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Bloodstained Hand

第九章 罪を負うもの

 

「ふぁ〜あ、っと」

 

 のっけから盛大なあくびををかますこの男。かと思えば今度は耳に指を突っ込んだり、頭をボリボリかき始めた。

 

 敵を目の前にしてこんなことができるのはよほど神経が図太いとしか言いようが無い。

 

 これを見れば、誰だって闘う気があるとは思わないだろう。『修羅』はどうしたのかといえば別段構えるわけでもなく、無造作に肩に乗せているだけ。スキだらけ…というのも何だか馬鹿馬鹿しい。

 

 対するライアスは剣尖をやや下げ気味に『聖光』を構え、いつでも戦闘に入れるようにしていたのだが、

 

(や、やる気あるんですかねえ…?)

 

 真面目に構えている自分が切なくなってきた。

 

「あ、あのう…もう始めてもいいですか?」

 

「ああん?……お、悪ぃ。どっからでもかかってこい」

 

(…私はおちょくられているのか?)

 

 そんな思いでいっぱいだが、気を取り直して『聖光』を構えなおす。だが、意外にもスキを見出すことができない。

 

 ゼクの格好は無防備そのものだが、その視線だけはまるで別の生き物のように、じーっ、と彼に注がれていた。

 

 全くやる気がないかといえば、実のところそうでもないようだ。

 

今、攻めに出ようと思えばできないことも無い。しかし不用意にそうすれば少なくとも相打ち、悪ければ一方的に反撃をもらうことになりそうだった。

 

(……やりますね)

 

 さっきのやる気の無いそぶりが地なのか演技なのかは分からないが、それでも目のさめる思いがした。そこで攻め込むべき瞬間を見出すべく意識を集中させる。

 

 だが、じっと動かないライアスに嫌気が差したのか、

 

「おい、どうしたんだよ。ビビったのか?ったくこれだから坊やは…」

 

 と、軽く挑発してくるゼク。無論、そんなものに乗せられるライアスではない。さらりと痛いところをつき返す。

 

「それはあなたではないのですか?『異端者』の異名を持つあなたが恐れをなした……とあれば依頼もぐんと減るでしょうね。また懐の寒い日々がやってきますよ?」

 

「ぁん?いい度胸だ……。泣くんじゃねえぞ?」

 

 バンッ、と土煙を上げたかと思うと一気に間合いをつめ、そのまま神剣を振り下ろす。いや、たたきつけたと言った方がいい。

 

ガキィンッ!

 

正面から『聖光』で受け止める。擦れあう刃面からは火花が散った。

 

だが、その衝撃はライアスが今まで受けたどれよりも激しく、片膝を突いてしまった。

 

(な、何と言う膂力だ…!)

 

 はじきとばすどころの話ではなく、支えるのが精一杯だった。ゼクのほうが大柄なため、押さえ込むのにも都合がよかった。

 

カチカチと震える二本の神剣が、ライアスがギリギリで耐えていることを物語る。

 

「おおおおっ!」

 

 のしかかるようにして、そのまま押し切ろうとさらに力をこめる。

 

(くっ、ならば…)

 

 支える力を左上に集中させてみる。ゼクもそうさせまいと右下に力を向けた。

 

(かかった!)

 

 その瞬間、ライアスは力の向きを右上に転じる。

 

「ぬおっ!?」

 

 自分とライアスのを加えた大きさの力で右に流される。そのままゼクはつんのめるように体勢を崩してしまった。

 

「そこだっ!」

 

 その隙を見逃さず一瞬ですりあげる。まるで火花が散らんばかりの速さだ。

 

「ちぃっ!」

 

 右の背に一筋の傷が刻まれた。が、力をためずに出した斬撃だったためか傷は浅い。

 

ライアスも無理に深追いはせず、後ろに跳び下がった。

 

「やってくれんじゃねえか…」

 

 不満げにつぶやいて立ち上がると、再びライアスと対峙した。

 

「どうしました、その程度ですか?……どうやらあなたが強いというのは噂だけのようですね」

 

 敢えて神経を逆なでするように言う。それと共に構えを大上段に移した。

 

 上段というのは虚勢である。いわばこけおどしの構え。むしろ胴を相手にさらす危険を伴うのでこの姿勢をとることはまず無い。

 

 にもかかわらず敢えてこれを選ぶ……ゼクにしてみれば力量を甘く見られたように思えて仕方ない。

 

