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Bloodstained Hand

第八章 帰還と再会

 

「…よし」

 

 大きく右腕を回して、その感触を確かめるライアス。

 

「もう大丈夫。明日には送り返してあげられそうですよ、ユーフィ」

 

「ホント!?」

 

 嬉しそうな声を上げるユーフォリア。ここに来て以来、最高の笑顔を浮かべる。

 

 それを見るライアスの顔も自然と明るいものになる。

 

「長い間待たせてすみませんでした。…寂しかったでしょう?」

 

「ううん…、お兄ちゃんがいたから全然」

 

 この短い期間でユーフォリアはライアスに懐ききってしまった。

 

そのせいか帰れる嬉しさの中にも、一抹の寂しさを感じずにはいられない。

 

それはライアスも同様である。

 

彼もまた生まれた環境上、同年齢の友人と接する機会も無く、ましてユーフォリアくらいの子供と話したことはほとんど無い。

 

だからこそユーフォリアを年の離れた妹のようにも思えたし、可愛がりもしたのだろう。口にこそ出さないが、

 

(寂しくなりますね…)

 

という思いが彼の表情に微妙な陰りを落としていた。

 

「…そうだ。折角ですから最後に…そこまで散歩に行きませんか?とっておきの場所があるんです」

 

 どうせなら別れるまで明るくありたい。

 

その気持ちからちょっとした提案をしてみた。

 

無論ユーフォリアが否やを言うはずも無く

 

「うん!!」

 

と、大きくうなずくのだった。

 

 

 

「うわぁ〜」

 

感嘆の声を上げるユーフォリア。

 

「どうです、気に入ってくれたでしょう?」

 

「うん、すっごく!」

 

 あたり一面、青々とした葉をつけた木が生い茂っている。

 

かといって密生しているわけではなく、適度に太陽の光を取り込む程度の間隔なので中に入っても明るい。森特有の陰鬱さをまったく感じさせなかった。

 

地面まで陽が差し込むおかげで下草や草花にも事欠かない。しかもそれがわが世の春とばかりに咲き誇っているのだ。

 

 まさに森林浴にはふさわしい場所だった。

 

「あ、リスさん発見!」

 

 何と言ってもユーフォリアの好きな小動物がそこかしこにいるのである。

 

 隠れ家となる場所が豊富にあることが原因のひとつかもしれない。

 

これを見てじっとしていられるはずが無かった。

 

一目散に駆け出すユーフォリア。

 

「あ、こらユーフィ、待ちなさい!…………やれやれ、行ってしまいましたね」

 

苦笑しながら見送るライアスだった。

 

 

ようやくユーフォリアが戻ってきたのはそれから二、三時間も過ぎてからだったろうか。

 

「はぁ〜、疲れた〜」

 

 ぱたっ、とその場にへたり込む。

 

「ふふ…、あんなに走り回るからですよ。さあ、お昼にしましょうか」

 

 ばさっ、とシートを広げて腰を下ろす。

 

 そして持参した弁当箱の包みをほどいてゆく。

 

 中には昨日の夕食のおかずや、今朝用意したおにぎり、サンドイッチなどが入っていた。

 

 普通、前の日の残り物をピクニックに持ってくるものなのかどうかは怪しいが。

 

 この男、案外育ちの割には節約家なのかもしれない。

 

「いっただきま〜すッ」

 

 言うが早いか、さっさとサンドイッチを頬張るユーフォリア。

 

「おっと、早く食べないと私の分がなくなってしまいますね」

 

 そう言ってライアスもおにぎりに手を伸ばす。

 

「む〜、私そんなにたくさん食べないもん」

 

 と、抗議するのだが、

 

「はいはい」

 

 ライアスはあっさりと流してしまう。ユーフォリアもそれにはややムッとした顔で、

 

「…お兄ちゃんの意地悪」

 

 頬を膨らすのだった。

 

 その様子があんまりかわいいものだから、ついライアスもからかってみたくなる。

 

「ユーフィ、女の子ならもう少しおしとやかにするものですよ?」

 

「も〜、お父さんとおんなじ様なこといわないでよ〜」

 

