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「ん、あ……?」

 網膜に、ぼやけた光が届く。
 どうやら眠っていたらしい。
 ユウトは一度眼をきつく閉じ、ゆっくりと薄めに開く。
 木漏れ日が目に飛び込む。そんなに時間はたっていないようだ。
 そして、自分は……

(ああ、そうか)

 ふっ、と気を入れて、ユウトは身を起こそうとした。
 それを、頭の上から伸びた手が優しく抑えた。

「まだ、いいですよ。ユウトさん」
「ん……」

 そして、再び横たわる。
 頭が乗るのは、柔らかい感触の上。
 愛しい、大切な女性の……
 しばらくその感触を楽しみながら、ユウトは尋ねる。

「俺、どのくらい寝てた?」
「ほんの少しですよ。でも、本当にユウトさんは眠るのが好きなのですね」
「……俺だけじゃないだろ、それは」
「もう、そんなこと言ったら、この枕、外してしまいますよ?」
「それは、困るな」

 言って、ユウトはまた眼を閉じる。
 さわさわと、頬を風がなで、そして風よりも柔らかいものが触れる。
 彼女の指だ。
 くすぐったい感もあるが、ユウトはやめさせることはない。
 何故ならそれは決して不快ではなく、そして。

「……ウソです」
「何が?」
「枕を外すと言うのがです。私は、こうするのが好きですし……それに、ユートさんはご存知ないでしょうけど」
「……?」
「ユウトさんの寝顔は、とても可愛らしいんですよ」
「……ちぇっ」

 それを彼女に言われるのはどう考えても立場が逆のような気がするが、ユウトは特に何も言わなかった。
 今更照れるような間柄でもない。
 ユウトの頭が乗っているのは、彼女の膝。
 当然ながら決してそのような意図で作られたはずではないのに、まるであつらえたようにユウトの頭が心地よく収まる。
 ユウト専用の膝枕。
 さすがにこれでなければ眠れないということはないが、無くすつもりはないし、誰かに譲るつもりもさらさらない。
 ……子供でもいれば別なのだろうか?
 その姿を想像してみる。
 木の根元に座る彼女。そしてその膝に頭を乗せた子供。自分は木に寄りかかって、腕でも組みながら静かにそれを見守るのだろう。
 しかし子供が、例えば蝶でもなんでもいい。面白そうなものを見つけて駆け出して、その膝が開いたとしたら。
 きっと自分は、ここぞとばかりにその隙に付け込むに違いない。
 もちろん子供を無視するわけではないが、目の届く場所にいる限りはかまわないだろう。
 所在なげに――きっと自分はそう解釈する――空いた彼女の膝に、当然のように頭は吸い寄せられていく。
 彼女は少し困ったような顔をし、まるでどっちが子供かわからないとからかいながらも、結局は微笑んで軽く膝を叩き、どうぞと言うのだ。

「……やっぱり起きるよ」
「いいですよ」
「でもいい加減足、痛いだろ?」
「平気です。慣れましたから」

 想像した内容のあまりの気恥ずかしさ。きっと顔が赤くなっている。彼女の膝に、少し上がった体温は伝わっていないだろうか?
 再度身を起こそうとしたユウトを、彼女も再度優しく押し戻す。
 彼女の態度に変わりはないが、聡明な彼女のことだ。もしかしたら既に気がついているかもしれない。
 ユウトは強引に振り切るか、それともこのまま身をゆだねるか逡巡し……
 半ば諦めの境地で頭を戻した。
 毒を食らわば皿までだ。膝の感触は気持ちいい。それにこれほど甘い毒なら、皿とは言わずに鍋ごとでも飲み込んでみせる。なにしろ既に中毒だ。
 戻した頭の下で、少し膝が動く。

 ユウトの頭を預かるのは、聖緑のエスペリア……偉大なる13本が一つを手にする、彼のパートナーだ。
 もともとはスピリット、その中でも緑スピリットと呼ばれ、大地と樹木の妖精と言われていた。
 ユウトが始めての戦争に巻き込まれた時、彼を守り、惹きつけ、迷わせ、そして……愛した女性。
 守るべきものに加護を、傷ついたものには祝福と癒しを、そしてそれを侵そうとするものには容赦のない一撃を与える。新たな剣とさらなる力を得て、大地と樹木の妖精は今……
 ユウトは薄目の向こうに彼女を見る。
 降り注ぐ陽光が枝に阻まれ、木漏れ日となって切れ切れに彼女を照らす。
 柔らかな茶色の髪、そして穏やかに輝くエメラルド・アイズ。
 後光を背負った彼女は、正に豊穣の女神と呼ぶに相応しい。
 ほんの少しだけ下心を混ぜるならば。
 例えば今それが一番実感できるのは、ユウトの頭に伝わる、最高級の弾力と暖かさだろう。

