『エーテル変換値、問題なし』
『放熱量、マナ振動エネルギー安定。異常値、検出されません』
『緊急用マナバイパス、接続します……接続完了』
エーテル変換施設中枢部……その中に、何人もの白衣の者達が溢れ、機器を接続し、その間を行き交う。
皆、顔つきが厳しい。それもそうだ。彼らは国命で働いており、そしてその作業はマニュアル化されているはと言っても、常に膨大な危険が付きまとう。
そしてそれが起こったのなら、その時命を失うのは自分たちだけではないのだ。
慎重に、神経質なまでに報告や伝達事項が飛び交う。
だがその中にただ一人、そうではない者がいた。
女性だ。白衣をだらしなく着崩して両手をポケットにつっこんでいる。
そしてその小柄な女性は、危険を前にしてなおあっけらかんとした表情を崩さず、時折指示を下していた。
『全機具、スタンバイ完了』
最終報告が入る。準備は整った。
女性は鷹揚に頷き、指示を出す。
「オッケー。そんじゃあ停止コード確認」
『停止コード確認。――――です』
「よーし。打ち込んで」
『了解。停止コード、入力します』
女性があごをしゃくる。視線の先にいた技術者がそれを受け、ゴクリと喉を鳴らした。
そして結晶体の傍らにある制御パネルのボタンを、手順どおりに押していく。
『停止コード、入力完了しました!』
緊張しているのだろう、必要がないほどの大きな声。
『停止コードの入力を確認』
『変換率の低下を確認。……暴走の兆候となるマナ振動の以上増大、放熱量の増加、いずれも確認されません』
『エーテル変換率、順調に降下中……1000……800……600……』
再び矢継ぎ早に報告が溢れ出す。
モニターを監視する技術者が、そこに表れる数値を読み上げていく。
同時に、それまで部屋に響いていた唸り……エーテル変換施設の稼動音が、徐々に収まっていった。
そして……
『50……30……10……5……0。変換率、最低値に到達』
『変換振動の沈静を確認』
『変換施設、完全に停止しました』
「バイパス回路を遮断」
『バイパス回路、切り離します……遮断完了』
「よーし。それじゃあ……」
女性は振り返る。そこに立つのは、もう一人の白衣の女性。
部屋中の全ての視線が彼女に注がれた。
「頼むよ」
「はい。わかりました」
言われた女性は、静かに答えて中枢の結晶体に歩み寄る。
視線が彼女を追った。
彼女は一度その前で足を止める。そしてそれを眺めた。
エーテル変換施設中枢……コア。
巨大なマナ結晶体と、その中から生えているもの。
彼女はゆっくりとそれに手を伸ばし、そしてうっすらと表情を浮かべる。
「長い間、お疲れ様でした……」
部屋中の全てのスタッフが、その言葉を聞き、そしてその腕の動きを見守る。
ある者は緊張し、ある者は残念そうに、ある者は、何かに別れを告げるように……
ゆっくりと、腕が引かれる。
慎重に、抜く動作によって神剣がマナ結晶を傷つけないように。
やがて現れる刀身は半ばを過ぎ、八部を超え、そして……
完全に引き抜かれた神剣を、女性は自らの胸に抱きこむ。
「そう、いい子ね……ゆっくりと、お休みなさい……」
物言わぬ剣。しかしその声が聞こえるのか、女性は剣を胸に包んだまま、幼子をあやすように、優しく抱き続ける。
部屋の中に、それぞれの感慨を持って静寂が降りる。
指揮者が号令を出した。
「……神剣の切り離しを確認、と……。これでこの施設の……いや」
そこで一度言葉が切れる。
女性はその部屋をゆっくりと見渡すと……やがて独り言のように最終報告を行う。
「……これをもって、この大陸における全エーテル技術の凍結を……完了する」
歓声は上がらない。ただ皆、一斉に、重く頷いた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!! …………ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!!」
中の技術者達に撤収作業を任せて一足先に外へ出た女性は、その空気をめ一杯吸い込み、そして雄たけびをあげる。そして。
「わったああああああぁぁぁぁぁぁ………はりゃ……」
次第にその声は小さくすぼみ、最後は間抜けなうめきとなった。
バタリ、と仰向けに女性が倒れこむ。
「ヨーティア様!」
慌てて後ろについてきた長身の女性が、悲鳴のような声をあげて駆け寄った。
「ん〜……あ〜、そんなに心配すんなって、イオ」
ヨーティアと呼ばれた女性は、心配そうにかがみ込んで自分を解放しようとする助手――イオ・ホワイトスピリットの手を、パタパタと軽く振り払う。
