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After the Eternal War ――閉ざされた大地で――
第四章 嵐の前

《ラキオス城・ヨーティアの研究室》

 イオ・ホワイトスピリット。

 言わずと知れた、ヨーティアの助手兼世話係である。

 スピリットは皆美しい。もちろん、彼女もまた例外ではない。

 腰の辺りまで伸びた豊かな銀髪には思わず目を見張ってしまうし、透き通った赤い瞳はルビーを思わせた。端正な顔立ちはいうまでもない。純白のローブに包まれた肌は、新雪そのものだった。

 単に美人なだけではない。

 衣擦れの音もさわやかに、挙措は匂うように典雅で、物腰もたおやか。しかも、そこには一切のわざとらしさや嫌味も感じられない。これは、彼女が意識してそう振る舞っているというより、天性のものなのだろう。

 さらに、有能でもある。

 永遠戦争時代、ミュラーがラキオスに協力を申し出るまでは、イオが訓練士の中でもトップだったといっていい。また、ヨーティアがエーテルジャンプ実用化のために手が込んでいるときなどは、イオが代わって建築を行ったりもした。その指揮は正確で、さらに彼女の穏やかな人柄もあってか、職人気質でうるさい現場の作業員たちとの意見の齟齬もなかったという。少し言い方は悪いが、どうもイオには人を使う才能があるようだ。

 イオ自身が戦場に立つことこそなかったが、彼女が旧ラキオススピリット隊の『縁の下の力持ち』だったことは疑いようもない。

 そんなイオは、相変わらず付きっきりでヨーティアの面倒を見ている。考えてみれば、奴隷商から救われて以来、この生活は続いている。いや、むしろイオは死ぬまでこの生活を続けるつもりであったかもしれない。

 別にヨーティアに助けられたことを恩に着ているからではない。いや、もちろん恩は感じているのだが、それ以上に、いつの間にかヨーティアが好きで好きで仕方なくなっていたのだろう。それにイオの性分からしても、この生活能力皆無の『大天才』を放っておけるはずがなかった。

「まったく、ヨーティア様ときたら………」

 何度そうため息を漏らしたことか。だが、その後にはいつもイオは苦笑を含みつつも、微笑んでいた。

 それが、ヨーティアらしかったからだ。

 どんなときであっても、あっけらかんと底抜けに明るく、自分の能力を信じて疑わない。子供のように「天才」「何とかなる」、を連呼している。

 おまけに意地っ張りで、逆境にあっても自分の苦しさを外に見せることなど、まずない。

 それが、誰よりも長く、誰よりも深くヨーティアとともにあったイオのヨーティア像だった。

 が、それほど長い間ヨーティアを見守り続けてきたイオにも、今回のようなヨーティアは見たことがなかった。

「………くそっ」

 苦々しい表情で舌打ちするヨーティア。ぎゅっ、と火をつけたばかりのタバコを力任せに灰皿に押し付けた。灰皿には、同じようにほとんどもとの長さのままのタバコがこんもりと小山をつくっている。

 苛立っているときは、いつもこうだ。

 新しいタバコをくわえると、再び目の前の書類に目を走らせ始めた。白かったはずの紙は、すでにメモや走り書きで真っ黒になっている。もはや何と書いてあるのかさえ、傍目には分からない。それでも鉛筆を取っては、カリカリと新たに書き足している。

 かと思うと、気ぜわしげに席を立ち、部屋中をぐるぐると歩き回りだした。傍に立っているだけでも苛立ちが伝わってくる。

 三日前、ゼィギオスから帰ってくるなり、この調子なのだ。しかも、食事も睡眠も全くとっていない。

 目の下には黒々とくまが広がっており、大泣きした赤ん坊のように、目も真っ赤に充血している。あくびをかき消すためか、時折苦虫を噛み潰したような表情を見せた。

 足取りもおぼつかず、千鳥足で転びかけたことも一度や二度ではない。そのたびにイオが身体を支え、休むように勧めた。どう見ても、ヨーティアの体力は限界を超えていた。

 それでいて、ヨーティアは頑としてイオの言うことを聞かないのである。まるで何かに取り付かれたように調べごとを続けている。

 もっとも、これだけならイオも驚かない。この程度の無茶は、ヨーティアにあっては日常茶飯事なのである。マナ障壁のとき然り、佳織を送り返すとき然り。例を挙げればキリがない。

