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─聖ヨト歴331年 スリハの月 赤 一つの日 昼
 第二詰め所、食堂

 「えっと・・・」
 闘護は後ろに控えているファーレーンとニムントールをチラリと見た。
 「彼女たちの紹介だが・・・もう、みんな知ってるみたいだな」
 闘護はヒミカ達の態度に、肩を竦める。
 「はい」
 ヒミカが答えた。
 「だったら、省略して・・・部屋の割付だけど」
 「トーゴ様の部屋の隣が空いています」
 セリアの言葉に、闘護は頷く。
 「ああ。あそこは広いから二人一緒でいいよな?」
 闘護の問いに、ファーレーンとニムントールは頷く。
 「はい」
 「うん」
 「じゃあ、部屋割りはそれで決まり。荷物を運び入れようか」
 闘護は二人の前に置いてあるずた袋二つを持つ。
 「あっ・・・それは・・・」
 「運ぶよ」
 ファーレーンの言葉を遮るように闘護は言った。
 「で、ですが・・・」
 「最初の案内は管理人の仕事だよ」
 闘護はニヤリと笑った。
 「君たちは食事の用意をしておいてくれ」
 「わかりました〜」
 ハリオンが答える
 「さ、行こうか」
 闘護は歩き出した。
 ファーレーンとニムントールも闘護に続く。

 ガチャリ
 「ここが君たちの部屋だよ」
 ドアを開けながら、闘護は二人の方を振り返った。
 「ベッドは二つある。タンスは大きいのが一つだけど・・・兼用で構わない?」
 「はい」
 「荷物の整理をしたら下に降りてきてくれ」
 闘護は二人に荷物を渡した。
 「失礼するよ」
 闘護はそう言って部屋から出て行く。
 残された二人は顔を見合わせる。
 「・・・全然、怒ってないよ」
 「そうね」
 「・・・トーゴって、もしかして鈍感?」
 「こら、ニム」
 「だって・・・」
 「・・・」
 『殺そうとした私達を怒らない理由・・・直接聞くことでもないし』
 ファーレーンはしばし考え込むが、やがて小さく首を振った。
 「とにかく、こちらから振るような話ではないから、黙っておきましょう」
 「うん・・・わかった」


─聖ヨト歴331年 スリハの月 赤 二つの日 朝
 訓練所

 「じゃあ、早速君たちの実力を見せて貰うよ」
 闘護はファーレーン、ニムントールを見た。
 「はい」
 「何をすればいいの?」
 「まずは剣技からだ。セリア、ネリー」
 「はい」
 「はぁい」
 後ろに控えていたセリアとネリーが一歩、前に出る。
 「セリアはファーレーンの、ネリーはニムントールの相手をして貰おう」
 【わかりました】
 「じゃあ、始めようか」

 「やっ!!はっ!!」
 「はっ、ふっ!!」
 キンキンキン!!
 「ふむ・・・」
 ファーレーンとセリアの打ち合いを闘護はジッと観察する。
 『ファーレーンの剣速に、何とかセリアがついていってる・・・か』
 「やぁっ!!」
 「あぅっ!?」
 ガキーン!!
 ファーレーンの【月光】が、セリアの【熱病】を弾き、そのままセリアの胸元に切っ先が当たる。
 「・・・参りました」
 セリアが呟く。
 すると、ファーレーンは【月光】を鞘に収めて一歩下がる。
 「ありがとうございました」
 「ありがとうございました」
 二人は互いに礼をする。
 『これなら即戦力になるな・・・』

 「えいっ!!たぁっ!!」
 「やぁっ!!とぉっ!!」
 ガキン!!ガキン!!
 「ん〜・・・」
 ニムントールとネリーの剣戟を、闘護はジッと観察する。
 『動きは悪くない。接近戦ができないこともない・・・んだがなぁ』
 「しつっ・・こい!!」
 「こんのぉ!!」
 ガキン!!ガキッ!!
 二人とも、段々表情を険しくしていく。
 『喧嘩してるように見えるのは・・・気のせいか?』
 闘護は頭を掻いた。

 「ウィークン!!」
 シュォオオオオ・・・
 ファーレーンの神剣魔法を闘護はジッと観察する。
 『ヘリオンと同じ、ブラックスピリットの魔法か・・・』
 「ふぅうう・・・」
 ォオオオオオ・・・
 『うーん・・・あまりダメージを期待できないブラックスピリットの魔法を使わせるくらいなら、接近戦に集中させた方が効率が良いかもしれないな』

 「ウィンドウィスパー」
 パァアアア・・・
 ニムントールの神剣魔法を闘護はジッと観察する。
 『ふむ・・・やはり、補助系の魔法はグリーンスピリットが一番得意だな』
 「ふぅ・・・」
 シュゥウウウ・・
 『この威力なら、ハリオンと同じ役割を任せられるな』

 「二人の実力はわかった。これなら、即戦力として扱える」
 闘護の言葉に、ファーレーンとニムントールは目を丸くした。
 「本当ですか!?」
 「嘘を言ってどうするんだ?」
 ファーレーンの言葉に、闘護は肩を竦める。
 「だって・・・あれだけしかしてないのに・・・」
 ニムントールが言った。
 「俺が見たかったのは、接近戦の実力と神剣魔法だったんでね。あれだけ見れば十分だ」
 闘護は二人を見た。
 「今はまだ、戦闘が本格化してないから戦線に出るって事はないが・・・いずれ、活躍してもらうよ」
 闘護はそう言って後ろに控えているセリア達を見た。
 「じゃあ、訓練を始めようか」
 【はい!!】


 ダーツィ大公国はラキオス王国に対して、宣戦を布告したものの、睨み合いという状況が続いていた。
 ラキオスでの訓練と小競り合い程度の戦い。消極的な戦闘・・・
 あまり血が流れないことが、悠人には嬉しいことだった。
 そうして、戦時下とはいえ、ほんの少しの平穏を迎えていた。


