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After the Eternal War ――閉ざされた大地で――
第三章 『黒い翼』

《ゼィギオス・詰め所》

 スピリット親善使節が派遣されるようになって以来、各都市にも「詰め所」と呼ばれるものがつくられた。「まちのおまわりさん」をもって任じる以上、確かに派出所のようなものは必要だろう。

 といっても大げさな施設ではない。ラキオスのスピリットの館と同じようなものと考えてもらえばよい。都市によって多少規模の違いはあるものの、構造自体はほとんど同じだ。

 これは使節の面々の希望でもあった。その一事をもってしても、彼女たちのあの思い出のつまったスピリットの館に対する想いの一端を見ることが出来るような気がする。

 ウルカもまた、普段はゼィギオスの詰め所で仲間のスピリットとともに起居している。

 ときは、深夜。町はすっかり静まりかえり、そう遠くない森からふくろうのような鳴き声も聞こえてくるほどだった。

 そんな中、この詰め所だけは妙に騒々しかった。正確に言うと、ある一人の人物のせいなのだが。

 まだ木の香も失せない新築の二階、その一室から近所迷惑もいいところの笑い声が響いてくる。

 その笑い声に辟易したように、一つため息をつくミュラー。眉をひそめながら、

「アンタが来ると、ホントにろくな事がないねえ………」

 しかし、当の本人にはまったく自覚がないらしい。大口を開けてひとつ哄笑すると、

「な〜に言ってんだい、久々に旧友が会いに来てやったんじゃないか。もっと喜んだってバチは当たらないんじゃないか?」

 けろりと言ってのけるヨーティアに、さすがのミュラーも頭を抱え込んでしまった。呆れたように部屋を見回すと、

「こんだけ荒らしといて喜べってのは無理だろ………」

 部屋中に散乱した酒瓶を指差す。果実酒からラム酒のようなものまで、ありとあらゆる種類のものがあった。

 ちなみに、ミュラーは下戸である。それに、日頃から手元が狂うからといってほとんど酒を嗜まない。

 ということは、これだけの酒をヨーティア一人で空けたことになる。すさまじい酒豪っぷりである。

 これにはミュラーも唖然とするほかない。

「いやいや、世捨て人みたいなあんたが、久々に人里に出て来たんだ。このくらいの手土産は必要だろう?」

「誰が世捨て人だ、誰が………。第一、勝手に上がりこんで一人で酒飲んでただけじゃないか、アンタは。まったく………。それに、ここ本当はウルカの部屋なんだから、あんまり散らかすと後が怖いぞ?」

 そう言って、側にある椅子に腰を下ろすミュラー。テーブルの上のカップに手を伸ばし、色の濃い液体を口に含む。

 中身はもちろんお茶である。すがすがしい清涼感がのどから鼻腔に吹き抜け、生ぬるい酒の匂いを少しだけ洗い落としてくれた。

「………ふぅ。酒なんて飲むやつの気が知れないねぇ」

 ジト目で睨むミュラーに、さすがのヨーティアも苦笑せざるを得ない。こちらも部屋の片隅にあるベッド―――もちろんウルカの―――の上に腰を下ろし、ミュラーに向かい合った。

「ははは………まあ、そう言うな。趣味なんて人それぞれのもんだ。私から研究と酒を取られたら、世の中何も面白いことないじゃないか。それにだな、私に言わせればあんたやウルカの方がよっぽど気が知れないよ。三度のメシより剣の方が好きだってんだからねぇ〜」

「………まあ、百歩譲って酒は良しとしよう。確かに、酒には薬効もあるし、人の好みに文句言うのも気が引ける。でもねぇ………」

 アンタのは飲みすぎ、しかし、そう言い切る前に、ヨーティアはさえぎった。

「はいはい、もうその話はおしまい。この年になって説教なんか、真っ平ゴメンだね」

 手を振って、拒絶の意を表す。酒も手伝ってか、その様子はどことなく子供っぽくて、愛嬌があった。

 もっとも、ミュラーの説教を心底嫌がっているわけでもない。その証拠に、いやいやと首を振りながらも、ヨーティアは笑っていた。

 なにより、ミュラーとのこういうやり取りが楽しみで、自分が責任者である学会を放り出してまでここにやってきたのだ。

 ―――まったく、仕方ないヤツだねえ―――

 ここまであっけらかんとした態度を取られると、かえって気持ちいいものがある。ミュラーも苦笑しながら、もう一度お茶の入ったカップを傾けた。

 知と武という、まるっきり反対のタイプの人間ではあるが、意外に気が合う二人でもある。やはり、どちらもサバサバした性格をしているせいだろうか。

 少しの間、心地よい沈黙が部屋に流れる。ヨーティアがグラスを口に運ぶと、からん、と氷が鳴った。窓から流れ込む夜風が、ほろ酔いで火照ったヨーティアの顔をなでた。

 その風に誘われ―――静かに―――思い出したように、ヨーティアは口を開いた。

「あぁ、そうだ。ずっと聞きたいと思ってたんだけど………いいかい?」

「ん?」

「何で帝国やロウ・エターナルとの戦いが終わったあと、ラキオスからいなくなったんだ?戦争が終わったとはいえ、生まれたてのガロ=リキュアには問題が山積みだ。それを見て見ぬ振りをするようなあんたじゃないだろ?」

