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After the Eternal War ――閉ざされた大地で――
第一章 「最後のスピリット」

《ソスラス》

 漆黒の夜空から、ぱら、ぱら、と粉雪が舞いおりる。

 それが風に揺られ、月光のもとに輝く様子は、妖精のワルツと言っていいほど幻想的で、見ていると吸い込まれそうになる。

 が、一転して視線を眼下に移せば、そこにあるのは氷に閉ざされた大地と、うず高く積みあがったガレキの山。

 もはや原形すらとどめていないが、その雰囲気から、何か寺院などの、神を祀るための建物だったことはうかがい知ることが出来る。

 芸術家に言わせれば、こういう醜と美のコントラストがより美を引き立てるそうだが、ここを訪れる者もいなくなった今では、それを確かめることもない。

 神聖にして、神以外は足を踏み入れることの許されざる地、ソスラスである。

 そして、この世界の命運をかけた最後の決戦が行われた場所でもある。

 今、そんなソスラスで、一本の神剣がその長い生に終止符を打とうとしていた。

 名を『再生』という。

 ここ、ファンタズマゴリアにおいて、万物の母として崇められてきた神剣である。

 だが、それはあくまで表の姿でしかない。

 実態は、ロウ・エターナルによって、単なるスピリット生産の道具として、この世界を効率よく無に帰すため配された傀儡に過ぎなかった。

 これはテムオリンの発案によるもので、どうも先の『再生』の主、リュートリア―――テムオリンが唯一、ライバルと認めたエターナル―――が、自分以外の者に、それも他人をかばってなどという、認めがたい死に方をしたことに対する憂さ晴らしもかねていたようだ。

 事実、永遠戦争においても彼女は暗躍し、『再生』ごとファンタズマゴリアを吹き飛ばすことで、その憤りを払拭しようとしていたようにも思える。

 よって、当然、『再生』がスピリットを生むようになったのは自分の意思によるものではない。あくまで「道具」として利用されていただけなのだから。

 だが、操られていたとはいえ、『再生』自身は自分の子供たち――スピリット――に愛情を持っていた。

 第二位という高位の神剣だからこそ、たとえその身をテムオリンらに操られようとも、自我を失うようなことは無かったからである。

 実際に声をかけることこそできなかったが、生まれたてのスピリットを暖かく見送り、また、金色のマナの霧となって自分のもとに戻ってきた娘を優しく迎え入れた。

 言うまでもなく、彼女らが幸せな一生を送ることも望んでいた。それはヒトであろうと神剣であろうと、「母親」なら当然の感情と言っていい。

 だが、その願いがかなうことは無かった。

 彼女のもとに帰って来たスピリットたちは皆、瞳に光が無く(ちなみに、マナに帰っても、そのスピリットは『再生』の目には生前の姿で映る)、たとえ死ぬ寸前に神剣の呪縛から開放された者も、悲しげな顔を母親である『再生』に向けるだけだった。

「なぜ、私は生まれてきたの?」

 と問うように。

 そのたびに『再生』は苦悩した。

 自分が娘たちにしてやれることは無いのか、と。

 だが、所詮は操られている身。どうすることも出来なかった。

 また、こうも思った。

 誰が自分の娘たちを苦しめているのか。

 ロウ・エターナルか?それとも………。 

 …………

 ……

 …

 だが、もうこの世界にロウ・エターナルはいない。

 そう、聖賢者ユウトと彼女の娘たちが、自分の力で未来を切り開いたから。

 これで、安心して逝くことが出来る。

 これ以上娘たちを見守ることが出来ないのが、唯一の心残りではあるけれど―――

 だから。

 薄れゆく意識の中、『再生』はスピリットの母として最後の営みを行っていた。

 統べし聖剣シュンと聖賢者ユウトの戦いの後、その原形をとどめぬほどに崩れ去った「再生の間」、ガレキに埋もれて『再生』の刀身が鈍く光る。

 その刃に沿って、大粒の光のしずくが流れ落ちる。

 ポタリ、と地面に落ちたそれは、みるみるうちに人型となり、そこに一人の少女が現れた。

 『再生』は消え入りそうな、それでいて慈愛に満ちた声で、「最後の娘」に呼びかける。

(私のいとしい娘よ………あなたに、私に残るすべてを託します。あなたは希望となるのです。全てのスピリットが幸せに暮らせるような、そんな世界になるように……)