「てめえ……ナメてんのかッ!!」

 

 感情の赴くまま飛び掛る。そして刃がライアスに触れる瞬間。

 

「型が甘いッ!」

 

 神速ともいえる速さで胴めがけて切りつける。

 

 確かに危険な構えではあるのだが、ライアスほどの腕ならば相手の攻撃が届く一瞬の差で先を制することができる。

 

 頭に血が上ったゼクにそこまで見抜くことはできなかった。

 

「こんの…野郎…!」

 

 いいようにあしらわれているのがよほど気に食わないのか、ものすごい形相でにらみつけていた。

 

「まだやりますか?」

 

「っざけんな……あんまり調子に乗るなよ、坊や?」

 

「ふぅ、最近はどうしてこう聞き分けの無い人ばかりに会うのか…。ならば遠慮はいりませんね?」

 

 低姿勢のまま一気に突っ込む。

 

『聖光』は光を纏い、美しく輝く。その軌跡は一枚の絵と化していた。

 

ライアスはその光刃を鮮やかに振るう。

 

ひらっ、ひらっ、と舞うたびに虹色に輝く『聖光』は見るものを魅了する。

 

 が、対するゼクはそれどころではない。必死になって襲い来る剣をその都度はじきとばしていた。力任せに殴りつけているあたりはいかにも彼らしい。

 

とはいえ、ライアスの剣の動きには無駄が無い。流れるような剣尖ははじかれてもその衝撃を無理に打ち消そうとするのではなく、逆にそのベクトルをのせたまま大きな弧を描き、再び舞い戻ってくる。

 

付け入る隙をわずかたりとも与えない。必死で抗うゼクは、もはや踊らされているような格好になってしまっている。

 

なんとか決定打は避けているものの、それでも傷の一つや二つは負ってしまっていた。

 

「…っ、ざってえんだよッ!!」

 

 あまりの執拗さに耐えかね、地面に『修羅』をたたきつける。そこを中心に衝撃波が拡がった。 

 

「な!?」

 

ドォォォォン!

 

飛散した岩礫がライアスに襲い掛かり、巻き上がる砂塵が視界を奪う。

 

「どけえっ!!」

 

その声と同時に渾身のストレートを放つゼク。

 

さすがに視界を奪われた状況では避けきれなかった。

 

 大気を切り裂くほどのスピードで、かまいたちを纏った一撃が腹部に向けられる。とっさに防御姿勢をとり、腕を楯代わりにしたが正面からモロにくらって後方に吹き飛ばされる。

 

「ごほっ、ごほっ……っ」

 

 突然の衝撃のため呼吸が乱れる。

 

(い、一撃で……しかも素手で……!?)

 

 殴られた場所がジンジンと激痛を伝えていた。手で触れた瞬間、電流が流れたような衝撃が全身を駆け巡る。服も切り裂かれており、裂け目には赤い血がにじんでいた。

 

 とっさに防御したからいいようなものの、下手をすればあばらの一本くらいは持っていかれていただろう。

 

(何と言う馬鹿力……タキオスどころのレベルではない…!)

 

 一方、粉塵の中から現れたゼクも無事ではなかった。

 

 度重なるライアスの攻撃、それに自分で発した衝撃波によるダメージも手伝って肩で息をしていた。

 

「ハアッ、ハアッ…」

 

 が、幸か不幸かどちらも致命傷は負っていない。

 

 身体能力はゼクが大きくライアスに差をつけ、戦術はライアスにとてもではないが及ばない。

 

 相対的に一撃が軽いライアスは手数で押さなくてはならないが、ゼクはいかに一撃を見舞うかの勝負だと言える。

 

(くそ…、マジで割りにあわねえ…)

 

 正直言ってライアスの実力を見誤った。その時、

 

(おい、相棒……マナ吸わせろや?)

 

 彼の大っ嫌いな声が聞こえてきた。『修羅』である。

 

(…うっせえ。テメエにやる分け前なんてこれっぽっちもねえんだよ。ただでさえ少ないボーナスなんだぞ?)