 もちろん本気でしつけるつもりで言ったわけではないのだが。その証拠に「おしとやか」というところを妙に強調していた。そもそも彼が好きなのは元気いっぱいのユーフィなのだ。

 

(おしとやかなユーフィ…)

 

 自分で言っておきながらそれを想像すると、思わず吹き出してしまった。

 

「お兄ちゃ〜ん?今すっごく失礼なこと考えてなかった?」

 

 ややドスの聞いた声。

 

「え?いや、そんなことは……ないですよ」

 

 鋭い突っ込みに思わずたじろいでしまう。とっさに笑ってごまかすのだが、

 

「あ〜、今どもった…。もう、本当に嘘つくの下手なんだから」

 

「…」

 

(私はそんなに顔に出やすいのかなあ?)

 

(うむ、余が保証しよう)

 

『聖光』が即座に答える。

 

(…いえ、むしろ否定して欲しいのですが)

 

 ユーフィをからかうつもりが逆襲され、あげくに『聖光』に太鼓判まで押されてしまった。

 

 なかなかヘコむダブルパンチだ。

 

(よいではないか、それがそなたらしいということなのだから)

 

「まあ、それがお兄ちゃんらしいといえばそうなんだけどね〜」

 

 またしても同じ意見を突きつける二人。

 

 が、今度はどちらからも温かみが感じられた。

 

 なんだかんだ言っても、完璧そうに見えて実はそういう素朴なところもあるライアスが二人とも好きなのだろう。

 

「ふぅ、喜ぶべきなのか悲しむべきなのか…」

 

 疲れきった表情でため息をつくライアスだった。

 

 

 

 食事を終えた二人は紅茶を楽しんでいた。

 

 無論ティーバッグなどではない。ちゃんと乾燥させたハーブを持ってきている。

 

 「通」たる所以といえばそれまでだが、ここまで熱心なのには脱帽するばかりだ。

 

まあ、いくらご執心でも自分で栽培してるのだから金はかからないのだが。

 

それにしても枯れた趣味を持ったものである。

 

 が、当の本人はそんなことをまったく気にしていない様子で至福の表情を浮かべている。

 

 …この男、無人島に何か一つだけ持っていくとすれば間違いなくティーセットと答えるだろう。

 

 だが、それとは対照的にユーフォリアの表情はどこかさえない。そして、

 

「ねえ、お兄ちゃん」

 

突然ユーフォリアが口を開く。その口調は先ほどまでの明るいものではない。

 

「…?なんですか?」

 

 不思議そうにたずね返す。

 

「私を連れて帰ったら…またお父さんたちと戦うの?」

 

 それを聞いた途端、先の恍惚とした表情がさっ、と失せた。

 

 わずかな沈黙。そして、

 

「……はい」

 

 返ってきたのは沈んだ声。

 

「何で?何でお兄ちゃんみたいな人が戦わなくちゃいけないの?」

 

 それはユーフォリアの心底の疑問だった。今となってはその問いは悲しみすら帯びるようになっていた。

 

 当然、ライアスにもその感情は伝わっている。

 

だが、それでも彼は続けた。

 

「すみません…。それが私の仕事なのです。ですが、これだけは約束します。ユウト君とアセリアさんの命は絶対に奪わないと」

 

「……」

 

「そしてユウト君とアセリアさんの三人であの世界で平和に暮らしてください…戦いに煩わされることなく。何もエターナルとして生きることが幸せとは限らないのです。いや…むしろ人としてその一生を全うするほうが幸せなはずです」

 

 ライアスはすでにユーフォリアに情がうつっている。もしこのままエターナルとしての道を歩ませれば、いずれ自分と戦場であいまみえる日がやってくる。

 

 それだけはどうしても避けたかった。

 

「でも…やだよぅ…。お兄ちゃんとお父さんたちが戦うのは…」

 

 涙声で懇願するユーフォリア。

 

 が、ライアスが口を開くことは無かった。

 

 

 

 だがその沈黙も、傍若無人な侵入者によって破られることになる。

 

「…!これは…!?」

 

 周囲のマナが不自然な流れ方をしていた。

 

 通常、マナというのは空間に固定されているので自然な状態では特別な動きを示すことは無い。

 

 それなのにらせん状に立ち昇るマナの渦がいくつも見て取れた。明らかに自然現象ではない。

 

(これは赤の神剣魔法を使うときの軌道…。しかし何故こんなところに?)