─聖ヨト歴331年 エハの月 青 二つの日 昼
 悠人の部屋

 コンコン
 「はい」
 「エスペリアです。ユート様、ただいまよろしいでしょうか?」
 「ああ、どうぞ」
 ドアが開き、エスペリアが入ってきた。
 手には買い物籠を持っている。
 「失礼いたします。ユート様、これからお買い物に出るのですが、何かご入り用な物はございますか?」
 『入り用な物、か・・・』
 「うーん・・・」
 悠人はふと気づく。
 『あ・・・そういえば、俺はこの世界の物をほとんど知らない。何って言われても、何があるのやら・・・』
 「これって・・・やっぱりマズいよなぁ」
 「・・・ユート様?」
 エスペリアが不思議そうに悠人をのぞき込む。
 「あ、ゴメンゴメン。考えてみたらこの世界の食品とか、何にも知らないなって思ってさ。これって名指しできる物がないから」
 悠人は頬を掻く。
 「俺の世界とは、形が同じでも名前は違う・・・っていうのも多いしさ」
 「あ・・・申し訳ありません・・・」
 言ってはならないことをいってしまった、といった感じでエスペリアはとっさに謝る。
 「ち、違う違う!」
 慌てて悠人は手を振る。
 「俺、そんなつもりで言ったんじゃないから!ただ、本当に知らないからさ・・・」
 『そうだ。エスペリアは俺のことを人一倍気にしていてくれているんだ。ちょっとでも俺を傷つけないように、いつも言葉を選ぶんだから』
 悠人は心の中で呟く。
 「あ、そうだ!俺も一緒に行くよ。まだこの世界の市場って覗いたことないし、買い出しなら荷物もちがいた方がいいだろ?」
 「え!?ユート、様もです・・・か?」
 エスペリアの顔に狼狽の色が浮かんだ。
 『一緒に行ったらよくないのかな?』
 「なんか問題あるなら、止めとくけど」
 「い、いえ!!決してユート様と出かけるのが嫌なわけではなくて。むしろ、そう言って下さってとても嬉しいのですが」
 エスペリアは歯切れの悪い返答をする。
 「せっかくだから一緒に行くよ。外の人たちの生活も見てみたいし」
 悠人はニコリと笑って、エスペリアの肩に手を置く。
 その瞬間、エスペリアの狼狽の度合いが一気に増した。
 「ゆ、ユート様っ!!」
 「あ、ちょっと着替えるから、外で待っててくれるかな」
 悠人はまだ寝間着のままのズボンを指さす。
 「あ、え、あ、は・・はいっ!!し、失礼しましたっ!!」
 エスペリアは顔を真っ赤にして部屋の外へと飛び出していった。
 『少し強引だったけど、まぁいいだろう』
 悠人は立ち上がった。
 『最近のエスペリアの態度も気になるし、一度ゆっくりと話したいと思ってたし・・・それに、正直、外を見てみたいんだよな』
 「それにしても・・・」
 悠人は、以前エスペリアとの逢瀬を思い出す。
 『清楚なエスペリアと妖艶なエスペリア・・・どっちが本当のエスペリアなんだろう?』
 悠人はズボンを脱ぐ。
 『あのときのエスペリアは酷く哀しそうだった。その理由は多分闘護が言った通りだろうけど・・・』
 悠人は制服のブレザーを手に取り、素早く着替える。
 「よーし」
 悠人はドアの方を見た。
 「エスペリア、お待たせ!」
 「はいっ」
 エスペリアの返事と、それに遅れてドアが開いた。
 「失礼いたします。それでは市場に参りましょう」
 「ああ、行こう行こう」


─同日、昼
 ラキオス城下町

 悠人達がすんでいる館は、場内の奥に位置している。
 ラキオスは、小高い丘に建つ城を中心に、外へと向かって城下町が広がっていた。
 城下町と城は、城壁で分離されている上に、道は大通り以外は細く曲がりくねっている。
 街そのものが要塞となっているのだ。
 スピリットとの戦いにおいて、要塞化した町に意味はないが、それは人と人が争っていた時代の名残なのであろう。
 その為、道は入り組み、旅人が不用意に動き回ると宿に戻ることさえ困難なのではないかと思える。

 「ユート様。ここがラキオスの市場です」
 目の前の大通りを指してエスペリアが言った。
 「へぇ〜、やっぱり活気があるなぁ。俺たちの世界とそんなに変わらないや」
 悠人は呟く。
 「やっぱり、八百屋なんかは同じか。あ、あっちは武器屋か。剣とかが並んでいるのは、さすがはこっちの世界って感じだな」
 「ふふ・・・やっぱり、ユート様の世界とは違うところも多いですか?」
 「ああ、そうだな〜。売っている物違うと、なんかワクワクするよ」
 悠人は笑顔で答える。
 「もともと、店を見て回るのが好きなんだよ、俺」
 「ユート様、とても楽しそうですね。私もなんだか楽しくなってきます」
 悠人につられてエスペリアの表情も明るくなってくる。
 「あ、あの赤い果実が、この前のミミルの実ですよ。そのままでも美味しいんですよ」
 「確かオルファも好きだったよな」
 「あの娘は甘い物が大好きですから。それで測っていきましょう。ユート様はここで待っていて下さい。ちょっと時間がかかりますので」
 「?時間かかるんだ」
 「はい。私たちは現金は持てません。署名で買うことになるので時間がかかるんです。お店の方に了解も取らなくてはならないので」
 「そっか。じゃ、少しこの辺の店見てていいかな?」
 「は、はい。ええと・・・あまり離れないで下さいませ。迷いやすいので」
 「ああ、わかった。このすぐ近くをグルッと見てくるだけにするよ」
 「それではお気をつけて下さい」
 「それじゃあ」
 「はい」
 悠人はエスペリアに背を向けて、市場の散策を開始した。

