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 門(トンネル)を抜けると、雪国だった。

 基本的にエターナルの生活は緩慢なものだ。
 毎日激烈な戦いが続く……と当初は思っていたが、そこはそれ、こちらに体調や都合があるように、敵もいつだって闘ってやろう気分に浸っているわけでもない。
 なので、基本的に彼等――聖賢者ユウト(いい加減改名したいと本人は思っている、相棒はそうではないが)と深遠の翼ウルカ――のチームは、休息、待機:仕事=7:3位の割合で活動している。
 しかし、のんべんだらりと怠惰な時間を過ごしているわけではない。
 現在は時深と別行動をしているが、彼等はもともと3人1組のチームだった。
 欠けた1人は倉橋時深。
 奇遇にもユウトと同じ世界、同じ国の出である戦巫女。
 直接的にユウトにエターナルとなる資格を与え、そして2人を導いた存在。
 時詠と時逆、さらに時果という3本の上位永遠神剣を携え、その上生来未来の自称を見ることが出来るという色々と規格外なエターナルが、以前は彼らと行動を共にしていた。
 ウルカの生まれた世界、ファンタズマゴリアから出発した後は彼らの教育係として同伴する必要があったからだ。
 それはエターナルとしての在り方を教授するためでもあり、より永遠神剣の力を引き出す方法を伝えるためでもあり、それからさらに煩雑な事情があったりする。
 だが今、彼女はユウト達の傍にはいない。ユウトたちがようやく二人でも他のロウエターナルを相手にすることが出来るほどの実力を得たからでもあるが、それよりも敵が多すぎる、ということがある。
 どれだけいるかも判らない程の多数の敵。出来るなら、手分けをして数を減らしていかなければならない。
 とは言え、完全に別行動を取っているわけでもない。
 彼らは時々合流し、時深が見た、いつ頃、どんな敵が、どこに現われるかといったブリーフィングを行なう。
 基本的にユウト達はその情報に従って行動するため、ある程度余裕をもって作戦を立てたり修行に専念できたりする。
 だがいかんせんエターナルの時間というのは余りにも長いため、時には持て余すほどの暇が出来ることもある。
 そもそもこの時間という感覚自体が、彼らにとっては曖昧だ。
 ユウトが生きていた世界の地球の公転周期で何千年、などという、それくらいの単位で数えているくらいだから、ふと思い返してみるとユウトは、なんてデタラメな存在になったんだろう、なんて思ったりもする。
 だからユウト達は今、エターナルの共通時間である「周期」を使って時間の概念をつかんでいる。
 これはファンタズマゴリアを出奔して以来、一番最初に時深に教えられたものだが、なんでもそれまでの生態系や時間感覚に関わらず、全エターナルが共通して認識するものだ。
 というより、そんなものでも使って統一しないと互いの連絡もとれないからなのだが、なかなかどうして、これが結構約に立つ。
 中にはこの周期でさえすっ飛ばして勝手に時間を測るようなとぼけた者もいるらしいが、おおむね全エターナル共通だ。
 だから他のエターナルと出会ったときに、それがエターナルになってから何周期過ごしたかというのは結構重要な情報となる。
 何故なら、エターナルの強さは、一つは確かに手にする永遠真剣の強さによるが、もう一つはエターナル化してからの時間、即ち経験による強さだからだ。
 実際、ユウトの手にする『聖賢』は永遠神剣第二位のはずなのだが、第三位の剣を手にしているエターナルでも、長く生きてるためにユウトより強いエターナルも腐るほどいる。
 ……ちなみに悠人より若いエターナルには会ったことがないため、彼は強さがそれだけで決まるのか、という疑問にはいまだ答えは見出せないでいる。
 それはまあ、それとして。
 今回のユウト達は、なかなかに戸惑っている。
 なにしろ、何が起きているのかが解からないのだ。
 とある世界で、ロウ・エターナルの一派を撃破。そこまではよかった。いつもの仕事だ。
 それからさらにいつも通りなら残務整理に取り掛かるはずなのだが、今回はそこへ急に時深からの連絡(テレパス)が入った。

『……ウトさん、悠…………こ………か?』
「……? ……ウルカ!?」
「はい、ユート殿。手前にも聞こえます」

 敵を倒して、いまだマナの塵も完全には消えていない状態。
 そんなところへ、いきなり時深のテレパスが頭に響く。
 振り返ってウルカに確認する。ウルカも戸惑いながら、同じ様な反応を返してきた。
 その表情は心なし、硬い。
 声が、心なしか切羽詰っているように聞こえたからだ。

「おい、時深か!? どうした?」
『……門……き……潜……』

 問い返すも、声は歪んでよく聞こえない。
 ふと思い出して、「あの」戦いのように剣を電話のように耳にあててみた。
「時深、どうした、聞こえるか、時深!?」
『ああ、悠人さん、よかった。そちらの敵は倒せましたか?』
「ああ、今倒したばかりだけど……どうしたんだ? 次に合流するのはもうちょっと先じゃなかったか?」

 ちなみに、その「ちょっと」というのも地球の感覚にして50年くらいの時間だったりするのだが、それは我々人間にはあまり馴染みも関係もない話。

『そうですけど……とにかく、事情を説明するのはめんどうなんですけど、大変なんです! ウルカは今一緒にいますか?』
「ああ、いるけど」
『チッ』

 なにやら訳のわからない舌打ち。

「なあ時深、今の舌打ち何だ?」
『舌打ち? そんなことはしてませんよ』
「いや、今舌打ちしたろ」
『とにかく急の用事です。今からそちらに門を開きます。本来なら悠人さん一人のほうが都合がいいんですけど……しかたがありません。誘導は私がしますから、すぐにこちらに来てください』
「いや、いいけど……なあ時深、今舌打ちしたろ?」

 いつだったかもこんなやり取りしたっけなあ……
 切迫した状況の中でそんなことを考えるユウトの前に、返答はなく、ただ空間に『穴』が空く。
 これが悠人達エターナルの言う門――ゲート。
 それまでの冒険で、もはや飽きるほど潜ったというか、慣れ親しんだというか、そういう門だ。

