「お疲れ様、ヒミカ」
ぐったりと机に突っ伏すヒミカ。その前にセリアは一つ、カップを置いた。
そのセリアを、ヒミカはどこか恨みがましい目で見上げる。
「……うぅ〜」
「何よ、うなったりして」
「うなるっていうか……あの子たち、何であんなに元気なの?」
「子供は元気なものよ」
「私がこんなに疲れるなんて……」
「トシなんじゃない?」
「……何か言った?」
「いいえ、何も」
からかうセリアに、ヒミカの視線がギロリときつくなる。
と、今のドアが開く。
「お待たせしました〜」
「あら、もういいの?」
「はい〜。皆さんぐっすりお休みですよ〜」
昼寝の時間。子供たちを寝かしつけていたハリオンが、今に戻って来た。
「悪いわね、こんなことまでやらせちゃって」
「いえいえ〜。子供たちの寝顔は可愛いですから。ヒミカさんもそう思いますよね?」
「………………………………………………………………そうね」
当然のように言うハリオンに、ヒミカはテーブルに突っ伏しながら、ぐったりと答えた。
そのまま顎だけを上げて、口を近づけてすすろうとする。
「ちょっと、やめてよ行儀の悪い。うちの子たちが真似したらどうするの」
「いいじゃない、寝たんだから」
「それでも。この家でそんなみっともない真似は許しません」
「はいはい」
子供を叱るようなセリアの口ぶりに、ヒミカはノロノロと背筋を正す。
「あらあら、お疲れですねぇ」
「そりゃまあね……ていうか、どうしてあの子たち、ハリオンの言うことは聞くの?」
「子供は素直ですから〜」
「ちょっと、どういう意味よそれ」
「いいええ、別にぃ」
セリアに続いてハリオンにまで……これはからかわれたのだろうか?
ほんわかと笑うハリオン。その様子を見ていると、怒る気さえ失せてくる。
「……ま、ハリオンだからね」
「そうね、ハリオンだし」
顔を見合わせ、頷くセリアとヒミカ。
「??? 何のお話ですか〜?」
「こっちの話よ。それよりハリオン。参考までに聞いて起きたいんだけど、一体どんな方法で寝かしつけたの?」
「そうね、私も聞きたいわ。あの子たち、いつも遊びたがって中々素直に寝ないのに。珍しいわ」
「それはぁ、物語を聞かせたんですぅ」
「物語?」
「ええ。即興ですけど」
なるほど、ハリオンの穏やかな声で物語を聞かせられれば、確かに心地よく寝入れそうだ。
興味を持ったヒミカが、先をつつく。
「ふうん。どんなお話なの?」
「えっと、お姫様と王子様のお話なんですけど〜」
「王道ね」
「お姫様と王子様が結婚することになるんですけど、実はお姫様は、大臣と不倫関係にあったんです〜」
『…………』
「それでぇ、王子様がそれを知って、両国は戦争状態に〜」
「思いっきり悲劇じゃない!」
立ち上がってセリアが言う。
「はい〜。最後は登場人物全員が刺し違えて〜」
「しかもドロッドロ……」
頭痛に耐えるように頭を抑え、ヒミカが言う。
「ちょっとハリオン! うちの子たちに変な影響があったらどうするのよ」
「大丈夫ですよ〜。今の子供たちは進んでますから〜」
「ああもう! そう言う話じゃなくて! て言うかそう言う問題でもなくて! そもそも寝物語に聞かせる話でもないじゃない!」
「それも大丈夫です〜。皆最初の方で寝ちゃいましたから〜」
ニコニコと、悪びれずに答えるハリオン。
恐らく悪気もないのだろうが、その表情からその真偽を問うことは難しい。
「……ヒミカ。次があったら、寝かしつけるのは貴女にお願い」
「……がんばってみるわ」
セリアはそれ以上の抗議を諦め、ヒミカと二人、ぐったりと机に突っ伏した。
「あらあら、お二人とも、お疲れですねぇ」」
「誰のせいだと思ってるのよ……?」
「あらあら、一体誰のせいなんですか〜?」
コロコロと笑いながら、ハリオンはテーブルの上に包みを置く。
「? 何、ハリオン」
「はい〜、疲れた時はぁ、甘いものです〜」
包みを解くと、そこにあったのはバスケットに入ったケーキだった。
「あら、まだあったの?」
「ええ。別に包んで持ってきてたんですぅ」
あの子たちには内緒ですよ、と悪戯っぽく付け加えるハリオンに、セリアは苦笑した。
確かに、こうでもしなければ自分たちの分など残らないだろう。子供というのはよく食べるし、何より二人の作る菓子は、贔屓目抜きにしても抜群に美味しい。
「はい、準備完了ですぅ」