「あぁ、そのことね………」

「レスティーナ女王の考えに共感した、だからこそ、あの時ラキオスに力を貸したんだろ?もし、その気持ちが今も変わってないんなら………」

 そこで、ヨーティアは言葉を止めた。それ以上言わなくても、ミュラーには伝わると分かっていたから。じっと、ミュラーの答えを待っている。

 ミュラーは、あまり話したくなさそうであった。が、ヨーティアの視線を正面から受けると、すこし沈んだ調子で言った。

「………いや。もう、アタシが手伝えることなんて残ってないからね」

 苦笑いしながらヨーティアに顔を向けるミュラー。要領を得ないのか、ヨーティアはいぶかしげに眉をひそめた。

 さらに問おうとするヨーティアをさえぎり、ミュラーは言葉を続けた。

「剣では、守ることは出来ても、創ることは出来ない………。これは、前にアンタに言ったことがあるね?」

「あ、ああ………」

「帝国やロウ・エターナルとの戦い………これは守る戦いだった。この大地を、この大地に生きるものの手から奪い去ろうとする連中からね。だから、アタシも役に立てた」

 次第にヨーティアにも、ミュラーの言わんとするところが分かってきた。視線をそらすことなく、じっとミュラーの言葉に聞き入っている。

「でもね、もう戦争は終わったんだ。これからは、この世界に生きるものが運命を自分の手で創り上げていく時代なんだ。………だから、剣は必要ない」

「そうか………」

 ヨーティアには、それ以外に言うべき言葉が見つからなかった。ミュラーがそう生き方を決めてしまっている以上、自分が口出しすべきことでも、出来ることでもないだろう。

 もっとも、ミュラーは時代に取り残された、などと思っているわけではない。もともと戦争をしたくて剣の精妙を極めたわけでもない。

 ただ、もとの落ち着いた生活に戻る、それだけのことだ。そう割り切れるあたりがミュラーの凄みといえるかもしれない。

 が、そうとなると、ヨーティアにはもう一つ腑に落ちない点が出てきた。

「………じゃあさ、何で今回に限ってウルカの頼みを聞いてやったんだい?わざわざゼィギオスなんかに出てくるなんてさ」

 唐突に二つ目の問いを発する。

「いや、別に大したことじゃないよ。本当に何となく………かな」

 確かめるように答えるミュラー。だが、その漠然とした答えにヨーティアはあまり満足していないようだった。小首をひねったまま、ミュラーの顔を見つめている。

 一方、当のミュラーも、自分の答えに納得できなかったのか、

「そうだね………強いて言うなら、やっぱり気になったんだろうね。あの娘のことが、さ」

 ミュラーは、自分でも気づかずに「あの娘」という三人称を使っていた。普段ならば「アイツ」とでも言いそうなのだが、そうではなかった。

 「あの娘」とは、ウルカのことである。

 その一言でも、ミュラーのウルカに対する想いを感じ取ることが出来る。似たもの同士であることも大きいのだろう。

 ミュラーは旧ラキオススピリット隊のメンバーの訓練を担当したことがあるだけに、その全員に対して並々ならぬ愛情を持っていた。誰も死なせたくない、全員生きて帰ってきて欲しい、その想いがあったからこそ、時に苛酷を極めた訓練にも、メンバーはよく耐えた。そこで育まれた信頼の絆は、他人が考えるよりもずっと太い。

 しかし、その中でも、ウルカは特別にミュラーに心服した。

 いや、心服したというのは少しニュアンスが違う。ウルカは、見たことも―――存在すらしない―――母のようなものを、ミュラーに感じていたのかもしれない。

 それはミュラーも同じ。その想いが、今、言葉という形を借りてヨーティアの心の琴線を揺らしていた。

 ヨーティアは、満足げにうなずきながらミュラーの言葉に耳を傾けていた。

「あの娘は、ラキオスの娘たちの中でも、随分辛い目にあってきたからね………。帝国にいた頃はいつも汚い仕事を回されて、なのに少しも報われやしない。挙句の果てには、あの娘が家族みたいに可愛がってた部下まで奪われて………」

 声が、震えていた。うつむいているため、ヨーティアにはミュラーの表情は見えなかった。しかし、

「………だからさ、あの娘には特に幸せになって欲しいのさ。もちろん、他の子たちもだけどね」

 そう言って顔を上げたミュラーは、朗らかに笑っていた。

 もう、彼女たちが辛い思いをする必要はなくなったから。これから、今までの分を取り戻すくらいに幸せになってくれると信じていたから。

 その想いは、ヨーティアも同じだった。

(ウルカも、いい師匠を持ったね………)

 だまって、ミュラーに微笑を向けた。

 しかし、しみったれた雰囲気ほどこの二人に似合わないものはない。ヨーティアは、それを吹き飛ばすように明るく言い放つと、

「じゃ、この世界とスピリットのみんなの未来のために………乾杯!!」

 自分の持つグラスを、高々と掲げた。

「ははは………じゃ、アタシも乾杯といこうか」

 そう言って、ミュラーもお茶の入ったカップを手に取った――――

 その時。

 カンカンカンカンカンカン!!!