 それから小一時間、悠人は海外旅行に来た観光客のように、色々な物を物色して回った。
 肉屋、野菜屋、香辛料屋などといったよくあるものの他に目についたのは、武器屋やお菓子屋、それにスープ屋といったものである。
 武器屋では、武器や防具それぞれにランクがあり、値段もランクに従って分かれていた。
 しかし、そのどれもが綺麗に作られており、すぐに壊れそうなものばかりに感じられた。
 『前に闘護が、“この世界の武器は見た目だけで実用性はゼロ”って言ってた・・・アクセサリーみたいなものなのかもしれないな』
 お菓子屋は揚げ物専門の店、焼き物専門の店、他にも和菓子みたいな物も見つけた。
 スープ屋では、材料がよくわからないスープをたくさん売っている店だった。
 『いい香りだな・・・なんだか、腹が減った気分だ』
 悠人は店先から離れて路地の壁にもたれかかる。
 『やっぱり一人になると、外国にいるような感じで不安だな』
 悠人はふと考える。
 『いつも一緒にいてくれるエスペリアがいないだけで、こんなにも不安になるんだな・・・』
 悠人は落ち着かない気分になって、壁沿いに路地を歩く。
 「佳織は・・・泣いてないかな・・・」
 『俺には側にいてくれる人たちがいる。でも佳織の孤独を癒してくれる人はいるのだろうか・・・』
 悠人の表情が暗くなる。
 『オルファは遊びに行ってくれてるけど、それだっていつもじゃない・・・』
 「佳織・・・あれ?」
 路地を抜けた場所は全く知らない道。
 悠人はボンヤリと歩いていたので、道順も覚えていない。
 「まさか・・・俺、迷子か?」
 悠人は小高い丘の城壁を見上げた。
 『城壁を目指して歩けばいずれたどり着けるだろう。もしわからなかったら、人に聞けばいいし・・・だけど・・・』
 「エスペリアが心配すると・・・探し回ってるかもしれない」
 悠人の脳裏に、行方不明になった自分を捜すエスペリアの姿浮かぶ。
 『何とか戻らないといけないだろうなぁ・・・』
 「ええ、と・・・こっちだったっけ?なんか、どれも見たような感じだからわかんないな・・・」
 悠人は周囲を見回す。
 その時、視界に知っている顔が目に入った。
 「あ、闘護!!」
 悠人の前方10メートルほど先の所を歩いている闘護に声をかけた。
 「ん?悠人じゃないか」
 悠人の声に気づき、闘護が走り寄ってくる。
 「何してんだ?こんなところで」
 「あ、ああ・・・」
 闘護の問いに、悠人は言葉を濁す。
 「ん?」
 「実は・・・」
 悠人は言いにくそうに頬を掻く。
 「まさか・・・道に迷ったのか?」
 闘護の指摘に、悠人はビクリと反応する。
 「・・・やっぱりか」
 「・・・」
 「まあ、仕方ないさ。この町は道に迷いやすいんだ」
 闘護は励ますように悠人の肩を叩く。
 「うう・・・」
 悠人は情けない声で呻く。
 「で、どこに行くんだ?」
 「えっと・・・エスペリアの所に戻りたいんだけど」
 「エスペリアの所か」
 闘護はウンウンと頷く。
 「で、ドコにいるんだ?エスペリアは」
 「・・・えっと」
 闘護の問いに、悠人は再び言葉を濁す。
 「・・・どこかわからないのか?」
 「・・・」
 「さて・・・困ったなぁ」
 闘護は頭を掻いた。
 「とりあえず、エスペリアと別れたところまで戻ろう。それなら、どこかわかるだろ?」
 「ああ。確か武器屋みたいな所で・・・」
 「ふんふ〜ん♪」
 「ん?」
 「さっきの道があれだから・・・」
 「ふんふふんふ〜ん♪」
 「ええ〜と・・・」
 「おい、悠人。後ろ・・・」
 ドンッ!!!
 「わっ!!」
 「きゃっ!!」
 ドサッ
 何か軽いものが落ちる音がした。
 「?」
 悠人が後ろを見ると、痛そうに尻餅をついている女の子の姿。
 「あいたたたた・・・」
 ぶつかった、というよりも悠人が突き飛ばしてしまったという感じである。
 お団子頭の女の子は頭をさすっている。
 「あ、すいません!」
 「ううぅ〜〜〜もう!気をつけて、って・・・あ!」
 女の子は悠人を見上げると目を見開いた。
 「ああ!ああああ!!あああああああっっっ〜〜〜〜!!!」
 二人を指さして、大きく驚きの声を上げる。
 「うわっ!!」
 「な、なんだ!?」
 悠人と闘護はびっくりして僅かに後ずさる。
 「あ、あ、ええと・・・あの、その、えーと、その」
 今度は、やけに歯切れの悪い反応を返す。
 『なんだ?怒るどころか、戸惑いを隠すのに必死というか・・・』
 悠人は眉をひそめる。
 「そ、そうだ!な、なにをするかぁ〜〜っ!!」
 女の子は思い出したように叫ぶ。
 『・・・何で怒るのを思い出してるんだ?』
 闘護は首を傾げる。
 「ええ、と。そう、そうだよ。気をつけて歩きなさいよ・・・鼻が潰れるかと思ったじゃない」
 女の子はうずくまったまま鼻をさする。
 「い、いや。本当にごめ・・・」
 「って、ああああああっっっっっっ!!!」
 悠人の言葉を遮るように、女の子が再び絶叫する。
 「うわっ!!今度は何だ!?」
 「あぁぁぁぁ〜〜!!わたしのヨフアルぅ!!」
 「ヨフアル?あ」
 二人が地面に視線を落とすと、お菓子のようなものが散乱していた。
 ヨフアルと呼ばれたそれは、外見はワッフルそのものである。
 「ヨフアルが、ヨフアルが・・・おおぉぉぉ」
 女の子は砂にまみれたワッフルを見てがっくりと肩を落としている。
 「あらら・・・」
 闘護は気の毒そうに女の子を見る。
 その姿は、悲壮感たっぷりで、ぶつかった悠人は強烈な罪悪感を感じる。
 「ええ・・・と。その・・・」
 「うう〜〜。せっかくの焼きたてが・・・一度も味わうことなく・・・こんなにも・・・こんなにも美味しそうだったのにぃ〜」
 女の子は切なげにワッフルを見つめて独り言を呟く。
 悠人の中の罪悪感がどんどん膨れあがる。
 「美味しいのに。絶対に美味しいのに」
 「ご、ごめん」
 女の子は立ち上がると、キッと悠人を睨んだ。
 「弁償っ。ヨフアル買ってきて!」
 「え、ええっ!?」
 女の子の言葉に、悠人は動揺する。
 『ヤバイ・・・俺、この世界のお金なんて一円も持ってないぞ。と、いうか円じゃないだろう、絶対』
 心の中で突っ込む。
 「と、闘護・・・」
 「言っておくが、俺は無一文だ」
 悠人の言葉を遮るように闘護は言った。
 『エスペリアもいないから、どうしたら支払いが出来るのかもわからないし』
 「わ、悪い。俺、お金持ってないんだ。え、ええと、その、この国には来たばかりだから。ほら、南の方から」
 悠人は慌ててごまかす。
 「・・・ふ〜ん」
 女の子の目は、悠人の言葉を全く信じていない。
 「嘘でしょ」
 「そ、そんなことはない!断じてない。金はない。本当に・・・」
 女の子は、悠人をジーッと上から下まで値踏みするように見る。
 「確かに、お金は持ってなさそうだけどね」
 女の子はゆっくりと言った。
 「それじゃ、買ってきて!すぐそこのお店の。はい!お金」
 悠人の目の前にコインが二枚、差し出される。
 「私、待ってるからね。それで買えるだけね」
 「で、でも。俺は何かを買ったことがないから・・・」
 悠人が困ったように呟く。
 「わかった。行ってくるよ」
 その時、闘護が助け船を出す。
 「闘護。買い物の仕方、わかるのか?」
 「一応、な」
 「ほら、早く早く」
 女の子は二人を急かす。
 「・・・すぐそこだな。わかった、行ってきます」
 「行ってくるよ」
 「うむ。行くがよい」
 女の子の返答に、二人は苦笑する。
 「承知いたしました」
 「暫しお待ちを」

