─聖ヨト暦332年 レユエの月 黒 二つの日 昼
ヨーティアの研究室
コンコン
「ヨーティア、いるか?」
「んぁ?トーゴか?」
「ああ。入っていいか?」
「いいよ」
ガチャリ
「失礼する」
「おう」
ヨーティアは読んでいた本から顔を上げた。
「私に何の用だい?」
「ウルカと悠人について何だが・・・」
「ウルカとユート?」
「ああ」
闘護は頷くと、テーブルの上に手をついた。
「どうも、ウルカの様子がおかしい」
「ふむ・・・詳しく話してくれ」
「・・・神剣が執拗にウルカに干渉しているらしい。今のところ、ウルカは耐えているようだが・・・悠人の話では、かなり参ってるそうだ」
「・・・」
「で、悠人がウルカの神剣から変な気配がするそうだ」
「変な気配?」
「最初にこの世界に来た時に襲ってきた奴・・・多分、スピリットだろう。そいつの気配に似ているって感じたらしい」
「・・・」
ヨーティアは座っている椅子の背もたれに深く背を預けた。
「それで、他には?」
「ない」
闘護の即答にヨーティアはガクリと肩を落とした。
「あのねぇ・・・それだけじゃあ何もわからないよ」
「・・・だよなぁ」
ヨーティアの返答に闘護はポリポリと頭を掻いた。
「ただ、あなたなら何かわかるかと思ってね」
「生憎、情報が少なすぎるね」
ヨーティアは手を振った。
「そうか・・・時間を取らせてすまない」
闘護はそう言うとヨーティアに背を向けた。
「何だい。それを聞く為だけにここに来たのかい?」
「ああ」
答えると、闘護はそのままドアの側まで歩いた。
「失礼する」
バタン
闘護はあっさりと部屋から出ていく。
「・・・何なんだい?」
一人、残されたヨーティアはポツリと呟いた。
─聖ヨト暦332年 レユエの月 黒 四つの日 昼
スピリットの館、周辺
エトランジェには、定例の作戦会に出る義務がある。
それを終えた悠人は、凝ってしまった肩を叩きながら、館の方に戻ってきた。
「どうして会議ってのは、こう眠くなるかな」
『レスティーナの話は短く要点をまとめてあって、まだいいけど、数人による過度の修飾で元の言葉がわからなくなってる言葉は、聞くに堪えないんだよな』
悠人はため息をついた。
「・・・絶対、あのせいだ・・・あれ?」
薪小屋の隣を通り過ぎようとしたとき、裏手に影が見えた。
「ウルカ・・・か?」
これまでに見たどの動きよりも、格段に鈍い動き。
それでも必死に剣を振っている。
『邪魔しちゃ悪い・・・けど』
悠人は気づかれないように、館へと入った。
「飲み物の準備でもしとくかな」
神剣のことに関して、悠人はヨーティアほど役に立てない。
それなら、別のことで助ければいいのだと思っていた。
「確かこの辺に・・・あった」
棚から、普通の物と少し違う水袋を取り出す。
エスペリアが言うには、冷たい物を冷たいままで運べて便利、とのことだった。
『魔法瓶みたいな物かな』
悠人は氷室から氷を一かけ取りだし、細かく砕く。
それを先に入れてから、水袋にお茶を入れた。
「あれだけ氷を入れたのに冷たく感じないな・・・って、当たり前か」
触って冷たくなっていたら、熱が逃げてるということだ。
特に冷たく感じないのは、本当に保冷力が優れているという証明だろう。
「ウルカはまだやってるかな」
悠人は水袋とタオルを持ち、急いで戻った。
『やってる、やってる・・・』
庭石に腰掛けて、次々にメニューをこなしていくウルカを見つめる。
『でも、やっぱり遅い・・・な』
神速を恐れられ、事実、目にも止まらなかったはずの剣技。
その筈が、今や見る影もない。
それどころか、近くで見ている悠人にすら気づかないのだ。
「はぁっ・・・はぁっ、くぅぅっ!!」
手にしているのは、【拘束】。
生まれたときから持っていた、ウルカの分身にして愛刀。
それが、悠人には重そうに見えた。
『それに・・・あれを通して【誓い】の干渉があるかも知れないなんてな・・・』
ポタリ、ポタリと汗が落ちる。
満足に動かないであろう体を、ウルカは無理矢理に動かす。
悠人には、底なし沼で足掻いているように見えてしまった。
長い長いメニューが終わったのは、日も傾いた頃だった。
悠人は立ち上がり、ウルカに近づいていく。
「ご苦労さん」
「・・・っ、ユート殿?」
汗だくになった顔が、悠人を見上げる。
これまで戦ったときも、前に剣を教えてもらったときにも、息一つ見だしていなかった。
それなのに、今はこんなに疲れ果てている。
『・・・もしかして、段々悪くなってる、のか?』
悠人は懸念する。
「なぜ、ここに・・・?」
「そうだな・・・一応、ウルカは俺の監視下にいなきゃいけないから、かな。ほらっ」
タオルと水袋を投げる。
ウルカはそれを受け取ると、無言で一礼した。
「まだ冷たいと思うから、慌てて飲み過ぎない方がいいぞ」
「はい・・・」
ウルカは頷き、喉を鳴らしてお茶を飲む。
そのままで、呼吸が整うのを待った。
「ウルカって、毎日ここで練習してたのか?」
「毎日というわけでは・・・ただ、最近は多かったです。・・・そのせいで、ユート殿には、情けない姿を見られてしまいましたが」
「そんなことはないさ。ウルカは良くやってるよ」
「・・・そうでしょうか。今も・・・・これまでも、手前がしてきたことに意味などあるのでしょうか?」
ウルカの声は沈んでいた。
『【求め】の干渉に晒されていた俺だから、今のウルカがどれほど辛いのかは解る。だがもし神剣の干渉に、【拘束】の誘惑に負けてしまえば・・・考えたくない・・・』
悠人は拳を握りしめる。
『前にウルカが語った虐殺。それが、場所を変えて再現されてしまうだろう』
「・・・」
ウルカは無言の悠人を気にせず続ける。
「エスペリア殿のように慣れればと思いましたが、手前にはやはり無理でした。所詮は剣を握ることしか出来ぬ身。それが戦う力を失ったとなっては・・・」
「ウルカ、それは・・・」
「戦う力のないスピリットなど、存在する理由がありませぬ。羽根のない鳥と同じでしょう」
その声にあるのは自嘲と寂しさ。
自分と周囲とが変わるように、戸惑っているようでもあった。
