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After the Eternal War ――閉ざされた大地で――
第六章 300年の罪

《ラキオス城・謁見の間》

 賊は、逃げ散った。

 ラシードの死をもって、『黒い翼』は事実上の崩壊を迎えたといっていい。堂々と挑戦状を叩きつけたり、昼間から城に乗り込んできたりと、やることは派手だったのだが、皮肉にもその終焉はあっけなかった。

 戦闘が終わって安堵したのか、ちらほらと、壁に寄りかかったり床にへたり込んでいる城兵の姿も見受けられた。

 あれだけの騒ぎだったのだから、惰気が生じてしまうのも無理はない。戦力としては微々たるものだったかもしれないが、彼らは彼らなりに、城を守るため懸命に戦ったのだ。そこは、評価してもいい。

 中でも、最大の功労者は、自分の命と引き換えに詰め所に駆け込んだ兵士であろう。もし、かれが伝令の役を申し出なかったら、今頃城は落ちているかもしれない。

 とにかく、城を上げての大騒ぎはひと段落着いた。

 が、ここ謁見の間だけは、依然としてひやりとするような緊張感に包まれていた。

 原因は、ラグナだった。

 レスティーナをはじめ、スピリット隊、城兵、そして旧態依然とした無能な貴族の視線に晒される中、不機嫌そうに口を開いた。

「心外だな。何故私が尋問されなくてはならん?」

「ですから………!」

「第一、謝辞のひとつも言えないのか?あのまま、私が奴らを放っておけばどうなっていたことか………。ふん、人間の女王は礼儀すら知らないと見える」

「………そのことについては感謝しています」

 取り付く島もないラグナを相手に、レスティーナもいささかもてあまし気味だった。

 その場にいる全員が、あくまでも突っけんどんな態度を貫くラグナに、冷ややかとも腹立たしげとも取れる視線を向けていた。特に、貴族連中にその傾向が強い。

 彼らにすれば、「スピリット風情が、何するものぞ」といったところだろう。

 が、それ以上に、ひときわ厳しい目が混じっている。

 ヒミカである。

 ヒミカの耳には、「姉御が裏切った」という賊の一人が叫んだ言葉が、今でも離れないでいた。

 生真面目で一本気なヒミカには、どういう形であれ「裏切り」などという行為をする者は信用できないらしい。目に、ありありと軽侮の色が浮かんでいる。

 が、ラグナのあまりの態度に口を挟まずにいられなくなった。

「ちょっとあなた、自分の名前くらい明かしたらどうなの?その態度、とても初見の相手に対してのものとは思えないけど。礼儀知らずなのは、むしろあなたの方じゃないの?」

 怒鳴りたい気持ちを抑えて、なじるだけにとどめた。

 さすがに、相手の事情も知らないのに、「自分が何をしたのかわかっているのか」とまでは言いかねた。

 が、裏切り自体が憎いことには変わりない。言葉に怒気が含まれてしまうのは、どうしようもなかった。

 意外にも、ラグナはヒミカの言葉には素直に反応した。

「………そうだな。確かにお前の言うとおりだ。非礼は詫びよう」

 軽く、頭を下げた。

「私の名は、ラグナという。母、『再生』がこの大地に生み落とした最後のスピリットだ」

「最後の………?」

「そうだ。お前たちとロウ・エターナルの決着の後、『再生』が崩れ落ちたことは知っているだろう?」

「え、ええ………」

「だが、その時点ではまだ『再生』は死んでいなかった。消え行く中、『再生』は自分に残されたすべてを託して、一人のスピリットを生んだ。………それが、私だ」

 ごく簡潔に、自分の素性を明かした。

 が、ここにいる者が本当に知りたいのはそこではない。

 茶話でもするような軽い口調で、光陰がたずねた。

「なぁ、ラグナさんよ。お前さん、さっきの連中と知り合いみたいだったよな?そこんとこを聞かせて欲しいんだけどな」

 その話題が出た途端、ラグナは露骨に顔をゆがめた。

「思い出しても虫唾が走る………。できれば話したくはないのだが?」

「まぁ、そう言うなって。ここにいる全員が聞きたがってることだしよ」

「だが………」

「な、この通り。頼むよ」

 と、両手を合わせ、拝むような仕草をしてみせた。

 そんな光陰を、ラグナは少し困ったような顔で見ていたが、

「………仕方ない。エトランジェには、スピリットの皆がいろいろと世話になってきたからな」

 と、前置きすると、渋々ながらも口を開いた。が、

「あのクズどもに力を与えたのは私だ。この『転生』を使ってな」

 開口一番、核心を突いた問題発言。のっけから全員の気を呑んでしまった。

 ラグナは、そんな空気に頓着することなくハイロゥから羽を一枚抜き取ると、光陰の目に入るように差し出した。

 光陰は羽自体に興味はないらしい。受け取った途端、隣にいたヨーティアに手渡してしまった。

「なるほど。原理は知らないが、こいつが人間の中に取り込まれると、俺たちエトランジェやスピリットみたいに身体がマナにつくり変えられる。で、これまた何でかは分からないが、スピリット並みの力が備わる、ってことでいいんだよな?」