 

 にべも無く拒否するのだが、そこは慣れたもので『修羅』もしつこくマナをねだってきた。

 

(カタいこというなよ。これは今のおめえにも悪い話じゃねえだろ?俺がおめえに力を貸す、アイツを殺す、アイツのマナを奪える。いいことずくめじゃねえか)

 

(バカヤロウ。それはお前のそろばんの上での話だろうが。俺の身になってみろ……あれやると後がキツイの分かってんだろ?それにあいつのマナだってテメエが独占する気じゃねえのか?)

 

(んなことねえって。ウダウダいってねえでさっさとしろや?)

 

しつこくせかす『修羅』。確かにこのまま長期戦に持ち込むのは気が進まなかった。大振りな分、長引けばゼクのほうが消耗が激しい。

 

(…しゃあねえ。けど少しだけで勘弁しろよ?あんまり欲張られたら冗談抜きで身体ぶっ壊れちまう…)

 

(おっ、話が分かるねぇ。へへへ……さすが俺の相棒)

 

 下卑た笑いを浮かべる『修羅』。自分の神剣でありながらそんなところがどうしても慣れることができなかった。

 

が、この場はあきらめて『修羅』を地面に突き立てる。

 

すると『修羅』は妖しげな、赤黒い輝きを放ち始めた。その表面には血管のようなものが脈打っている。事実、血液のようなものが地面から吸い上げられていくのが観察できる。

 

ドクン、ドクン…

 

(何だ、この悪寒は…!?)

 

 『修羅』から感じられる気配はあまりにも毒々しかった。まるで食虫植物が獲物をドロドロに溶かすような…

 

(ライアス、『修羅』は直接この世界のマナを啜っている。あれは少々厄介だ)

 

「なっ…!?やめなさいッ!」

 

「チッ、もう気づいたのか。よく気の回るヤロウだ……。まあ、これで十分か」

 

 ズボッ、と『修羅』を抜き取る。すると『修羅』から流れ込むマナが今までに負った傷を癒してゆき、同時にゼクの身体が一回り大きくなったようにも見えた。

 

「く…、間に合わなかったか…」

 

「へっ、残念だったなあ、坊や?」

 

 薄ら笑いの浮かんだその顔には明らかに余裕が見受けられる。それを裏付けるように、ゼクからはゆらめく黒いオーラフォトンが立ち上っていた。

 

「さあ、ラウンド2と行こうぜ…。オラァ!」

 

 先ほどとはうって変わったすばやい動き。

 

 大きく『修羅』を振りかざしながらライアスの懐にもぐりこむ。前以上のパワーを乗せた一撃がうなった。

 

(……見切れない!?)

 

が、無意識のうちに体が動かなくては武芸とは言いがたい。いわば一種の無想状態でライアスは身をそらしていた。

 

 それくらいには彼の腕は熟達している。

 

「ほう、やるじゃねえか……ちっとは見栄を見せてくれよ」

 

 二の太刀、三の太刀が襲い掛かる。それはライアスのような流麗な動きではなくやたら剣をブン回しているだけ…それでもそのスピードは彼を上回っている。大振りに振り切ってしまえば姿勢が乱れて隙が生じるものだが、ゼクは力づくで軌道の修正をしている。

 

 もともと膂力に劣るライアスはそれを受けるような愚はせず、ひたすら回避に専念している。受けたところではじかれるのは目に見えていた。

 

(くそ、チョロチョロと…。酔いが回る前にさっさと決めねえと…)

 

 よけるのに必死なライアスは、わずかにゼクの表情に焦燥の色が浮かんでいるのには気づかない。

 

 

…すでに二桁は太刀をかわしていただろう、その時わずかにゼクの攻勢に間が空いた。

 

(今しかないッ!)

 

 瞬時に切り返しを試みるライアス。十分に腰を落とした状態から繰り出した一撃は確かにゼクの胸を切り裂いた。

 

 だが…

 

「…おい、そんなもんか?」

 

(な…!?)

 

 大出血を起こしていても不思議でない攻撃だった。にもかかわらず『聖光』が切った跡にはうっすらと血がにじむだけだった。

 

 信じられない光景に一瞬戸惑うライアス。そのスキをゼクは見逃さなかった。

 

「もらったあ!!」

 

 ダークフォトンが一気に収束し、その勢いに乗った『修羅』がライアスめがけて飛んでくる。

 

「しまっ……!!」

 

 言葉を終えないうちに刃が身体に触れる。その瞬間凝縮されたマナが一気にはじけ大爆発を起こした。なす術も無く吹き飛ばされたライアスは背後の巨岩にたたきつけられた。

 

「く……ごふっ!!」

 

 のどの奥から逆流する、生暖かい感触。無意識に口をおさえたが、その手のひらいっぱいに血のりがべったりと付いていた。

 

「さあ、終わりにしようぜ…」

 

 ゆっくりと歩み寄るゼクの姿に思わず戦慄してしまった。

 

(ここまでなのか…?)