「それじゃあ、始めましょうか」
バスケットから広がる、ふわりと甘い香り。
それを揺らして、ハリオンも椅子に座る。
セリアとヒミカも身を起こして、カップを手に持った。
窓辺から陽光が、テーブルと三人を照らす。
「じゃあ、二人の門出に。……乾杯」
「乾杯」
「かんぱ〜い」
それぞれに持たれたカップが、軽く揺れる。
ささやかなティーパーティーの始まりだ。
セリア・ブルー・ラスフォルト。
ヒミカ・レッド・ラスフォルト。
ハリオン・グリーン・ラスフォルト。
攻撃とジャミングの青、防御と回復の緑、そして魔法の赤。
スピリットにはそれぞれ色事に特性があり、そして異なる色同士がチームを組むことによって、長所を補助し、短所をカバーして新たな一つの戦力となる。
この三人は訓練の過程からそうしたチームワークを磨き、戦争では大いに活躍した。
その息の合った行動は、さながら凄絶な、しかし美しささえ感じられる三拍子……円舞曲のように。
そして彼女たちは、戦争を最後まで生き抜き、ここにいる。それだけで、もはや言うまでもない英雄ではある。
だがしかし、ここラキオスを除けば、意外と世間一般では彼女たちの知名度は高くはない。
理由はいろいろとある。
そもそもラキオスが小国であったこと。
例えば元サーギオス所属だったウルカなどは、関係者の間では大陸全土でその名が知られていると言っていい。
次いで、戦争の拡大とその終結――統一王国の誕生――が、僅か二年余りという驚く程短い間の出来事であったこと。
名が知れるより先に、彼女たちは戦線を移動しなければならなかった。
そして……そもそもスピリットが、人間とは隔絶されていたこと。
これも、言うまでもないことではある。
スピリットを奇異し、避けてきた人々だ。下手をすれば、中にはスピリットに固有の名前があるということに驚く者さえいかねない。
数年前まで、ここはそんな世界だった。
だが統一され、少しばかり時間が過ぎ、そして……
今三人は、こうしてゆっくりと、子供たちの昼寝の合間に、静かにカップを傾けることもできる。
セリアは終戦後軍を抜け、孤児院のようなものを運営している。
両親をなくした子供や……生まれつき身寄りのない、最後の世代のスピリット。
そういう子供たちを集めて、別なく育てている。
一方ヒミカとハリオンも同じように軍を抜けたが、こちらは二人で菓子屋になる、と言った。
ハリオンが菓子屋ということに納得する者は多かったが、ヒミカが共同経営ということに驚く者は多かった。
彼女を知る者にとっては、まるでイメージにそぐわないからだ。
だが、もっと深く知る者は、なるほど、と頷いた。
共に暮らしてみればわかるが、驚くほど――と言うのは、失礼の極みになるだろう――彼女は家庭的だ。
戦場での烈気など、見る影もなく、その穏やかさを満喫するように、彼女は家事をこなす。
強いというのは、彼女の唯一のパーソナリティではない。むしろそれは、持ち前の繊細さをカバーするために身に着けた、後天的な要素とも言える。
そういうヒミカだから、終戦後、一人で生きていくことに寂しさを覚えなかったはずはない。
『私が目をつけてないと、ハリオンが何をしでかすかわからないから』と彼女は言う。
それは、仲間を思う言葉であることに間違いはない。
だが同時に、長年共に暮らした友との別れを惜しむ、照れ隠しでもあるのだ。
「おめでとう、二人とも」
「ありがとうございますぅ」
カップを持つ空いた手で、セリアはテーブルに置かれたチラシを摘み上げた。
『翠亭、開店』。
開業まで約一年。ハリオンが以前から手伝いとして顔を出していた店で修行を積み、このたび要約自分たちの店を持つこととなった。
今日はその挨拶に手土産を持って寄り、何故かなし崩し的に子供たちの相手をすることになり、そして、今に至る。
「贔屓にしてくださいね?」
「もちろん。うちの子たちも、二人が来るのをいつも楽しみにしてるんだから」
試作品、という名目で、二人はこれまでもちょくちょくこうして尋ねてきてくれた。
国からの援助金があるとは言っても、育ち盛りの子供を何人も抱え込むのだ。セリアの館は、持て余す程の余裕がある訳ではない。
こうして二人が持ってきてくれる差し入れには、本当に助かっていた。
「あら、お菓子だけ?」
心持ち憮然とした表情で、ヒミカが言う。