「おい、時深……?」
「ユート殿。詮索は後にしましょう。手前も不審ではありますが、先程の通話、なにやらトキミ殿は慌てている様子……きっと重大な用件が発生したに違いありますまい」
「いや、それはそうだけど……」
「もしかしたら、トキミ殿では対処しきれない事件に遭遇したのかもしれません。手前共を戦力として呼び出したのなら、ここで行かなければ信義に関わります」
「……そうだな。仲間の危機なら、見捨てるわけにはいかない。時深には借りもあるし」

 ウルカの説得に促され、ユウトは門に向へと向き直る。
 ロウ・エターナルによってもたらされた破壊と略奪の陰謀。
 それはいま悠人達のいる世界にも及ぼされていたが、大体の大本は取り除いた。
 本来ならそれからユウトとウルカがあれこれと手を焼いて世界の修復を助けるのだが、この世界の知的生命体――事実上の支配者――には、その元凶が取り除かれたなら、それから持ち直せるくらいの自浄能力はあると、悠人達はこの短い時間(と言っても、人間の時間で百年かそこらはあるのだが)で持ち直せるだろうと、信じるに足りた。
 ならば、ここで自分達が立ち去っても、この世界からもうマナが失われることはないだろう。
 もし自分達がいなくても、多少の遅れは出るだろうが、その歴史と歩みはやりなおせる。
 もとより自分達の使命は押し売りセールスではない。全てはあるがまま、なすがままだ。
 いくらか愛着の湧いたその世界の住人達を思い浮べて、悠人は傍らのパートナーを見返った。

「わかった。ウルカ、行こう」
「はい。是非もなく」

 そして二人は門を潜る。
 その体感は、あっけないものだ。
 それは短くも感じられ、長くも感じられる。
 もとより時間との契約を断ったエターナルという存在。
 その移動手段たる門にも、時間の概念などあったものか。
 あるとすれば、異世界間での時差、そのくらい。
 それでも今は時を操る時深のサポート、要請下である。
 恐らく時間のずれなどなく、瞬時に今の時深のいる場所、時間へとたどり着くであろう。
 光速度不変の法則など知ったものではない。
 高々小さな星系の中の小さな惑星――小さな世界、その中で天才ともてはやされた命が唱えた、一理論。
 彼が生きた世界よりも、さらに上位の世界、もはや神とも同等の力を誇るエターナルになど通用するはずがないのだ。
 かくして二人は門を通過する。
 その瞬間、二人はさらに人知を……いや、それまでの全ての経験を超える。
 説明などできようはずもない。
 それは五感を全て闇に閉ざされ、その上で遠くあちこちに新たな、まだ見ぬこれから訪れるだろう、もしくは永遠に訪れないだろう世界を見やりながら。
 まるで世界そのものに引き伸ばされ、引きちぎられながらも、確たる存在として一点に押しつぶされそうにも感じながら。
 浮いているのか、沈んでいるのか。
 或いは流され、もしくは流れに逆らって泳ぐのか。
 しかし今は、時深の誘導に従い、さながら動く歩道、もしくは因果律の指示に従って目的の地へ――時深がいる、彼らを待ち受ける世界へと進む。
 やがてその流れの中、光が見える。
 それは徐々に大きくなり、否応無しにそれを潜る瞬間。
 なんてとこだ、ここは、とも。
 もしくは、ほう、今度はこんなとこか、とも思いながら。
 内蔵がすべてひっくり返るような、それでいて四方八方から押し込められるような感覚に終わりを告げて、そうして。
 やがてたどり着いたその世界。








 門(トンネル)を抜けると、そこは雪国だった。








 2人は新たな世界に足を下ろすと――重力だとか、そんな概念は関係ない。エターナルは呼び出されたその世界、その条件にすべからく合致するよう、最適の情報で呼び出される――背中合わせに剣を構えた。
 片方、正眼。片方、抜刀。
 それぞれがそれぞれのやり方で。もっともリラックスでき、かつどんな状況でも対処できるように、これまでの経験と鍛錬のなかでもはや心身の髄まで染みこませた態勢である。
 ……文字通り、一部の隙もない。
 もしこれがエターナルでない、地球上の人間であっても、それに近づこうものなら呼吸も満足にできないまま一刀の下に伏されるだろう。
 それほどまでの見事な連携。それほどまでの見事な構え。
 加えてこの2人はエターナル。唯者ではない。
 剣は彼が相棒にして戦友、感覚をともにし、その性能の全てを生かしきる。
 すでに狭量ながら、その世界の情報を逐一漏らさずその六感でマナを感じ取る。
 虫一匹の動きも見逃さない。
 そうして感じる、世界と、そこに含まれる敵の気配。
 もはや通常の敵は敵ではない。
 感じるべきは、敵意ある神剣を手にした秩序主義者の気配。
 もしそれが持たぬのならば、彼らが信条によって見守り、保護すべき対象である。
 しかしそのどちらもここには存在せず。
 いまだ年若きエターナル達は緊張に身を張り巡らせながら、その気配を窺う。

 たどり着いてその間僅か数秒、確認する暇がなかったとは言え、彼らは己のある場所を確実に把握していた。
 山地なのだろう、傾斜のある足下。
 いまだチラチラと舞い降りる雪。それが積もっていささか足下が不安定ながらも、この二人にはそれほどの障害にはならない。
 どうやらここは森のようだ。ユウトから見て左側は木が密集していて、普段ならそれほど視界はよくないだろう。
 だが、どうやら時深がひとしきりここで戦闘を繰り広げた跡だろうか、そこかしこになぎ倒された木や小さなクレーターが見られる。
 反対側はも似たようなものだが、近くに川でもあるのだろうか、自然に植生は薄れ、水の流れる音が聞こえてくる。
 それでもその川を越えればまた同じ様に斜面と密林が続き、それに遮られた視界の限界内に人気は無く――