 少女はその言葉に、コクリとうなずいてみせる。

「……はい」

(……では、任せましたよ、ラグナ)

 それを最後に、今度こそ『再生』はマナの霧へと姿を変え、空に霧散してゆき―――

 この世界から「母」が消えた。

 ラグナ、と呼ばれた少女は黙ってそれを見つめていた。

 そして、ついに最後の金色の粒子さえ見えなくなったとき、はじめて口を開いた。

 闇夜の静寂に、ラグナの凛とした歌声が響く。

『暖かく、清らかな、

 母なる再生の光…。

 全ては剣より生まれ、

 マナへと帰る。

 どんな暗い道を歩むとしても

 精霊光が私たちの足元を照らす。

 清らかな水、暖かな大地、

 命の炎、闇夜を照らす月…

 すべてが私たちを導きますよう。

 すべては再生の剣より生まれ、マナへと帰る。

 マナが私たちを導きますよう…。』

 今まで長い間、スピリットの支えであった歌。そして、もう歌われることの無い歌。

 いくつもの思いをこめて、少女はこれを母の鎮魂歌に選んだ。

 その頬には、一筋の涙が流れていた。



《ミライド遺跡》

 ずずーっ……

「ふぅ………。やはり気分を落ち着けるには、お茶が一番だね〜」

 声の主は、50も半ばと思われる女性。髪にも幾分白いものが混じりつつある。

 折り目正しく正座し、湯飲みの中の緑色の液体をすすっている。

 お茶を飲みながら幸せそうにため息を漏らす姿は年相応のものだが、切れ長の鋭い瞳はまだまだ若い頃の眼光を失っていない。

 むしろ年を経ることで沈着さの加わったそれは、彼女独特の落ち着いた雰囲気をかもし出していた。



 サーギオスから北西に向かうと、サレ・スニルという町がある。

 かつてはマナ障壁を形成するためのエーテル変換施設がおかれ、軍事拠点として栄えた町だった。

 特に永遠戦争時代、悠人たちラキオススピリット隊の進攻を頑強に阻み続けたことは記憶に新しい。

 が、そんな隆盛を誇った都市も、帝国が滅び、統一国家成立に伴うラキオスへの遷都もあり、一気に衰退を迎えることとなった。

 もともとサーギオスという国家自体がエーテル技術に頼りきっていた感が強く、そのため軍事以外の産業は大陸で最も遅れていた。

 目立つ産業も無く、首都からも遠い片田舎という地位に甘んじる羽目になったサレ・スニルが衰えるのは必然であった。

 が、本題から外れるので詳しい経緯は述べない。

 さて、そんなサレ・スニルからさらに北西に進み、法皇の壁を越えたところにミライド遺跡、という古代建造物がある。ちょうどダスカトロン大砂漠の入り口にあたる、といえばよかろうか。

 砂漠というだけあって、年中気候は厳しく、ここを訪れる者といえば歴史学者か、あるいはよほどの変わり者だけであった。

 そんな人も寄り付かない土地に、ボロ小屋を建てて彼女は住んでいた。



 コンコン

 ――ったく、またか――

 戦争が終わってからというもの、弟子入り希望者が後を絶たない。

 最初の頃こそ、いちいち応対して断っていたものの、一向にやってくる者の数は減らず、逆に二度三度と足を運ぶ者まで出てくる始末である。

 最近では、そんな客の相手をすることも億劫になってきた。

 そんな時、彼女がとる手段は一つ。

 居留守、である。

 これで大概の客はすぐに帰るし、中には彼女の帰りを待とうという健気な若者もいたが、半日もすればあきらめて去っていった。

(さて、何時間ねばるかねえ)

