兄ちゃんの仲間なんだよ……?お願いだから信じてよっ!!」

「…………!!!」

 ユーフォリアの叫びは、今度こそ確実にライアスの心の琴線を揺さぶった。

(私にも………)

 徐々に、ライアスの瞳が力強い輝きを取り戻してゆく。同時に、わだかまりという名の分厚い壁が、音を立てて崩れ落ちてゆく。

(私にも、仲間がいる………!)

 心の振動がじかに伝わったのか、ブルブルと体の震えまで止まらなくなった。

(私は…………一人じゃない!!)

「お兄ちゃん!!もういい加減…………気づいてよーーー!!」

 その一言がトドメを刺した。

 この瞬間、たった一人の世界………罪悪感にさいなまれ、永久に日の当ることのない暗闇の中から、ライアスは引き上げられた。

 ゆっくりとユーフォリアに顔をむける。その瞳には……春の木漏れ日を思わせる、暖かな光。

 ユーフォリアが大好きな眼差しだった。

「ユーフィ……」

 その口調には、先の自虐的な気配は毛ほども感じられない。

「私には……どうしても自分に価値があるなどとは思えませんでした。今でもそれは変わりません。しかし………それでユーフィや『聖光』を悲しませるというのなら………少しでも、死んでいった者たちに報えるというのなら………」

「……うん…………うん………」

「「仲間」とともに生きてみたい……………!」

 ライアスにとって、自分の苦しみを他人に押し付けることは絶対の禁忌だった。常に自分は、他人の幸せの輪の外から、それを守り続けるだけだと思っていた。

 苦しみを分け合う………それは「分かち合う」という美名のもとに、自分が楽になるための勝手な振る舞いだと思っていた。

 だが、それは違った。

 逆にその相手が「仲間」ならば、相手のために生きることにもなるのだ、と。

「ありがとう、ユーフィ………。今の私があるのはあなたのおかげかもしれません………」

「………ううん、私はそうしたかったからしただけ。それに、一番肝心な人を忘れちゃダメだよ?」

「ええ……」

 あまりに身近だったからこそ、気づかなかった。

 自分の最高の「仲間」。

 初めはただの契約関係だったのかもしれない。だが、いつしか………何も言わなくても自分のことを理解してくれ、誰よりも自分を思いやってくれるようになっていた。

 その身を投げ打つまでに………

 絶対に取り戻さなくてはならない。これまでのことを謝らなければならない。

 胸が焼けるほどの願望。今まで、自分のためにこんな強い思いを抱いたことはなかった。

「私は…………『聖光』とともありたい!これからも一緒に生きていたいッ!!だから…………帰ってきなさい、『聖光』ッ!!!!」



 シュパアアァァァァ!!

 高ぶったライアスの感情に呼応するかのように、突然、強烈な蒼い光が彼を包む。

(クク………ハハハハハハ!)

「!?」

 と同時に、『聖光』より荒々しい声が語りかけてきた。

(実に……実に面白いぞ、人間よ。これほど強い「求め」を感じたのは久しぶりだ。それも我の深い眠りを覚ますほどの、な………)

「ま……さか!?」

 ごそごそとポケットをまさぐると、指先に熱い感触を感じた。

 出てきたのは青い石。ユーフォリアがライアスに手渡したものだった。

「これ……なのか?」

(我は永遠神剣第四位、『求め』……契約者の願望を叶え、その代償を求める。………かつてはそうであった、と言う方が正しいがな)

「『求め』?ということはユウト君の………」

(ほう、契約者を知っているのか…………これも運命、ということか。その通り、あの男が我の最後の契約者であった)

「あなたは確か、『世界』に砕かれて消滅したと聞いていましたが……」

(……我にもよく分らぬ。だが契約者の、あの者にとって大切な者を守りたいという強い想いが、我を欠片として残さしめたのかも知れぬ。意識はなかったがな)

(そんなことが起こりえるのか………)

 初めて聞く話だらけだった。だが、ありえないこともない様にも思える。

 そんな思考に沈んでいるライアスだったが、

「お兄ちゃん?この石……しゃべってるけど知り合い?」

 ユーフォリアの素朴な疑問に、現実に引き戻される。

「え?ああ………ユーフィにはまだ言ってませんでしたね。これは『求め』と言って、ユウト君の……」

「お父さんの前の神剣!?」

 へぇ〜、と感嘆の声をあげて覗き込む。が、当の『求め』にしてみればジロジロと見つめられるのは不快なわけで、

(……この者は一体、何者だ?我を知っているようだが……)

 苛立った声で問う。それに苦笑しながら答えるライアス。

「この娘は『悠久』のユーフォリア。ユウト君とアセリアさんの一人娘ですよ」

(な、何だと!!?)

 これにはさすがの『求め』も、心底驚いたようだった。あまりに人間くさい反応に、思わず吹き出してしまう。

「ええ。私の知る限りでは、エターナルの間に生まれた子供第一号ですよ」

(聞いたこともない話だが…………まあ、よい。それより、あの二人はエターナルとなっていたのだな?)