「さすが物分りが早い。切れ者という噂に間違いはなかったようだ」

「へっ、誉めても何にも出ないぜ?」

 たわいのない会話を交わしながら、光陰は話を進める。

「てことは、『転生』の羽を受けた人間はエーテルジャンプだってできるはずだよな?」

「原理上は可能だろうな。試したことはないが」

(人間の開発したものなど、使う気もしないがな)

 光陰は聞き上手である。口数の少ないラグナが話しやすいように、それ相応の話題をゆるゆると続けている。

 そんな光陰に釣られる形で、ついラグナも多弁になった。

 ほどほどにしゃべり、ちょうどラグナの唇も濡れてきた頃、何気なく光陰はたずねた。

「それだけの力を持ってるってことは、『転生』ってのは結構高位の神剣なんだろ?」

「まあ………な」

「一体、第何位なんだ?」

「そうだな………当ててみるか?」

 ラグナは口元をほころばせながら、水を向けた。

 普段のラグナなら、絶対にこんなことは言わない。それだけ、ラグナが光陰の話術に引き込まれている証拠でもあった。

 半ば面白がりながら、光陰は答えた。

「………よし、第四位と見た。どうだ?」

 スピリットの持つ神剣としては、破格の位である。が、座興として言う分にはこれくらいの答えを出した方が面白かろう。

 光陰は、そう思った。

 にやり、と問う光陰に、同じような笑みを浮かべてラグナは答えた。

「惜しいな。答えは第三位だ」

「何だと!?」

 声を上げたのは光陰ではない。ラキオス譜代の貴族たちであった。一様におびえきった視線をラグナに向けている。彼らの脳裏に刻まれたロウ・エターナルの恐怖はそう簡単に払拭されるものではない。

 ロウだろうがカオスだろうが、とにかく「エターナル」という語自体が、彼らの畏怖の対象になっていた。

 が、当のラグナは自分の発言の重みがまるで分かっていないらしく、平然とした面つきで構えている。

 ラグナは、小柄である。背の高い光陰にすっぽりと隠れてしまうほどだった。そのくせ、どこか人を萎縮させるような威圧感がこの少女にはある。

 それが、貴族たちの恐怖をひときわ煽り立てていた。

「馬鹿な………『蓋』はちゃんと起動しているはずだぞ?なのに何でエターナルが………」

 徹夜疲れも手伝ってか、思ったことがそのままヨーティアの口をついて出た。

 ラグナは、顔はそっぽを向いたまま、視線だけをヨーティアに送ると、

「まさか、『蓋』の中でエターナルが生まれるとは考えてもみなかったのだろう?「愚かな」人間の賢者」

「にゃにおう!?このボンクラが!」

 いつもの口癖を発揮しながら詰め寄ろうとするヨーティアだが、後ろからイオに羽交い絞めにされてしまった。やむなく、その場でラグナをののしり続ける。

 が、ラグナは振り向きもしない。それが余計にヨーティアの神経を逆なでする結果になった。

 喚き散らすヨーティアをよそに、ようやく光陰が口を開いた。

「おい、座興にしちゃあ重過ぎるぜ。どうせなら、もうすこし笑える冗談にして欲しかったなあ」

 相変わらずの砕けた口調で続ける光陰だが、目は笑っていない。平静を装ってはいるものの、光陰自身、じんわりと冷や汗が浮き出てくるのを感じていた。

 むしろ光陰だからこそ、これだけの重大事を告げられても冗談めかしく反応できたと言える。

「驚くことはないだろう?『再生』自身が第二位の上位神剣だったのだ。その『再生』が自分の全てを託して生んだスピリットがエターナルだったとしても、不思議はないと思うのだが」

 そう諭すラグナだが、みなの表情が和らぐ気配はない。それを見て取ると、ラグナはさっきより柔らかい口調で、

「そう緊張するな。エターナルといっても、私にそれほどの力はない。何しろ、『再生』もほとんど消滅寸前の状態で私を生んだのだからな。エターナルとして見れば、それこそ私の力など下の下だ。………そうだな、この場にいる全員の手にかかれば、私一人を殺すくらいわけもないだろう」