「まさか。二人とも好かれてるわよ。やっぱり私だけだと、忙しくてかまってあげられない時もあるから」
「だったら嬉しいけど。でも、さすがに慣れてないと疲れるわね」
「大人気でしたものねぇ」
「まあ……悪い気はしないけど、ね」
「なら、これからもよろしく、お願いね」
「考えておくわ」
苦笑して、ヒミカがお茶をすすった。
赤スピリットながら、魔法より剣で戦場を駆け巡ったヒミカだ。その体力は、推して知るものがある。
だが時として、子供の元気はそれをも凌駕する。
ぐったりと疲れ果てているヒミカなど、そうそう見られたものではない。
「こんなことになるんなら、ネリーたちも連れてくればよかったかしら」
「あら、だめよ」
「どうして?」
「だってあの子、うちの子たちと同じレベルで喧嘩するもの」
「……成長しないのね」
「あらあら♪」
ネリーとシアー。双子と言ってもいい程に似ている青スピリット。
セリアたちが軍を離れた今も、彼女たちは残り、訓練と任務の生活を送っている。
「いつまでもあのままじゃ困るわ。今でもたまに、私にアドバイス求めに来るし」
「頼られてるんですねぇ」
「今はそれでもいいかもしれないけど、いつまでもそうじゃ困るわ。今の主力はあの子たちなんだから、もっとしっかりしてもらわないと」
「……ふふ」
「? 何?」
愚痴っぽくなったセリアに、ヒミカが軽く笑った。
「変わってないのは、セリアも一緒じゃない」
「どこがよ」
「そうやってすぐに心配したりするところよ」
指摘されて、セリアはハッと口元を押さえる。
「それに、まだ一年だもの。あの子たちだって、急にじゃ寂しいわよ」
「……そうね。そうかもしれないわね」
一年。口の中でセリアは転がす。
一年たった。それはどれくらいの長さだろう。
忙しく子育てに追われて、気がつけばもう、と感じる。
だが、実際にはまだ、なのかもしれない。
今の生活に慣れないところはある。生活がガラリと変わって、それでも時に思い出したように、体を動かす自分も確かにいる。
気がつけば、引き取ったときより背丈が随分伸びた子供もいる。
そして、目の前の二人はこれから、店を持つ。
「一年、か……」
「はい、一年です」
呟いた独り言に、ハリオンが答えた。
「一年たちました。一年たって、セリアさん」
「何? ハリオン」
「もう、人は怖くありませんか?」
ドキリ、とした。
ヒミカもその言葉に目をむいて、隣に座るハリオンを見た。
身寄りのない子供たちを引き取る――人間、スピリットの別なく。
それは、スピリット解放に基づいた新しい試みだった。
交わること、普通に接することさえ禁忌とされていた二つの種族。
それが、新たな関係を築こうとしている。
だからこそ、国からの援助もある。そしてその運営は、今のところ実を結んでいると言っていい。
だが、それだけではない。これはセリアにとっても同様、試みだった。
戦中、命令に忠実で、優秀だったセリア。
だが、その内実は、人間に対して強い不信感と、敵愾心を抱いていた。
一歩間違えれば、憎しみと言えるほどに。
解放されたと言われて、すぐに屈託なく交われるほど、二つの種族はデジタルではなかった。
どちらも、生きているのだ。
人はスピリットを恐れ、嫌悪する。
それは、スピリットも同じだったのだ。
枷を取り払われても、自分たちを殴りながら服従を教え込ませた人間には、すぐに親しみを持てるはずなどない。
人と接することが、セリアは怖かった。
嫌悪の視線を向けられることが。そして、それに対して……憎しみを覚えてしまわないか。
「子供たちは〜、素直ですから〜」
嫌悪と恐怖は、偏見から来る。そして偏見は持ち続けた時間に応じて凝り固まり、頑なになる。
ならば、子供たちならば。
偏見を持たない、あるいは薄い子供たち。
それならば、自分も近づきやすいのではないか……
言わば、これはリハビリなのだ。
誰よりも頑なでありながら、頑なであることを辞めたかった、セリア自身にとっての。
「……相変わらず、変なところは直球なんだから」
「親友の間では、隠し事なんてなしなし、ですぅ」
随分と答えにくいことを聞いてくれた。そしてそれは他の者にすれば大抵、聞きづらいことでもある。
だがそこに真っ向切って切り込めるのは、さすがにそれがハリオンということだろうか。
こうもバッサリやられて、不思議と怒りも、焦りもない。
