大和の前にはメガネをかけた青髪の女性が立っている。
黒板に何かを書き込み、大和に何かを説明し始めた。
ボケーッとその話を聞き流しながら、大和は窓の外を見ていた。
「と、言うわけです。解りましたか大和様?」
「解ったような・・・・解らないような」
ドンッ!!と机を叩き、息が掛かるか掛からないかまで接近してくるレイア。
机がガタリと揺れ、上にあったものの一部が床に落下する。
「まじめにやってください!!」
瞳に涙を溜め、頬を赤らめて怒る顔は子供っぽいが可愛らしかった。
軽く目を逸らしながらボーッとしていた事を開き直る。
「別に時間はたっぷりあるんだ・・・。そんな急いで知識を詰め込まなくても・・・」
少女から表情が消え、神剣の柄に手がかけられた。
「そうですか・・・・。残念です・・・もうお別れですか・・・・」
「ま、まて!何も勉強しないとは!もっとゆっくりやってくれって言っただけで!!」
「なら、ゆっくりやりますから、ちゃんとお勉強してくださいね」
神剣を握ったまま凄まれたとあれば、生きた心地がせず、何度も何度も首を縦に振る。
「うふふ・・・・やっぱり、お説教ですね」
「えっ!勉強するって言ったじゃないか」
「それでも、いまいちやる気があるように見えませんから。申し開きは?」
「・・・・はい、申し訳ありません。集中出来ませんです」
シュンと項垂れ、お説教を拝聴する羽目になった。
哀れ、伝説の勇者と謡われた少年の、ダーツィ大公国に来てからの日課が始まった。
戦争の真っ直中にあるこの大陸。
この世界に召還され、かなりの月日が過ぎていた。
創世の刃
永遠のアセリア another if story
act 2 来訪者と妖精の宿命
目の前で説教をくれている少女、あの謁見の間でやり合った少女。
名前はレイア・ブルースピリットといい、人間ではなくスピリットという種族だと教えられた。
美しい絹のような、肩で切りそろえられた青髪。女性的な曲線を描く、しかし引き締まった身体。淡い色の肌。優しげな目元に涼やかな蒼い瞳。
何もかもが出来すぎの少女だった。
このダーツィ大公国でも指折りの戦闘力を誇るという彼女が、何故か俺の世話係に回された。しかし・・・・・
「いいですか!貴方は毎回毎回・・・・・・・」
趣味 お説教♪
特技 お説教♪♪
という具合だった。
(これがなくて、おとなしくしてたら美人なのに)
「なにか・・・?ヤ・マ・ト・様」
少しだけ優しげな声を出すも、キレている時なので逆にそれが怖さを増した。
「い、いや・・・お説教さえなくて、お淑やかにしていれば君は美人なのに・・・って」
「・・・・!!また破廉恥な事を考えていたのですか!?本当に貴方は・・・・」
顔を真っ赤に赤らめ、再び始まってしまったお説教。
それからクドクドと結構な時間、お説教を頂戴し、地獄の訓練へと続いた。
相棒となった永遠神剣(とレイアに教えられた)を腰に下げる。
そのまま城の訓練場に向かう大和とレイア。
大きな扉を開き、中に入るとそこにはツインセイバーを持った赤髪の女性が立っていた。「おっそーい!レイアにヤマト、いつまでもイチャ付いてるんじゃないよ!!」
いきなりの怒声。
びりびりと鼓膜が痺れる。
「いや、イチャ付いてたんじゃ無くて、お説教が・・・・」
