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 エスペリアがいない。
 よくあることだ。スピリット隊副長であり、また長らく城の中にいた彼女は、戦場以外ではほとんど役に立たないユートとは違う。こうして館を空ける日だってある。
 それについては何も問題はない。自分だってみっつやいつつの子供ではない。お母さんがいないと言って不安に駆られたり、泣き叫んだりなどするわけはない。
 もちろん腹が減ったと言いいながらも何をしないで不満たらたらに女房を待つだけといったダメ亭主のような真似をすることもない。ハイペリアに来てからこっちエスペリアが立たせてくれないものの、厨房での心得は飢え死にしないで済む程度にはある。
 では問題が何かと言えば……オルファリルまでいない、ということだ。
 もちろんそれだってよくあることだ。オルファリルがいくら小さいとは言え、彼女だって立派に戦隊の一員を担っている。今日のように、彼女が遠くの陣地で歩哨の当番を担当するということがあっても不思議ではない。
 それについては何も問題はない。彼女の能力は他のスピリットにも引けをとらず、心配と言えば他のスピリット達も同じだ。彼女だけが特別というわけではない。
 もちろん彼女がまだ幼少であることは否めないが、だからと言ってもしかしたら変なおじさんに『お菓子あげるよ』と言われてついていかれてしまっているのではないか、と変な想像をするようなことはない。 ましてや帰りが遅い、もしや悪い男にでもつかまっているのではないかと普段ロクに娘とコミュニケーションをとらないくせに変なところで邪推するお父さんのような心境にも陥っていない。なにしろ彼女がいるのは一応安定しているとは言っても戦場なのだから。
 ならば、何が問題か。
 簡単だ。その二人がいないという事実が示すもの。つまり。

 食事のアテがない。

 前述のユートの経歴から言えばそれは簡単に回避されそうな問題だが、今回限りは別だ。
 既に厨房が占拠されている。
 できることならば、ユートも厨房にこんな表現は使いたくはなかった。
 占拠というのはすべからく武力を持って行なわれるものであり、日々の糧を生み出す平和な厨房に使われるべき言葉ではないからだ。
 だがしかし……今回は、これを敢えて使わねばならない、そう思わせる要因がある。
 ほんの数刻前にユートの前に立ちはだかった、青と黒の妖精。


(回想)

『ア、アセリア、それにウルカも。今日の飯、俺も手伝うよ』
『いらない。私達で作る』
『いやほら、俺も最近なんだか腕が鈍っているからさ。ちょっと久々に包丁を握りたいんだって』
『恐れながらユート殿。以前オルファリル殿が申されていたことですが、『男子厨房に入らず』と、ハイペリアの言葉にもあるとか』
『う……』
『それに、主は堂々と座って居るもの。エスペリア殿にも、『留守をくれぐれも』と頼まれておりまする』
『ん。メモももらった。大丈夫だ』
『いや、でもなあ……』
『それとも、ユート殿』

『そんなに私(手前)が信用できないか(ませぬか)?』

(回想・了)


 かくなる理由で、現在その二人が、己の修行の成果を存分に振るっているのだ。
 修行の成果ということは、つまり彼女らは料理が得意ではなかったということだ。
 そしてその成果がすぐに現われるかと言えば……
 もちろんユートは彼女達を信じている。いや、信じたい。
 だが。
 自分の信を問う、あの目は卑怯だとユートは思う。
 そんな目をされれば、何を思っていても、彼の男気はそこで引かざることを許しはしないのだ。
 それにこう、不器用ながらもああして可愛い女の子二人が頑張って料理を作ってくれるというのもあれはあれでうへへへ……
 ――ダメだ。妄想フィルターさえ上手く働いてくれない。
 時に妄想は甘く、現実は苦い。
 言葉だけではなく、現実問題として苦い。こともある。
 少なくとも彼女らがそれぞれ単独でもたらした成果が、やはりそれぞれ壊滅的な破壊力を持っていたことは事実なのだ。
 そして、その二人が今日、タッグを組んでの登場となる。
 ……果てしなく不安だ。
 彼女達に悪意はない。まったくない。それは隊長として、友として、家族として、誰に向かっても胸を張って言える。
 なぜなら彼女らの試みが失敗に終わった場合、被害を被るのはそれを作り出した彼女達も同じであるからだ。
 それでもなお、ユートの脳裏にはあの苦い思い出や辛い過去がよぎるのだ。

