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─聖ヨト歴331年 エクの月 緑 三つの日 昼
 第二詰め所、食堂

 ガチャン
 「ただいま・・・ん?」
 『何だ、この匂い・・・』
 帰宅した闘護は、玄関に漂う甘い匂いに気付いた。
 『食堂の方からだな・・・何だろう?』

 ガチャ
 「あ、トーゴ様」
 食堂に入るとヘリオンが一人、チョコンと椅子に座っていた。
 「甘い匂いがするけど・・・何かお菓子でも買ったのかい?」
 闘護の問いに、ヘリオンは首を振った。
 「違いますよ。ヒミカさんとハリオンさんがケーキを作ってるんです」
 「ケーキを?」
 闘護は台所の方を向いて耳を澄ませた。
 カチャカチャ・・・
 台所から音が聞こえてくる。
 『確かに、何かやっているみたいだな』
 「へぇ・・・ケーキか」
 闘護は感嘆の表情を浮かべた。
 「二人とも料理が上手なのは知ってるけど、ケーキは初めてだな」
 闘護はそう呟くと、椅子に腰を下ろした。
 「ハリオンさんが、“お菓子を作ってみませんか〜?”って言ったんです。館にはヒミカさんと私しか残ってなかったので、ヒミカさんと二人で作るって・・・」
 「ヒミカ、やるって言ったのか?」
 「最初は断ってましたけど、ハリオンさんが熱心に誘ったら頷いてました」
 「熱心にねぇ・・・」
 『強引に、の間違いだったりして』
 闘護は頭を掻いた。
 「で、あとどれくらいで出来るんだろう?」
 「さっきスポンジが焼きあがったって言ってました。もうすぐだと思います」
 ヘリオンが言ったとき、台所からハリオンが顔を出した。
 「ヘリオン、ケーキをお皿に盛り付けるのを手伝って・・・あらあら〜?」
 「よ、ハリオン」
 「トーゴ様も帰ってらっしゃったんですか〜」
 「ケーキを作ってるそうだね」
 「はい。トーゴ様もお食べになりますか〜?」
 「いいの?」
 「もちろんですよ〜」
 「それじゃあ、食べさせてもらうよ」
 闘護の返答に、ハリオンはにこやかに頷くと、ヘリオンを見た。
 「それじゃあ、ヘリオン〜」
 「はい。今、行きます」
 ヘリオンは立ち上がるとハリオンと共に台所へ消えた。
 「トーゴ様も食べるの!?」
 二人が台所に引っ込んで、ヒミカの素っ頓狂な声が食堂に響いた。
 「・・・」
 『・・・遠慮した方がよかったかなぁ?』
 闘護は頭を掻いた。

 それから待つこと数分・・・

 「お、お待たせしました」
 ヒミカが緊張した表情で闘護の前に皿を置く。
 「へぇ・・・美味しそうだな」
 闘護は目の前に置かれたケーキを見て呟いた。
 下から順に、スポンジ、クリーム、スポンジ、クリームと重ねられている。
 スポンジにはさまれたクリームの層には赤や黄色の果物が顔を覗かせていた。
 そして、一番上にはネネの実が乗せられている。
 「当然ですよ〜。私とヒミカが作ったんですから〜」
 ハリオンが胸を張った。
 「・・・」
 ヒミカは緊張した面持ちで黙っている。
 「ヒミカさん・・・だ、大丈夫ですよ」
 そんなヒミカをヘリオンが励ます。

 そしてヒミカ、ハリオン、ヘリオンそれぞれも、ケーキを前に席に着く。

 「それじゃあ、まずはトーゴ様からどうぞ〜」
 「俺から?」
 「はい。是非、トーゴ様に最初に食べてもらいたいんです。ね〜、ヒミカ」
 ハリオンの言葉に、ヒミカは目を白黒させる。
 「え、えっと・・・そ、それは・・・」
 ヒミカの態度に、闘護は苦笑する。
 「いいよ。それじゃあ、頂きます」
 パクッ・・・
 「モグモグ・・・」
 【・・・】
 ヒミカとハリオンはジッと闘護の反応を待つ。
 「・・・ゴクン」
 ひとしきり噛み終えて、ゆっくりと飲み込む。
 「ど・・・どうでしたか?」
 ヒミカが恐る恐る尋ねた。
 「うん・・・美味い!」
 「本当ですか!?」
 闘護の返答に、ヒミカは目を輝かせた。
 「ああ。スポンジはふっくら、クリームはふんわりしてる。味も、程よい甘さだ」
 闘護はそう言って、また一口食べる。
 「モグモグ・・・うん。君達も食べてみなよ」 
 「は、はい。じゃあ、頂きます」
 「いただきます〜」
 「いただきまーす」
 パクッ!!
 「ゴクン・・・うん、成功ですね〜」
 ハリオンは嬉しそうに笑った。 
 「凄く美味しいです!!」
 ヘリオンが感嘆の声を上げた。
 「ヒミカ、どうだい?」
 「・・・うん。美味しいです」
 闘護の問いに、ヒミカはコクリと頷いた。

 「ふぅ・・・ごちそうさま」
 闘護はフォークを皿の上に置いた。
 「お粗末さまです〜」
 ハリオンが皿を片付ける。
 「結局、全部食べてしまったな」
 闘護は頭を掻いた。
 「あまり大きく無かったですし、仕方ないですよ」
 ハリオンと一緒に片づけをしているヒミカが答えた。
 『まぁ、俺とハリオンで三分の二は食べたからなぁ・・・』
 闘護は心の中で呟く。
 「また作りますから、大丈夫ですよ〜」
 ハリオンがニッコリと笑って答えた。
 「そうか・・・」
 「その時は、トーゴ様もまた召し上がって下さいね〜」
 「ありがとう。次も期待してるよ」
 「任せてください〜」
 「は、はい!!」
 闘護の言葉にハリオンとヒミカは笑顔で返事をして、まとめた皿を持って台所へ消えていく。
 「・・・」
 「ん・・?」
 その時、闘護はボーっとしているヘリオンに気づく。
 「どうしたんだ、ヘリオン?」
 「・・・料理って、難しいんでしょうか?」
 ヘリオンがボソリと呟いた。
 「難しい?」
 「私、料理をしたことが無いからわからなくて・・・」
 「・・・料理に、興味があるのかい?」
 闘護の問いに、へリオンは反応する。
 「え、えっと・・・」
 「料理はね。とにかく練習しないと駄目だ」
 口ごもるヘリオンに、闘護はゆっくりと言った。
 「練習・・・」
 「そう。練習しないと上手にならないよ」
 「・・・」
 「料理、してみたいかい?」
 「・・・は、はい」
 闘護の問いかけに、へリオンは遠慮がちに頷いた。
 「そうか・・・だったら、やってみたらどうだい?」
 「い、いいんですか!?」
 闘護の提案にヘリオンは目を丸くする。
 「もちろん」
 「で、でも・・・うまくやれるかな・・・」
 ヘリオンの呟きに、闘護は首を振った。
 「何事も、やってみないことには始まらない。失敗を恐れてばっかりだと、いつまで経っても前進は望めないよ」
 「トーゴ様・・・」
 「まずは勇気を持って、一歩踏み出してみなよ」
 「・・・はい。やってみます!!」
 ヘリオンは力強く頷いた。