 好奇心を刺激された彼女を止められるものなど、大陸中を探しても見つかりはしまい。

 そして、その研究の全てにおいて、ヨーティアは楽しんでいた。もちろん、あからさまには顔に出さないこともあったが、長年の付き合いからイオには分かっていた。ヨーティアの心の片隅では、まだ見ぬ事象に対する好奇心が雲のように湧き上がり続けていた。

 が、今回は違った。

 どこか余裕が見られないのである。

 怒り、焦燥、後悔………イオには、そういった感情がヨーティアを追い詰めているように思えた。

 もっとも、イオはうすうす原因に感づいている。すでにミュラーの死は聞いているのだ。

 そして、現場にヨーティアが居合わせたということも。




 ゼィギオス襲撃の翌朝、町に戻ってきたヨーティアはウルカを見つけた。返り血を浴びたウルカの姿を見た瞬間、ヨーティアには悪い予感がした。

 悲しいかな、その予感は的中してしまった。

 ウルカから一部始終を聞いた後、ヨーティアは一人でトーン・シレタの森に向かった。別に理由はない。気がついたら、足が向いていたのだ。

 ひょっとすると、ひと目、ミュラーを斬った連中の顔を見ておきたかったのかもしれない。

「バカ野郎………死ぬなって言った途端、このザマだ………」

 とぼとぼと、森へつながる一本道を歩きながら、ヨーティアは誰にともなくつぶやいた。

 現場について、ヨーティアは絶句した。

 ―――死体が無い?―――

 誰かが持ち去ったのか、最初はそうも考えた。しかし、血痕すら残っていないのはどういうわけだろう。

 どう考えてもつじつまが合わない。さすがのヨーティアの脳も事態に追いつけないようだった。酢でも飲んだような顔つきで、小首を傾げてしまった。

 しばらくの間、そのままの姿勢で突っ立っていた。が、考えたところで答えが出るはずもない。

 何気なく暗がりに視線を転じたときだった。

 ―――再度、絶句。

 なんと、金色の霧が立ち上っているではないか。そう、スピリットが死んだときに見られるあの現象である。

「なんだ、こりゃ………?」

 眉間にしわを寄せながら、慎重に歩み寄るヨーティア。金色の霧が湧いているあたりにたどり着くと、なめるように地面を調べ始めた。アリ一匹見逃さないような、鋭い視線だった。

 草を掻き分けていると、朝露のためか、森特有の濃厚な土の香りがより一層強く感じられた。

 鳥もまだ目を覚ましていないのか、静かな森の中、ガサガサという草を掻き分ける音だけが聞こえた。

 突然、指先に痛みが走った。

「………痛ッ………」

 片目をつむり、顔をしかめる。見れば、人差し指の腹の部分に、うっすらと血が滲み出していた。

 ヨーティアは、反射的に怪我をした口に指をくわえた。少し、鉄の味がした。

 どうせ草の葉か何かで切ってしまったのだろう。よくあることだ。

 そう思い、再び地面に目を走らせた。さすがに二度も同じ目にあいたくはない。少し恨めしげな目つきで、自分が指を切ったであろう草を探した。

「やれやれ、ツイてないな………」

 指をくわえたまま、どうにも気の抜けた声でボヤく姿は、なんとも情けなかった。

 もっとも、普段のヨーティアには、同じセリフを言ってもそうは思わせないだけの陽気さがある。

 やはり、昨夜の出来事がこたえたのだろう。そんな素振りはおくびも見せず、さっきはウルカに、

「バ〜カ、そんなにしょげるな。それにあいつのことだ、どうせむこうで元気にやってるさ」

 などと軽口を叩いていた。もしかしたら、ヨーティアなりの強がりだったのかもしれない。

 そんな陰陰滅滅としたヨーティアの姿は、日ごろ、彼女の大胆と言うか、がさつな側面ばかり見ている者にはちょっと想像がつかないかもしれない。

 しかし、そういう者たちが見ているのは、あくまでもヨーティアの表面でしかない。

 もちろん、ものごとをポジティブに捉え、細事に一切こだわらないというのは天性の性格である。むしろ、それがヨーティアをヨーティアたらしめている一因であることは疑いようもない。