「アセリアとウルカの料理か。楽しみだな、悠人?」

 横からかかった声に、ユートはふと顔を上げる。
 その前にはコウイン。喜々としたミドリコウイン。
 幸せなことに、ヤツはあの苦しみを知らない。

「……ああ。そうだな」

 そう漏らすのがやっとだった。
 ユートの胸の内を知らない光陰は、耳障りとも言える陽気さで話かけてくる。

「お前、何を沈んでるんだ?」
「いや、なんでもない」
「ははあ、さてはエスペリアの料理でないことが残念でならないんだろう。まったくお前も贅沢なやつだな。人間、ただ足るを知る、という生き方が大切なんだぞ」
「言ってろ」
「まったく。美女と美少女の手作りの料理だぞ? 何が不満なんだ?」

 見た目と料理の腕にはなんら関係はない――
 言いかけて、ユートはやっとの思いで自制した。
 隣の厨房では二人が頑張ってくれているのだ。
 そんな、失礼極まることは言えない。
 なおも来る時のことを考えて鬱となるユートに、光陰は話を止めない。

「……決めた。お前がそういう態度なら」
「なんだよ」
「ふん。今日の飯はお前には食わせん。俺とアセリアとウルカの3人だけで食う」

 それを聞いた瞬間、ユートは勢い良く立ち上がる。
 弾みで椅子が倒れた。

「本当か!?」
「お、おいなんだよ急に」
「いいから答えろ、本当に俺に食わせないっていうのか!?」
「いや、悪かった、言いすぎた。もちろん本気じゃない。だからとりあえず手を離せ、手を」

 言われてユートは自分を見下ろす。
 知らずに手はコウインの胸倉を締め上げていた。
 顔は息がかかりそうなほど近い。

「……ったく、お前とキスなんてゾッとしないぜ」
「そりゃこっちの台詞だ」
「しかしお前もわからんやつだな、悠人。エスペリアの料理恋しさにげんなりしてるかと思えば今の反応。一体何を考えてるんだ? 単に食い意地が張ってるだけか?」
「……言ってろ」

 ユートは椅子を起こして座りなおし、腕を組んで不機嫌そうに押し黙った。
 だが、内心はそうでもない。
 コウインは言ったのだ。お前に今日の晩飯は食わさない、と。
 ならば利用させてもらおうではないか。
 幸いに言質は取ってない。だがその分灰色の発言であることにも変わりはない。
 それはユートの都合で、つまり料理の出来によってはどうとでも使えるオールマイティカードを手に入れたようなものだ。
 自分も戦略的な考えが身についたものだ、と思う。
 同時に友人を売り飛ばすことへの引け目もある。
 が、何より。
 己の可愛さには替え難いのだ――!

 やがて食卓に敵軍が運び込まれてきた。
 見た目は上々。
 湯気の立つ皿の数々を見て、それからユートは視線を二人のシェフに向ける。
 アセリアはいつもと変わらない。
 ウルカはやや緊張しているように見える。
 それらが何を意味するのか。
 自分の料理が気に入ってもらえるかどうか気になっているのか。
 それとも事前の偵察(味見)で、すでに敗戦を知っているのか。
 しかし、見ているだけではわからない。
 情報が与えられていない自分は、その行く末を、始めることによってしか知ることは出来ない。
 やがて戦士達は席に着く。
 浮かれているコウインを覗き、皆が皆神妙な面持ちだ。
 ゴクリ。喉が鳴る。
 それは見た目の美味しさに誘われたものか――
 緊張のつばを飲み込んだ音か――
 いずれにせよ、もう逃げられない。
 さあ、開戦の火蓋を切ろうか。
 スプーンを取り、皆がそれにならう。
 そして宣戦布告。

「いただきます」

 ――軍門、開かれる!

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