 突如鳴り響く警報。夜の静寂を一瞬で打ち破り、ザワザワとそこら中の家々に明かりが灯る。

 同時に、わあーっ、という喚声があがるとともに、町の南がぱっ、と明るくなった。

 まどろみかけていた意識が一気に覚醒する。ミュラーは二階の窓に駆けより、外を見渡した。

「町が焼けてる………!?」

 急に外が明るくなったのはそのためだった。南の方では、軒を連ねる家に次々と火が燃え移っている。

 さらに、町の中心部を貫通するように通っている太い大通りを、多数の黒い影が走っている。手には松明を持っていた。おそらく放火の犯人だろう。槍や剣などの得物を持っている者もいる。

 するうちに、民家に押し入り始めた。赤ん坊や女性の泣き叫ぶ声が聞こえてくる。それが断末魔に変わってゆくのにさして時間はかからなかった。

「………ウルカの留守中になんてマネを………!」

「ミュラーさん!!」

 ノックもなしに、ばん、と部屋の扉が開かれる。

 振り向くと、そこには四人の少女が立っていた。皆、この詰め所に派遣されたスピリットである。まだ、幼い。

 見ていて可哀想なほどに狼狽している。

「ど、どうしましょう………」

「慌てるんじゃない!!こういう時どうするかは、いつもウルカに聞かされてるだろ!!」

 おろおろと聞いてくる少女たちに一喝する。その言葉にビクリ、と身体を硬直させる少女たち。

 しかし、次の瞬間、そこに並んでいたのは紛れもない戦士の顔だった。皆、顔を引き締め、神剣を取り出した。

 幼いながらも、彼女たちはウルカに心酔している。だからこそウルカも普段から彼女たちを可愛がりもし、厳しく稽古をつけてもいた。

(さすがだね、ウルカ………)

 姿のないウルカに賛辞を送りつつ、的確にミュラーは指示を下す。

「二人は町の人たちの避難の誘導!!あとの二人はあの馬鹿どもを締め上げておいで!!アタシも準備が終わり次第、すぐに出る!!」

『はい!!』

 声をそろえて答えると、一分の乱れもなく四人は駆け出していった。

「さて、アタシも急がなくちゃ………。ヨーティア、あんたも早く逃げな!」

「やれやれ………………確かに私がいても役に立てないしな。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」

 少し申し訳なさそうに言う。本心では、ミュラーを残して自分だけ逃げるようなマネはしたくないのだろう。

 が、それはあくまで感情論。実際、ヨーティアが残ったところで足手まといにしかならないのは目に見えていた。

 ヨーティアの怜悧な理性が、ためらうことを彼女自身に禁じた。

「絶対に死ぬんじゃないよ?あんたが死んで悲しむヤツはいくらでもいるんだからね!」

 そう言い残し、ヨーティアも詰め所を去った。

「まったく、見かけによらず心配性なやつだねえ………。『剣聖』の名は、ダテじゃないよ!!」

 凛、と言い放つと、ミュラーは部屋の片隅に立てかけてあった愛刀に手を伸ばした。

 それは、彼女の分身と言ってもいい。

 神剣でもないのに、数十年使い続けて、いまだに刃こぼれ一つしない名刀だった。

 スラリ、と鞘から引き抜き、目釘をあわせる。刀身に映った月が、見ていて引き込まれるほどに美しかった。

「よし………行くか!!」

 風のように、ミュラーは駆け出していった。




「な………!?」

 しかし、詰め所から飛び出た瞬間、ミュラーは惨劇を目の当たりにすることになった。

「へっへっへ………。『漆黒の翼』がいなきゃ、こんなもんか………」

 ミュラーと対峙するように、四人の男が下卑た笑いを浮かべている。その足元には――――

「あ、アンタたち!?」

 そこには四人の少女が横たわっていた。そう、先程飛び出していった、あのスピリットたちである。

 二人はすでに事切れており、徐々に金色のマナになって散華してくところだった。

 風に乗って、血のにおいがミュラーの鼻腔に満ちてくる。

 残る二人も全身血まみれ、こちらも助かりそうにはない。四肢に力はなく、ぐったりとしている様は人形と変わらない。すでに瞳は光を映していないようだったが、ミュラーの気配を感じると首をもたげ、