 だが、仲間に対する友情、信頼、思いやり、人情。そういったものを人一倍強く秘めているのがヨーティアという女性なのだ。表面のひょうきんさに隠されて見えにくくなってもるが、そういう点に関しては繊細すぎるほどの感覚を持ち合わせている。

 何より、優れた能力を持つ人間にありがちな、ひとりよがりで、他人を蔑視する性癖をまったくといっていいほど持ち合わせていないのだ。これは奇跡的とも言える。

 もっとも、軽蔑すべき相手はとことん軽蔑するようなところもあるが。

 人間として、何よりも必要な部分を十分すぎるほどに備えている。

 皮肉なものだ。そういう人間らしさは欠くことが出来ないものであるくせに、時により一層人を苦しめるたね..にもなる。

 ―――あの時、本当に自分は逃げてよかったのか。

 無駄な問いだとは分かっている。逃げずに残ったところで、蚊ほどの役にも立たなかったであろうことも分かっている。そう、理屈では分かっているのだ。

 それでも、自分がミュラーを見殺しにしたという罪悪感はどうしようもない。

 理屈では感情に勝てないのだ。

 終わることのない葛藤が、依然としてヨーティアの中にくすぶっている。

 まあ、それはいい。

 ヨーティアが見つけたのは、草ではなかった。

 そこにあったのは、一枚の羽。縁は濃い紫で、中心に近づくにつれ、黒が濃さを増していった。宝石のように黒光りしている。

「これ………か?」

 半信半疑、といった様子でつぶやく。が、あたりを見回しても、柔らかそうな草が生い茂るばかりで、他に指を切るほどのものはなかった。

 さらに観察しようと、ヨーティアが腰をかがめ、羽に手を伸ばしたときだった。

「なんてこった………」

 羽が落ちていたあたりの地面に、べったりと血糊が広がっていた。さらに目を凝らしてみると、木漏れ日にまぎれて見えにくかったが、金色の霧はそこから立ち上っていた。

 ―――スピリットを斬れるほどの異常な人間、死体があったはずの場所に立ち上る金色の霧―――

 そして、不思議な黒い羽。

 完成前のパズルの、それもたった数ピース。それだけで、ヨーティアにはピンときたらしい。

「なるほどねー………」

 ひとり納得したようにつぶやくと、ぐい、と力任せに羽を白衣のポケットに突っ込んだ。

「ということは………」

 休む間もなく、さらにあたりを探すこと二時間。すでに日が昇りきっている。

 白衣の裾についた泥も、すっかり固まってしまっていた。

 結局、ヨーティアは同じような黒い羽を、四枚見つけた。

 ゼィギオスを襲った人数、つまり、ウルカが斬った人数と一致する。

「やっぱり、裏があったか………」

(そうじゃなきゃ、あんたが斬られるはずないよな………)

 皮肉っぽく片頬を吊り上げるヨーティア。が、その表情はすぐに消え失せた。

 ヨーティアは悔しそうに唇をかむと、両こぶしを強く握り締めた。

(絶対に、正体を突き止めてやる………。それが、私に出来るせめてもの詫びだ………)

 ヨーティアは白衣をひらめかせ、森に背を向けた。そのまま後ろを振り返ることなく、ラキオスへの長い旅路についた。

 その頃、ようやく金色の霧は消えかかっていた。




(やはり、ヨーティア様はミュラー様のことを気に病んでおられる………)