 

 絶望に似た感情がとめどなくわきあがる。危機にさらされた人間ならば当然といえる。

 

だが、その程度で押しつぶされるような弱い心しか持たないのならばエターナルたる資格は無い。第一そのような者を主に選ぶ『聖光』ではない。

 

(いや、まだだ…、まだ私は死ねない!)

 

 ヨロヨロと神剣を杖に立ち上がろうとする……が、力尽きて膝をついてしまった。やむを得ず、申し訳程度の微弱なオーラフォトンを広げる。

 

「ほお、まだやんのか?ご苦労なこった。…さっさと消えちまったほうがラクだぜ?」

 

 見下すような口調で言う。そこには勝利を確信した者の、敗者に対する蔑みが含まれている。

 

が、ライアスはまだ勝敗をあきらめたわけではない。その視線はゼクをにらみつけたままだった。

 

「…そうかよ。じゃあ心置きなく消してやるさ」

 

 言い終えると、ゼクは詠唱を開始した。今、彼の頭には何の同情も無い。あるのは仕事がようやく終わることに対しての開放感とそれがもたらす利益のみ、だった。

 

「そろそろ終いだ、あの世に行っても俺の枕元にたつんじゃねえぞ?」

 

「…誰がわざわざあなたのところになど出向くものですか。自惚れるのも大概にしなさい」

 

「フン、寝言はあっちで言ってな。…あばよ」

 

 詠唱が完成したのか、『修羅』をライアスに向ける。

 

「ナイトメアインパク……トッ!?」

 

だが、その神剣魔法が発動することは無かった。

 

突然うずくまり呻きだすゼク。

 

「くそ、肝心なときに来やがったッ…!ぐおおおおっ!!」

 

「え…?」

 

 ライアスは何が起きたのか分からず、呆然とその様子を見つめている。

 

 状況を理解できていない彼のために、『聖光』が助け舟を出した。

 

(どうやら先のあれはかなり体に無理を強いるものらしいな…。一種のドーピングと言ってよかろう)

 

 本来神剣は『浮きマナ』にしてはじめてマナを回収する。つまり純粋な、形をまだ成していない状態だ。言い換えると「概念情報」を失っているということ。「概念情報」とは自己を定義するものであり、エターナルを含め、この世に存在する全てのものは「概念情報」によって自分を形作る。

 

 エターナルの「渡り」や成長に際しても「概念情報」の再現、書き換えが必要なのは周知のとおり。

 

すでに形を成しているマナは本来と異なった状態に変化しているので吸収しにくい。エーテルはそのよい例だ。

 

 だが、『修羅』はそういう法則を無視して直接形あるものからマナを吸収できる。いちいち『浮きマナ』に戻す必要が無いのだ。

 

 では何故ゼクは『修羅』に耳を傾けず、あくまで『浮きマナ』として吸収することにこだわるのか。

 

この方法で吸収する場合、『修羅』特有の変換手段を用いるので、それまで成していたものの「概念情報」を消去しきれない。それが体内に流れ込み、一定時間が過ぎるとゼクの体内で元の形に戻ろうとするため拒否反応を起こし、激しい苦痛をもたらすのだ。

 

痛みを和らげるには結局そのマナすべてを『修羅』に送り返すしかない。つまりその手段による肉体の強化は一時的なものであり、長い目で見ればゼク自身には何の得もない。

 

しかも困ったことに吸収量に比例して苦痛が増加するのだからタチが悪い。

 

とはいえ、この方法による強化は同じ量のマナを注ぎ込むよりは効率がいい。ゆえに少量でも大きな効果が得られ、事実何度もゼクは修羅場をくぐりぬけてこられた。今回はたまたまそれが裏目に出たに過ぎない。ゼクが状況判断を誤ったとするのは彼には少々酷だろう。

 

ライアスはといえば、予想だにしない展開に呆気にとられたものの、

 

(なるほど…。正直、命拾いしましたね…)

 

 ほっと胸をなでおろすのだった。

 