「そうです!!話を聞いてください、エル」
「どっちでも一緒だよ!あたしを待たせるな!!」
ジャキッとヤマトの鼻先に切っ先を突きつけるエル。
これから始まる地獄の訓練の教官レッドスピリットは怒り狂っていた。
(はぁ・・・・生きて帰れるかな)
数時間後、ヤマトは訓練所の床にだらしなくぶん伸びていた。
鬼とはまさに彼女のことと言えるほど、今日の訓練は地獄を越え、煉獄だった。
「はぁ・・・はぁ・・・ぐうぅぅ・・・・ぐはっ」
「こんなもんか・・・エトランジェ?」
俺を踏みつけ、睨み付けてくる修羅。
正直血の気が引き、殺されるかと思いました♪
「え、エル!もう良いでしょう」
慌ててレイアが止めに入ってくれる。
「いぃや、まだまだ。あたしを待たせたんだから・・・・」
「エルっ!ヤマト様が死んじゃいますよ」
「・・・・・・ちぇ!」
舌打ちして、伸びている俺の横に腰を下ろすエル。
炎を思わせる長い赤髪が鼻先をくすぐり、良い匂いがしてきた。
エルウィン・レッドスピリット。
彼女のフルネームで、俺の教育係。
しかし、教育係といっても戦闘に関してだけで、学術に関してはレイアに任せきり。
レイアから比べると少し劣るが、こちらも端正な顔立ちに勝ち気そうな切れ長の瞳。
腰まである長い赤髪と、それに準ずる色の瞳。グラマラスな体つきの女性だった。
戦闘力も随一で、神剣魔法を使わせたらダーツィ一と言われる程だ。
「さて、休憩十分ね」
「はい?何ですと」
「休憩終了!はい、立って」
「終了って、まだ全然休んでな「口答えしない」・・・・・ハイ」
セイバーをとり立ち上がり、ゆったりと構えを取るエル。
気合いで立ち上がり、刀を鞘に収めて居合いの態勢をとる俺。
(今日こそ、居合いを習得する!)
そのまま俺は全身がボロ雑巾になるまでエルに叩きのめされた。
夜 スピリット隊宿舎 自室
「ううぅぅ・・・・死ぬう〜」
食事も終わり、湯浴みも終え、自室に戻ってきた。
ぐったりとベッドに倒れ込み、疲れ切った身体に休息を与えていると、同室の二人が入ってきた。
「大丈夫ですかヤマト様?」
「死ぬんじゃ無いよー。まだ働いてもらってないんだから」
二人は湯上がりらしくほんのりと頬を桜色に染めていた。
ほのかに石けんの香りがしてきて不思議な気分になる。
来た当初はなかなか混乱した。
回想
「だってほら、俺だって健全な一般男子であって・・」
「あたし達に欲情しちゃう?」
悪戯っぽい笑顔を浮かべ、すり寄ってくるエルと顔を真っ赤にしているレイア。
何故か真ん中に置かれた俺のベッド。
「す、ストレートに言うなよ!」
たぶん俺の顔は真っ赤だったと思う。
猫なで声で迫ってくるエルを見ながら、俺は背筋に薄ら寒いものを感じた。
「あら?当たりなんだ」
「そりゃ・・・こんな綺麗な二人が一緒なんて」
「でも・・・その、決まり・・・ですし」
レイアの言う通り、ダーツィにはチームを組む三人は同じ部屋で寝起きし、チームワークを養うということになっていた。
(戦争開始に備え、王が決めたスピリットの宿舎の大原則・・・か)
考えている事などお構いなしでエルは俺に抱きついてきた。
そのままの勢いでベッドに押し倒されてしまう。
丁度俺の胸に感じる大きく柔らかな二つの膨らみ。
(あっ・・・柔らかくて気持ちいい・・・・・じゃなくって!!)
