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After the Eternal War ――閉ざされた大地で――
第五章 役者交代

《ラキオス城・謁見の間》

 結局、ヨーティアは自分で報告書を提出した。

 いきおいよく研究室を飛び出たヨーティアは、一人レスティーナの元へ向かうイオから報告書をふんだくった。

 呆然とするイオを尻目に、

「な〜にすっとぼけた顔してるんだ。ほら、早く行かなきゃ日が暮れちまうじゃないか」

 軽口を叩きながら、悠々と先にたって歩いていく様に、さすがのイオも苦笑をこぼしてしまった。

 よほど、あの酒が効いたのだろう。

(千の言葉より一の酒瓶、ということでしょうか?)

 酒瓶は、何も語りはしない。そのくせ、今回のようにどんな雄弁よりも人の心を動かすことがある。ものの不思議、というより人間の面白さというべきだろう。

 何にせよ、ヨーティアが元気を取り戻してくれたことはイオにとって嬉しいことには違いなかった。

 そんなことを考えながら、イオは報告を続けるヨーティアの傍らに静かに立っていた。

 いま、この部屋には五人しかいない。

 うち二人は言うまでもない。イオとヨーティアである。

 ちょうどヨーティアと向かい合うような形で、レスティーナが報告に耳を傾けている。ちなみに、玉座には座っていない。公式の場でこそ、統治者然とした威厳を崩さないレスティーナだが、それ以外で権を笠にきたような態度をとることはまず、ない。

 そんなレスティーナが、数少ない友人とも呼べる彼女らの前で玉座にふんぞり返っているはずもない。少なくとも、レスティーナは皆と同じ目線でありたいと思っているし、ヨーティアたちもそれは十分に理解している。

 そして、レスティーナとヨーティアを横から見守るように、エスペリアとセリアが立っている。

 ヨーティアが特に指名して、この二人を呼んだのだ。

 そう深い理由はない。もともと二人には、第一、第二詰め所のまとめ役といった暗黙の了解があった、というのが一番大きいのかもしれない。

 もっとも、その判断はおおいに的を射ているのだが。

 何故か、その表情は暗かった。それは、この場にいる全員に共通していることでもあった。

「………と、いうわけだ。報告は以上だな」

 型どおりの言葉で、ヨーティアは締めくくった。

 室内はしん、と静まり返っている。全員、鉛でも飲んだように重苦しい表情をしていた。

 ヨーティアを除く四人は、ことの意外さに思考が追いつきかねている様子だった。

「つまり、今回の件には神剣が関わっている、と?」

 最初に沈黙を破ったのは、セリアだった。まだヨーティアの言葉を信じかねているのか、どこか探りを入れるような口調だった。

 うむ、とヨーティアはうなずくと、白衣のポケットから四枚の黒い羽を取り出した。ゼィギオス襲撃の翌日、トーン・シレタの森で見つけたものだ。

 ヨーティアは、一枚ずつ手渡した。

「最初は私も驚いた。こんな神剣、見たことも聞いたこともないしね」

 ややげんなりした顔で、ため息を漏らした。

「でもな、そいつは間違いなく神剣だ。ちゃんと神剣反応も出てる」

 話を続けるヨーティアに耳を傾けつつも、四人の視線は羽から逸れない。興味とも何ともつかない目つきで、羽をかざしたりすかしたりしている。

 光を反射して、羽がきらりと光った。どこか、ぞっとするような黒光りだった。

 ひととおり観察を終えると、レスティーナがはじめて口を開いた。

「やはり腑に落ちません。『黒い翼』という集団は、人間なのでしょう?それがどうして神剣を………」

 同じことを思ったのか、答えを期待するようにエスペリアとセリアも視線をヨーティアに向けた。

 が、肝心の大天才は、

「………わからん」

 お手上げだ、とばかりに首を振った。

「さすがにこれだけの手がかりじゃね………。でも、これだけは言える。あいつらの人間離れした力は間違いなくこの羽のせいだ」

 よほど自信があるのか、断固と言い切った。

 あらためて羽を見つめる四人。何故か、背筋を悪寒が走った。

「………黒幕が、いるのでしょう」

 ぼそっ、とセリアがつぶやいた。ぐるりと全員の顔を見渡すと、

「そうでしょう?どうしたって人間が神剣の加護を受けることは出来ません。ならば、神剣を扱えるものが裏でひと芝居うっていると考えるのが自然だと思うのですが」

「神剣を扱えるものって………。セリア、まさかあなた………!」

 言下に否定の意をこめた表情で、エスペリアはセリアを凝視した。が、セリアは動じない。

「ええ。スピリットよ」

 静かに言った。

「エスペリア、信じたくない気持ちは分かるけど、他に考えられる?『蓋』が機能している以上、コウイン様やキョウコ様以外のエトランジェや、エターナルがこの世界に介入することはできないはずよ」

 エスペリアに、反論の余地はない。だが、

(せっかく、人間と分かり合える時代が来たというのに………)