 そんな彼女の腹積もりを知るはずも無い訪問者は、辛抱強くノックを続けていた。が、ようやく反応が無いことに不信感を覚えたらしく、

「ミュラー殿………おられませぬか?」

 そう呼ばわった。

 その声を聞いた途端、小屋の主―――かつては大陸中にその名を轟かせた「剣聖」ことミュラー=セフィス―――は、おや?、という表情を浮かべた。

 扉越しに聞こえてきた声に聞き覚えがあったからだ。

「なんだ、ウルカか」

 別段驚いた風も無く、軽やかな仕草で腰を上げるミュラー。

 そのままウルカを出迎えるのかと思ったが―――

 何を思ったのか、壁際まで歩いてゆき、そこに立て掛けてあった白塗りの鞘を取り上げた。

 それを抱えたまま足音を忍ばせ、扉ににじり寄ってゆき―――

 ドン!!!

 木製のドアが勢いよく蹴開けられるのと、ビュッ、と風を裂く音が聞こえたのは同時だった。

 ガギインッ!!

 ………

 ……

 …

 沈黙したまま絡み合う二人の視線。

 ウルカは、ミュラーの神速の抜き打ちを顔色一つ変えずに受け止めていた。

「ふむ。腕は落ちてないようだね」

 何事もなかったかのように剣を鞘に納め、そう言い放つ彼女の顔には、旧知と久々に会えた喜びが浮かんでいた。

 ウルカもまた、チャッ、と軽い音を立てて『冥加』を腰に戻すが、こちらはミュラーとは対照的に、呆れたような顔をしている。

「………ミュラー殿。御冗談でも、そのような挨拶はやめられた方がよいかと」

「な〜に、あんた以外にゃこんな真似しないさ。アタシもまだ人殺しで捕まりたくはないからね」

「しかし万が一、今のが手前でなかったらどうなさるおつもりで?」

「アハハハ、その時はその時。ただ、あんたほど強い気配を発してるヤツなんざそうそういないからね。それを見抜けないほど老いぼれちゃいないさ」

「ふう………呆れるべきなのか、感服すべきなのか……。手前には未だにミュラー殿という御仁がつかみきれませぬ……」

「相手のことが全部分かっちまっちゃ、つまんないじゃないか。どこまでいっても分からないから、人間ってのは面白いもんなんだ」

 ニッ、と笑みを浮かべたその顔は、まるで無邪気な少年が新しいいたずらを思いついた時のようで、とても楽しげだった。

 それにつられて、自然とウルカの表情までほころんでしまう。

「ふふふ………一つだけ言えるのは、手前はミュラー殿のそういうところが好きだということです」

「おっ、嬉しいこと言ってくれるじゃないか。まあ、立ち話もなんだから、中に入りな」

「では、失礼いたします」

 靴を脱ぐウルカに先立ち、座敷の真ん中に着座するミュラー。

 言い忘れたが、この小屋は何故か畳張りである。というより、茶室そのものといっていい。気の利いた者ならば、すぐに「○○庵」とでも名付けそうな雰囲気である。

 ちなみに何故こんな造りにしたかについてだが、本人曰く、「何となく」だそうだ。

 が、それは違う。

 そもそも「茶室」のような純日本風の建造物、内装といったものはファンタズマゴリアには皆無だった。食習慣などはあれほど酷似しているだけに、余計に不思議ではある。

 とにかく、彼女にそういう知識を吹き込んだ者がいるのは確かである。

 そう、言わずと知れた元ラキオススピリット隊隊長、『求め』のユートだ。

 ミュラーがラキオスで剣術指南をしていた頃、当然だが悠人に剣術を教える機会もあった。

 どうも悠人は他のスピリットや光陰に比べて上達が遅く、ミュラーもひどく苦労したらしい。時には「バカ」「フヌケ」「ヘタレ」などの罵声も飛んでいたようだが………ここでは関係ないので省くことにする。

