After the Eternal War ――閉ざされた大地で――

プロローグ




「私はここに、ガロ・リキュアの建国を宣言します!」

 レスティーナの宣言に応じるように、ラキオス城の中庭に集った人々は歓声を上げた。その熱狂的な歓喜はラキオスだけでなく、大陸中のありとあらゆる人とスピリットが共有していただろう。この世界の命運をかけた、ロウ・エターナルとの戦いが終わったのだ。
 
 この日を境に、この世界、ファンタズマゴリアは新たな一歩を歩み始めることになる。
 
 それは、ロウ・エターナルに創られ、滅びを定めづけられていた世界であることからの脱却を意味していた。
 
 これからはこの大地に生きるものが、自分たちで運命を切り開いてゆくことになる。逆に言えば、これから先の未来には、すべて自分たちが責任を負わねばならないということだ。待ち受けるのは苦難の連続に違いない。
 
 それでも人々は、この瞬間だけは勝利に酔いしれていたかった。




 
 俗に、のどもと過ぎれば熱さ忘れると言う。
 
 建国宣言の時はあれほど歓喜し、レスティーナを称えていた者たちも、今では彼女に対し、影に日向に非難を向けるようになっていた。その最大の原因は、エーテル技術の放棄である。
 
 レスティーナがそう宣言した時も、もちろん反発はあった。しかし、それ以上に自分たちならやっていけるのではないかという、一種の思い込みがあったのだ。

 が、現実は厳しかった。

 いざ無くなってみると、人々は自分たちがどれほどエーテルに依存し、それ無しでは生きてゆけぬほどに堕落していたのを思い知らされた。ここで気分を一新し、むしろその困難をバネに変えることができればどれほどよかっただろう。
 
 しかし、人間はそう都合よくできていない。困難にぶつかればついつい易い方向に流れたがるのは、人間の生まれ持った性質である以上、仕方ないことである。ある時期を境に、大陸中で一気に不平、不満が噴出した。もちろん要求はエーテル技術の復活である。
 
 さらにそれを助長したのが、レスティーナが建国宣言の翌日に公布した『スピリット開放宣言』である。
 
 内容は多岐に渡ったが、早い話が「スピリットを人間と同様に扱わなかった場合、処罰する」ということ。
 
 レスティーナ自身は、サーギオスを攻略する時点での人々の反応から判断し、この政策はそれほど反発を受けない、と踏んでいた。
 
 なるほど、確かにラキオスでの反発は皆無といっていい。これについては、特に悠人の活躍が大きかった。彼のことは人々に忘れられたとはいえ、彼とともに戦ったスピリット隊の面々までが忘れられたたわけではない。ラキオスの人々の意識には、スピリットが国を守ってくれたおかげで自分たちは生きていられるのだ、という考えが深く根ざしていた。

 また、早くからラキオス統治下に入った「龍の魂同盟」諸国、バーンライトでも、一部の熱狂的な反スピリット派以外からの反発は無かった。
 
 問題はマロリガン、そしてサーギオスである。
 
 特にサーギオスの人々からの非難はすさまじく、風の噂によると秘密裏にレスティーナの暗殺すら計画されているという。
 
 もともとサーギオスでは、スピリットは家畜、あるいはそれ以下の存在として認識されていた。それが突然、自分たちと同じように街中をのし歩き、店に入り、自分の住居を持つようになるという。

 彼らにしてみれば、どこへ行こうと汚物が常に付きまとうようになった、としか思えなかったのだ。中には堂々と「スピリットお断り」「人間専用」の看板を掲げた店や施設もあった。

 そんな店を、レスティーナは次々と摘発していった。

 それが余計に反発を買うことになる、と気づかなかったのは若気の至りというべきか。急な改革は、理想がどれほど高くとも、いや、むしろ高ければ高いほど反発を買ってしまう。後に、名君として歴史に名を残すことになる彼女も、大陸全土の統治という広い視野でいうと、この時点では経験が足りなかったのかもしれない。