「うわ!ちょ、止めろエル」
「だぁいじょうぶ・・・なんなら、あたしが相手してあげようか?・・・・アタシはもしアンタが妖精趣味でも構わないからね」
柔らかい肢体、女性らしい特有の丸みを帯びた身体に組み敷かれる。
押し返そうと思えば出来たが、なぜかそれが出来ないのは男の性か・・・。
艶っぽい声で耳元で囁かれ、身を固くするヤマト。
「あははは・・・・冗談だよ。冗談」
「エル!ヤマト様もいい加減にしてください」
「なんで俺が!俺も被害者だろ!」
「うるさいです!そこに正座なさい!!」
このあとの事は言わずもがなかと・・・・。
回想終了
「あぁ、一応言っておく。明日、戦略会議があるから、出席するようにってさ」
エルの言葉に軋む身体を起こす。
「何かあったのか?」
「それは私から。・・・本日、ラキオス王国から宣戦布告がありました」
「宣戦布告?奴らはバーンライトだけじゃ物足りないって言うのか?」
ラキオス王国と言えば、つい一月前にダーツィの同盟国のバーンライト王国を攻め落として占領したはずだった。
何でも伝説の戦士エトランジェが現れ、守護神であったはずの〈リクディウスの魔龍〉を葬ったらしく、その名は広く知れ渡っている。
ならば俺が投入される理由は一つ。
「エトランジェである〈求め〉のユートに対抗するため、ヤマト様の参戦が必要と判断されたためです」
「やっぱりね・・・。思った通りか」
何となく予想は付いてた。
生きるため、戦えと言われていた理由も今ならよくわかった。
「了解。明日だね」
「はい。そのため、明日からは戦闘警戒が始まります」
解ってはいた。
いつかは戦わねばならないことが。
いつかは誰かを殺さねばならないということが。
「いきなり・・・・か」
「ん?どうした・・・怖いの?」
エルが口を開き、真っ直ぐ俺を見つめていた。
「怖くないって言ったら嘘になる。でも、なぁ」
「あんたもあたし達と同じで、戦うしか出来ないんだから。ハラ括りなさい」
諭される様に、何度も何度も聞かされてきた言葉を紡いでいくエル。
そう、スピリットやエトランジェは戦うことしか自由は無い。
そう言うものなのだとこの二人から教えられてきた。
「そうですヤマト様。私たちがお守りしますから、安心してください」
「足だけは引っ張んないでね」
「エル!」
ベッドに入るや否やスヤスヤと寝息を立て始めるエルに、もうレイアの言葉は届いていなかった。
「大丈夫。やると決めていたんだ・・・やってやるさ」
レイアは心配そうに俺を見ていたが、やがて「お休みなさい」と言いベッドに入った。
明かりの消えた部屋。
暗闇の中、【精進】が語りかけてきた。
『どうされたのだ?いつもの貴殿ならすぐに熟睡しているのでは?』
(いや、殺すってどんな感覚かな・・・て考えたら、ちょっと)
『無益な殺生は某もしたくは無いが、それでは某も貴殿も存在理由を失う』
(つまり、戦うしかないと?)
『そう言うことになるでしょう。それがこの世界のルールです』
(ルールか・・・。俺のこともスピリットの事もルールだと?)
『それは定めです。妖精も貴殿も、戦うためだけに存在している。ならば、貴殿はそれを全うすればよいだけのこと。さあ、眠られよ』
何かが俺の身体を貫き、俺は強制的に眠りに落とされた。
その時俺は精進の心の叫びを聞いた気がした。
『マナを・・・・貴殿には何も解るまい・・・・』
精進は抗っていた。
マナを欲しがる自分の本能に抗い、ストイックなまでの武人らしく思えた。
(あぁ・・・お前も・・・抗っているんだな・・・)
翌日 ダーツィ大公国城内 会議場
宣戦布告された翌日、俺は軍の重鎮や貴族に混じり会議場にいた。
昨晩にエルに言われていたことだった。
「・・・・ですから、ラキオスの侵略を食い止めねば」
「帝国の援護待ってはいかがか・・・」
「いや、それでは間に合いますまい」
目の前で繰り広げられる醜い言葉の応酬。
半ば呆れ気分の俺は大公に近い位置に座らされていた。
「静まらんか皆の者。こちらにもエトランジェがいるのだ」
ざわついていた室内が静まり、視線は全て俺に向けられていた。
「ここには戦うためだけに存在するスピリットと、伝説の戦士がおるのだ」
