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─聖ヨト暦333年 レユエの月 青 三つの日 夜
 ミスレ封印の森 東部 洞窟

 悠人は【求め】の言葉を信じ、アセリアを連れてただひたすら西の旧マロリガン領に向かう。
 そして言葉通り、悠人は小さな洞窟を見つけた。
 「はぁ・・はぁ・・・ここなら」
 『少しは時間が稼げるだろう・・・』
 中に入り、適当に葉っぱを集めてきて、石の上に敷き詰める。
 そしてその上に、そっとアセリアの身体を横たえた。
 「・・・くっ。もうちょっとだからさ、あとほんの少しだけ頑張ってくれ・・・な、アセリア」
 規則正しい寝息をしているアセリア。
 その寝顔からは、どこかが悪いなど思えない。
 だが、時折アセリアの周りに浮かび上がるハイロゥの色は黒いままだった。
 鞘を頭の下に置いて枕の代わりにして、左手に【求め】を、右手に【存在】を、それぞれしっかりと握らせる。
 『・・・よし、これでいい』
 「おい【求め】、後はお前に任せる。アセリアを頼むぞ!!」
 悠人の問いかけに、【求め】からの返事はなかった。
 既に【求め】と悠人との精神の繋がりは、一時的にだが消え去っている。
 『もしうまくいかなかったら、絶対ぶっ壊してやる・・・バカ剣め』
 心の中で呟き、眠っているアセリアの前髪を少しだけ横に払う。
 『戦いに赴く前に・・・顔をよく見ておこう』
 静かに眠るアセリアの顔は、言葉に出来ないほど綺麗だった。
 「んじゃ、俺はちょっと行ってくる」
 意識して軽い口調で呟く。
 『前に聞かれた「生きる意味」の答え・・・未だにその答えなんか出せない』
 「でも俺には今、やりたいことがある」
 拳を握りしめる。
 『俺はアセリアと一緒にいたいんだ。決して俺はここで死ぬわけにはいかない・・・必ず戻ってくる』
 「だからさ、お前も戻ってこいよ・・・アセリア」
 「・・・」
 悠人は目をつぶったままのアセリアの頬にそっと触れた。
 柔らかさと温もりを感じ、悠人の目頭が熱くなる。
 「一緒にみんなの元に返ろう・・・約束だ」
 『死ぬ気はないけど覚悟は出来た・・・このバカ剣がアセリアを【存在】から切り離す為にどれくらい時間がかかるのかはわからないけど、その間に追いつかれでもしたら、全ては意味が無くなるんだ』
 瞳を閉じて心を落ち着かせる。
 『それなりの時間は稼ぐんだ・・・』
 「・・・疫病神の力、見せてやるさ」
 そう呟き、もう一度しっかりとアセリアの両手に神剣を握らせて、悠人は立ち上がった。
 『もう迷わない。俺は、アセリアの為に命を賭ける!!』

 洞窟を出た悠人は、あえて追っ手の方に走り出す。
 『こちらが動かないでいれば、見つかるのは時間の問題だ。だけど、こっちから突っ込んで攪乱させてやれば、少しは時間が稼げる・・・』
 「このマナ結晶体を追ってくるはずだ」


 ザッザッザ・・・
 『・・・これなら、洞窟から充分離れただろう』
 悠人はわざと足跡が見つけやすいように、あちこちに走り回って大きく洞窟から離れた。
 剣を持っている時には全く気にもならない速度だったが、実はかなりのものだったことを、悠人はその疲労をもって理解していた。
 「・・・はぁ・・はぁ・・・くそっ・・・ダメ・・だ、な」
 『何てこった・・・あのバカ剣は俺に随分凄い力を与えてくれてたんだな・・・こりゃあ、普通の人間が戦えないわけだ』
 悠人が息を整える為に木陰で休んでいると、微かに金属が触れあう音と複数の足音が聞こえてきた。
 『・・・思ったより早いな』
 ゴクリと唾を飲み込む。
 『集中しろ・・・今の俺は丸腰だ・・・どうやってあいつらを出し抜く?』
 考えてるうちに、音はすぐ側までやってきた。
 悠人は太い枝を拾って構える。
 何の力もない、ただの木で出来た頼りない武器。
 だが、この場にある武器はそれしかなかった。
 『俺は、生き残ってみせるっっ!!』