─聖ヨト歴331年 エクの月 緑 四つの日 昼
 第二詰め所、食堂

 第二詰め所に全員が揃ったこの日、闘護は佳織に彼女たちを紹介しようと歓迎会を開いた。

 「さぁ、こっちに」
 「は、はい」
 闘護に促されて、佳織は食堂に入った。

 「うわぁ・・・」
 目の前の光景に、佳織は目を丸くする。
 テーブルの上にはおいしそうな料理が所狭しと並んでおり、飾りの花が添えられていた。
 そして、この館に住むスピリットが全員テーブルの前に立っている。
 「あ、あの・・・こ、こんにちは!」
 驚いた佳織は、とりあえず頭を下げる。
 【こんにちは!!】
 「!!」
 部屋に入った途端、示し合わせたように挨拶が帰ってきた。
 「ここ、第二詰め所に住んでいるメンバーだ」
 佳織の後ろに立つ闘護がゆっくりと言った。
 「自己紹介、頼むよ」
 「【赤光】のヒミカ=レッドスピリットです!」
 「【熱病】のセリア=ブルースピリットです」
 一番上座に立つ二人が頭を下げた。
 「【大樹】のハリオン=グリーンスピリットです〜」
 「【月光】のファーレーン=ブラックスピリットです」
 続いて、その隣にいる二人が頭を下げた。
 「【消沈】のナナルゥ=レッドスピリットです」
 「・・・【曙光】のニムントール=グリーンスピリット」
 「【静寂】のネリー=ブルースピリットだよ!」
 「【失望】の、ヘリオン=ブラックスピリットですぅ」
 「【孤独】のシアー=ブルースピリットです・・・」
 テーブルを挟んで交互に挨拶を進めていく。
 「以上が、第二詰め所に住んでいる全メンバーだ」
 闘護が最後に言った。
 「え、えっと・・・はじめまして。高嶺佳織です」
 佳織はペコリと頭を下げた。
 「いつも、お兄ちゃんがお世話になってます」
 「そんなことはありません」
 ヒミカが首を振る。
 「私達の方こそ、いつも助けられてばかりで申し訳ないと思ってます」
 セリアがそう言って頭を下げた。
 「そんなことないです」
 佳織はブンブンと首を振る。
 「お兄ちゃん、ちょっと頼りないところがあるし・・・」
 「そんなことはありませんよ〜」
 「そうです。ユート様はしっかりしています」
 ハリオンとファーレーンが答える。
 「ありがとうございます」
 佳織は嬉しそうに笑った。
 「安心した?」
 「は、はい」
 闘護の問いに、佳織はコクリと頷く。
 「そうか・・・じゃあ、こちらへどうぞ」
 闘護は上座の椅子を引いた。
 「あ、ありがとうございます」
 佳織は礼を言って椅子に座った。
 「あれ?トーゴ様はどこに座るの?」
 ネリーが首を傾げた。
 「え?」
 ネリーの言葉に、佳織は闘護を見た。
 「俺はそっち」
 闘護はテーブルを挟んで反対側―下座の椅子を指差す。
 「この椅子は、いつも先輩が座ってるんですか?」
 「うん」
 佳織の問いに、ネリーが頷く。
 「今日は、佳織ちゃんが主賓だからね」
 闘護はニヤリと笑った。
 「で、でも・・・」
 「いいからいいから」
 闘護は腰を浮かしかけている佳織の肩を抑えて椅子に座らせる。
 そして、闘護はそのままテーブルの周りを回って反対側―下座に着く。
 「さ、君達も座って」
 闘護の言葉に従い、スピリット達も着席する。
 そして、闘護も椅子に座った。
 「さて・・・」
 闘護は全員を見回す。
 「彼女は、第一詰め所に世話になることになっている」
 闘護は佳織を見た。
 「もちろん、我々も彼女が困っていたら積極的に助けてやってくれ」
 【はい】
 「そ、そんな・・・」
 闘護の言葉に、佳織は困惑する。
 「遠慮はいらないさ」
 闘護は苦笑する。
 「ここを第二の家・・・じゃないか」
 『第一を現代にしたら、第二は第一詰め所だな」
 闘護は頭を掻く。
 「ここを第三の家と思ってくれ」
 「・・・ありがとうございます」
 佳織は瞳を潤ませながら頭を下げた。
 「さぁ、それじゃあ始めよう。みんな、コップを」
 スピリット達は、それぞれコップを手にする。
 「佳織ちゃんも」
 「は、はい」
 佳織も、コップを手にする。
 最後に、闘護がコップを取ると高々と持ち上げた。
 「では・・・乾杯!!」