 ここで、イオはふと気づいた。どこが、とははっきり言えないが、今回のヨーティアは、マロリガン攻略直後―――つまり、クェドギンが死んだときに似ている、と。

 それだけ、ミュラーもまたヨーティアにとって大切な友人だったのだろう。

 知らず知らずのうちに、イオが物思いにふけっていたときだった。

「イオ」

 突然、ヨーティアに声をかけられた。

 さすがのイオも、これにはすぐに反応できなかった。何といっても、ヨーティアに話しかけられたこと自体、三日ぶりなのである。それも、同じ部屋にいながらに、である。

 これでは無理もない。

 珍しく狼狽気味の表情を浮かべながらイオが振り向くと、ぽん、と紙束が手渡された。

「報告書だ。レスティーナ女王に渡しておいてくれ。あぁ、あと………そうだな、エスペリアとセリアもそこに同席させておいてくれると助かる」

 状況も分からぬイオをよそに、ヨーティアはさっさと指示を下す。

「じゃあ、私は休むから………」

 言いたいことを言い終わると、さっさと部屋を出て行こうとした。これでは、イオもたまったものではない。

「ヨ、ヨーティア様!これは何の報告書ですか?」

 ドアノブに手をかけたヨーティアに、かろうじて問うことができた。

 ぽかん、とした顔を向けるヨーティア。が、ようやく自分が肝心なことを言っていないことに気づいた。苦笑しながら、

「あ、悪い悪い………」

 ばつが悪そうに頭を掻いている。

 そんなヨーティアを、イオは心配そうに覗き込んだ。

「いや〜、私としたことがいかんなあ。やっぱり睡眠は削るもんじゃないね。どうも頭に霧がかかったような感じになる」

 わざとらしく笑ってみせるも、イオにはとっくにバレている。もともと、ヨーティアに隠し事の才能はない。

 肺腑をえぐるように、イオの一言が突き刺さった。

「ミュラー様のこと………ですね?」

「………っ!」

 ヨーティアの顔色が変わるのを、イオは見逃さなかった。

「やはり、そうでしたか………。様子がおかしいとは思っていましたけど………」

 しばらく唇を噛んでいたヨーティアだが、ふっと力が抜けてしまったらしい。降参だとばかりに両手を挙げると、

「………イオにはかなわんなあ」

「当然です。何年ヨーティア様のお世話をしていると思っているんですか?」

(やれやれ………。こりゃあ、そのうちイオには頭が上がらなくなるな………)

「そうならそうと、どうしておっしゃってくれなかったのですか?」

「………やっぱり自分の口から言うのは辛いんだよ。第一、そんなに知りたきゃ他の誰かに聞けばいいだろ。何も私からじゃなくても………」

 が、その言葉を聞いた途端、イオは黙ってヨーティアに背を向け、そのまま部屋を出て行ってしまった。

(そりゃイオでも怒るか………)

 ヨーティアは後ろめたさを覚えつつも、一人になれたこと自体には安堵を感じざるをえなかった。

 が、イオは怒ってその場を去ったわけではなかった。

 五分と経たないうちに戻って来たイオの腕の中には、大きな酒瓶が大切そうに抱えられていた。

「ヨーティア様。あの時、ヨーティア様はラキオスにおられなかったからご存じないでしょうが、ミュラー様はゼィギオスに行かれる直前、一度ラキオスにいらっしゃいました。そのとき、ヨーティア様にこれを渡してくれ、と」

「え?」

 そう言った時には、ひったくるようにしてイオから酒瓶を受け取った後だった。真っ先に目に付いたのは、茶色く変色したラベルだった。

 銘は『テオロート』。

 『屈せぬ者』という意味である。

「シージスの呪い大飢饉が起こったとき、作物のほとんどが枯れ果ててしまいました。それだけでなく、一気に拡大したダスカトロン砂漠に飲み込まれてしまった森もたくさんあったそうです」