 

 

「…全く、情けないですわね。本当に二日酔いのオヤジ同然ですわ」

 

「やかましいっ…!」

 

 苦しげな声で答えるゼク。

 

「…!テムオリン!?」

 

「高みの見物といきたかったのですけど…まあ、相手が悪かったですわね。後ちょっとで坊やがマナに帰るのを見れなかったのは残念ですけど」

 

「今さらノコノコと……卑劣だとは思わないのですか?」

 

「ふふふ…最高のほめ言葉ですわ。ではお礼に私じきじきに引導を渡して差し上げましょうか?」

 

「く…!」

 

(ライアスよ、ここは引け。いかにそなたでもこれだけ傷を負っていてはヤツの相手はできまい)

 

 撤退を促す『聖光』。戦術上それは妥当な判断だった。

 

だが、ライアスには受け入れることができなかった。

 

(『聖光』…それは無理な相談です。目の前で世界が…それも自分の故郷が消されようとしているのですよ?)

 

(しかし…)

 

(いえ、何を言われてもここだけは譲れません。あなたも私と契約した時の約束を忘れたわけではないでしょう?)

 

「そんな状態で私に歯向かおうなどと…。今ならまだ許してあげないこともありませんわよ?」

 

「…そうやって今まで何人欺いてきたのですか?生憎、あなたに命乞いする気などこれっぽっちもありませんが」

 

「まあ、可愛げのありませんこと…。いいですわ、覚悟なさいッ!」

 

バチィッ!!

 

 鋭い槍と化したマナがいともたやすくオーラフォトンを貫いた。

 

「あ…くッ…」

 

 手で支えることもできず、顔からうつぶせに倒れこむ。もはや立ち上がる力さえ残ってはいない。

 

(く、目が…かすんできた…)

 

 意識まで朦朧とし始める。今、自分の前に広がる光景は網膜に映った映像なのか、あるいは記憶をたどって再現したものなのかすら分からない。

 

「どうです、苦しいでしょう?ふふふ…。ですが、私をコケにしたのです。そう楽には死なせませんわよ?」

 

 ライアスのそばに歩み寄ると『秩序』で何度も殴りつけ始めた。

 

 頭と言わず顔と言わず、まるで容赦ない。

 

「ふふふ…あははははは!!」

 

 大声で笑いながら繰り返し『秩序』を振り回し、ときには蹴りも入れる。心底愉快そうな声だった。

 

額から流れる血が目に入り、もはやまぶたを開くことさえできない。あまりの痛みに痛覚すら麻痺し始めた。

 

意識が飛ばないように『聖光』を握る手に力をこめ、唇をかみしめる…それがせめてもの抵抗だった。

 

「あらあら、もう終わりですの?もう少し反応を楽しませて欲しかったのですけど…。仕方ありませんわ、動かないおもちゃは廃棄しなくてはなりませんからね……ゴミ捨て場に送るとしましょう」

 

 興を失ったテムオリンの瞳には何の感情も浮かんでいない。『秩序』にマナを収束させると、雷が火花を散らし始めた。

 

「それにしても、どんなゴミのマナでもリサイクルできるのは素晴らしいですわね。あなたのマナも有効に使ってあげますから安心して逝きなさい。では………さようなら」

 

 ライアスに向けられた『秩序』から幾筋もの光の矢がそそがれる―――

 

 

 

「サイレントフィールドッ!!」

 

 テムオリンの神剣魔法が発動する一瞬前に響く声。高らかに響き渡る声に応じるかのように急激に気温が下がり、あらゆるマナの流れが静止した。

 

「な、何ですの?」

 

(まさか…)

 

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 

 心配そうな声を上げながら駆け寄ってきたのは青い髪をした少女…ユーフォリアだった。

 

「何故…来たのですか。あなたの敵う相手ではありません…早く…帰りなさい」

 

 息も絶え絶えに答える。正直、しゃべることさえつらかったが、何としてもユーフォリアを巻き込むわけにはいかなかった。

 

「だって心配だったんだもん…。けど、そんなボロボロで言っても説得力ないよ?」

 

「まったく…。その無茶なところは誰に似たんですか…」

 

あきれて盛大にため息を漏らすライアス。しかしその点については親が二人揃ってそうなのだから仕方あるまい(笑)

 

