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─聖ヨト歴331年 スフの月 赤 二つの日 昼
 闘護の部屋

 既に、マロリガンから宣戦は布告された。
 エーテル変換施設の調整、スピリット達の訓練、各地のマナの残量確認など、ラキオス全土がにわかに慌ただしくなる。
 現在、大陸の北東部はラキオスの支配下にある。
 旧来の地域からも、新たに占領した地域からも、共に大きな不満は出ていない。
 それは、この世界の戦争形態─人は戦わないことが原因である。
 血を流し、戦うのはスピリット達。
 税や新たに課せられる義務がない限り、人々にとって誰が統治者であっても構わないのだ。
 勝って得られるのは、より便利な生活。
 負けたとしても、失う物はほとんど無い。
 戦争とは、リスクの少ないギャンブルでしかなかった。
 闘護は、そのような戦いを軽蔑していた。
 しかし、それでも戦いが始まる以上、どう戦うかを考えなくてはならなかった。

 「ふむ・・・」
 『ダスカトロン大砂漠を抜けるにはヘリヤの道以外は方法がない、か・・・しかし、砂漠の行軍はかなり辛いだろうな・・・』
 地図を睨みながら闘護は難しい表情を浮かべる。
 『補給はランサからのみ・・・』
 「さて・・・どう編成するのがベストか・・・」
 コンコン
 「ん?誰だい?」
 「ヒミカです」
 「どうぞ」
 ガチャリ
 「失礼します」
 「どうした?まだ昼飯には早いだろ」
 「レスティーナ様がトーゴ様をお呼びです」
 「レスティーナが?」
 闘護は眉をひそめた。
 「さて・・・何か用事か?」
 「詳しくは聞いておりませんが・・・お客様が来たとか」
 「お客・・・」
 「急いでくるようにとのことです」
 「・・・わかった」
 闘護は頷くと地図をしまった。


─同日、昼前
 謁見の間

 「スピリット隊副長、神坂闘護。推参した」
 闘護は玉座の前で頭を下げた。
 「よく来てくれました」
 「それで、客が来ているということだが・・・」
 闘護はチラリと脇を見た。
 「・・・」
 そこには、見慣れない人物が物静かに立っている。
 真っ白な髪に赤い瞳、永遠神剣らしき剣を持つその人物─女性は闘護の視線に気づくと頭を下げた。
 闘護も頭を下げて挨拶を返すと、レスティーナに視線で彼女が何者か尋ねた。
 「ユートが来たら教えます。暫くお待ちなさい」
 「了解した」
 レスティーナの言葉に、闘護は頷いた。


─同日、昼
 悠人の部屋

 「また、戦いか・・・」
 『人の血が流れない戦争・・・か』
 悠人もまた、闘護と同様に疑問を感じていた。
 「・・・スピリットを何人も殺してまで戦う理由なんて、オレにあるのか?」
 右手を眼前にかざす。
 指の隙間から、椅子に立てかけてある【求め】が見えた。
 『・・・だけど、佳織を助けるためなんだ!他に方法がない以上、間違いだと知りつつスピリット達と戦うしかないんだ!!』
 強く拳を握りしめる。
 ウルカにさらわれるときの佳織の泣き顔がちらついた。
 「!!」
 悠人は、心が急速に冷えるのを感じた。
 『なめるなよ、瞬・・・!!』
 ウルカの向こうで、操っているであろう者を思い浮かべる。
 『マロリガンとの戦争でも手を出してくるかも知れない・・・だが、今までのようにはさせない』
 強く、強く拳を握る。
 『今の俺には力がある。いくつもの作戦を成功させることだって出来た。そっちがその気なら、俺だって・・・とことんまで戦ってやる。いつか、佳織を助け出すその日まで!!』
 唇を噛み締める。
 「瞬にも・・・報いを受けさせてやる」
 『お前にも・・・お前と一緒に戦うスピリットにも・・・!必ず・・・殺し・・・』
 コンコン
 乾いたノックの音に我に返る。
 「・・あっ、はい!」
 「ユート様、お時間よろしいでしょうか?」
 ノックの主はエスペリアだった。
 「どうぞ」
 椅子についたまま、扉の外のエスペリアに返事する。
 ガチャリ
 ノブが回る音がする。
 『そういえば・・・俺、服を着替えたっけ?』
 それを聞きながら、ふと、自分の格好を思い出した。
 「あ、っと。っとっと・・・」
 Tシャツにトランクス一丁。
 「ちょっ、ちょっと待ったっ!!」
 「え?・・・あ、はい!」
 慌ててズボンを引っ張り出し、片足を突っ込む。
 『急げ急げ!!』
 だが、慌てすぎたせいか、もう片足を差し込もうとした瞬間に、裾を踏んづけてバランスを崩してしまう。
 「うわぁ・・・っと、た、た、とと・・・」
 ガタンッ!!
 派手な音が響き渡った。
 「っつぅ・・」
 「きゃっ・・・ユ、ユート様?ど、どうしましたか!?」
 扉からエスペリアが躍り込んでくる。
 「・・・いや、その、大丈夫。ちょっと転んだだけだから」
 悠人は転んだ状態で、間抜けな挨拶をする。
 「お怪我はありませんか?何処か痛いところは・・・ユ、ユート様!血が・・・」
 エスペリアは変な格好になっている悠人の横に座ると、膝に出来た擦り傷を確認する。
 大したことがないのに胸をなで下ろし、傷口をハンカチで拭おうとして、はたと動きを止める。
 心なしか、顔が赤い。
 「消毒しないと・・・ユート様、ご無礼お許し下さいませ」
 小さく謝ると、傷口に顔を寄せていった。
 「・・・ちゅ・・・ぴちゅ」
 至近距離にあるエスペリアの頭から、フワリとハーブのような香りがする。
 『なんか、見ちゃいけないような・・・』
 悠人はチロチロと動く赤い舌から目を背けた。
 『な・・・なんか、凄くドキドキする・・・』
 悠人は思わず、以前してもらったときのことを考えてしまった。
 『や、ヤバイ・・・下半身の血流が・・・違うことを考えろ!!』