 「ユート様って、家ではどんな風なんですか〜?」
 ハリオンが尋ねる。
 「お兄ちゃんですか?えっと・・・のんびりして、ちょっとずぼらかな」
 佳織は何気にはっきりと言う。
 「じゃあ〜、カオリ様はユート様をどう思いますか〜?」
 「えっ!?ど、どう思うって・・・」
 佳織は顔を赤らめてしどろもどろになる。
 「あれ?顔が真っ赤だよ?」
 「・・・熱?」
 ネリーとシアーの指摘に、佳織の顔が真っ赤になる。
 「おいおい、あまり佳織ちゃんをいじめるなよ」
 闘護が苦笑して、近くのビンに手を伸ばしてコップに注ごうとする。
 「あれ?無くなったか・・・」
 手にしているビンを逆さに振りながら、闘護が呟く。
 「おーい、残ってるビンはないか?」
 「あ、もう全部カラッポですね」
 他の瓶を振りながらヒミカが答える。
 「そうか・・・仕方ない。取ってくるか」
 闘護はそう言って立ち上がる。
 「私が取って・・・」
 「いや、いいよ。台所くらい、俺が行く」
 立ち上がろうとしたセリアを、闘護が止める。
 「ですが・・・もう、館には残ってませんよ」
 「え?もう無いの?」
 セリアの言葉に、闘護は目を丸くする。
 「はい。ここにある分が全部です」
 「はぁ・・・」
 闘護はテーブルの上を見る。
 料理の載った食器と食器の間においてあるビンは、十本以上あった。
 「仕方ない。小屋から取ってくるか」
 闘護は呟くと、食堂から出て行った。
 闘護がいなくなると、スピリット達は顔を見合わせる。
 「・・・?」
 その様子に、佳織は首を傾げた。
 「ねぇねぇ、カオリ!!」
 すると、ネリーとシアーとヘリオンがトコトコと佳織の側に来る。
 「何ですか?」
 「トーゴ様って、どんな人?」
 「どんな人って・・・?」
 「性格とか・・・」
 シアーの言葉に、佳織はうーんと考える。
 「優しくて面倒見が良い先輩です」
 「ほ、他にはありませんか?」
 「他に、ですか?そうですね・・・真面目で、頑固な所もあるけど、冗談を言って笑わせてくれたりします」
 「・・・誰か、好きな人っているの?」
 【!!】
 ニムントールの問いかけに、他のスピリットはビクリと反応する。
 「好きな人・・・ですか?」
 「うん」
 「えっと・・・」
 佳織は考え込む。
 「わからないです・・・ただ、告白されても断っていたって聞いたことがあります」
 「断っていた?」
 ファーレーンが目を丸くする。
 「本当かどうかは知らないんですけど・・・そういう噂を聞いたことがあります」
 「だったら、好きな人がいたかもしれませんね〜」
 ハリオンが呟く。
 「ど、どうして、ハリオン?」
 ヒミカが尋ねる。
 「だって、好きな人がいたから他の人からの告白は断っていたんじゃありませんか〜?」
 「なるほど・・・」
 セリアが納得したように頷く。
 「トーゴ様の好きな人・・・どんな人でしょうか?」
 ファーレーンが呟く。
 ガチャリ
 その時、玄関で音がする。
 「あ、帰ってきたみたいだ!」
 ネリー、シアー、へリオンは慌てて自分の席に戻る。
 ややあって、食堂に闘護が顔を出した。
 「ストックも大分減ってきてたよ。そろそろ買い出しに行かないと駄目だ」
 両手に三本ずつビンを持った闘護は肩を竦めた。
 【・・・】
 「ん?どうしたの?」
 全員が自分の顔をじっと見ていることに気づいた闘護は首を傾げる。
 「い、いえ。なんでもありません!!」
 ヒミカが慌てた声で答える。
 「・・・」
 『あからさまに何かあったみたいだな・・・』
 闘護は他の面々に視線を走らせる。
 しかし、誰も闘護に目を合わせようとしない。
 「何かあったの?」
 闘護は佳織を見た。
 「い、いいえ・・・何でもないです」
 佳織は苦笑しつつ首を振った。
 「・・・まぁ、それならいいけど」
 結局、それ以上追求はしなかった。


─聖ヨト歴331年 エクの月 緑 五つの日 昼
 訓練所

 「はぁ・・・」
 訓練の合間、休憩していた悠人は空を見上げながらため息をついた。
 「どうしたんだ?」
 闘護が汗を拭きながら近づいてくる。
 「アセリアってさ・・・」
 悠人は頭を掻く。
 「凄く器用なんだよな」
 「・・・何だ、藪から棒に?」
 「いや・・・実は・・・」

 悠人は、先日アセリアが佳織のためにペンダントを作ってプレゼントしたことを語った。

 「へぇ・・・佳織ちゃんにペンダントを?」
 「佳織、凄くそのペンダントを気に入ってさ・・・」
 「良かったじゃないか」
 「ああ」
 悠人は元気のない声で返事をする。
 「・・・その割に、少し落ち込んでないか?」
 闘護が尋ねると、悠人は小さく頷く。
 「ずっと一緒に住んでるのに、気付かなかったからさ・・・俺って何も見てないのかなぁと思って・・・」
 「何言ってるんだ。そんなことはあって当たり前だろ」
 悠人の言葉に、闘護は肩を竦める。
 「第一、一つ屋根の下に住んでるからって、何でもわかるんだなんて考える方が浅はかだぞ」
 「そんなもんかなぁ・・・?」
 「そんなもんだよ」