「俺のいた世界には、飛べない鳥もいたな・・・飛ぶための羽根を失っても、まだ足がある。・・・それに、ウルカの場合、何も失っちゃいないさ」
「そうでありましょうか・・・」
「戦わなきゃいけないなんて、誰が決めたんだよ。俺は戦う理由があるから・・・佳織がいるから戦ってるんだ」
そう言う悠人の表情は、苦いものだった。
『戦うのは必要・・・だけど、それが正しいとは思えない・・・』
「これは俺が決めた・・・俺のための戦いなんだ。別に自慢できる事じゃない・・・ただ殺してるだけなんだからさ」
「ユート殿・・・」
「ウルカは何のために戦っていたんだ?」
「・・・解りませぬ。手前には理由など」
ウルカの口調も苦い。
他のスピリットがそうであるように、理由無く戦わされてきたからだろう。
「理由を見つけるなど・・・雲を掴むような話です・・・それがわかれば、手前も何かが変わるのでしょうか?」
「さぁ・・・俺には解らないよ」
悠人は首を振った。
「戦うなんて、誇れる事じゃない・・・理由と殺すことの罪は関係ないんだから」
「罪・・・」
心に刻み込むように、小さく呟く。
悠人にもウルカにも、自分を納得させる理由を探すには、まだまだ時間が必要だった。
「手前には・・・他者を殺すことなど、出来ませぬ。ですが、仲間に手を汚させていた手前は、より重い罪があるのでしょう」
「どう、だろうな」
『ウルカの悩み。スピリットなのに、満足に戦えないこと。仲間に、罪を負わせる形になっていたこと。それは闘護と同じだ・・・』
悠人はかつて闘護が言った言葉を思い出した。
『“お前が今日感じた無力感・・・仲間は戦ってるのに自分は戦えない”・・・ウルカもそうだ。仲間に酷いことをしたと考えている。だけど、罪に対する罰は十分に受けている。こんなにも苦しそうにしているんだから、間違いないんだ』
悠人は空を見上げた。
「・・・多分、殆どの奴が、生きてるだけで罪になるんだろうな」
「え・・・?」
「戦わなくても良いのが一番なんだ・・・命以外のことは、大抵、後で何とか出来るんだからさ」
「・・・」
ウルカは答えなかった。
目を閉じて、悠人の言ったことの意味を考えているようだ。
『やっぱり、俺たちには時間が必要だな・・・もう少しでも、ウルカが楽に生きられるようになればいいのにな』
悠人に出来るのは、心の中で願うのみだった。
─聖ヨト暦332年 ホーコの月 青 一つの日 昼
館の食卓
「まてまてまてまてまてまてぇぇぇ〜〜っ!!」
ドタドタと走る音と共に、けたたましいオルファリルの声が廊下の奥の方から聞こえてくる。
「何だよ。随分と騒がしいなぁ」
悠人はひょいと廊下をのぞき込んでみる。
すると、何か白い物が凄い勢いで走ってくる。
「おわっ!!」
足下を駆けてきたその白い物は、高速に誘致の股の間をすり抜けていった。
ドタン!!
驚いた悠人は、思わず踊るようにクルリと回り、そのまま尻餅をついた。
「いてて・・・」
「ハァハァ、う〜ん・・・ハクゥテ速いよぉ。も〜」
悠人の目の前には、ゼーハーと肩で息を続けるオルファリル。
両手で自分の膝を押さえてる姿から、ハクゥテとの追いかけっこが長時間続いていたことを物語っている。
「またハクゥテ、逃げ出したのか?ちゃんと捕まえておかないと駄目だって言っているだろ?」
「だってぇ〜。ハクゥテはドア開けると、すぐに飛び出していっちゃうんだもん。もう、こう、ピューって!オルファでも追いかけられないよぉ」
オルファリルは右手を滑らせるようにして、ハクゥテがいかに速いかをアピールしてみせる。
その姿がちょっと可愛らしい。
「ったく・・・」
悠人は走り抜けた向こうを見たが、既にハクゥテの姿はない。
『どこにいったんだろう?外には出られないはずなんだけど・・・』
「ハクゥテは?」
「うぁ、見失ったよ。階段はこっちだから、二階に入ってないと思うけど」
悠人は廊下を覗き込み、グルッと見回してみる。
エスペリアの部屋のドアが少しだけ開いてる。
「よし、オルファ。ハクゥテを捕まえるぞ。また大暴れされてもコトだし」
「うん♪ハクゥテ捕まえるよ〜」
やたらと張り切って手を挙げて返事をするオルファリル。
『自分が原因であることは全く考えていない。この脳天気な所がオルファの味なんだけど。このまま楽天家一筋、ってのも考えものだなぁ・・・』
「まずはエスペリアの部屋に行ってみよう」
「うん!」
トントン・・・
「あれ?」
トントン・・・
「返事がない」
「お留守かな?」
ドアが少しだけ開いている。
『エスペリアにしては珍しいな・・・』
悠人は音を立てずに、中を覗き込もうとしてみる。
「あ〜、パパ、それって『チカン』っていうんだよ?『チカン』さんの技なんだよ?」
「痴漢じゃない!ってどこでそんな言葉を覚えてくるんだよ。第一、技って何だ!」
『どうも、このオルファの情報源は謎が多いんだよな。現代世界の、訳のわからない知識は、俺か佳織か闘護に限定されている筈なんだけど。そのわりには、俺も佳織も言っていないと思うんだけど・・・』
「ったく・・・」
小さくため息をつく悠人。
「どうしたの、パパ?」
その様子にオルファリルが首を傾げる。
「い、いや。何でもないよ」
そう答えて、悠人はドアのノブに手をかける。
「エスペリア、入るぞ。ハクゥテ、そこにいないかな」
何となく小声になる悠人。
既に開きかけているドアを、ゆっくりと開いていく。
すると、部屋の中からフワッとよい香りがしてくる。
『・・・薬草の匂いかな』
返事はなく、悠人はそっと部屋の中に入る。
「エスペリア、お姉ちゃ〜〜ん」
悠人に倣うようにオルファリルも小声になった。
「え〜っと・・あ!!居たっ」
室内を見回してみると、机の上に突っ伏しているエスペリアを発見した。
眠っているのだろうか。
「エスペリアお姉ちゃん、寝てるね。いつも机で寝ちゃ駄目って言ってるのにぃ」
オルファリルの言う通り、エスペリアは机で寝ては疲れが取れないと言っていつも注意しているのだ。
そんなエスペリアがうたた寝をしている。
それが悠人にはたまらなく面白く見えた。
「と、まぁそんなことより、ハクゥテだ」
「うん」
ゆっくりと室内を見回してみるとハクゥテの姿はない。
『ここには居ないのかな?』