「ミュラ………さ………ん」

「ごめんな………さい………」

 消え入りそうな声で謝罪の言葉を呟いた。

 一人は言葉の途中で喉をつまらせた。大量の血が、胃から口腔に逆流したらしく、何とかそれを飲み込もうと、少女は顔をしかめた。

 が、あふれだす血塊はとどまらず、唇の端から漏れ出した。その様子は、幼い少女らしからぬ、凄惨なものだった。

「もうよせ!!それ以上しゃべったら………!!」

 しかし、ミュラーの制止も聞かず二人は言葉を続けた。

「………お願い……します…ウルカ、さんに………」

「………ごめんなさい………って………」

 ぐしゃ、ぬちゃり

 言い終わらないうちに、二人の胸を刃が貫いた。肉のひしゃげるおぞましい音が、幾重にもミュラーの耳にこだました。

 マナに帰ってゆく二人をただ見つめることしか出来ないミュラーを前に、男たちは無遠慮に話し始める。

「へっへっへ………俺ら『黒い翼』に逆らおうなんざ、いい度胸してるぜ。おとなしく引っ込んでりゃ殺されずにすんだのによぉ。いちいち正義ズラかましやがって」

「まー、ちょっと惜しかったけどな。どうせ殺すなら、その前に一発ヤっときゃ良かったよな」

「おいおい、妖精趣味かい、ダンナ?しかも随分とロリコンだな」

「気にすんなって。そう言うお前さんもそのクチだろ?」

「ははは、違えねえ。まったく、あんたにかかっちゃ敵わねえよ」

 ぎゃはは、と誰憚ることなく笑いあう男たち。たった今、自分たちがやったことに対する罪悪感など微塵も感じられない。

 無論、目の前で怒りに震えるミュラーの姿など、彼らの眼中にはない。

「アンタたち………自分が何やったか分かってんのかい………?」

 こぶしを震わせながら、低い声で唸るミュラー。それを聞いて、ようやく四人の意識がミュラーに向けられる。

「あ?何だコイツ」

「おい、おばさん。死にたくなきゃとっとと失せな」

 犬を追うように手を振る男。

「答えな!何でこんなことをしたッ!!」

 まっすぐに男の目を見据えて問い詰める。ミュラーは自分でも、阿修羅のような顔をしていることが分かった。

 が、男はしたり顔で答えた。

「ああん?んなの決まってんじゃねえか。俺らがそうしたかった、それだけのことよ」

 すかさず、別の男が相槌を打つ。

「くうーっ、俺もいっぺんそんな風に言ってみたかったんだよねえ〜。おいしいとこもってきやがって、こいつ」

「なあに、お前さんも甘い蜜を吸う仲間にゃ変わりねえよ。何つったって、俺たち天下の義賊様だぜ?」

 そういって、四人は哄笑した。天をも恐れぬとはこういう男たちのためにある言葉だろう。

 その言葉を聞いた瞬間、ミュラーの中で何かが切れた。

「義賊だって………?ふざけんじゃないよ………『義』の意味も知らないくせに………!!」

 光陰と同じ呟きをもらす。同時に、ミュラーの全身から痛いばかりの闘志が湧き出し、ビリビリと空気を振るわせるかに思えた。

 その気迫は、鬼気迫る、というような言葉で表せるものではなかった。

「アンタらなんか、『鼠賊』で十分だ!!その腐った性根………叩きなおしてやるッ!!」

 かッ、と地が鳴るほどに力強く踏み込むと、火花が散るような速さで、ミュラーの剣が鞘走った。

 夜の闇に剣の軌跡が光って見える。それほどに鮮やかな抜刀術だった。

 神速を持って鳴らした、ミュラーの居合いである。

 大陸広しといえども、これをまともに受けきれるのはウルカかアセリアぐらいのものであろう。

 少なくとも、ただの人間が見切れる速さではない。

 闇に、甲高い金属音が響き渡った。

「………おいおい、なめてもらっちゃ困るぜ?」

「な………!?」

 ミュラーは目を瞠った。

 彼女の持てる技量を総動員したと言っていい、最速の一撃。それを、目の前の男は顔色一つ変えずに、悠然と受け止めたのだから。

 あまりのショックに、ぽかんと口が開いてしまっていた。相変わらず、男はだらしのない笑みを浮かべて、傲然とミュラーを見返している。

(嘘だろ………!?)

 そう思ったときには、無意識のうちに体が動いていた。場の空気が、彼女が長年研ぎ澄ませてきた危険に対する感覚を刺激したのだろう。

 とっさに一歩飛び下がると、烈火のごとく男の胴を擦りあげた。さらに、休む間も与えずに、小手を打ち、面に浴びせかける。

 その一撃一撃を、男は一歩もその場から動くことなく受け流した。ミュラーの剣戟などどこ吹く風、といった涼しい表情。しまいには、へへへ、と怪しげな呟きが漏れ始める始末だ。

 もっとも、怪しいといえばこの時点で十分に怪しくはある。第一、この連中は神剣を持ったスピリットを―――幼いとはいえ―――すでに四人も殺しているのである。ただの人間がスピリットに勝つなどとは、この世界の常識にあっては、有り得ないことである。

 先程は、彼女たちが殺されたことに、忘我の状態になっていたミュラーだが、さすがに『剣聖』と謳われるだけはある。すでに冷静さを取り戻しつつあり、そのことにも気づき始めていた。

 仮にスピリットと対等に渡り合える人間がいるとすれば、それはこの『剣聖』ただ一人のはずだった。これは決してミュラーの驕りでもなんでもなく、冷静な分析、判断に基づく結論である。