 ヨフアル屋の前に行くと、ちょうど焼き上がるところらしく、待っている人間で混雑していた。
 二人は一番後ろに並び、大人しく順番を待つ。
 『しかし・・・見た目といい香りといい、限りなくワッフルに近い。確かに美味そうだなぁ・・・怒るのも無理ないか』
 悠人は心の中で考える。
 『だけど、あの子の落胆ぶりは・・・』
 先程の女の子の様子を思い出して、悠人は小さく笑う。
 「どうしたんだ?急に笑って」
 闘護が声を掛ける。
 「いや、さっきの女の子の態度がね」
 「ああ、成る程」
 闘護は納得したように頷く。
 「確かに、感情の起伏の激しい娘だよな」
 「あの落胆ぶりは凄かったな」
 「よっぽど、ワッフルが好きなんだろう」
 「だな。ははは」
 「あはは」
 二人は笑いあった。
 そうこうしている間に、大量のワッフルならぬヨフアルが焼き上がった。
 店主が手際よく型から外してゆく。
 『うーむ、器用なもんだなぁ・・・』
 焼きたてを楽しみにしている人たちがどんどん買っていき、あっという間に二人の番になった。
 「おじさん、これで買える分だけ!」
 悠人は店主にコインを差し出す。
 片手で硬貨を受け取りながら、反対の手で紙袋の中に手際よくヨフアルを三つ入れてゆく。
 「へぇ・・・美味そうだな」
 闘護が包みをのぞき込みながら呟く。
 「ああ。いい香りだ」
 笑顔と共に手渡された包みはまだ温かく、美味しそうな香りが二人の腹を刺激する。
 『ま、これならあの娘も納得してくれるだろ・・・』

 「おそ〜いっ!!」
 戻った二人を迎えた第一声がこれだった。
 「遅いってなぁ。焼きたてもってこいって言うから、わざわざ・・・」
 「遅いものは遅いの!」
 悠人の言葉を遮るように女の子は言う。
 「今日はこれだけが楽しみだったんだから」
 「はい、ヨフアル三つとお釣り。それじゃ、俺達はちょっと急ぐから」
 「じゃあね」
 二人は女の子に背を向けた。
 『もう、時間が大分過ぎたな。エスペリアは城に帰ったかな』
 「なぁ、闘護」
 悠人は城に戻る道を聞こうと闘護を見た。
 「ちょっと待ったっ」
 「ぐえっ」
 悠人は女の子に襟を思いっきり引っ張られる。
 首の部分が閉まり、息が詰まる。
 「おいおい」
 闘護は目を丸くする。
 「ちょっとちょっと。私のヨフアルを犠牲にして、これだけで逃げるつもり?」
 女の子は人差し指を左右に振る。
 「ち、ち、ち。いくらなんでも、そりゃないんじゃないかなぁ〜」
 「いや、俺達は人を捜しているからさ。こんなところで寄り道している時間はないんだ」
 「そうだな」
 闘護も頷く。
 「だ〜め。逃がさないもん。はい、これ」
 悪戯っぽく笑うと、女の子はワッフルならぬヨフアルを一つ取って悠人の前に差し出す。
 綺麗な茶色に焼けたそれは、まだ湯気を立ち上らせる。
 「くれるのか?」
 「まあね。お駄賃ってヤツだよ」
 悠人はワッフルならぬヨフアルを受け取る。
 続いて、もう一つワッフルならぬヨフアルを取り出すと、闘護に渡した。
 「俺にも?」
 「もちろん。あげるんだから付き合ってよね」
 女の子は悠人の手を握る。
 「この路地を抜けたところに、お気に入りの場所があるんだ。そこに行って食べよ?」
 さっきまでの不機嫌そうな表情は一変して、女の子は明るい笑顔になって悠人の手を強く握る。
 「あ、え、ちょっと待てってばっ」
 「おいおい」
 悠人と闘護は慌てて制止しようとする。
 「いいの、いいの!どうせ暇なんでしょ?」
 「別に暇って訳じゃないんだけど・・・まぁでも、ちょっとくらいなら大丈夫だと思うけど・・・」
 「・・・悠人。どっちなんだよ?」
 闘護がジト目で突っ込む。
 「ほら、行こっ。走って走ってっ!!」
 「お、おい・・・」
 強引に腕を引っ張られ、悠人は少女と共に路地を走り出した。
 「まったく・・・」
 闘護も呆れた顔で二人の後をついて行く。