 「・・・ちる・・・ぷはぁ」
 エスペリアはゆっくりと舌を離す。
 『痛みはないな・・・頭の隅にジンとした甘い痺れがあるけど・・・これは忘れた方がいいか』
 悠人は小さく首を振った。
 「失礼しました。簡単な消毒です。後でちゃんと薬をお塗りします」
 少しだけ顔を上気し、吐息もかすかに荒い。
 煩悩をより強く刺激されて、鼓動が異常な速さになった。
 「・・・え・・・その・・・」
 何となく気まずい雰囲気が二人の間に広がる。
 「・・・ま、まいったなぁ・・・」
 悠人は頭を掻いて呟く。
 その時
 バターン!!
 「おっそ〜〜〜〜い!パパ、エスペリアお姉ちゃん・・・って、あれ?二人ともど〜したの?」
 喧噪と共に飛び込んできたのはオルファリルだった。
 二人の奇妙な姿。
 中途半端にパンツを露出している悠人と、その前に跪き、顔を赤くしているエスペリア。
 「ねぇねぇねぇ、パパ達。何してるの?」
 無邪気に問うオルファリル。
 そのお陰で、二人は自分たちの行為を改めて自覚させられた。
 「な、なんでもない。ただ俺が転んだだけなんだ!別にそれ以上のことは何にも」
 「そうそうそうそう!何でもありませんオルファ。ユート様のお怪我がお膝したので、手当を・・・」
 「どうして二人とも、そんなに慌ててるの?」
 オルファリルは不思議そうな顔で二人を見る。
 「慌ててなんて無いって。ほら、オルファ。下に行こうぜ」
 「パパ〜、おズボン履いた方がいいと思うよ」
 オルファリルが苦笑しながら言う。
 「ズボン・・・?」
 悠人はオルファリルの視線を追ってみる。
 そして、足に絡まったままのズボンを発見した。
 「あ、うん。その通りだな。ははは」
 悠人は乾いた笑いをする。
 「えっと・・・二人とも、ちょっと外出てくれるか?」
 「え〜!?パパ、オルファは別に気にしないよ」
 「俺が気にするの!ほらほら、出た出た」
 「ぷ〜〜」
 「さ、さぁ、オルファ。ユート様も、ああ仰っているのですから。さ、早く」
 エスペリアが急かすが、オルファリルは不満げに頬をふくらませる。
 「ずるいよぉ。オルファもパパのお着替え見たいのに」
 「い、いいから!!」
 真っ赤な顔のエスペリアに引きずられてゆくオルファリル。
 ドアが閉まって静寂が訪れる。
 「なんだったんだ・・・じゃない。着替えないと・・・」
 悠人は少し呆けた頭を振ると、ゆっくりとズボンを履き直す。
 身支度を整えて、【求め】を手に取る。
 『戦うしかない。佳織のためにも・・・俺のためにも』


─同日、昼
 第一詰め所、食堂

 「それで、さっきの用って何?」
 キチンと身支度を整えた上で、リビングにやってきた。
 そこではエスペリアとオルファリルが待っている。
 エスペリアは悠人と目を合わせようとしない。
 視線が合うと、顔を赤らめて背けてしまう。
 『うう、気まずい・・・』
 悠人は頬をポリポリと掻いた。
 「そうそう!パパにお客さんなんだよ♪」
 オルファリルが、全く場の空気を読まずに口を開く。
 「スピリットのお姉ちゃん!!」
 「スピリットの客?」
 ウンウン、とオルファリルは頷く。
 『誰だ・・・見当もつかない。警戒した方がいいかな?』
 悠人は考える。
 『スピリットの知り合いなんて、アセリア達以外にいないしなぁ・・・罠か・・・それとも、何処かで俺のことを聞いてきたのか?それはわからないが・・・結局の所、会うしかないか』
 「それで、その客ってどこに?」
 「ええとね。王女様のとこ!」
 「オルファ!王女様じゃありません。女王陛下です」
 オルファリルの言葉に、エスペリアが訂正する。
 「え〜!?なんか言いにくいんだもん。王女様は別に気にしてないよ?」
 「そうもいきません。せめて、ちゃんと女王様って言いなさい」
 「う〜ん・・・わかったぁ!じょおうさま、じょおうさま・・・」
 オルファリルは数度“じょおうさま”を繰り返すと、ニコリと笑った。
 「了解だよ」
 「じゃ、客って今、謁見の間にいるのか?」
 「はい。ユート様とトーゴ様だけ、とのことでした」
 「俺と闘護だけ?」
 ますますわからなくなる。
 でも、レスティーナが直接会っているくらいなら、危険は少ないのかも知れない。
 「わかった、ちょっと行ってくるよ」
 「いってらっしゃいませ」
 「いってらっしゃい♪」