と、悠人が思ったその時だった。
「あ、あそこ」
エスペリアの机の上に、ひょっこりとハクゥテが姿を現した。
鼻をフンフンとさせながら、机上を歩き回っている。
「う、う〜ん・・・・もう少しだけ・・・眠りたい、です・・・それに・・・今日は、ぜんぶおやすみ・・・おやすみぃ」
エスペリアの頭を、ハクゥテのフサフサとした毛皮が撫でる。
それに反応して、エスペリアは寝言を言う。
『これはまた珍しいな・・・』
悠人は何となく感心してしまう。
「あ!ハクゥテってば!!」
オルファリルが小さな声を出す。
ハクゥテがエスペリアの顔に乗ったかと思うと、その頬をペロリと舐めた。
「ひゃはぅあぁ!」
素っ頓狂な声。
「な、な、なんですか!?え?えっ?」
飛び起きたかと思うと、いつもからは考えられないほどの狼狽えぶり。
エスペリアは頬を抑えて、周りを見る。
ハクゥテはその勢いで、また床に着地し、だーーーっと悠人達の足下を駆け抜けていった。
「あ!逃げられたっ!!」
エスペリアの声に驚いて、一瞬動きが止まった隙をつかれた。
振り返る間さえなく、ハクゥテは部屋から消えてしまった。
「あ、あ!ユ、ユート様に、オルファ!こ、こんな所でどうしたんですか?」
やはり見られたくない姿だったのか、エスペリアの声は裏返っていた。
顔は赤く、何かモジモジしている。
『たまに見るエスペリアの隙も、可愛くて微笑ましいなぁ・・・』
悠人は呑気に笑った。
「んとね。オルファ達、ハクゥテを追っかけてるんだよ♪さっきエスペリアお姉ちゃんの所に来ていたんだけど、また逃げられちゃったよ」
「さ、オルファ、次に行こう!今度は階段の方に逃げたみたいだ」
「え?え?え?ユ、ユート様、私、あの」
全く話の見えないエスペリアは戸惑うばかりである。
「りょうかいだよ〜、パパ!」
「え?え〜?あの私、何か寝言とか、その・・ユート様ぁ」
二階への階段の付近は全部探した。
『ここまで居ないとなると、残るは二階だな・・・』
悠人達は階段を駆け上がった。
「今度はウルカお姉ちゃんのお部屋が開いてるね」
ウルカの部屋が開いているのはいつものことだ。
どうも風を室内に通しておきたいらしい。
『そうなるとハクゥテが飛び込んだ可能性もあるってことだ』
トントン・・・
『返事はないけど・・・』
「また寝ているのか?」
「いいよ、入っちゃえ♪」
ガチャリ
「わ、こら!」
室内に入ると、他のみんなの部屋よりもやや狭い部屋。
元々は佳織が使っていたが、その頃と同じく、本が一杯積んである。
『あ、いた』
ウルカは机で本を読みふけっていた。
一心不乱という言葉がとてもよく似合う。
これだけ近くで悠人達が話しているにもかかわらず、全く気付く素振りすら見せない。
「ウルカお姉ちゃん。ハクゥテ見なかった?」
オルファリルの声も届かず、ウルカは真剣な表情で本を読みふけっている。
『あれだけ鋭敏な感覚を持っているのに、どうして反応しないのだろう?』
「不思議だよなぁ」
「何が?」
「あれだけ鋭いのに・・・どうして、今の俺達に気がつかないのか」
漆黒の翼と恐れられていたウルカ。
『その背中に立っていた者は【拘束】によって両断される・・・そこまで言われていたはずなのに』
「ただの隙だらけの、本の虫だよな」
「ウルカお姉ちゃんって虫なの?」
また不思議そうな顔をするオルファリル。
『日本語の表現は確かにオルファには難しいかも知れないな・・・まぁ、当然といえば当然なんだけど』
「あ!ハクゥテ発見っっ!発見!!」
ハクゥテがウルカの机の上の本棚に座っている。
しかも後ろ足で、頭を掻いている。
『というか、どうして気がつかないウルカ!』
「いいかオルファ。飛びかかって捕まえてくるんだ!」
了解!と敬礼をしてオルファリルはジリジリとハクゥテに近づいていく。
つまりは、ウルカの背中にも近づいていく。
「もう少し・・・もう少しだよ〜」
小声になったオルファリルが、ハクゥテに飛びかかろうとした。
その時!
シッパーーーーーンッ
オルファリルの鼻先を刀が横切った。
ハラリとオルファリルの赤い髪の毛が数本、宙を舞う。
「うはぁーーっ」
驚いたオルファリルは変な声を上げたかと思うと、その場でペタンと座り込んだ。
ウルカの居合い切り。
速度は落ちているものの、それでもいきなりでは驚く。
「ん・・・オルファ殿にユート殿。いつの間にこちらへ?」
まるで解っていなかったというウルカ。
『ここまでの集中力は驚きだ・・・って、そうじゃなくて!!』
「いや、そこにいたハクゥテを追っかけていてだな・・・って!!」
既にハクゥテの姿はない。
『また逃げられた!』
悠人は悔しそうに唇を噛んだ。
「どうされたのですか?オルファ殿もそんな所に座り込まれて・・・」
「あ、あはは・・・なんでもないよ。あはは〜」
オルファリルは微妙に冷や汗をかいている。
ウルカの一撃は、おそらく無意識の行動だったのだろう。
オルファリルも、そこを突っ込む気はないらしい。
「ふむ・・・それで、ハクゥテは何処に?」
「え・・・あ、そうだ!」
『今度は何処だ・・・一階に下りていないならば、残るは三部屋なのだが。ハクゥテにまた一階に逃げられても困るし・・・』
悠人達は早々にウルカの部屋を後にすることにした。
「よし、アセリアの部屋に行こう!」
「うん」
トントン・・・ガチャ
「アセリア、入るぞ」
「お邪魔だよ〜」
もう、同じパターンに飽きた悠人達は、行動がいい加減になっていた。
アセリアの部屋に至っては、ノックと同時に室内に入った。
「アセリア、ハクゥテが来なかったか?」
「・・・うん」
椅子に座りボンヤリとしているアセリア。
悠人の問いにもすぐ答える。
いつも通りに「うん」という反応。
『今回のはどうやら肯定の「うん」のようだ』
「いるぞ、この室内に」
「わかったよ♪オルファ探すよ〜」
「ん」
二人が室内を見回そうとした時だった。
アセリアはゆっくりと手を伸ばして、部屋の隅を指さす。
そこにはうずくまり、何かをかじっているハクゥテがあった。
くいっ。
悠人の背中をアセリアが引っ張る。
「どうしたんだよ、アセリア?」
アセリアはゆっくりとハクゥテを見つめる。