─同日、夜
 ミスレ封印の森 東部

 「はぁ・・はぁ・・・はぁ・・・」
 荒い息をつきながら、闘護は森の中を歩く。
 蓄積された疲労と傷は容赦なく闘護を苦しめる。
 悠人達と別れてから、既にかなりの時間が経過していた。
 「くそっ・・・」
 『二人とも無事に逃げ切れたか・・・?』
 周囲を見回す。
 スピリットと人間の波状攻撃の前に、素手の闘護は善戦していた。
 しかし、帝国兵は常にスピリットと共に行動するため、対峙すれば逃げるしかない。
 切り札ともいえる指弾は底をつき、満身創痍に近い状態だった。
 「というか・・・俺が逃げ切れるのか?」
 『方角は間違ってないと思うが・・・やばいな・・・』
 ゴクリと唾を飲み込む。
 ガサササッ!!!
 「っ!?」
 『しまった!!』
 その時、背後から数体のスピリットと兵士が出てきた。
 「ウォオオオオ!!!」
 疲労により周囲への警戒を怠っていた闘護に、兵士の一人が剣を振りかぶった。
 「くそっ!!」
 ビュンッ!!
 強引に体を捻り、斬撃をかわす。
 だが、次の瞬間別の兵士が槍を突いてきた。
 「死ねぇ!!」
 「っ!?」
 ズガッ!!


─同日、夜
 アセリア 心の中

 『私は夢を見ている』

 『見たこともないような不思議な空間』

 『光る水の中に浮かんでいるような感じ』

 『でも・・・苦しくない』

 『私の前には・・・一振りの剣』

 『これは・・ユートの剣』

 『【求め】という名前だったか』

 『よく憶えていない』

 『ユート?』

 『それもよく憶えていない』

 『何もかもがあやふやで思い出せない・・・』

 『何故かそれが悲しい』

 〔幼きスピリットよ・・・〕
 「・・・誰?」
 〔我は【求め】・・・。我は我の契約者との戯れでここにきた〕
 「【求め】・・・ユートの剣・・・ユート?」

 『ユート・・・何だか懐かしい名前』

 『顔が浮かんできたような気がした』

 『でもはっきりとは思い出せない』

 〔汝の魂は我が一族のものになりつつある〕
 「・・・わたしの魂・・・わたし?わたしは・・・」
 〔聞くがよい・・・幼きスピリットよ。我は、我の契約者と賭をした〕
 「・・・賭け?」
 〔汝の魂が戻るのが先か、我が契約者の命尽き果てるのが先か・・・〕
 「・・・もどる・・・?・・・わからない・・・」
 〔我が契約者は我の力を使わず、汝の魂を戻す為に戦っている〕
 「戦っている・・・ユートが・・・?」
 〔汝が魂を放棄するならば、我が契約者もその魂を失う〕
 「契約者・・・ユート・・・。ユートが死ぬ・・だめ・・・!!!」

 『剣の言葉を聞き、私は何処かへ帰らなくてはならないと強く感じた』

 『・・・そうだ』

 『みんなの所へ・・・ユートの所へ・・・』

 『私は、帰りたい!』

 「【求め】、私は帰りたい。どうすればいい?」
 〔汝に望みがあるなら、我の力を開放しよう〕
 「・・・うん。頼む」
 〔我は【求め】・・・願望を現実のものにし、その代償を得る。汝の魂に求めはあるか?】
 「ある!」
 〔・・・よかろう。ならば汝の想いを力に変えてみせよ・・・!〕