 にもかかわらず、この男たちはその自分と互角、いやそれ以上の力を持っている。とすれば結論は一つしかない。

 ―――こいつら、人間か?―――

 人が聞けば笑い出してしまいそうな結論だが、この感覚は実際に剣を交えているミュラーでなければ分からないだろう。

 とめどなく湧き上がる疑念の雲を押さえつけながら、ミュラーはそれを確かめようとした。

 くるっ、くるっ、と軽快な足捌きで何度も切りつける。その動きは一流の舞を見ているようだった。流麗で、一切の無駄な動きもない。剣が舞うたびに、闇夜に花びらが散るようにすら思えた。

 ミュラーの腕は、剣で人を魅せるほどの域に達しているといっていい。いかなる武芸も、それを極めれば一種の芸術になる。

 対する男は受けに回り、ミュラーに一太刀浴びせることも出来ない。ミュラーの息もつかせぬような剣舞の前に、ひたすら後手に回っている。

 といえば聞こえはいいが、言い換えればミュラーの太刀が一度も男に届いていないということでもある。何より、男には笑いを浮かべるだけの余裕があった。

 他の三人も、男に加勢をすることなく眺めているだけだった。その様子を見て、ミュラーの目が光る。

(………いいさ。そっちがその気なら………)

 今までの、流れを重視した動きから一転、力任せに男の剣をすくい上げる様に跳ね飛ばす。男はのけぞるように体勢を崩した。

 ミュラーの剣はそのまま円を描いて、彼女の腰元に戻る。

 姿勢をかがめ、足を踏ん張る。ざっ、と土が擦れる音がした。

 そう見えたとき、ミュラーの気合の入った叫びとともに、火花を散らしながら剣が鞘を離れた。

「星火………燎原の太刀ッ!!」

 闇を裂く一筋の光となり、ミュラーの剣が突き出される。がら空きになった男の腹を守るものは、薄汚れた服一枚だけ。

 無論、そんなもので鋭利な刃を妨げることは出来ない。

 ―――取ったッ!!―――

 確信を刃に乗せて、ミュラーは振り切った。

 ―――風が、鳴った。

 どうしたことか、夜空が見えた。そのまま景色がぐるりと一回転したかと思うと、視界が黒く塗りつぶされた。どう、と何かが倒れる重い音が耳に響き渡る。

 頬に、ひんやりとした土の感触を感じた。逆に、胸からは悶え、悩乱せんばかりの熱感が広がってきた。

 それが、痛みだと気づくのに少し時間がかかった。気づくと同時に、ミュラーの胸からあふれ出す血が、地面を黒く染め始めた。

 背後に、男が立っていた。ミュラーが切り捨てた―――そうあるべきはずの―――男が。

 だらりとぶら下げられた剣からは、なまなましく血が滴り落ちていた。濃い闇に溶けるように、ねっとりと血の匂いが鼻腔に絡みつく。

「残念だったなぁ、おばさん。あいにく、俺らに勝てるやつなんざこの世にゃ存在しねえんだよ」

 ぺろり、と刀身を舐めながら言う男。その瞳は、ドス黒く光っていた。片頬をゆがませ、地に横たわるミュラーを嬉しそうに見下ろす姿は、殺人嗜好者の冷酷さに、麻薬中毒者の狂気を足したソレと言えばよかろうか。

 男の一人が囃し立てる。

「年寄りの冷や水だぜ、おばさんよ?」

 その一言に、ケーッケケ、という、人とも思えぬ笑いをあげる男たち。さらに、

「何つっても、俺らは『ヒトを超えた力』を授かったからな。まったく、ありがてえこった」

「へへへ………この力がありゃあ、エトランジェだって敵じゃねえ」

「おうよ。こいつぁ、俺らがこの世界を支配する日もそう遠くはねえなあ」

 口々に勝手なことをしゃべり始める始末だ。

 ひとしきり笑いさざめいた後、男たちは町中に散った。

 そうして、一時間ばかり。

 再び、男たちは戻ってきた。各々が大きな袋を担いでいる。中身は、ゼィギオスの人々から巻き上げた、大量の金品である。

「ま、そこそこの収穫だな」

「思ったよりゃ少ねえけどな………。まあ、いいか。これでしばらくは遊んでられるだろ」

「そういうこった。………さて、いただくもんはいただいたし、ズラかるとしますか」

 そして、ミュラーに背を向けて歩き始めた。無論、この男たちは、彼女にトドメを刺してやるほどの慈悲は持ち合わせていない。

 ………いや、数歩進んだところで、男の一人が思い出したようにミュラーのもとに駆けてきた。そして、

 ぺっ

 と彼女の顔につばを吐きかけた。あばよ、おばさん、と高笑いを残し、再び仲間のもとに戻っていった。

 人としてこれほどの恥辱があろうか。

 しかし、それほどのマネをされても、ミュラーには男を睨む気力すら残っていなかった。

 力なく横たわる姿は、ひどく寂しげに見えた。




 ウルカは、空を駆けていた。月光をハイロゥに映し、風を切る姿はまさに夜の妖精の名にふさわしい。

 が、そんな光景とは裏腹に、ウルカは焦りに焦っていた。

(一刻も早くゼィギオスへ………!!)