 多少物騒な感はあったが、これほど分かりやすい例えもなかろう。彼女らを落ち着かせるには、確かに効果のある一言だった。

「それに、私は自分のことをエターナルだとは思っていない。あくまでもスピリットの一人だし、そうありたいと考えている。だから、お前たちにもそう見て欲しい」

 その「お前たち」の中に、レスティーナをはじめとする人間が含まれていないのは、言うまでもない。

 が、何を勘違いしたか、その言葉を聞いた途端、貴族たちは傲然とした態度を取り戻した。

 彼らの時代遅れもはなはだしい思考回路にかかっては、「スピリットとして見て欲しい」というのは「自分を奴隷扱いしてくれて構わない」と解釈されるらしい。

 光陰は、敏感に彼らの変化に気づいた。

(まったく………マロリガンの議会連中もそうだったが、どうして貴族ってのはこうも頭が古いんだか)

 スピリットと人間の融和の最大の障壁は彼らであることを、改めて認識させられた。

 一方で、聡明な光陰には、彼らがスピリットへの蔑視を捨てないであろうことも、そして、その古い考え方がいずれ自然淘汰されてゆくことも分かっていた。

 光陰本人が現実主義なだけに、すべての人間がスピリットと共存できるようになるとは考えていなかった。時代の流れの中、排除されてゆく者は必ず存在するだろう。

 が、その時期がこうも早くやってくるとは思ってもみなかった。それを、光陰はすぐに思い知らされることになる。

「………話を戻そう。それで、お前さんはどうして『黒い翼』の連中に力を貸したんだ?」

 まわりまわって、光陰はようやく本題を切り出すことが出来た。

 話の中身が中身だけに、ラグナに注がれる視線も厳しいものへと変わる。むしろ、この状況下でラグナに好意を抱けというのが無茶な話だ。

 何故か、ラグナはうつむくと、「ククッ」と冷たい含み笑いを漏らした。

「ゴミクズの始末は、ゴミクズにさせようと思ってな。………そう、「人間」という名のゴミのな」

 底冷えのする冷たい目で、レスティーナ、ヨーティア、そして貴族連中を睨め回した。いつの間にか、『転生』も黒く染まっている。

 思わずレスティーナが睨み返してしまうほど、ラグナは全身から殺気を匂わせていた。

「だが、私も横着をしすぎたようだ。考えてみれば、そんな手抜きでことが成るはずもない。やはり、この大地をスピリットの手に取り戻すにはスピリット自身が手を下さねばならない、ということなのだろう。………私がこの手で、人間を排除することに決めた」

 と、レスティーナの視線を捉えた。

「そういうわけだ。お前たちにも速やかに死んでもらいたい。………まさか、イヤだとは言わないだろう?」

「………」

 言わないわけがない。

 レスティーナは、ラグナに気取られないように深呼吸をすると、おもむろに切り返した。

「あなたが人間を憎んでいるのはよく分かりました。………でも、何故です?何故それほど人間が憎いのですか?」

「何故、だと?………本気で言っているのか?」

「はい。それを聞かないことには返答のしようがありません。聞かせてもらえないでしょうか?」

 玉座から見下ろす形で、レスティーナはたずねた。

「ククッ………実に滑稽な話だ。賢君と名高い女王でさえ、このザマとは………。人間とは、つくづく反省ができぬ生き物らしい」

 聞こえよがしに言い放つと、ラグナはレスティーナを見上げた。

「この300年、人間が何をしてきたのか忘れたのか?」

「………え?」

「貴様ら人間がスピリットにした仕打ちを忘れたのかと聞ている!!」

「それは………!」

「黙れッ!」

 反論しようとするレスティーナを、ラグナの怒声が押さえつけた。

「生まれる前、私は『再生』の中でずっと人間の所業を見てきた。どいつもこいつも本当のクズだったよ。スピリットを奴隷や玩具として見ることに何の疑いも持たず、無論、彼女たちが死んでも誰一人それを悼む人間はいなかった………」

 つぶやき、と思えるほど小さな声なのに、ラグナの言葉はレスティーナをとらえて放さない。

「死んではじめて神剣から解放され、『再生』のもとに帰ってきた彼女たちは何と言ったと思う?」

「………」

「『私は、何のために生まれてきたの?』………口にこそ出さなかったが、私にはそう言っているように思えた。彼女たちは皆、同じようにその一言を残し、『再生』に浄化され、再び別のスピリットとして送りだされた。300年、その繰り返しだ。………それなのにっ!!」