 キィーン

 『わたしがユートと出会った時・・・わたしはユートがハイペリアから来たと思った・・・』

 キィーン

 『わたしがユートの手を握った時・・・わたしはユートに生きてみたいと約束した・・・』

 キィーン

 『わたしがユートと一緒にお風呂に入った時・・・何故かユートは照れてた・・・』

 キィーン

 『わたしがハイペリアで倒れた時・・・ユートはわたしをずっと看ててくれた・・・』

 キィーン

 『わたしがユートと一緒に空を見た時・・・わたしは自分が幸せだと思った・・・』

 キィーン

 『ユートと一緒にいると、わたしはすごく幸せ・・・』

 キィーン

 「・・・」

 『気がつくと、わたしの前に、わたしがいた』

 「わたしの生きる理由・・・」

 「わたしがここにいる意味・・・」

 「わたしの役目・・・」

 「わたしは、それが知りたい」

 『これは以前のわたし』

 『現在は、この質問がそれほど意味を持たないことがわかっている』

 『自分というものが何なのか』

 『それが理解できなくて、焦っていた』

 『だけどユートと出会い・・』

 『わたしはほんの少しだけ理解できたと思う』

 「わたしは・・・どうして戦っているのだろう・・・?」

 『答えは、わたしの中にあった』

 「わたしの願い・・・それは」

 『それは?』

 「わたしは、ユートと・・・一緒にいたい!!」

 パキャーン!!

 『何かが割れるような音と共に、過去のわたしは消え去った』

 「【求め】・・・」
 〔汝の求めは受け取った。賭は我が契約者の勝ちだ〕
 「ユート!わたしは・・・【求め】!ユートはどこにいる?」
 〔我が契約者はこの深い森の何処かにいる。・・・まだ魂は失われていないようだ〕
 「【求め】よ、一つ頼みがある。ほんの少しの間でいい、力を貸してくれ!」
 〔・・・ふふ、面白いことをいうな、幼きスピリットよ。では汝は何を代償とする?〕
 「・・・今は何もあげられない。でも、お願い!」
 〔ふ・・・ははは!我に代償無しで求めたのは、汝が初めてだ。実に愉快だぞ、幼きスピリットよ・・・〕
 「では、力を貸してくれるか?」
 〔我を楽しませてくれただけでも、その価値はあろう。やれやれ・・・戯れは契約者の完全な勝ちだな〕
 「・・・助かる。ありがとう、【求め】」
 パァアアア・・・
 『わたしの目の前が白くなっていった』

 『そのまま、強力な浮遊感に包まれ、意識が浮かび上がる』


 『目が覚めると、わたしは薄暗い洞窟の中にいた』

 『両手には永遠神剣が握られている』

 『右手にはわたしの剣、【存在】』

 『左手にはユートの剣、【求め】』

 『起きあがって握り直してみると、実にしっくりとする』

 『不思議と、わたしの心は強い何かで満たされていた』

 アセリアは外に出ると、両手の剣を振るう。
 ビュン、ビュン
 「うん、悪くない」
 『【求め】の力なのか、ユートがいる場所がはっきりとわかる』
 そして、アセリアは今何をすればいいのかを理解していた。
 「ハイロゥ!」
 カァン!!
 アセリアは全身に力を込める。
 力に呼応するように、ハイロゥが広がる。
 大きな、白い、光の翼。
 次の瞬間、アセリアは夜の闇へと飛びだった。
 「ユート、待ってて!!」


 「・・はぁ・・・はぁ・・・」
 『何とか・・・俺はまだ、生きている・・・』
 悠人は、体中に切り傷だらけだった。
 打撲も酷く、身体のあちこちで鈍痛があった。
 目眩と頭痛もあり、意識が朦朧としている。
 「うっ・・ぷっ・・・」
 口元を抑え、嗚咽を漏らす。
 何度か吐いたのにも関わらず、吐き気が収まる様子はない。
 ガシッ
 「ぐっ・・・」
 足がふらつき、悠人は思わず木の幹にしがみつく。
 「・・・」
 周りを見回すと、サーギオスの兵士が何人も倒れていた。
 悠人は剣を奪い取り、十人以上いた敵全てを切り倒して、生き延びたのだ。
 「・・・はーっ・・・っはぁ、はぁ・・・」
 『俺が今まで戦って来れたのは、あのバカ剣のお陰だということが身に染みてわかった・・・多分、俺は・・・このままでは生きて夜明けを見ることは出来ないだろう』
 荒い息をつき考える。
 人間の追っ手を切り倒してしまった為に、兵士達はさっさと撤退していく。
 『ってことは、今度は・・・!!』
 悠人のこめかみに冷や汗が浮かぶ。
 『さっきからイヤな気配がしている・・・多分スピリットだ』
 ゴクリと唾を飲み込む。
 『もうわからないはずなのに、何故か絶望的な感覚だけはある・・・』
 悠人は新しい剣を拾い、傷のない盾に持ち替える。
 『なんだよこれ・・・なんて重さだ・・・』
 「く・・・っそぉ・・・」
 そして、再び走り出す。