─同日、昼
 謁見の間

 悠人が来たのは、闘護が来てから三十分ほど経ってからだった。

 「ユート。遅いでしょう。館からどれくらいの距離があるというのですか?客人を待たせるなどと」
 「ったく・・・」
 レスティーナは叱責し、闘護は呆れたようにため息をつく。
 「わ、悪い」
 悠人は慌てて頭を下げる。
 「お気になさらず。突然の訪問をしたのは私の方なのです」
 その声は、見慣れない女性のものだった。
 『なんだ・・・どことなく、これまでに出会った女性達とは少し雰囲気が違う。この違和感は・・・?』
 悠人は眉をひそめた。
 『神剣を持ち、間違いなくスピリットであることはわかるけど、何でこんなにも気配が何か違うんだ?それにこの髪の色・・・』
 悠人はスピリットの様子を観察する。
 『瞳は赤いけど、赤スピリットって訳でもなさそうだし・・・』
 「なぁ、闘護。彼女は?」
 悠人は小さな声で闘護に尋ねた。
 「さぁ。お前が来たら教えてくれるってレスティーナが言ったんだけど・・・」
 そう答えて、レスティーナに視線を向けた。
 「この方は、ある方の使者として、このラキオスに参られたのです」
 レスティーナはゆっくりと言った。
 『随分と丁寧な態度だ。スピリットに肩入れすることが、人を軽視すると思いこんでいる阿呆が多い中、レスティーナはスピリットを蔑視しないが・・・それにしても不自然だな』
 『レスティーナはスピリットだからって軽視するような人間じゃない。だけど、それでもこんな態度を取るのは珍しい・・・というより、絶対にないよなぁ』
 闘護と悠人は、レスティーナの態度に首を傾げた。
 「ラキオスのエトランジェ、【求め】のユート様。ストレンジャー、トーゴ様。初めまして。私はイオ。スピリットです。出会えたことを、マナの導きに感謝します」
 イオと名乗るスピリットは深々と頭を下げる。
 「顔を上げて下さい。えーと、ラキオスのエトランジェ、悠人です。よろしく」
 悠人も、最大限、丁寧になるよう気をつけながら礼を返す。
 「ストレンジャー、神坂闘護です」
 闘護も深々と頭を下げた。
 『でも・・・何だろう、この気配は?アセリア達とは根本的に何かが違う』
 悠人は首を傾げた。
 「私がラキオスにやってきたのでは他でもありません」
 イオはゆっくりと話し始めた。
 「主からの伝言を持って参りました。ラキオスの若き聡明な女王レスティーナ様と、エトランジェ、【求め】のユート様、そしてストレンジャー、トーゴ様に、と」
 イオは厳重に封のされた書簡を差し出す。
 「あれは・・・」
 「帝国の紋章だな」
 悠人の呟きに、闘護が答えた。
 封印に施された三首蛇の紋章。
 『確か、エスペリアから聞いたことがある。あれは、聖ヨト王国時代の反乱軍の紋章なのだと』
 悠人は思い出す。
 ちなみに三首蛇とは、龍の爪痕とは対極に位置するという、静寂の海の守り神である。
 『帝国の使者・・・には見えないな。レスティーナの態度も、奇妙だ』
 闘護は訝しげにイオとレスティーナのやりとりを見る。
 「預からせて頂きます」
 レスティーナは懐からナイフを取り出し、封印を切り破って中に目を通す。
 「一体、何が書かれているんだ?」
 「さぁ・・・」
 悠人の問いに、闘護は肩を竦めた。
 レスティーナはゆっくりと丁寧に、一文ずつ目で追っている。
 時折、目の動きが止まり、険しい目をする。
 誰も何も喋らない・・・無言の時が流れた。
 「・・・」
 何度も黙読していた目が動きを止める。
 レスティーナは顔を上げると、ため息を一つ漏らした。
 「・・・火を」
 レスティーナから手渡された手紙を、側近が金属製のお盆のような者に乗せ、火をつける。
 手紙が燃え尽きたことを確認してから、レスティーナは再びイオに向き直った。
 「わかりました、イオ殿。すぐに使者を出しましょう。マロリガンとの開戦も近い。猶予はありません」
 「ありがとうございます。主人も喜ぶでしょう。案内役を務めさせて頂きます」
 イオは頭を下げた。
 『一体、どんな話が進んでいるんだろう・・・』
 悠人は考える。
 「ちょっと待ってくれ」
 闘護が挙手した。
 「何ですか?」
 「彼女は帝国の使者じゃないのか?さっきの書簡には帝国の紋章があったが・・・」
 闘護の問いに、レスティーナは首を振った。
 「違います」
 そのはっきりとした口調に、闘護は小さく頷いた。
 『この様子なら大丈夫か・・・』
 「わかった」
 「ユート、トーゴ」
 「あ、はいっ!」
 突然の呼びかけに、悠人は反応をしてしまう。
 「・・・」
 闘護は慌てた様子もなくレスティーナを見た。
 「エトランジェ、【求め】のユート、ストレンジャー、トーゴの両名に命令を下す。イオ殿と共に、ラキオスの使者として、この書簡を届けるように。エスペリアを伴うがよい」
 レスティーナは書簡を側近に用意させる。
 「すぐの出発となる。急ぎの城門まで。ユート達が帰還するまでは、持ちこたえよう」
 レスティーナの態度を察するに、かなり重要な指令のようだ。
 「はっ!急ぎエスペリアと共に任務に就きます」
 悠人は間髪入れず返事をした。
 「了解した」
 闘護も頷く。
 「良い。準備は早急に」
 レスティーナは頷く。
 「向かうべき場所は、マロリガン共和国領北部の自治区周辺。隠密行動となる。心するように。これからの戦いにおいて、とても重要なことになる。失敗は許されない。よいな?」
 二人は頭を下げると、急ぎスピリットの館へと走った。


─聖ヨト歴331年 スフの月 赤 三つの日 早朝
 第一詰め所、食堂

 出立の朝。
 悠人とエスペリアは旅支度の最後の確認をしていた。
 人目を避けるため、街に寄ることは出来ない。
 旅という経験がない悠人には、全てが新鮮に感じた。
 あれもこれもと、必要そうな物を集めていくと、たちまち大荷物になってしまう。
 『エスペリアの助言で随分減らしたつもりだけど・・・まだまだ多いのか』
 優先度の低い物を切り捨て、どうにか旅に出られる状態になる。
 「さて、こんなもんかな。エスペリアの準備は整った?」
 「はい。長旅になるそうなので。少し多めに準備しました」
 とはいうものの、悠人よりもよほど小さくまとまっている。
 『・・・結局、無駄が多すぎるって事か』
 「それで行ってまいります。二人とも、頼みますね」
 悠人達は、留守番となるアセリアやオルファを見る。
 この旅の間に、敵が強襲をかけてきたとしても、悠人達は知ることすら出来ない。
 「・・・ん」
 「任せて♪オルファが頑張っちゃうんだから!『ないじゅのこう』ってやつだよね!」
 意味も言葉も微妙に違う日本語を使うオルファリル。
 「い、いや、オルファ、それな・・・」
 説明しようと思ったが、満面の笑みを浮かべているオルファリルを見ると、つい笑顔を返してしまった。
 「えへへ〜、きにしな〜〜〜い。行ってらっしゃい、パパ!エスペリアお姉ちゃん!」
 「・・・(コクリ)」
 アセリアも少しだけ微笑んで頷く。
 悠人がラキオスを離れる間、スピリットの指揮はレスティーナが直接行うことになる。
 イオというスピリットの主人は、そんなリスクを背負ってまで会う意味のある人物なのだろうか?
 『ソーンリーム台地の近く・・・か。あのレスティーナが、わざわざ特命としていかせるくらいだ。意味がないということはあり得ないはずだけど・・・』
 「・・・それじゃ、行こう」
 荷物を肩に掛け、アセリア達に見送られながら、悠人達は館を後にした。