 まあ、ふと訓練の合間に交わされた雑談が、ことの発端である。

 その一部始終をここに記すと―――――



 時刻はちょうど昼下がり、太陽が頭上でさんさんと照りつけていた。

 というより、「超」がつく炎天下。

 普段なら、「ああ、いい洗濯日和だ」などと素直に喜べもするだろうが、今、ここにいる男にとっては地獄でしかなかった。

 バサッ

「はあっ、はあっ………」

 額に大粒の汗を浮かべ、呼吸も荒いまま悠人は草むらにぶっ倒れた。手に持った『求め』の柄も、汗でびっしょりである。

 そんな悠人に、ミュラーの容赦ない言葉が追い討ちをかける。

「ったく、あんたホントにだらしないね〜、それでもスピリット隊の隊長かい?」

「何、意味わかんないこと言ってんだよ!大体、俺だけ早朝五時から昼の一時までぶっ続けの特別メニューなんて、絶対おかしいだろ!?」

「そりゃ、あんたの上達が遅いからだろ」

「うっ……」

「それに、あんたにつき合わされるこっちの身にもなって欲しいもんだね」

「うう……」

 悠人には返す言葉も無い。そのまま黙りこくってしまった。

 この時点で、これからつけられる称号、「キング・オブ・ヘタレ」の資質は十分あったわけだ。

 さすがに見かねたのか、というか呆れたのか、ミュラーも妥協してやることにした。

「まあ、仕方ないか。休憩にしてやるよ」

「……サンキュ」

 ぷしゅぅ〜、とガスでも抜けるように悠人の体から、緊張感が抜けていく。

 が、この男の場合、同時に雑念まで入り込んでしまうのが困りモノである。

(ミュラーも俺と同じくらい動いてたはずなのに、何で息が上がってないんだよ…………化け物か、こいつの体力は?せめて、年相応になってくれればいいのに………)

 まじまじとミュラーを見つめてしまった。

 が、ミュラーは「剣聖」とまで謳われるほどの剣豪である。殺気をはじめとする、相手の気配に対する感覚はすさまじく研ぎ澄まされているし、そこから相手の考えを見抜くのもお茶の子さいさい。

 そんな彼女にしてみれば、表情を見れば悠人が何を考えているかなど、まるわかりなのだ。

「あんた、今すごく失礼なこと考えてただろ」

「い!?いや、そうじゃなくてだな……」

「ああん!?なら、何考えてたか言ってみな!」

 ドスの聞いた声で迫るミュラー。

 悠人も大いに焦る。ここで下手なことを言おうものなら、訓練メニューが上乗せされるのは目に見えている。

 ――この灼熱地獄の中、それだけは避けねばならない!――

 必死で、何か別のことをと考えた結果、

「いや、ミュラーは普段どんなことしてるのかなあと」

 ようやく出たのがコレである。

 当然、ミュラーもいぶかしげに首をひねる。

「は?剣の鍛錬に決まってるじゃないか」

「いや、それはそうだろうけど……。なんかさ、趣味が剣しかないってのも寂しい気がしてさ。俺、ミュラーが剣振ってる姿以外、見たことないし」

「アタシは気にしてないけど。そもそも、アタシは誰かに教えるために剣をやってるんじゃない。自分を高めるためにやってるんだから、別に寂しいとかそういうもんじゃないだろ。今回、あんたらに教えることにしたのも、場合が場合だからね」