が、ユーフォリアがわざわざ自分のために危険を冒してまで来てくれたのだ。ライアスとて嬉しくないといえば嘘になる。

 

(やれやれ、この間とは立場が逆転してしまいましたね。まさかユーフィに救われるとは思いもしませんでしたよ…)

 

「大体お兄ちゃんが一人で何でもかんでもやろうとするのが悪いんだよ?私だって戦えるんだから…」

 

 そう言ってツ、とテムオリンに向き直る。その表情にはありありと怒りが浮かんでいる。

 

「あら、わざわざ出向いてくれるなんて…手間が省けましたわ」

 

「これ以上私の前で誰かを傷つけるのは許さないんだから…!」

 

「はあ…、あの親にしてこの娘あり…ですか。そこの坊やのおかげでますます頑固に磨きがかかったみたいですわね」

 

 呆れてものも言えない、とばかりの表情。が、そんなことは無視してユーフォリアは詠唱を始めていた。

 

「オーラフォトンノヴァ!」

 

ズオオオオオッ!!

 

 テムオリンを中心にオーラフォトンが爆炎を上げる。

 

 突然の強力な神剣魔法に目を見張るライアスだが、

 

(なるほど…、ユーフィの潜在能力はかなりのもののようですね。いずれ私も追い抜かれることになりそうです。……どうりでテムオリンが欲しがるわけだ)

 

「ね、私もやればできるでしょ?」

 

 振り向いてライアスに笑いかける。が、

 

「あ…危ないッ!」

 

 とっさにユーフォリアの周りにオーラを集中させる。

 

「え?」

 

 当のユーフォリアは間の抜けた声を上げてしまっている。

 

 その瞬間、彼女を衝撃波が襲った。マナの障壁がすべて吸収してくれたものの、激しい振動にフラついてしまった。

 

「ユーフィ、確かにあなたの秘めた力はテムオリンはおろか、私さえ凌ぐでしょう…。ですが残念なことにまだその力の十分の一も引き出せてはいません。訓練も無しにあれだけのことができること自体驚くべきことではあるのですが……。それでも、あの程度ではテムオリンは倒せません」

 

 その言葉を肯定するかのように、立ち上る粉塵の中から現れる白いシルエット。

 

「まったく……死にぞこないのくせにどこまで邪魔すれば気が済むのですか?」

 

 不快さを隠そうともしない声が響く。

 

「ウ、ウソ……!?あれ、私にできる一番の魔法なのに…」

 

「それにしても驚きましたわ……小娘にしてはやりますわね。ペットにしたいくらいですわ…。どうです、私のところに来ませんこと?」

 

「ふ、ふざけないでっ!」

 

「あらあら、残念ですわ…。でも私、欲しいものは絶対に手に入れる主義ですから…力づくで連れて行きますか」

 

 ユーフォリアは圧倒的な力の差に足がすくんでしまっている。が、テムオリンは「容赦」という言葉を置き忘れて生まれたような存在だ。

 

「さあ、行きなさい!」

 

 自分のコレクションを召喚し、一斉に襲い掛からせる。この前はライアスが守ってくれたが、今は自分で身を守るしかない。

 

「やあああっ!!」

 

 とっさにオーラフォトンの隔壁を作る。が、悠人やアセリアのものにさえ及ばない薄い壁だった。それが何度も突っ込んでくる神剣の攻撃で目に見えて強度を失っていく。万全な状態のルミナス・ディバイダーを厚さ5センチの鉄板とすればユーフォリアのバリアはコンタクトレンズ程度でしかない。

 

 テムオリンは殺すつもりは無いから適当に加減をして遊んでいる。つまり、その気になればいつでもバリアを突破できるということでもある。

 

(くっ…身体が言うことを……、このままではユーフィはもたない…!)

 

 何度も力をこめるが、出血のため意識を保つのが精一杯で身動きは取れなかった。

 

「エターナルになっても…結局私は無力なのか……?」

 

 また守るべき者に守られ、見殺しにしてしまうのか。同じ道をたどることになるのか。

 

 自分の不甲斐なさにギュッ、と土をつかむ。あまりの情けなさに涙も出なかった。

 

 

「きゃっ!!」

 

 ついにバリアが破られ、ユーフォリアはその衝撃でしりもちをついてしまった。

 

「ユーフィ!」

 

「さて…そろそろ幕を下ろしましょうか」

 

 空高くかざした『秩序』に再びマナが収束し始める。これが完成した時点で二人の負けが確定するだろう。

 

 顔面蒼白のユーフォリア、必死でもがいてもどうにもならない自分に歯噛みするライアス、無邪気な子供のような笑みを浮かべるテムオリン。

 

 三者三様ながら、もはや全員が勝敗の覆る可能性については何の考慮もしていなかった。それほどに圧倒的な戦力差だったからだ。

 

 が、ここに一人だけ冷静に状況を判断しているものがいた。

 

(…ライアスよ、そなたは世界ひとつと一人の命を天秤にかけることはできるか?)