─同日、早朝
 第二詰め所、食堂

 食堂には、準備を終えた闘護を見送ろうと、セリアとヒミカが居た。

 「ま、こんなもんだろう」
 闘護はテーブルの上に置かれたバッグの中をのぞき込みながら言った。
 「トーゴ様、随分荷物が少なそうですが・・・」
 ヒミカがバッグを見ながら呟いた。
 闘護のバッグは、ピクニックに行く時に使う程度の小さい物だった。
 「必要最低限の物しか持っていかないからね」
 「何が入ってるんですか?」
 「着替え数着、水筒、ロウソク、ロープ・・・後は小物を少し」
 「それだけですか?」
 セリアは目を丸くした。
 「鍋の類はエスペリアが用意してくれる。彼女が用意した荷物を持つことになるから、こっちはこれだけで十分だよ」
 そう言って、闘護はバッグを担いだ。
 「それじゃあ行ってくる。暫くの間、ラキオスを頼むよ」
 【はいっ!!】


─同日、早朝
 ラキオス王、城門前

 「それでは参りましょう。皆様、準備はよろしいですね」
 イオは悠人達を見た。
 「ああ」
 「はい」
 闘護とエスペリアが答える。
 「出来るだけ急ごう。あまり長い時間、城を開けたくないからな・・・」
 悠人は少し不安そうに呟いた。
 レスティーナもエスペリアも闘護も、それは同じだろう。
 悠人達に出来ることは、急いで任務をこなし、出来る限り早く戻ってくることだけだった。
 「よろしく頼むよ・・・えっと、イオ」
 「行きましょう」
 悠人の言葉に、イオは頷いた。


─聖ヨト歴331年 スフの月 緑 三つの日 夜
 ダスカトロン大砂漠北部

 悠人達がラキオスを出て、既に5日の時が過ぎた
 幸いスピリットの襲撃を受けることもなく、旅は順調そのものだった。
 街には寄れないものの、街道筋の山林はそれなりに整備されており、野営もそこまで苦にはならない。

 「そろそろ今日はここで野営しましょう」
 イオの言葉に頷き、荷物を地面に下ろす。
 「シチューの準備をしましょう。湯を沸かしますので、しばらくおくつろぎ下さいませ」
 エスペリアが荷物の中から皿や水筒のような物を取りだし、闘護が背負った鍋を下ろす。
 エスペリアと闘護は、乾燥した肉や野菜を鍋に盛りつけてゆく。
 「私もお手伝いします」
 イオが火をおこす準備を始める。
 「あ、それじゃ俺、水をくんでくる」
 悠人は立ち上がると桶を持って近くの川へ向かった。

 今、悠人達がいる場所は、旧イースペリア領とマロリガン領の付近。
 アト山脈の西部とダスカトロン大砂漠を結ぶ、マナ消失線の北部。

 川に到着した悠人は大きめの桶に水をくみ出す。
 「よい・・・せっ、と」
 少し汚れているが、イオの神剣魔法の[浄化]を使えば真水となる。
 生活に密着した細かい魔法。
 そんな物、悠人と闘護はおろかエスペリアまでもが知らなかった。
 魔法は戦闘で使う物と思いこんでいただけに、新鮮な驚きを受けた。

 「ユート様、お帰りなさいませ」
 エスペリアが出迎える。
 「水は?」
 闘護の問いに悠人は首を振った。
 「少し汚れてるよ。イオ、[浄化]を頼む」
 水桶をイオの前に置く。
 「はい。永遠神剣【理想】の主として命ずる。不純物を除き、純粋なる元素へと姿を変えよ・・・ピュリファイ」
 パァアアア・・・
 濁っていた水が、見る見るうちに透明な物へと変わる。
 便利なことに、毒素や不純物も全部分離してくれるらしい。
 エスペリアと闘護が、上澄みをコップですくい取り、シチューに加えて濃さを調節する。
 「ありがとう、イオ」
 闘護が礼を言った。
 美味しそうな匂いが立ち上っている。
 エスペリアはシチューを順番に皿に盛っていく。
 「シチューが温まっています。さぁ、いただきましょう」
 歩きづめで疲れ切っていた身体にもかかわらず、その誘惑は逆らいがたいものだった。
 皿を受け取った悠人は、挨拶もそこそこにシチューにありついた。

