Eternal Strife 〜果ての彼方〜
歯車は廻る。くるくると、くるくると―――。
歯車の名は『定め』。既に変える事の能わぬ、永劫の刹那に果たされた契約が一つ。
歯車は廻り続ける。例え輪廻の円環が果て様と、繰り返し、繰り返し―――。それは、その契約が絶対であるが故に。
歯車は廻る。それは定めが故に、くるくると、くるくると―――。
停まる事を忘れ、壊れたかの様に、狂ったかの様に―――。
―――そう。狂々と、狂々と―――。
―――――<〜運命の刻〜>
「―――桜華ッ!」
放課後―――下校の喧騒にざわめく廊下にて。
突如背後からかけられた声に、神崎桜華は訝しむ表情で身を翻した。
「……静玖?」
声の主である少女を見やり、桜華はその名を口にする。桜華の良く知る少女の姿がそこにあった。
久我静玖―――クラスメイトであり、幼馴染の少女であった。
その付き合いの長さは、親同士が親密であった為に必然的に物心付く前に遡る。尤も、仲が良かったのは昔の事で、今は疎遠となって久しい。仲の良さは反比例して犬猿となり、言葉そのままの意味で幼馴染と呼ぶよりは腐れ縁と呼ぶ方が相応しい筈だ。
「アンタ掃除当番じゃない。何帰ろうとしてんのよ?」
「……煩いな。君には関係無いだろう?」
呆れた様な静玖に桜華がにべもなく口を開く。静玖の表情がみるみる怒気に染まっていった。
「ッ……! 誰もアンタに言わないから言ってんじゃないっ、好き勝手するのも好い加減にしなさいよ! 第一、誰が好き好んでアンタに話しかけたりなんて……!」
「……そう思っているなら尚更の事、私には関わるな」
それだけ言い放ち、桜華は踵を返して歩き出した。
「ちょっ……待ちなさいよ!」
静玖が駆け寄り、桜華の肩を掴む―――その刹那。その手が勢い良く弾かれた。
廊下に沈黙が満ちる。そこにある全ての眼が二人へと向けられていた。
「解らないか……? 私に干渉するなと言っているんだ……!」
静寂の中、桜華は氷刃の様な眼で静玖を睨みつけ言い放つ。
それは冷たさと鋭さを伴いながら怒りの熱にも似て。明らかな拒絶の念が込められていた。
その眼が周囲を一瞥すると、それに合わせて見ていた者全てが視線を逸らしていった。
桜華は苛立つ様に再び踵を返して歩き出す。
今度は静玖の言葉はない。
緊張が張り詰めた沈黙の中、桜華は近寄り難い雰囲気を纏いながら廊下を去っていった。
「何だよアイツ……」
「まるで秋月みたい……」
「ったく、秋月も神崎も頭良いんだから学園に通う必要ねえじゃん」
「本当、協調性の欠片も無いしね……」
廊下が再び喧騒を取り戻していく。だが、それは先程のそれとは違い、多くが桜華に対する不満であった。
「……ッ」
静玖は桜華の去っていった方を見詰めながら小さく歯軋りした。
昔はああではなかった。確かに一人を好む所は有ったが、あそこまで酷くはなかった。変わってしまった理由を知らない訳ではないが、もう如何する事も出来ないのだろうか―――。
静玖はかつての桜華を思い出し、今の桜華との激しいギャップに深く溜息を吐いた。
その直後―――。
「―――如何かしたのか?」
不意に背後から声をかけられた。その声は、聞き慣れたと言うよりは既に聞き飽きた声であった。
「……伊織」
静玖は振り向きながら、背後にいるであろう少年の名を呼んだ。
案の定、振り向くと思った通りの人物が立っていた。
榊伊織。クラスメイトであり、桜華と同じく、親の縁によって古くから付き合いを共にする―――所謂幼馴染の少年であった。
「……周り見て解んない?」
「……あー、成る程……」