『何が言いたいのかよく解らない。この極度に無口なアセリアから、何をどうしたいのかという基本的な情報を取り出すのはホネなんだよな・・・』
悠人はじっとアセリアの様子を見つめる。
「・・・」
アセリアはポンと自分の胸を叩く。
『これは任せろという意味だろうか?青い瞳からは、全く何を考えているのか読みとれないんだけど・・・』
悠人はジッとアセリアの目を見つめてみる。
「パパ!アセリアお姉ちゃんが任せろだって!」
『・・・当たってたのか』
オルファリルの言葉に、悠人は面食らう。
『しかし、一体いつそんなアピールがあったんだろう?』
「まあ、いいか・・・アセリアなら捕まえられるのか?」
「うん」
アセリアはコクリと頷く。
『自信がある、いやありそうな返事。表情は相変わらず無表情のままだから、よく解らないけど・・・まぁ、いいか』
「じゃ、頼むよ」
「・・・ん」
【存在】を取るアセリア。
アセリアはその場で瞑想を始める。
少しずつ、アセリアの元にマナが集まっていく。
光の粒子から、頭上にハイロゥが形作られていった。
『何するんだろう・・・?』
アセリアは右手の人差し指を眉間の辺りに置く。
そして、何事か呟きながら目を閉じた。
「おっ・・・!」
「わぁ・・・」
すると驚いたことに、アセリアのハイロゥが無限の字の形に変わったかと思うと、次はわっか状のまま紐のように動き回る。
「ん!」
変化したハイロゥをフワリと飛ばすと、まるで質量を持ったかのようにハクゥテの足に絡みつく。
ハクゥテはジタバタして、その光の紐を外そうとするが足に絡まっているそれを外すことは出来ない。
「ハイロゥってこんなコトも出来るのか・・・少し驚いたな」
「・・・」
「あ、うん!アセリアお姉ちゃん、ありがとう♪」
アセリアはオルファリルを見て、視線だけをハクゥテに向ける。
その意味を理解したオルファリルは礼を言うと、急いでハクゥテに駆け寄る。
ハクゥテに触れる瞬間に、ハイロゥはまたわっか状になって空中に浮かび始めた。
「やったぁ〜っ!ハクゥテつかまえったぁ」
強く抱きしめるとハクゥテは、ハイロゥに掴まっていたのがよほど恐怖だったのか、オルファリルにすがりつく。
「さんきゅ、な!アセリア。やっと、この暴れん坊を捕まえられたよ」
「・・・」
コクリ。
頷くだけの小さな返事。
それで充分だった。
「・・ん?」
ふと空中を見るとハイロゥの光は、まだ消えていない。
「あ、あれ?まだハイロゥが消えてないぞ・・・と、いうよりも・・・」
『ドンドン大きくなっている!・・・もしかしてアセリアにも、まともに制御できないんじゃ?』
悠人はアセリアを見た。
「・・・」
しまった、という微妙な表情が浮かぶ。
今度ばかりは、悠人もはっきりと解った。
シュゥゥゥゥウウウ
ハイロゥに力が収束していくのが解る。
この音はマナが臨界を迎える時の音。
「!」
「わぁっ!」
「・・・」
バーン!!
三人が見守る中、ハイロゥが弾けた!
室内は光に包まれる。
バタンッ!!
「な、何事ですか!敵ですか!?」
部屋の中に【献身】を携えたエスペリアが飛び込んできた。
本当に敵だと思っていたのは、その焦りの表情で解る。
「あ、あれ・・・・ユート様達、どうしたのですか?」
ところが入ってみれば、あまりの眩しさに目が眩んでいるだけの三人と一匹。
派手な音と光だったが、閃光弾のような物だったらしい。
特に被害があるわけではなかった。
「え・・・とね。ハクゥテ捕まえようとしたら、爆発しちゃったんだよ。あはは・・・」
オルファリルの言葉に、悠人はウンウン頷く。
『遠からず、近からず・・・だな』
「あっはっは・・・アセリアの必殺技が炸裂したんだ」
「そうそう♪すごかったんだから。敵さんもきっとビックリするよ」
「・・・うん」
悠人とオルファリルは、何か面白くて大きな声で笑い転げてしまった。
アセリアも、無表情ながらその口元だけが緩んでいた。
「どういうコトなんですか?ユート様、説明して頂かないと解りません・・・ユート様?」
場違いな【献身】を握りしめて困るエスペリア。
結局、オルファリルにハクゥテの管理をもっとしっかりすることを約束させたのは言うまでもない。
─聖ヨト暦332年 ホーコの月 青 三つの日 夜
第一詰め所、食堂
ガチャリ
「ん?闘護じゃないか」
悠人とオルファリルが食堂に入ると、闘護が椅子に座っていた。
「よう」
「どうしたんだ?もう夜だぞ」
「今日は夕食をご相伴しに来たんだよ」
「なんで?」
「第二詰め所は今、俺以外出払ってるからさ。一人分の夕食を支度するのも面倒くさいし、エスペリアに言ったら一緒に夕食を食べないかって誘われたんだ」
「あ、そうか。俺達がここにいる代わりに、第二詰め所のみんなが前線に詰めてるのか」
「そういうこと」
闘護は頷く。
悠人は納得したように頷くと、自分の椅子に腰掛けた。
「うー・・・メシだメシ〜」
「めしめし〜♪」
「女の子は“めし”なんて言い方しちゃいけませんよ?」
オルファリルの言葉使いを、料理を運んできたエスペリアが嗜めた。
「え〜、だってパパが・・・」
「だってじゃありません。ユート様は男の人だからいいのです」
「それはどうかな・・・」
闘護の突っ込みは、小さすぎて誰にも聞こえてなかった。
「んじゃ、ごはんごはん〜♪」
エスペリアの言うことを、オルファリルは素直に聞く。
「偉いな、オルファ。ちゃんとエスペリアの言うこと聞いてるじゃないか」
「えへへっ♪」
「・・・ご飯」
アセリアがボソリと呟く。
みんなワイワイ言いながら、自分の席に座る。
やがて、ウルカも食堂に入ってきて、全員が揃う。
エスペリアはテキパキと食卓にお皿を並べてゆく。
「はい、ちゃんとみんなの分はありますから、ゆっくり食べて下さいね」
サラダにスープみたいな煮込み料理、それからパンにコーヒーのような飲み物。
このコーヒーのような飲み物は、味は殆ど変わらないのだが、飲み終わった後に、なんだか喉がスッとする。
最初こそ、このハーブのような後味に慣れなかったのだが、毎日飲んでる内に食事には欠かせなくなってしまった。
『ああ、でも似てるのって、これだけじゃないよな』
悠人はふと思った。