 ガササッ
 地面に降り立つ一人の帝国のスピリット部隊。
 全員、漆黒のハイロゥだった。
 距離は10メートルくらい。
 スピリットにとっては一歩踏み込むだけで攻撃圏内となる。
 「・・・ふふ」
 『そういえば、弱り目に祟り目って言葉があったよな・・・』
 思わず苦笑してしまう。
 『とてもじゃないが逃げられるわけがない・・・背中を見せた途端に斬られて終わりだ』
 スチャスチャッ・・・
 「・・・」
 神剣を抜くスピリット達。
 諦めに近い感情がわき上がってくるのを、悠人は必死に抑える。
 『ここまできて諦めてどうするっ!!』
 悠人はスピリット達を睨み付け、剣と盾を構えた。
 自我が消えたスピリットの特徴である、無感情な目。
 その冷たい眼差しは、悠人に死の宣告をしているかのようだった。
 そして、先頭に立つ一体が剣を構えたかと思った瞬間、その姿が揺らめいた。
 『来るっ!!』
 悠人は反射的に左に飛ぶ。
 ズバッ!!
 ほぼ同時に、一瞬前まで悠人が背中を預けていた大木が斬り飛ばされていった。
 悠人の胴体よりも太い幹が、パンのように易々と断ち切られる。
 『今まで、俺達はこんな連中と戦ってたのかよ・・・!』
 頬を冷たい汗がつたう。
 「・・・」
 スピリットは返す刀で、もう一度斬りつけてくる。
 ズバッ!!
 「がはっ!!」
 悠人は剣と盾を交差させて受けたが、衝撃で大きく弾き飛ばされてしまう。
 ザッ・・ガクッ!!
 「っ!?」
 急いで立ち上がろうとして、悠人は無様に倒れ込む。
 「ぐぁっ」
 『左腕に全く力が入らない・・!?』
 見ると、綺麗に寸断された剣と盾と一緒に、骨まで届いているような深い傷が出来ていた。
 「う、うっ・・がぁっ」
 涙も出てこないほどの、息が詰まるような激痛。
 見る間に大量の血が溢れ出てくる。
 『傷口を・・・っ!?』
 右手で押さえようとして、傷口付近を抑えようとしたが、手が震えてうまくいかない。
 『傷口から力が抜けていく・・・マナが抜けていっているのか!?』
 「はっ・・・、あ・・・っ」
 「・・・」
 スピリットの一人が悠人に剣の切っ先を向ける。
 「っ!!」
 『俺は・・・佳織を・・・アセリアを助けるまでは・・・っ!!』
 「・・・」
 大きく剣を振りかぶって構えるスピリット。
 『時間が、妙にゆっくりと感じられる・・・一歩飛び込んで俺に振り下ろせば、それで終わりだろう』
 悠人は瞬きもせずにそれを見つめていた。
 『くそっ・・・俺はまだするべき事があるのに!!』
 近づいてくる剣を前に、悠人は歯を食いしばる。
 『佳織!アセリア!俺はっ!!!』
 シュンッ・・・!!
 ─突然、闇は強烈な光に切り裂かれた。
 「!!」
 白い衝撃波が目の前のスピリットを弾き飛ばす。
 カッ!!
 光の中、飛び込んでくる純白に輝く翼を持ったスピリット。
 両手に持った剣を高速で振るう。
 ヒュンッ!!ズバァッ!!
 「・・ァクッ!!」
 どちらも防ぐことが出来ず、上半身とか半身に寸断される黒いスピリット。
 次の瞬間、金色のマナの霧となって消滅してゆく。
 「死ネッ!!」
 「殺ス!」
 横合いから他のスピリットが剣を振り下ろし、後ろから残るもう一体が横殴りに斬りかかる。
 絶妙のタイミング!
 とてもかわしきれる角度ではない。
 しかし、白いスピリット─アセリアは両手に持った剣をまるで舞うように閃かせた。
 ギィン!!ガァン!!
 右手の剣で振り下ろされる刃を横に打ち払い、そのまま左の剣で横殴りの剣を跳ね上げる。
 そのままの勢いで、身体を凄まじい速度で一回転させた。
 ザシュッ!!
 胴ががら空きになったスピリットを、右手の神剣で突き刺す。
 ズバッ!!
 もう一人のスピリットも、剣を構え直す前に左手の剣により袈裟斬りに切り裂かれた。
 全く躊躇のない、美しい動きだった。
 【!!】
 断末魔の叫びのみを残し、同時に消滅するスピリット達。