 それはヨーティアも知っている。むしろ、この世界にあっては一般常識といっていい。

 だから、イオが何故そんな話を持ち出したのかヨーティアには分からなかった。

「ですが、飲み込まれた森の中でたった一本、枯れずに残った木があるそうです。どんなに日に晒されようと、どんなに水を奪われようとも耐え抜いて………。これはその木になっていた実から造ったお酒だそうです。………ミュラー様がおっしゃっていました」

 一呼吸置いて、イオはミュラーの言葉を伝え始めた。

『アイツにぴったりの銘だと思ってねえ、思わず買っちまったんだよ。ほら、アイツどんなに研究に行き詰ってもめげないだろ。研究に限ったことじゃないけどさ。………まあ、とにかくそんなへこたれないトコがヨーティアには似合ってるような気がしてな』

「………」

『何にせよ、アイツの粘り腰の強さと言うか、不屈の精神みたいなのは脱帽モノだよ。………あっはは、まあ、そんな奴でもへこたれることがないとは言い切れないからね。そん時はこれでも飲んで元気出せって言っといてくれ』

「ぐ………」

 ヨーティアの瞳をまっすぐに捉えたまま、イオはゆっくりと続けた。珍しく強い口調で、

「ヨーティア様がそれをどう受け止められるかは知りません。ですが、その言葉を考えると、私にはミュラー様が今のヨーティア様の姿を見て喜ぶとは到底思えません。………では、私は報告書を提出してまいりますので」

 それだけ言うと、今度こそイオは部屋を去った。

 決して薄情なのではない。人間誰にだって、一人にしておいて欲しい時があることをイオは知っている。

 そして、少なくともこのことはヨーティア一人で決着をつけねばならないことも。

 一人研究室に残されたヨーティアは、やはり酒瓶から目を話すことが出来なかった。

(テオロート………)

 心の中で、反芻するように何度も何度も繰り返した。

(あっははは、しみったれてるなんてアンタらしくないねえ)

 なんとなく、ミュラーに笑われた気がした。

(あんにゃろめ………)

 怒ったような表情で栓を抜くと、直接酒瓶に口をつけた。口の中に何ともいえない豊かな香りが広がる。

 そのまま、一気に飲み下した。アルコール特有の、焼けるような感覚が胃の腑に広がった。

(私がそっちに行ったら死ぬほど酒飲ませてやるからな………覚悟してろよ、ミュラーおばさん....?)

 人を食ったような、いつもの不敵な笑みがヨーティアの顔に戻りつつあった。




《どこかの洞窟》

 カンカンカンカン

 暗くて長い洞窟の中、甲高く足音が反響している。そのテンポの速さから見て、相当あわてているのだろう。

 その足音をかき消すほどのドラ声を上げながら、一人の男が飛び込んできた。

「お、お頭っ!!大変だ大変だ大変だたいへ………」

 見苦しいことこの上ない。

 相手のあまりの取り乱した様子に、思わず「お頭」と呼ばれた男は声を荒げた。

「やかましい!!一回言えば聞こえるわッ!!」

「ひいっ!」

 「お頭」のすさまじい剣幕に、男は額を地面にこすりつけて這いつくばった。

 この「お頭」―――いや、それでは呼びにくいから、名前を明かしてしまおう。

 ラシード=シグマ。

 『黒い翼』の棟梁である。顔を覆いつくさんばかりに黒々と生えた髭、彫りの深いいかめしい顔つきは、いかにも山賊といった印象を与える。筋骨隆々とした身体には、渾身、鳴るほどに力が漲っていた。その姿、まさにヒグマといっていい。

 が、決して大人物ではない。これといって取り柄があるわけでも度量が大きいわけでもない。強者には媚びへつらい、弱者からは平気で略奪、あるいは殺しをすることも頓着しないような男だ。そのくせ、狡猾といえるほどの知恵も持ち合わせてはいない。