─聖ヨト歴331年 エクの月 黒 一つの日 昼
 ラキオス城下町

 「毎度のことながら、特に問題はなさそうだな・・・」
 周囲を見ながら闘護は呟いた。

 闘護はナナルゥを連れて城下町の見回りに出ていた。
 北方五国を統一して以来、スピリット隊は城下町の見回りに駆り出されることが多くなり、今回もその任についていた。

 「疲れたかい、ナナルゥ?」
 「いえ。大丈夫です」
 闘護の問いに、後ろを歩くナナルゥは首を振った。
 「そうか。ま、もう少しだし・・・ん?」
 その時、闘護は前方の野原で小さい子供達が遊んでいる姿が目に入った。
 『子供達は元気がいいな』
 「いいね。子供ってさ」
 元気に遊んでいる姿に、闘護は小さく笑った。
 「何がですか?」
 ナナルゥは首を傾げた。
 「ああして、無邪気に笑って遊んでるだろ。見ていて和まないか?」
 「・・・わかりません」
 ナナルゥの返答に、闘護は小さくため息をついた。
 『うーん・・・感情が失われかけてるから、こういう情緒に疎いんだな』
 闘護は考える。
 『やはり、これはよくない・・・何か、良い方法は・・・』
 ポン、ポン、ポン、コロコロコロ・・・トン
 「ん?」
 その時、闘護の足元に何かぶつかった。
 『何だ?』
 闘護は小さく足を動かした。
 コロコロ・・
 「ボール・・・?」
 闘護の足にぶつかったのは、直径20cmほどのボールだった。
 転がったボールは、今度はナナルゥの足元で止まった。
 「・・・」
 ナナルゥはぶつかったボールを凝視する。
 「どうした、ナナルゥ?」
 「これは、誰のものでしょうか?」
 「えっと・・・」
 闘護は周囲を見回した。
 「あっ・・・」
 その時、二人の後ろで遠慮がちに二人を見ている二人の子供が目に入った。
 「おーい、君達」
 【!!】
 闘護に見つかって、子供達は慌てて後ろに下がる。
 『ありゃ?ビビッてるみたいだな・・・』
 「このボールは君達のボールかい?」
 闘護は出来る限り優しい笑顔を浮かべて尋ねた。
 子供達は顔を見合わせると、一方の男の子がコクリとうなづいた。
 「うん・・・」
 「そうか」
 闘護はナナルゥを見た。
 「ナナルゥ。子供達に、ボールを返してやってくれ」
 「はい」
 ナナルゥはしゃがみこんでボールを拾うと、ゆっくりと子供達の方へ歩き出した。
 【!!】
 すると、子供達はビックリして更に後ろに下がった。
 「・・・」
 ナナルゥが立ち止まると、子供達も立ち止まり、先ほどのようにナナルゥをじっと見る。
 「・・・」
 再びナナルゥが歩き出した。
 【!!】
 またも子供達は後ろに下がっていく。
 『鬼ごっこしてるのかな・・・って、違うだろ!!』
 「おーい、ナナルゥ」
 慌てて我に返ると、ナナルゥを呼んだ。
 「はい」
 ナナルゥは立ち止まると、闘護のほうを振り返った。
 子供達もナナルゥが立ち止まったので、同じように動きを止めた。
 「君が近づくと、子供達は逃げてしまうみたいだな」
 闘護はそう言って、ナナルゥのいる所―元いた場所から本の数歩足らずしか離れていない―に来る。
 「おーい、君達」
 闘護は子供達に声をかけた。
 「どうして逃げるんだい?」
 【・・・】
 闘護の問いかけに、子供達は顔を見合わせた。
 「ただボールを返すだけだよ。怖がることは無いよ」
 闘護は出来る限り優しい口調で言った。
 「・・・だって、そのおねえちゃんはスピリットでしょ?」
 男の子がボソリと呟いた。
 『・・・』
 「ああ、そうだよ」
 闘護は表情も口調も変えずに答える。
 「スピリットと話しちゃ駄目だって、先生が言ってたもん!」
 もう一人の女の子が叫んだ。
 『・・・』
 「どうしてだい?」
 小さく首を傾げながら―内心の不快感を表に出さずに―闘護は更に尋ねた。
 「スピリットは汚れてるから、近づいたら汚れるって・・・」
 「それは嘘だよ」
 闘護はわずかに口調を強張らせて言った。
 「スピリットは汚れてなんか無いよ」
 「だって、先生が・・・」
 「このお姉ちゃんのどこが汚れてるんだい?」
 闘護はナナルゥを指した。
 「・・・」
 「どこか汚れてるかい?」
 「・・・ううん」
 女の子は首を振った。
 「綺麗だろ?」
 「うん・・・」
 女の子は頷いた。
 「だったら・・・」
 「あなた達!!」
 その時、子供達の後ろから大声がした。
 見ると、決死の形相を浮かべたエプロン姿の女性が立っている。
 「あ、先生・・・」
 女性は凄い勢いで子供達に走り寄ると、自分の後ろに立たせて闘護とナナルゥを睨んだ。
 「早く行きなさい!!」
 「え?」
 女性の叫びに、子供達はきょとんとする。
 「いいから、早く!!」
 【!!】
 女性の顔に、子供達は怯えた表情を浮かべる。
 「行きなさい!!」
 再度の叫びで、子供達は逃げ出すように走り去っていった。
 子供達が去ると、女性はキッと闘護たちを睨んだ。
 「子供達に近づかないでください!!」
 「何で?」
 闘護は勤めて冷静な口調で尋ねた。
 「スピリットは汚らわしいから・・・」
 「ふざけるな」
 女性の言葉を遮るように闘護は言った。
 無表情な分、凄みがある。
 「あんた、何様のつもりだ?」
 「何様ですって?私はあの子達の保護・・・」
 「保護?拘束の間違いじゃないのか?」
 「何ですって!?」
 闘護の言葉に、女性は怒りを露にした。
 「さっきの子供達の表情を見たか?」
 闘護は女性を睨んだ。
 「あんたの態度に、子供達は怯えていたぞ」
 「悪いことをしたんだから、叱って・・・」
 「悪いこと?ボールを渡すことが悪いことか?」
 闘護は吐き捨てた。
 「・・す、スピリットと関わることは、悪いことです!」
 闘護の気迫に、女性は後ずさった。
 「・・・何が悪いんだか」
 闘護は馬鹿馬鹿しそうに首を振ると、ナナルゥの手からボールを取った。
 「あ・・・」
 「返すぜ」
 闘護はボールを女性の方へ転がした。
 「ヒッ!!」
 しかし、女性は転がってきたボールを拒絶する。
 それは、あたかもばい菌に触ることを拒否するような態度だった。
 「・・・」
 闘護は何も言わずに女性に背を向けた。
 「帰るぞ、ナナルゥ」
 「はい」
 そして、そのまま歩き出した。