 久しい日々のことを思い出す。
 かつてヒトとして生きていた頃。自分は小さく、そして両親を二度失った。一度目は幼すぎ、二度目は打ち解ける暇がなかった。
 その後は、ずっと妹のための生活だ。世界を信じず、小さな殻に閉じこもっていた。極力大人を避け、心を許した人間は幾人もいない。
 ……こうして甘えられる誰かなど、誰もいなかった。
 あの世界で、自分は変わった。数多くの仲間に囲まれ、変わらざるを得なかった。なにしろ今では別の生き物――いや、生き物と呼べるかさえ怪しい存在になっている。
 だが、変わらないものも得た。
 ――エスペリアに会えてよかった。
 ことあるごとに確認する。厳しく先の見えない時間の中で、それはギリギリの拮抗を破った戦闘の後だったりもするし、貧困に耐える生活での彼女の節約メニューであったりもするが、その実、何より彼女が傍にいるということが一番の報酬だろう。
 だから、それがどうしようもなく口を突いて出る。

「エスペリアに会えて、よかった」
「え……はい?」
「だから、エスペリアに会えてよかった。俺。心からそう思う」
「あの、ユウトさん? 突然、どうしたんですか?」
「いや……うん。そう思ったんだ。いや、いつも思ってる。だから言わなきゃって思った。それだけ」

 目をあける。彼女は耳まで真っ赤になって、そしてどこか落ち着かないようにモゾモゾとしている。だがユウトの頭が乗っているので派手に動くわけにもいかず、結局はその落ち着きのなさを手に移して、ユウトの顔や髪への愛撫がほんの少しだけペースが速くなる。
 今更照れる間柄ではない。この程度の言葉、夜を越えるごとに交わした睦言に比べれば、ただの挨拶のようなものだ。
 だがそれでも不意を撃たれれば、彼女はいつもこうなってしまう。
 時にユウトに対して姉のようにも見える振る舞いが、この時ばかりは少女のように可愛らしいものに変わってしまう。
 その様子がおかしくて、ユウトは少し笑う。
 そしてエスペリアはそれが不満そうに、少しふくれる。

「ユウトさん、からかってるんですか?」
「いや、本気だよ。ああ、悪い。うん。聖賢者なんだからもう少し気の利いた言い方でもできればよかったんだけど……結局俺って、まだ頭でっかちのガキなんだよな」
「もう……そんなことを言っても、誤魔化されませんよ」
「別に誤魔化すつもりじゃ……」

 エスペリアはそこでフゥと一つ、ため息をつく。
 そしてユウトは苦笑する。何故ならそれは、エスペリアがユウトにお小言をくれる時の合図だからだ。

「本当にユウトさんは子供なんですから」
「子供って……まあ自分でそう言ったけどさ」
「朝は相変わらず起きれませんし、いつもトキミさまの忠告を聞かないで失敗しますし、その後のお説教だってまじめに聞きませんし……」
「う……」
「わかっていますか?」

 エスペリアはユウトの目を覗き込む。
 そしてユウトはそれを覗き返し、いたずらめいた微笑を浮かべてこう答える。

「テスハーア、テスハーア」
「……もう!」

 エスペリアは顔に這わせていた手を止め、頬を軽くつねる。
 それでもユウトの微笑は崩れることはない。
 そして、ささやくように言う。

「でもさ。さっき言ったのは本当だ。絶対に嘘じゃない」
「……もう」

 エスペリアはしばらくふくれたままだったが、やがて表情を緩め、つまんだ頬から手を離して優しく撫でる。
 ユウトも目を閉じ、しばらくするとその吐息は、寝息にゆっくりと近づいていく。

「ユウトさん。私も」
「……ん?」
「私も、ユウトさんに会えてよかったです」
「……ん」
「あ、見てくださいユウトさん。あそこの花……もうすぐ、綿帽子が飛びそうですよ」
「ああ……そうだな……きっと……」
「きっと、なんですか」
「似合うよ、エスペリアに……」
「……もう」

 そしてユウトは眠りに着き、エスペリアが見つめるその先から、本当に一つ、綿帽子が舞ってくる。
 それはユウトの顔に落ち、そしてエスペリアはそれを取り去るように、そっと、唇を近づけていく。
 穏やかな、陽光と綿帽子の舞う、草原の一こま。





 おまけ

「ユウトさん……起きてください」
「ん……?」
「もうすぐトキミさまと合流する時間ですよ。起きてください」
「んー……後5分……5分だけ……」
「ダメです。それにこんなところを見られたら、またトキミさまのご機嫌が悪くなりますよ」
「いいって、見せ付けてやれば。そうやってエスペリアが俺のことを捕まえてないと、さらわれるかもしれないぞ……」

 ゴン!

「ダッ! いきなり立ち上がるなよ、エスペリア?」
「こうでもしなければ、ユウトさんのお寝坊は直りませんから」
「それにしたって……」
「目・は・覚・め・ま・し・た・か・?」
「あ、ああ、うん」
「はい。それじゃあ参りましょう」


 時に女神は嫉妬深い。

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