静玖の溜息混じりの言葉に、伊織は軽く周囲を見回して納得する様に呟いた。
「伊織の方から桜華に言ってやってよ。……昔はあんな風じゃなかったじゃない」
伊織は静玖と違い、今もなお桜華と交友関係を保っていた。
他の者とは違い、伊織の言葉なら耳にするだろうと静玖は踏んだのだが―――。
「……とは言われてもな。桜華が考えて選んだ事なら、俺が言って如何こう出来ないだろ。アイツ、人に強制されるの嫌いだから」
と、簡単に諦めの言葉が伊織の口から吐かれた。それには大きな溜息しか出なかった。
「そんな事言って、卒業したら如何するつもりよ? あの性格のままじゃ就職どころかバイトだって出来ないわよ?」
「さぁ……。でも、ほら……金は…十分以上にあるだろ? 悠樹さんの……」
躊躇いがちに伊織の口から出たその名に、静玖は俯いて表情を戸惑いに濁した。
悠樹―――神崎悠樹。桜華の母親であり、皆が十歳の頃に病で他界してしまった女性だ。
彼女が死後に残した遺産は莫大な物で、三代は何不自由なく暮らせる大金がその一つであった。
記憶にあるのは、布団の中で上体だけ起こし、花の様に可憐で儚く、然し芯の強さを感じさせる笑顔を見せる姿だけ。
静玖は、その笑顔で優しく撫でられるのが好きだった。
「あの頃から桜華はずっと不安定なんだ。桜華にとって悠樹さんは唯一の肉親で心の拠り所だったからな。それに―――」
言いかけて、はっとした様に伊織が口を噤む。
「……それに?」
「いや、まぁ……兎に角、もう少し待ってくれよ。あれから随分経ってるし、もう桜華も答えを出す筈だから。きっと」
「……解ったわよ。けど、それって私の質問の答えになってないじゃない」
「気にするな、言葉の綾ってヤツだ。―――あぁ、もう行かないと。陸上部のダチに呼ばれてんだ」
そう言うなり伊織はさっさと教室へと入っていく。数秒して再び姿を現した時には、その身に灰色のロングコートを羽織っていた。
「んじゃ、そう言う事で。じゃな」
「あっ、伊織!?」
呼び止めようと声を出す頃には既に伊織は後姿を見せて廊下を駆けていた。
最早走って追いつける距離ではない。あっという間の事だった。
「―――もうっ! 伊織も揃って!」
静玖は消化し切れない憤りに憤慨する他なかった。―――伊織の言葉の続きなど、既に追求する気さえ紛れ失せてしまっていた。
「―――ふぅ。追っては……来ないな」
学園校舎を出た所で。伊織は背を振り返ると安堵の溜息を吐いた。
見回した視界には、下校の帰路に就く生徒達と校庭で部活動に精を出す生徒達が映っている。
ふと、突き刺さる様な視線を感じて学園校舎を見上げると、上階の窓から危惧した相手が此方を睨みつけていた。
伊織がからかう様に手を大きく振ると、その相手は嘆息する様な仕草をして窓から遠ざかっていった。
「ははっ……悪いな。これだけは言えないんだ……」
そう―――。これは絶対に言えない事。桜華と交わした絶対の約束なのだ。
呟き、伊織は踵を返して歩き出す。
目的地は男子陸上部。校庭で部活動に励んでいる姿が見えない為、部室へと直行した。
部室の前に辿り着くと、伊織は早速ドアを叩いた。
「おーい」
もう一度叩く。然し、返事は返ってこない。
ガチャガチャとドアノブを回すが、鍵がかかっている為に開く事はなかった。
「―――アンタ、何してんの?」
「あん?」
不意を衝く様に背後からかけられた声に、伊織は顔を顰めながら振り向いた。
「あ〜、岬、か」
振り返ると、岬今日子―――陸上部のスーパーホープが、腰に両手を当てて訝しむ様に此方を睨みつけていた。