頭に来る物言いだった。
確かに、エトランジェやスピリットは戦うためだけに存在し、マナの霧に還る。
そういう風にこの何ヶ月か教育されて来たが、納得がいくわけがない。
「諸侯のこともわかる。がしかし、我らはあのような弱小国に負けはせぬ!!」
大公は俺を指さしながら熱弁をふるう。
つまりは俺はこういう時のために呼ばれた、言わばお飾り。
「私、アーサミ・ダーツィの名においてここに宣言する。」
一拍の間を置いて大公は俺を立たせ、そして大業に両手を広げる。
「エトランジェ〈精進〉のヤマトに、スピリット隊の一部を預ける。」
再びざわめき出す室内。
俺は興味なさ下にその室内を見回した。
「そしてエトランジェよ。おぬしはすぐに出立し、ヒエムナにて防衛せよ」
「拒否権は無いんだろう?遠回しな物言いはよせ」
大公を睨み付け、周りにも聞こえるように声を張る。
仰々しく礼をしながら、若干の嫌みを込める。
「承知いたしました。私〈精進〉のヤマトはあなた方の刃となり、マナの霧に還るまで戦い続けましょう。」
その言葉を受け大公はニヤニヤと笑う。
「良かろう。アレを持て!」
パンパンと手を打ち、兵士が一人室内に入ってきた。
その手には何やらコートのような物が提げられていた。
「エトランジェよ、これは隊長であることの証だ。受け取るが良い」
濃紺のコートに所々プレートが打ち込まれていて、簡単な鎧にもなっている物だった。
心臓周辺、肩関節、肘関節そういったところに打ち込まれているプレート。
しかしそのコートは存外軽く、着心地も良い物だった。
「・・・・ありがたく頂戴する。戦うことに異存はない。強要されているとはいえ、生き延びるために仕方ない事だしな。」
ここぞとばかりに俺は大公に言葉を放った。
「ただし、条件がある。これぐらいは聞いても良いだろう」
「申してみよ」
「この戦いが終わったら・・・・・・」
三日後 防衛線の街 ヒエムナ
事態は切迫していた。
ラキオス軍はバーンライトを攻め落とした勢いそのままに攻め込んできていた。
防衛にに回っていたスピリット隊の一部からの知らせが入ったらしい。
『ケムセラウトが奪回され、やがてこちらに向かってきます』
ヒエムナの防衛線を突破されれば、首都キロノキロはもう目と鼻の先である。
もうまもなく、戦闘が開始されようとしている。
「大丈夫ですか?ヤマト様」
心配げなレイアの声が聞こえてきていた。
しかし収まるわけの無い緊張で、心臓が壊れそうな程暴れ回っていた。
「おーい。戦う前に死ぬなよ」
エルがおもしろがって声を掛けてくる。
そんなことは関係なく、今置かれた状態はとてつもないものだった。
スピリットが全面に押し出され、人間は後ろで高見の見物。
ただただ傲慢なまでの人間達は、結局のところ俺たちを駒としか見ていなかった。
「俺たちに死ねってことなんだよな」
「しかたありません。これがスピリットであり、エトランジェです」
納得いかなかった。
いくわけもなく、ただただダーツィ大公を呪った。
戦うことを強要し、ただ戦うためだけに俺が存在していると言った。
それが運命というなら抗うしか無いだろう。
「・・・・ふぅ。二人とも、足引っ張るかもしれないが・・・よろしく頼む」
「いままで黙り決め込んでて、いきなりそれかい」
「大丈夫ですよ。私たちがお守りしますから」
頼もしい二人のワルキューレに見守られ、俺は戦う決心が出来た。
俺の格好は先日渡されたコートに、召還される前に着ていた制服。
「行こうか・・・二人とも。そろそろラキオス軍が来るだろう」
一度ハラが決まればどうという事も無く、俺は【精進】を腰に提げ立ち上がった。
「はい・・・お供致しますヤマト様」
「まぁ、しょうがないね。あんたが隊長って言うのは・・・どうかね」
二人も立ち上がり俺の後を付いてくる。
死神に魅入られた者達の戦いの火蓋が切って落とされた。
「気をつけろ!個人で敵に当たるな・・・必ず複数で当たれ!!」
戦場は凄まじいものだった。
死神が辺りを徘徊し、剣戟が鳴りやむことなく響き続ける。
【精進】から伝わってくる力を純変換し、オーラを展開する。
開戦直後に【精進】が教えてくれたものだった。
