天使の休息
〜或いは、美少女社長危機一髪。黒き剣士は萌え美少女の白昼夢(ユメ)を見るか?〜
(「こちら(有)ロウ・エターナル」改題)
「ええっと……今回は負けてしまいましたから、維持費が168万マナ、侵攻費が50万マナに、これまでの苦労分なども加算になって……」
暗い部屋の中、算盤をはじく音と呟き声――まだ幼い少女のもののようだ――だけが聞こえる。
いや、完全に暗いわけではないのだが、灯かりは裸電球が一つだけというこの状況だ。
それは部屋の内部をぼんやりと照らし出すといった程度の役割しか果たさず、電球自体がそろそろ取り替え時期に来ていることもあり、部屋を染める色はオレンジ色となって、朧気な空間を演出していた。
「ああっ、もう!
どうやっても大アカですわッ!!」
バン、と机を両手で叩くと、声の主は気炎を吐きながら天を仰ぎ、畳にごろんと仰向けに倒れ伏すと、大きくため息を吐いた。
まだ幼い少女だ。
一見して、幼女と言ってもいいくらいの年齢に見える。
金色の瞳に、真っ白な髪の毛。
顔立ちは整っており、美しい、と言っても過言ではない容姿である。
だがその険悪な表情では、そう言ってくれる人間もいまい。
目付きは険しく、額にはしわを寄せ、抑え切れぬ怒りを無理矢理押え込んでいるような表情である。
この渋面では、目を逸らすか怯えるかのどちらかであることは考えるまでもない。
と、ふっと表情を緩めると、彼女はがっくりとうなだれた。
雪のような白髪が、さっきまで睨み付けていたノートにかかる。
ノートの開かれたページの一番上には、「ファンタズマゴリア侵攻計画に於ける出資表」とあった。
そろそろ、彼女の名前を明らかにしておいてもいいだろう。
彼女の名は、テムオリン。
『法皇テムオリン』と呼ばれる存在である。
時の流れから切り離され、永遠を手に入れた存在である『エターナル』−−その中でもトップクラスの力を持ち、永遠神剣の意志を遂行するロウ・エターナルの首魁を務める少女であった。
まぁ、少女といっても、その齢(よわい)は既に数えることも無意味になるほどを重ねており、彼女自身、自分の本当の年齢がたまに解らなくなることもあるのだが、それはエターナルとしては珍しいことではない。
ここは、そのロウ・エターナルが仮の宿として集まることのある場所だ。
時空の狭間に作られたここは、なんというか……古い日本の宿屋のような趣がある。
というか、日本の建築そのもの。
それもボロアパート。
敢えて言うなら、トキワ荘をイメージして頂ければよいかもしれない。
どうしてこういう風なものになっているのかは永遠の謎である。
ツッコミはナシである。
まぁテムオリン自身、どこかオリエンタルな雰囲気を持っていると言えなくもないので、そういった関係かもしれない。
彼女の故郷はこんな感じだった……としておこう、ここでは。
テムオリンは、天井の電球を眺めながら、
「まったく……完全な誤算でしたわ……
まさかあの坊やがあそこまでやるなんて……」
とぼやいた。
いま彼女は、つい最近潰えた自分達の計画――その出費の清算をしているところだった。
ファンタズマゴリアと呼ばれる世界への侵攻作戦である。
それは、数百年前から計画していたものであり、勝算も十二分。
絶対に負けないケンカのはずだった……のだが。
……見事に、敵であるカオス・エターナル陣営によってその計画は妨げられてしまった。
自陣のエターナルはすべて倒され、あまつさえ彼女自身、敗北の憂き目にあってしまったのである。
完全な誤算であった。
坊やとは、今回敵側で覚醒してしまったエターナル、高嶺悠人……『聖賢者ユウト』のことである。
彼女に敗北の屈辱を味あわせたのも、この覚醒したばかりの若きエターナルだった。
辛うじてこちらが勝利する為の、唯一にして最後の頼みの綱だった『統べし聖剣シュン』も、『聖賢者ユウト』や『時詠のトキミ』を初めとするカオス・エターナルたちに倒され、今回の最終目標であり、苦労して復活させた「永遠神剣第二位・世界」も粉々に砕け散って消滅してしまっていた。
テムオリンの怒りも当然のことだろう。
「メダリオたちなども、役立たずですし……
能無しのくせに食い意地だけは張ってるものだからッ!」
ついつい、声を荒げてしまう。
実際、今回の出費は痛いものだった。
今回だけで、数百万ものマナを失ってしまったのだから。
「マナ」とは、彼女たちエターナル……いや、この世に存在するすべての生き物が存在するために必要とされるモノだ。