 その感が深い。

 確かに、人間とスピリットの間に広がる溝は、いまだ深い。それでも、かつての底なしの奈落ではなくなっていた。

 レスティーナもスピリット隊の皆も、少しずつ溝を埋め、橋を渡そうと日に陰に努力を続けている。芽が、出かかっているのだ。

 そう考えると、今回の事件は、その芽を靴で踏みにじるようなものだった。

 エスペリアは、ちら、とセリアの顔をうかがった。

 表面いつもと変わらず、むしろ小憎らしいほどに落ち着き払っている。だが、それが素のセリアの表情でないことも、エスペリアには分かっていた。

 内心、セリアも沈んでいるに違いない。

(顔に出すのが苦手な娘ですからね………)

 もっとも、それが良くも悪くもセリアらしいところではある。

「まあ、とりあえず黒幕の話は置いておこう。それよりも問題なのは、『黒い翼』の連中だ」

 ヨーティアは脱線気味だった話の流れをもとに戻すと、

「とにかく、こいつらの暴走をほうっておくわけにはいかない。特に、ガロ=リキュアが出来たての今の時期にはね」

 安定期に入る前の政権というものほど、テロリストにとって狙いやすいものはない。新政権に不満を持つものや、旧政権の勢力がここぞとばかりに転覆を企てるという例は、枚挙に暇がない。

 ことの実否は別として、ひょっとすると、没落したサーギオスやマロリガンの貴族が『黒い翼』をそそのかして、自分たちの再興を目論んでいるとも考えられるのだ。

 レスティーナの憂慮を、ヨーティアはずばりと言い当てていた。

「………」

 レスティーナは口を閉ざしたままだった。

 出来れば、軍を動員するような事態は避けたい。内乱沙汰にしてしまえば、それこそ相手の思う壺だろう。その間に、第二、第三の『黒い翼』が現れないとも限らない。

 が、このまま手をこまねいて待っていれば自滅するのも目に見えている。何より、相手は黙って矛を納めてくれるような連中ではない。

 はっきりと武力をもって鎮圧せねばならないときもあるのだ。

 一旦断を下してしまえば、レスティーナの行動はすばやい。

「では、早急に鎮圧作戦を行います。すでに情報部から相手のアジトのおよその場所がつかめたという報告が入っていますから、おっつけ正確な情報が入るでしょう」

 くるくると、目の回るような速さで指揮を下していく。

「エスペリア、あなたは補給の指揮に当たってください。今、城には兵糧になるような蓄えがありません。買い付けの交渉をお願いします」

「かしこまりました」

 深々と頭を下げると、エスペリアはすぐに部屋を出て行こうとした。が、レスティーナはそれを呼び止めると、

「おそらく、商人が値段を吹っかけてくるでしょう。言い値で買ってやりなさい。相場の二倍、三倍でも構いません」

 そう付け足した。

 次にセリアに向き直ると、

「セリア、あなたは隊の編成をお願いします。号令があり次第、すぐに出撃できるようにしておいてください」

「わかりました。コウイン様とともにすぐに任務に当たります」

 幸い、レスティーナの召集のおかげで、普段は方々に散っている親善使節の面々が今はラキオスの詰め所にそろっている。年少組をこそ除けども、かつてのラキオススピリット隊を再組織するには好都合だった。

「では………」

 エスペリアとセリアが、声を合わせて退出しようとしたときだった。

 轟っ、という音が城門のあたりから聞こえてきた。

「何事っ………」

「レスティーナ様っ!!」

 レスティーナの声に覆いかぶさるように、二つの人影が飛び込んできた。ひとつはファーレーンのものだった。

 冷静なセリアにしては珍しく大きな声を上げると、

「ファーレーン!?あなた、『黒い翼』の探索に行ってたんじゃ………」

「それを伝えに帰ってきたんだけど………一足遅かったみたい」

「それってどういう………」

「『黒い翼』の連中が攻めてきたんです!!」

 ファーレーンと一緒に駆け込んできた城兵が、セリアの問いに答えた。

 白昼堂々と攻め込んでくる連中の馬鹿さ加減に、さすがのセリアも閉口した。

(こういう時って、普通夜襲を仕掛けるものじゃないかしら?)

 あいにく、ラシードにはそれだけの知恵も浮かばなかったらしい。忘れてはならないが、首領以下そろいも揃って馬鹿なのだ。

 だが、これが逆に城方の油断を突く結果にもなっていた。まさかさんさんとお天道様が輝く中、城に襲い掛かる不逞の輩がいるとは誰も思わなかっただろう。

 すでに城内は騒然としている。

 あわてて武具を取りに走る者、「どこだ、敵はどこにいる」と槍を携えて廊下を駆け回る者、とても収拾がつかない。

 次々に、城兵は賊の手で屠られていった。何しろ、相手はひとりひとりがスピリットに匹敵する力を持った連中である。生身の人間が太刀打ちできるはずがない。

 悪いことは重なるものだ。

「搦手(裏口)が破られたっ!!」

 悲鳴に近い叫び声が、廊下のはるかむこうから聞こえてきた。このままでは城が落ちるのも時間の問題だろう。

「あいつらの狙いは………坑マナ発生装置か!!」

 以前、『黒い翼』が送りつけてきた書状の内容を思い出し、ヨーティアは苦りきった顔でレスティーナを仰いだ。

 連中が「エーテルの開放」を旗頭に掲げている以上、間違いはないだろう。

 坑マナ発生装置が破壊されたところで、すでに坑マナ化してしまったマナがエーテルに戻ることはないのだが、彼らはそれを知らない。それに大陸中のマナすべてが坑マナになったわけでもない。