俺は【精進】を抜き放ち、咄嗟の出来事の対応出来るようにしていた。
「やあああ!」
突然左方向から裂帛の気合いとともにブル−スピリットが躍り込んできた。
「ヤマト様!!」
レイアが咄嗟に障壁でカバーしてくれた。
神剣が薄い障壁に阻まれ、数秒の間制止する。
その隙に居合いの態勢をとった。
レイアはそれを察知したか障壁を解除し、自身の神剣で敵の神剣を跳ね上げ、がら空きの状態を作り横に飛び退いた。
「うおおぉ!!」
気合いとともに、訓練で体得した神速の抜刀術を叩き込む。
がら空きになったスピリットの胴から、二つに切り裂く。
【精進】は振り抜かれ、血糊が付くことなく美しい刃が保たれたままだった。
何体斬ったかもう覚えていない。
何人のスピリットのマナが【精進】に飲み込まれていったか解らない。
「許せよ・・・・」
一瞬の祈りを捧げ、すぐに前方に向き直る。
金色のマナになり空に還るスピリット達を見るのは、とても心が痛んだ。
しかし、そのたび生きるためだと言い聞かせ、血煙吹き荒れる戦場を駆け抜けた。
「ヤマト無事か!」
エルが駆け寄り、俺の心配をしてくる。
「平気だ・・・大丈夫」
未だラキオスの本隊は到着していない。
いま戦っているのはバーンライトの残存勢力だった。
ラキオスに併呑され、スピリット達も半ば諦めてラキオスに従っていた。
「今は何も考えないでください・・・。心が折れてしまいます」
レイアが声を掛けてくる。
彼女たちも満身創痍で、身体の所々に血が滲んでいた。
痛々しい傷を見た途端、俺は自分の弱さを呪った。
彼女たちは俺を守って傷ついたのだから。
「すまない・・・俺が不甲斐ないばかりに・・・」
「いいって。気にしない気にしない」
軽口を叩きエルはにこやかに笑った。
その笑顔は戦場には似つかわしくないほど美しく、傷ついた顔すら美しく見えた。
キィィィン
「痛ってぇぇぇぇ!【精進】、何なんだよ!」
『主殿よ、敵のようだ』
常に冷静だった【精進】の声が焦りを帯びていた。
「何?どこに居る?」
『まだ遠いが・・・【求め】の力を感じる』
「【求め】?ラキオスのエトランジェか!?」
俺の声に反応し、周りにいた二人が身構える。
その二人を手で制し、俺は【精進】との会話に耳を傾けた。
「あとどれくらいだ?どのくらいで到着だ?」
【恐らく本隊の投入は明日になるだろう。故に、今日の戦闘はこれまでだろう】
「わかった・・・・ヤマト隊!戦闘止め!!ヒエムナまで撤退する」
即座に反応し、自分の隊に伝令を出す。
すぐさまヤマト隊の数名は反転し、自軍が戦っている中ヒエムナへと後退した。
殿にヤマト・レイア・エルの三名が付き、疲れ切った身体を引きづりながらの行軍だった。
その日の夜 ヒエムナ スピリット隊宿舎
宿舎についた俺に待っていたのは止めどない吐き気だった。
とにかく吐き続けた。
まるで身体の中から全てを吐き出そうとしているかのようだった。
(こんな姿・・・レイアやエルには見せられないな)
一頻り吐き終え、俺は外の空気を吸おうと少し冷え込む外へ足を向けた。
念のため、腰には【精進】を提げ、戦闘用のコートを羽織った。
ヒエムナの街はそれほど大きなものではなく、歩けばすぐに端から端に着いてしまう。
涼しい風に晒されながら、俺は今日の戦闘を思い返していた。
あれ程怖いと思っていた戦闘は、始めてみれば恐怖よりも愉悦の方が大きかった。
と言っても、この感情は一体のスピリットを斬ってからだった。
それからというもの、【精進】から伝わってくる感情が、麻薬の様に俺をハイにした。
刃が肉を切り裂く手応え、神剣魔法が敵を貫く衝撃。
戦場で五感が伝える全ての事象。
その全てが俺の心を支配し、それがやがて愉悦感に変わっていった。
【精進】を握る手は恐怖に震えていたのか、愉悦に打ち震えていたのか解らなくなっていた。
ただ【精進】を振るい、罪なきスピリットを切り裂き、殺していく。
俺たちに本来無いはずの、〈裁く〉という行為を命ぜられて行ってきた。
あんなものは〈裁き〉ではなく〈殺し合い〉でしかない、そう思うと、何故だか心が寒くなって、俺はいつからこんな事を考えているのか、判らなくなってきた。
「え、エトランジェ・ヤマト様ですか?」