「……ウルカ」
「いえ、なにも」

 じわり、と、ユウトのこめかみに汗が浮かぶ。
 どんなに気配を抑えようとも、神剣が身にまとうマナは膨大である。
 それが彼らの敵――エターナルの持つ上位真剣ならば、例え無防備に眠っていてもその匂いは容易に鼻を刺すであろう。
 それを、微塵も感じさせない。
 感じるのは、馴染みのある波長――時深の携える神剣のものだけだ。
 それも、さっきからずっと動いてはいない。波動も微弱。既に『戦闘をしている状態』ではない。
 ということは、既に時深はやられたのか。
 神剣の気配があるということは、仮に敗れたとしてもまだ消滅はしていないと言うことなのだが……
 他人の心配をしている暇はない。薄情ということではない。
 精神を統一し、神剣から流出するマナを一切遮断しているのか……
 あるいは神剣自体が、元来マナを感じさせない――そんなものがあると聞いたことなどなかったが――暗殺に特化した剣なのか。
 いずれにしても、ここまで見事に気配が感じられないのなら、恐らくはかなりの難敵だろう。
 自分の身でさえ守れるかどうかが怪しいのだ。時深が応援を要請したのも頷ける。
 もしくは天位か、地位か……或いは、まだ出遭ったことはないが、楯か。
 スゥ、と、ウルカの眼が細まる。
 戦いを楽しいと思えるのは、こちらが優位か、互いが互角の実力を持った場合のみ。
 ここまで見事に隠行を極めて手練ならば、その余裕もあるまい。
 やがて二人は息をひそめ、逆に近頃はなかった、緊張化での鼓動の早まりを抑えきれぬ中。
 それを、一声が無残にも打ち破った。

「おーい。悠人さーん」

 声は、ユウトの右手……背中あわせのウルカからすれば左手から聞こえた。
 それは、あまりにも気の抜けた声だった。
 具体的に言うと体の中からマインドが20くらいごっそりと抜け落ちていくような気のする声だった。
 二人は静かに、視界の通じない目配せをして……
 そして、悠人が横目でそれを確認した。

 ところどころ開けた密林。ユウトの右手にあるだろう川。
 そこよりもずっと手前、ユウトは見た。あえて見ないようにしていたが、覚悟を決めて直視した。
 何かが湧き出ているような、白い煙。悪意は感じられない。
 多少離れてはいるが、エターナルならば一度の跳躍で届くような距離。
 そのなかに、湧き出る泉。
 水温は高いのだろう。もうもうと湯気が立ちこめ、その中に朧に見える肩よりの上半身。
 頭に手ぬぐい。手前に盆。盆の上には徳利とお猪口、そして幾ばくかのつまみ。
 湯気と、湯の中までは見えないが、恐らく状況から判断できる、しかしこの状況下でそう判断したくはない――恐らくは裸身。
 湯の快感か、あるいは他のものに酔ったか、どちらで上ったかわからない朱で頬を染め、歴戦の戦巫女は、やたらとぽけ〜っとしたツラで、限りなくくつろいで。
 そして、色めかしく微笑って言った。

「何してるんですか。早く一緒に入りましょう?」






出雲の踊り子





 あまりにも間の抜けた問いに、ユウトは肩透かしを食らった思いだった。
 何をしてると問われれば、警戒しているとしか答えようがない。
 なにしろ、こちらはいまだ途中の仕事を放り出して駆けつけたのだ。
 しかも、呼びつけた声はいつにもなく切羽詰っていた。
 そこから想像される事態と、実際に出くわした現状。
 であれば、こうして最大限に警戒していても何らおかしいところはない。
 だと言うのに。

 「……何なんだ?」

 緊張が尾を引いて、体が思うように動かない。
 ユウトはようやく声に導かれるまま首だけを動かして、彼らを呼び寄せた先輩エターナルを半眼で睨んだ。
 倉橋時深。出雲に属する戦巫女にして、時さえ操る能力を持つ先輩エターナル。
 その彼女は、目前に現われいまだ歳若き――というのも微妙だが――2人のエターナルを前にして。
 優雅に、その画された本性とは裏腹の慎ましやかな肢体をお湯に漬からせて。
 あまつさえ手前に酒と思しき容器の乗った盆まで浮かべながら。
 彼女は、臨戦態勢をとる後輩エターナルをまるで嘲笑うかのように、思いっきりくつろいでいやがった。
 いやいや待て、待て聖賢者ユウト。あれは本当に時詠の時深なのか?
 仮説1。彼女は似ているように見えるだけのこの世界の住人で、そして自分が偶然また彼女が知っているだろう「ユウト」という人物に似ているため呼びかけられた。
 仮説2。誰か、もしくは何か得体の知れない敵エターナルが神剣の力を使ってなりすましている。
 仮説3。実はあれは敵が作り出した幻影で、騙されて温泉につかろうと丸裸になった瞬間、敵のオーラフォトンにやられる。
 仮説4……は、ありえないとは言い切れないが、このばあい楽観視すぎるので却下。
 名探偵ではない歴戦のひよっこ戦士であるユウトは、7つには4つ足りない可能性を推測した。
 件の探偵曰く、それを一から否定していって最後に残ったものが真実であると言う。
 しかしユウトは駆け出し聖賢者であるため、そのような明晰な推理を瞬時にすることはできない。
 よって彼はもっとも直接的な判断方法をとることにした。試しに足下の雪を蹴ってみる。
 オーラを雪に流し込み、硬球並の高度を持たせて、右手の時深と思しき温泉女の方へと打ち出してみたのだ。

「てい」

 コツぶしゃ。

「あいた! 冷た!」

 雪の塊は直線を描いて飛び、そのまま時深と思しき人物の顔面に当たって砕けた。
 ユウトの考えはこうだった。
 もし敵ならば回避運動を取ろうとするだろう。
 もうしそうでなければ、気の毒だが多少痛い目にあってもらう。
 普通の生物だとしても、せいぜい気絶するくらいの威力しかこめてないはずだ。あとで介抱でもしてやればいいだろう。
 しかしそれを避けようともせず……か避けられなかったのかはわからないが、果敢にも顔面ブロックを決めて見せたその人影はひとしきり雪を払うと、「ひどいじゃないですかー」だの「何なんですかー」だのと喚きたてている。
 どうやらかなり頑丈で、そしてこれもどうやら怒っているらしい。
 ここで先程提案前に却下された仮説4が現実味を帯びてきた。
 温泉女は腕を振り上げ、やや身を乗り出しているため、遠目からでもなんだか丸くて柔らかいものが水面から覗きそうになるのがわかる。
 ……あの抜けぶりは。やはりそうなのか。いや、しかし。
 疑いが確信に変わりつつあるなかで、ユウトはしかし独断を防ぐためにパートナーにも意見を求める。