 早い話が、いつの時代にもいる社会不適合者に過ぎない。

 そういう意味では、こんな男が賊とはいえ、一つの集団の長をつとめているということ自体が不思議ではあるのだが。

 まあ当然のことながら、頭がそういう男ならば、配下にも似たような連中が雁首をそろえている。

 ラシードは不機嫌さを隠そうともせずに、目の前で土下座を続けている男に問いかけた。

「………で、何の騒ぎだ?」

「へ、へぇ。それが、ゼィギオスを襲った連中が殺られましたンで」

 その一言に、ラシードの顔色が変わる。

「あぁ!?ゼィギオスだと!?」

 唸るように一声上げると、力任せに部下の襟をつかみ上げた。

「誰がそんなところ襲えっつったんだよ、あぁ!?」

 額に青筋を浮かべながら、ゆさゆさと部下の身体を揺さぶるラシード。どうやら、仲間が斬られたことよりも、自分の命令もなしに勝手な行動をとったことに腹を立てているらしい。

 が、締め上げられている方はたまったものではない。

「お、お頭!!苦しい、苦しいってば!」

 必死でラシードの腕を引き剥がそうともがいている。が、腕力だけで言えばこの男の右に出るものはない。

 太いラシードの腕の中で、ぶらぶらと揺れている姿はどこか滑稽だった。

「………ちっ」

 はき捨てるようにつぶやくと、ようやくラシードは部下を下ろしてやった。もっとも、下ろしたと言うよりも、荒っぽく放り投げたと言った方がいいが。

 痛そうに尻をさすっている部下に向かって、続きを促した。

「まあ、いい。その馬鹿どものことをもっと詳しく話せ」

「へい。聞いたところだと連中、どうもゼィギオスに小遣い稼ぎに出かけたみてえです。んで、夜中にいつも通りに火ぃつけて押し込んでやした」

「それで?」

「お頭もご存知だとは思いやすが、最近、あちこちにスピリット親善使節とかいう連中が派遣されてやしてね」

「なるほど。そいつらに殺られた、ってんだな」

 そこまで聞くと、ラシードは一人合点してうなずいた。が、部下は「とんでもない」と言わんばかりに首を振ると、

「いやぁ、連中もそこまで弱っちくはねえ。瞬く間に出てきた四人のスピリットと………ええと、誰だっけか………まあ、いいや。一人、剣術使いをぶち殺しやした」

「………?じゃあ、誰に殺られたんだ?」

「聞いて驚いちゃいけねえ。………なんと、あの『漆黒の翼』でやす」

「なんだと?ヤツは人間は斬れねえんじゃなかったのか?」

「さあ………?」

 二人揃って首を傾げてしまった。もっとも、いくら頭をひねったところで、こんな連中にウルカの気持ちは分かるまい。

「だが、コイツは間違いねえ情報ですぜ、お頭」

「ふむ………。まあ、いいだろう。何にしろ、これでレスティーナ女王にも俺たちの力を見せ付けられたはずだ。そう考えれば、連中も少しは役に立ったってことよ」

「へへ………そうですンで。さすがお頭だ、転んでもただじゃ起きねえ」

 下卑た笑みを浮かべながら、おべっか丸分かりの態度でラシードに調子を合わせる部下。が、情けないことに当のラシードは言えば、まんざらでもなさそうにうなずいている。

 もっとも、人間ほどおべっかに弱い存在もないのだが。

「よし、下がっていいぞ」

「へい」

 ひとつ叩頭し、大広間から出ようとしたときだった。

「待て」

 鋭く呼び止めた者がある。

 その声を聞いた途端、二人の表情が凍りついた。それは、間違いなく畏怖によるもの。

 暗がりから、一人の女性―――いや、まだ少女と言った方がいいか―――が姿を見せた。氷のような冷ややかさを感じさせる青い瞳、腰まで伸びた黒髪が印象的だった。

「あ、姐御………」

 ツカツカと歩み寄る少女を前にして、われ知らずのうちにラシードの口から声が漏れた。が、少女は、そんなラシードに一瞥もくれずに横を通り過ぎると、部下の目の前に進み出た。

