「――なんでだよ!」
血に染まった刃を振り払って、ユートは叫んだ。
飛び散った飛沫は、霧となって虚空に消える。
「なんで、お前ら! なんで!」
返す刃で、もう一体。
嫌な感触が腕に伝わり、ついで人影が倒れる音が耳に伝わる。
そこで、一応は、終わった。
時に、無謀な敵と渡り合うことがある。
剣を携えているだけの、少女。
疲弊し、血を流し、立つことすらおぼつかないその姿で。
時に彼女達は、それでもヨロヨロと剣を振り上げて『敵』を倒しに来る。
――わからない。
どうしてもわからない。
引き返せば、もっと楽に戦えるはずなのに。
部隊の一員が欠けたのなら、一端集合して編成を組み直せばいいのに。
なのに彼女達は、ただがむしゃらに特攻をかけ――
「なあ。エスペリア。どうしてだ? 一体どうして」
息をする肩を落として、ユートは沈んだ声で副官に尋ねる。
「そりゃ、俺も戦いが好きなわけじゃない。楽に終わるならそれにこしたことはないと思ってる。でも! なんでこうなんだよ!? 戦う力もないのに、どうしてこんな、わざわざ無駄死にしに突っ込んでくるんだ!? 俺は戦うって決めた。でもこんなのは……こんなのは、戦いですらないじゃないか!」
怒ればいいのか、悲しめばいいのか。
そのどちらもつかずに、結局まざった表情で吼えるユートを見て、エスペリアは思う。
仲間が死んだわけでもない。死んだのはあくまで敵のスピリットだ。
その死に、ここまで心を揺らすとは。
――やはり、なんと優しいお方なのでしょう。
それでも、戦っている以上、副官たる自分はそんなユートを否定しなければならない。
エスペリアは、悲しくなりかけた表情を引き締める。
「これが戦いです、ユートさま」
「でも! 相手はほぼ無抵抗なんだぞ!?」
「ですが、完全な無抵抗でもない敵です。これは戦いなのです」
エスペリアは狼狽するユートを厳しく諌める。
本当は、違えばいい。
慰め、いたわり。
どちらにしても優しい言葉をかけ、手を取り、許されるならばその体を抱きしめて、震えを包んであげられればいい。
だがここは戦場で、自分達は兵士だ。
弱さを見せる限り、生き延びてはいけない。
ユートの叫びは、心の悲鳴だ。
初めから望まない戦い――いかに自分を納得させようとしても、今ユートが抱いている覚悟はとてもあやふやだ。
いや、納得すらしていない。
騙しているだけだ。
剣の意識に脅かされ、眠れない夜を送る。
エトランジェであると言う理由で戦場での働きを見せるが、その内実は今、彼が切り捨てたスピリットと同じ様に疲弊し尽くしているはずだ。
「大体、なんでそんな無茶なことを聞くんだよ! 命令だからか!?」
「そうです。スピリットは人間の命令には逆らえません」
「馬鹿げてる! どんな命令だよ、それ! どうやったって、戻って回復した方が戦えるはずだろ!?」
「ユートさま!」
感情の昂ぶりは用意に押さえられない。
だが彼がラキオスのスピリット隊長であるならば。
そしてもし彼がそのことを忘れそうになったら。
自分は副長として彼を止めねばならない。
――どんなことをしても。
「ユートさま、お気を確かにお持ちくださいませ。……今の言葉、もし誰かに聞かれれば、逆賊の名を被ることにもなりかねません」
「知るかよ! どうせ俺は王族には逆らえない! 言うだけ言わせてもらってもいいだろ!」
「カオリさまがどうなられてもよろしいのですかっ!」
……例えそれが彼の弱点をつくような、卑怯な真似であったとしても。
「ぅ……あ……」
「カオリさまは、レスティーナ王女さまの監視下に置かれています。もしユートさまに謀反の心ありと噂にでも上れば、罰を受けるのはユートさまだけとは限らないのです。お忘れですか?」
「…………わかってるよ……くそっ!」
ユートが、怒りを大地にぶつける。