「……なあ、ウルカ」
「何でしょう、ユート殿」
「あれ、何に見える?」
「時深殿、に見えます」
「じゃあ、『何だ』と思う?」
「難しいですが、やはり時深殿だと思います」
 そこでウルカは一端言葉を切ると、チラリと脇を見やった。
 二人の合意によって暫定的時深と判断された人影は、今度は「ブーブー」だの「なんですか二人でひっついてー。見せつける気ですかー」だのとこぼしていた。

「……あの様子を見るからには」
「……だよなあ。でも仮にそうだとして、わからないんだが」
「はい」
「アイツはあそこで何をしてるんだ?」
「手前には、湯につかってくつろいでいるように見受けられますが」
「いやいや待て。こうは考えられないか? アイツは実はオトリで、俺たちが引っ掛かるのを敵は待っている、ってのは」
「そう考えられないこともないでしょうが、しかしユート殿。それならば敵はもうとっくに仕掛けてきているはずです。何しろ……」

 ウルカはややゲッソリとした顔で、既に気の抜けた自分の状態を見直した。

「手前どもはもう、充分すぎるほどに隙だらけなのですから」
「……確かに」

 二人はこんどこそ確実にゲッソリとして、肩を降ろした。
 挙げられなかった仮説4。すべては見たまま。人影は時深で、温泉に入ってこれでもかとばかりにくつろいでいる。
 ああそうだな、コイツはこういうやつだよ、そうだよな。そんな深刻に考えることはなかったんだ。
 ユウトは呻きにも似た嘆息をこぼして、構えを解く。

「あー、時深。一応聞いとくけど」
「はい、なんでしょう悠人さん」
「敵は?」
「いませんよ。私が全部倒しましたから。その時偶然大地がマナに反応して、このお湯が湧いたんです。で、悠人さん達のところに繋がっている門も丁度いい感じだったので、これはもう呼び寄せてしっぽり温まるしかないと」
「……だったら、ついた時に一声かけてもいいんじゃないか?」
「ああ、それは」

 続いて「険しい表情で臨戦態勢だったのが馬鹿っぽくて面白かったから」と口にした湯煙の時深は、今度は二発の雪球を食らうことになった。


 ――若さは時にエネルギーと同一視される。
 それは俺のいた世界、常に人が必死になって繋ぎとめようとした、価値だ。
 それを讃える詩や格言は、枚挙に暇がない。
 いつだって若さあるものは夢を見、戦い、未来を切り開いてきた。
 肉体的にも精神的にも、それがなしうる熱によって旧来の歴史や文化を塗り替えてきたのである。

「気持ちいいですねー」
「ええ、本当に、丁度汗を流したいと思っていたところです。……ふぅ」

 ――だから古来、不老不死が人の夢であったのだ。
 永遠の若さを手に入れることは、この世のすべての栄光……その階段を手に入れることと同義だったのだから。

「ん〜、露天風呂に熱燗、雪景色と来たらもう! 極楽極楽」
「時にはパンの耳をかじり、時には木の根を掘って訓練と戦いに明け暮れた日々を思えば、なるほどこの湯は確かに極楽と言えるかもしれませぬ。」
「ウルカは相変らずですね。せっかく美人なんだから、そんな時はめいっぱい女の武器を使っていかないと」
「美……いえ、手前は武人です。例え困窮しようとも、身を卑しめるような真似は御免被ります」
 ――しかし。
 時に若さはまた、暴走もする。
 押さえ切れない激情は時として人を傷つけ、自分にも痕を残すことがある。
 時が過ぎて傷がいえれば、その分人は若さを失う。
 ずる賢い者は、それが大人になることだ、とも言う。

「もう、そんなこと言っちゃって。ほらこーんなに綺麗なのに」
「お綺麗なのはトキミ殿こそでしょう。その雪のように白い肌など、とても歴戦の勇士とは思えませぬ」
「まあ、そのためにエターナルになったようなものでもありますからね。じゃあ褒めてくれたお礼に……えいっ」
「なっ……何を! ちょっ、トキミ殿、や、やめ、あ、そこはダメです!」

 ――そして――持て余されるのは、心の熱ばかりではない。
 具体的にどうとは言えないが、若さ溢れる青春期の、その肉体を持って不老不死となってしまったのだから、その、なんだ。
 つまり……こういうときに。

「やめません、ほらほら」
「いけません、トキミ殿! このような所で……!」
「スベスベかつプリプリ。いいなあ。悠人さんは毎晩こんな身体を……」
「変なことを言わないで下さい! トキミ殿、いい加減になさらぬならば手前にも考えが!」
「きゃっ、ウルカ、いきなりは反則、反則ですよ!?」
「夜討ち朝駆けは戦の必定。そもそもいきなり仕掛けて来たのはそちらではありませぬか」

 ――例えば眼前で繰り広げられる無邪気な若い肉体がふざけあう様を見るといや自分は健康な肉体を持ってるだけでしかし実際最近は戦局もいよいよ大詰めになってたからちょっとご無沙汰気味だったっていうのはこの場合正統な理由になるんだろうかなんてああああ。