それは、さまざまな言い表しをされるが……究極的には世界の持つ「命」そのものであり、それはもちろん無限ではない。
存在している時には全ての生命がそのマナを持っている。
そしてそれは、死する時にその全てが世界に放出される。
もしもその存在を再構成しようと思ったならば、それと同量のマナを取り込まなければならない。
が、それは普通ありえないことだ。
失ったマナは、即座に世界に吸収されるので、自然に集まって再生することなどはありえない。
普通の生き物が決して生き返ることがないのは、こういった理由からである。
一度マナが拡散してしまえば、それはもはや個としての意味を失い、よしんば再び同量のマナを集めたとしても復活することは出来ない。
個として存在するための情報を取り戻せないからである。
個を個として意味づけている、いわば「存在」としての記憶を、無限とも言える量子の海の中に見失ってしまっているからだ。
だが、エターナルは、大抵が死んでもまた再構成され、完全に死ぬことは滅多に無い。
では何故、どうやってエターナルが再生しているのかが問題となるが、それはこういった時のために貯えている分を自動的に消費して再生させるという機構が創り上げられているので、再生自体に問題はない。
情報の拡散も、それが致命的なまでになる前にこの再生が行われるので−−一時的な情報のロストによる記憶の混乱などは完全に防げはしないものの−−ほぼ完全な形での復活が実現できる。
問題なのは、そのマナは自分達の懐から出さなければならない、ということなのである。
もちろん、こういう時のために余剰マナは用意してあるものではあるのだが……なにしろ、今回は5人分である。
それに加えて、これまでの投資した時間とマナを考えると……。
一気に懐が寂しくなったのもむべなるかな、であった。
これをわかりやすく喩えるのなら、「マナとは通貨のようなものである」、となるかもしれない。
彼女たちは、永遠神剣の意志の元、すべての世界を元の「無」の状態に戻すために働いているが、それを「仕事」と喩えれば、その「報酬」がマナなのだ。
エターナルは、マナを消費してその存在を維持する。
世界を滅ぼして、その世界のマナを自らの手に収めれば、その一部が「報酬」として還元されるのだ。
そしてそれを糧として、また新たな世界を崩壊へと導くのである。
が、むろん、それを世界が黙っているわけが無い。
彼女らとは逆に、永遠神剣の意志に反逆し、世界を護ることを目的とするエターナルも存在する。
それが、カオス・エターナルなのだ。
「永遠神剣第二位・運命」の契約者たる『運命のローガス』に率いられた彼らは、テムオリンたちロウ・エターナルにとっては憎むべき仇敵だ。
秩序だった美しい世界を拒み、混沌を是とする痴者。
世界を在るべき姿に戻すということの正しさも解らない愚劣な者たち。
彼らとのマナの奪い合いが、エターナル同士の戦いなのである。
同一の対象(世界)に投資して、その成果による利益(マナ)をいかにこちらが受け取るか、という――エターナルたちの戦いは、ある意味、シェアを奪い合う企業活動と言ってもいい。
利益を得るために戦う彼らは、いわば企業戦士なのである。
二十四時間戦えますかというか、無限の時間戦えますかという感じである。
今回は、投資していた金額が全てパーになった挙げ句、その損害を補填するために準備しておいた貸倒引当金すらオーバーするほどの損失を被り、決算が赤字になった状態……と言えばわかりやすいかもしれない。
あまつさえ、向こうは有望な人材をも――しかも一気に二人も!――獲得した。
これを惨敗と言わずしてなんと言うか、である。
「ふ、ふふふ…………」
バキッ!
鈍い音。
「あら、いけないいけない」
思わず、持っていた鉛筆をへし折ってしまった。
真ん中から見事に真っ二つになってしまったそれを苦々しく見る。
面倒くさそうに一息つくと、テムオリンは上体を起こして、机の隅に置いてあるセロハンテープとアロンアルファを取った。
折れた部分にアロンアルファを塗り付けて、慎重にくっつけ合わせると、その上からセロハンテープでぐるぐると巻き、強度を高める。
そして、何とかまた使えるような状態に戻ったことを確認すると、
「ふぅ」
と軽く息を漏らした。
備品一つにしてもタダではないのだ。
使えるものは再利用する、というのが、テムオリンのポリシーであった。
(こんなことになった大きな要因は、部下の練成が不十分だったからですわ。
実地訓練でしごいてやりましょうかしら……?)