 「・・・くそっ!」
 しばらく歩いて、闘護は苛立たしげに叫んだ。
 『何が“スピリットに触ったら汚れる”だ。ふざけるな!!』
 先ほどの女性の態度に、闘護は強い憤りを覚えていた。
 「悪かったな、ナナルゥ。嫌な思いをさせて」
 闘護は隣を歩くナナルゥを見た。
 「いえ」
 ナナルゥは首を振った。
 『下らない迷信が、アホな大人から純粋な子供に伝わっていく・・・』
 「ああ、くそっ!腹立たしい!」
 「・・・トーゴ様」
 「ん?」
 「先ほどから、何を怒ってらっしゃるのですか?」
 ナナルゥの問いに、闘護は目を丸くした。
 「何をって・・・さっきの女の態度に、腹が立たないのか?」
 「腹が立つ・・・ですか?」
 ナナルゥは小さく首を傾げた。
 「わかりません・・・」
 「・・・」
 ナナルゥの回答に、闘護は絶句する。
 「先ほどの女性は怒っていました。私と関わることがよくないと言っていました。ですが、それとトーゴ様が怒ることに、関係があるのですか?」
 「・・・あるよ」
 闘護は唇をかんだ。
 「大いにある・・・何故だか、わからないか?」
 「はい」
 「そうか・・・」
 闘護はため息をついた。
 『自我が無い・・・無垢であるが故に、自分に向けられた感情を素直に受け止めるだけで、それが他の者に影響することがわからない・・・しかも、自分に向けられた感情に対しても、反応することが出来ない』
 「どうにかしないとな・・・」
 闘護は小さく呟いた。


─同日、夕方
 闘護の部屋

 『・・・よし。問題はないか』
 スラスラ・・・
 「これで、終わりだ」
 闘護はペンを置いた。
 「お疲れ様です」
 セリアが声をかける。
 「はい。チェック、頼むよ」
 「わかりました」
 セリアは闘護から書類を受け取ると、早速目を通し始めた。
 「ふぅ・・・」
 闘護は椅子に背を預けた。
 「・・・大丈夫です」
 セリアが書類から顔を上げた。
 「そうか」
 「では、提出してきます」
 そう言って、テーブルの上に置いてある書類をまとめだした。
 「・・・なぁ、セリア」
 「何ですか?」
 セリアは作業しながら返事をする。
 「人間って、どうしてスピリットを蔑視するんだろうな・・・」
 闘護の呟きに、セリアはピタリと動きを止めた。
 「・・・」
 「スピリットの何が悪いんだろうな・・・」
 「・・・人間はそういう存在ですから」
 セリアは固い口調で答える。
 「俺は教育が問題だと思うんだよ」
 「教育・・・?」
 「子供の頃から“スピリットは汚れてる”なんて教えられてるから、そういう風に考えるんだよ」
 「・・・」
 「どうにかしないと、いつまで経ってもスピリットと人間の関係は改善しないよな」
 「改善してどうなるのですか?」
 セリアの言葉に、闘護は目を丸くした。
 「どうなるって・・・」
 「人間はスピリットを道具と扱っています。そして、それが当然であると考えているのです」
 セリアは厳しい視線を闘護に向けた。
 「改善する意味があるのですか?」
 「俺は人間もスピリットも同じだと思ってるよ・・・少なくとも、心については、ね」
 闘護はゆっくりと言った。
 「人間の心とスピリットの心。どこに差があるんだ?俺にはわからない」
 「・・・」
 「人間が傷つくように、スピリットだって傷つく・・・いや、傷つくべきなんだ」
 闘護は拳を握り締めた。
 「“スピリットだからしょうがない”なんて諦めてたら、いつまで経ってもスピリットは道具としてしか見られない。変えるべきなんじゃないのかな?」
 「・・・そう簡単に変えられると思いますか?」
 セリアの口調は酷く辛辣だった。
 「難しいね。だけど、努力はすべきだ」
 闘護は強い口調で言い切った。
 「私は・・・無理だと思います」
 「どうして?」
 「人間は、身勝手で傲慢で・・・信用できませんから」
 「人間全てが身勝手で傲慢なのかい?」
 闘護は抑揚のない口調で尋ねた。
 「それは・・・」
 「それは?」
 「・・・そうでない人も・・・います」
 セリアの回答に、闘護は苦笑する。
 「確かに君の言う通り、身勝手で傲慢な人間もいるさ。だけどそうでない人間もいる」
 闘護は立ち上がった。
 「悪いところばかり見て、人間全体を見限るのは間違いだよ」
 「・・・」
 闘護の言葉に、セリアは言葉を失う。
 『ちょっと言い過ぎたかな・・・』
 「まぁ、異世界の異邦人が口を出すのはおこがましいと思うけど」
 闘護は頭を掻いた。
 「・・・一つ、聞いていいですか?」
 「何?」
 「トーゴ様は、今、どうしてそんなことを考えたのですか?」
 セリアの問いに、闘護は肩を竦めた。
 「今日ね、ナナルゥと見回りをしてたんだが・・・」

 闘護は見回りの時に起きたことをセリアに話した。

 「そうですか・・・そんなことが」
 闘護の話に、セリアは沈痛な表情を浮かべた。
 「間違った考えの大人が悪いし、その考えを子供に伝えようとするから尚悪い」
 闘護はため息をついた。
 「だから、この悪習をどうにかして矯正していかないと・・・いつまで経っても互いの溝は埋まらないと思うんだよね」
 「・・・」
 「それと、もう一つ気になったことがある・・・わかるかい?」
 「ナナルゥ・・ですね」
 セリアの言葉に闘護は頷いた。
 「自分に向けられた感情を理解できない・・・情緒が欠落している」
 闘護は難しい表情を浮かべながら腕を組んだ。
 「彼女もどうにかしてやらないと・・・あのままだと、神剣に取り込まれてしまうんじゃないかって心配になってね」
 「そうですね・・・」
 「何か方法を考えないと・・・」
 闘護はため息をついた。
 「私も何か考えてみます」
 「頼むよ・・・あ、それからここで話した事は・・・」
 「誰にも言いません」
 セリアの返答に闘護は頷く。
 「ありがとう」
 「いえ。では、失礼します」
 セリアはまとめた書類を持って一礼すると、部屋から出て行った。
 「ふぅ・・・」
 一人になった闘護はため息をついた。
 『この世界の人間の考え方、ナナルゥのこと・・・』
 「さて、どうするか・・・」


