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「行くんだな」
「光陰……」

 時深の言う、門が開くまでの時間。
 不思議な感じがした。
 すぐにまた戻ってくる……少なくともその決意でいるのに、離れるというだけで、この世界を目に焼き付けて置きたくなる。
 共に戦った仲間。暮らした館。守った街。
 それらを今日一日、義妹のカオリと一緒に見て歩いた。
 ……別れの時は近い。
 街の人と挨拶し、部下だった少女達と語らい、露店で菓子を買い……
 そんな、努めていつも通りに過ごした、特別な時間。
 一息つこうと戻って来た館の居間で、不思議とその時、人が途切れた。
 ふっとした……何か、喪失感。
 その男は、そこに自然と入り込んできた。

「聞いたぜ、いろいろとな」
「……そうか」

 ミドリコウイン。
 元の世界で友であり、こちらの世界では一度敵であり、そして今、仲間である青年。
 何度助けられたかわからない。
 スピリットの少女達に向かって使うのがなんだかはばかられる戦友という言葉は、この男を前にしては何のためらいもない。

「なあ、悠人」
「何だ?」
「いい顔、するようになったじゃないか」

 いい顔をする。かつてトーンジレタの森でシュンにも言われた一言。
 その内容は、今は違う。

「そう……なのかな」
「ま、どんなに頑張っても、俺の二枚目ぶりには程遠いけどな」
「ふん、言ってろ」
「しかしまあ、あの悠人がねえ。らしいと言えばらしいが」
「何だよ」
「よく思い切ったな、ってことさ」
「ま、いろいろあってな」
「なるほど。詳しくは聞かないぜ。男の決意を問いただすほど、俺も野暮じゃないつもりだしな」

 言い合って、二人は軽く笑う。
 ああ。
 ユートはその時、この日初めて笑ったような気がした。
 努めて普通にしていようと思ったが、そのどれもが、胸の奥から何かをせりあげた。
 そんな中、この男だけは、本当にいつも通りでいてくれる。いつも通りにさせてくれる。
 口にする必要のない感謝を、ユートは朗らかな笑みに浮かべた。

「俺は剣を手に入れて、またここに戻ってくる」
「ああ」
「その時まで、頼む、光陰」
「任せとけ。邪悪な道に堕ちたヤツに喝をいれてやるのは、昔から聖職者の仕事と決まってる」
「ははっ。そりゃ安心だ」

 お安い御用だとばかりに答えるコウイン。その仕草までいつも通りだ。
 実際エターナルとなったシュンの力は強大だ。しばらくは力を蓄えるために大人しくしているだろうが、それでも何もしないということは考えにくい。恐らくは手下なり眷族なりを使ってこの大地の破壊を進めようとするだろう。
 スピリットよりも強力であるはずのエトランジェ、その力をもってしても渡り合うのは至難の業、どこまで防げるかはわからない。
 それでも今、コウインはやると言った。
 口調の軽さに合わず、この男の責任感は強い。無理でもなんでも、やると言ったらやり遂げる男だ。
 これで不安は一つ、消えないながらも小さくなった。だから、次の言葉を言わなければ。
 敵と渡り合うのは、他の仲間にも頼める。何もコウインだけでなくていい。
 だが、これからのことは、コウインにしか頼めない。いや……
 ユートこそが、コウインに言わなければならない。

「それじゃあ……もう一つ」
「ん?」
「……今日子のことも、頼む」

 一瞬、場が重くなる。

「……何を言ってるんだ?」
「こんなこと言うのは勝手だってわかってる。俺は、裏切ってしまったけど……でも、お前にしか」
「あのなあ悠人。お前は何か勘違いしてるようだから、この際はっきりさせておく」

 ユートの謝罪を遮って、コウインはギロリとユートを睨み据える。
 ユートも見つめ返した。どれだけその視線が鋭くても、目をそむけてはいけない。
 コウインの唇が動く。その次にでるのは、罵声か、怒声か……
 どんなものでも受け止めよう。ユートは覚悟を決めて、その言葉を待つ。
 が。

「頼むも何も、今日子は昔から俺のもんであって、返してもらうだけのことだ。これからは丁度いい具合にお邪魔虫も消えることだし、俺達は白髪が生えるまで仲良くやるさ」

 コウインは苦笑交じりにそう言って、ニヤリと笑った。
 ユートは一瞬唖然とする。その後頬が緩みそうになり、慌ててそれを引き締めて憮然とした。

「ちぇっ。なんだよそれ。だったらはっきり言えばいいのに」
「何度も言ってたさ。言葉には出さなかったが、それこそ露骨なほどに俺は態度に出してたぜ。それをお前は持ち前の鈍さでずうずうしく無視してくれたわけだが」
「そんなに割り込まれたくないんなら、首に縄つけて捕まえておけばいいだろ」
「そりゃ無理だ。そんな真似したら『飼い犬が立場をわきまえてない』って、間違いなく殺される」
「……確かに」
「だろう?」
「ああ」
「………………」
「………………」
「…………ぷっ」
「ククク……」
「はははははははははは!」