 悠人が声を出すことも出来ない、刹那の攻防だった。
 霞む目と強い光のせいで、それらはまるでビデオのコマ送りのように見えた。
 悠人の左腕の傷からは、まだ血が溢れている。
 痛みも全くおさまっていない。
 しかし悠人は、少しの間、目の前で微笑むアセリアの美しさに見とれていた。
 「助けが・・・必要か?」
 随分前に悠人に聞いた問いかけ。
 『俺と初めて会った時と同じ言葉・・・あの時は意味がわからなかったが、今なら解る』
 「何言ってんだよ・・・それはアセリアの方だっただろ」
 「・・・うん。そうだ・・・そうだな」
 穏やかな表情。
 返り血を浴びた凄惨な姿の筈なのに、その姿はやはり息を呑むほど美しかった。
 ふと、悠人の瞳から涙がこぼれる。
 『でも・・・今は涙が出ても恥ずかしくない・・・』
 「お帰り・・・アセリア」
 「うん。・・・ただいま、ユート」
 アセリアが優しく笑う。
 気がつくとアセリアの頬にも一筋の涙が流れている。
 その涙さえも綺麗だった。


─同日、夜
 ミスレ封印の森 最西部

 「・・・ぐ・・・、っふぅ・・・」
 「・・・ユート、大丈夫か?」
 「なんとか・・・な」
 『実際、【求め】をアセリアに返してもらってからは随分と楽になった・・・少なくとも身体から何か抜けていってるような感じはしない・・・傷口もかなり塞がってる・・・目眩や吐き気も殆ど収まったし・・・これは、【求め】が力を貸してくれたのだろうか?』
 ふと、悠人は腰の【求め】を見つめる。
 『・・・いや、それはないか。コイツが自分から何かしてくれるなんて無いだろうし』
 小さく首を振って、アセリアに向けて苦笑を浮かべる。
 「ごめん、やっぱりちょっとキツイや・・・悪い、少し休ませてくれ」
 「わかった、ゆっくり行こう。わたしも、今は飛べない・・・」
 「まぁ、もう少し行けばマロリガンの方に出るし・・・何とかなるんじゃないかな」
 「北に抜ければ問題ない。・・・でも、もし追っ手が来たら・・・」
 真剣な表情をするアセリア。
 『わかっている。そうなったらアセリアだけでも逃げて欲しい・・・せっかく帰って来れたんだ。ここで無駄死にすることはないだろう』
 「アセリ・・・」
 「うん。わたしに任せろ!」
 自信満々の笑顔で、胸を張るアセリア。
 その顔には諦めも悲壮感もない。
 何の迷いもなく、「何とかなる」と思っているのだろう。
 一緒に帰れることを信じて、疑っていない。
 『何だか・・・自分が情けないな・・・くだらないこと考えてごめん』
 心の中で謝罪する悠人。
 『大体よく考えてみれば、どこか俺と似た考え方をするアセリアが、一人で逃げるのを良しとするはずがないし・・・』
 「さんきゅ、アセリア。頼りにしてるぜ」
 「・・・ん。任せろ・・・」
 アセリアの肩を借り、再び歩き出す。
 『もう既に追っ手は振りきったかもしれない。だけど油断するわけにはいかない・・・』
 二人は気を張りつめながら、ゆっくりと進んだ。