怒りの再燃である。
まぁ今回の敗因は、敵を甘く見すぎており、召喚した部下が少な目だったというテムオリンの采配ミスも大きい。
もっとも、カオス側のエターナルは三人しかいなかったのだから、判断ミスと言うには少々酷ではある。
が、敵の力量を見誤ったという点では、彼女の責任も大だ。
メダリオやミトセマールたち以外の同僚・配下はみんな出払っていたから、というのは言い訳に過ぎない。
『聖賢者ユウト』の覚醒を偶発的要素と言うには、テムオリンは、あまりにも彼を軽視し、放置しすぎていた。
彼と、彼に目を掛けていた『時詠のトキミ』のことを甘く見過ぎ、その結果としてのこの現状を見越せなかったという一点に於いて、彼女が「戦略ミスをしでかした」というレッテルを貼られることは当然なのだ。
よって、部下ばかり責めるのは、いささか心得違いと言えるのだし、むろん聡明を以て成るテムオリンとしても、それはきちんと理解している。
しかし、それで感情が収まるかと言えば……そうもいかないわけで。
(うふふふふ…………?)
彼女の頭の中では、おかしな妄想が渦を巻いている様子だった。
(もちろん、しごくだけでは過ましませんわ……。
もぉ、徹底的に鍛えて鍛えて鍛え抜いて、生まれてきたことを後悔するくらいの特訓を課してやって、もし死にかけたらリヴァイヴで復活、さらに苛烈な練成地獄に導いてやって、それでも死ねないほど丈夫なエターナルになったことを嘆くくらいのスパルタを…………!!?)
そんな風に、いささか不穏な方向に考えが発展し、ホントにそれを実行してやろうかしらと立ち上がりかけた時だった。
コン、コン
「あら……?」
ノックの音がした。
そして、
「テムオリン様……」
という男の声が、扉の向こうから聞こえてきた。
独特のイントネーションをもつその声は、むろんテムオリンに聞き覚えがあるものだ。
「タキオス」
振り向きながら、その名を呼ぶ。
「よろしいでしょうか?」
「ええ。
入ってらっしゃい」
そう言うと、ドアノブがカチャリと回って、一人の男が入ってきた。
見上げるような大男である。
浅黒い肌に、太い首。
短く刈り上げた髪の毛は黒く、精悍な顔立ちを強調するかのようだ。
テムオリンの片腕である、『黒い刃のタキオス』であった。
落ち着き払ったその物腰を目にし、さっきまでのアレな思考は、ひとまず頭の隅に追いやられていた。
敬意と労りの色を瞳に浮かべて、タキオスは言った。
「そろそろ、お疲れではありませんか?」
「まぁ、疲れましたわね、確かに。
ミトセマールたちはどうしています?」
ミトセマール。
この前の戦いで敗れたロウ・エターナルの一人である。
『不浄のミトセマール』と言う、女性のエターナルだ。
他に敗れたものは、『水月の双剣メダリオ』、『業火のントゥシトラ』の二人。
そしてテムオリンとタキオスである。
(『統べし聖剣シュン』に関しては、まだ完全にこちら陣営ではなかった上に、再生不可能なレベルにまでに消滅してしまっていたので、この敗北にはカウントしていない)
「ミトセマールは、以前捕まえていたスピリットをいたぶって、憂さを晴らしているようです。
メダリオは、時折、その……、思い出したかのように笑ったりしておりまして……いつものこととは言え、いささか不気味ではありますな。
ントゥシトラは……まぁ、何を考えているのかは相変わらずさっぱりです」
苦々しい息を吐くテムオリン。
まったく、ヒラの彼らは気楽なものだ。
管理職の苦労など、微塵も考えてはいないのだろう。
「まったく……無能な部下を持つと、苦労しますわね……」
「まぁ、彼らは彼らなりに頑張ってはいたのでしょう。
ここはひとまず、そっとしておいてモチベーションを高めさせておくことが、肝要ではないでしょうか。
厳しく言いすぎるのもやりすぎになるのでは、と、私は思いますが」
愚痴を彼らに直接こぼしかねないテムオリンの様子に、タキオスは諌めるように言った。
既に、彼らを再生させた時に延々と一時間以上もテムオリンは説教をしていた。
やれ危機感が足りないだの、恥を知れだの、遊びでやってんじゃないんだの。
その剣幕に、彼らもかなりげんなりしていた。
その反動が、さっきタキオスが報告したような現状を招いているのである。
これ以上言っては、逆に彼らのやる気をさらに減退させるだけに終わるだろう。
テムオリンの――すなわちロウ・エターナル全体の――片腕として、それは避けねばならないことであった。