 神妙な沈黙、次いで爆笑。
 まさに破顔一笑、だった。
 全ては綺麗に吹き飛んでくれた。小さなわだかまりも、そして……罪悪感も。
 きっとこれで、自分はまたこの大地に戻って来た時、真っ直ぐ二人を見ることができる。
 寂しさはあるだろう。それでも自分のうちに、変なしこりが残ることはない。
 笑い声が消えるのには、しばらく時間がかかった。

「因果、というものがある」
「お前の剣だろ」
「違う違う。観念的な話だ。いいか悠人。すべからく物事には原因があって結果がある。どちらかが単独で存在することはない」
「……何の話だ?」
「いいから聞けよ。それでだ。何かをした時、その結果が想像通りにいくこともあれば、思いもしないような事態になることもある。その原因と結果の間にあるのが縁というものだ。因の回りに漂う無数の縁の糸を時には手繰り寄せ、時には向こうから絡み付いてきて、そしてその行いによってあるべき結果へとたどりつく」
「…………」

 突然に始まったコウインの説法。
 元の世界では一々正論で説教臭く聞こえたものだが、今はなぜか不思議とうるさくは聞こえない。

「因と縁が結ばれ、果が生じる。果はまたそれ自体が因になる。程度の大小はあるが、それは以前の因とは別物だ。芥子粒……ひなげしの種のように小さな変化、それが紡ぎ合わされて道ができる。人はその上を旅して行く。永遠に不変なものはない。悠人。お前もだ。例え永遠の未来が前にあっても、変わらないことなどできはしない」

 それは、きっとコウインが何を言おうとしているのか、ユートも薄々わかっているからだ。

「鍛錬すれば成長する。戦いに負ければ死ぬ。それは全て変化だ。だが全てのものが変わってしまうことが世界の因果なら、逆に不変を保とうとするのもそれに逆らう一つの変化と言える。お前の意志。お前の考え方。……お前の中にあるもの。絶対にとは言い切れない。やはり薄れてしまうかもしれない。お前と共に消えてしまうかもしれない。それでも保とうとするのなら、お前はずっと高峰悠人のままだ。そしてお前が高峰悠人であり続けようとするならば……」

 コウインは息を吸い、

「俺は、お前という親友を持てたことを誇りに思う」

 言い切った。
 過去型で語られたその言葉は、これから自分の中から消えてしまう、親友への別れだった。
 そして激励であり、労わりであり、限りない親愛の情だった。
 こみ上げるものがあった。何よりの手向けの言葉だ。
 これからユートは、エターナルになる。
 友と別れ、全ての世界から切り離され、想像もつかないような敵たちとの戦いの日々に挑む。
 途方もないほどの長い道。
 その途中に何があるのかわからない。道がどこまで続いているかなど知りようもない。その道が自らの死によって突然途絶えるかもしれない恐怖は、常に己につきまとう。
 何より、たった一人でその道を歩まねばならない。孤独に耐え続けなければならない。それはある意味、死よりなお恐ろしい。気が狂ってもおかしくはない。
 だが、今、コウインは言ってくれた。
 全てから切り離され、帰るところがなくなり、くじけそうになったとしても。
 己のうちに信じるものを持つならば……帰るべき原点を保ち続けていられるのならば。
 傷つき、恐れ、孤独に耐えられなくなった時、それを思い出せばいい。
 信念は立ち上がる力を与え、思い出は孤独を慰めてくれるだろう。
 胸が熱くなる。それは上を目指し、目から零れ落ちそうになった。
 微笑を浮かべて耐えた。

「……サンキュ、光陰。ためになる話だった」
「当然だ。未熟者を導くのもまた聖職者の仕事だからな」
「俺も、お前という親友を持てたことを誇りに思う。……いや。お前という親友を持つことを、誇りに思い続ける」
「おう、友よ。その感激、俺の胸で涙にして表してもいいぜ。本来なら可愛い女の子限定だが、今日は特別にお前にも貸してやるぞ」
「いや、それはやめとく。誰かに見られたら絶対に誤解されるから」
「ふむ、そうか。そりゃそうだな。レスティーナあたりに見られたら、それこそ一大事だ」

 コウインは、おお怖い、とばかりに肩をすくめた。
 そしてふと思い出したように、あ、と声を漏らす。

「悪い、悠人。さっきの訂正だ。どんなに時間が流れても変わらないものが一つだけある」
「なんだよ?」
「俺と今日子の愛だ。それだけは何があっても変わることはない」

 再びニヤリと笑うコウイン。さわやかなくらいふてぶてしかった。

「言い切ったな」
「ああ、言い切るさ」
「どうだか。いつも他の女ばかり見ているお前に、すぐ今日子が愛想つかすんじゃないか?」
「ふん、俺達の愛はそんな些細なことでは揺るがんさ」
「些細か……?」
「見苦しいぞ悠人。お前はそうやって嫉妬しながら、草葉の陰で見てろ。せいぜい見せ付けてやるさ」

 そして二人はぎゃあぎゃあといがみ合う。
 いがみ合いながら、その顔は笑っていた。
 これで最後になる、その思いもあってか、その言い合いは戻って来たカオリにたしなめられるまで、止むことはなかった。
 旅立ちの、ほんの少し前のことだ。

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