 依然として、従来のマナも残っている。それに、今生きている生物が死んだときに解放されるマナのことも考えれば、まだ坑マナ発生装置を破壊されるわけにはいかなかった。

「エスペリア、あなたはレスティーナ様たちをお願い。ファーレーンは詰め所の皆を呼んできて。とてもじゃないけどこんな人数じゃ支えきれないわ。私は坑マナ発生装置を守る」

「ちょ、セリア………!」

 こんな状況でも落ち着いた判断を下すと、後も振り返らずにセリアは目的の場所に駆け出した。

 が、ファーレーンは動けない。

(いくらなんでも一人じゃ………!)

 『黒い翼』の目的が坑マナ発生装置である以上、戦力の大部分をその制圧に割くだろう。とても自分が援軍を呼んで戻ってくるまでセリアが持ちこたえられるとは思えない。

 かといって、詰め所の皆を呼んでこないことには、結局城は落ちるしかない。

 ファーレーンは、迷った。

「ファーレーンさん、あなたはセリアさんのところに行ってあげてください。詰め所には私が向かいます」

「え?」

 声の主は、先程の城兵だった。目には微笑を浮かべている。

「さ、早く」

 ファーレーンは答えられない。

 無理もなかった。これだけ敵が城内に充満しているのだ。とすれば当然、相手側は増援を呼ばれないよう詰め所への道もふさいでいるはずである。

 しつこいが、ただの人間が無事たどり着けるとは思えない。

 そんなファーレーンの思いが兵士にも伝わったのだろう。

「大丈夫、心配しないで下さい。ちゃんと皆さんを連れてきますから」

「でも………」

 なおも逡巡するファーレーン。こうしている間も、敵の攻勢がやむことはない。刻一刻と、戦況は城方に非に向かいつつあった。

 ファーレーンの目を、兵士は優しく見つめた。

「私たち人間は、スピリットを道具として使うのを当たり前だと思っていました」

 かれは、長広舌に及ぶと分かっていたけれど、どうしても言っておきたかった。

「ですが、永遠戦争の中で………何より、ロウ・エターナルからこの大地を守ってもらって、それは間違っているとやっと気づいたんです。私たちは、あなたたちのおかげで、今もこうして息をし、食べ物を食べ、子を育み、笑っていられるんです。スピリットなくして、今の人間を語ることはできないと思います」

 そこには、晴れ晴れとした笑顔だけがあった。

「あなたたちスピリットは、人間と何も変わらない。いや、人間なんかよりずっとすばらしい人たちかもしれない。あなたたちは、この世界の英雄なんです。………そんな英雄の一人を、こんなところで死なせるわけにはいかないでしょう?」

 ファーレーンは、声を飲んだ。そばにいるエスペリアに至っては、目を赤くしている。

「今度は私が恩返しをする番です。今までの懺悔も込めて………。あなたたちの功績の万分の一にもならないかもしれないけど、少なくとも私はそうしたい」

 かれは、腰の鞘から剣を抜き放つと、それを高々と掲げた。

「………この剣に誓って」

 ほんの数年前では、信じられない光景だった。人間がスピリットに敬語を使っていることもそうだし、何より、スピリットを人間より上の存在だと言ったのはかれが初めてかもしれない。

 こんな身近な場所にもかかわらず、レスティーナが、そしてスピリットの皆が待ち望んでいた未来が、にわかに開けたように思えた。

「………お願いします」

 ぱっ、とファーレーンは駆け出した。その声は、確かにかれの耳に届いていた。

 走り去るファーレーンの背を見送ると、かれはレスティーナに振り向いた。

「それではレスティーナ様。私も任務につきます」

「………行きなさい。絶対に、無事に帰ってくるように」

「はっ!」

 深々と敬礼すると、かれもまたその場を走り去った。

 それが、この場にいる者が見たかれの最後の姿だった。




《サーギオス城下》

 どこの世界にも、遊郭というものは存在する。

 繁雑な表通りを一歩隔てたところにある、この古い建物もその一つである。木造の二階建てで、一見、どこにでもある宿屋のようにも思える。

 看板は、出ていない。

 どころか、表の戸は固く閉ざされており、営業しているのかどうかさえ疑わしい。時折、客と思しき男が裏木戸をくぐるのが見えるくらいである。

 これは、昼間から客引きをする必要がないから、というわけでもないらしい。実際、夜になっても相変わらず表戸が開かれることはない。

 それももっともかもしれない。何しろ、この店はいわゆる「御禁制」の品を取り扱っているのだ。

 スピリットである。

 あえて大通りを避けているのも、貧相な店を構えているのも、すべては警察―――もっといえば、レスティーナ―――の目をごまかすためだった。

 解放宣言が発せられたからといって、スピリットの皆が皆、安心して食っていけるわけはない。

 何しろ、今まで戦い以外は何一つ教わってこなかったのだ。そんな彼女らに、「今日からは自由だ」と言ったところで、それは良くも悪くも「軍属」「国家の所有物」というある種の身分保障を取り上げることに変わりない。