 パチパチパチ・・・
 揺らめく炎を眺める。
 悠人とエスペリアは、たき火を挟んで向かい合っていた。
 ちなみにイオは、周辺のマナの状況を確認するために、哨戒に出て行ってしまった。
 闘護も地理を実際に見てみたいと言って何処かに行ってしまった。
 「イオ様は、何の調査をしているのでしょうか?」
 「ん〜、なんだろうな。調査って言ってたけど・・・この辺はマナが少ないから、その辺りかも知れないな」
 ダスカトロン大砂漠は中心から、かなりの距離に渡ってマナが少ない地帯があるという。
 事実、神剣を通じて感じられるマナも少ない。
 「どうして、この辺りはマナが少ないんだ?やっぱりイースペリアみたいに、暴走が原因なのか?」
 「少々、お待ち下さいませ」
 そう言って、エスペリアはポケットから一冊の手帳を取り出す。
 古びて使い込んだ跡が見える。
 それを一ページずつ、丁寧にめくっていく。
 暫くして、手が止まった。
 「あ、ありました。この辺りは・・・聖ヨト王国時代の資料によりますと、約200年ほど前の時代に起きた四大龍の消失が関係しているらしい・・・とのことです」
 エスペリアは手帳に視線を落としながら、スラスラと旧時代の情報を読み上げる。
 「この時代にも、異界からの『来訪者』という言葉が残っています。おそらく、ユート様と同じくエトランジェかと」
 「・・・」
 沈黙する悠人に、エスペリアは不安そうな眼差しを向ける。
 「どうしたのですか?私、何かおかしな事を申し上げたでしょうか?」
 「違う、違うって」
 悠人は慌てて手を振る。
 「ちょっとビックリしちゃってさ。エスペリアって博識なんだな」
 「そ、そんなことはありません!ちょっと・・・教えて頂いただけです」
 顔を赤くして俯いてしまう。
 『自信がない分野なのかな?いつも以上に余計に照れているようだけど・・・』
 「そういえば、俺ってみんな事、全然知らないなぁ・・・エスペリアのこと、少し聞いてもいい?」
 いつもと違う状況のせいか、悠人は自分の気持ちを素直に伝えることが出来た。
 しかし、エスペリアは少しだけ顔を曇らせる。
 「私のことなど・・・面白いものではありません・・・スピリットは戦うためだけの存在です」
 「エスペリア・・・?」
 『触れてはいけない部分だったのかな・・・だけど、戦うためだけなんて寂しいことを言われたら、放っておけないよな・・・』
 「俺はエスペリアのこと、もっと知りたいんだ」
 悠人は真摯な気持ちでエスペリアを見つめる。
 「そ、そんなこと・・・!!え、あ、・・・ええと・・は、は・・ぃ・・」
 オロオロした後に、消え入りそうな声で返事をする。
 顔を真っ赤にして、膝を見つめた。
 いつもお姉さん風を吹かすエスペリアだけど、落ち着いているかと思えば、ちょっとしたことでパニックになってしまう。
 『・・・本当に放っておけないよな』
 悠人は小さく苦笑した。
 エスペリアはポツリポツリと語り始めた。
 「少し・・・長くなりますが、よろしいですか?」
 「うん、頼む」
 「・・・私は数年前に、このラキオスに転送されてきました。その頃のラキオスは、今とは違うスピリット達を保有しており、私はその中でも最も幼いスピリットでした」
 エスペリアはゆっくりと、言葉を紡ぐ。
 「姉様達は、既に龍の魂同盟の先兵として戦いを続けていました。強くて、優しくて・・・フフ、私、姉様達に憧れてたんです」
 楽しそうにエスペリアは笑う。
 「私達スピリットには血の繋がりなどありませんが、それでも姉様達とは何か・・・絆のようなものを感じていました」
 一旦言葉を止め、空を見上げるエスペリア。
 「・・・」
 『辛そうにしていた割には幸せだったみたいだなぁ・・・』
 エスペリアにつられて、悠人も夜空を見上げる。
 悠人達の世界と違い、空気が綺麗なせいだろう。
 雲はなく、澄んだ星が瞬いていた。
 「その時の私は、神剣の成長が遅くて足手まといでした。実戦には参加することなく、ひたすら訓練の日々を続けていたのです」
 エスペリアはそこで言葉を句切る。
 「ある日のことです。新しい戦術指南役の方が館を訪れたのです」
 「戦術指南役?」
 聞いたことのない言葉に、悠人は聞き返す。
 「あ、そうでした。お話ししたことはありませんね。申し訳ありません」
 エスペリアは小さく頭を下げる。
 「今では、ラキオスにはない職で、戦術指南役というものがありました。直接、現場を指揮する隊長とは別に、全体の流れを指揮する方です」
 エスペリアは、ゆったりと微笑みながら言葉を続ける。
 『これも良い思い出なのかな?』
 悠人は、そう感じた。
 「その方は、私に学ぶ喜びを教えて下さいました。歴史、生物学、戦術、数学・・・戦うこと以外のことなら、何でも楽しかった」
 エスペリアはそっと手帳を抱きしめる。
 「俺は・・・勉強からは逃げ回ってたな」
 『学ばねばならぬ世界と、学ぶことの難しい世界・・・その環境の違いかな』
 悠人が何となく考えてると、エスペリアは小さく笑った。
 「ふふ・・・ユート様は、勉強よりも外で遊び回る方が、似合っています。元気いっぱいに」
 「ちぇ、まるで俺がバカみたいじゃないか」
 『俺ってそんなに子供っぽく見えるのかな・・・』
 悠人は少し落ち込む。
 『何となく拗ねてみたい・・・エスペリアの前なら、それが許されるような気がするから・・・』
 「うふふ・・・ごめんなさい、ユート様」
 「・・・」
 急に恥ずかしくなり、悠人は頭を掻いて誤魔化した。
 「ふふ・・・」
 悠人の態度に、エスペリアは小さく笑った。
 「この手帳は、その方にいただいたのです。剣以外の物で、私にとって初めての私物でした」
 たき火に照らされたエスペリアの横顔を見つめる。
 『俺、自分が不幸なんだって思ってた。だけど・・・不幸を自覚してきた俺と、不幸であることに気がつくことすら出来ないスピリット達。どちらが幸せに近いんだろう・・・?』
 悠人は疑問に思う。
 『でも、少なくともエスペリアが幸せという物を知っているのは良かったな』
 小さい安心を感じた。
 『幸せ・・・か。難しいな・・・その意味を測るには、人生経験があまりに足りない』
 悠人は空を見上げた。
 『ただ、佳織を幸せにしなければならない・・・それに、今はエスペリア達にも幸せになって欲しいと思っている』
 「・・・じゃあさ、その人は今どうしてるんだ?まだラキオスにいるのか?」
 悠人は尋ねた。
 『エスペリアに優しく接した人に会ってみたい・・・この世界において、人間でありながらそう思えるのは、どれほど大きな人間なのだろう?』
 だが、エスペリアの顔に浮かんだ、ほんの少しの哀しみ。
 「そう・・・ですね。ラキオスに戻ったら・・・一緒に会いに行きましょう」
 その意味を聞く前に、会話は打ち切られてしまった。