組織に規律は必要だが、縛るだけでは人はついてこないのである。
適度に息抜きもさせなければ、いくらエターナルとはいっても精神が保たない。
まぁ、今回の原因は、概ね彼ら自身にあるので、自業自得といえばそうなのではあるが……。
(まったく……俺は、ただ思い切り戦いを楽しみたいだけなんだが……
いらん苦労をかけさせおって、あいつらは)
強くなるにつれ、好むと好まざるとに関わらず増してきた責任とやらに、うんざりしはじめている今日この頃である。
もっとも、その思考自体、すでに中間管理職が身に染みついていることを証明しているようなものなのだが、それはひとまず置いておくことにしよう。
「では、一休憩された方がよろしいのでは?」
「……そうですわね。
気分も落ち着けたいですし……このままだと、やる気もすぐになくなってしまいそうですわ」
「では、お茶をお淹れしてきましたので……」
言って、タキオスはドアの向こう――廊下に置いてあったお盆を、ひょいとつまむようにしてテムオリンの前に示してみせた。
お盆の上には、急須に、椀と皿が二つずつ。
皿の上には、切り分けられた外郎のようなものが乗っていた。
「茶藏庵(さくらあん)という店の、生絹豆子郎(すずしとうしろう)という菓子です。
あの、若きエターナル……ユウトやトキミの世界では、なかなかの品だそうですが」
「まぁ、何時の間にこんなものを買ってましたの?」
「あの、小鳥とやらを拐(かどわ)かしたときに、少しお時間を頂いたときがありましたでしょう。
あの時に、実は。
いえ、本来ならば、今回の計画が成功した時の祝い用にと思っていたのですが……
計画は、いささか残念な結果となりましたが、味はよろしゅうございます。
気を静めるためにも、このような甘物はよろしいかと」
ぱあっと顔をほころばせるテムオリン。
彼女には、冷徹な顔や淫らな顔が他にあることなど想像も出来ないような、嬉しそうな笑顔であった。
その笑顔が返事である。
タキオスは、床にお盆を置くと、「失礼します」と言って座布団を手繰り寄せ、こぽこぽと急須からお茶を注いだ。
香りからもその質がわかる、上等の煎茶である。
「いい葉ですわね」
「まぁ、これくらいのぜいたくはしておきましょう。
気分だけでも高く持っておくということは大事ですから」
「それは尤もですわね」
くすくすと笑って、テムオリンは椀を手に取り、こくりとお茶を飲んだ。
豊潤な香りと渋味が口中に広がる。
「ん……美味しいですわ。
これもその時に?」
「はい。
『大山』という店で買ってまいりました。
あそこの主人は、なかなかの通でございましたな」
相変わらず、この男の外見に似合わぬ菓子好きには頭が下がる思いである。
今迄に、何度もタキオスおススメの菓子を食べたが、一度もハズレがないのは驚嘆に値しよう。
さて、では今回は……?
添えてあった、木で作られたフォークのようなものを使って、スッと切り、口に運ぶ。
そして口に含むと、まず感じるのは絹のような心地よい舌触り。
軽く咀嚼すると、その口溶けも同じように滑らかなものである。
それらの、程よい甘さとの連携に、テムオリンは思わず
「ほぅ……」
とため息をついた。
「いかがでしたかな?」
とタキオス。
「これは……素晴らしいですわね…………。
今迄に食べた中でも、かなり上位に位置しますわ」
「それはよろしゅうございました」
もう一切れ。
更にもう一切れ。
ほおばるたびに、幸せそうな笑みを浮かべるテムオリン。
……まさに天使の笑みだな。
その様子を微かに笑みを浮かべて見ながら、タキオスはそう思った。
こんなにもやわらかく、微笑ましい表情をされるこの方が、勇猛果敢に容赦なく敵を討ち亡ぼし、また、苛烈なまでの淫らな責め苦を哀れな子羊のような獲物に与えられることなど、誰が想像できようか? 否、誰も考えられまい。だがそれこそがこの方の本質であり、また魅力でもあるのだから素晴らしい。あどけない面と淫蕩な面のギャップも素晴らしい。幼きそのお姿と老獪な精神の落差など震えすらおぼえる。嗚呼、何たることであろうか。その側に仕える栄誉を賜り、またそのために敵を討ち亡ぼす尖兵、斬り裂く初撃の剣となれる我が身の幸せよ。ああ万歳。万歳。万歳。テムオリン様万歳。
などとタキオスがその幸せに浸っていると。
「……タキオス?」
「…………は?」
怪訝な表情で自分を見ているテムオリンにようやく気付き、タキオスは表情に表さずに硬直した。
いかん、またイってしまっていたのか!?