 そう言って顔を上げたラグナの瞳には、悔し涙があふれていた。

「貴様ら人間は何をしてきた?スピリットが従順なのをいいことに、その上にあぐらを掻き、のうのうとこの大地にのさばってきただけの毒虫ではないか!!」

 普段無口な分、一度火がつくとラグナはとどまることを知らない。

「そんな寄生虫のような存在に、生きる資格などあるはずがない!あっていいはずがない!一人残らず、マナの塵と消え去ってしまえッ!!」

(スピリット風情が何をふざけたことを………。貴様に言われなくとも、スピリットなどこちらから御免こうむりたいわ)

 城中、それも大陸を統べる女王の前で、身分もわきまえずに声を荒げるラグナを前に、貴族たちはどんよりと淀んだ目を向けていた。

 それもそのはずで、世が世ならラグナなど同席するのも憚られるような存在なのだ。彼らの旧弊な意識の中では、依然としてラグナはドブネズミ程度に映るらしい。

 人間の中では、レスティーナとヨーティアだけが、痛ましげな表情でラグナの話に聞き入っていた。

「………よく、わかりました」

 かすれ気味の声で、レスティーナはラグナと向き合った。

(これだけ心に痛みを抱えたスピリット………もし、彼女を救うことが出来ないなら、スピリットとの共存など夢のまた夢でしかない)

 レスティーナは玉座を立つと、階段を下り、そのままラグナの目の前まで歩み寄った。

「レスティーナ様!そのような者、汚らわしゅうございます!はやくお離れ下さい!」

 無論、愚かな貴族どもの声など耳に入っていない。今はただ、ラグナに自分たちを、「人間」を理解して欲しかった。

「ラグナ………あなたの言うことは正しいと思います。ロウ・エターナルに操作されていたとはいえ、人間がスピリットを泥沼に陥れてきたのは否定できません。心から謝りたいと思います」

「いまさら偽善者ぶる気か?ふん、さすがに女王だけあって、大衆の面前での演技は上手いものだな。第一、今さら謝られたところで、それが何になる?」

 邪笑を浮かべて皮肉るラグナに、レスティーナは黙って首を振った。

「わかっています。………でも、御覧なさい、ここに居並ぶ英雄たちを」

 と、レスティーナはスピリット隊の面々を示した。

「彼女たちも、あなたの言うように人間に虐げられてきました。それでも………ロウ・エターナルからこの世界を救い、あまつさえ私達人間と共に、歩んでいくことを選んでくれたのです」

(何を言っている………。ロウ・エターナルを撃退したのは何も人間のためではあるまい。そうしなければスピリットが滅んでしまう、それだけの話ではないか)

「もう、スピリットが差別される時代は終わったのです。これからは、この大地に生きるものとして、共に未来を築くことが出来るはずです。………私は、そう信じています」

(ふん。スピリットを戦争の道具に使い、大陸を統一した「前科」持ちが何を言う)

 誠心をあらわにしたレスティーナの言葉も、ラグナの心には届かない。

 自分に向けられた暖かな微笑さえ、ラグナには嘲笑にうつるのだろう。悪意をもって相手を見れば、むこうがどのように手を差し伸べてこようと意味がない。

 はき捨てるように、ラグナはつぶやいた。

「差別はなくなった、か………。エトランジェよ」

 不意に光陰に声をかけると、

「お前のもとの世界に、差別はあるか?宗教、経済、人種、なんでもいい」

「ああ。そりゃあな………挙げてくとキリがないぜ?中には2000年続いてるような、根の深いのもある」

 ハイペリアにいた頃、新聞に宗教戦争がらみの記事が載ることも珍しくはなかった。ファンタズマゴリアに来て三年足らず、そうそう記憶が薄れるようなことはない。

 光陰の答えを受けて、ラグナは続けてたずねた。

「では、その中で解決したものはいくつある?」

「え?」

「完全に差別がなくなった例を知っているか、と聞いている。お互いに一糸まとわず、ひとつ湯船で語り合えるようになったか、ということだ」

「………」

 ない。

 少なくとも光陰の知る限り、そんな幻想まがいの話は聞いたことがない。

 仮に表面を繕っていても、内心では相手に対する不信感や憎悪を完全に払拭できていない、というのがほとんどのように思われる。

 ラグナの期待通りの答えを、光陰は出した。

「………そういうことだ、人間の女王よ」

 と、ラグナはこの世界で最高の貴人を呼んだ。

「お前は差別意識というものを甘く見すぎている。そう簡単に改まるものではない」

「………っ!」

 舌鋒するどく追い詰めてくるラグナに、レスティーナも一瞬たじろいだ。ラグナ、さらに追い討ちをかける。

「偏見もな、それが日の浅いうちならば手の施しようはある。誤解と言いかえてもいいだろう。少しでも相手と打ち解けて話すことができれば、「あぁ、あれは誤解だったんだ」………その一言で片付いてしまうことさえある」