─聖ヨト歴331年 エクの月 黒 三つの日 昼
 訓練所

 ここ数日、体内のエーテルを安定させるための訓練を行っていた。
 内容は感情の制御で、アセリア、エスペリア、ハリオン、ヒミカ、セリア、ナナルゥ、ファーレーンは好成績を修めた
 一方、悠人、オルファリル、ネリー、シアー、ヘリオン、ニムントールはまだまだコントロールがうまくいかず、訓練士に何度も怒られていた。

 「はぁ・・・」
 ベンチに座り込んだ悠人は、深いため息をつく。
 「今日も駄目だったな」
 手に水の入った瓶を両手に持って闘護が近づいてくる。
 「もうちょっと感情の制御を練習しろよ」
 そう言って、片方の瓶を悠人に差し出す。
 「そうじゃないと、昨日みたいにまた佳織ちゃんの前で赤っ恥をかくぞ」

 前日の訓練は、佳織が見学に来ていたのだ。
 しかし、悠人はやはりうまくいかず、佳織の前で訓練士に怒られてしまった。

 「・・・うるせぇ」
 悠人はブスリとした表情で瓶を受け取る。
 「全く・・・」
 闘護は悠人の隣に腰掛ける。
 「・・・まぁ、人のことは言えないけどさ」
 そう言って、闘護は瓶をあおった。
 「お前はあの訓練をしてないもんな」
 「体内のエーテルが関知できないらしいからな」
 闘護は肩を竦めた。
 「訓練しようがない」
 「・・・」
 悠人は答えず、瓶をあおった。
 「さっき、オルファがさ。ネリー達と話してたんだけどな」
 闘護は空を見上げながら口を開いた。
 「“パパのおまたには、オルファとは違うものがついてる”って・・・」
 「だぁぁああああああ!!!」
 闘護の言葉を遮るように、悠人が叫んだ。
 「な、何言ってんだ!?」
 「で、この続きを詳しく言おうとしたオルファを、エスペリアが止めたんだな」
 闘護は愉快そうに言った。
 「その時の彼女の表情、今の君みたいに真っ赤な顔だったよ」
 「・・・」
 悠人は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
 「しかし・・・」
 闘護は目を細めた。
 「一体、何をやらかしたんだ?」
 「・・・」
 沈黙する悠人に、闘護は肩を竦めた。
 「言えないことなら、別に良いけど」
 そう言って、闘護は立ち上がる。
 「・・・なぁ、闘護」
 「ん?」
 「お前さ・・・スピリットと人間を区別するか?」
 悠人の問いに、闘護は首を傾げる。
 「区別するって・・・?」
 「例えばさ・・・」
 悠人は顔を上げた。
 「オルファがお前の大事な何かを壊したとするだろ。そしたら、どうする?」
 「怒るよ」
 「じゃあ、レスティーナが壊したら?」
 「・・・怒るに決まってるだろ」
 悠人の問いに、闘護は眉をひそめる。
 「何が言いたいんだ?」
 「・・・スピリットと人間が同じミスをしたときに、お前は区別するか?」
 「区別って・・・もしかして、人間なら許しても、スピリットなら許さないことがあるかどうか聞いてるのか?」
 「ああ・・・」
 「あるわけ無いだろ」
 闘護は即答する。
 「というか、何でこっちの世界の人間を優遇しなくちゃならないんだ?」
 「・・・だよなぁ」
 悠人は頷く。
 「当たり前のことを聞くなよ」
 闘護はそう言って悠人に背を向けた。
 「悪いな」
 悠人は小さく謝った。
 『やっぱり、闘護も差別なんかしないよな』
 去っていく闘護の背中を身ながら、悠人は思った。


─同日、夕方
 訓練所

 「ふぅ・・・」
 汗を拭いながら、闘護は一休みしていた。
 「あ、トーゴ様」
 突然声をかけられる。
 「ん・・・?」
 顔を上げると、ネリー、シアー、オルファリルの三人が闘護の方へ走り寄ってきた。
 「どうしたんだい?」
 「あのね。トーゴに聞きたいことがあるんだ♪」
 オルファリルが明るい声で言った。
 「俺に?」
 「うん」
 「君達もかい?」
 闘護はネリーとシアーに視線を向ける。
 「そうだよ」
 「う、うん・・・」
 「ふーん・・・で、何を聞きたいんだ?」
 「えっとね」
 オルファリルは視線を下げる。
 「・・・んん?」
 オルファリルの視線の方向に、闘護は眉をひそめた。
 オルファリルは真っ直ぐ闘護の股間を見つめている。
 「トーゴのおまたには、何かついてるの?」
 「・・・」
 オルファリルの問いに、闘護は唖然とする。
 「ねぇ、ついてるの?ついてないの?」
 「ついてるって・・・何がついてるんだ?」
 「えっとぉ・・・」
 オルファリルは考え込む。
 「小さいソーセージみたいなの」
 「・・・」
 「ねぇ、ついてるの?ついてないの?」
 「・・・ついてるよ」
 闘護は少し憔悴した表情で頷いた。
 「ホント!?」
 オルファリルは目を輝かせる。
 「ああ・・・」
 「ねぇねぇ、見せて見せて!!」
 「イヤだ」
 闘護は即答する。
 「えぇ〜」
 オルファリルはあからさまに不満そうな声を上げる。
 「・・・まさか、昨日悠人と何かあったのって・・・」
 「うん。お風呂に入ってたら、パパのおまたに変なのがついてたんだよ。握ってみたら、パパ、気を失っちゃった」
 「・・・わかった。もういい」
 『急所を掴まれたか・・・そりゃ、悶絶するわな』
 闘護は頭を抱える。
 「とりあえず・・・まだそういうことはわからなくていい」
 「どうしてどうして〜?」
 「どうしても、だ」
 闘護は強い口調で言うと、ネリーとシアーを見た。
 「もしかして・・・君達もオルファと同じ事を聞こうとしていたのか?」
 闘護の問いに、二人はコクリと頷く。
 「・・・君達も、まだ知らなくていい」
 そう言って、闘護はため息をついた。
 『スピリットにも性教育をするべき何だろうか?』


─聖ヨト歴331年 エクの月 黒 五つの日 夕方
 第一詰め所、食堂

 「ふぅ・・・」
 悠人は気の抜けた声を出す。
 「随分とだらけてるな」
 「闘護・・・」
 食堂の入り口に闘護が立っていた。
 「どうしたんだ?」
 「暇がだったから、ちょっと覗きに来たんだ」
 闘護はそう言って悠人の対面の椅子に腰掛ける。
 「平和だよなぁ・・・」
 悠人がボソリと呟く。