─同日、昼過ぎ
 ラキオス城下町 高台

 2階建ての民家の間にある細い道を三人は走り抜けていく。
 見上げると、建物の隙間から見える空は透き通るように青い。
 『なんだか子供の頃を思い出すな・・・』
 『懐かしい感じだ・・・』
 悠人と闘護は、何故か胸がドキドキするのを感じ、短い階段を一気に駆け上がる。
 狭い通路の壁が勢いよく過ぎ去ってゆく。
 心地よい風が吹いて、目の前の女の子の服の裾を揺らす。
 「どこまで行くんだよ!えーと・・・」
 悠人の問いかけに、女の子は振り返ることなく答える。
 「もうすぐだよ!私は・・・」
 弾んだ声が聞こえ、女の子はいっそう強く悠人の手を握りしめる。
 「私の名前は、レムリア!レムリアだよ!!」
 レムリアと名乗った女の子と悠人と闘護は、幾つ目になるかわからない石段を駆け上がり、強い逆光の中に飛び込んだ。
 「とうちゃ〜〜く」
 悠人と闘護の視界いっぱいに青い空と湖が広がった。
 「やっと着いたよ。ここが私のとっておきの場所なんだ〜」
 レムリアは振り返った。
 「う〜〜〜んっ!いい天気だなぁ」
 ラキオスの街の城壁の隙間に出来た小さな高台。
 随分と城に近い、高いところまで来ているのだろう。湖面からの距離はかなりある。
 何のために作られたのかわからない小さな展望台。
 迷路のような路地を走り抜けてやっとたどり着ける場所。
 湖と空、そして遠くの森と山が見える。
 「ここがとっておきの場所か。そうだな・・・確かに、これならとっておきになるよな」
 悠人は一歩踏み出して遠くを眺める。
 「確かに・・・」
 闘護も悠人の隣で遠くを見つめる。
 二人は城の中や戦いの場所とは違う、清々しい空気をいっぱいに吸い込む。
 『ここの世界に来て、初めて外を感じた・・・』
 「・・・この国ってこんな綺麗だったんだ」
 悠人は広がる風景に、素直に感動する。
 『へぇ・・・』
 「本当にな・・・」
 闘護は少し意外そうに呟く。
 「いいでしょ。大好きな場所なんだ。人も来ないしね。私の秘密基地!!」
 そう言って、レムリアはニッコリと笑う。
 「そうだな。確かにこれは凄いよな。えーと、レムリア」
 悠人はレムリアを見た。
 「全くだ」
 闘護もレムリアに視線を移す。
 「・・・っと、そういや俺はまだ名乗ってなかったよな」
 悠人は自分を親指で指した。
 「俺は悠人。高嶺悠人」
 「闘護だ。神坂闘護」
 闘護も自己紹介をする。
 「ユート君にトーゴ君だね。ふふ、変な名前!」
 「そりゃしょうがないさ。俺達は元々、この国の人間じゃないからな」
 闘護が肩を竦める。
 ふんふんと相づちをうってから、レムリアは服の砂を払って改めて悠人の方を向く。
 「私はレムリアだよ。この町のね〜、ええと、そうそう、西の地区に住んでいるんだ」
 レムリアは手を差し出した。
 「ああ、よろしく。レムリア」
 悠人も差し出された手を握り返す。
 レムリアの手は女の子っぽい小さな手で、少しひんやりしていた。
 『・・・あれ?』
 悠人は若干の既視感を感じた。
 『前から知っていたような、そうでないような・・・?』
 悠人が考えている間に、レムリアは悠人から手を放す。
 「よろしく、トーゴ君」
 続いて、レムリアは闘護に手を差し出す。
 「こちらこそ」
 闘護も握手をする。
 「えへへ」
 『・・・ん?』
 闘護はレムリアの顔を見る。
 『どこかで会ったような・・・うーん・・・』
 闘護が考えている間に、レムリアは闘護から手を放す。
 「さ、ヨフアル食べよ。もう待ちきれないもん」
 「あぁ・・・走るのに夢中で忘れてた」
 悠人は左手に持っていたヨフアルのことをすっかり忘れていた。
 少しだけ強く握ったため、カタチが崩れてしまっている。
 「そういえば・・・」
 闘護も自分の持っているヨフアルを見る。
 闘護のヨフアルは、特に力を込めていたわけではなかったので原形を保っている。
 「ま、味には変わりないか」
 悠人はヨフアルを一口で半分くらい頬張る。
 『やっぱり、ワッフルに似た味だ。でも、砂糖じゃなくて何か果物を使ってるみたいだ。桃の缶詰のような、不思議な甘さが口の中に広がっていく』
 「うん、確かに美味いな!このワッフル」
 「どう?おいしーでしょ?私のとっておきの一つなんだから」
 レムリアは誇らしげに言う。
 「でも、ワッフルじゃないよ。ヨフアルだよ」
 なにか「一本取った」という具合の得意げな顔をする。
 「へぇ・・・じゃあ、俺も」
 闘護もヨフアルを口に運ぶ。
 「モグモグ・・・成る程。美味い」
 「二人とも、じっくり味わってよね。このヨフアルはそれに値する傑作なんだから!」
 「そうだな。そうするよ」
 髪を揺らす風が心地よく、穏やかな午後の日差しの中、三人はゆったりとした時間を過ごした。