 

 これほどの緊急事態にもかかわらず『聖光』が妙な問いを発した。だが、その声音は至って真摯でふざけているようには聞こえない。

 

(は?こんなときに何を言っているのですかッ!)

 

(いいから答えよ。急を要する)

 

 強い口調で答えを要求してきたので、やむなくライアスも答える。

 

(そんなことできるわけないでしょう?命とはひとつだろうといくつだろうと価値を比べられるものではありません)

 

(やはりな…、そなたならそう言うと思った。だが、今あの娘を救えるとしたら?)

 

(え?)

 

(ひとつだけそなたたちを救う方法がある。が、そのためには余のマナだけではとてもではないが足りぬ)

 

(まさか…)

 

(そうだ、この世界ひとつのマナを暴走させれば十分だろう)

 

(何を馬鹿なッ!何をしにここに来たか分かっているのですか!?)

 

(当然だ。だがこのままだとそなたらは殺された上、ここが消されるのだ。いかにそなたでもそれが最上の選択肢ということは分かろう?)

 

(そんな…、私にその断を下せと言うのですか?無理ですよ……。どうしてもやると言うなら……私を殺した後にしなさいッ!!)

 

 もはや理性ではない。感情だけが彼の口から流れ出ている、と言っていいだろう。

 

 こういうことに関しては理性のタガが外れるように生まれついている。

 

(あの娘がどうなってもよいのか?)

 

(いいわけがないでしょう?ですが…だからと言ってここを消すなどと…ッ)

 

(まったく、融通の利かぬやつだ。だが、今回ばかりはそなたの言うことには従えぬ……しかたあるまい。許せ、ライアス)

 

ギイイイイイイインッ!!

 

「うわああああっ!」

 

 最大級の圧迫をライアスに加える『聖光』。いまだかつて無いことだった。

 

 心身ともに疲労しきっていたライアスはそのまま気を失ってしまった。

 

(『悠久』のユーフォリア…聞こえるか?)

 

(え…だ、誰?)

 

(余は『聖光』…ライアスの神剣だ。今すぐ主を連れてここを去れ)

 

(む、無理だよ…こいつから逃げるなんて)

 

 いつに無く弱気な声を上げるユーフォリア。だが、

 

(大丈夫だ。ヤツは余が引き受ける。そなたは主を無事連れ帰ってくれればよい)

 

(でも…『聖光』さんはどうするの?)

 

(余か……?分からぬ。主の元にはもう帰れぬかも知れぬな。もっとも、戻ったところであやつには顔向けできまいが…)

 

(…?)

 

(いや、よい。気にするな…。それより主が目覚めたら支えになってやってくれぬか?放っておけば全て一人で背負いタチだからな)

 

(なんだかよく分からないけど…。任せて!)

 

 話を終えた『聖光』はライアスの手から離れ、宙に浮かんだ。

 

その姿は神々しく、十字架のようにも見える。まるですべての罪を一身に負うかのように…。

 

「何ですの?」

 

 『聖光』の突然の振る舞いにテムオリンの注意がそれた。

 

 ユーフォリアはそれを見計らってライアスの元に駆け寄る。そのまま彼を背負うと自分がやってきた門に飛び込んだ。

 

「…!逃がしませんわ……!」

 

 ようやく気づき、一本の神剣に襲わせる。が、それはユーフォリアの腕をかすめただけだった。

 

「くっ…!」

 

 戻ってきた剣に付着した血を見つめてつぶやく。すでに門は閉じていた。

 

 忌々しげに振り返るが、そこにはとてつもないマナを大地に注ぎ込む『聖光』の姿があった。

 

「まさか…?」

 

 とっさにその意図を見抜いたテムオリンは新たな門を開く。が、そこには網目状にびっしりと結界が張られていた。とても飛び込める状態ではない。触れた瞬間、蒸発するのがオチだろう。

 

(無駄だ、テムオリン。この世界の周りにはすでに結界を張り巡らせてある。貴様にはここで消えてもらうことになる)

 

「無駄なことを…、その程度で私が死ぬとでも?」

 

(たとえそうでも二人を逃すことはできよう?)