 幸い、戦時中でないおかげで、ラキオスからゼィギオスに向かう最短ルートを取ることが出来た。その距離、およそ20クレ。

 神剣の力を解放し、全速力で目指すゼィギオスに迫るウルカ。息は上がり、心臓も張り裂けそうなほどに悲鳴を上げていた。

 それでも、速度を緩めることはない。そんなことを考える余裕もなかった。

 一気にリレルラエル、セレスセリスを抜け、細い川を横切る。その先にはトーン・シレタの森が広がっている。この森は相変わらずマナが濃い。そのせいで、永遠戦争時代、ラキオススピリット隊は不安定な戦いを強いられた。

 が、今のウルカにはありがたかった。ウルカは低空飛行のまま森に突っ込んだ。濃厚なマナを浴びて、少しでも体力を回復したかったのだろう。

 暗い森を抜けると、眼下がにわかに明るくなった。

「見えた………ゼィギオス………!」

 思わず声をあげるウルカ。ハイロゥを閉じ、軽い音を立てて着地する。

 そのまま息をつく間もなく駆け出した。荒い息を吐きながら、燃え盛る街中を駆け抜ける。

 逃げ遅れた人々とすれ違うが、それさえも今のウルカには目に入らなかった。ただひたすら、詰め所に向かって走り続けた。

 ………

 ……

 …

 ウルカの足が、ぴたりと止まった。視線が、地面の一点に釘付けになっている。

 かと思うと、壊れた機械人形のように、ぎこちなく歩みを進め始めた。うつろな瞳のまま、よろよろと歩いているのは、決して疲れのではあるまい。

 そして、折り崩れた。目の前には、一人の女性が横たわっている。水でも浴びたように、その身体は血に濡れていた。

 恐る恐る、といった感じで、ウルカは自分のひざの上に女性を抱き上げる。そして、その名をつぶやいた。

「ミュラー………殿………?」

 耳をそばだてなければ聞き取れないほど小さな声で呼びかける。そこには、目の前の現実を信じられない、いや、信じたくないという思いがにじみ出ていた。

 最悪の状況が、ウルカの脳裏に明滅する。

 ゆさゆさと、うつろな声でミュラーの身体を揺さぶるウルカには、普段の凛、とした武人らしさは欠片もなかった。

 天もそんなウルカを哀れんだのだろうか。ウルカに抱かれたまま、ミュラーはゆっくりとまぶたを開けた。

「ウルカ………か………………?」

「ミュラー殿っ!」

 一気にウルカの顔が紅潮した。すっかり頬が緩んでしまっている。

 ミュラーもまた、微笑を返してみせた。とても、そんな余裕があるようには見えなかったけれど。

 が、すぐに顔を曇らせると、ミュラーは悔しそうにつぶやいた。

「すまん、ウルカ………アタシが不甲斐ないばっかりに、皆を………死なせちまった………」

「………は?」

 突然のことで、ウルカにはミュラーが何を言わんとしているのか分からなかった。もっとも、この状況に気が動転してしまっていたことも大きかったのだろうが。

 ミュラーは、黙って少し先の地面を指差した。反射的に、ウルカもその方向を目で追った。

 そして、絶句した。潮が引くように、さーっと音を立てながら顔から血の気が引いていく。

 暗くて見えにくかったが、少し先の地面にべったりと血糊がひろがっていた。

 死体は………ない。

 すでに、四人の幼いスピリットは、マナの霧に変わってしまっていた。

(そんな………?)

 まだあどけなさを顔に残した、四人のスピリット。出会ってまだ数ヶ月しかたっていなかったが、彼女たちはウルカによく懐いていた。

 ウルカもそんな彼女たちがたまらなく愛おしく、大小となく世話を焼いてやったものだ。

 また、彼女たちはしばしば、永遠戦争時代のウルカの武勇伝を聞きたがった。最初は、ウルカも気恥ずかしくてなかなか話そうとしなかったが、結局はその無邪気な笑顔に押し切られた。

 目を輝かせて聞き入る彼女たちの嬉しそうな、それでいて尊敬に満ちた眼差しは、今でもウルカのまぶたに焼き付いている。

(それを………ッ!!)