「でもなぁ……」

「あ゛ーー、うるっさいね……。なら、あんたはアタシに何をしろってのさ?」

「そうだなぁ………「お茶」なんかどうだ?」

「お茶?お茶って………あの緑色のヤツだろ?そんなのいつも飲んでるじゃないか。それもエスペリア特製のをさ」

「いや、そのお茶じゃなくて。「茶道」というか「茶の湯」というか……」

「サドウ?チャノユ?」

 ミュラーも、今まで一度も聞いたことも無い言葉に、思わずオウム返しに聞き返してしまう。

「俺の世界……まあ、ハイペリアだな。そこの習慣………というか、文化みたいなもんなんだけどさ、お茶を通じて心を落ち着かせるというか……」

「へぇ……」

「精神を高めるというか」

「ふむふむ」

「無我の境地に達するというか」

「ほぉ〜〜」

 最後の説明は、明らかにアレと勘違いしている気がするが、まあ、大筋においては間違っていない。

 ミュラーも大いに興味をそそられたようだ。

「ふ〜ん、そんなすごいモンがハイペリアにはあるのか………。何だか面白そうじゃないか。それじゃあ、訓練が終わったら、その話もっと聞かせてくれるかい?」

「ああ、全然構わないけど」

「じゃ、よろしく頼むわ」

 ………とまあ、和気藹々とした雰囲気の中、普通ならばここで話は終わる。

 が、ここで忘れてはならないのは、しゃべっているのはあくまで「悠人」だということだ。

 必ずと言っていいほど、いらない一言を付け加えるのが常。

 この場合も例外ではない。

「まあ、ミュラーも年だからなぁ。そろそろ落ち着いた趣味を持ってもいいんじゃないか?」

 その瞬間、この場の空気が凍りついた。

 …………そして、鬼が降臨した。

 この日、悠人が日が暮れた後まで追加メニューをこなすハメになったのは言うまでもない。

 ああ、合掌。



 まあ、ミュラーも悠人の最後の一言が気に食わなかったものの、試しに彼の見よう見真似でやってみたところ、これが実に彼女の性にあった。

 それ以来、ミュラーは茶の湯?の虜になっており、悠人がエターナルになった今でもそれは変わらない。ただし、あくまでも教えたのが悠人である以上、その知識が正しいかどうかは保証の限りではない。

 それはさておき、とにかく、悠人についての記憶がないからこそ、こんな小屋を作った理由を聞かれても「何となく」としか言えないだけなのだ。

「さて………わざわざこんなところまで足を運んだわけを聞かせてもらおうか。まさかアタシの顔を見るために来た、なんて言わないだろ?」

「実は手前………いえ、手前以外にもコウイン殿やキョウコ殿……元スピリット隊の面々で、今もレスティーナ女王のもとで働いている者に、ラキオスへ至急集まって欲しいとのことで……」

「ふ〜ん、それで?」

「手前がゼィギオスを離れている間、ミュラー殿に代わりを務めていただけぬかと思いまして」

 ここで補足しておこう。

 ガロ・リキュア統一国家が成立したとはいえ、まだまだその行政能力には不安が残っていた。

 レスティーナ自身それを肌に感じており、今までの、ラキオス一国を管理するだけ、という体制を拡大する必要があると考えていた。

 特に治安の安定化は急務である。

 皮肉なことに、戦争が終わったことで逆に犯罪の件数が増えてしまった。大陸全土を巻き込んだ戦いによる、大戦景気が一気に終焉を迎えてしまったことによる。

 もともとスピリットによる代理戦争が主だったため、各国にはそれほど多くの人間兵士がいたわけではないが、それでも職を失う者が多かった。加えて、武器、食料を国に収めて利益を得ていた商人も、次々と没落の道を歩んだ。

 そんな彼らがとる道はといえば、物乞いか野盗のどちらかしかない。

 もちろんレスティーナも救済措置を施しはしたが、それも焼け石に水状態。

 結局、事態は悪化の一途をたどるばかり。やむなく取り締まりを強化せざるを得なかった。

 が、ここで闇雲に軍を送り込むのはかえってマズイ、と一計を案じたヨーティアが立案したのが「スピリット親善使節」である。

 名前は仰々しいが、早い話が協力してくれるスピリットを募り、各地に派出所みたいなものを作ろう、ということだ。つまり、「まちのおまわりさん」。

 特にスピリットに対して理解が薄い地域では、日常に溶け込むことで、人間との融和を図ろうという目的もある。

 その結果―――

 ラキオスにアセリア、エスペリア。

 スレギトにナナルゥ、セリア。

 ヒエムナにヒミカ、ハリオン。

 ゼィギオスにウルカ、ファーレーン(ただし、ファーレーンは諜報任務を帯びてしばしば留守にすることがある)。

 ソスラスにクウォーリン(+光陰、今日子)。

 が配属されることになり、それなりの成果を挙げていた。もちろん上に挙げたメンバーが全員というわけではなく、各都市には少なくとも五人程度、多くて十人以上が派遣されているところもある。