 政情は安定しているとは言い難かった。

 それでも、レスティーナはひるまなかった。

 彼女はエーテルの排除、スピリットとの共存こそが自分の生涯かけて最大の事業だと信じていたからである。だからこそ、大陸中を巻き込んだ戦争を引き起こし、統一事業を行った。

 しかも、彼女には絶対の支持者がいた。

 そう、旧ラキオススピリット隊の面々である。

 開放宣言を発した以上、彼女らは一般市民と同じ。レスティーナはこれまでの謝罪の意もこめて、これ以上の協力を求めるつもりはなかった。にもかかわらず、もはやラキオス軍属ではない彼女たちのうち、多くの者はすすんでレスティーナの補佐をしていたのだ。

 具体的に名を上げれば、

 アセリア、エスペリア、ウルカ、ヒミカ、ハリオン、セリア、ナナルゥ、ファーレーン

 の八名に、光陰と今日子のエトランジェが名を連ねている。

 その皆が皆、レスティーナの理想を信じ、力を尽くしていた。





《ソーン・リーム》

 ここ、ソーン・リームの中でも、その出入り口にあたるソスラスは、マナの分布が特殊なため、年中雪に閉ざされた土地である。住人の数などたかが知れている。当然、新規に引っ越してくるものなどいるはずもなく、老人や殉教者ばかりが軒を連ねている、という有様だった。

 つい数ヶ月前、ぶらりとやってきた一組の男女だけが例外といっていい。いつの間に住み着いたのか、町の住民が気づかないほど自然に、彼らは町に溶け込んでいた。

 一軒の小さな石造りの家。それが彼らの住居だった。
「時間が経つのって早いなぁ……。あれからもう二ヶ月だぜ?」

「ほーんと、ロウ・エターナルと戦ったのも、ついこの間みたいな気がするのにねえ」

 碧光陰に、岬今日子。二人の名前である。

 もっとも、本人の意思とは別にして、この世界では「『因果』のコウイン」「『空虚』のキョウコ」といった通り名の方が有名ではある。

 彼らは、「はじまりの地」と呼ばれるキハノレを含む、この一帯の治安維持に当っていた。

 その気候ゆえ農作物の収穫量も少なく、経済も発達していないこの地域は、お世辞にも安心して暮らせる土地とは言えない。それに加えてロウ・エターナルとの戦いの余波で破壊された建造物も多く、かなりの復旧作業が必要だった。

 なにより、『再生』崩壊によるマナの分布や自然環境への影響を調査する必要があった。レスティーナの命を受けた彼らがここに赴いたのには、そういう理由がある。

「ったく、レスティーナも人使い荒いぜ……。どうせなら、俺はラキオスでオルファちゃんたちと、あま〜い生活を送りたかったのによ……」

 ふと、光陰はぼやいた。ただ、その口ぶりから察するに、本当に不平があるわけではなく、何となく言ってみた、という程度なのだろう。が、自分で言っておきながら、今さらその思案に惹かれたのか、

「いや、確かに誰にも邪魔されることなく、オルファちゃんやネリーちゃんみたいな娘に囲まれて暮らすのも悪くない。うん、そうだな、帰ったらレスティーナに頼んでみよう」

 我ながら名案だ、とばかりに一人でうなずいている。が、そのつぶやきは、光陰にとっての鬼門こと今日子にしっかりと聞かれていた。

 ときに、この日が大雪であったことも都合が悪い。二人とも、今日は一歩も外へ出られないでいた。一日中狭い屋内に閉じ込められれば、自然と気分も鬱屈してくるものだ。おそらくは光陰のつぶやきも、そんな退屈さからきたのであろう。

 だが、そのあまりにも不用意な言葉は、鬱したものを晴らしたくて仕方のない今日子にスイッチを入れるには十分すぎた。

「こンの、アホんだらあああああっ!!」

「ぐがあっ!?」

 何の前振りもなく、今日子自慢のハリセンが炸裂した。

 当然、光陰には何のことやら意味が分からない。だが、今日子は容赦という言葉を忘れてしまったかのように、頭を抑えて床にうずくまる光陰に、これでもかと蹴りを入れ始めた。