 そして、どこをどう歩いたのかは不明だが、二人は森を抜けることが出来た。
 遂に二人は帝国の追っ手を振りきって、旧マロリガン領に辿り着いたのだ。
 今、二人の目の前には湖が広がっている。
 もう悠人は肩を貸してもらっていない。
 アセリアは剣を外し、服のまま水の中に入ってゆく。
 「・・・ユート、気持ちいいぞ。入らないのか?」
 「いや、俺は後でいいや」
 「・・・ん」
 悠人は地面に座り込み、一息つく。
 恐ろしく透明な湖。
 『少なくともの世界では見たこと無いような綺麗な湖だ・・・』
 アセリアは服に水をかけ、水浴びをして体中に付いた汚れを洗い流してゆく。
 湖の上や悠人の周りには、いくつもの光るものが漂っている。
 空気中のマナを取り込んで発光するという、まるで蛍のような虫が沢山飛んでいるのだ。
 「・・・ユート、見ろ」
 「あ・・・」
 アセリアの周りをマナ蛍が沢山漂っている。
 その姿はとても幻想的で美しく、まるで水の妖精か何かのように見えた。
 悠人は、つい見とれてしまう。
 「・・・ユート」
 「ん・・・?なに?」
 「あの時・・ハイペリアから帰る時から・・・ずっと、剣の中で眠り続けていた。ありがとう・・・ユート。わたしを呼んでくれて・・・」
 「俺がやりたくてやったんだ。気にするなよ」
 『俺にとって、アセリアは必要な人なんだ・・・だから俺は必死に戦えたんだ』
 素直に思う。
 「・・・うん。でも、わたしは嬉しい」
 「ああ・・・うん」
 微笑むアセリア。
 何となく照れくさくなって、悠人はあえて何事もないように振る舞った。
 『でも、ちょっと前からは想像できないな。アセリアは本当に表情が豊かになった気がする』
 小さく笑う悠人。
 その時・・・

 ガサッ!!

 【!?】
 背後からの突然の物音に、二人は慌てて音の方を向いた。
 「よぅ・・・」
 音のした方にいたのは・・・
 「闘護!!」
 「どうやら・・無事、みたい・・・だな」
 木にもたれかかって、不敵に笑う闘護。
 しかし、その姿は酷いものだった。
 身にまとっている服はボロボロで、そこかしこに切り傷や打ち身が見えている。
 しかも・・・
 「その額・・・」
 「あぁ・・・ちょっと、しくじって・・な」
 闘護は小さく─痛みにほおを引きつらせつつ─笑った。
 闘護の額に一文字の深い傷が走っている。
 「どうしたんだ?まさかスピリットに・・・」
 「違うよ・・人間の、武器で・・な」
 「大丈夫か?」
 「あぁ・・って!?アセリア!?」
 アセリアの問いに答えた闘護は、すぐに目を丸くした。
 「まさか、意識が・・・」
 「ああ。もう大丈夫だ」
 悠人がニヤリと笑う。
 「そうか・・・よかった・・・よかったぁ・・・」
 ズルズル・・・
 闘護はそのまま地べたにへたり込む。
 「闘護!!」
 「トーゴ!!」
 慌てて二人が駆け寄る。
 「ぁあ・・大丈夫、大丈夫」
 心配ないように手を振るが、その様子はぎこちない。
 「闘護・・・すまなかった」
 悠人は頭を下げる。
 「ん・・・何、が・・・?」
 「お前一人、危険にさらさせて・・・」
 「馬鹿いえ・・・お前だって・・同じ、だろ」
 「俺は神剣があるから・・・」
 「俺だって、スピリットの・・・攻撃が、効かないんだ・・・」
 「・・・」
 「トーゴ・・・」
 「そんな顔、するなって・・・」
 心配そうに見つめるアセリアに、闘護は小さく苦笑する。
 「無事、意識を取り戻して・・・よかったよ・・・どう、やったんだ?」
 「ん・・・ユートが私を呼んでくれた」
 素直な口調で素直に答える。
 「・・・」
 「・・・くく・」
 その様子に悠人は顔を赤らめ、闘護は笑う。
 「ん?おかしいか?」
 「いや・・・いいと、思うよ。なぁ、悠人・・・」
 「・・・」
 真っ赤な顔のまま、あさっての方向を向く悠人。
 「ははは・・・」
 愉快そうに笑う闘護。
 「???」
 状況に首をかしげるアセリア。

 「とにかく・・・少し休もう」
 落ち着いた悠人が座り込んで提案する。
 「そうだな・・・」
 闘護が木にもたれかかりながら頷く。
 「ん・・・」
 アセリアも頷くと、悠人の隣に腰を下ろした。
 「・・・ユート。一つ頼みがある」
 「珍しいな、アセリアが頼み事なんて。俺に出来ること?」
 「・・・うん」
 「それなら何でも聞くさ。何たってアセリアの頼みだしな」
 「・・・そうか、なら頼む。ユート・・・」
 「はいはい」