「ここんとこ徹夜続きだったからねえ。さすがに一気に日光あびたら、なんか気が抜けちまっただけさ」
「……お疲れ様でした、ヨーティア様。ですが、休むのであれば宿に……」
「いいよいいよ。たまにはこう言うのも悪くない。っていうか……」
ヨーティアは半分閉じた目で、ニヤリと笑う。
「もー動けない。限界。ここらでちっと休まないと、本格的に死ねるねこれは」
冗談めかして言うが、実際に彼女の今日までの働きぶりを見てれば過言ではないとさえ思えるだろう。
手分けをして行うものの、この大陸に散らばったエーテル技術は、それこそ森を覆う木の根のように全土に散らばっている。
それを片っ端から解除していく……並みの仕事量ではなかった。
イオ・ホワイトスピリットであればエーテルジャンプで各地を飛び交うこともできるが、人間であるヨーティアはそうはいかない。
時には馬車で、時には徒歩で。幾多の街をめぐっては、その解除作業を指揮してきた。
その、最後の仕事。気が抜けるのも無理はない。
事実彼女の、しっかりと整えて、そして口を開かなければ男の5人や10人くらいは簡単に手玉に取れるであろう容姿……それが今は髪は乱れ、目の下には例え化粧でも隠しきれないだろう隈ができ、肌には小さく荒れが見られる。
「ん〜……」
唸り声を上げながら、ヨーティアはポケットをまさぐる。
やがて目当てのものを取り出して、軽く振って中身を口に咥えた。
愛用の煙草だ。
寝転んだ姿勢でそのような咥え方をしたため、はずみで何本かが顔に当たって地面に落ちたが、気にするそぶりも見せない。
「ん〜……?」
そのまままたポケットを探る。だが今度はそれが見つからないのか、ヨーティアは怪訝そうに唸る。
「ヨーティア様、これを」
「ん?」
「あ、危ないので目を閉じていてください……はい、もう結構です」
イオが、火打石で火をつけた紙切れをヨーティアの前に差し出す。ヨーティアは煙を肺一杯に吸い込み、そして満足そうに吐き出した。
「……不便になるねえ」
「ヨーティア様にはそれくらいが丁度いいでしょう」
「何言ってんだい。私が不便をして頭の回転が悪くなっちまったら大変だよ? 全大陸の損失だ」
「以前コンロで煙草に火をつけようとして前髪を焼いたこと、お忘れなのですか?」
「あーそう言えばそんなことも……って! イオ、お前あのとき私の顔を凍らせただろ!」
「申し訳ありません。敬愛する主人の大事に、動転してしまいました」
過去を蒸し返され、そして自らもその時の怒りを蒸し返し、結局はあっさりと流される。
それが、この二人だ。
ヨーティアもわかっているのだろう。そんなやりとりなど挨拶みたいなものだ。
今怒ったことも忘れたかのように、ただ煙の向こうに、広がった青空を寝転んで眺める。
イオもそれに倣った。
「これで最後、なのですね……」
「まあ全体から見ればまだ半分だけどね」
ぽつりとこぼされたイオの呟きに、ヨーティアは応える。
そう、まだ半分だ。
ガロ・リキュアの初めの一歩……エーテル技術の凍結と、そして抗マナ政策。
その片方が今日、完全な終わりを迎えた。
残りの抗マナ化は、また後日、新たなスタートを切ることになる。
エーテル変換施設は破壊されない。それはこの大陸の生きてきた歴史であるという感傷と、何より使いようによってはまた抗マナ施設として利用できるものがあるからだ。
だが、それもまた後のことだ。
今こうして大仕事に一段落をつけた大賢者は、ただプカプカと、煙と雲に遊んでいる。
「不便になるよ……」
「そう、ですね」
「エーテル技術は消える。とは言っても復活の道標くらいは残しておいてやろうとは思ってるけどね。でも、ボンクラにはきっと無理だろうさね」
「…………」
「寂しいかい?」
「……わかりません」
消えるのは技術だけではない。大陸中で抗マナ装置が正式に稼動し始めれば、エーテルそのものが消える。
人は道具としてそれを使用する。だがスピリットは、それを生身で用いる。
それまで空気のように傍にあったもの……それが消えて、なくなる。
イオが……いや、スピリット全体が寂しさや不安を感じても、それはなんら不思議ではない。
「でも、きっとその方がいいんです。それに、私たちは……」
再生の剣は消えた。もうスピリットは生まれ出ることはない。今後大陸で生きていくのは、今生きているスピリットのみ。
その命も、長くて100年は持たないだろう。
そして新たにマナとエーテルを感じられる者がこの大陸に現れるには、据えられた『蓋』が緩むまでの何千年という、永にも等しい時間がたたねばならない。
だから、これでいいのだ。
人は愚かなものだ。享楽に溺れれば、痛みを忘れる。