不意に声が掛けられ、振り向く。
そこに立っていたのは見慣れない黒スピリットの少女だった。
ツインテールの小さな、まだ幼いスピリットの様だった。
「ああ。俺がヤマトだ」
「もしかして、イチジョウヤマト様・・・・ですか?」
なぜスピリットが俺のフルネームを知っているのかは判らなかった。
しかし、一つだけ判ったことがあった。
(このスピリットが着ている戦闘服は、ダーツィの物じゃない・・・)
俺は悟られないように慎重に左手で、【精進】の留め具を外した。
「何処の所属のスピリットだ・・・・。所属と名前を言え」
凄みながら、敢えて見せつける様に柄に手を掛ける。
「あぁぁ、いえ、その、わわわ、私は【求め】のユート様に頼まれてですね」
「【求め】・・・・ラキオスの者か?随分と大胆だな。いきなり俺の首を狙ってきたか」
少女を睨み付けながら俺は周囲を見回した。
ヒエムナから少し離れ、小高い丘に自分は来ていた事を思い出していた。
(ちっ!離れるんじゃ無かった)
心の中で毒づき、【精進】に掛かる手に力を込めた。
「わわわ・・・・戦う気はありません!わ、わたしはへへへ、へリオン・ブラックスピリットと言います。ユート様の命令で、ヤマト様に手紙を持って来ました!!」
酷い狼狽ぶりだった。
顔は恐怖で引きつり、カタカタと小刻みに震えていて、戦える者では無いと直感的に判断した。
(【精進】、アイツの神剣から敵意は?)
『感じられませぬ。【失望】も戦う気は無いようです』
その言葉を聞き、安心し、俺は構えを解いた。
俺は目の前の小動物の様なスピリットに声を掛ける事にした。
「・・・・それで、【求め】は俺になんだと?」
構えを解いた俺を見て安心したか、へリオンはニコッと笑い、緊張した面持ちで話し始めた。
「ははは、はい!ユート様は、ヤマト様がお知り合いだと言っていました」
「それで?」
「そ、その・・・友人と戦いたくない・・・という事でして・・・」
ユート・・・その名前を聞き、どこか違和感があったが、それが今やっと理解した。
「ユート・・・高嶺悠人か!」
「はは、ハイ。それで、これがそのお手紙です」
へリオンの小さな手に握られた手紙には、日本語で[高嶺悠人より]と書かれていた。
へリオンから手紙を受け取り、中にざっと目を通す。
そこには悠人の状況、佳織が捕まったこと、スピリット隊の隊長をしている事などが書かれていた。
「そうか・・・。時に、へリオン」
「は、ハイ!」
「あまり緊張するなよ・・・。調子狂うし」
「あ、も、申し訳ありません!!」
ブンっと勢いよく頭を下げるへリオン。
ツインテールが揺れ、漆黒の髪が月の光に反射しキラキラと輝く。
「まあいいや。帰ってユートに伝えてくれ」
「はい!何でしょうか!!」
「俺には俺の守りたい人たちが居る。だから戦場で会えば容赦はしない。そう伝えてくれ」
その言葉に反応し、へリオンの表情が泣きそうなものに変わる。
少し胸が痛んだが、戦場で情に流されるのは愚かなこと、そういう風に幼い頃から教育されてきた俺に、悠人の考えは理解出来なかった。
「へリオン・・・君もだ」
「へっ!」
「戦場で会ったなら、容赦はしない。俺だって戦わなければ殺されるんだ」
再びへリオンを睨み付け、柄に手を掛けた。
「ひっ!」
「行け。行ってユートに伝えろ。・・・・・さもなくば斬る」
へリオンはハイロゥを広げ、逃げるように飛び去っていった。
そのスピードは速く、ユートがへリオンをよこした理由がわかった気がした。
一人取り残された俺は、ヒエムナへと歩を進めた。
吹き抜ける風が、今までより少し冷たく感じたのは気のせいだろうか?
本当に守るべきは自分の安全なのか、それとも、友情や愛情なのか?
答えの出ないまま、少年は明日も刃を振るうのだろう。
〈守りたい人〉がいる。
少年はそう宣言し、友人に宣戦布告した。
しかし、少年は自分の無力さを噛みしめる事になると言うことをまだ知らない。
明日ともしれない命だからこそ、その一瞬に美しく輝き、そして消えてゆく。
戦場で出会う二人の少年は何を思い、何のために刃を振るうのか?
その答えも、決して出ることのない〈メビウスの輪〉の様な問いだった。
to be contenued