 「・・・うん。わたしはユートを抱きたい」

 「・・・はぁっ!?」
 「何だと・・!?」
 素っ頓狂な声を上げる悠人と闘護。
 「どうした?」
 「ど、どうしたって・・・だ、抱きたいって・・・」
 「駄目か?」
 「いや、駄目というか・・・」
 困惑する悠人。
 「・・・駄目だ」
 そこへ口を挟んだのは闘護だ。
 「トーゴ」
 「今、悠人と・・・そういうことを、するのは・・・許容、できない」
 「な、何で、だよ・・・?」
 「・・・」
 『少なくとも、この戦いが終わるまでは納得できない・・・身勝手だとしても!!』
 苦い表情で沈黙する闘護。
 「・・・わかった」
 アセリアは素直に頷く。
 「・・・すまん」
 闘護は目をそらして呟いた。
 『俺のわがままでも・・・それでも、オルファの件がある限り、全てにケリがつくまで・・・』

 しばし、三人の間に奇妙な沈黙が続く。

 「・・・なぁ、悠人」
 ふと、闘護が静寂を破った。
 「真面目な、話・・・どうやって・・アセリアの、意識を・・・戻したんだ?」
 「ああ・・・【求め】にアセリアの意識に直接働きかけさせたんだ」
 「それって・・・ヨーティアが・・言ってたこと・・・じゃないか」
 闘護は目を丸くする。
 「結局・・・おまえ達だけで、それを・・やり遂げたって・・・ことか・・・凄いな」
 「そうなのか?」
 アセリアが首を傾げる。
 「そうなんだよ・・・それにしても、こうも・・うまくいくんだったら・・・最初からやってれば、楽・・だったのにな」
 闘護は意地悪げな笑みを浮かべた。
 「・・・そりゃそうだけどさ」
 悠人は不服そうに口をとがらせる。
 「ま、それは・・結果論、か・・・もしも・・ラキオスで、やってたら、失敗・・・してたかも、しれないし」
 闘護は肩をすくめた。
 「さて・・・それじゃあ、しばらく休むか」
 「ああ。じゃあ、交代で見張りを・・・」
 「いや。俺が・・見張りを、して・・おこう・・・」
 悠人の言葉を闘護が遮った。
 「え?それじゃあお前が休めないだろ」
 「交代で、見張りを・・・したら、休む・・時間が、減る・・・だったら、君達だけ、休んだ・・ほうが、いい」
 「けど・・・」
 「いいから、いいから・・・休んでろって・・」
 闘護は小さく笑った。
 「・・・悪い、それじゃあ・・・」
 「ん・・・」
 悠人とアセリアは互いに肩を寄せ合いながら瞳を閉じた。
 「ふぅ・・・」
 その様子を見て、闘護は小さくため息をついた。
 『野暮だけど、オルファを失った以上・・・悠人が彼女の気持ちを忘れたとはいえ、それでもそれを無視してアセリアと結ばせるのは・・・許容できん』
 「・・・ホント、身勝手・・・だな、俺は」
 闘護は空を見上げた。
 『戦いが終わるまで・・・悠人と誰かが結ばれるのは邪魔する・・・レスティーナについても、か』
 「俺も・・・戦いが、終わるまでは・・・」


―聖ヨト暦333年 レユエの月 青 四つの日 朝
 ミスレ封印の森 最西部

 ユサユサ・・・
 「おい、二人とも」
 「・・・んぁ?」
 「ん・・・」
 ユサユサ・・・
 「起きろ、二人とも。朝だぞ」
 「闘、護・・・?」
 「ん・・・ん?」
 「朝だ。起きるんだ、二人とも」
 「ん・・・ふわぁ・・・」
 「むふぅ・・・」
 眠たそうに欠伸をする悠人とアセリア。
 「いつまで寝ぼけてる。顔を洗ってシャキッとしろ」
 闘護に急かされた二人は、のんびりした歩調で湖の方へ歩いていった。
 「ったく・・・」
 そんな二人の様子に、闘護は呆れたように肩をすくめた。