もう二度と、マナをめぐっての争いが起こらないためには、これでいいのだ……
「白夜、みたいなもんだったんだよ」
「ビャクヤ……?」
聞きなれない言葉に、イオが問い返す。
「ハイペリアの言葉さ。いい加減眠いから詳しい話は省くけどね。あっちには、太陽の沈まない日ってのがあるらしい。夜になってもずーっと明るい。お祭りみたいなもんさ。そんなんじゃあ、誰だって浮かれたってしょうがない」
ほんの一時の間だったのだ。
この大地の歴史の、ほんの一時だけ訪れた、不自然な明るさ。
その太陽は今、そこに生きる人間たちが、自分たちの手で沈めた。
「いつまでも続かないよ。いずれ日は暮れる。暮れれば夜になる。でも……」
「また、朝は来る」
「そうさ。それに夜が暗いんなら、明かりでもつければいい。今までずっと忘れてたから、まずはその方法から思い出してかないといけないけどね」
ヨーティアは軽く言うが、容易ではないだろう。
それでも彼女はやる。
求められているという責任感。何より、「頼みます」と頭を下げた、小さな身体。
年端のいかない女王に威厳を見せ付けられれば、大賢者としての、大人の女としての意地が黙ってはいない。
「なーに。私がいるんだ、夜なんてすぐに明けるさ。そしたらゆっくり昼寝でもするよ。……白夜祭のあとの午後に、ね」
「私もご一緒します」
「お、いいねえ。妙齢の美女が二人、うららかな午睡か。絵になるよきっと」
「はい。ですからまずはその前にお部屋の片付けも手伝っていただきますよ、ヨーティア様」
「……げ」
途端ヨーティアは顔をしかめ、そしてイオはクスクスと微笑う。
ヨーティアは鳥の巣頭に手を突っ込んでしばらく髪を掻き毟っていたが、やがて気がついたように言う。
「ん……イオー」
「はい、なんでしょう」
「悪いけど、一本火をつけてくれ」
「はい」
ヨーティアの口元の煙草は、もうだいぶ短くなっている。
彼女はヘビースモーカーだ。次の催促だろうと思ったイオは、火のついた煙草をヨーティアの前に差し出す。
「どうぞ、ヨーティア様」
「ああ、違う違う。私が吸うんじゃない」
「…………?」
ヨーティアはそれを受け取ると、自分の煙草は捨て、新たな一本の煙を、悠と空に流した。
(……お前の分だよ)
かつて共に励んだ男。家族……だった。
大天才と言われた彼女には遠く及ばず、それ故に誰よりもあがいた。
結果としてそれは、外から見れば狂気へと彼を駆り立てたが、今のヨーティアになら解る。
運命は、討ち果たした。
彼の見たかった世界……臨もうとした世界を、今ヨーティアと、そしてイオがこうして眺めている。
「私でさえ気付く程度だったものを見ていたか……小癪だよ、まったく。だが、これだから凡才は怖い」
「…………」
空に語りかけるヨーティア。イオは何も言わない。
ただ主人が思いを馳せる空を、同じ様に見つめる。
「だから、もっと凡才を育てないとね。大賢者はつらいよ、まったく」
「……お供します、いつまでも」
「嫌だって言ってもついてくるんだろう?」
「そう言えばレスティーナ様が、もう一人補佐が欲しいと仰っていたような……」
「悪かった。これからも頼む」
「はい」
ヨーティアの持つ煙草も、だいぶ流されて短くなった。
初めて口に含み、そしてゆっくりと味わう。
別れのキス。
煙を吐き出すと、ヨーティアは吸殻を遠くに投げ捨てた。
さっぱりと……寂しさはある。だが悲しさまで感じる必要はない。だから、これくらいで丁度いい。
煙を吐き出した肺に、め一杯空気を吸い込んで、そしてヨーティアはガバリと立ち上がる。
「よーっしゃ! 休憩終了! イオ、帰るよ。もう腹が減ってしかたがない。なんか食うもん作ってくれ」
「よろしいのですか? まだ少し休んでいかれたほうが……」
「天才はね。寝たいときにはいつ寝たっていいんだ。それは裏を返せば、働きたいときはいつ働いてもいいってことさ……そうだろう?」
「……ヨーティア様らしいお言葉です」
主人のまるで傍若無人なバイタリティーを頼もしく思い、イオは苦笑を浮かべて立ち上がった。
だがそうであるからこそ、いつまでもついていけるのだ。ついていきたいのだ。
言葉には表さないが、確実にその思いは主人に伝わったのだろう。
ヨーティアは隈の濃い顔で、ニカリと快活な笑みを浮かべた。
そして二人は歩いて行く。後には吸殻だけが残される。
これから夜が始まる。だが……それは必ず明ける。
ヨーティア・リカリオンという女性がこの大陸にいるのならば。
投げ捨てられた煙はしばらく漂っていたが、二、三度風に揺れ、そして二人の姿が完全に見えなくなる頃、ゆっくりと消えた。