 もう限界だった。ユウトの思考はそこで確実に限界を迎えた。
 慣れない口調で小難しいことを考えてみようとしたが、その試みは失敗に終わったと言わざるを得ない。
 正直これは拷問かと、ユウトは思う。
 なるべく距離を取ろうとして2人の反対側に回ったのが仇となった。
 まだ温泉に入ったばかりだというのに、既に顔は真っ赤だ。
 いっそ湯当たりしたなどと言って上がろうかと思が、しかしこのポジションも悪くないかな、とも思う。何しろ若いのだから。
 それに今上がろうするのはさすがに早すぎるし、さらに一部の肉体的な都合(疾患ではない、正常な機能である)によってそれもままならない。
 顔をそらしても二人のやり取りは聞こえてくる。
 何が極楽だ。これではなんと言ったか。確か羞恥プレイ……いやむしろ放置プレイ?
 ああ。
 ユウトは自分の若さを、この時ばかりは悔しく思う。
 若くして不老不死を手に入れた、初々しさ漂う永遠の青年。
 顔をそむけたまま、チラリチラリと向こうを伺うことしかできない。
 こんな時、他のひとならどうするだろうか。枯れ切った老人なら静かに湯を楽しむのだろうか。いやしかしあれほどの美人だ。堂々と正面から、眼福眼福等と言って手を合わせて拝むかもしれない。
 何しろ目の前の二人は、確かに美女なのだ。
 時深は背景に溶け込むような白い肌。
 一度だけ交えた体は柔らかく、ぽちゃぽちゃとした手触りが正に大和撫子。
 例えるなら大福だ。一般的には餡が中に入っているが、時折イチゴが入っていたりキウィが入っていたりと奇をてらい、ひどいときには豆板醤だったりもする。その場合はまったく始末に負えない。
 翻ってウルカはチョコレートだ。
 つややかな肌の彼女は、常に冷静沈着、ビターな味の大人の女。
 しかしそれを構成するカカオバターの甘さは、隠そうとして隠しきれるものではない。
 激情の直火で無理矢理加熱すると壊れてしまうが、しかし一端湯煎のようにゆっくりと、時間をかけて暖かく包み込んでしまえば、その甘さも強さも損ねることなく思い通りの型にはまってくれる。
 溶かしては固め、また溶かす。慣れ親しんだその味に、しかしいつまでも飽きるという予感はない。
 もしここに時深がいなかったら……チョコバナナか。チョコバナナなのか。
 と、そんなことを考えているうち、ふと目が合った。
 別段何かがあったわけではない。ただこちらが向こうを見て、向こうもこちらを見て、そのタイミングが合っただけの話だ。
 そして沈黙。
 例えば道端で知らない男女が1:1ならなんとなくロマンチックさもある。
 が、それがすでに肉体を交わしたこともある男女が1:2、しかも場所が混浴露天風呂で男の方がヘタレとくれば、その硬直には気まずさしか漂わない。
 風は無く、時計もなく、ましてや静かに舞い降りる雪が音を立てることも無く、ただ川のせせらぎだけが無情のBGMとして時を埋め尽くしていく。
 突然目をそらすのは明らかに挙動不審だし、さりとて右を見ても左を見ても同じ様な光景で新しい発見はなさそうだし、かといって下を向いてはまるで第二次成長を意識し始めたビギナー中学生のようで格好もつかないし、ああカラスがいたら阿呆と鳴いてもらいたい、などと思いながら。
 結局ユウトは極めて自然な動作で天を仰ぎ、こう呟く。

「いい湯だな……」

 当然ながらビバノンノンという合いの手が入ることはない。
 シチュエーション的に極めて妥当であった独り言は、しかし状況的に極めて不自然だった。
 二人から感じる視線は途切れていない。
 気まずさだけがさらに募っていく。何か事態を打開する要素が必要なのだ。それはちょっとした変化でいい。
 いっそのこと湯気が天上からポタリと落ちてでも来ないかとも思ったが、残念ながらここは登別でも草津でも、ましてや白浜でも別府ですらない見知らぬ世界の露天風呂だ。
 ユウトは自分の思考がなにやらずれ始めていることを感じたが、もはやどうでも良くなった気がする。

 極端なストレス下に置かれた人間は、乖離性同一性障害、すなわち今ここにいる自分は誰か別の人間だと思い込むことから始まる多重人格障害に陥る可能性があると知られている。
 そしてユウトは今現在まさにそれになろうとしていた。
 ああ、自分がこんな性格でなく、例えばもっとそう、光陰のようなキャラだったら。
 恐らく何も迷わない。煩悩の赴くままに湯とか景色とかそれ以外のものを心逝くまで楽しむに違いない。何しろこれほど美味しいシチュエーションなのだ。逃げてどうする。立ち向かえ。前にも言われただろう、据え膳食わぬは男の恥だ。
 よしユウト、行けユウト。男なら行動あるのみだ。めくるめく温泉旅行、隠れた秘湯、聖賢者は見た、湯に煙る輪郭の真実を。
 ああ雪よ、ああマナよ。讃えよ己を、讃えよ我を。マナに栄光あれ、若さに栄光あれ。湧き出る泉、飛び散る汗。ラドロウ寮に栄光あれ。花こそ咲かねど、今からここは桃源の――

「悠人さん?」
「いえすいませんほんとそんなこと思ってませんからああでもちょっとだけは思ったかもでもそれだって欠片ほどだしほんとにチョビッとなんでもう勘弁してください」

 立ち込める湯気に脳みそが汚染されてあらぬ想像の世界を築き上げかけた矢先、その当事者からかけられる声ほど心臓に悪いものはない。
 いつの間にか傍に寄っていた時深が、何かおかしなものでも見るかのようにユウトを観察していた。
 いや、実際おかしいことに変わりはないのだが。
 動転したユウトの口からは、脈絡もなく謝罪の言葉が数珠のように紡がれてくる。

「もう、さっきから変ですよ。一人で離れたとこにいったかと思ったらブツブツ言ったりキョロキョロしたり。挙句の果てにはいきなりなんだか謝り始めるし。どうしたんですか?」
「いや、ちょっと考え事してただけだ」

 その考え事が健全な若者の不健全な妄想なんです、とまではさすがに言えない。

「考え事? 何をですか?」
「いや……大したことじゃないんだけど……」

 ユウトは必死に考えをめぐらす。何かそれっぽいものはないか。
 この場で、最も怪しまれず、それでいて自分の思考に軌道修正をもたらすような、そんな何かが……
 そして天啓は訪れた。

「ちょっと……佳織のことをな」
「佳織さん?」
「ああ。考えてみたらあいつと旅行なんて行ったことなかったし……ああいや、婆ちゃんとこは旅行みたいなもんかもしれないけど。こう言うのはしたことが無かったんだ。だから、いたらもっと楽しかっただろうな、って」