制服姿から、まだ部活に参加していない事が伺えた。
「他の連中は?」
「学園の周り走った後、神木神社に行く事になってる筈だけど……」
「神木神社、ねぇ……」
神木神社―――学園近くに在る小高い丘の麓に、三階ほどの石段の上に建てられた神社だ。
石段の段数がそれなりに有り、運動部が良く練習に使っている。それは陸上部も例外では無いと言う事か。
「で、岬は何してるんだ? 陸上部のホープが、他の連中が練習に出てるってのにこんな所で」
「私は、悠と光陰と一緒に遅刻の事で職員室に呼ばれて……って、何でそんな事アンタに言わなくちゃなんないのよ!?」
「いや、聞いたのは俺だけど答えたのはお前だし。言いたくないなら言わなければ良かっただけだろ? ……別にそれほど聞きたかった訳でも無いし」
そう言って伊織はやれやれといった風に溜息を吐く。
「まぁいいや……。んじゃな」
伊織が今日子に手を振り、踵を返して歩き始める。ぐぃっと襟首が掴まれ、突然の事に襟が伊織の首を締めつけた。
「ぐぇ!? っ、ごほっ、ごほっ……いきなり何しやがる、テメェ……」
身を屈め、伊織は首を擦り大きく噎せながら今日子を睨みつけた。
「何どっか行こうとしてるのよ。榊、わたしの質問に答えてないじゃないの」
「……お前には関係無いし。いや、陸上部だから関係無い……とは言い切れない気がしないでもないが―――」
「変な言い回ししないでさっさと言いなさい」
「―――嫌。何となく岬に教える気が起きない」
「なんですってぇ〜!?」
かっと激昂する今日子を見て、伊織がくくっと笑って飛び退く。
それと同時に、伊織のいた場所に白い閃光が振り抜かれた。陸上部伝統のハリセンだ。
「危ないヤツ……。普通、部員か友達以外にそんな事しないぜ?」
「うるさいわね! 三日だけでも陸上部にいたんだから良いじゃないの!」
「いやいや、三日しか部活共にしてないヤツにハリセンなんか振らねっての……」
踏鞴を踏む様にして伊織が今日子から距離を取る。
「……まぁ、アレだ。陸上部のダチに呼ばれたんだ。……用はそれだけ。―――んじゃな」
そう言って伊織が再び踵を返して歩き出した。
「……アンタ、陸上部に戻る気は無いの?」
数歩歩いて不意に背にかかった今日子の声に、伊織は振り向かずに軽く手を振って笑う。
「―――冗談だろ?」
飄々としている姿からは見られない、嘲る様な笑みを浮かべて。
無論、今日子には背を向けている為にその表情が今日子に見える筈も無い。
伊織はそのまま、今日子に振り返る事無く校庭を―――学園を後にした。
「……こんな所に呼び出して、一体如何言うつもりだ?」
本堂を前に、桜華は感情の無い声で呟く。
下校中、桜華は帰路から違えて神木神社へと足を運んでいた。まだ練習に来る運動部の姿は無く、その場所は酷く閑散としていた。
「そんなツンケンしないでよぉ、私とおーちゃんの仲じゃない〜」
桜華の言葉に、少女の声が笑いながら答えた。
本堂の賽銭箱の前に、白衣と緋袴―――所謂巫女装束を纏った少女が座っていた。
年齢にして桜華と同年位であろうか。背の中ほどまでの黒髪に同色の瞳。容貌は整い、何処か温和そうな印象を宿していた。
彼女の名はアスカ。姓は知らないが、古くからの知人であり、多少信頼も置ける人物だと桜華は認識していた。
「もう、昔はそんなんじゃなかったけどなぁ……」
「……それを言う為だけに呼び出したのか?」
しみじみと呟くアスカを睨み、桜華は先程よりも低く冷たい声で言い放った。
「ああ、ううん、違う違う―――」
アスカが立ち上がり、一歩ずつ、ゆっくりと桜華へと歩み寄る。