 「やばい!流石にそろそろ城に戻らないと」
 『随分と時間が経ったんじゃないのか?』
 ヨフアルを食べ終わった後も、特に言葉を交わすわけでもなく三人とも空を眺めていた。
 『あれからだけでも、1時間くらいは経ってるだろうな・・・』
 すると、レムリアが笑った。
 「お城に帰るなら簡単だよ」
 レムリアは路地を指さす。
 「路地を道なりに行ってね。初めの分かれ道を右に行けば、お城の前に出るから」
 「へぇ〜、流石に詳しいんだな」
 悠人が目を丸くする。
 「そりゃあね。私にとって、この辺りは庭みたいなものだもん。ず〜〜〜〜っと、この街に住んでるからね」
 「そうなのか・・・この街から出たことはないのか?」
 悠人が尋ねる。
 「う、うん。私はずっと、この街の中だけだから」
 レムリアの顔に一瞬だけ寂しげな色が浮かんだ。
 『ん?その顔・・・』
 「レムリア」
 闘護はまっすぐレムリアを見る。
 「何、トーゴ君?」
 「前に何処かで会ったこと、ないか?」
 「そ、そんなことないよ!!」
 闘護の問いに、レムリアは明らかに動揺して叫ぶ。
 「・・・」
 闘護は懐疑的な視線をレムリアに向ける。
 「無いったら無いったら無いよ!!」
 レムリアは押し切るように叫ぶ。
 「あ、ああ・・・わ、わかった」
 レムリアの勢いに押されて、闘護は慌てて頷く。
 「ホントに初めてなんだからね!!」
 闘護、そしてつられるように悠人もコクコクと頷く。
 「ささ、二人は帰った帰った。お城の人に怒られちゃうよ。もう少し遅くなると門番の人が、うるさい人になっちゃうからね。ほら、早くしないと」
 「へぇ〜・・・随分詳しいんだな」
 悠人が目を丸くする。
 「ま、まぁね。この街のことなら任せといてよ。さぁ、いったいったぁ」
 レムリアは急かすように二人を押す。
 『確かに、門番の兵士にくどくど言われるのはかったるいけど・・・何で、レムリアがこんなに焦るんだ?』
 「わかったから、押すなってば。もう帰るよ」
 悠人が慌てて答える。
 「あ、危ないって」
 闘護も焦る。
 「さ、帰った帰った」
 「あ、今度ワッフル代は弁償するよ。ごちそうになったし。どこかで待ち合わせる方がいいかな?」
 悠人の言葉に、レムリアは人差し指を左右に振る。
 「チチチ。約束なんて無粋だよ。逢えるときは逢えるもんだから」
 「うーん、そんなもんかもな・・・?」
 悠人は小さく首を傾げる。
 「じゃあ、また逢ったら何か埋め合わせするよ」
 闘護の言葉に、レムリアは頷く。
 「うんうん。そうそう。じゃ〜ね!ユート君、トーゴ君」
 「こ、こら!だから危ないって!!」
 「うわっと!!」
 レムリアはグイグイと階段の上から押し込んでくる。
 二人は慌てて階段を駆け下りる。
 「ばいば〜い。ユート君、トーゴ君。また逢えたらね!!」
 二人は振り返って見上げる。
 レムリアは逆光の中、手を振って見送っていた。
 二人は軽く手を振り替えすと、城の方へと走り出した。
 「なんか、変な娘だったなぁ」
 悠人がぼそりと呟く。
 「・・・だけど、全然不快じゃなかったよ。むしろ、楽しかったよな」
 闘護が口を挟んだ。
 「俺もそう思った」
 「また逢えたら、って言ってたよな」
 「そうだな」
 「逢えたらいいなぁ」
 「ああ」
 城へと戻りながら、二人は自然と頬が緩むのを止められなかった。


─同日、夕方
 第一詰め所前

 「じゃあ、また明日」
 「ああ」
 闘護は悠人に背を向けて第二詰め所の方へ歩き出した。
 『そう言えば・・・』
 その時、悠人の頭の中に一つの疑問が浮かんだ。
 「おーい、闘護!」
 悠人の叫びに、闘護は立ち止まると振り返った。
 「何だ?」
 「今日、どうしてあんな所にいたんだ?」
 「あんな所って・・・?」
 「俺が道に迷ったところ」
 「ああ・・・」
 闘護は思い出したように頷く。
 「ちょっと物を買いに行ってたんだ」
 「物?」
 「そう」
 闘護はポケットの中をまさぐる。
 「こっち、来いよ」
 「ああ」
 闘護に言われて悠人は闘護の側による。
 「これを買ってたんだ」
 闘護はポケットから手を出すと、側に来た悠人に掌の中身を見せた。
 「・・・なんだこれ?」
 悠人は眉をひそめた。
 闘護の掌の上にあるのは、黒ずんだ直径1cm程度の球だった。
 「鉛の球だよ」
 「鉛の球?」
 「そう」
 闘護は掌で球を転がす。
 「何に使うんだ?そんなもの」
 「・・・」
 闘護は周囲をキョロキョロ見回す。
 「・・・よし、誰もいないな」
 「?」
 「誰にも見られたくないんでね」
 闘護はそう言うと少し離れたところにある木を見た。
 「闘護?」
 「見てろよ」
 闘護はそう言って、鉛球を握った。
 「・・・」
 ドゴッ!!
 「!?」
 突然何かが激突した音が起こる。
 「な、何だ、今の!?」
 悠人は闘護を見た。
 「見てみなよ」
 闘護は木を指さした。
 悠人は目をこらして木の幹を見てみる。
 「・・・あっ!!」
 悠人が声を上げた。
 「穴が・・・空いてる」
 悠人の言葉通り、木には小さな穴が空いていた。
 「何・・・やったんだ?」
 悠人は恐る恐る闘護を見る。
 「ほれ」
 闘護は先程鉛球を握っていた手を見せる。
 「球がない・・・まさか!?」
 「そのまさかだよ」
 闘護はニヤリと笑った。
 「親指で球を弾いたんだ。いわゆる指弾だな」
 悠人は慌てて穴の空いた木に駆け寄る。
 「凄い・・・」
 「ピストルの弾と同じぐらいの威力だと思うぞ」
 「へぇ・・・」
 「・・・まぁ、ピストルの弾がどれくらいの威力かなんて知らないけど」
 闘護は肩を竦めた。
 「いつの間に、こんな技を?」
 「一応、飛び道具が欲しかったんでな。もっとも・・・」
 闘護は首を振る。
 「スピリットとの戦いには役に立たないよ」
 「どうして?」
 「多分、命中する前に球が砕ける。スピリットはハイロゥでシールドを張っているから、この程度の球はあっという間にバンッ、だ」
 「・・・」
 闘護は悠人の隣に来ると、穴をのぞき込んだ。
 「ああ・・・こりゃ、抜けないな」
 「・・・」
 闘護は言葉を失っている悠人を見て、ニヤリと笑った。
 「このことは誰にも喋るなよ。エスペリアにもな」
 「・・・どうしてだ?」
 「切り札にしたいんでね。秘密にしておきたいんだ」
 闘護はそう言って肩を竦める。
 「そうか・・・わかった」
 「おっと、そろそろ俺も帰らないとやばいな」
 闘護は悠人に背を向けた。
 「じゃあな」
 「ああ、またな」
 去っていく闘護を見て、悠人は呟いた。
 「アイツ・・・凄いな」