 これも、レスティーナの政治方針に共感したスピリットたちがいたからこそ、出来たことであった。

 さて、本文に戻ろう。

 つまり、今回ウルカはラキオスに戻らねばならないので、その間の、いわば警察業務をミュラーに頼みたい、と言っているのだ。

「冗談じゃない……って言いたいトコだけどね、他ならぬあんたの頼みだ。今回だけは引き受けてやるよ」

「申し訳ありませぬ……」

「申し訳ないなら始めっから頼まないで欲しいね……。そういう時は、素直に「ありがとうございます」って言うもんさ。礼儀と感謝は別物だよ?」

「は………手前としたことが。申し訳ありませぬ…」

 またしても謝るウルカ。ミュラーも思わず苦笑してしまう。

 そのことでからかうのも悪くないか、とも思ったが、もっと面白いことを思いついたのでそっちを優先することにする。

「そういえば、ウルカ。最近剣の調子はどうだい?」

「日々鍛錬は怠らぬようにしていますが………。ですが、こちらでは見回りの仕事もあります故、あまり時間が取れませぬし、何よりアセリア殿のような稽古相手がいないと満足いく成果は得られませぬ……」

「ま、剣もいいけどね」

 そこで一旦言葉を切る。ウルカもいぶかしげな顔になるが、それを見たミュラーは、にまあっ、と笑みを浮かべる。

 十二分に悪意で彩られてはいたが。

「それよりさぁ、ウルカ、あんたも年頃なんだからそろそろ男の一人でも捕まえたらどうだい?あんたくらいの美人なら、男もよりどりみどりだろ」

 ここぞとばかりに膝を乗り出すミュラー。ウルカはといえば、顔を真っ赤にするばかりで、

「な―――――――!?てててててて手前は、そそそそそそのような!!」

 もはや言葉にすらなっていない。

「な〜に赤くなってんだい?……………はっは〜〜ん、わかったぞ。その様子じゃ誰か気になるヤツがいるんだろ?」

「ミュ、ミュラー殿!!」

 火が出んばかりに顔を上気させるウルカ。ミュラーも、その仕草に思わず吹き出してしまった。

「あっはっは!!悪い悪い、冗談だよ。あんたに限って、そんなこたぁないさね」

 ミュラーは心底愉快そうに大声を張り上げ、ぽん、とウルカの肩をたたく。当のウルカはまだ赤面したまま気恥ずかしそうにしており、上目遣いでミュラーをにらんだ。

「そう怒るなって。………けど、冗談とは言っても、アタシはあんたにゃ幸せになって欲しいと思ってる、これは本心だ。…………特に、今まで日のあたらない裏道を歩かされ続けたあんたにはね」

 さっきの快活さとはうって変わって、優しく包むような眼差しでウルカを見つめるミュラー。そこには娘を思う母の慈愛のようなものが感じられた。

 年齢から言っても、実際この二人はそういう感覚を共有しているのかもしれない。

「……お気遣い、ありがとうございます。ですが、今の手前はレスティーナ殿の手助けが出来るだけでも幸せ故……」

「そうか。なら、これ以上の口出しは野暮ってもんだね」

 少し残念そうな笑みを浮かべるミュラー。

 が、次の瞬間には普段の彼女に戻っていた。

「さてと………久々に会ったら、何だかあんたの腕の冴えが見たくなったねえ。どうだい、外で一本交えないか?」

「……喜んで!」

「言っとくけど、手加減はしないからね。後で泣きを見るんじゃないよ?」

「ご冗談を。手前とて若かりし頃のミュラー殿ならばともかく、お年を召された今ならば負ける気はいたしませぬ」

「よく言うよ。アタシがラキオスにいた頃は、まだまだヒヨッコだったくせにさ」

「そのヒヨッコが鳳凰になったということをご覧に入れましょう」

 ウルカにしては珍しく、大きく出た。これも相手がミュラーだからこその気安さゆえだろう。

 ミュラーもそれが嬉しいらしく、

「ま、いいさ。すぐに分かることさね」

 その後、この人煙絶えて久しい荒野に、久々に心地よい掛け声が響き渡った。

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