 

しかも。

 

幾つもの渦を中心として急激に温度が上昇がしはじめた。

 

その速度があまりに急なので、熱せられた空気が怒涛の勢いで空へ向かってゆく。

 

それにあおられたのか、あたりは急に焦げ臭いにおいに包まれた。

 

(まさかっ!!)

 

 気づくのが遅すぎた。

 

ゴオッ!

 

たちどころに先ほどまでの穏やかな風景が一変する。

 

あたりの木という木すべてが猛炎を上げ始めたのだ。

 

こぼれ落ちる火の粉が宙を舞う。

 

自分が発する猛火に耐えきれずに崩れ落ちる大樹。

 

横たわるその残骸から灼熱の絨毯が大地を獣のように這う。

 

燃え盛る草原は新たな樹木に食らいつく。

 

その連鎖反応がそこかしこで始まった。

 

迫りくる炎から逃げ惑う動物たち。

 

それが草むらから次々に現れるものだから一種の恐慌状態になる。

 

だがその中でも、飛んで逃げることのできる鳥などはまだマシなほうだった。

 

翼を持たぬものは本能の赴くまま、狂ったようにあたりを駆け回ることしかできない。

 

このままでは、それらを待つものは死しかない。

 

「ふふふ…お久しぶりですわね」

 

 嘲笑するような声が響く。

 

 ふわふわと宙から降りてきたのは錫杖を持つ少女、テムオリンだった。

 

「人間どもはこういうのを『地獄絵図』と呼ぶのでしたわね。いい眺めですわ…、あなたもそう思うでしょう?」

 

 炎に照らされるその顔には無邪気なほどの笑顔。それ以外の感情は読み取ることはできなかった。

 

「…いったい何をしにきたのです?」

 

「前に言いませんでしたか?いいことを教えてあげると」

 

「ふざけるなッ!!大体こんな事をする必要がどこにある!」

 

 テムオリンのあまりの反応に声を荒げるライアス。が、そんなことを気にするようでは彼女らしくない。

 

「ちょっとした舞台演出ですわ。構わないでしょう?こんな虫ケラどもがいくら死のうと…」

 

 顔色一つ変えず、平然と言い放つ。

 

「それに、まだまだこの程度では済ませませんわよ…」

 

 まだこの間のライアスとのやり取りを根に持っているようだ。

 

 その言葉とともにテムオリンの周りには無数の神剣が現れる。すべて彼女のコレクションである。

 

 槍型、短剣型などその形状は様々。それらの位も統一されているわけではなくバラバラだ。

 

だが、ひとつだけ共通していることはある。

 

 その元の所有者たちは全員、例外なくテムオリンに消されているということだ。

 

くるくると優雅といえるほどの姿で宙を舞う神剣たち。

 

ライアスも、さっ、と身構える。

 

シュンッ!!

 

高速で一直線に獲物めがけて突き進む。

 

だが、それら (というよりテムオリン)の眼中にライアスはない。

 

いっせいに目指した先にいたのはユーフォリア。

 

「え、えっ…?」

 

 呆然とつぶやくユーフォリア。あまりのことで反応し切れていない。

 

「…!!させませんっ!!」

 

 ライアスも一瞬反応が遅れてしまった。

 

それでも即座にユーフォリアに駆け寄ると、天才的ともいえる勘で攻撃を見切り、ことごとくを跳ね除ける。

 

「…いい加減にしなさい。ユーフィは渡せないと前も言ったはずです」

 

「ふぅ、何故それほどそんな小娘にこだわるのか理解に苦しみますわ。…………というよりムカつきますわッ!!」

 

 珍しく怒鳴るテムオリン。

 

 それに同調したかのように、再び神剣の群れが浮かび上がる。

 

 テムオリンの感情をモロに受けたのか、一本一本が禍々しい光を放つ。

 

 が、ライアスに動じる様子は無い。

 

「無駄だというのがまだ分かりませんか?私はおろかユーフィにも傷ひとつつけさせはしませんよ…」

 