 忘れられないほどの、まぶしい笑顔。だが、それは二度と見ることは出来ない。

 そして、そんな少女が存在していたということ示すものさえ、残っていはしない。

 それとも、地面に残る黒いしみが、彼女たちがこの世に生を受けたという唯一の証だというのか。

 ウルカの強くかみしめた唇から、血が流れていた。身体の痛みが心の痛みに代わってくれるなら、どれほど気が楽だったろう。

 ただの痛みなら、いくらでも耐える自信があったのに。なぜ心の痛みはこうも辛いものなのか。

 ミュラーも、そんなウルカの顔を見るのが忍びなかった。

「本当にすまん、ウルカ………むこうに行ったら、まっ先にあの子たちに詫びに行くよ………」

 そう言うミュラーの顔は、闇の中でも分かるほどに青かった。すでに地面には血溜りができていた。

 ミュラーを抱く指の隙間から、赤い雫がたれ続けていた。

 ウルカは、彼女たちへの想いを振り切らねばならなかった。無理に振り切ってでも、今、この一言を言わねばならなかった。

「………失った命は二度と戻ってきませぬ。だから、あの者たちのためにもミュラー殿は………せめてミュラー殿だけは………っ!!」

 ぎゅっ、とミュラーを抱く腕に力を込める。二枚の服ごしでさえ、ウルカの鼓動はミュラーに伝わっていた。

 ウルカを見つめるミュラーの瞳は揺れていた。目を細め、優しくウルカの髪をなでつける。

 しかし、神は個人の感情に流されはしなかった。また、流されるべきものでもない。

 ミュラーに残された時間は長くなかった。

 なにより、ミュラー自身がよく分かっていた。

 残された力を振り絞り、痛いほどにウルカの手を握り締めた。まっすぐにウルカの瞳を見据えると、

「………いいか、ウルカ。この世界は、まだアンタたちスピリットを受け入れきってない。それは、腐った人間ががたくさんいるからだ。でもね………それと同じくらい………いや、もっとたくさんのいい人間がいる。あんたたちとともに生きたい、心からそう思ってるやつがね………。レスティーナ女王、ヨーティア、コウイン、キョウコ………数えてたらキリがないよ?」

「………」

「………だから、こんなことでくじけるな。せっかくアンタたちがロウ・エターナルから守った世界じゃないか。これからは、アンタたちが笑って暮らせる世界にするって仕事が残ってるだろ?………大事なことは、剣と同じなんだよ。雑念を捨てる、そして心を静かに研ぎ澄ませ………そうすれば、自分がすべきことも見えてくるはずだ。………いいね。これが、師としてアタシがあんたに残してやれる最後の奥義だ」

 ミュラーは笑うと子供のように見える。その、いつもと変わらぬ笑みをニッ、と浮かべると、自分の愛刀をウルカに握らせた。

「………こいつは、アタシの最高の相棒だ。このまま鞘の中で錆びつかせるのはもったいないからね………。誰にも渡す気はなかったけど、あんたになら気持ちよく譲れるよ………」