「た、ただの冗談だってば! そんなに怒らなくても……」

「あんたってヤツは……! 恥を知れ、この変態! ロリコン! ドスケベ! 痴漢! 覗き魔!」

「ちょ、ちょっと待て! 痴漢と覗き魔は関係ないだろぉぉぉぉ!?」

「うるさいうるさい。どーせあんたのことだから、アタシの目を盗んでそういうことしてるに違いないんだから! いっぺん死んできなさいっ!」

「い、いいのか!? 御仏の申し子である俺を殺したら、お前は成仏できずに、苦しみながら三千世界を漂い続けることに………」

「仏の息子がナンパなんてするワケないでしょうが! エセ仏教徒のくせに何をほざくかあああッ!!」

「ふがあっ!?」

 蹴りが鳩尾に入ったらしい。ぴくぴくと痙攣しながら、光陰は天を仰いだ。

(ひ、人の話は最後まで聞けっての……)

 が、無残なボロ雑巾に成り果てた光陰と裏腹に、当の今日子は、まるで刀についた血をぬぐうような仕草でハリセンをしまうと、いかにも涼しげな顔をしていた。それなりにストレスは解消できたらしい。

 愛する者の役に立てたのだから、光陰としては喜ぶべきなのだろう。

(いや、どうせならもう少し違う形で役に立ちたいんだけどなあ……)

 もっとも、その望みが叶わぬことを一番知っているのは、ほかならぬ光陰自身だった。





 そのとき、である。

 ちりりん

 と、軽い音を立てて入り口のベルが鳴った。

「……誰かしら? こんな雪の中」

「さあなぁ……。ま、誰にしたってご苦労なこった」

 光陰が出てみると、玄関の戸の前に、防寒具を着込んで丸くなっている一人の男がいた。何重にも重ね着をした姿は、ダルマに似ている。戸口に現れた光陰の姿を見るや、男は心から安堵した様子で、

「あ、これはコウイン殿」

 慇懃に挨拶した。しかし、光陰は見覚えがない。つい、持ち前の軽さで、

「あー、悪いけど俺、ダルマに知り合いはいないんだけどなぁ」

 もちろん、ダルマなどという言葉はファンタズマゴリアにはない。いわれた男も、不思議そうに首をかしげた。

「は? ダルマ?」

「あー、いや、何でもない。ところでお前さん、誰だ?」

「は、申し遅れました。コウイン殿とキョウコ殿に、レスティーナ女王から手紙をことづかって参った者です」

 懐から、封筒を取り出した。封筒にはしっかりと封がされており、レスティーナが書いたものであるという証拠に、リグディウスの魔龍、サードガラハムの印が押されていた。

「……レスティーナから?」

 光陰に、思い当たる節はない。

「なぁ、お前さん、何かレスティーナから聞いてないか?」

「さあ……? 私はこれを届けるように、と仰せつかっただけなので、詳しいことは何も……」

「ふうん。……ま、いいか。読めば分かることだしな。お前さんも、遠路はるばるご苦労だったな」

「いえ、これが私の仕事ですから。それでは、失礼します」

 手紙を手渡すと、伝令の男はその重そうな服装から想像もできないくらいに引き締まった敬礼をし、きびすを返した。

「おう、遭難だけはするなよ」

 光陰の縁起でもない言葉に、伝令もちょっと苦笑した様子だったが、結局は「お気遣い、ありがとうございます」と言い残し、ラキオスへと帰っていった。もともと礼儀正しい人物だったのだろう。