 まだ、いろいろな意味で支援は必要だった。

 それは、人間の歪んだ訓練で、あるいは戦争の中で神剣に自我を飲まれたスピリットにとってはなおさらだった。

 幸い、ヨーティアの研究が進んだこともあって、自我を失ったスピリットを回復する手段も確立されつつある。そういうわけで、特に重度の「患者」を優先的に治療し、その上で社会復帰の支援をしようという動きが旧ラキオス国内で高まっていた。

 やはり、レスティーナや悠人による感化が強いだけに、ラキオス住民のスピリットに対する認識は他の地域に比べてはるかに進んでいる。

 が、そんな流れを妨げようとする向きも見られた。そういうスピリットに限って「所有者」がいるからだ。

 かつてのサーギオスやマロリガンの貴族である。

 当時―――といっても、つい数ヶ月前まではそれが当たり前だったが―――スピリットは国の資産ということになっていた。それは、前王時代のラキオスもご多分にもれない。彼らがスピリットを優秀な兵器として存分に活用し、侵略を繰り返していたことは記憶に新しい。

 が、戦闘に使い物にならないスピリットというのも当然存在した。そういうスピリットは処刑してマナにしてしまうことが多かったが、まれに貴族への給与がわりに奴隷として下げ渡されることもあった。

 つまり、彼ら貴族にしてみればスピリットも大事な「資産」なのである。

 しかも、彼らの大半は自国の崩壊とともに没落し、今では日に三度の食事にありつくことも難しい、といった有様だ。

 そんな彼らが、治療のためとはいえ「はいそうですか」とスピリットを手放すはずもなかった。

 むしろ彼らはこれを奇貨として、ある商売を思いついた。

 それが、スピリットを使った遊郭である。

 これが、見事に当たった。

 依然として、タブーとしての「妖精趣味」の風は根強かったが、それでも客はひっきりなしにやってきた。

 むしろ、そういう背徳感が余計に心をそそるのだろう。特に一般庶人にとっては、今まで手を触れることさえ出来なかったスピリットを―――法外な値段ではあるが―――堪能できるのである。

 魅力でないはずがなかった。

 今も、客の一人が真昼間から抱き合っている。相手は髪の長いブルースピリットだった。

 当然、彼女の瞳に光はない。自我などとうの昔に食われてしまっている。

 男が、ぶるっと痙攣した。

 これで何度目だろうか。

 部屋中に満ちた強烈な栗の花のような匂いが、男の放ったものの多量さを物語っている。

「たまんねえな………」

 男は、満足げにため息を漏らした。

 少女は、男の足元でぐったりとうずくまったままである。物憂げな瞳で白いシーツを見つめていた。

 一糸まとわぬ美しい少女の裸体。それが、男の情欲に再び火をつけた。

「へへ………そそるなァ」

 下卑た笑い声をこぼすと、乱暴に少女の腰を掴んだ。

 再度、己の陽物を少女に突き立てようとしたときだった。

 すっ、と影がよぎった。

「………下衆め」

 一片の容赦も感じさせない冷たい声が聞こえたかと思うと、男の首が飛んだ。

 どうしたことか、血しぶき一つ飛んでいない。

 意識だけは「行為」を続けているのか、ひどくだらしのない笑みを浮かべたまま男の首は床に転がっていた。

 ラグナは、それを道端の小石のように蹴り飛ばした。ぐしゃっ、といやな音を立てて、首が壁にぶつかった。

 が、すでにラグナの眼中に男の姿はない。

「………可哀想に」

 そう言って、ラグナはブルースピリットの少女を自分の膝に抱き上げた。

 ラグナの目にはいっぱいに涙が浮かんでいる。そっ、と少女の青い髪を撫で付けてやった。

 もちろん、反応は返ってこない。

「待っていろ。すぐに治してやる」

 静かに、ラグナの背にハイロゥが現れた。真っ白で、ラグナ自身をすっぽり包み込んでしまうくらい大きな翼だった。

 そこから羽を一枚抜き取ると、優しく少女の胸にあてがった。

「永遠神剣の主として命ずる。『転生』よ、瞳に失われし光を、骸となりし身体にもう一度生命の輝きを与えよ」

 あわあわと白く光ると、羽は少女の中に吸い込まれた。

 同時に、ブルースピリットの少女の白い顔にほんのりと赤みが差し、眉根に浮かんでいたしわが緩んだ。

 それを見た途端、ラグナの目に笑みが溢れた。日頃、滅多に笑顔というものを見せないラグナにしては珍しいことだった。

「よかった………。もう、お前は人形などではない」

 ゆっくりとまぶたを開いた少女に、優しく声をかけた。

 少女はきょとん、としている。が、その表情にははっきりと自我の色が浮かんでいた。

 先程までの人形然とした姿が、嘘のように消えてしまっている。

 当の本人が、そんな自分に戸惑ってしまったらしい。目の前にいるラグナに、

「あのう………私………?」

 何かを聞きたそうに、ちょこんと首をかしげた。ラグナはそれには答えずに、

「身体を洗っておいで」

「え………あ、はい」

「多分、下に風呂がある。あとで他の部屋の子も行かせるから、ゆっくりしてくるといい」

 どこから取り出したのか、服一式とバスタオルを手渡しながらラグナは階下を指差した。少女も困惑気味だったが、どうやら相手が信用できると見たのか、そそくさと部屋を出て行った。