「それと同じです。理解を深める機会を設ければ必ず………!」

 ここぞとばかりに割って入るレスティーナ。が、違うな、とばかりに首を振ると、ラグナは続けた。

「だが、そんな「誤解」も長い年月を通じ、心という土壌に染み渡ってしまえばどうしようもない。………何故だか分かるか?」

 と、一呼吸の間を置き、レスティーナの反応を見る。

「………」

 今度は、レスティーナは答えなかった。

 ここまで来た以上、最後までラグナの考えを聞いてみたかった。妙に口を挟むよりは、黙っている方がいい、と判断したのだろう。

 ラグナも、別にレスティーナに答えを期待してのことではないから、お構いなしに話を続ける。

「心の中に「誤解」がある状態が、当たり前になってしまうからだ」

 と、どこか説法じみた話を、ラグナは始めた。

「当たり前のことを「何故?」と問う人間はいない。お前たちとて、「なぜ太陽は明るいのか」「どうして雨が降るのか」などと聞いたりはしないだろう?………それと同じことだ。スピリットを差別するのを当然と思い、それに疑問を持たなくなってしまう」

(なるほどな………)

 光陰には何となく、ラグナの言いたいことが分かった。仏教僧崩れだけに、こういう話にはある程度慣れている。

 ラグナは少し考えるような仕草をすると、

「………そうだな。心とは、粘土細工のようなものだと思えばいい。乾く前ならばいくらでも手を加え、形を変えることが出来る。だが、一度乾ききってしまえば、もうどうしようもない。無理に力を加えれば壊れてしまう」

「だから、人間を滅ぼすと………?」

「そうだ。一度生まれた差別意識は消えることはない。ならば、その大元………つまり、人間の存在自体を抹消するしかないだろう?何度も言うが、お前の言う「スピリットと人間の共存」など、所詮は夢物語に過ぎない。………そもそも」

 と、片頬を吊り上げた。

「私に、人間を許す気はない」

(相当キてるな、こりゃあ………)

 光陰の見るところ、ラグナ自身が人間への憎悪で凝り固まり、それ以外の見方が出来なくなっているようだった。こういう相手には、言葉での説得は逆効果になることが多い。

 それはレスティーナも十分に承知している。

(言葉とは、無力なものですね………)

 仕方なく、口をつぐもうかと思ったときだった。

 不意にラグナが持ちかけた。

「………そうだな、ひとつ私の問いに答えて欲しい。その答え次第で、私も人間の見方を変えるかもしれない。どうだ?」

 思ってもみない言葉だった。先程の様子から考えれば、不自然なほどの変わりようとも言える。

 レスティーナも多少の違和感を覚えたが、その提案自体に異論はない。

「………分かりました。それで、その問いとは?」

「それはな………」

 すっ、とラグナは掻き消えた。ほぼ同時に、

 ―――べちゃっ 

 一体、何を潰せばこんな音がするのだろうか。妙に粘っこい音が、立て続けにみっつ、レスティーナの耳を打った。

 反射的に、レスティーナは振り向いた。

「………!」

 部屋が、凍りついたような気がした。

 無理もないだろう。わずか数瞬で、目の前に地獄絵図が出現したのだから。

 血液、脳髄、排泄物、ありとあらゆる体液を垂れ流しながら、三人の貴族が崩れ落ちた。人間というのもおこがましいほど、惨とした肉塊に変わり果てている。

 横たわる三つの死骸の後ろに、悠然と『転生』に付着した血を拭い取るラグナの姿があった。

「ぶ、無礼者!スピリットの分際で人間に逆らうとは………!」

「黙れ」

 ひとかけらの情もなく、ラグナは『転生』を薙いだ。

 今度は噴水のように血しぶきを上げつつ、またひとつ、貴族の生首が床に転がった。

「何ということを………」

 凄惨としか言いようのない光景に、レスティーナも呆然としてしまった。いったい、ラグナは何を考えているのか。

 人間が憎いのは分かるが、いくら何でもこれはむごすぎはしないか。

(そこまで人間が憎いのですか………?)