「そうか……あなたはその時点では、すでに眠っていましたからね。ユウト君は『聖賢』を、アセリアさんは『永遠』を得て、それぞれエターナルになりました。そして見事『世界』を砕き、ファンタズマゴリアを守り抜いたそうです」

(ふむ……)

 深い思考に沈んでゆく『求め』。何を考えているのかは分らなかったが、とりあえず邪魔をしないようにと、あえてライアスは話しかけない。

 そのタイミングを見計らったように、今度はユーフォリアが口を開いた。

「ねえ、お兄ちゃん?」

「……?何ですか、ユーフィ」

「あのね………お兄ちゃんは今、『聖光』さんの力を使えないでしょ?」

「……はい。ですが、必ず取り戻してみせます。たとえ私がどうなろうと……」

 思わず拳に力が入る。が、それを見たユーフォリアは、

「ほら〜!またそんなこと言ってる。それじゃダメだってさっき分かったばかりでしょ!?」

「あ……すみません」

 顔を赤くするライアス。さすがに癖はすぐには抜けないわけで……。

「ふぅ。まあ、いっか……。それでね、やっぱり正直言って私一人でテムオリンと戦うのは………怖い。お兄ちゃんに隣にいて欲しい。だから………『求め』に『聖光』さんを取り戻すのを手伝ってもらって?」

 と、『求め』の欠片を指差す。

「なるほど……」

 話を聞いていたのか、『求め』はすぐに反応を返してきた。

(あいにく、今の我には力がない。マナをほとんど『世界』に奪われてしまったからな……。残念だが、今ではこの小さな姿を保つのが限界だ)

 が、それを聞いた途端、話は決まったとばかりにライアスは切り出した。

「では………代償はあなたの目を覚ましてあげたこと、それと元の姿に戻してあげること。この二つでいいですね?」

(何だと?)

 いぶかしげに問い返す『求め』だが、それには答えずユーフォリアに向き直る。

「ユーフィ……、『求め』にマナを分けてあげてくれませんか?」

「え?」

「こう言っては『求め』に悪いですが、第四位と第三位の神剣が保有するマナには大きな開きがあります。ですから、『求め』を元に戻すくらいのマナならば、放出しても『悠久』にはそれほど影響はないはずです。……お願いできませんか?」

 まだ他人に何かを頼むことに遠慮があるのか、どこか自信無げなライアス。

 が、それを励ますように、

「そんなワケないよ………私が頼んだんだから。それに、私たちは仲間なんだよ!」

 満面の笑みで答えるユーフォリア。それを見たライアスの表情も自然と緩む。

「ふふ……そうですね」

「お願いね、ゆーくん!」

(うーん、あまり気は進まないけど……ユーフィの頼みじゃ仕方ないか)

「ありがとう!」

(それじゃ……いくよ!)

 『悠久』から一筋の光が放たれる。それはとても暖かくて………命そのものの輝き。

 光を浴びた『求め』の欠片は、青い光を発し始める。その輝きが徐々にまぶしくなってゆき、視界が青一面に包まれて何も見えなくなり―――――

「……ッ」

 二人がまぶたを開いたとき、そこにはあったのは一本の青い剣。

 無骨に反り返った姿は荒々しいながらも、『聖光』とは違う種類の美しさを内に秘めていた。

「これが、『求め』の本当の姿………」

(まずは礼を言おうか。………感謝するぞ)

「いえ。それよりも、私に力を貸してくれますね?」

(……よかろう。まさか再びこの姿に戻れるとは、思ってもみなかったからな……。我は永遠神剣第四位、『求め』……契約者の願望を叶え、その代償を求める。……汝に求めはあるか?)

「………はい、ありますッ!」

 その声はかつてないほど力強く、強い意志に満ち満ちていた。自分のために生きてもいい、それが分かっただけでも彼は確実に強くなった。

 しかも、今は隣にユーフォリアがいる。たったそれだけで、自分は強く支えられていると実感できた。

(ならば汝のその想い、力に変えて見せよ!!)

 胸に手を当てて目を閉じる。

 その口から流れ出る言葉は、嘘偽りのない……真実の輝きに包まれていた。

「私は………誰も死なせない、誰も悲しませない、そのために生きる!!そして………他人のためだけじゃない、自分のためにも生きる!!そうするには、一緒にいてくれる仲間が必要なんだッ!!」

(……お兄ちゃん!)

「だから、私は『聖光』を取り戻したいッ!わが友よ………」

 カッ、と目を見開く。己の全てを言霊に乗せて、『求め』にぶつけた。

「私のもとに帰って来なさいいッッッッ!!!!」

 キイイィィィィィン!!

 ガラスが割れるような音とともに、光がはじけた。

(汝の求め、しかと受け取った。その想いを………忘れるな)

「……ッ?」

 気づいたときには、彼の手には新たな剣が握られていた。

「やったね………お兄ちゃん……」

 闇から開放されたライアスには、もう一点のかげりも感じられない。完全に立ち直って……いや、以前よりはるかに成長していた。

 その姿を見つめるユーフォリアの瞳からは、自然に涙があふれてきた。

「ええ。………本当にありがとうございました、ユーフィ……」

 答えるライアスの声も、震えていた。もちろん喜びのため。

 そして、瞳を潤ませながら、クシャクシャとユーフォリアの頭をなでた。

「さてと…………さっきはよくも私のティーカップを割ってくれましたね?これからたっぷりとお説教ですよ…………」

 言葉とは裏腹に、彼の目は笑っていた。

「うん………うん…………お兄ちゃんのお説教なら、いくらでも聞いてあげるよ………」

 嬉しそうに答える彼女も、心の底からライアスを祝福していた。

 この日、二人は初めて――――かけがえのない「仲間」へと成長したのだった。

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