 言いながら、それは叶わぬ願いだと理解している。
 ユウトがエターナルになってから、すでにもう数周期が過ぎている。
 すでに佳織の命は終わってしまっている。
 守るために。
 その信念で選んだエターナルへの道だ、後悔はない。
 思い出は思い出であればいい。それだけで充分だ。
 そしてそれを思い返す必要がなくなれば、思い出は次第に薄れ、消えていく。
 だがそれでも、周期という人間の感覚では恐ろしいほど長い時間を経ても、それでも消えずに思い出される妹のこと。
 それだけ大切なものだ。
 それに、誰かにありえないと否定されたとしても、自分は今でも佳織と繋がっている……ユウトは今でもそう感じることがある。

「そうですか……」
「ああ……」
「つまり私達だけではなく、佳織さんの裸も見たかったと」
「ああ…………はぁ!?」
「ダメですよ悠人さん。思い出は思い出だから美しいんです。現実を見ましょう」
「待て! お前は激しく誤解してる! っつーかお前が俺の思い出を破壊してる!」
「確かにあの時は服を着てましたし、見たいと思うのは悪いことではありませんけど」
「人の話を聞け! ていうか何だよそれ! 見てたのか!?」
「はい。物陰に隠れて、初めから終りまで余すところなく舐め回すようにじっくりと」
「趣味の悪いことすんなよ!」

 平たく言うとぶち壊しだった。
 ユウトにとって、佳織はまぎれもなく愛する妹であり、そのすべてがいい思い出だ。もちろんあのことも。
 しかしその事実が時深の口から出ると、途端になんだか下劣なものに感じられてしまう。

「趣味が悪いのは悠人さんのほうですよ。目の前にこーんな美女がいるんですよ? それも一度は関係を持った。それなのに他の女性(ひと)のことを考えてるなんて、デリカシーがないにも程があるってもんです」

 言うなり時深はさらに接近する。
 後ずさるユウト。追う時深。捕食者と被捕食者の構図が出来上がっていた。
 それが純粋な恐怖からの逃亡だったのなら、何も問題はないだろう。
 しかし現在その恐怖は擬似的なものであり、今ユウトが逃げているのは貞操観念とか義理とか節度とかそう言った次元の理由からである。
 クレーターを流用した、すり鉢状の湯船。
 ユウトが後退するに従って身体は徐々に水面から露出する。
 そして膝立ちの態勢で彼を追う時深もまた、クレーターの壁面を緩やかに上昇している。つまり彼女の上半身も徐々に湯の外に現われることになる。
 すなわちそれは彼に視覚からの刺激をもたらすとともに、彼の内面から若さを噴出させ――
 もし何かの会話に置き換えるとしたら、それは恐らく次のようなものが一番適当だろう。


『潜望鏡深度に到達! 潜望鏡、水上を捉えました!』
『よし、何が見える!』
『敵がいます、艦長!』
『何だと!? 装備は!』
『爆弾が二つです! しかしご安心を、それほど大きくはありません』
『何、見せろ……貴様!』
『ハッ!』

 ガッ!

『このバカモンが! 貴様潜望鏡を覗いてる身で、一体何年艦(ふね)に乗ってる! ご安心を? ふざけるな、あの爆弾の威力もわからんのか!?』
『申し訳ありません、サー!』
『よく見ろ、装甲には光沢がある、中身はかなりの高性能爆薬。おまけに突端はピンク色だ! ピンク色だぞ? わずかな接触でも敏感に反応する、正確無比な信管だ!』
『…………!』
『あんなものが落ちてきてみろ! こんな艦(ふね)一発で沈むぞ!』
『敵、微速ながらも接近! 艦長、指示を!』
『決まってる! 全バラストタンクに注水、急速潜行!』
『できません、サー! 既に海底すれすれです、これ以上は潜れません!』
『だったら迂回して逃げろ!』
『エンジン不調、出力ダウン!』
『整備班、何やってた! せめて潜望鏡を降ろせ! 格好の的だ!』
『油圧パイプに異常、潜望鏡、降りません!』
『できなくてもいい、やれ!』
『無理です艦長! これを降ろすとなれば、強制的に排油をするしかありません!』
『敵、さらに接近!』
『クソッ、なんてことだ……神よ……神よ……神よ……』


 もはや追い詰められたネズミ、どこにも逃げ場はない。
 頭の中では、パニックに陥る司令室でただ一人、艦長が『嘆くな、諦めるな、この艦はそう簡単に沈まん! 持ちこたえろ!』と激を飛ばしていた。
 ユウトはエターナルの試練を思い出す。
 まるであの時と同じだ。丸腰どころか裸で剣の助けはなく、迫り来る敵は強敵で、しかし易々と逃がしてくれるようには見えない。

「ねえ、悠人さん。私なんてもうずっと独りで……寂しいんですよ、わかってますか?」
「そ、そんなこと言ったってな……」
「さっきだってユウトさんだけ呼ぶつもりだったのに。でもですよ。私だって我慢してたんです。ちょっとくらいはいい目を見てもバチは当たらないと思いませんか?」

 言いながら、時深はじわり、じわりと間を詰めてくる。
 かなり絶体絶命。
 いっそのこと猫を噛んで逃げるか……そうも思うが、さりとてそれもどうするか。
 立ち上がり、押しのけて――押しのけて?
 欲望と理性の綱引きは拮抗状態。綱にかかるテンションは強度ギリギリ。肌になど触れた瞬間欲望が暴走して、『押しのける』が『押し倒す』に変換されては洒落にもならない。
 間違いない。噛んでしまったら必ず過剰防衛に達する自信がある。
 ――やめろ――諦めろよ――恋人が見ている前で――彼女も混ぜてしまえばいい――それは人としてどうかと――ハン? 別々ならいいってのか? 分けるも同時も同じこと――そういう問題じゃ――それに俺たちゃエターナル、人間じゃない――だからどうした――ギリシャ神話の神様はかなり享楽的だぜ――それは論理のすり替え――考えるな、感じるんだ――馬鹿、こんな状態で感じるなんて――
 逃げ場の見当たらない窮地。頭の中では天使と悪魔が論争を繰り広げる。
 状況は天使がやや劣勢だ。
 そして頭の中で悪魔が『俺達は政府や誰かの道具じゃない。戦うことでしか自分を表現できなかったが、いつだって自分の意思で戦ってきたはずだ』とどこかから引っ張ってきたような殺し文句で闘争本能の導火線に火をつけようとしたその時。
 ギリギリのタイミング。そこでようやくフォローが入った。