 部屋には、ラグナ一人が残された。そばには下半身を露出した男の首なしの骸が転がっている。ちらり、と一瞥をくれると、

「ふん、下等種族にはお似合いの姿だな」

 ひどく冷たい笑みを浮かべた。さっきまでの優しげな表情は、すっかりなりをひそめてしまっている。

 表情の変化に合わせるように、あれほど白かったハイロゥも漆黒に染まっていた。

 もちろん、ラグナは自我を飲まれているわけではない。もともとこういう神剣なのだ。ラグナの心を映す鏡のように、ハイロゥ型の神剣もくるくると表情を変える。

 愛し子をあやすような手つきで自分の神剣をなでると、

「行くぞ、『転生』」

 さっさと次の部屋へ向かった。

 ラグナが殺戮と救済を繰り返している間、先程の少女は湯に身を浮かべていた。

 湯船は店の外見に似合わぬ豪奢なもので、五、六人が手足を伸ばして入ってもまだ余裕があった。つくって間もないのか、湯気に混じって芳しい木の香りが立ち込めている。

「気持ちいい………」

 少女にとって、数年ぶりに訪れる安息の時間だった。両手で湯をすくい取ると、ごしごしと顔をこすった。

 同時に、この数年間の記憶が脳裏をよぎった。神剣に自我を飲まれたからといって、その間の記憶までなくなるわけではないのだ。事実、『空虚』に取り込まれた今日子も、自分がスピリットを惨殺した記憶に幾度となく苛まれ、塗炭の苦しみを味わっている。

 少女の、閉じられたまぶたの裏に浮かんでくるのは、恐ろしい形相をした人間ばかりであった。

 いや、恐ろしいというのは当たらないかもしれない。むしろ、無機質なほど無表情だった。

 当然のように彼女に戦闘を命じ、勝利の報告を持って帰っても頬を緩めてさえくれない。訓練のときもそれは変わることはい。

 ………いや、一度だけ笑ってくれたときがあった。

 自分が神剣に飲まれたときだ。その時の訓練士の表情も、最初に発した言葉もはっきり覚えている。

「やれやれ、やっと使えるようになったか。毎度の話だが、こいつらスピリットをここまで仕上げる....のには骨が折れる」

 何とも形容しがたい、邪悪な笑みだった。差別意識をむき出しにしたときほど、人間が醜くなることはない。その姿、見るに耐えない。

 湯の中にいるというのに、少女は悪寒に震えた。いくらスピリットに自我が薄いといっても、神剣に飲まれる恐怖だけは耐えられるものではない。

(もう、私が私じゃなくなるのはイヤ………)

 そう思うのも無理はなかった。

 同時に、純粋なだけに救い出してくれたラグナへの盲目的な信頼も少女の中で生まれつつあった。「刷り込み」に似ているかもしれない。

 ちょうど、ラグナが仕事を片付けた頃だった。

 店中のすべての人間を殺し、すべてのスピリットの自我を取り戻してやったあと、ようやく一息ついた。神剣の力を使って多少疲れたのか、ベッドに腰を下ろしていた。

「まだまだ道は長いな………」

 嘆息とも取れる口調でそう漏らしたとき、『転生』を通じていつもの声が聞こえてきた。

(ラグナ、聞こえますか?)

(クスカか………。何の用だ?)

(ラシードたちが動きました。今、ラキオス城に取り付いています)

(そうか)

 予想はしていたことなので、別段ラグナに驚く様子はない。むしろ、そのための連絡役としてクスカを残してきたのだ。ラグナへの連絡用に、『転生』の羽を一枚手渡している。

 ラグナに直通の、簡易型の携帯電話のようなものだ。

(人間同士でつぶしあいをさせれば、私も手が空くからな)

 もともとそう思ってラシードたちに力を与えたのだから、ラグナにとっても決して迷惑なことではない。

 はずだった。

(いいんですか?彼らを放っておいても)

(何の問題がある。予定通りの筋書きだろう。それよりも………)

 愚問とも取れるクスカの言葉に多少の苛立ちを覚え、さっさと別の用件を伝えようとした。

 が、クスカも黙って引き下がりはしない。何より、言わずにいれば後でラグナが激怒するのが目に見えていた。

(ラシードたち、旧ラキオススピリット隊と戦ってますよ?)

(な………馬鹿な!?何故彼女たちが城にいる!?)

(しかも、スピリット隊が押され気味です)

(くっ、あのクズどもっ!!)