 愕然とした表情で固まるレスティーナに向けて、ラグナは平然と言い放った。

「残酷だと思ったか?」

「な………!?」

 無神経もここまでくれば罪である。

 こんな光景を見せられてなお残酷だと思えない者は、いっそ人間などやめてしまったほうがいい。

 ラグナのあまりの憎々しさに、レスティーナも二の句が告げなかった。

(狂っている………!)

 正直、そう思った。

 だが、そう思わせることこそが、ラグナの目的であることにレスティーナは気づいていない。

 肩を震わせるレスティーナに、

「だが、これが300年の間、人間がスピリットにしてきた仕打ちだ。………そして、これが私からお前への問いでもある」

 静かに、そのくせ凄みの効いた声で告げた。

「さあ、答えろ、人間の女王よ。残酷だと思ったか、それとも思わなかったか?」

 巧妙な言い方だった。

 「思う」、と言えば、スピリットが虐げられているのを知りながらそれを黙殺してきたことを認めることになるし、「思わない」といえば、スピリットには何の憐憫も情愛も感じていない、ということになる。

 間違っても「思わない」とは言えない。それは、ラグナも承知しているはず。

 つまり、ラグナはレスティーナに「思う」と答えさせようとしている、と考えていい。

(でも、なぜ………?)

 人間の罪を認めさせたいだけならば、わざわざ四人もの命を、それもレスティーナの目の前で奪う必要はない。

 第一、レスティーナは人間の非を認めている。そのことはたった今、ラグナの目の前で証明し、謝罪して見せたはずだ。もっとも、言葉の上での謝罪などをラグナが欲しているとは思えなかったが。

 そこまで考えて、はた、とレスティーナは気がついた。

(ああ、そうか………)

 今のラグナを「狂っている」と思ってしまった自分。

 ―――それはつまり、今までの人間が狂っていたということと同じ。

 はじめから、ラグナは答えなど求めていなかったのだ。

(ラグナは人間がどれだけ無慈悲であったかということを、私自身の目で確かめさせようとしている)

 「王族」という立場からは見えない、人間の暗い部分。

 いかにレスティーナが聡明であろうと、その生まれた環境が見えなくするものもあるのだ。

 高貴な生まれゆえに、レスティーナは極力スピリットとの接触がないように育てられた。だから、街中で、兵舎で、戦場で、どれだけスピリットが虐げられていたかは言葉でしか知らない。

 それに、レスティーナが王位に着き、直接国政の指揮に当たるようになったころには、悠人らの影響で、多少なりとも状況は改善されていた。誰にも邪魔されることなく、自分の目でスピリットの境遇を見ることが出来るようになったのはその頃からだった。

 だから、前王やもっと前の時代、スピリットがもっとも酷使されていた場面を直に見ることはなかった。

(これが、人間がスピリットにしてきた仕打ちだとしたら………)

 目の前に広がる生の映像。それは、頭の中の言葉なんかより、ずっと説得力があった。

 同時に、自分のスピリットの境遇への理解不足を示してもいた。もちろん、このこと自体はレスティーナの責任ではないのだが、それにしてもショックを受けたことは否定できない。

 心持ちうなだれるレスティーナに、ラグナはほくそ笑んだ。

(ふん………。こういう貴族どもには、言葉で侮辱をあたえるよりも、現実の生々しさを見せ付ける方が精神的に苦しかろう)

 憎悪は、心を歪ませる。ラグナは相手をいたぶることで得られる、暗く湿った甘美なものを味わっていた。

「これで分かっただろう?貴様らの存在自体が罪だということが………。そうだろう?エトランジェ」

 と、光陰に話を振った。

「お前も元の世界では人間だったのかもしれないが、ここでは違う。むしろ、お前たちエトランジェの立場はスピリットの側に近い。ものの見えるお前なら分かるだろう?畏怖されてはいても、エトランジェも差別対象に過ぎないと。………そういう意味では、お前は私たちと同族だと言ってもいい」

「………」

 瞑想でもしているのか、光陰は目を閉じたまま聞いている。まるで地蔵のように、一言も口を開こうとはしなかった。

 ただ、その表情が曇っていたのは気のせいだったろうか。

「それに、お前がスピリットの解放に一役買ったことは、私も評価している。………どうだ、その力をもう一度スピリットのために貸さないか?今度は人間を根絶する、という形でな。スピリットだけでなく、お前のためにもなることだ」

「そうだなぁ………。確かに、お前の言うことも間違っちゃいないな」

「ちょ、ちょっと光陰!何、納得してるのよ?自分が言ってること、分かってるの!?」

 ラグナの誘いにうなずく光陰を、あわてて今日子が止めに入った。が、当の本人はお構いなしに、

「俺と今日子も、こっちに来たばっかの時は随分と酷い目にあったもんだ。無理やり神剣を握らされたかと思えば、したくもない戦争に駆り出されてよ。そのくせ、戦争をしたがってる人間は俺らの後ろででの〜んびりしてる。自分の手を汚さずに、戦果だけ持ってくオイシイ役回りなんだもんなぁ。ホント、今考えても無茶苦茶な話だぜ」