─聖ヨト歴331年 スフの月 黒 五つの日 夕方
 エトスム山脈麓

 ダスカトロン大砂漠の縁にそって、更に北西へと七日間。
 悠人達は今、エトスム山脈の麓にいた。
 位置的にはマロリガン共和国とソーン・リーム中立自治区のちょうど国境に当たる。
 「もうすぐイオが指定した場所だな」
 闘護が呟いた。
 旅立ってから既に二週間近い。
 『ラキオスがどうなっているかもわからないが、みんなは無事だろうか?』
 悠人は心の中で呟いた。
 「もうすぐですね。あと一日ほどです」
 エスペリアが答えた。
 「・・・なぁ。そろそろ、誰に会いに行っているのか教えてくれないか?」
 悠人はイオに尋ねた。

 実は、まだ誰に会いに行っているのか教えられていなかった。
 旅の途中で何度も聞いたのだが、答えて貰えなかったのだ。

 「・・・そうですね。ここまで来ればもう人もいません」
 イオはゆっくりと周囲を見回して言った。
 「私の主人は賢者と呼ばれていました。今は隠者と呼ばれていますが・・・人の世との関係を絶ってから随分となります」
 『賢者?となれば、やっぱり有名な人なのだろうか?レスティーナの態度から考えると凄い人なんだろうけど』
 悠人は考える。
 「賢者様・・・ちょっとまて」
 「まさか・・・」
 一方、闘護とエスペリアは、何かに気づいたように表情を変える。
 「二人は知っているのか?その賢者って人のこと」
 「はい・・・歴史上、最高の天才と呼ばれながらにして、帝国から永久追放を言い渡された賢者様。エーテル技術やマナ研究に関しては、他の追随を許さないと言われています」
 エスペリアが珍しく興奮気味に語る。
 「いくつもの成果を上げ、ラキオスにもそれは流れてきている」
 闘護も半ば信じられないような表情で言った。
 「ラキオスの研究機関も、その賢者ヨーティア様の論文を下敷きにしているはずですから」 
 「そうです。主人の名はヨーティア。ヨーティア・リカリオン」
 エスペリアの言葉に、イオは頷いた。
 「ヨーティア・・・帝国から追放された天才、か」
 『確かに、賢者とまで呼ばれた人なら、無理をしてでも会いに行く価値がある。味方になって貰えるなら、心強いはずだ』
 悠人は期待感を持った。
 「ここで一休みしましょう。エスペリア様、野営の準備をしましょう。夜の移動は危険を伴いますから」
 イオの言葉に、一行は足を止めた。


─聖ヨト歴331年 スリハの月 青 一つの日 夕方
 ヨーティアの隠れ家

 コツコツコツ・・・
 「ここが主人の館です」
 先頭を歩くイオが、説明する。
 「ただの洞窟みたいだけど・・・こんな所に天才科学者がいるのか?」
 『うーん・・・どうみても、『世紀の天才』の住居には見えないよなぁ』
 疑いの目で洞窟の暗闇を見ていると、エスペリアが横に並んで耳打ちしてくれた。
 「賢者様は・・・ええと、その・・・少々特殊な御方と噂を聞きます。帝国の研究所を辞めた理由も、食事が合わなかったとか」
 「・・・どういう理由だよ、それ」
 悠人も小声で返す。
 「風の噂ではありますが・・・」
 あくまで、とエスペリアは付け加える。
 『まぁ、何というか─』
 「つまりは変人って事か?」
 「いえ、その。ええと・・・」
 「天才なんて、得てして常人とは違うさ」
 エスペリアをフォローするように、闘護が言った。
 「・・・大丈夫なのか?本当に」
 『天才が偏屈なんて勝手なイメージだと思っていたけど、案外そんなもんかも知れないな・・・』
 悠人は先程持った期待感が不安に変わっていくのを感じた。
 「賢者ヨーティア様のご高名は大陸中に鳴り響いています。大丈夫です!・・・きっと」
 ポツリと加えられた言葉が不安を煽る。
 『危険を押してまで来たというのに』
 「・・・ちょっと心配だな」
 悠人は呟く。
 「だが、確かにその高名は大陸中に鳴り響いている」
 闘護は肩を竦めた。
 「この大陸の命運を握っている科学者。帝国を追放された大天才。エーテル技術の父ラクロックの再来、ヨーティア・リカリオン・・・ま、多少は期待していいんじゃないのか?」
 「あ、ああ・・・」
 『でも・・・やっぱり不安だよなぁ』
 「どうかしましたか?」
 ボソボソと小声で放していた3人を、イオが不思議そうに見ている。
 「い、いや。なんでもない。なぁ、エスペリア、闘護。ははは」
 「は、はいっ!そうです。なんでもありませんっ」
 「ああ、なんでもないって」
 「そうですか。それならいいのです」
 イオは何ら疑う様子もなく頷く。
 「もうすぐです」
 その言葉を聞いて、悠人達の緊張が高まる。
 悠人達は、イオに続いて洞窟の奥へと歩を進めた。