 テムオリンはその言葉を黙殺する。そのまま『秩序』を通じてそれぞれの神剣に命を下す。

 

 それを見て取るとライアスも詠唱を開始する。

 

「行きなさいッ!!」

 

「ルミナス・ディバイダー!」

 

テムオリンの声と同時に詠唱を完成させる。

 

だが、光の障壁に突っ込んでくるものは一本も無い。すべてバラバラの方向に飛んでいった。

 

「え?」

 

 思わず間の抜けた声を上げてしまった。まったくテムオリンの意図がつかめなかったのだ。

 

 が、その答えは燃え盛る森からやってきた。

 

 あたり一面に響く断末魔。

 

「まさか…」

 

「ちょっとした八つ当たりですわ…ククク」

 

 爆炎の中、逃げ惑う動物たちの悲痛な叫びがこだまする。そして急所を刺し貫かれたそれらは鮮血をあたり一面に撒き散らす噴水と化した。

 

あまりの光景に絶句するライアス。

 

「ひどい…」

 

ユーフォリアも愕然とつぶやく。その瞳は大きく揺れていた。

 

怒りによるものか、恐怖によるものかは分からない。

 

「血と炎の紅の二重奏……気分を鎮めるはこれにかぎりますわ」

 

 憂さ晴らしができたテムオリンの顔には爽快とも言える表情が浮かんでいた。

 

無論、それがこの場でライアスに与えるダメージが最も大きいことは承知の上である。

 

 たとえ怒りに流されたように見えても、無意識にその残酷なまでの計算高さが働くようだった。

 

「本当は人間の方がいい声を上げてくれるからいいのですけれど、あいにくこの世界にはいないみたいですわね…。仕方ないですからこの下等生物どもで我慢しますわ」

 

そう言い終ると一本の神剣を手元に呼び戻す。そこには串刺しになった青く、美しい小鳥。

                   

まだ息絶えてはおらず、羽ばたこうと必死でもがく姿は見るものに哀愁を禁じえない。

 

そんな小鳥を乱暴にひきはがすテムオリン。生肉のグチャ、と裂ける音は吐き気すらも催す。

 

ニコリ、と童女のように微笑む。

 

が、その次にとった行動は目に余るものだった。

 

その翼をもぎとると、こともあろうにそれをクチャクチャとしゃぶり始めたのだ。

 

「ふふ、下等生物とはいえなかなかいい味の血ですわ…」

 

 血の赤がテムオリンの頬を染める。その顔は凄惨なものだった。

 

「テムオリンッ!何ということをッ!!」

 

 激怒するライアス。

 

 彼同様、憤りを禁じえないのか『聖光』からすさまじい輝きが放たれる。

 

 そこに居合わせるだけでビリビリと怒りの波長、そしてマナが昂ぶるのが伝わってくる。

 

 これだけの力を受ければテムオリンといえど、ただでは済まないだろう。

 

 しかし、それを見てもテムオリンには動じる様子は無い。

 

 すべてシナリオどおり、ということか。

 

「何を興奮しているのですか?あなたとて同じロウ・エターナル。やっていることは大差ありませんわ…」

 

「そんなことはない!私には…少なくともあなたのように軽々しく命を奪うことはできないッ!!」

 

「所詮そんなものは坊やの感傷…。そんなに殺しがイヤならいっそカオスにでも鞍替えすればどうですか?」

 

「テムオリン…たとえロウの目的がすべてをマナに帰すことだとしても、『聖光』が力を貸してくれるための条件と言うならばそれに異を唱えるつもりはありません。第一そのことはエターナルになったときにケリをつけてあります」

 

 やや諦めに似た感情が心をかすめる。だが、次の瞬間にはいつもの彼に戻っていた。

 

「…ですが、いずれすべてを消すからといってそれが何をしてもいいという免罪符にはなりえません」

 

 スッ、と『聖光』を構えた。その無駄の無い構えはかつてのウルカを思わせる。

 

「この手を血で汚すことだけは絶対にしたくなかった……ですが、あなただけはこれ以上放置しておくことはできません」

 

 決意をこめた瞳でにらみつける。

 