「そうだろう?それがこの世界の人間の本性だ。こんなクズども、消し去ったところで誰が文句を言うものか」

「まったくだ。お前の言いたいことはよく分かる」

「………やはり、お前なら理解してくれると思っていたよ。コウイン」

 と、ラグナは親しみを込めて名前で呼んだ。光陰の持つ、どこか飄々とした雰囲気が気に入ったのだろう。

 光陰はそんなラグナに向かって、ちょっと困った顔で苦笑すると、

「でもなぁ、ラグナ」

 いたずらっ子を諭すような口調で持ちかけた。

「?」

「今まで虐げられてきたから、今度は逆に滅ぼす。………そりゃあ一体、どこの蛮族の論理だ?」

 突然の光陰のさかねじに、ラグナは眉をひそめた。

「………何が言いたい」

「お前の言うやり方じゃ、絶対にお前の望む世界はやってこないってこった。同じ論理でいけば、いつか生き残った人間がスピリットに復讐する日が来るかもしれないだろ?そして今度はまたスピリットが、ってな。………それとも、そんな繰り返しをお前は望んでるのか?」

「何を馬鹿な………。人間がスピリットに敵うはずないだろう?第一、「生き残り」という仮定が間違っている。根絶やしにするのに生き残りがいるわけがない」

「やれやれ………お前さんも案外、小さいなあ」

「小さい………?」

「もう少し広い心で受け入れてやれないのか?せっかく人間の側からスピリットに歩み寄り始めたんだ。滅ぼすかどうかは、それを見守ってからでも遅くないだろ」

「………」

「な?三歳児だって人間がスピリットに敵うわけないことは知ってるんだ。だったら、一段高い場所から見下ろして、スピリット様が馬鹿な人間どもを「許してやる」くらいに思ってみろよ。そうすりゃ、ちったあ人間も可愛く見えてくるもんだぜ?」

 むっつりと押し黙るラグナに向かって、さらに続ける。

「言ってみりゃあ、お前たちスピリットが母親で、人間はまだ言葉もしゃべれない赤ん坊みたいなもんだ。赤ん坊の寝小便に腹立てる母親なんていないだろ?そのくらいの間違い、笑って許すだけの度量がお前にはあるはずだ」

「普通、ここで寝小便を持ち出すか………?」

 呆れ顔でつぶやくラグナに、光陰はニッと笑ってみせた。

 これには、ラグナも白旗を揚げてしまった。苦笑を浮かべながら、

「まったく、お前にかかっては敵わんな………。すっかり茶化されてしまった」

「そう言うなって。これでも真面目に答えてるつもりだぜ?」

「わかっている。………ふふっ、ことを起こす前にお前と話せてよかった。お前となら、案外面白くやっていけそうな気がする」

 ふっ、とラグナの口元が緩んだ。それを見た光陰も、心持ち肩の力が抜けたように思える。

 が、次の瞬間、光陰が期待したのとは全く逆の言葉を、ラグナは吐いた。

「………敵としてな」

 この一言で、完全に光陰は諦めた。どう転んでもラグナは暴走するだろう。ため息混じりに、

「何となく、そんな気はしてたんだよな………。せっかく美人の知り合いが増えたと思ったけど、敵同士じゃなあ………。何か勿体ない気がする」

「私もだ。お前には、どうしてもスピリットの力になってほしかった。………だが、こうなった以上は仕方あるまい。お前が人間としての立場を取るというのなら、な」

 腕を組みながら、惜しむような視線を向けるラグナ。だが、すぐに普段の鋭さを取り戻すと、レスティーナに目をやった。

「覚悟しておけ、人間の女王。明日以降は、スピリットに出会った瞬間が、お前の死を意味する。ククッ………大陸中の数百のスピリットを、エトランジェだけで何日支えきれるか楽しみだ」

「何か、勘違いしているようね」

 それまで沈黙を保ち続けていたセリアが、初めて口を開いた。まだ背中の傷が痛むらしく、ファーレーンに肩を支えてもらっている。

「あなたが何を考え、その結果暴走したとしても、それはあなたの勝手。文句を言う気はないわ。………でもね、そんな極論についていくスピリットが何人いるかしら?」

 と、ラグナの目を見据えると、

「………少なくとも、ここにいる皆はあなたの考えにはついていけない。むしろ、全力であなたを阻止しようとするでしょうね」

「………何故だ?」

 セリアの言葉を、ラグナは心底意外に思った。

 それもそのはずだろう。ラグナは頭から、スピリットは皆、人間を憎んでいると信じきっていたのだから。だというのに、当のスピリット自身が人間との共存を望んでいるという。