 ラシードたちに力を貸すとき、大前提として突きつけたのが「スピリットには手を出さない」ということだった。

 このあたり、ラグナはずるい。相手の無智に付け入って条件を飲ませた挙句、彼らを利用しようというのだから狡猾と言うほかない。

 もっとも、ラシードにはラグナに操られているといった自覚はない。彼にとっては、ラキオスを陥落させてテロが成功しさえすれば何でも構わない。

 この点では両者の利害は一致している。それに、親善使節として旧ラキオススピリット隊が各地に分散していることも都合がよかった。おかげで、彼女たちを城での戦闘に巻き込んでしまうこともないはずだった。

 ラグナは、てっきり今でも親善使節の面々は任地に赴いたままだと思っていた。

 が、その読みが完全に外れた。ラキオスにはるか遠いサーギオスくんだりまで来たせいで、最新の情報が手元に届かなかった。それにラグナとの連絡係であるクスカをラシードが遠ざけ、『黒い翼』に関する情報を一切漏らそうとしなかったことも大きい。

 クスカ自身、ようやく状況を把握したところで、前もってラグナに伝えることなど出来るはずもなかった。

 ラシードとて、表面恭順を装っていてもラグナを信用しているわけではない。その相棒とも呼べるクスカに疑いのまなざしを向けるのも無理はなかったろう。

 ひいき目に見ても、ラグナの計画にどこか粗雑感があったのは否めない。

 まあ、それはいい。

 何にせよ、ラシードは一度ならず二度まで約束を破った。

 誰よりもスピリットを愛するラグナを激怒させるには十分だった。すっかり形相が変わってしまっている。

「これだから人間は………ッ!!ただで済むと思うなッ!!」

 二階の窓を突き破り、外に飛び出すと、そのままラキオスに向けてハイロゥを羽ばたかせた。

 風呂場では、剣から解放された少女たちの談笑がさざめいていた。




《ラキオス城》

「押せーーーーーィ!一気にもみ潰せーーーーーェ!!」

 陣頭で指揮を執りながら、ラシードは吼えていた。背には、象徴である黒い翼を、墨たっぷりに染め抜いたのぼり...がはためいている。

 すでに戦いは城全体に広がっていた。

 城方もよく持ちこたえているが、いかんせん相手の数が多すぎる。いや、さすがに城兵を含めた人数は『黒い翼』より多いのだが、彼らは戦力としては何の足しにもならない以上、同じことであった。

 実質、スピリット隊がすべての敵を相手にしているようなものだった。

 その上、ラキオス城の構造自体も防衛戦に向いているとは言いがたい。

 何しろ、この世界にあっては戦争はスピリットが行うものだった。聖ヨト王の誕生から数えて300年、人間はその上にあぐらを掻き、太平楽を享受してきた。

 自然、城の役割も要塞としてではなく、単に威を誇るための装飾に成り果ててしまっている。

 そこかしこで剣戟が鳴り響いていた。

「レスティーナ女王がいたぞ!!仕留めろッ!!」

「レスティーナ様、お下がりください!!」

「あいにくだが、お前たちにレスティーナを討たせるわけにはいかねえんだよ。下がれッ!!」

 光陰は群がる人だかりを、『因果』の一振りでなぎ倒した。少し離れた場所で、『献身』を構えたエスペリアが、かばうようにレスティーナの前に仁王立ちしている。

 光陰たちが総出で増援に到着して、まだ半時も経っていなかった。




 あの兵士は城を抜け出ると、まずリュケイレムの森に入り、間道を縫って詰め所に向かった。

 ここにも、見張りがいた。かれを見咎めると、

「お前さん、見慣れねえ顔だな。役目柄ちょいと聞くが、どこから来てどこへ行くのか教えてもらえねえかな」

 が、そのゆるゆるとした言葉とは裏腹に、敵はもう槍を向けている。はなからかれを疑っている証拠だった。

 かれとて戦う気はない。どう逆立ちしても勝てる相手ではないのだ。何より、かれの任務は詰め所にいる皆に城の異変を伝えることである。

 かれは逃げた。

「待ちやがれっ!!」

 相手もそう簡単には逃がしてくれない。しつこく追いすがり、何度も斬りかかってきた。乱戦になり、かれは剣もろとも利き腕を斬り落とされた。

 が、死に物狂いで血路を開くと、ついに第一詰め所の入り口までたどり着いた。

 それが、限界だった。

 どん、と大きく戸を叩くと同時に、天はかれを召した。

 その音に最初に気づいたのは、ウルカだった。

 いまだにミュラーの死が心に暗雲を垂れ込めているのか、ここ数日というもの、ウルカは部屋にこもりっきりだった。終日、ミュラーの剣を眺めてはうつむいている。

 もともと口数が多い方ではないが、普段に増して沈黙しがちだった。

 アセリアでさえ見かね、ウルカの無二の趣味ともいえる剣の鍛錬に誘ってみたりもしたが、当のウルカは黙って首を振るばかりだった。

 今日も、ミュラーの剣を鞘から引き抜いて、その鏡面のような刃に自分の顔を映していたところだった。

 突然の打撃音に不審を覚えたウルカは、自室の窓から玄関を見下ろした。

 真っ先に飛び込んできたのは、赤黒く染め上げられた鎧だった。可動部に至るまで、もとの銀白色が見えないくらいに変わり果てた色をしていた。こびりついた血は酸化し、サビに変わり始めている。