どうも、テムオリンの笑みに自分は弱いようだ、と改めて感じ、変わってもいない表情を慌てて引き締めようとし、逆に引き攣ったようになってしまったのはご愛敬である。
まぁ弱いどころの話ではなく、もうどうしようもないレベルではあったのだが、そこは痩せても枯れてもエターナル。簡単にそれをさらけ出すようなみっともない真似はしない(年の功とも言う)。
心のうちを誤魔化すかのように、ずずっとお茶をすすり、タキオスはなんとか冷静なフリをして口を開いた。
「も、申し訳ございません、少し気をやっておりました。
と、ところで話は変わるのですが……一つ提案が……。
このような時のために、私が密かに貯めておいたマナがございます。
それを、今回の補填の一部に当てて頂けませんか?」
驚いた顔をして、テムオリンはタキオスを見返した。
「それは……助かりますけれど……。
いいんですの?」
「はい。
もとより、このような時のために取っておいたものです。
お役に立てるのであれば、何よりです」
その顔はしごく真面目であり、決して冗談などで言ってきたのではないことがわかる。
実際、さっきまでのアレな思考など、既に彼の頭の中からは万里の彼方へ消え去っていた。
「でも、タキオス……それをやると、あなたが苦しくなるんじゃないですの?」
個々のため込むマナは、それぞれの活動持続力や保有する能力の維持に大きな力を発揮する。
その最たる使い方といえば、マナ消費による限界突破だ。
つまり、マナが希薄であり、エターナルが本来の能力が発揮できないような環境の世界においても、その余剰マナを消費することによって、自己の出力の不足分を補い、能力をある程度高めることなどができるのである。
タキオスが言っているのは、それを削ることなのだ。
彼の能力は非常に高い。
ロウ・エターナルの中でも五指に入るほどの力を持っている。
であるが故に、前述したような状況になった場合、制限される能力も相当なものになるのだが……
が、彼はその男臭い顔ににやりとした不敵な笑みを浮かべて、言った。
「私は、その程度ではびくともしません、テムオリン様。
全体に負担がかかり、結果的に我ら全員が制限されることの方が、問題になるかと」
その顔を見ながら、テムオリンはぐっと言葉に詰まる。
彼の言っていることは正しい。
実際、やはりある程度の余裕を持った運営をしなければ、作戦の途中で息切れを起こすことも有り得ることも確かなのだ。
リスクは出来るだけ少ない方が、よりベターである。
表情一つ変えずにそう言いきる彼は、微塵も不安など感じさせないような雰囲気を――たとえそれが演技だとしても――持っていた。
(まったく、この漢は…………)
不覚にも、胸にクるものを感じてしまい、それを誤魔化そうと、テムオリンは残っていたお茶を一気に呷った。
ほんとうに、タキオスの忠誠心には頭が下がる思いがする。
彼の忠誠に報いるためにも、次の戦いは、絶対に負けるわけにはいかない……。
「……ありがとう。
有効に、活用させてもらいますわ……!」
両の拳を握りしめ、ぐっと渇を入れる。
それは勇ましいと言うより、どちらかといえば可愛いらしい感じになってはいたが、彼女のそのやる気を見て、タキオスもまた、テムオリンへの忠誠の念を新たにする。
この頭の切り替えの速さ。
無尽蔵にも思える意欲、意志力。
それこそが、このお方の本領なのだ、と。
と、不意にテムオリンの右手が動いたかと思うと、次の瞬間にはタキオスの皿に載っていた豆子郎が一切れふえている。
おすそ分け、だ。
「テムオリン様、私は……」
「ふふ、今回のことに対しての礼ですわ」
微笑みかけるテムオリン。
「……では、ありがたく頂きます」
微かに笑みを浮かべ、タキオスはそれを受けた。
ほおばる。
口の中に広がった甘さ。
それには、どこか、テムオリンの優しさがこもっているような気がした。
ゆったりとした空気が流れる。
一時の安らぎ。
今回の失敗のことも、運用のことも、これからの戦いのことも。
いまだけは完全に忘れて、この流れに身を任せていよう。
果てしなき時間、終わり無き戦いの合間の、短い休息。
悠久の戦い……その中の、ほんの僅かな一コマに過ぎないけれど。
いまは、至福の、ひととき。
(おしまい)