「ミュラー………殿………」

「じゃあ、ね………。あんたがどんな男見つけるのか、むこうで楽しみにしてるよ………」

「………ッ!!」

「幸せに………なるんだよ………」

 そして、ミュラーは目を閉じた。そのまぶたは、二度と開かれることはない。

 大して重くもないはずの身体が、急に重くなったようにウルカには感じられた。その重さは、ウルカが始めて経験するものだった。

 人間であるミュラーはマナに帰ることはないのだ。だからこそ、そこから目をそらすことは出来ない。

「ミュラー………殿」

 去っていった魂を呼び戻すようにつぶやく。しかし、その願いが叶うことはない。たとえ、それがどんな理不尽な死であったとしても。

 雨が、降ってきた。

 静かに、地面が濡れていく。森も濡れていく。町も。鳥も。

 そして、ウルカも。

 その頬を濡らしていたのは、雨か。あるいは―――

「………申し訳、ありませぬ………」

 いつも謝ってばかりのウルカに、むこうでミュラーも苦笑しているに違いない。

 ウルカは、そっと、ミュラーの身体を地面に横たえた。ミュラーの穏やかな顔を見ていると、明日には目を覚まして、いつものように明るい声を聞かせてくれそうにさえ思えた。

 すっ、と立ち上がるウルカ。その瞳には、ひとかけらの決意が光っていた。

「………『漆黒の翼』、参る」

 そうつぶやくと、雨の中、駆け出していった。



《トーン・シレタの森》

「お?」

 突然目の前に現れた人影に、男の一人が不思議そうに声をあげた。

 それもそのはず、こんな真夜中に、しかも深い森の中で人に出くわすことなどめったにない。

 他の三人の男の表情も同じだった。全員が眉をひそめるか、小首をかしげている。

 そんな四人の前に、その人物は一歩進み出た。木の間から差し込む月光が、その姿を照らし出した。

 瞬間、男の一人が舌なめずりをした。相手が若い女性―――まだ少女とも言える―――だったからだ。

「へへへ、とことんついてるなあ、俺ら。こんなトコで女見つけるなんざよ」

 が、次の瞬間、その薄ら笑いは消えていた。男に向けられた少女の視線、そこにはすさまじい気迫が込められていた。

 少女は、静かに口を開いた。

「一つたずねる………そなたたち、この剣に見覚えがあろうか?」

 そう言って、腰の鞘を男たちに突きつける。

 突然の少女の振る舞いに、ぽかんと口を開く男たち。が、すぐに笑い出した。

「なんでぇ、こいつさっきのおばさんの連れか?」

「おうおう、見覚えあるぜその刀。何つったって、俺たちが殺したんだからよぉ」

 その言葉に、ピクリ、と少女の肩が震えた。低く、しかし腹の底に響くような凄みを込めて、男たちに告げる。

「そうか………いや、その一言で十分。………………抜け」

 が、少女の真剣な眼差しに反し、男たちは大口を開け、嘲笑した。見下すような表情を浮かべ、

「おいおい、敵討ちのつもりかよ。泣かせるねぇ………お涙頂戴!!な〜んつってな、ははは!!」

「よせよせ、悪いことは言わねえ………。俺らに勝てるはずねえんだからよ」

「そうそう。そんなことよりも………どうよ?俺らが男の味を教えてやるぜ、お嬢ちゃんよぉ?」

 ひたすら愚弄してかかる。

 しばらく少女は黙って聞いていた。が、耐えかねたのか、

「『漆黒の翼』………その名は、いくらそなたたちのような下郎でも知っていよう」

 瞬時に、男たちの間に戦慄が走る。その名は、この世界に住むものならば三歳児でも知っている。

「なに………?コイツがあの………」

「馬鹿な………なんでそんなヤツがここに………」

 示し合わせたように、全員が同時に後ずさった。

「もう一度言う………………抜け。手前は、そなたらのように騙し討ちはしたくない」

 ウルカの全身から放たれる気合だけで、男たちの気根は萎えてしまいそうだった。

 このあたり、所詮は小悪党なのだろう。大言壮語したところで、実物のウルカを見た瞬間に縮こまってしまっている。

 そんな中、男の一人が声を励まし、

「大丈夫だ………コイツはスピリットも殺せねえってもっぱらの噂だ。人間様を斬るなんて恐れ多いマネできっこねえ………」

「そ、そうか………そうだよな。へへへ………」

「そ、それに俺らは『ヒトを超えた力』を授かってんだ………。『漆黒の翼』だって敵じゃねえ………」

 先程と同じセリフ。今度は随分と語気が弱かった。

 が、その一言で自信を取り戻したのか、四人はそれぞれ得物を構えた。

 相変わらず、ウルカは落ち着いている。四人の姿を見渡すと、

「………参られよ」

 まるでその一言に引き寄せられるように、絶叫を上げながら四人はウルカに飛び掛った。

 が、やはり男たちは腰が引けている。潜在的な恐れはどうしようもなかったのだろう。

 どんなに力が優れていようと、剣は気後れした方の負けである。

 次々に繰り出される男たちの突きを、半歩、一歩と身体をずらし、最小限の身のこなしでウルカは避けていく。

 ウルカが冷静であればあるほど、男たちは焦りを募らせていった。

「だあっ!!」

 構えも何もない、力任せの一振り。それを軽くかわすと、ウルカは少し飛んで、距離を取り直した。

「その程度とは………。所詮、不意打ちでしか功を上げられぬ下衆に過ぎぬか………」

「ふ、ふざけんじゃねえ!俺ら『黒い翼』は無敵なんだ!テメエなんかに負けねえ力を授かったんだよ!!」

「………ならば、何故その力を正しい方向に使おうとせぬ?この世界の未来のために………」

「そんなの関係ねえっ!!力は自分のためにあるんだよ!!」

「それで、ゼィギオスを襲ったと?自分たちの快楽のために………」

「当たりめえだッ!!力があるヤツは何したって文句言われねえんだよ!!」

「よくも、そんな勝手なことが申せたものだ………。自分のしたことを悔いもせずに………」

 ウルカは静かにつぶやくと、柄に手を伸ばした。

 『冥加』ではなく、ミュラーの刀の柄に。

 恐ろしく手に馴染む刀だった。握っているだけで、ともすれば昂ぶりそうになる心が不思議としずまった。

 今、ウルカの心は透き通った池のように、満々と水をたたえていた。ウルカの周りだけが切り離されたように、涼やかな空気に満たされていた。

 日が昇る直前の、朝もやの中にいるような清浄な空気が、マナさえもしずめた。ほの青いオーラフォトンが、羽織のようにウルカを包んでいく。

 その気配に、男たちは心の底からおびえた。そして、何かに取り付かれたように叫ぶと、再びウルカめがけて斬りかかった。

『うわあああっ!!』

 四つの刃が、ウルカの肌に届く瞬間―――

 静かな水面を、一滴の雫がうった。刹那、『静』が『動』に転じる。

(ミュラー殿………………この一太刀、受け取られよッ!!)

 ウルカの心が、はるか空の彼方を目指して駆け抜けた。―――ハイペリアより、どこよりも遠くの世界へ―――

「静霞………澄鳴(せいか・ちょうめい)の太刀ッ!!」

 ………

 ……

 …

 ウルカは、静かに森を後にした。

 もう、日が昇ってくる頃だ。東の空がほんのりと紫に色づき、太陽がその頭をのぞかせている。

 雨もすっかり上がっていた。葉についた雫は光を浴び、宝石のようにきらめいている。

 刀は、すでに鞘の中にあった。今、ウルカの腰には二本の鞘がぶら下がっている。

 ざっ、ざっ、と下草を踏みしめる音が、耳につく。

 森からここまで、ウルカは一言も発しなかった。ただ、うつろな瞳で朝焼けを見つめていた。

 朝日に照らされたウルカは、深紅に染まっていた。

 その足取りは、どこか力無かった。どうしようもない虚無感が、ウルカを包み込んでいた。

 斬ったところで、想う人は帰って来はしないのだから。

「手前は………」

 下を向いたまま、小さくつぶやくウルカ。しかし、それっきり黙ってしまった。そのあと、ウルカは何を言おうとしたのか。

 それは誰にもわからない。分からないまま、ここに書きとめておく。

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