『ピーマンそっくりのリクェムと呼ばれる野菜、それ以外にも、ジャガイモやニンジンに似た野菜もあるんだよな』
そんなことを考えている間に、エスペリアが食器に料理を盛りつけていく。
「はい、オルファ。ユート様、器をお貸し下さい」
「あ、さんきゅ」
「うわーい、あつあつだよ〜」
オルファリルが器を持ってはしゃぐ。
沢山の野菜と肉を一緒に煮込んだ、ポトフのような煮込み料理を取ってもらう。
先にとってもらったオルファリルは、熱いのが苦手らしく、フゥフゥと息を吹きかけ冷ましている。
アセリアはパンを小さく千切って口に運び、モグモグと噛んでは飲み下す。
しかもなんか妙に素早い。
ウルカは、ゆっくりとポトフを口にしていた。
「ふむ・・・むぅ・・・」
一方、闘護は何か難しい顔でポトフを見つめている。
「トーゴ様・・・どうしました?何か味付けに問題が・・・?」
闘護の様子にエスペリアが心配そうに尋ねた。
「いや、問題なんてないよ。ただ、どんな味付けをしているかと思ってね」
「あとで作り方をお教えしましょうか?」
「いいのかい?」
「はい」
「じゃあ、頼むよ」
「わかりました」
エスペリアは嬉しそうに答えると、オルファリルから受け取った器にポトフを盛りつけた。
「はい、ユート様」
エスペリアから器を受け取る。
「おお、美味そう」
よく煮込まれた野菜と肉の良い香りがする。
「それじゃ、いただきましょう」
「いっただきまーす!」
悠人が元気よく挨拶をする。
「いただきます!」
「・・・いただきます・・・」
「いただきまーすっ!!」
「いただきます」
闘護、アセリア、オルファリル、そして最後にウルカかも手を合わせて食事が始まる。
来たばかりの頃は、この謎の儀式に戸惑っていたようだが、正体を教えられた後は、妙に感心して自分も行うようになっていた。
『・・・しかし、いただきますという前に食べ始めたりしてたが、本当に意味は通じてるのだろうか?』
アセリア達の様子に、悠人は内心複雑な思いを抱いた。
『まぁ、とりあえず食べよう』
悠人はポトフを口に運んだ。
木製のスプーンは熱々のポトフに入れても熱くならないので、非情に食べやすい。
『非常にシンプルな味の中に、しっかりとしたスパイスと塩の味がする。ホコホコとしたジャガイモ(もどき)もよく煮えている・・・』
「うーむ・・・」
闘護は難しい表情で口に入れたポトフを咀嚼する。
『フォークを突き立ててみると、崩れることなく割れた。この適度な煮え具合が絶妙だ』
闘護はジャガイモもどきひとかけらをスープと一緒にスプーンですくって口に運ぶ。
「うん。うまい」
闘護はゆっくりと頷く。
「ありがとうございます」
エスペリアが嬉しそうに頭を下げた。
「いや、本当に美味しいよ。なぁ、悠人」
「ああ」
『・・・けど、少し味が薄いかな』
闘護に返事しつつ、悠人は思う。
『これは多分、エスペリアの味付けというよりも、こっちの味付け自体が薄いからだろう。初めてこっちでメシを食べたときからそんな気はしてたんだよな。今ではかなり慣れてきたけど、それでももう少し塩味が欲しいや』
「アセリア、ちょっと赤塩を取ってくれないか」
「・・・ん」
アセリアは律儀に口の中の物を飲み下してから返事をする。
ガチャガチャと鎧の音を立てて、塩の瓶を差し出してくる。
ちなみに今取ってもらった赤塩というのは、塩と胡椒がブレンドされた調味料である。
他にも塩と酸っぱい葉の粉末をブレンドした青塩、塩とカレー粉みたいな物をブレンドした黒塩などがある。
それぞれ、サラダにかけたり、このジャガイモ(もどき)にかけて食べると、非常に美味い。
全てエスペリアが独自に調合した物らしい。
「サンキュ」
悠人はパッパッ、とポトフに赤塩をふりかける。
『うん、こんなもんだろう』
悠人はアセリアに瓶を返す。
「ん」
「アセリア殿、申し訳ありませぬが、青塩をお願いします」
「ん・・・」
今度は青塩をウルカに渡す。
その間にもさっきと違うパンを口に放り込み、モグモグやっている。
「すみませぬ、アセリア殿」
「・・・ん」
アセリアは返事をしつつ、食べるのをやめない。
『青塩をポトフにかけてる。ポトフを酸っぱくして食べるとは・・・ウルカ恐るべしという感じだな』
そう思いながら悠人は、少し塩味が強くなったポトフを口に含む。
『これくらいの塩気がちょうどいい気がする。・・・ん、でもジャガイモ(もどき)をもう一口食べると、まだ味が薄い気がしてしまうなぁ。なんでだろう・・・あっ!』
「そうか、醤油がないんだ・・・」
悠人は思い出したように呟いた。
『今気づいたけど、俺はジャガイモに醤油をつけて食べるのが好きだ。その味に慣れて気がつかなかったんだ。そうだよな・・・醤油なんて普通、どこの家庭にもあるもんだからなぁ』
「何か・・・至らない所でもありましたでしょうか・・・?」
悠人の呟きに、エスペリアが心配そうな表情を浮かべた。
「あ、ごめんエスペリア。違うんだ、飯は本当にうまいよ。ただ醤油の味を懐かしく感じてさ」
「醤油か・・・確かに、懐かしいなぁ」
闘護が呟く。
『醤油、味噌、コーラ、それにカップラーメンの味はこの世界にも近い物が見あたらない。無いことが解るとますます恋しくなってくるな。佳織には怒られたがカップラーメンを啜りながらコーラを飲むのは、俺の至福の時だったし』
悠人はかつての味を懐かしむ。
「ねーパパ、“しょおう”って何?」
「違うよオルファ。醤油っていう調味料があったんだよ。俺の世界にさ」
「ふーん。それって美味しいの?」
「うん。凄くしょっぱいんだけど、なんか独特の味があって・・・」
「醤油・・・ユート様の世界の調味料ですか。材料などはおわかりになりますか?」
「材料?うーん・・・そういやあれって何で出来てたんだろ?確か豆か何かだったような・・・闘護、知ってるか?」
「大豆から作られる・・・確か、大豆を発酵させて出来るんじゃなかったっけ?」
闘護は考え込みながら呟く。
「うーん・・・」
考え込む悠人と闘護を見ながら、青塩を元の場所に戻すべく、腕を限界まで伸ばすウルカ。
アセリアはその動きを目で追っている。
「だいず?それはどんな形の物なのでしょう?似てれば味が似てるとは限りませんが・・・」