 その視線は矢のように鋭く、部下を射すくめるには十分だった。

「貴様、さっきスピリットを斬った、と言ったな?」

「へ、へえ………。それと剣術使いが一人………」

「人間などはどうでもいい。そんなことよりも………」

 すくみきった部下を尻目に、少女は今度こそラシードの方へ顔を向けた。

「どういうことだ、ラシード。絶対にスピリットには危害を加えない………それが協力してやる条件だったはずだ。だというのに、これは何のつもりだ。………答えによっては、ただではすまんぞ?」

 さっきまでの威勢もどこへやら、辛辣とも言える少女の言葉の前に、ラシードはふぐりを抜かれたようになってしまった。

 動揺を隠そうともせずに(隠すだけの余裕もなかったが)、

「そ、それはあいつらが勝手にやったことだ………。お、俺の知ったことじゃねえ」

 責任転嫁を図る。すくなくとも、一党をすべるものの態度とは言いがたい。

 が、ラシードがそう吐いた瞬間、少女の目に殺気が宿った。

「見苦しいな、これだから人間は………。いいだろう、貴様も魂の欠片も残さないよう、丁寧に葬ってやる………」

 サークル状のオーラフォトンが、少女の足元に広がる。同時に、洞窟の中だというのにすさまじい風が巻き起こり、あたりのテーブルや棚をなぎ倒し始めた。

 ここにいたって、ラシードはようやく自分が何を言ってしまったのかに気づいた。恥も外聞もなく、頭を打ち付けるほどの勢いで土下座すると、

「わ、わかった!悪かった!俺の監督ミスだ………たのむ、この通り許してくれ」

 少女はしばらくの間、その無様としか言いようのない姿を憎憎しげに見下ろしていた。

 ちなみに、先程の部下はとっくに逃げてしまっている。やはり、この男に将器は備わっていないのだろう。ラシードは内心腹を立てながらも、今はひたすら頭を下げることしか出来ない。

 少女は何とか怒りの矛先を納めることができたのか、

「………二度目はないぞ」

 それだけ言うと、さっさと奥に引っ込んでしまった。その姿が見えなくなった途端、

「………ちっ、気に食わねえヤツだ」

 少女に向かって、儚い抵抗を示すラシードであった。




 ラシードに灸を据えた後、少女は自分の部屋に戻っていた。もちろん部屋と言っても、洞窟の中だ。

 この洞窟、実は恐ろしいほど広い。だけではなく、幾筋にも道が分かれており、その数だけ個室や、あるいは倉庫として利用できる。賊がアジトにするには格好の場所だった。

 もっとも、あまりに深い場所にあるせいで、常に火を焚いておかないと凍えてしまうという欠点もあるが、そもそもここに永住する気はない。転々と居場所をくらませながら略奪を働くというのが彼らのやり方である以上、いずれはここも去らなければならないのだ。だから居住性についてはそれほど気にする必要もなかった。