「……まだ、わからないわ」
ポツポツと、思いだすようにセリアは語り始める。
買出しで、無碍にあしらわれたこと。
悪戯した子のお尻を叩いたら、次の日スピリットが復讐の虐待目的で子供を集めていると噂されたこと。
次々に出来事が口をついて出る。何しろこの一年でいろんなことがあった。苦労話には事欠かない。
それでも、セリアの口調は、暗さを帯びることはない。
「でもね、この間買い物に行ったときのことよ」
雑踏の中、人と肩がぶつかった。
よくあることだ。セリアは振り返って詫びを言う。
ぶつかったもう一方――男も、また振り返ったのだが。
『……なんだ、スピリットか』
それだけ言うと、男はそのまま歩き去ろうとした。『謝ってください』
少年が、男を呼び止めていた。
『ああ? 何だよお前』
『こっちは謝りました。だからあなたも謝ってください』
『何で俺がスピリットなんかに謝らなくちゃいけないんだよ』
『そんなのは関係ない!』
少年が一喝する。
『人間とかスピリットとか、関係ない。僕の母さんに謝れ』
まだ見上げる程、それほどの身長差がある男に対して一歩も引かず、少年は凛として立つ。
周囲もいつの間にか、二人のやり取りに注目していた。
体裁が悪くなったのか、男は何か、モゴモゴと謝罪のようなことを言うと、足早に立ち去っていく。
そして人々の――まだ少なくはない、奇異の視線を受けながら、しかし少年は堂々と、セリアの前に帰って来て、言った。
『母さん。僕は母さんが、大好きだよ』
「嬉しかったわ、とても。帰ってきてから……」
その後をセリアは言わない。窓に向けるその目は、わずかに潤んでいる。
「あの子、ここに来たときは本当にやせっぽちだったのよ。ろくに食べることもできないで。それが……」
「いい話じゃない」
「はい〜」
ヒミカが鼻を掻きながら、ハリオンが心からの笑みを浮かべて、言う。
「正直、私がどうなれるのかはわからない。でも、あの子が……家族がいるもの。だから多分、上手くやっていけるんじゃないかって。……今はそんなところかしら」
「それで十分、ですよ〜」
かつてこの三人は戦友であり、仲間であり、そして家族だった。
寝起きを共にするだけではない、深いところでの繋がり。
そして戦う必要がなくなった今、円部曲が風に吹かれて、彼女たちは別れ、新たな道を歩んでいる。
だが、途絶えることはない。飛び去った旋律は新たな環境で、生み出し、共鳴し、また新たな旋律を奏でていく。
不安になったら、戻ってくればいい。まだ始まったばかりなのだ。
「家族、か。いいものね」
「ええ、悩むことも多いけど、幸せだと思うわ」
「昔から仕切り屋だとは思ってたけど、すっかり『お母さん』が板についてるじゃない」
「まあ、ね……ところで」
ズイッ、と、セリアが身を乗り出す。
「? 何よ?」
「私には家族ができたけど……貴女たちは、どうなの?」
「ど、どうって……私は、別に。これから店の方に力入れないといけないし」
「ふぅん、そう……で、本当のところは?」
追求の矛先。向く先は、当人のヒミカではなく……ハリオン。
「うふふ〜。実は〜、ヒミカさんはそれはそれはモテモテなんですよ〜」
「ちょ、ちょっとハリオン!?」
「あら〜、本当ですよ〜? 前に工事の手伝いをした時に〜、ヒミカさんの怪力に感動した男の人たちが『姐さん姐さん』と〜」
「怪力って! だから、あの時は神剣の力を使って!」
「でも〜、その後にお料理を作って差し上げた時は〜」
「ちょっと、そこからはほんとにストップ!」
ハリオンの口を塞ごうとするヒミカ。だが、ハリオンはおっとりと素早く身をかわす。
「へえ……まあ、確かにヒミカも料理は得意だものね」
「ええ。でも〜、それ以上にヒミカさんのメイド服姿が〜」
「あ、あれも、あの時はあれが館の私服だったから……」
「そうですけど〜。でも次々言い寄られている時のヒミカさん、お顔が真っ赤で……」
「ああ〜! それ以上言わないで〜!」
ついにヒミカが頭を抱える。
ハリオンはそれからも嬉々としてヒミカがいかに持てるかを語り、そのたびにヒミカがぐったりとしていった。
ハリオンがいつも通りに、ヒミカが焦り、セリアが突っ込みを入れる。
久々の円舞曲は、それから何度かお茶を代え、子供たちが起き出して来るまで、賑やかに続けられた。