「えっ、形?そういや大豆ってどんな形してたっけ・・・なんか小さかったような」
悠人は闘護を見る。
「この世界で似たようなのはあったかなぁ・・・」
「小さい豆ですか・・・エスペリア殿。イクザ豆とか、ラスナノ豆の類ではないでしょうか?」
「そうですね。ちょっとお待ち下さい」
ウルカの言葉に頷き、部屋を出てゆくエスペリア。
『・・・しかし驚いた。俺は日常生活の中でどれだけ物を見ていなかったんだろう。言わなければ気がつかなかったな』
悠人はふと、考える。
『前にエーテルコンバータについて、全然解ってなくて使うなんて・・・と思ったことがあったのに。俺もあまり変わらないな・・・人間というのは、何も解ってなくても意外と生きていけるものらしい』
悠人が苦笑していると、珍しくアセリアが話しかけてきた。
「・・・ユート、凄くしょっぱいのが好きなのか?」
アセリアは両手に赤塩と青塩の瓶を持っている。
『ここでただ「好き」と答えたら、俺のポトフがものすごいモノにされてしまう・・・』
「ち、違うよアセリア。醤油はなんか独特の風味があって、なんて言うか・・・懐かしい感じがするというか」
「・・・“しょうゆ”をかけると懐かしくなるのか?」
アセリアは首を傾げた。
「ふむ・・・それは興味深いです。ユート殿は少々変わったものが好み、ということでしょうか」
「パパ変なの・・・?」
三人とも、醤油を知らないのでイマイチ悠人の気持ちを理解できないでいる。
『あーもう、なんて説明したらいいんだ〜!』
悠人は難しい表情で考え込む。
「そうじゃないよ。故郷の味を懐かしんでるんだ」
困っている悠人に、闘護が助け船を出す。
「醤油は俺達の国ではよく使われる調味料だからね。一番馴染みのある味なんだけど・・・こっちの世界では似たような味がないからさ」
「・・・」
「ふーん・・・」
「成る程・・・」
三人とも納得したのか、小さく頷く。
その時、エスペリアがトレイに何か乗せて戻ってきてくれた。
「お待たせしました。こっちがイクザ豆で、こちらがラスナノ豆です」
「あ、これオルファ知ってるよ!甘くして煮るんだよね。オルファ、これ好き〜」
「ハイハイ、後で作ってあげますね」
オルファリルがつまみ上げたのはラスナノ豆と説明された、茶色とも黒ともつかない小さな豆だった。
「確かに醤油っぽい色だけど・・・どうだろ?」
悠人が闘護に意見を求めた。
「違うな、多分。大豆はもっと白っぽい」
「甘くするとか言ってるし、正月とかに出てくる黒豆って奴なんじゃないだろうか?」
「うーん・・・そうかもな」
「イクザ豆は・・・」
「小豆だな」
「うん。これは違うだろう」
他にも色々な種類の豆がトレイには載っていたが、大豆らしい物はなかった。
「うーん・・・似てるけどなぁ」
闘護は難しい表情で首を振る。
「ごめんエスペリア。これ、多分違うよ」
悠人の言葉に、エスペリアは慌てて首を振った。
「そんな・・・謝らないで下さい。私も興味があったものですから」
「たとえ材料が解っても作り方も解らないんだよ。佳織なら何か知ってるかも知れないけど・・・」
「佳織ちゃんでも知ってるかなぁ・・・」
「そうですか・・・わかりました。今度にいたしましょう」
エスペリアは残念そうに言った。
「・・・申し訳ありませぬ、ユート殿」
ウルカは責任を感じたように頭を下げる。
『・・・しまった!今のじゃ責めてるみたいじゃないか!ウルカが悪い訳じゃないってのに・・・』
「ごめんウルカ!そんなつもりじゃなかったんだ・・・」
悠人は慌てて頭を下げる。
「・・・ユート殿はお優しいです。この国のスピリット隊の顔つきが違う理由がよく解ります」
「顔つき・・・ですか?」
エスペリアが尋ねた。
「ここのスピリットは表情が豊かです。サーギオスにいた頃は気軽に仲間と言葉を交わすことも許されなかった」
ウルカはスプーンを起き、隣にいるオルファリルの頭を優しく撫でる。
だが、オルファリルはポトフを食べるのに夢中で気がつかない。
それを見て、ウルカはますます愛おしそうに目を細めた。
初めて戦ったときには恐ろしいと感じたウルカが、こうして優しい表情で微笑んでいる。
『彼女からこの笑顔を奪ったのは人間だ』
『何の権利があって、スピリットの心を踏みにじるんだ』
悠人と闘護はスピリット達を道具のように考え、虐げている人々に対して一瞬怒りを感じた。
『いつか彼女たちが自由になるときは来るのだろうか・・・』
『心から笑うことが出来る世界・・・夢なのかな・・・』
そして同時に、二人は哀しみを感じる。
「こらっ、オルファ!ダメですよ」
「うぅ〜〜・・・」
ふと二人が気付くと、オルファリルがエスペリアから注意を受けていた。
どうやらさっきから緑色の野菜を隅に追いやっていた所が見つかってしまったらしい。
「ダメですよ、オルファ。リクェムもちゃんと残さずに食べなさい」
「だってぇ〜・・・美味しくないんだもん・・・リクェムって」
先程から会話に出てきているリクェムとは、一言で言うならばピーマンの強力版である。
悠人達の世界のピーマンよりも、更に苦みや風味がキツイ。
悠人にとって、拷問道具にも等しかった。
『オルファリルにしても、やはり苦い所がキツイんだろうな』
エスペリアは困った顔でため息をついた。
「ちゃんと栄養を考えて作ってあるんですよ?リクェムには大切な栄養があるんですから」
「でもでも、パパも残してるもん・・・」
「うっ・・・」
悠人は思わずぎくりとする。
オルファリルは悠人の皿の上に残ったリクェムを見つめる。
当然、悠人もこのリクェムという野菜が苦手だ。
『ピーマンそっくり・・・いや、それ以上なんだもんなぁ・・・エスペリアには見えない角度の所に追いやっていたのだが、まさかオルファに暴露されるとは・・・』
「んもうっ、ユート様まで〜」
「あ、いや、これは、その・・・ごめん」
珍しくエスペリアがむくれている。
とばっちりを受けるのがいやなのか、闘護とアセリアとウルカは黙々と食べ続けていた。
「いいですか?リクェムは風邪を引きにくくする成分があるんですよ?」
どこかで聞いたようなことを語り出すエスペリア。