「ふふ…いいでしょう。これ以上坊やのお守りに付き合うのにはこっちもウンザリしてましたから」

 

 あたりに緊張感が漂う。それでもなぜかテムオリンは余裕を崩さない。

 

(何だ?この余裕は…)

 

「そうそう、肝心なことを言い忘れてましたわ。…次に消す世界が決まったからそれを教えに来たんでしたわ」

 

 空とぼけた表情でつぶやく。

 

 突然何の関係も無い話題を振られて一瞬戸惑ったが、最初に彼女の言っていたことを思い出した。

 

「…それがあなたの言う『いいこと』ですか?」

 

「そういうことになりますわね。嬉しいでしょう?消し飛ぶ様子が特等席で見られますわよ?」

 

ニヤリ、と笑みを浮かべ門を開く。

 

「さあ、きれいな花火にご招待しますわ」

 

 その言葉を残すとさっさとその中へ消えてしまった。

 

 口にしたことは絶対に実行するのがテムオリンである。今回も本気で消すつもりなのだろう。

 

「私の目の前でそんなことはさせませんよ…!」

 

(ライアスよ、あやつは陰謀多き輩だ…。うかつに踏み込むと思わぬことになるやも知れぬ)

 

テムオリンをすぐにでも追おうとした彼に『聖光』が注意を促す。

 

(わかっています。あの余裕…確実に何か仕掛けてくるでしょうね…)

 

(そうだ。…それでも行くか?)

 

(答えは分かっているでしょう?)

 

(そうだな…、それ故に余はそなたを主に選んだのだから…。だが、油断だけはしてはならぬぞ?正面からの勝負ならそなたがテムオリンに負けることは無い……だからこそ、それなりの策を構えているはずだ)

 

(ご忠告痛み入ります、『聖光』)

 

「お兄ちゃん、行っちゃうの…?」

 

 不安げにたずねるユーフォリア。

 

 ライアスはそんな彼女を安心させるように微笑む。

 

「大丈夫です、負けはしません。必ずあなたを送り返す…その約束も守って見せます。だからここでおとなしく待っていてくださいね?」

 

「でも…私はアイツが許せない…!」

 

 わなわなと震える。目の前で行われた大虐殺はまぶたにくっきりと残っていた。

 

 ライアスにもユーフォリアの気持ちは分かる。だが、だからといって彼女を危険にさらす気は毛頭無かった。

 

「…いけません。あなたがきても足手まといになるだけです。あなたを連れて行くことはできません」

 

 敢えて冷たく言い放つ。

 

今まで見たことのない厳しさにユーフォリアもうなずき返すしかできない。

 

「では…行ってきます!!」

 

 ライアスもテムオリンの後を追い、門の中へと消えていった。

 

 ユーフォリアもライアスに絶対の信頼を置いていたし、その強さは悠人やアセリアを凌ぐことも分かってはいた。

 

だが、それでも一抹の不安は拭い去ることができなかった。

 

 

 

「ここは…」

 

 到着するなりライアスは驚きの声を上げた。

 

「ふふ…、さすがに懐かしそうですわね?」

 

 そう、彼らを迎えた世界とはライアスがはるか昔に立ち去った世界。

 

 彼が生を受け、十数年のときを過ごした世界。

 

『聖光』を手に取り、新たな道を歩み始めた出発点。

 

彼の生きた時間に比べればそこにいた時間など取るに足らないものかもしれない。だが、そこでの時間が彼に与えたものは何より大きく、忘れられないものだった。

 

テムオリンが消し去ろうとしているのはそんな世界だった。

 

「テムオリン、あなたという人は……ッ」

 

 自分へのあてつけ、そうとしか考えられなかった。

 

「絶対に守ってみせる…!私を怒らせたことを後悔しなさい、テムオリン」

 

「おやおや、かわいらしいこと…。でもあなたの相手は私ではありませんのよ……。ゼク、おいでなさい」

 

 …反応が無い。

 

「ゼク?」

 

 以下同文。

 

「…」

 

 ニコリと微笑む。が、その額がピクピクと震えているのは気のせいではなかろう。

 

小さく門を開き手を突っ込む。何か引っ張っているようだ。

 