 その点、セリアの言葉は、ラグナにとって天地がひっくり返るくらいの衝撃をもって迫った。

 ラグナらしからぬ狼狽気味の声で、

「これ以上にスピリットが繁栄できる方法はないだろう?だというのに………」

「それはあなたの考えでしょう?なのに、それを全てのスピリットに当てはめようとするのはただの独りよがりよ。少なくとも、私たちはレスティーナ様の理想を信じている。人間とスピリットの共存は、必ず実現できるわ」

 ラグナは、スピリットには弱い。光陰やレスティーナのときとは違い、一言も反論できなかった。

「私だって、今まで人間がしてきたことを忘れたわけでもなければ、忘れるつもりもないわ。忘れてしまえば、きっと同じ過去が繰り返されてしまうから。………でもね」

 と、見透かすような瞳で、ラグナの目を見据えた。

「これから新しい時代を築いていこうという時に、あなたみたいに過去に縛られていては何も出来ないわ。違う?」

「………っ」

「そうそう〜。いつまでも仲直りしようとしない人は〜、メッですよ?」

 間髪いれず、ハリオンがセリアに相槌を打った。

 気づけば、スピリット隊の皆が、同じような視線をラグナに注いでいた。そのどれもが、ラグナにとっては厳しいものだった。

(何故だ………っ!?)

 にわかに、奈落に突き落とされた気がした。

 何故、彼女たちはこうも自分を否定するのか。スピリットが人間を憎むのは当たり前ではないのか。自分の言っていることは間違っているのか。

 いや、そんなはずはない。スピリットが繁栄するためには、人間を消滅させることが必要不可欠だと、ラグナは盲目的に思い込んでいた。

 自分と目の前の同胞たちとのギャップに、ラグナは大いに当惑した。そんなラグナに、ナナルゥの小さいながら、何故かよく通る声がトドメを刺した。

「………あなたの言うことは、たとえ命令でも....聞けません」

 くゎん、とかなづちで頭を叩いたようなめまいを、ラグナは覚えた。

 セリアたちの言っていることは、レスティーナや光陰のそれと大して変わらない。おかしな話だが、ラグナはレスティーナらには冷静に相手ができるくせに、スピリットの場合はそうもいかないらしい。

 はたから見れば実に滑稽な話だが、ラグナはてっきり、一も二もなく彼女たちも自分に賛同してくれるものと思っていた。それだけに、肩すかしというよりもむしろ裏切られた思いがした。

 ラグナは思い込みが強いだけに、自分が否定されたときに受けるダメージも大きかった。

(違う………私は間違っていない。間違っているのは彼女たちの方だ)

 ラグナは、彼女たちは例外..なのだと思った。そう思い込もうとした。

(………そうだ。彼女たちは人間にたぶらかされているだけだ。そうに違いない)

 きっと、他のスピリットたちは自分と同じ思いのはず。彼女たちのためだけに、残る大多数のスピリットを犠牲にすることなど出来ない。スピリットという種全体の幸福のためには、目の前のイレギュラーたちは切り捨てざるを得ない。

 ラグナは、そう結論付けた。

「スピリットが血を流すことだけは避けたかった………。だが、仕方ない。どうしても邪魔をすると言うなら、お前たちも排除する」

「上等よ」

 ラグナの宣戦布告を、ヒミカは軽くあしらった。ラグナは苦い顔をしながらそれを受けると、

「………今日はこれで退かせてもらう。だが、明日からは敵同士だ。戦場でまみえれば、全力で殺しにかかる」

 それだけ言うと、悠然と背をひるがえし、出口へ歩を進めた。が、思い出したように振り返ると、レスティーナに向けて、

「………ふん。争いになった時、矢面に立つのはいつもスピリットだ。今回もまた、お前は同じ過ちを繰り返そうとしていることを忘れるな」

「………っ!」

「一度でいい。人間が自分の意志で、すすんで血を流す姿を見てみたいものだな」

 捨て台詞とも取れる一言を残し、謁見の間を後にした。

 廊下のむこうに消えてゆく後ろ姿に、レスティーナは何も言うことができなかった。





 ―――その翌日である。

 ラグナ率いるスピリットの一団が、サーギオス城を占拠したのは。

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