 龍の魂同盟が壊滅し、北方の大混乱も終息に向かっていた。
 レスティーナ王女とラキオス王は、属国となった地域の管理に忙殺され、当面新たな戦いは起こりそうにない。

 「ま、今のところは・・・な」
 闘護は肩を竦める。
 「だが、国の内情が落ち着いたら、また戦争が始まるだろう」
 「かもな」
 悠人は人ごとのように頷く。
 「はぁ・・・」
 『佳織と同居できるようになって、何処か張りつめた糸が緩んだかな』
 悠人はふと考える。
 『次の目的はハイペリアへの帰還、つまり元の世界に帰るだけど、どうすればいいのかあまりにもわからないんだよな・・・』
 「なぁ、闘護」
 「ん?」
 「元の世界に帰る方法ってあるのかな?」
 悠人の問いに、闘護は眉を動かした。
 「・・・さて、な」
 そう言って、椅子にもたれる。
 「一応、少しは調べてるけどね・・・」
 「調べてる?」
 悠人は身を乗り出した。
 「何を調べてるんだ?」
 「過去に、俺達みたいなエトランジェがいたかどうか・・・いたら、どうなったか・・・ってことをな」
 「じゃあ、何か帰る方法についてわかったのか?」
 悠人の問いに、闘護は首を振った。
 「残念ながら、エトランジェの存在は幾つか確認したけど、元の世界に帰ったっていう記録はない」
 闘護の言葉に、悠人はガックリと肩を落とす。
 「そうか・・・」
 「まだ、調べてる最中だけど、望みは薄いな」
 「うーん・・・どうしたものかなぁ・・・」
 悠人はため息をつく。
 その時
 「あ、パパ!!いたいた、探したよ〜!!」
 オルファリルがリビングにいる悠人を見つけると、文字通り飛んできた。
 「あ、トーゴもいたんだ」
 「ども」
 挨拶代わりに小さく手を挙げる。
 「ねぇねぇ〜、今カオリと遊んでるの!パパ達も一緒に遊ぼうよ」
 満面の笑顔のお誘い。
 「どうする?俺はいいけど」
 闘護が尋ねる。
 『んー、確かに暇だし、ここで悩んでても仕方ないか・・・』
 「ああ、別にいいよ。暇だったし」
 「わぁい!あ、お茶取りに来たんだった。ちょっと待っててね」
 そう言い残して、台所に消える。

 意外にもオルファリルは色々なことを器用にこなす事が出来る。
 お茶を入れれば普通に美味いし、料理も結構沢山のレパートリーを持っている。
 そして今日姿が見えないエスペリアは、用事があると言って朝からいない。

 「おっまたせ〜♪」
 お茶のポットと、カップを四つ持ったオルファリルが台所から戻ってくる。
 「パパ、トーゴ、行こ!!」
 悠人はさりげなくもてあましているポットを持ってやる。
 悠人の方を見て、オルファリルはニッコリと笑った。