「さて、と……」

 居間に戻ると、光陰は早速封を開いた。

「レスティーナ、何ていってるの?」

 二人の会話が聞こえていたのだろう。単刀直入に今日子が尋ねてきた。が、光陰は説明もせずに、手紙を机の上に投げ出した。理由は簡単だった。

「至急ラキオス戻ってくれ、だとさ」

「は? ……それだけ?」

「ああ」

 手紙には、ただその一言しかなかった。

 解しかねる、とでも言いたげな顔で、今日子は首をひねった。

「でも、あたしたちがここに来たのってついこの間じゃない? まだ調査も終わってないし、帰ってこいっていうには早すぎると思うんだけど」

「要するに、そうまでして俺たちに帰ってきてもらわなきゃ困る理由ができたってことだろうな。……ちょっとだけ、心当たりがある」

 と、光陰は事務机の引き出しから、一冊の帳簿を取り出して、今日子に手渡した。

「何なの、これ?」

「俺たちがここに来てから、いつ、どこで、どんな犯罪があったかをまとめたもんだ。まあ、又聞きの情報も多いから、ちょっとばかし正確さには欠けるけどな」

 ソスラスという、およそこの世界の辺境の地にあって、大陸中の情報を集めるなどとは並のことではない。呆れと驚きが入り混じった表情で、今日子は光陰を仰いだ。

「光陰って……時々すごいわよね……」

「何を言うか。俺はいつだってすごいぞ?」

「はいはい、そーゆーたわ言はいいから、さっさと説明しなさいな」

「く……。今日子よ、俺は心が痛いぜ……」

 わずかばかりの抗議を示してみるものの、その程度で天下のじゃじゃ馬姫が心を動かされるはずはない。むしろ、にっこりと邪笑を浮かべると、

「は・や・く・言・い・な・さ・い」

「……はい」

 結局、光陰が萎れるという形で決着がついた。

「で、心当たりって?」

 改めて問い直すと、さしもの光陰も真面目に答えた。

「ここんとこ、やたらと事件が増えてるみたいだ。特に旧サーギオスのあたりはひどいぜ? ここ二ヶ月で、普段の三倍くらい犯罪事件が起こってる。まあ、レスティーナのおかげかどうかは知らないが、ラキオス周辺はそうでもないみたいだけどな」

「ふぅん……。でも、それがどうしてレスティーナの呼び出しと関係あるのよ」

「さぁな。その辺は俺の勘だ」

 悪びれもせずに、光陰はぬけぬけと言ってのけた。しかし、光陰は、しっかりと情報を得た上で、最後の判断を直感に委ねる場合、その判断はおおよそにして外れないことを知っている。

「ま、どっちにしろラキオスには戻らなきゃならないだろ? なら一緒じゃないか」

「はぁ……。あんたがバカなのかどうなのか、本気で分からなくなってきたわよ……」

 とはいえ、今日子にも反対する理由はない。なにより、いい加減この雪しかない町にうんざりしてきたところなのだ。ラキオスに戻れること自体は、嬉しいことに違いない。

 そして今日子の場合、そうと決まれば行動に移すのも早い。

「ま、善は急げって言うしね。じゃあ出発は明日の朝、日の出前ってことで!」

 思考と決断が同時だった。これには、むしろ光陰の方があわてた。

「お、おいおい。まだ準備も何もできてないだろう? それにどうせなら、こっちで残した事務も片付けて戻りたいし……」

「そうすればいじゃない。明日の朝までに」

「……」

 けろりと言ってのける今日子だが、実際にやるのは光陰なのだ。ソスラスに来て以来、事務手続きなどの面倒な仕事は、すべて光陰が受け持たされている。そしてその量は、とてもじゃないが一晩で終わるとは思えない。

 さしもの光陰も、これには泣きついた。

「な、なあ。せめて三日。三日くれよ。そうすりゃなんとか全部片付……」

「却下。出発は明朝。判決は覆りません」

 が、コンマ一秒の間もなく拒否される。挙句、これ以上の話し合いは必要ない、とばかりに今日子は自室のベッドにもぐりこんでしまった。

「徹夜、どころの騒ぎじゃないんだけどなぁ……」

 などとぼやきながらも、結局は今日子に従う光陰であった。