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 嘘だと言ってほしかった。
 でなければ、悪い夢だと。
 それならば寝汗にまみれて飛び起き、直後に縁起でもないと自分をいましめれば済む。
 だが、そのどちらも起きてはくれなかった。
 夜、届いた手紙。マロリガンとラキオスの戦況報告。不利と見られた数の差を質でカバーし、ラキオスが優勢。現在は首都マロリガンのすぐ近くまで侵攻。損失は皆無。圧倒的。
 そこまではいい。そこまでは。
 ラキオスが勝利していれば、傷ついてはいても、皆生きている。無口だが、純粋なアセリア。元気な、この世界での最初の友達、オルファ。優しくてきれいなエスペリア。
 短い時間ながらも共に過ごした彼女達だが、皆素適な人達だということを知っている。
 それに加えて、今はウルカもラキオスの戦隊に加わっているということだ。
 アセリア達よりもさらに短い、ごくわずかな時間だけしか言葉を交わすことができなかったが、彼女の活躍を聞くたび、不謹慎ながらもどこか憧れのようなものを抱いてしまう。
 そして、義兄。ラキオスのエトランジェ、求めのユート。
 マナが少ない、スピリットやエトランジェにはつらいはずの荒野においても、鬼神のような強さをほこっている。我が国のスピリット隊の実力にも迫り、脅威になりうる可能性もある、と報告書には続いている。
 義兄が人を……スピリットを殺める。そのことが嬉しいわけではない。自分の為に傷だらけになっていると思うと気が気でなくなる。それでも生きてくれている。過酷な戦場でも、血を流しても。それは純粋に嬉しいことだ。
 だから、それで終わればよかった。
 しかし、そこで終りはしなかった。
 報告書の最後は、こう締めくくられている。

 なおマロリガンのエトランジェ、因果のコウイン、空虚のキョウコ、共に求めのユートとの戦闘に於いて――死亡。

 初め、ハンマーで頭を殴られたような衝撃があった。
 死亡。死んだ。戦闘に於いて。戦って。殺しあって。誰が。今日ちゃんが。碧先輩が。誰に。
 ――お兄ちゃんに。
 嘘だと言ってほしかった。縁起でもない夢だと笑い飛ばしたかった。
 しかしどれだけ願っても、それは消えない。事実だ。
 同じ様に、笑い声も消えない。狂喜していた。
 もう一人の先輩、秋月瞬。やっと義兄と暮らせるようになった、その刹那の後に自分を拉致させたサーギオスのエトランジェ……誓いのシュン。
 これでわかっただろう。これがあの男の本性だ。親友と呼んでいた人間でさえ平気で殺すような悪人なんだ。
 粘り気を帯びたおぞましい声が耳から離れない。
 それでもその声を拒絶しようと、カオリは耳を塞ぎ、目を閉じ、枕に強く顔を押し付ける。

 暗闇の中で思いだす。
 無機質な報告書だった。
 軍隊で用いるものだからそれはむしろ当然なのだろうが、どうしてもそれを受け入れることはできない。
 それは、その上では全てがデータにしか過ぎないからだ。
 戦況、軍の現在位置、消耗率、士気の高さ。
 様々なデータが詳細に記されているが、しかしそれは単に紙の上に乗ったインクでしかない。
 そんなもので兵が疲弊していると記されていても、それは実際に彼女達が感じる飢えや渇きを表してはいない。
 ラキオスのエトランジェが凄まじい強さを誇っていると記されていても、彼がどんな思いでその功績を成し遂げているかまでは伺い知ることはできない。
 求めのユート、空虚のキョウコ、因果のコウイン。三人のエトランジェが戦い二人が命を落としたことを記すことはできる。
 しかし高峰悠人、岬今日子、碧光陰、この三人の親友が、何のために剣を握っているか、何のために剣を握っていたかは、記すことなどできはしない……!
 嗚咽がこぼれた。
 義兄が戦っている理由を知っている。優しい義兄。剣を握らされたことを不服としながらも、それでも剣を握り続けるのは、確かに仲間のためもあるだろう。
 しかし本質的には、彼が戦う理由は義妹である自分を守るため……初めは自分の安全を確保するため、そして今は秋月にさらわれた自分を取り戻すためだ。
 だからこそ手を血に染め、唇を噛み締めながらも剣を振るうことをやめない。
 他の二人はどうだったのだろう。
 おぼろげながら、想像はついた。きっと二人も同じだったはずだ。
 守るべきものがあったのだ。それが何かはわからない。だがそのために戦うしかなかったのだ。少なくとも碧は今日子に好意を抱いていた。
 確信できた。秋月が聞けば、何を夢見ていると嘲笑うだろう。それでもだ。
 彼は違う。彼と義兄は違う。彼と自分達は違う。
 自分自身の他に信じるものをもたない彼とは、絶対に、同じではない。

 義兄を疫病神と呼んだ秋月。義兄が疫病神だから、自分の両親は死んだ。義兄が疫病神だから、三人の親友が殺しあうことになった。
 だが、義兄が自分の為に戦っているのなら、そしてその結果今日子と碧が死んだのなら、自分こそがその疫病神ではないのか。
 心の内は、もうやめてほしいと願っている。
 もう戦わないでほしい。血に染まった剣を捨ててほしい。そう願わずにはいられない。
 だが、それが不可能であることも知っている。義兄は優しい男だ。責任感も強い。きっと自分がそう望んだところで、彼はきっとこの戦乱を鎮めるためにも戦い続けるのだろう。
 立ち上がり、窓辺に向かう。月の光が、優しく身体を包んだ。
 ……まるで、ウルカがそこにいるかのように。

 義兄は戦うことをやめない。そしてその理由の一端を自分が担っているのならば、自分もまた戦うことをやめてはいけない。
 力をこめて、嗚咽をかみ殺す。
 自分に剣はない。だが秋月が義兄とその親友を否定し、自分を屈服させようとするのなら……
 絶対に、屈服してなどやらない。いつでも、いつまでも、義兄を信じる。
 それが、自分の戦い。

 ふと、オルファが以前教えてくれたスピリットの祈りを思い出す。
 清らかなる水、暖かな大地、命の炎、暗闇を照らす月。
 全て再生の剣より生まれ、マナへと帰る。

 ――招かれた戦士は、一体どこに帰っていくのだろう?

 歌のような祈りを口ずさみ、そして新たに一説を付け加えた。
 願わくは、どうかマナの光が彼らも導きますよう。
 この祈りをマナが聞き届け、彼らに安らぎをもたらさんことを。

 窓の外から差し込むマナ光、義兄もこの光をみているだろうか。
 お兄ちゃん。
 漏れた声は、わずかに窓ガラスを曇らせた。

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