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 ヨーティアから、望遠鏡が届いた。
 なんの飾りもつけないただの筒と、ノートを破り取っただけのような紙切れ。
 献上品と言いながらその雑な取り扱いに、レスティーナは苦笑を浮かべる。
 女王たる自分に対して、何の気遣いもない。
 自分で決意したことだが、この大陸を統べる王となってしまった今、自分にこうも気安く触れてくれる人間は、数えるほどしかない。
 廷臣からは感じられないその気軽さが、レスティーナには心地よかった。
 政務の間のわずかな休憩時間だが、その新しい玩具の魅力には抗いがたい。
 レスティーナは早速その筒を取り上げ、説明書に目を走らせる。
 紙片には、エトランジェからの知識提供を受けた改良型、と書かれている。
 大戦が終り、エトランジェの力が必要なほどの戦場がなくなった今も、彼らはまた別の意味でこの大地に必要だ。
 それは、この大陸におけるマナ技術の破棄と関係がある。
 これまでこの大地の文明は、マナとエーテルによる技術で発展してきた。
 しかしそれはこの世界を破壊しようとするエターナルたちの策謀であり、命を削る技術である。
 故にガロ・リキュア成立と同時に、その技術は全て凍結、破棄された。
 無への回帰。正に国名を表す決断である。
 しかし、人はそれほど強くはない。
 文明レベルを無に帰す……つまりいきなり原始の生活に戻れと言われて対応できるほど、人は柔軟ではなかった。
 だから、ハイペリアの技術が必要だったのだ。
 ハイペリアではマナが希薄であり、そもそもその存在すら明確には認知されていないという。
 故にその文明はマナに頼らない技術――カガク、というものによって発展してきたのだそうだ。

『自分達の知る範囲で教えるのは構わない。ただしあんまりあてにはしないで欲しい。自分達達の世界では、それは当たり前にあることだ。皆その原理など理解しないで使っている。だから自分達が教えられるのはほんの基礎程度のことだ。それにいかなハイペリアの技術、科学と言ってもいいことばかりではない。街一つ灰にできるほどの爆弾を作り出したり、副作用によって自然を破壊してしまったこともある。……この世界のエーテルと似たようなものだ。それだけは覚えておいて欲しい』

 それが、エトランジェの言葉だった。
 エーテルに頼らずにそれだけの技術を確立し、皆が当たり前のようにその恩恵に授かる……ハイペリアとはなんと素晴らしいところだろうとその場に居合わせた者全員が目を見張ったが、しかしスピリットによらずそれだけの恐ろしい破壊をもたらすとは、とまた皆が身を震わせた。
 しかし、それでも今のファンタズマゴリアにはそれが必要なのだ。

 かくしてエトランジェは、時折ラキオスに招かれて研究に参加することがある。
 そして今、その成果の一端としてできたのがこの新型望遠鏡と言う訳らしい。
 レンズの組み合わせがどうだの、それまでの凸面レンズではなく凹面レンズを組み合わせてみただのと、切れ端にはヨーティアの研究者らしい技術的な薀蓄がしたためられている。
 が、時間に追われているレスティーナはそこを読み飛ばし、操作方法を見る。
 この望遠鏡はねじ構造になっているらしい。
 試しに両端を持って回すと、クルクルと回る。
 回るにつれて、その長さが微妙に変化した。
 だが回しているだけではなんの面白みもない。早速試してみる。
 だが、ぼやっとした曖昧な色彩が見えるだけで、物が大きく見えた様子はない。
 レスティーナは引き続き紙片に目を走らせる。筒の長さを変え、それで倍率……よくはわからないが、物の見えやすさを変えるのだと言う。
 また、あまり近いところは逆に見えない、と初歩的なことも書いてある。
 レスティーナはそれもそうかと納得し窓を開け、バルコニーに出る。
 柵に身を乗り出すようにして、望遠鏡を構える。
 まだ見えない。説明にあったように、筒を回す。まだ、もうちょっと、もうちょっと……
 縮めてみたり、長めて見たり。試行錯誤を繰り返し、なんとか目に映る像がはっきりとしたものになってくる。
 そして――

 街が、見えた。

 建物が見えた。塔が見えた。人が見えた。
 馬が、犬が、露店に並んだみずみずしいネネの実が、美味しそうな焼き焦げのついたヨフアルが。
 家を建てている男達が、青果店に並ぶ女が、追いかけっこをする子供達が、弦を爪弾く詩人が、窓の奥に座る老夫婦が。
 街が見えた。人の営みが見えた。
 望遠鏡を向ける角度を変えると、像がぼやける。レスティーナはもどかしく思いながら、筒をいじる。その度に新しい画が目に飛び込んできた。
 もっと遠くに。森を見る。何かが木陰から飛び立った。鳥だろうか。
 見るもの全てが、これまでの望遠鏡とは違って鮮明に見えた。そしてそれが余計に興奮を掻き立てる。
 もっと見たい。いろんなものを見たい。
 レスティーナは部屋の中に戻ると紙片を引っ掴み、勢いをそのままに部屋を飛び出す。
 何事かと目を見張る臣下達を尻目に、城の中を駆け抜けた。
 きっと自分は興奮しているのだろう。顔も赤いかもしれない。
 笑顔を浮かべて、それでも目は輝いているのだろう。
 乱心した、と思われるかもしれない。
 それがどうした?
 この素晴らしさには替え難い!
 床まで届くスカートをたくし上げ、みっともなくもバタバタと足を踏み鳴らして階段を駆け上がる。
 上へ、この城で最も高いところへ。
 遮る物が何もない塔の上へ!
 階段を昇りきり、窓を開け、息をそろえる時も勿体無いとばかりに身を乗り出し、望遠鏡を覗く。
 街を見る。森を見る。街道を見る。
 そして城の北……湖を見る。