 その鎧の中に人間の姿を見出すには、一瞬の間が必要だった。

「な………大丈夫かっ!?」

 窓から飛び降りると、ウルカは血溜りの中から兵士を引き上げた。

 すでに事切れている。

 用もないのに城の兵士がスピリットの館にやって来ることなど、まずない。それが現れただけでもちょっとした珍事件なのだから、こんな変わり果てた姿になってまで伝える内容となると、おのずと限られてくる。

 瞬時に、ウルカは異変を察した。

 詰め所に駆け入ると、全員に城に向かうように伝えた。ウルカの必死の形相に、皆が事態の重さを理解した。

 ウルカを先頭に、光陰、今日子、アセリア、ヒミカ、ハリオン、ナナルゥ、クォーリンが駆け出した。

 道中の敵を粉砕しながら城にたどり着くまでには、小半時とかからなかった。

 やはり、永遠戦争を戦い抜いた猛者たちだけのことはある。一人ひとりの力は、賊のそれをはるかに凌駕している。

 城内に散ると、それぞれが敵の殲滅に当たりはじめた。

 が、数に物を言わせてなだれ込んでくる彼らを相手に、さしものスピリット隊にも疲労の色が見え始めていた。

 「城」という物理的な制約で、アポカリプスなどの強力な神剣魔法を使えないことが、戦況をより厳しいものにしていた。

 特に、坑マナ発生装置の置かれた城内の一室は修羅場と化していた。

 装置を中心に円を描くように、セリア、ファーレーン、アセリア、ウルカ、ヒミカ、ハリオンの六人が防衛線を張っている。

 それを飲み込まんばかりの勢いで、賊が襲い掛かる。一人で三、四人の賊を相手をするのはザラで、ひどい時には一度に五人以上が襲ってきた。

 増援が到着するまでの間とはいえ、セリアとファーレーンのたった二人で、これだけの人数を支えきれていたことが不思議でさえあった。

 が、無理がたたったのか、二人の剣は大分鈍っている。普段に比べれば、棒振り芸ともいえる動きだった。

 相手もそれを知っているものだから、集中的に二人を狙ってくる。

 セリアが、何度目かの突きを『熱病』で叩き落したときだった。

「セリア殿、後ろですッ!!」

 不意に、背後から一太刀浴びせられた。

「くっ!」

 セリアは、ウルカの声に反射的に身をひねった。が、疲れのためか足がもつれ、たたらを踏んでしまった。

 男は「斬った」という心ゆくまでの感触を味わいながら、ばっさりとセリアの背を斬り裂いた。

 セリアは、そのまま転がるように床に倒れこんだ。

「もらったあッ!!」

 苦痛に顔をゆがめるセリアを見下ろしながら、男は二の太刀を振り下ろした。

「………あなたたちなんかに殺されてたまるものですか!」

 床を転がって、セリアは避けた。がっ、と鈍い音を立てて男の剣が石床にぶつかると、一つ大きな刃こぼれが出来ていた。

 が、転がった矢先、別の男が槍を繰り出してきた。

 先程と同じ要領でそれをかわすセリア。転がった軌跡を示すように、背中から流れ出す血が線を描いている。致命傷でこそないが、それなりの深傷だった。
 
 セリアは何とか立ち上がろうとするものの、そうはさせじと男も執拗に突きまわしてくる。

「セリアッ!!」

 見かねたヒミカが援護に駆け出そうとするも、目の前の敵に阻まれて思うようにいかない。

 他の四人も、とてもセリアを助けに向かうだけの余裕がなかった。あのハリオンでさえ、額に大粒の汗を浮かべ、苦しそうな顔をしている。

 転がり続けて、ついにセリアは壁際に追い込まれてしまった。

(しまった………!)

「へへへ………死ねよっ!!」

「セリアーッ!!」

 ヒミカが叫ぶと同時に、男の影がセリアに覆いかぶさった。





 ぐじゅっ、と肉の飛び散る音が部屋中に響いた。

 ―――肉塊となって崩れ落ちたのは、男だった。

 いつの間に現れたのか、醜い姿を床に晒した男を見下ろすように、ラグナが白い翼をなでていた。

「ククッ………。やはり、人間というのは救いようのない存在だな。ここまで腐りきっているとは、正直思わなかった」

 俯いたまま、ラグナは邪笑を浮かべながらつぶやいた。

 賊の一人が、呆けたように声を上げた。

「あ、姉御!?」

 ここにいるはずのないラグナの姿を見て、男は完全に気を呑まれてしまった。他の連中も同様で、顔が引きつっている。

 一方、スピリット隊の皆も別の意味で目をみはった。

「に、人間が、どうしてマナに………?」

 うわずった声を上げるヒミカを筆頭に、ラグナに惨殺された男がマナの霧に変わっていく様を呆然とした面持ちで見つめていた。

 彼女らはヨーティアの目撃譚を聞いていないだけに、その驚きもひとしおだったろう。

 ゼィギオスで敵を斬り伏せたウルカも、これを見るのは初めてだった。自分が斬った相手の顔を見るだけの落ち着きもゆとりも、あのときのウルカにはなかった。

 ヨーティアから話を聞いていたセリアだけが別の表情で、

(………ヨーティア様が言っていた通りだった)