オルファリルと悠人にリクェム談義を聞かせるつもりだろう。
こんなのが一回始まったら、長くなることを悠人は理解していたので、話を逸らすために自分から話しかけた。
「俺の世界にさ、これとそっくりの野菜があったんだよ。ピーマンって奴」
「あら、そうなんですか」
エスペリアが悠人の話に食いつく。
「やっぱりニガいの〜?」
「苦い苦い!リクェムに味も色もそっくりだよ。嫌になるくらいさ」
「・・・ぴぃまん・・・りくぇむ」
アセリアは“ぴぃまん”という単語が気に入ったのか、何度も繰り返す。
繰り返すたびにリクェムの欠片をフォークで刺して口に運ぶ。
『・・・うぇ・・・見ているだけであの味が思い出されてきた』
「俺、ピーマンが小さい頃からホントに苦手でさ・・・わりぃ」
悠人はすがるような視線でエスペリアを見た。
『泣き落としか・・・ま、良い方法かも』
その様子を見ながら闘護は小さくため息をついた。
エスペリアは少し困ったような顔になっている。
『よし!あと一押しでリクェムが回避できるかも知れない!』
「味がダメなんだよ・・・本当に。ゴメン、エスペリア」
「うん。ホント〜にダメなの。オルファも♪」
悠人の言い訳をオルファリルが真似をする。
ジロリとオルファリルの方を見るエスペリア。
「オルファは育ち盛りなんですよ!しっかり食べないと大きくなれませんよ。食べなさい!」
「ふえぇぇ〜・・・」
「それにユート様」
「あ、はい!」
悠人は慌てて返事をする。
『無表情で真っ直ぐ見つめられるのがこんなに居心地悪いとは。なんかイヤな予感がする』
悠人のこめかみに冷や汗が浮かんだ。
「ちょうどいい機会です。この際、好き嫌いをなくして頂きましょう」
「あ、ははは・・・はぁ・・・」
「う〜・・・ホントに食べなきゃ駄目なのぉ〜?」
「ユート殿・・・それに、オルファ殿」
自分のポトフを綺麗に食べ終わったウルカが口を開く。
ちゃんとリクェムも残さずに食べている。
「食べられるときに、しっかりと食べる。それもまた、戦士としての義務でありましょう」
うんうん、と一人で頷くウルカ。
「確かにそれは一理ある・・・」
「闘護ぉ・・・」
悠人はすがるように闘護を見た。
「生で食べる訳じゃないんだ。大丈夫だって」
「だって・・なぁ」
「でもでもぉ〜・・・」
悠人とオルファリルは困った表情で顔を見合わせる。
「ほらっ、アセリアだってしっかり食べているんですから」
「・・・ん、ぅん?」
アセリアは二杯目のポトフにパンを付け、リクェムと一緒に口に運んでいた所だった。
突然名前を呼ばれて、ピクッとしている。
「なぁ、アセリア・・・」
「・・・なんだ?」
「お前、食べ物の好き嫌いとかあるのか?」
「ない」
見事に即答するアセリア。
悠人の顔を見ながら、スープを啜る。
「・・・そうだよな、そんな気がする」
「なにか・・・いけないか?」
「いや、違うよ。それ自体は良いことだ」
「そうか」
アセリアはそう言って、再び食事を進める。
『仕方ない、ここでグダグダ言った所でエスペリアが勘弁してくれるわけがない』
悠人は覚悟を決めて、リクェムの固まりをスプーンですくった。
『うぅ、前にもこんな事があったなぁ・・・あの時も押し切られて食べる羽目になった。俺って押しに弱いのだろうか・・・』
「パパァ・・・」
悠人は泣きそうな顔で、心配してくれるオルファリルの頭をクシャリと撫でる。
『よく考えたら別に死ぬ訳じゃないんだ。どうせだからよくかみ砕いてやろう』
「南無三!」
口に放り込み、やけになったようにかみ砕く。
『くっ・・・この味が・・・っって、あれ?・・・確かに苦いことは苦い。しかし、スパイスの効いたスープと一緒に広がった味は、決して嫌な感じじゃなかった。いや、むしろ美味い!』
悠人ははそのまま平気で飲み下してしまった。
「・・・あれ?俺、リクェム・・・食べられるぞ?」
「えぇ〜!」
オルファリルは目を見開くが、悠人も自分自身で驚いている。
『想像していた味自体は変わっていないのに。なのに・・・どうして嫌に感じないんだろう?いや、それどころか─』
「なんだか・・・美味しい。あれ?なんで?」
「なんで、なんでぇ〜?」
オルファリルが困惑の表情で悠人の顔を見つめてくる。
『なんか俺も混乱してきた』
悠人は、今度は他の物と一緒にスプーンですくって食べてみる。
『他の野菜や肉の味がリクェムの苦みによって引き立って、これも凄く美味しい。まさか、舌が変になったってんじゃないよな』
気がつくと、悠人はより分けていたはずのリクェムを、全て食べ終わっていた。
「・・・はい、お疲れ様でした」
エスペリアはニコリと笑った。
「やばい、凄い美味い・・・」
「ふふ、元々リクェムは美味しいのですよ。この苦みが他の味を感じやすくしてくれますし」
「うん、まさにそんな感じだよ。なんでだろ・・・」
悠人はあっという間に二杯目を平らげる。
「パパ・・・美味しそうだね」
悠人が勢いよく食べている姿を見て、オルファリルも興味を持ったらしい。
さっきまでは触ろうともしなかったリクェムを、フォークで突っついている。
「おう、美味いぞオルファ。ためしに食べてみろよ」
「うーん・・・オルファも食べてみようかな・・・」
「ガブッといけ、ガブッと!」
恐る恐るといった感じでリクェムを口に運ぶオルファリル。
口に近づけた所で、目をつぶり一気に放り込む。
「はむぅっ!」
『あ、ちょっと可愛い・・かも』
オルファリルの食べ方を見て、悠人は考えた。
ムグムグムグ・・・
目をつぶって何かに耐えるようにかみ砕くオルファリル。
恐る恐る目を開け、怪訝そうな顔をする。
「どうだオルファ?改めて食べてみると、結構美味かったりしないか?」
「・・・んぅん、やっぱりちょっと苦いけど・・・」
・・・ゴクン。
めでたくオルファリルもしっかり飲み下すことが出来た。
「苦いけど、おいし〜よ!パパの言う通りだったよ〜」
「だろ?だろ?おっかしいよなぁ」
「おかしい〜・・・でも、おいし〜♪」
悠人とオルファリルは一気にポトフを平らげてしまう。
『こんなに美味しいものとは・・・もう一杯だけ食べよう』
オルファリルもつられるようにお代わりして、一心不乱に食べている。