 第一、寝ようと思えばドブの中でも寝られるような連中なのだ。そんな連中にすれば、今のねぐらに不平などあろうはずもなかった。

 さて、話を戻そう。

 まだ苛立ちが収まらないのか、少女はベッドに横になったまま、じっと天井を睨みつけていた。口を尖らせながら、

「まったく、揃いも揃ってクズばかりだ………。やはり、そろそろ見切り時か………」

 そのとき、部屋の入り口に一人の青年がひょっこり首を覗かせた。顔には少し、少年らしい匂いが残っている。

 にっ、と微笑むと、

「お邪魔しますよ〜」

 部屋の主の許可も無しに、ひょこひょこ中に入ってきた。いつものことなのか、少女も特に咎める様子もない。

 そのまま、少女の横に腰を下ろした。が、少女のむっつりした表情を見るや、

「おや、ご機嫌斜めのようですね。………ははあ、さてはまたラシードと一悶着ありましたか」

「………うるさいぞ、クスカ」

「ははっ、どうやら図星みたいですね」

 人懐っこい笑顔を浮かべながら、クスクス笑っている。

「ラグナはすぐに意地を張りますからね。同じ張るなら食い意地だけにしておいて欲しいんだけどなあ」

「誰が食い意地が張っているというんだ。私は別に………」

「ははは、何を言っているんです。いつもおかわりを五回も六回もする人が言うセリフですか?」

「うるさい、誰だろうと栄養の摂取は必要だ。それの何が悪い」

 あっちへ行け、とばかりの突き放した口調。が、当のクスカはといえば、そんなラグナの抗議などまったく耳に入っていない様子で、

「この前なんて、私のおかずにまで手を出すんですから。………まったく、困った人です」

「クスカ………そろそろお前との腐れ縁を断ち切ろうと思うのだが」

 ベッドから半身を起こし、横目でクスカを睨みつけるラグナ。………目が本気だった。

 気がつけば、ラグナの周りにはすでに魔方陣が展開していた。ラグナが少し指を動かせば、クスカの丸焼きの出来上がりである。

「長い付き合いだった………むこうで達者に暮らせ」

 クスカ、危うし。

 が、当の本人は相変わらずおっとりしている。頬を掻きながら、

「いやだなあ。ほんと、ラグナには冗談が通じないんですから。ははっ、それに心配しなくても大丈夫。ラグナはちっとも太ってなんてないですよ」

「………そこまで分かっているなら初めから言わなければいいだろう」

「いやあ、ちょっと怒ったラグナの顔が見たくなったものですから。ムッとした顔もなかなか素敵でしたよ?うーん、ここに絵筆と画布があればなあ」

 マイペースもここまで来ると天然記念物である。その調子にラグナでさえ、

(………絵の具がなければ描けないではないか)

 釣り込まれて言いそうになったが、辛うじて喉元で言葉を飲み込んだ。ラグナにも、自分が妙な顔をしてしまっているのが分かった。

 クスカはそんな表情を満足げに見つめながら、

「もっとも、ラグナは笑っているのが一番ですけどね♪」

「………もういい。お前の相手をしているとかえって疲れる」

「相変わらず釣れないなあ………」

 クスカは残念そうに微笑すると、大げさに肩をすくめた。そんな何気ない動作にさえ、何故か愛嬌があるのはこの若者のとく..なところだ。

「分かったらさっさと行け。眠れないだろう」

 これ以上相手をする気はさらさらないらしい。クスカに背を向けるように、布団にもぐりこんでしまった。

「はいはい、わかりました。邪魔者はさっさと退散しますよ」

 結局、ラグナに急き立てられるような格好のままクスカは部屋を後にした。

 ………と思ったら、またしても入り口のところで首だけ覗かせている。何か言いたげに、じいっとラグナのほうを見ていた。

「………」

 が、ラグナは徹底的に無視を決め込んでいる。布団にもぐったまま振り向こうともしない。

(じい〜っ)

 クスカもなかなか手強い。むろん、ラグナが寝たふりをしていることも、自分の気配に気づいて無視していることも分かった上での行動だ。

 しばし、二人の無言の戦いが続く。

「………」

(じい〜っ)

「………」

(じい〜っ)

「………何だ」

 ついに、ラグナのほうが根負けした。布団の中から首だけをクスカに向け、うるさそうにたずねた。

 一方のクスカはといえば、何が楽しいのか、やはりニコニコしている。

「いやあ、今日の晩のおかずのリクエストを聞いてなかったなあ、と思って」

 満面の笑みを浮かべながら言うクスカを前に、ものすごい勢いでラグナの身体から気力が抜けていった。よほど言いたげだったから何かと思えば………、視線にそんな恨めしさがこもっている。

 クスカから顔を背けるように寝返りを打つと、ポツリ、と一言だけ漏らした。

「………肉じゃが」

「了解しました〜♪」

 やけに嬉しそうに答えると、クスカは鼻歌を歌いながら部屋を後にした。

 ようやく場に静寂が戻る。

 ラグナは、ふぅ、と心底疲れたように息を吐くと、

「まったく、あいつにだけは敵わんな………」

 だが、いつの間にか、先程までの苛立ちが嘘のように消えてしまっていることにラグナは気づいていなかった。

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