 ひとり、冷然とした顔つきで事態を見ていた。

 とはいえ、彼女もヨーティアの報告に半信半疑だっただけに、あらためて現実を認識させられることになった。

 凍りついた一同を尻目に、突然、ラグナは死肉に手を突っ込むと、中から黒い羽を抜き取った。セリアは、その羽に見覚えがあった。

(あれはヨーティア様が持っていたのと同じ………!?)

「………やはり、人間には過ぎたる力だったようだ。返してもらうぞ」

 ラグナが『転生』にあてがうと、羽は音もなく翼に取り込まれた。先程までの喧騒が嘘のように、全員が静まり返っていた。

 その静寂を破ったのは、ほかならぬラグナ自身だった。耳鳴りがするほどの怒声を発すると、

「私の力を使って、こともあろうにスピリットを傷つけるとは………。貴様ら、覚悟は出来ているんだろうなあッ!!」

 呼応して、『転生』が黒く染まった。

 ラグナが怒り任せに薙いだ片翼が、一度に三人の賊を壁に叩きつけた。その全員が、白目を剥いてしまっている。

 この一撃で、賊は完全に混乱に陥った。

「う、裏切りだあッ!姉御が裏切ったぞおッ!」

 ラシードに伝えに行こうと、あわてて二、三人が駆け出した。

「裏切り?………ククッ、笑わせてくれる」

「な、何笑ってやがる!?よくも俺たちを騙しやがっ………」

「貴様らが言えた筋かあッ!」

 未練がましく罵声を浴びせようとする男どもを、ラグナはまとめて『転生』で弾き飛ばした。

「………まあ、いい。遅かれ早かれ、貴様らは全員殺すつもりだったからな。利用価値がないのならなおさらだ」

 ラグナは聞き取れないくらい小さな声でつぶやくと、床にうずくまるセリアに視線を転じた。

「加勢させてもらうよ。………自分でまいた種は自分で刈るべきだしね」

「あなた、一体………?」

「後で話す。今はゴミの始末が先だろう?」

「………そうね。協力、感謝するわ」

 確かに、ラグナの言うとおり賊の撃退が最優先だろう。とめどなく湧き上がる不信感を押し隠して、セリアは申し出を受けた。

 味方の裏切りで、『黒い翼』は動揺しきった。

 やはり、烏合の衆だけあって劣勢に立たされると弱い。勢いに乗っているときは、押せ押せで何とかなるものの、一度崩れたつと持ち直すことが出来ない。

 早い話が、粘り腰がないのだ。

 一枚岩のスピリット隊のように、盛り返すだけの能力もなければ気概もなかった。

 ラシードは城内の別の場所で指揮を取っていたが、ラグナの裏切りに動揺する味方をおしとどめるのに手一杯だった。

「くそッ!!行け、やつらを皆殺しにしろおッ!!」

 が、その叫びもむなしく響くだけだった。叱咤激励を続けるラシードの目をかすめて、

「こんなんで戦いになるかよ………。命あっての物種だ、退けえッ!!」

 ついに、男たちの一部が撤退を始めた。ラシード、それでも剣を振り続ける。

「退くな!退いたやつは殺すッ!!」

「無様だな、ラシード」

 不意に届いた呼び声に、目を怒らせたままラシードは振り向いた。そこには、ことをぶち壊しにした張本人が黙然と立っていた。

「姉御………いや、ラグナ!!テメエ、よくもおッ!!」

 ラシードははち切れんばかりに青筋を浮かべ、咆哮を上げた。それを、ラグナは冷笑で迎えた。

「もう飽いた。そろそろこの狂言も終わりにしようと思うのだが」

(本当の劇の………いや、時代の幕をあけるためにな)

「な………!?」

「遺言があるなら聞いてやらないこともない。言っておけ。………私も、お前などに未練がましく枕もとに立たれては困るのでな」

 ラグナの言葉に、ラシードは青くなった。が、すぐに血を上らせると、むくむくと顔を膨張させながらラグナににじり寄った。

 手には、身体に見合った長大な剣を握っている。岩も食い割りそうな、無骨で荒々しい剣だった。

「調子に乗ってんじゃねえ、このクソアマがあっ!!」

 なたで割るように、ラグナの頭上に剣を振り下ろした。

「それが、遺言か?」

 ラグナは、ちら、とラシードの顔を見た。豚でもこうはならないだろうというほどに、醜悪な顔つきだった。

 その姿にふさわしく、体中の液体という液体を撒き散らしながら、ラシードだったもの.....は四散した。

「………いいだろう、確かに聞き届けた」

 ばさっ、と翼に付いた血を払い落としながら、ラグナはつぶやいた。

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