 伝わるのは、像だけだ。音や匂いまでは感じ取ることはできない。
 だがきっと、そこではそよ風がわたっている。湖面に映る地平線を、さざなみが揺らしていく。
 そして岸辺に目を向けると、夏のこの時期、それは何よりの涼なのだろう、多くの人がごった返しているのが見えた。
 そこでレスティーナは、妙なものを見た。
 人の賑わいから外れたところ……湖の上に....人が立っている.......。
 人影はそこでレスティーナの視線に気づいたわけではないのだろうが、深々と礼をして……
 そしてあろうことか、水の上で踊り始めた。
 そこまで見て、レスティーナは気づく。あれは人ではない。人は水の上に立てない。そもそも人に翼はない。
 湖面で踊るのは、水の妖精……青スピリットだ。
 レスティーナはもっとその様子が良く見えるよう、筒を少し回す。
 次第に見える像が大きく、クリアになっていく。
 つま先立ちで湖面を優雅に歩き、大きく伸びをしてその柔らかな肢体を強調する。
 かと思えば突然バランスを崩したように倒れ込み、水の中に沈む。
 しばらくして、浮かび上がってこないその妖精が、一体どこにいったのか……
 もしや本当に溺れてるのではないかと心配になった頃、ようやく沈んだ場所とはまったく別の場所から不意に水飛沫を上げて空に踊り出る。
 そのまま空中でトンボを切り、今度は心配させた詫びにとでも言うように、誰にでも良く見えるように、空を泳ぐ。
 その柔らかく、躍動に満ちた動きが、まるで目の前での光景のように見える。
 少し位置をずらして岸辺を見る。そこに集まった人達は、それをどんな風に眺めているのだろう。
 すると、それまでまばらに起きていた人の波が、ピタリと止んでいた。
 自分と同じ様にその姿に見とれているのだ。
 やがて踊りは終り、妖精はまた、深々と頭を下げる。
 そして、喧騒が戻った。
 水の上に立つ妖精に、誰もが手を叩いている。
 満場の拍手。その音が、レスティーナのいる尖塔にまで届きそうな勢いだった。

 ああ、これだ。
 これが見たかったのだ。
 レスティーナは望遠鏡を外し、ヨーティアからの紙片に目を落とす。
 簡潔にまとめられた説明、その後の追伸。

『これがあれば、そんなに城を抜け出す必要はないだろう? エスペリアが心配してたぞ』

 見抜かれている。だが、悪い気はしなかった。
 スピリットの解放……ガロ・リキュア創設の、もう一つの大きな理想。
 それが正しく実行しているかどうか、確かめるために視察をすることがある。
 その場では、それは思い通りに進んでいるように見える。
 だがそれは、女王が来るから、とその場しのぎのことなのかもしれない。
 だからレスティーナは城を抜け出す。
 それが臣下や補佐官であるエスペリアにどれほどの心配と迷惑をかけているか、わからないわけではない。
 確かに毎日の激務に嫌気がさすから、その気分転換であることも否めない。
 だが、人の、そしてスピリットの飾りない笑顔を見るために街に忍び出る、それもまた大きな理由なのだ。
 そしてヨーティアはそれを見抜き、自身も毎日忙しいはずなのに、こうしてレスティーナを気遣って玩具を作ってくれた。
 乱暴とも言える「献上」。適当に見える説明書。茶化したような追伸。
 しかしその奥には、日々肩肘を張り続ける若き女王レスティーナ、その少女としての素顔を知る、大人の女性の優しさが確かに見えた。
 それは一見駄々をこねる子供を玩具であやすようなものだが……
 不思議と、不満はない。それどころか、素直にその気遣いをありがたく思った。

 そしてレスティーナはまた望遠鏡を覗く。
 アンコールだろうか、再びさざなみの上で踊る妖精。
 そしてそれを眺める人達の中にも、注意すると赤い髪や、緑の髪もちらほらと見られる。
 その隣の人間との間に、際立ったほどの距離はない。
 皆、自然にそこにいる。
 女王の威光が無くとも、人もスピリットも違いなく、自然に触れ合っている。
 自分がもっとも見たかったものが、そこにある。
 ――いずれ、消え去るとしても。
 再生の剣が失われ、スピリットはもう、生み出されることはない。
 まだ幼いスピリットもいるだろうが、いずれ完全に、彼女達はこの大地から消えてなくなる。
 仕方のないことだった。そうしなければこの大地が滅んでいた。数えきれない理由――言い訳。
 妖精達の踊りを見ながら、レスティーナはそれを思い、ふと心に小さなとげが刺さるのを感じる。
 それでも。
 例え短い一時でも。今こうして彼女達の、穏やかな姿を見ることができるのならば。
 悲しさも、寂しさも、申し訳なさもあるけれど、それは正しかったのだと、胸を張れるような気がする。
 レスティーナはそうして、いつまでも望遠鏡を覗き続けた。
 飽くことなく、いつまでも……




 最上階に続く階段の前で、エスペリアが身を呈して押し寄せる臣下達を止めていたのは、また別の話。

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