 「ふわぁ・・・」
 「んふぅ・・・」
 顔を洗って戻ってきた二人は伸びをする。
 「身体はどうだ?」
 「ん・・・少しはマシになった、かな」
 「アセリアは?」
 「ん・・・大丈夫」
 「よし。それじゃあ、すぐに出発するぞ」
 「あ、ああ・・・」
 「ん・・・」
 「おい、いつまでボケッとしてんだ」
 二人の緊張感ゼロの様子に、闘護は眉間に皺を寄せた。
 「まだここは前線なんだぞ。わかってるのか?」
 「わ、わかってるよ」
 「ん」
 「だったらシャキッとしろ。今日中に戻るぞ」
 「ああ・・・って、闘護。お前は大丈夫なのか?」
 「俺は問題ない」
 「問題ないって・・・昨日はかなりヤバそうだったぞ」
 心配そうな悠人に、闘護は首を振った。
 「傷はもう塞がった。体力も回復してる」
 「って・・・昨日の今日だろ?それに寝てないんじゃ・・・」
 「だったら見てみろよ」
 闘護はボロボロの衣服をはだけた。
 「・・・」
 「な?」
 唖然とする悠人とあっさりした闘護。
 闘護の言う通り、身体にはミミズ腫れ程度の傷は無数にあるものの、どれも殆ど治りかけていた。
 「額の傷もこの通りだ」
 闘護はそう言って額を二人に見せた。
 「傷が・・・」
 「・・・」
 額に走っていた傷は、赤いスジになっているだけだった。
 「わかったか?俺は大丈夫だ」
 【・・・】
 「さ、行くぞ」
 呆けている二人をおいて、闘護は歩き出した。
 「お、おい!!」
 「ん!」
 慌てて闘護を追いかける二人だった。


―同日、夕方
 ヒエレン・シレタ

 「到着・・・と」
 街の入り口に来て、闘護はゆっくりと振り返った。
 「悠人、アセリア。大丈夫か?」
 「ああ、何とか」
 「ん・・・」
 闘護の問いに、悠人とアセリアは頷いた。
 「じゃあ、行こうか」
 闘護を先頭に、三人は歩き出した。
 「これから駐屯地に向かうが、君達は一旦ラキオスへ帰還しろ」
 歩きながら闘護は言った。
 「闘護、お前はどうするんだ?」
 「俺はケムセラウトへ向かう。光陰達に陽動作戦の終了を連絡しないといけないからな」
 「それだったら、俺がエーテルジャンプですぐに・・・」
 「それだと、連続でエーテルジャンプを使うことになるだろ」
 悠人の提案を闘護は遮った。
 「エーテルジャンプ装置は、ここから一番近くてマロリガンにしかない。ケムセラウトとは反対方向だからな。俺一人ならば、ここで別れて単独でケムセラウトに向かった方が早い」
 闘護はそう言うと、悠人とアセリアをまじまじと見つめる。
 「それに、だ。動けてるとはいえ、二人ともすぐに休息をとった方がいい。ラキオスに戻ってレスティーナへの報告もあるんだ。君たちはそっちを優先してくれ」
 「けど、それじゃあお前が大変じゃないか。陸路ここからケムセラウトに行くのにどれぐらい時間がかかるんだ?」
 「ま、1日2日じゃ無理だが・・・それでも、君達が回復することを優先したい」
 闘護はそう言って小さく笑った。
 「俺はもう大丈夫だからな。君達はまだまだ本調子じゃないだろ?」
 【・・・】
 闘護の問いに、沈黙する悠人とアセリア。
 「正直だな、二人とも」
 闘護は苦笑すると、小さく振り返った。
 「いいな。ラキオスへ帰還して、レスティーナとヨーティアに報告した後、しばらく休養するんだ」
 「・・・悪い、闘護」
 頭を下げる悠人に、闘護は小さく首を振った。
 「俺の回復力が異常なだけだ。謝る必要はないさ」
 【・・・】
 「ほら。元気を出すんだ」
 ポンポン
 「俺たちは任務を果たしたんだ。胸を張れって」
 「闘護・・・」
 「ラキオスに戻ったら、そんな顔をするなよ」
 闘護はニヤリと笑った。
 「・・・ああ。ありがとう、闘護」
 「さんきゅ、トーゴ」
 「いいっていいって」
 礼を言う二人に、闘護は小さく手を振った。


 その後、闘護は準備を整えてすぐにケムセラウトへ向かい、悠人とアセリアは休息とレスティーナへの報告を兼ねて一旦ラキオスへ帰還した。

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