 幾本にも枝分かれした、暗い洞窟の中を進んでいく。
 キチンと舗装されて足場に問題のないせいか、視界が悪くてもイオを見失うことはなかった。
 はぐれないために、エスペリアが遠慮がちに悠人の服の袖の握りしめている。
 闘護は悠人の横を歩いていた。
 ・・・と、闇の向こうに光が見えてきた。
 『世紀の大天才・・・か。どんな人なんだろう?』
 「ここが主人の部屋です」
 イオに案内されて手入った部屋は、無数の本が乱雑に積まれていた。
 『人のことは言えないけど、随分汚い部屋だなぁ・・・』
 悠人は眉をひそめる。
 『ふむ・・・』
 闘護は冷静に積まれた本に視線を落とす。
 『マナ関係・・・神剣関係・・・スピリット関係・・・何でもござれ、だな。エーテル技術と関係ある物ばかりのようだ。この書物の量・・・流石は名だたる技術者だな』
 闘護は納得したように小さく頷いた。
 「ヨーティア様。ラキオスのエトランジェ、ユート様達をお連れしました」
 「くか〜〜くこぉ〜〜〜」
 「ヨーティア様、エトランジェ様達が・・・」
 「くぉ〜〜〜。んんぅ・・・う、ん、ううん・・・もう少し眠らせてくれ〜」
 「ヨーティア様、いけません。お約束の時間ですよ」
 「うう〜。今日は明け方に寝たんだ。まだ睡眠が、全く持って足りてない。まったくもって足りて・・・むにゃ、ないのだぁ」
 ばさばさの髪の毛にははだけた白衣。だらしなくボタンが外されたズボンから桃色の下着が見える。
 『な、なんだ?このだらしない生き物は・・・俺はてっきり気むずかしい老人だと思ってたのに・・・』
 想像していた博学の賢者とはほど遠い女性が、散乱した本の山の中に埋もれている。
 「なぁ、エスペリア、闘護。この人が天才なのか?いくらなんでもこれはないだろ・・・!?下着見えてるし」
 「どこ見てんだ、お前?」
 「・・・ユート様のえっち・・・知りません!」
 悠人の言葉に、闘護は呆れたように眉をひそめ、エスペリアに至っては指さした方向を見ることさえなく、そっぽを向いてしまう。
 『そこは大して重要じゃないんだけど』
 悠人は相変わらずどうでもいいことに首を傾げる。
 「起きて下さい、ヨーティア様。起きて下さいませ」
 イオはゆさゆさと何度も肩を揺らす。
 だが、幾ら呼びかけても起きる気配がない。
 バサバサ・・・
 奇跡的なバランスで積み上がっていた本が、振動で落ちる。
 だが、元から散らかっていたせいで、すぐに景色に馴染んでしまうのが、凄いと言えば凄かった。
 「ぅぅ・・・」
 エスペリアがウズウズしながら呟いた。
 「なんか、エスペリアがうずうずしてるな」
 「多分、部屋の惨状が許せないんだろ。片づけたくて堪らないみたいだ」
 闘護と悠人は声を潜めて語った。
 「ううん」
 「ヨーティア様!」
 「うぅ〜〜うるさい、うるさい。天才様には睡眠が必要不可欠なんだ。もう少し寝かせろい」
 『うわ〜、自分で天才って言ってるよ、この人・・・』
 悠人は内心呆れる。
 『態度はでかいな・・・さて、どんな人間か』
 闘護は注意深く観察する。


 その後も暫くイオの努力は続いた。
 しかし、報われることはなかった。
 「・・・そろそろ怒りますよ。ヨーティア様」
 イオの声が低く静かな迫力を帯びる。
 一瞬にして、周辺の空気が凍り付いたような気がした。
 「あ!」
 悠人が声を上げた。
 「【理想】よ。ここに・・・」
 永遠神剣の名を呼ぶ。
 パァアアアア・・・・
 静かな声に導かれ、イオの手にマナが集まり始める。
 キィイイ・・・
 『【求め】が・・・警戒してるのか?』
 【求め】の反応に、悠人は眉をひそめた。
 ガバッ!!
 「お、おはよう!イオ。あはは〜、起きているさ。ほら、こんなに元気に」
 ピリピリとし始めた空気を敏感に感じたのか、女性は大慌てで起きあがる。
 「ほら、そんな物騒なもんは早くしまうように!!ここは研究所だぞ。神剣は研究対象であって、決して振るう物ではだなぁ・・・」
 取り繕うようにして慌てふためいている。
 『伸ばしっぱなしでボサボサの髪と白衣は、確かに科学者っぽくはあるが・・・だらしないのは間違いなさそうだな』
 闘護は小さくため息をついた。
 『なんだか、ますますイメージから遠のいたような・・・』
 悠人は思う。
 「・・ん?」
 「あ・・・」
 すると、悠人とその女性の目があった。
 「え、ええと・・・」
 「なんだお前らは?金なら無いぞ。殆ど全部研究費に消えているからな。空き巣や宝探しならよそでやってくれ。ほら、帰った帰った」
 「いや、違うって。あの、俺たちは・・・」
 悠人が訳を言おうとするが、女性は鬱陶しげに首を振って制した。
 「あ〜あ〜あ〜〜、わかったわかった。また大学当たりの小間使いか?まったくしつこいったらありゃしない。もう、お前んとこの仕事は御免なんだ。何のために出て行ったと思ってるんだか・・・」
 「だから違うって!俺たちの話を聞いてくれ」
 「この方達はラキオスのエトランジェ様達です。ヨーティア様の仰った通りご招待しました」
 「・・・あれ?お前が、あの【求め】のユートか?」
 眼鏡を直して、マジマジと悠人の身体を見る。
 『値踏みされてるのか・・・居心地が悪いなぁ』
 「そう、だけど?」
 「なんだか想像と随分違うな。龍の魂同盟を一つにした勇者とは思えないぞ。・・・はっきり言って、軟弱な坊やじゃないか」
 容赦ない物言いをする。
 『な、なんだこの人?初対面の相手に、いきなり軟弱な坊やなんて・・・』
 「まぁいい。真実とは常に失望と共にある、とも言うしな」
 悠人の憤慨など気にもせず続ける。
 「よろしくな。私はヨーティア。ヨーティア・リカリオン」
 屈託のない笑顔で右手を差し出される。
 『やはり、目の前の女性が『賢者』『大天才』と名高いヨーティアか・・・』
 闘護は小さく頷いた。
 『これが・・・天才・・・?』
 一方、悠人はたった今、自分に言われたばかりの言葉・・・“真実は失望と共にある”の意味を目の当たりにする。
 「俺は悠人。高嶺悠人。よろしく、ええと・・・賢者ヨーティアさん」
 挨拶しながら右手を握り返す。
 柔らかな手がこの大天才の年齢がまだ若いことを示していた。
 「ヨーティアでいいよ。賢者ってのは止めてくれ。それ以外だったら何だっていいからさ」
 照れくさそうに頭をがりがりとかきむしる。
 「わかった、ヨーティア。あ、こっちが仲間の闘護とエスペリア」
 「初めまして、神坂闘護です」
 「へぇ・・・あんたが」
 ヨーティアは、さっき悠人に向けた物と同じ視線─探るような目つきを闘護に向けた。
 「ふーん・・・エトランジェではない、ストレンジャーだったね?」
 「はい。その名称は俺が提案したものですが」
 「あんた、一体何者なんだ?」
 「な、何者って・・・」
 ヨーティアのはっきりとした物言いに、さしもの闘護も返答に窮した。
 「他の世界から来たってのは確からしいけど、エトランジェとは違う・・・何者なんだい、あんたは?」
 ヨーティアはジロリと─何か疑うような目つきで─闘護を睨んだ。
 『随分と失礼な人だな・・・』
 「・・・さて」
 ヨーティアの態度に気分を害し、闘護はブスリと呟いた。
 「俺は悠人と同じ世界から来た存在です。ただ、エトランジェの制約はありませんし、永遠神剣もありません」
 「そこだよ、そこ」
 ヨーティアはうんうんと頷く。
 「是非とも、あんたを調べて・・・」
 「お断りする」
 ヨーティアの言葉を遮るように闘護は言った。
 「おいおい、少しは考えたら・・・」
 「断ると言ったら断る」
 闘護は強い口調で言った。
 「・・・あんたは、自分が何者であるか・・・知りたくないのか?」
 「知ってどうする?」
 「・・・」
 「知ったところで、俺がするべき事は変わらない・・・だったら、そんなことをするのは時間の無駄だ」
 「・・・あっそ」
 ヨーティアは興味を失ったように首を振った。
 「まぁいいや。あんたは放っといて・・・」
 ヨーティアはエスペリアを見た。
 「初めてお目にかかります、賢者様。ラキオスのスピリット、エスペリアと申します」
 後ろに控えていたエスペリアが一歩前に出て丁寧に会釈する。
 あんな姿を見たばかりだというのに、一片の陰りもない礼儀正しさだった。
 「あんたが【献身】のエスペリアだね。名前は聞いているよ。バカが多い中で、随分とまともな人材らしいじゃないか」
 「そ、そんな!」
 「謙遜しない謙遜しない。私は人を見る目はあるつもりだからね。一目見れば、大体そいつが馬鹿か馬鹿じゃないかはわかるのさ」
 ケラケラと笑うヨーティアと、少し困った顔で愛想笑いを浮かべるエスペリア。
 『そういえば、人に褒められるのが苦手なんだっけ』
 悠人は苦笑する。
 『成る程・・・変わった人間だな』
 闘護は何か納得したように頷いた。
 「さて、と」
 ヨーティアは悠人に視線を向けた。
 「ユート。タカミネユートだっけ。まぁ、ここに座りなよ。ちょっと散らかっているけど、気にするほどでもないだろ」
 「・・・」
 ヨーティアの言葉に、悠人は周囲を見回す。
 「気にするほどでもない・・・かぁ?」
 『尋常な汚さじゃないだろ・・・』
 悠人は眉をひそめた。
 「まぁまぁ」
 ヨーティアは落ちている本を片づけ始める。
 それを見たイオとエスペリアと闘護が手伝う。
 仕方なく、悠人も手伝うことにした。
 『うう、俺たちは何しにここに来たんだ〜?』