─同日、夕方
 オルファリルの部屋

 オルファリルが扉を開け、悠人と闘護を先に押し込む。
 「どうぞ、どうぞ〜」
 「・・へぇ」
 中に入った悠人は感嘆の声を上げた。
 オルファリルの部屋は、良く片づけられていた。
 『性格上、もっと散らかり放題なのかと思ってたけど』
 悠人は失礼なことを考える。
 「あ、お兄ちゃん、先輩」
 ベッドに腰掛けていた佳織が、二人に気づいて立ち上がる。
 「こんばんは」
 「おす」
 「こんばんは」
 佳織は二人に挨拶し、悠人と闘護もそれぞれ挨拶を返す。
 『兄義妹といえども挨拶は忘れない。一体、誰に似てこんなに礼儀正しくなったのか?』
 悠人は心の中で呟く。
 『少なくとも俺に似た、ということはないな』
 そう考えて小さく苦笑する。
 「お茶のお代わりも一緒に到着だよ〜。エスペリアお姉ちゃんいないから、一番良いお茶持って来ちゃった〜!これね、すご〜く美味しいんだよ」
 お茶を出す容器をさするオルファ。
 「エスペリアに内緒で大丈夫なのか・・・?」
 闘護が悠人に耳打ちする。
 「大丈夫だと思う・・・多分。少なくとも、怒ることはないよ」
 悠人の回答に、闘護はふぅんと頷く。
 「パパはここ。トーゴはここに座って。はいっ、椅子だよ」
 オルファリルはポットを受け取って、勉強机(?)にお茶のセットと共に置く。
 机の上にはいくつかの本が散乱していた。
 「随分沢山の本があるなぁ」
 悠人は一冊を手に取る。
 表紙は聖ヨト語、しかも崩した書体で書かれていた。
 「・・・」
 『普通に書かれている物ですら満足に読めないのに、これじゃあ完全にお手上げだ』
 悠人はハァとため息をついた。
 『会話は多少出来ても、読み書きはなぁ・・・まぁ、話せるようになった段階で俺が満足してしまったの原因だろうなぁ』
 苦い表情のまま、本を机に戻す。
 「へぇ・・・勉強してたのか、オルファ?」
 別の本をパラパラとめくっていた闘護が尋ねる。
 「えへへ・・・そのつもりだったんだけど・・・」
 オルファリルはバツが悪そうに笑う。
 「途中で寝ちゃったんだ・・・」
 「あらら」
 闘護は苦笑しつつ、本に目を通している。
 「闘護、読めるのか?」
 「ん?ああ、読めるよ」
 【えぇ!?】
 闘護の回答に、悠人と佳織が声を上げる。
 「な、何だよ?」
 二人の態度に、闘護はたじろぐ。
 「そんな文字、読めるのかよ!?」
 悠人は信じられないような表情で尋ねる。
 「・・・あのなぁ」
 闘護は渋い表情を浮かべる。
 「第二詰め所の管理人をしてるんだぞ。どれだけの書類を見てると思ってるんだ?」
 「それじゃあ、先輩は文字を書くことも出来るんですか?」
 佳織の問いに、闘護は当然のように頷く。
 【・・・凄い】
 二人は感嘆の声を上げる。
 「まあ、俺の場合は必要に迫られたから仕方ないけどね」
 闘護は苦笑する。
 「ねぇねぇ、トーゴってどんな本を読むの?」
 オルファリルが興味津々な様子で尋ねる。
 「歴史書」
 【歴史書!?】
 今度は三人そろって声を上げる。
 「ど、どうしてそんなもんを読むんだよ!?」
 悠人が動揺した口調で尋ねる。
 「ちょっと、調べたいことがあったんだよ」
 闘護は肩を竦めた。
 「調べたいこと・・・さっき言ってた、帰る方法か?」
 「他にもあるよ」
 「どんなことですか?」
 佳織の問いに闘護は首を振った。
 「それは秘密」
 「秘密・・・ですか?」
 「そう。秘密」
 闘護はニヤリと笑った。
 「他には何を読むの?」
 オルファリルが更に尋ねる。
 「さて・・・地理の本とか、各国の経済、流通・・・って」
 三人が目を丸くしている事に気づいた闘護は言葉を止めた。
 「・・・この世界のことを勉強したいんだ。だから、そういう本を読んでるの」
 補足するように闘護は言った。
 「はぁ・・・凄いな、お前」
 悠人の呟きに、闘護は肩を竦める。
 「佳織ちゃんだって、本を読んでるだろ」
 闘護は佳織の膝の上を指さした。
 佳織の膝の上にも、一冊の本が置いてあった。
 「・・・佳織も、もしかして本とか読めるのか?その、ここの言葉で書かれているヤツ」
 悠人はパラパラとページをめくってみる。
 『何となく見覚えのある単語がある程度で、何が書いてあるかさっぱりわからん』
 「うん、ちょっとだけだけど・・・あ、でも読めるって言っても子供向けの簡単な本だけ。あとは難しくて、全然ダメだよ」
 「・・・もしかして、文字も書けたりするのか?」
 「ちょっとだけだよ。本当に平仮名が書けるくらいだよ」
 『日本語にたとえるならそうなんだろうけど、俺は全くわからない』
 悠人はため息をついた。
 『これが頭の出来の違いだろうか?』
 「永遠神剣は、どうしてこの辺りの知力は与えてくれないんだ・・・?」
 悠人がボソリと呟く。
 パシッ!!
 「バカタレ。“学問に王道なし”って言葉があるのを知らないのか」
 闘護は悠人の頭を叩いて説教する。
 「ちぇっ・・・」
 闘護に怒られて、悠人はふて腐れる。
 「もう、お兄ちゃんったら・・・」
 悠人の様子に、佳織は苦笑する。
 「佳織って凄いんだよ!オルファでも読めない字とか、読んじゃうんだもん。ビックリ〜」
 「そんなことないよ〜。オルファこそ、難しい言葉いっぱい知ってるよね。崩した言葉なんて、全然わかんないもん」
 二人とも、お互いを褒め合うモードに入ってしまった。
 『仲が良いというのはいいな。二人の義妹・・・オルファは父と呼んでるけど、幸せそうにしているのを見ると、とても心が晴れる』
 「いいな、こういうの」
 悠人は優しい笑顔で二人を見つめる。
 「そうだな」
 闘護も頷くと、暖かい眼差しを二人に向けた。

 オルファリルと佳織のおしゃべりは、既に一時間ほど経過した。
 悠人と闘護は二人のおしゃべりの隣で、のんびりとお茶を楽しんでいた。
 会話をBGMに、エスペリア特性の、ホメサシの葉と何らかのブレンドの、甘味の強いお茶をすする。
 「ねぇねぇ、パパ、パパ!!」
 「ん、なんだよ?」
 「この佳織の帽子って、パパがプレゼントしたの?」
 「へぇ・・・それって、確か「ナポリタン」って呼んでたね。悠人がプレゼントしたのか」
 闘護が佳織の帽子を見ながら呟く。
 「あれ?俺が買ったんだっけ?その帽子」
 「そうだよ〜。お兄ちゃんが、選んでくれて買ってくれたんだよ。忘れちゃったの?」
 佳織はちょっとだけ不満げに頬をふくらませる。
 『確かに買ったのは憶えているけど、俺が選んだんだっけ?』
 悠人はオルファリルの膝の上に乗っている不気味な帽子を見つめる。
 『今日子も言ってたけど、あの何も考えてなさそうな目が怖い・・・』
 「これ・・・もしかしてエヒグゥさんなの?」
 「エヒグゥ?」
 オルファリルの言葉に、悠人は首を傾げた。
 「俺たちの世界だと、ウサギに似てる動物だよ」
 闘護が補足説明する。
 『どうやら、この世界でも似たような動物がいるのか』
 「俺たちの世界では「ウサギ」って名前だけどな。こっちだとエヒグゥか。全く別の生き物かもしれないけど」
 「こっちにもウサギさんがいるんだ。ナポリタンに見せてあげたいなぁ」
 そう言って佳織はナポリタンに微笑みかける。
 「うん!オルファも本でしか見たこと無いけど。耳がおっきくて、小さな角が生えてて、カワイ〜んだよ♪」
 「・・・角?」
 悠人は目を丸くする。
 「ああ、角が生えてるよ」
 闘護は頷く。
 「まぁ、外見については、角が生えてる以外はウサギと変わらない」
 「わぁ、見てみたいな〜」
 佳織が夢見る瞳で呟く。
 「じゃ、オルファが見つけたら、捕まえといてあげる!それでね、佳織にプレゼントしてあげるぅ〜」
 オルファリルが胸を叩いて、そう佳織に宣言する。
 「え〜、いいよ〜。ウサギ・・・じゃなかった、エヒグゥ、可哀相だから」
 「だいじょうぶだよ。オルファにおっまかせぇ」
 『何が大丈夫なんだ・・・?』
 『会話がかみ合ってないような・・・?』
 悠人と闘護は首を傾げた。

 そんなことをしていると時間も過ぎる。
 取り止めのない話を存分に楽しんで、悠人と佳織はそれぞれの部屋に、闘護は第二詰め所に戻った。

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