「ねーえ、悠人さん。いいでしょう……アイタタタタ!」
「トキミ殿。少し悪戯が過ぎるのではありませぬか? ユート殿もお困りのご様子です」

 いつの間に近寄ってきていたのか、ウルカが時深の髪の毛を掴んで侵攻を阻止していた。
 ブラボーマイゴッシュ。ユウトは心の中で快哉を上げる。
 そう、そうなのだ。かなりの極秘ミッションでもない限り、艦1隻が単独行動をすることなどない。
 ユウトのいた世界においても、潜水艦が実用化された二度の大戦においてさえ、既に艦隊行動には護衛の航空部隊が随行するのは常識なのだ。
 航空支援。まだその手が残っていた。
 しかも要請する前から自発的に行動に移ってくれる。これほど頼もしい護衛部隊が他にあるだろうか。

「イタタ……ちょっとウルカ、髪をつかむなんてひどいですよ!」
「相すみませぬ。しかし他に掴むようなところもありませんでしたので。ご理解いただきたい」

 丁寧な口調とは裏腹に、ウルカの態度は冷たい。
 それもそうだろう。何しろ相手は不埒な淫行に及ぼうとしていた泥棒猫なのだ。容赦する必要も、気も、ありはしまい。

「ユート殿、あちらへ……その、見えておりますので」

 ウルカは頬を赤らめながら、ユウトに退路を示す。
 その視線の先には潜望鏡。降りぬとなれば、せめて沈むまで敵の姿を捉えようとしたのだろうか。
 だとするならばその態度はむしろ立派だが、もちろんそんな高尚な意志などありはしない。
 暴走した器官に人格を求めるのは、猫を千両箱で買収しようとするより無駄なことだ。
 ともかくも、ユウトはその救援に感謝しながら安全な深度を確保できる位置まで退避した。

「あ、こら、ちょっと悠人さん、待ちなさい! ウルカ、離して離して!」
「離しませぬ。守護と忠誠を誓った身として、ユート殿が困っている様子は見逃せませぬので」
「ユートさんは困ってません! これからいいところだったんです!」
「それはトキミ殿の妄想です」
「悠人さん、見ましたか聞きましたか今の! ウルカはこんな人なんですよ! 女の髪を掴んで人の恋路を邪魔するような悪党なんです」
「どちらかと言えばトキミ殿こそが手前どもの恋路を横槍を突っ込もうとしているのではありませぬか」
「私は悠人さんが生まれる千年も前から見てたんです!」
「報われぬ想いには同情します」
「決め付けないで下さい!」

 そして女の戦いは加熱していく。
 あれやこれやとお互いを謗りあい、なじりあう。
 その元凶が自分を想う心にあるとしても、美女二人が裸でくんずほぐれつして争っているのは、男として哀しみを――
 ……あ、ちょっと見えた。
 ま、まあ自分を想ってなら多少は嬉しくないこともないが、やはり親しい者同士が争いあうのはやるせないものだ。 
 しかし所詮エターナルとは戦いの中に身を置くことを決めた身。いついかなる時も争いと切って切り離せるものではない。
 これが剣を持っての戦いなら――悠人はレジストを最大出力で行使し、ひたすら巻き込まれないようディフェンススキルを駆使するしかない。
 そして熟練者同士の攻防は、時として小さな一撃が戦況を大きく左右させる。

「……それに、悠人さんだって、そろそろウルカに飽きて来る頃じゃないんですか!?」

 ピクリ。
 小さく反応するウルカ。畳み掛ける時深。

「そもそも悠人さんが貴女とラブラブ一直線なら、私の誘惑は完全と撥ね退けるはずです。それが無かったのが何よりの証拠!」

 ピタリ。
 凍りつくウルカ。勝ち誇る時深。
 まるで風景が一枚の絵になってしまったように全てが止まり――
 そして時は動きだす。

「……ほ、本当にそうなのですか? もしそうなら、手前は……」
「そ、そんなことはない! 断じてない!」

 フルフルと震え、まるでサーギオスから放逐されたばかりの頃の、すがるような目つきでユウトに問うウルカ。
 ユウトはそれに、顔だけが分身しそうな速さで首を振りながら答える。
 湯やら何やらで三倍近い速さを実現していることから、その答えは本気だろうと推測される。
 その言葉に安堵を示すウルカ。

「どうでしょうね。悠人さんて優しいから」

 そしてその背後を、時深が容赦なく刺す。

「そ、そんなことはありませぬ!」
「あれ、悠人さんはウルカに優しくないんですか? じゃあやっぱり……」
「そうではなくて! ユート殿は手前を選んで下さったのです!」
「それは過去形ですよね。今はどうだか判りませんよ?」
「同じです! これからも変わることはありませぬ!」
「わかりました。それじゃあこの際悠人さんにもう一度選んでもらいましょう」
「……へ?」

 傍観していたユウトの口から、知らずに間抜けな音が漏れる。
 なんだ、何がどうなっている?
 さっぱり状況がわからない。

「それなら、ウルカも異論はないでしょう」
「もちろんです。むしろ望むところといったものです」
「あらあら、いいんですか、そんな強気に出ちゃって」
「負ける要素の無い戦……何を怖気づく必要がありましょう」

 両者はしばし睨みあったあと、向きを変えてユウトの方へ歩み寄る。
 その姿はどちらも悠然として、まるで決闘場の中央に赴くグラディエイターだ。
 奇しくもここはすり鉢状の露天風呂。舞台は丸く、中央の一番深いところにユウトは漬かっている。
 歩み寄る両者の顔に恐れはなく、どちらも勝利を確信している。
 気の毒なのはユウトだ。彼はこの決闘の裁定者にして賞品。
 彼が選んだ戦士が、彼を手にすることになる。
 普段のユウトなら、迷うことなくウルカを選ぶだろう。
 ウルカが誓いを立てたのと同じく、彼も誓いを立てた身だ。
 それに背くようなことは、断じてすまい。
 しかし、今は状況が特殊だ。
 今どちらか選べと言われたら、彼の心境はそういうサービスをしてくれるクラブの前で写真を眺めるおっさんに近いものになってしまう。
 それはまずい。なんともまずい。
 しかし歩み寄る美女達との距離は確実に狭まりつつあり、そして今度はどこにも救援を見込むことはできない。
 そして闘う乙女達は、戦場に足を踏み入れる。