 イオが入れてくれた紅茶のカップから湯気が立ち上る。
 カップが置かれているのはほんの山の辛うじて平らな部分。
 椅子代わりになっているのも本だ。
 『いいのかなぁ・・・貴重な本っぽいんだけど』
 悠人は遠慮がちに座る。
 「さてと・・・早速だが、私がここに呼んだ理由はわかるかい?」
 「いや、俺は正直言ってわからない。俺はヨーティアのことはまったく知らなかったわけだしさ」
 悠人は正直に答える。
 「・・・とにかく、これがレスティーナ女王から預かってきた書簡だ」
 「ふむ。ちょーっと読ませて貰うよ」
 ラキオスの龍の紋章が施された封印を破り、羊皮紙にしたためられた文章を追っていく。
 その表情からは、何が書いてあるかまったく読みとれない。
 「ふーーん。なるほど、ね・・・あんたらの大将は馬鹿じゃない人間みたいだね」
 感心したようにしきりに頷いている。
 「大将と私の言いたかったことは大体一致しているな。ふむふむ・・・成る程成る程」
 ヨーティアはイオを見た。
 「お〜い、イオ。出かけるぞ。研究資料をまとめてくれ」
 「はい。資料はどれをお持ちしましょう」
 「そうだな。エーテル関係と神剣関係だな。あと、倉庫の中のサンプルを忘れないでくれ」
 「承知しました」
 散乱している本を踏まないように、起用に奥の部屋へと消えていく。
 「ちょ、ちょっと待ってくれよ。何がなにやら・・・」
 「察しが悪いな、ユートは。これからラキオス城に行く。案内してくれ。さてと、久しぶりに忙しくなりそうだな」
 そう言いながら、ヨーティアも奥の部屋に向かう。
 『よく解らないうちに、勝手に話を進められてる・・・どういう状況なんだ、これは?』
 状況が読めない悠人はあたふたする。
 「ちょっと待ってくれ」
 その時、闘護がヨーティアを呼び止めた。
 「何だい?」
 ヨーティアは面倒くさそうに振り向いた。
 「確認しておきたいことが一つ、ある」
 「さっさと言っておくれ」
 ヨーティアの物言いに表情を変えることなく、闘護は尋ねる。
 「貴女はマロリガン共和国に荷担してはいないんだな?」
 闘護の問いに、ヨーティアは僅かに片眉を上げた。
 「・・・何でそんなことを聞くんだ?」
 「ここはマロリガンとイースペリア旧領の境・・・もしも貴女が評判通りの天才なら、マロリガンから勧誘が来てもおかしくない」
 「・・・生憎、答えはノーだよ」
 ヨーティアは馬鹿馬鹿しそうに首を振った。
 「あたしはフリーだ。どこの味方でもないよ」
 「・・・了解した。足止めしてすまない」
 ヨーティアは小さく肩を竦めて部屋の奥へ消えていった。
 「何であんな事を聞いたんだ?」
 3人だけになると、悠人は闘護に尋ねた。
 「一応、な」
 「トーゴ様はヨーティア様を疑ってらっしゃるのですか?」
 エスペリアは憤慨した口調で尋ねた。
 「だから、一応だって言ってるだろ」
 「ちょっとトゲがなかったか?」
 「さあな。あの人の態度に多少腹が立ったのは確かだけどね」
 闘護はニヤリと笑った。

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