剣のめり込んだ地面は小さく爆ぜ、風がエスペリアの髪を薙いだ。
「戦えないスピリットが挑みかかってくるのは、それが命令だからです」
「……ああ」
「軍は、スピリットの命など考えません。退却させて回復のためにエーテルを費やすよりは、そのまま突撃させて少しでも私達の足止めにしようとするのが常識なのです」
「俺達を疲弊させるために、か?」
「そうです」
「……命を、なんだと……!」
また荒々しい風が、エスペリアの髪を薙いだ。
土くれが飛び、軽い衝撃をもってエスペリアのエプロンを汚す。
――もっと、直接ぶつけてくれてもいいのに。
時に、ユートは吐いている。
それは戦場から駐屯地に戻るときに。進軍中の休憩時に。
ほんの短い時間、隊長の姿が見えない時がある。
それは戦いの前後に吐いているなどという、弱い姿をさらして隊の士気を落とさないために。
そしてそんな彼を見て心配するだろう、自分達に配慮して。
――なんと、優しいお方。
しかし。
――なんと、脆いお方。
彼は自分が吐いているということは知られていないと思っている。
それはおおむねそうだが、何事にも例外はある。
それが、エスペリアだ。
副長として――それ以前に、何よりエスペリアが『献身』のエスペリアならば、それに気がつかないはずはないのだ。
「私達は、戦うための存在です」
「違う!」
「違いません。現に今のスピリット達も、何もできないにもかかわらず飛び込んできました」
「命令だからだ!」
「それは、そうです。でもそれだけではありません。ユートさま、今のスピリット達のハイロゥの色を覚えていますか?」
黒だ。吐き捨てるようにユートは答えた。 戦いの絶望の色。闇の閉ざされた心の色。この世界に立ち込める、暗雲の色。
「スピリット達は剣を握っています。剣の本能は敵を倒すこと。あのスピリットのようにハイロゥが黒いのなら、それがスピリットの意志でもあるのです」
いいながら、エスペリアは自分の表情が沈んでいくのを感じた。
いけない。
隊長が気弱になっている今、自分までがそうなってどうする。
そう思っても、自分の口からでる一言一言が、確実に自分の心に突き刺さっている。
ユートは、脆い。
しかし彼をそう思う自分は、脆くないとでも言えるのか?
「くそっ……くそっ、くそっ……畜生……!」
怒りが、オーラとなってユートの回りに立ち込め始める。
遠巻きに見えた歳若いスピリットが、何事かと目を見張っていた。
エスペリアは視線でなんでもないと示し、立ち去れと告げる。
怒っているだけではない、ユートは悲しんでもいるはずだ。
しかし、その頬に涙はない。
ユートは成長し続けている。
戦士として。エトランジェとして。
そして、自分の犯した罪を飲み込もうとしている。
だが、確実に、流されることのない涙は蓄積し続ける。
今日の戦闘は終りだ。キャンプを築き、休息を取る。
そして、明日。また彼は、スピリットを斬る。
敵を斬るたび、ユートは自分の心を切る。
心から流れる血は、大抵は涙となって流れる。
だが、彼はそれをしない。
義務。使命。怒り。
傷がつくたびにその包帯を巻きつけ、締め上げ、無理矢理に血止めをする。
だがそれももう、すでに血糊で固まっている。
そしてどんなにきつく巻き上げても、傷口を完全に覆うことはできない……
――自分と、同じ様に。
「……戻りましょう、ユートさま。明日の打ち合わせをしなければなりません」
エスペリアは結局、ユートに触れずに、そう声をかけただけだった。
ユートも小さく頷いて、それに応じる。
そうだ。ここは戦場だ。
哀哭や感傷など必要ない。
戦うための、場所だ。
「……認めて、たまるか」
低い声は、しかしエスペリアの耳にも届いた。
この大地は戦火に飲まれ、兵達に血糊のついた包帯のまま進軍しろという。
そしてその終結はまだ、どれだけ遠くにも見える兆しは、ない。