「―――ただね。身体の調子、如何なのかなぁ〜と思って」
その言葉に、桜華の雰囲気が変化した。
それはまるで、空気の温度が急激に低下したかと錯覚させるほどに。或いは殺意に似て鋭利とし、そこにいる全てを切り裂く気配を宿していた。
「……何処で聞いた?」
だが、その殺伐とした雰囲気の中でアスカは表情一つ変えず、笑みを浮かべたままで桜華へと近付いていく。
「聞くも何も、ゆーちゃんの家系は代々身体が弱いんだよ? ゆーちゃんの子供であるおーちゃんもまた然り……ってね」
「何が言いたい……!」
桜華が怒りを孕んだ声と共に、一度懐に手を入れてからアスカに手を突きつける。
その手には、一挺の大型自動拳銃が握られていた。
AMT AUTOMAG―――。
1969年にAMT社が開発した、世界初のマグナム弾を使用する自動拳銃。そして、マグナムオートシリーズの先駆け的存在であると同時に、様々な理由により容易く装填不良を起こす為に『オートジャム』と不名誉な烙印を押された存在でもある。然も、その手に在るのは44AMP弾と言うオートマグ専用の銃弾を使用する初期型であった。
「あー、ゆーちゃんの銃だぁ。久し振りに見たな〜」
だが、それを突きつけられているにも拘らず、アスカはのほほんとして感慨深く笑いながら桜華へと歩いていく。
そして。遂に桜華の目前まで歩み寄った所でアスカは足を止めた。
「ごめんねぇ。本当は十歳の時にこうしてあげたかったんだけど―――」
シャラン、と。鈴の音が鳴り響いた。
何時の間にか、アスカの右手には古代の銅剣を思わせる両刃剣が握られていた。
一尺ほどの、刃の無い儀礼用の剣であった。古めかしい様式に、質素でありながら風格を漂わせる装飾。切先から柄まで、両腹に刻まれた幾何学的で複雑な文字。白銀と輝くそれは、明らかに世界から乖離した存在感を放っていた。
それは、まるで神話上の聖剣魔剣の類であるかの様な―――。
桜華は思わずその剣に魅入ってしまっていた。
「―――あの時は<天魔>に邪魔されちゃったからね」
すっと桜華の首下へとアスカが装飾剣の切先を向ける。その白銀の刀身が浅葱色に光り輝き始める。
「……真逆、それは―――」
それに息一つ遅れ、桜華が驚愕に顔を歪める。それは信じられない物を見たと言った様に。
「神剣が主の名に於いて命ず。門に亀裂を刻み、一時だけその役割を果たせ―――」
その瞬間―――。
膨大な閃光が神社を―――桜華とアスカを呑み込んだ。空気に溶け込む様な、眼に見え難い淡い光の柱が立ち昇る。
まるで、強烈な白を薄めて天上に放出しているかの様に。
全てを呑み込む閃光は横に広がらず、ただ柱として天上に伸びていた。
そして全ての閃光が消えた時―――。
アスカを残し、桜華の姿は跡形も無く神社の境内から消えていた。
それはまるで、最初からいなかったかの様に。全くの痕跡を残さずに。
「全ては流れのままに……。大丈夫、桜華ならきっと―――」
静寂の中。アスカの言葉はただ静かに響き渡っていた―――。
歯車は廻る。くるくると、くるくると―――。
歯車の名は『定め』。既に変える事の能わぬ、永劫の刹那に果たされた契約が一つ。
歯車は廻り続ける。例え輪廻の円環が果て様と、繰り返し、繰り返し―――。それは、その契約が絶対であるが故に。
歯車は廻る。それは定めが故に、くるくると、くるくると―――。
停まる事を忘れ、壊れたかの様に、狂ったかの様に―――。
―――そう。狂々と、狂々と―――。
―――カチリ。と。
歯車が噛み合う音が虚無の闇に響き渡った―――。