─聖ヨト歴331年 エハの月 緑 一つの日 昼
 謁見の間

 「どうしても、ヤツを消してはくれぬか・・・」
 「・・・」
 「フン・・・ならば、何か手を・・・ん?」
 「・・・」
 「・・・ふむ、よし。下がってよい」
 王座の前に立つ国王の、後ろに潜んでいた影の気配が消えた。
 入れ替わるように、謁見の間にレスティーナが現れた。
 「父様。お呼びですか?」
 そう尋ねながら、気配が消えた方向を軽く睨み付ける。
 国王は気づかぬふりをした。
 「サルドバルトに不穏な動きがあるようだ。スピリット隊の直接指揮はお前に任せる」
 王はゆっくりと言った。
 「引き続き、ダーツィとの戦いに備えよ」
 「サルドバルトに動きがあるならば、イースペリアと共に圧力をかけるべきでは?」
 「まだ時ではない。サルドバルトが動いてからの方が都合がいいのだ。動いてからの方が、な」
 「・・・私にも明かしては下さらぬのですか?」
 レスティーナは訝しげに父王を見つめるが、王は白い髭を撫でながら、実の娘をまるで信頼しないように嘲笑した。
 「秘策とはそういうものだ。ふ、ふ。お前はダーツィ攻めに集中すればよい。あの小僧も、お前の言うことならば聞くだろう」
 「・・・承知しました」
 レスティーナは僅かに目を伏せた。


─聖ヨト歴331年 エハの月 緑 四つの日 昼
 佳織の監禁部屋

 監禁されているとはいっても、佳織の生活は決して酷いものではなかった。
 それはひとえにレスティーナの尽力の賜物であるである。
 もっとも、酷い状況になっていることを悠人達が知れば、間違いなく闘護が佳織をさらうだろうが。

 「・・・」
 佳織は真剣な表情でページをめくっている。
 佳織が読んでいるのは、ラキオスでは有名な一冊の絵本。
 文字の数も少なく、よくわからない部分があったとしても、絵がそれを補ってくれる。
 「この勇者さん・・・なんだか、お兄ちゃんみたい・・・」
 絵本のタイトルは「四人の王子」。過去に、聖ヨト王国が分裂した戦争を元にした話だった。
 主人公は歩くの第二王子と仲間の勇者達。
 その一行が野心的な第一王子と戦う様を、絵本らしく面白可笑しく描いたものである。
 佳織が似ていると感じたのは、第二王子の仲間の勇者だった。
 話の中で勇者は、姉を城に住まわせ、豪華な暮らしをさせるために戦っていた。
 「でも、多分違う・・・これじゃお姉さんは、私と同じでただの人質だよ・・・」
 『順番が逆になってる・・・多分、最初に姉が捕まって、だから勇者が戦わないといけないんだ・・・』
 佳織は思う。
 「私も同じ・・・お兄ちゃんと先輩を戦わせちゃってる・・・」
 佳織の表情が沈む。
 それは、二人が戦いを望まないこと、そしてそれでも戦わないと人質─佳織を助けることが出来ないことをわかっているからであることを、佳織自身わかっているからであった。
 コンコン・・・
 その時、部屋のドアがノックされた。
 「・・・あ、はい」
 「カオリ、入りますよ」
 「レスティーナ王女様・・・」
 優雅な動作でレスティーナが入ってくる。
 カオリは、沈んだ気持ちを一瞬忘れて、その動きに見入った。
 「あまり来られなくてごめんなさいね、カオリ。退屈はしませんでしたか?」
 「あ・・・はい。本を読んでいましたから、大丈夫です」
 佳織の言葉に、レスティーナは目を丸くする。
 「そうですか。もうそんなところまで・・・やはり、カオリの物覚えの良さは素晴らしいですよ」
 「そんな・・・これは絵が多いからで、普通の本はまだ・・・」
 「そんなことは・・・あ」
 純粋に感心していたレスティーナだが、読んでいた本に気づいて僅かに表情が変わる。
 「?どうしたんですか・・・?」
 「いえ・・・なんでもありません」
 レスティーナは言葉を濁す。
 「それより、今日は伝えることがあって来ました。カオリにとっては、よくない知らせです」
 「・・・?」
 「戦いが、本格化しようとしています。ユートは間違いなく戦いの要となり、戦場に出ることが多くなるでしょう」
 レスティーナは重い口調で続ける。
 「戦場にいる時間が長ければ、それだけ長時間危険にさらされます。ユートはエトランジェとしての力もありますし、トーゴやエスペリア達もいますから大丈夫だとは思いますが、最悪の覚悟だけはしておいて下さい・・・」
 「えっ・・・!!」
 最悪の覚悟。
 その単語が、佳織の心に重く重くのしかかる。
 「だめ・・・そんなのだめです!!お兄ちゃんも先輩も優しいから、そんなっ・・・戦うなんて出来ないんです!!」
 「・・・」
 「やめさせてください・・・お願いしますっ!!」
 頭を下げる佳織を見ながら、しかしレスティーナは首を振る。
 「・・・ごめんなさい。それは出来ません」
 「どうして・・・」
 「戦いはもう始まってしまったのです。今、エトランジェとストレンジャー・・・ユートとトーゴいう貴重な戦力を外すことは出来ません」
 レスティーナは耐える表情で告げる。
 「二人が戦列から外れれば、戦況は苦しくなり、その結果より多くの人々が苦しむ結果となるのです。私は王女として、戦線から二人を外すことは考えられません」
 レスティーナはまっすぐ佳織を見た。
 「理解して欲しい、とは言いません。許して欲しい・・・とも、言えません・・・」
 「・・・っ!!」
 レスティーナの言葉は、国民に対して責任を持つもの故の言葉であった。
 佳織にも、それがいい加減な気持ちから出た言葉ではないことはわかった。
 それだけに、佳織はそれ以上二人を戦わせないで欲しいと言うことが出来ない。
 「レスティーナ王女様・・・一つだけ、聞いていいですか?」
 「・・・何でしょう?」
 「この本に出てくる勇者様、どうなっちゃったんですか?」
 「・・・」
 佳織の問いにレスティーナは口をつぐむ。
 「途中まで勇者様の戦いが書いてあったのに、終わりの方では全然出てきませんけど・・・」
 物語は第一王子を退けた第二王子がラキオスを建国したところで終わっている
 そして、その場に勇者はいなかった。
 最後に役目を果たした勇者は再び旅に出た、という一文が添えられており、逆にそれが奇妙に見える。
 勇者と悠人とを重ねる佳織には、どうしてもそれが気になってしまう。
 「これはただの・・・古い、おとぎ話ですから・・・」
 「・・・」
 レスティーナは言葉を濁す。
 真実がどうであったのかは、当然知っている。しかしそれを言うことは出来なかった。
 勇者はその力を恐れた第二王子に殺されてしまったのだ。
 そして、それは歴史上で実際に起きたことであることを。
 「・・・それでは、今日はこれで失礼します。また今度、カオリの世界のお話をして下さいね」
 レスティーナは踵を返して歩き出す。
 部屋を出て行こうとした彼女を、佳織は小さな声で呼び止めた。
 「お兄ちゃんと先輩は・・・大丈夫なんですか・・・?」
 「今はよくやってくれています。ですが・・・これからの無事を約束することは出来ません」
 レスティーナは振り向くことなく答える。
 不安を感じるカオリに、レスティーナは嘘をつくことが出来なかった。
 「ごめんなさい、カオリ」
 そう言葉を残して、レスティーナは部屋を出た。
 「お兄ちゃん・・・先輩・・・」
 心の中で大きくなる不安。
 それを抱えたまま、佳織は二人の無事を祈るのだった。