「ふぅ、うまかった〜。ごちそうさま」
「ごちそうさまぁ〜♪」
『うぅ・・・もう腹が一杯だ。普段なら二杯くらいしかいかないのに、今日はやけに沢山食べてしまった』
悠人は満腹の腹を叩いた。
「二人とも偉いですよ。でも、これからも好き嫌いはしちゃダメですからね」
「はーい」
「オルファ、もうリクェム残さないよ〜」
二人の返事を聞いて、ニッコリ微笑むエスペリア。
オルファリルもつられてニッコリ笑い、悠人に向かって小さな掌を伸ばしてきた。
悠人もニカッと笑う。
オルファリルの手に、自分の掌を軽く打ち付けた。
「やったぁ〜♪」
「おうっ!」
「凄いな」
闘護が心底感心したように呟く。
「よく食べられました。オルファ殿、偉いです」
「えへへっ・・・」
食事を終えたウルカがオルファリルの頭をクシャクシャと撫でる。
目を細めて、嬉しそうにするオルファリル。
それを見ていた悠人も自然と笑みがこぼれる。
『いいかもしれないな、こういうの』
「・・・んっ?」
『後ろから頭がクシャクシャにされる。というかこれは、撫でるというよりも、掻きむしられているような・・・って、こんな事をするのはアイツしかいない』
「・・・何してるんだ、アセリア?」
悠人が振り向くと、予想通りアセリアが立っていた。
「・・・ユート、偉い」
「は?」
「・・・よく食べた」
いつも通り、無表情なままなのでよく解らないが、何となく上機嫌みたいだ。
『・・・どうでもいいが、頭をグシャグシャにするのは止めてもらいたいんだけど・・・』
「あ、アセリア・・・あのなぁ」
みんなが悠人の方をジーッと見ている。
すると、悠人は何となく照れくさくなってきた。
恥ずかしくなった悠人は少しむくれた顔になっていた。
「うふふ・・・よかったですね、ユート様」
「何だよ、エスペリアまでさ」
クスクスと笑うエスペリア。
「ハハハ」
闘護が愉快そうに笑う。
ウルカも、口元を手で押さえて震えていた。
『・・・!ウルカが笑いを堪えている』
珍しいやら情けないやらで、悠人も何となく笑い出してしまった。
「あははっ、良かったねパパ!!オルファも撫でたげる〜♪」
アセリアに続いて、オルファリルも悠人の頭をグシャグシャにしてゆく。
『あー・・・もうどうにでもしてくれ』
「・・・ぷっ・・・くくっ」
堪えきれずに吹き出すウルカ。
エスペリアは未だにクスクス笑っており、後の二人は悠人の頭に夢中だ。
『なんだんだよ、全く・・・まぁ、いいけど』
ふくれっ面を浮かべながらも、それほど嫌な気はしない悠人だった。
─聖ヨト暦332年 ホーコの月 青 五つの日 朝
ラキオス城下町
「これで全部か」
悠人はメモと買い物袋の中身を見比べる。
エスペリアに頼まれた物は全部揃ったようだった。
レスティーナのお陰で、悠人達も現金が持てるようになった。
それでも館の人数分の買い物となると時間がかかる。
「今日の夕食は何なんだろうな」
エスペリアが家事の達人であることは疑いなく、悠人は安心して夕食の時間を待つことが出来る。
「さて、さっさと帰・・・」
「あ〜〜〜!!!」
「うわっ!?」
突然の大声に驚いてしまう。
声のした方を悠人が見ると、子供が一人こっちへ走ってきていた。
「なんだ・・・?」
「兄ちゃん、神剣の勇者様なんだろっ!!」
「は・・・?」
『勇者・・・?誰が?』
目の前まで来た子供に話しかけられ、悠人は面食らう。
「すげぇーっ、すげぇーっ!」
「えっと・・・君は、何なんだ?」
「すげぇーっ。本物だ、すげぇーっ!!」
「は・・・話、聞いてないな・・・」
『遠巻きの視線が冷たい。それに対して、この子供からの視線は熱い。一体何なんだろう・・・?』
困惑する悠人に構わず、熱い視線を送る子供。
「俺、絶対強くなりたいんだ!」
子供は真っ直ぐ悠人を見て言った。
「一番強くなって、父ちゃんも母ちゃんも、それから妹も守るんだ!」
瞳にあるのは、純粋でひたすらに真っ直ぐな想い。
子供らしい正義感と笑うのは簡単だが、悠人には出来なかった。
「へぇ・・・妹がいるのか」
「ああっ、まだちっちゃいから、絶対オレが守るんだ」
子供はどこか誇らしげだった。
それが悠人の目には眩しく映る。
「・・・大切にしないとな」
そう言うと、子供は当然とばかりに頷く。
『同じ・・・何だな。この世界に住む人も家族は大事で、その為に強くなろうとして・・・』
悠人は佳織のことを脳裏に浮かべた。
『目の前の子供に、俺の過去が重なる。この子供も、もしも自分しか家族を守れなくなったら、きっと全力で戦うんだ・・・』
「でさ!オレ、どうしても強くなりたいんだ。どうすればいい?」
「あ〜、俺もあまり強くないからなぁ」
「そんなの嘘だ!オレ、勇者様が敵を倒すの何度も見たんだ!!勇者様は絶対に強いよ!!」
子供の目は一片の疑いも持っていない。
完全に悠人を信用している。
「本当だって。俺はただ・・・剣が強いってだけなんだから」
「え〜。じゃあ、オレ誰に聞けばいいんだよ?」
「そうだな・・・」
悠人は目を閉じて思い出す。
自分はどうしていたかを。
「・・・自分に出来ることを探すんだ」
「できることってなんだよ?」
「そこは自分で考えるのさ。じゃないと意味がないだろう?」
『子供には少し難しいかもしれない。だけど、簡単には守れないんだ』
悠人は真剣な眼差しで子供を見つめる。
「むぅ〜〜〜」
数秒間、うなり声を上げ続ける子供。
だが、結局すぐに笑顔になって、悠人を見上げた。
「よくわかんないけど、いいや。やってみる!勇者様、じゃあな〜」
子供は手を振って走り去っていった。
と、途中で動きを止めて振り返る。
「それからっ、いつもありがとう〜〜!!」
ペコリと小さく頭を下げ、今度こそ見えなくなる。
悠人は呆然とそれを見送った。
「ありがとう・・・か」
子供だからこその言葉。
だが、悠人は胸の中が暖かくなるような気がした。
『戦争が長引けば、ああいう子供も・・・』
悠人は拳を握りしめる。
『家族を守りたい。そう言っていたけど、そんな場面が来ない方がいいはずだ。俺一人で、何とか出来るものでもないけど・・・』
モヤモヤする心を抑え、悠人は館へと戻った。