「…痛ッ!何しやがる、このタコ!」

 

 ずるずると引き出され、情けない声で怒鳴るゼク。思いっきり耳を引っ張られている。

 

「あなたという人は…どこまで無精者なのですか?報酬分くらいきっちり働きなさいッ!」

 

 と大喝するテムオリン。

 

「何言ってやがる、あんな安い報酬で…。大体俺の仕事は今日じゃねえだろ?」

 

「全く……どうして優秀な部下に恵まれませんのかしら…」

 

 はあ、とため息ひとつに空を見上げる。が、気を取り直したのかコホン、とひとつ咳払いをした。

 

「まあいいですわ。今回は依頼と別件……。やはりあなたへの報酬の上乗せをすることにしましたわ。この世界のマナ全部をサービスします」

 

「…マジか?」

 

 先日きっぱりと増額を断られた彼は、なかば諦めていた。だからこのことは願ってもない申し出だった。

 

「ったく用件を先に言えっての。じゃあ、早速いただこうか…」

 

「待ちなさい、ゼク!」

 

 惜しげもなく盛大に消し飛ばそうとするゼクをあわてて呼び止めるライアス。

 

 声をかけられてようやくゼクも相手の存在に気づいた。

 

「…なんだ、いつぞやの坊やじゃねえか」

 

「あなたがここにいるということは…まだ傭兵家業から足を洗っていないようですね?」

 

 ゼクはかつてカオス・エターナルに雇われてライアスと対峙したことがある。

 

 そのときは雇い主があっさりライアスに破れ、それ以上戦う意味も無かった。もらうものだけはしっかりもらっていたので、ゼクはさっさと雇い主を見捨ててその場を去ったのだ。

 

 ロウ・カオスどちらにも属さず、報酬次第でどちらにもつく。

 

そういう節操の無さからついたのが『異端者』という二つ名である。

 

もっとも、ローガスがそういうやり口を嫌っているのでカオスからの依頼はめっきり減ってしまってはいるが。

 

それは彼の懐を直撃するわけで…。

 

(くそ、こんなおいしくねえ仕事をしなくちゃならんのは全部あのガキのせいだ…)

 

 と逆恨みする始末である。

 

というのはまた別のお話。元に戻ろう。

 

「おい、こりゃどういうこった……アイツはロウじゃねえのか?一応仲間だろ」

 

「せっかくあなたにサービスしようと思ったのですけど、この坊やがどうしても嫌と突っぱねるものですから。欲しかったら自分で切り取りなさい」

 

「…」

 

(こういうのを『絵に描いた餅』って言うんだよな……)

 

「…なあ?」

 

「なんですの?」

 

「割に合ってねえぞ?」

 

「そんなことはありませんわ。むしろ私の心の広さに感謝して欲しいくらいですわね」

 

(どこがサービスだよ。冗談抜きで吝いヤツだ…。大体こんなちっぽけな世界ひとつであの坊やの相手すんのは正直かったりいぞ…)

 

「イヤなら今度の依頼、無かったことにしてもいいのですけど?」

 

「……へいへい、了解しましたよ」

 

 その言葉にだけはかなわない。無一文だけはゴメンだった。

 

「しゃあねえな…。どうせテメエも引く気はねえんだろ?」

 

「それはこっちが言いたいですね。…避けては通しませんよ」

 

 その様子を満足げに見るテムオリン。

 

 自分に向くはずだった矛先を巧みにそらせている。やはり策略の面では彼女のほうが一歩上、ということか。

 

「ここは町に近い…。場所を変えさせてもらいますよ?」

 

「やれやれ、甘いヤツだ…」

 

 そうは言いつつも、一応その言葉に従う。

 

(ま、広い場所のほうが思いっきりやれるからな…)

 

 と、その程度にしか考えていなかったが。

 

「テムオリン、あなたも覚悟しておきなさい」

 

「減らず口は立派ですけど…まあ、頭の片隅くらいには入れておきますわ」

 

最後にそれだけを言い残し、ライアスとゼクはその場を去った。

 

「ふふ…。さて、次の準備に取り掛かりますか」

 

 ひとり残されたテムオリンはそんな呟きをもらした。

 

 

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