 

「いつからそんなに主人思いになったのですか……あなたとて一位神剣に戻りたいのでしょう?坊やを見限ればその望み、叶わないこともありませんわよ」

 

(いつからこうなってしまったのか…余にもはっきりとは分からぬ。まして貴様から見ればただの酔狂だろうな)

 

「分かっているではないですか。ならばあんな坊やに関わらず私の手につきなさい。悪いようにはしませんわよ?」

 

(だがな…この長いときを経て分かったことがある。余の主はあやつの他にはおらぬのだ。あのように救いようの無いほど…底抜けに純粋な者など余は見たことが無い。無論口先だけはそう言う人間や、あるいは何の考えも無くそういう振る舞いをして脚光を浴びようとする者はいくらでもいたがな。あやつはそのような馬鹿どもとは違う。あやつなりに信念を持って……その先に待つものが何たるかを理解したうえで生きている。余はこれから先、未来永劫あやつ以外を主とは認めぬ)

 

「そういう甘っちょろいヒューマニズムは本当にムカつきますわ…!」

 

(何とでも言うがよい。無二の主をもつ喜びを知らぬ『秩序』や貴様には永遠に分からぬだろうからな。今となってはあやつを守ることと一位神剣に帰ることは余の中では等価……いや、同義なのだ)

 

 もう話すことは無い、とばかりにマナの注入を加速させる『聖光』。

 

それにつれてグラグラと激しく揺れ始める大地。

 

「くっ…!ゼク!!」

 

 いまだ苦しみ続けているゼクに呼びかける。

 

「『修羅』でこのマナを吸い取ってしまいなさいッ!!」

 

「む…無茶言ってんじゃねえ…。殺す気かよ…」

 

「このままではどちらにせよあなたはマナの塵でしょう!?つべこべ言ってないで早くなさい!!」

 

 珍しく顔を蒼くしてテムオリンは叫んだ。いかに死ぬことは無いとはいえ、これだけのマナ嵐に巻き込まれれば再生するのに相当の時間とマナがかかるのだ。

 

「くそッ!!もう絶対テメエの依頼は受けねえ…!」

 

 やけくそ気味に立ち上がり、『修羅』を突き立てる。

 

(マナだ…!マナだ…!!うへへへへへへっ!!)

 

 苦しげなゼクの表情と裏腹に歓喜の声を上げる『修羅』。ゼクもできるだけマナを直接『修羅』に押し付けようとしていた。

 

 だが、その吸収速度も『聖光』には追いつかなかった。

 

そして一定値を超えた、その瞬間。

 

ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!

 

 とんでもない爆音があたりに響く。耳元でジェットエンジンの轟音を聞かされるようなものだ。

 

 空には暗雲が立ち込め雷が鳴り響き、マナ嵐がとぐろを巻いたようにうねる。

 

 あたりはその影響で、オーロラのように虹色に輝いていた。

 

 嵐は容赦なくあたりを破壊してゆき、高波は大地を飲み込んで叫びを上げる。

 

地面にはバキバキと音を立てて無数の亀裂が走っており、すでに原形をとどめていない。

 

 その割れ目から閃光がほとばしる。ここの中心部に蓄えられていた、まさにこの大地の命というべきマナが流れ出ているのだ。

 

『聖光』が注ぎ込んだ自らのマナが相手のマナを励起し、互いの粒子が衝突し合う。衝突のたびに放出されるエネルギーが新たなマナ嵐を作り出していた。

 

大地からほとばしる光の筋が五つ、六つと増えてゆき、ついには数え切れないほどになる。

 

(ライアスよ、そなたが背負うことは無い。そなたの罪は……余があがなおう)

 

 姿の無いライアスに語りかける『聖光』。

 

そして視界がホワイトアウトした、まさにその時―――

 

 

 ―ひとつの世界が、完全に消えた瞬間だった。

 

 こんなにもあっさりと。

 

 

 

「俺の…ボーナス…」

 

「おだまりっ!!」

 

(笑)

 

 

 

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