─聖ヨト歴331年 エハの月 緑 五つの日 昼
 第一詰め所、食堂

 「ふぁ〜〜〜」
 悠人はかみ殺すことなく、盛大に欠伸をする。
 『たまに訓練がないと、どうしてもだらけるなぁ・・・』
 「今日は市場にでも行ってみるかな・・・・ん?」
 『なんだか視線を感じる』
 悠人はコッソリ後ろを伺った。
 すると、厨房のドアの隙間からアセリアが顔を覗かせていた。
 「・・・」
 「・・・ん?何やってるんだ、アセリア?」
 「なんでもない」
 『何でもないって・・・誰がどう見ても、思い切り意味ありげだと思うぞ』
 悠人は頬を掻く。
 『まぁ、いいか』
 悠人は気を取り直して外に出ようとする。
 すると、アセリアがチョコチョコと後ろを着いてきた。
 「・・・」
 「・・・」
 『これは・・・新手の遊びか何かか?』
 悠人は後ろを振り返る。
 「アセリア・・・?」
 「・・・なんでもない」
 結局、何が起きてるのかわからないまま、館の出口まで見送られるのだった。
 『うぅ・・何なんだろ、この子・・・』


─同日、昼
 ラキオス城下町

 「・・・ってことがあったんだよ」
 悠人は隣を歩く闘護に、館でのアセリアの行動を言った。
 「ふーん・・・何だろ?」
 「わからん」
 「悠人に興味があったのかな?」
 闘護が何気なく呟く。
 「俺に興味?」
 「だって、興味があるからついてきたんじゃないのか?」
 「・・・そうかなぁ?」
 悠人は懐疑的な表情を浮かべた。
 「ま、嫌われてないことは確かだろ」
 闘護は肩を竦めて言った。
 「・・・」
 「あんまり深刻に考えるなって。それよりも、どこに行くんだ?」
 「えっと・・・とりあえず、ワッフル買いに行くか」
 「ヨフアルな」
 闘護が冷静に突っ込みつつ、二人はヨフアル店に向かった。


─聖ヨト歴331年 エハの月 黒 二つの日 昼
 スピリットの館周辺

 「ハッ・・・たぁっっ!!」
 ビュンッ!!
 気合いを込めて剣を振るうと、玉の汗が落ちる。
 『少しでも腕を上げておかないとな。俺にはまだまだ実力が足りない』
 ビュンッ!!
 『それに、アセリアも・・・俺に頼りがいがあれば、いつまで経っても止めない単独での突撃が無くなるかもしれないし・・・』
 そこまで考えて、悠人はぶるぶると首を振る。
 『いや、雑念は捨てろ・・・今は剣に集中するんだ』
 ヒュンッ、ビュッ!!
 『あれ・・・?おかしいな』
 ヒュンッ、ビュッ!!
 『いつの間にか、剣を振る音が増えてる』
 悠人はチラリと音のした方を見る。
 「あ、アセリア・・・!?」
 そこにはアセリアがいた。
 悠人は驚いて、思わず素振りを止めてしまう。
 「ん・・・もう終わりか?」
 「いや、まだ続けるけど・・・何でここに?」
 「ユートが一人でしてたから・・・よくない」
 「・・・は?」
 アセリアの回答に、悠人は目を丸くする。
 「だから・・・私も一緒にする」
 ビュッ!!ヒュンッ!!
 アセリアは小さな声で答えて、素振りを繰り返した。
 『アセリア・・・何か勘違いしてる気がする・・・訓練まで一人は駄目だ、なんて言った覚えはないんだけどなぁ』
 悠人はそう思ったものの、内心は嬉しかった。
 『ちゃんと俺の話を聞いてくれてる。何処かずれてるけど、やはり基本的には素直な良い子なんだ』
 「ユート、どうした?」
 「あ、ああ!」
 アセリアに声を掛けられて、悠人は慌てて素振りを再開する。
 『少しだけ、アセリアとの距離が近くなったように感じる・・・』

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