「悠人さん。聞いてましたよね」
「あ、ああ」
「では、ユート殿。正しい判断を願います。もちろんユート殿に限って、この大事に間違いなどあろうはずもないと手前は信じておりますが」
「そうですね。こんなこと、力をつかわなくたって未来ははっきりと見えてますから」



挿絵:殺陣倉


 二人はそう言って、無茶な注文を突きつけた。
 ユウトは悩む。ここぞとばかりに悩む。
 問題は簡単だ。要するに大福とチョコレートケーキのどちらかを選ぶかということなのだ。
 そして迷いに迷った挙句、脳裏にいくつかの単語がよぎる。
 まずは日替わり定食。そして創作菓子、お代わり自由。
 なんと魅力的な響だろうか。これならどちらも味わえる。前者ならその日の気分で好きな方を。後者なら大福をチョコレートコーティングしたり、或いはその逆のチョコレート大福だって可能だ。
 ああ、なんと素晴らしい案! なんと素晴らしい時間!
 白と黒がクルクルと踊り、脳内で終わることのないオセロが繰り広げられる。
 ついに来た目くるめく甘味の日々! おまけにいくら食べても太ることなし、ダイエット中だろうがなんだろうがいつでもOK、ただし逆に体力とマインドの消耗にはくれぐれもご注意を!
 ユウトは覚悟を決め、目の前にぶら下がるイチゴ大福や湯の中から立ち上るチョコレートバーをしっかりと見据え――
 一部を残して弛緩していた下半身に力を入れ、ギリギリと筋肉を振り絞り――
 そして爆発のような水飛沫を上げて、猛然と跳躍する、狙いは――

 後方、6時方向!

 身体と心は一つだが、妄想と現実は同じではない。
 そんな選択肢を取れるほど、ユウトは勇敢でも大胆でもない。かつて冠せられたキングオブヘタレの称号は伊達ではないのだ。
 目的地に着水したユウトは、勢いに煽られて吹っ飛びかけた物を手にする。
 握り締めたそれは、時深が用意していた酒と思しき何本かの徳利。
 ユウトは軽く振って中身があることを確かめると、一気に天を仰いでそれらを飲み下す。
 人間の単位換算をすれば、1合徳利は180ml。2本で360ml。3本で540ml。
 日本酒のアルコール濃度はおおよそ14〜16%。2本空ければ、摂取されるアルコール総量は50mlを上回る。
 体内を流れる前血液量は体重の13分の1、ユウトの体重が75kgだとすれば、総量およそ5.77l。
 血中アルコール濃度が0.3〜0.4%に達すれば、生命の危険を伴うほどの行動障害に陥る。
 0.05÷5.77≒0.0087、パーセント表示で0.87%。
 湯で身体は温まり、血行は促進され、そしてすきっ腹にダイレクト。
 多少分解されるだろうとしても、これだけ飲めばまず間違いはない。
 それにかつてある島国の文豪はこう言っている。
 酒は男をその気にさせるが、いざという場でダメにする、と。
 ユウトは振り返って二人の美女を見据え、困惑する彼女らにニヤリと不敵な笑みを送ると――
 既に酔いが回ったのか、どうとばかりに湯の中に倒れこんだ。
 ちなみに風呂場で人が溺死する場合、酒酔いは心臓病と争うほどの多発している原因である。
 チャプチャプと耳を打つ水音を聞きながら、ユウトは思う。
 女神のような美しさを誇る美女達……しかし、彼女達は、良くも悪くも女神ではありえない。
 魅力的だからこそ、時にこうして彼は苦しまされることになるのだ。
 ならば、本当に、一時だけでも安らぎを求めたいのなら。
 時にはこうして、思い出の中に帰って行ってもいいのではないだろうか。
 ――なあ、佳織。今日くらいは、夢で会えたっていいだろう?
 水面に漂う彼に、すぐさま二つの影が駆け寄る。
 白と黒。ああ、対する色の女神よ。
 水面から引き起こされた彼の眼前では、次第にその色がぼけて、混ざり合っていく。
 ――ああ、そうだ。そうやって、分かれることなく……二人……仲良く……
 そこまで思って、そこでユウトの視覚は全ての色を拒絶した。
 ユウトの乱心がどうこうと騒ぎ立てる二人の声が、耳に詰まった湯によって遮られたのは、果たして佳織の兄への心遣いなのだろうか。

 ほんの少し先のこと。
 満面に不機嫌な笑みを浮かべた二人の美女に挟まれて、またしてもユウトは窮地に陥るハメになるかもしれないのだが……
 それは彼の意識が途絶えている今は関係ないし、あったとしてもまた、別の話だろう。

 出雲の踊り子 ―了―


負け犬sffffzのシャウト(蛇足的捕捉説明)

 後書なんてのはね。ちゃんと面白いお話を書いた人がつけるもんなんです。
 俺みたいなのがそういうの真似したって、そりゃあ蛇足ってもんですよ、ええ。
 とりあえず舞台裏だけを言っておきますと。

 構想3分、制作期間半年の長駄作兼超駄作!
 しかも出来上がってみたら4049様が先に同じようなシチュで書いてらっしゃる! 俄然パクリ疑惑浮上!
 限界に挑む! 人間の想像力をくすぐる限りないギリギリ描写! ここが取り潰されたらまずこの作品を疑え!

 てなとこでしょうかねえ。

 最後に。こんな馬鹿ばかしい話、最後まで読んでくださった皆さんに感謝を。
 そして見捨てずに待っていてくださった七野さんへの謝罪と賠償を、この作品をもって替えさせていただきます。

 エキスパンションディスク買えなかったー! PS2版も買う余裕がねえええ!?

 

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