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一週間も書かないともう何が何だか分からなくなる。
だいぶ穴の空いて閉まった日記を見て、続かないものだと思う。
正直な話思い出すことが辛い。
でも、書くべきだと思う。
ペンを手に取り、インクに浸す。

どうすればいいだろう。
一週間程前の話である。
私はルティナさんに襲われた。
その夜、私が日記を書き終えて眠ろうとした時の事だ。
突然ルティナさんが部屋に入ってきた。
その時の彼は目が虚ろで何かを呟いていたような気がする。
私は問うた。
どうしたの、と。
彼はそれに答えずに、私をベッドに押し倒したのだ。
そして混乱する私に構わず服を剥ぎ取る。

館に来て2週間目の事を思い出す。
男が現れてルティナさんを妖精趣味と罵っていた事。
直接的な身の危険を感じて抵抗するも、物凄い力で封じられる。
一体彼の何処にそんな力があるのだろう。
そして、抵抗する気力さえも失い、私は目を閉じ、その時を待つ。
――だが、何時まで経っても何も起きない。
腕に掛かる力も。
この身体の震えも。
静寂の痛さも。
何も変わらない。
考えているのだろうか? それとも逡巡しているのだろうか?
どうやって犯すか? そして、その手順は?
悪趣味だ、それは。
抗議の目を向けるため、私は閉じていた目を開ける。
彼と目が合った。
その時のルティナさんの目を、何と表現したらいいのか、私には良く分からない。
その上手な表現方法が、分からない。
無理矢理にでも文章で表すのならば、彼が二人いた気がする。
私を襲った彼と、それを止める彼。
どちらかの彼が呟いた。

「嫌いたくないからもう止めて欲しい」

すると突然身体に掛かる力が弱くなっていく。
その瞬間に全力で彼を跳ね飛ばす。
今度はもう襲って来なかった。
彼は一言「ごめん」、と言い、タンスの中から新しい寝巻を私に投げ、部屋を出て行った。

あの時の呟きは、誰に向けたのだろう。
私? ルティナさん? それとももう一人の彼?



そこまで書いて、書いている事が苦痛になり、筆を止める。
インクが乾くのも待たずに、そのまま手帳を閉じる。
永遠神剣『消沈』を持ち、ベッドに横たわる。
彼が襲ってきた晩から、こうする事が日課になってしまった。
あの日からであろう。
自分をスピリットであると、強く意識し始めたのは。
その日からであろう。
夜の暗闇が恐ろしくなったのは。
あの日から、ルティナさんが誰かの代わりだと知った日から、私と彼の関係は崩れ始めて。
――襲われた事が、決定打となってしまった。
どうして。どうして、こうなってしまったんだろう。
私は彼にどう接すればいいのか分からない。
私は彼をどう思っているのか分からない。
彼の事が好きなのか。
彼の事が嫌いなのか。
そんな事すらも分からない。
自分の事なのに分からない、という事が不快で堪らない。
世界は分からない事だらけで。
私はそれら全てに理由を求めているのに。
誰も、何も答えてはくれない。

「―――教えてよ、ルティナさん」

当然、答えは帰って来ない。


「消沈の理由」 第四話:離




朝。
起きるとルティナさんはやはりもう起きていて、何やら大きなバッグに荷物を詰めていた。

「何やってるの?」
「…昨日、使いの人間が帰ってきてね、君を街に送り届ける」

――もう、そんな日になってしまったんだ。
彼といるとどうしても忘れそうになってしまう。
初めて『消沈』を抱えて眠ったあの夜。
あの時以上に自分という存在を再認識する。

「だから、朝食を食べたら出発する。欲しい物はあげるから荷造りしてきな」

慌てて二階に駆け戻る。
私が欲しいもの。
日記帳。本。ここにいる間にすっかり私物になってしまった彼の古着。
それらを持ってキッチンに戻る。

「ん。じゃあそのカバンの中に入れておいて」

言われた通りにする。

「じゃ、食べようか」

黙々と、パンをかじる。
関係が崩れても。
生活は続くわけで。
何も会話しないという訳にもいかないのだけど。
必要な事しか喋らないというのは、何も喋らないよりも良くないと思う。
でも、私に出来る事なんて――

「…そこのバター取ってくれる?」
「…はい」

所詮、この程度。

「僕も付いて行くから」

突然、ルティナさんがそう切り出した。
付いて行くって…街へ?

「何故?」
「君一人で行けるのかい? 行けるのなら別に構わないけど」

ああ、そう言うことか。
一体何に期待していたのだろう。
やっぱり、何もかもが変わってしまったと思う。


出発前に、もう一度だけ館を回ってみる。
何でもないような場所が、ひどく懐かしく、寂しい。
もう、あの日には戻れないんだな。

「じゃあ、行こうか」

そして私は歩き出す。
外に出てからもう一度、館を見る。
信じられないほど大きい。
化け物の胃の中に居たようだ、などと思ってしまう。
館に向かって、一礼。
そして、もう振り返らない。


その旅路は、特に語るべき事が無い。
私もルティナさんも黙々と歩き、必要の無い事は一切喋らない、通夜のような道程。
そして、あと半日で目的地に到着する。
そんな昼の出来事だった。


周囲に人気の無い木陰で、お昼を取る事になった。
今、ルティナさんは水を汲みに行っている。
あと半日。
それで、彼と私の物語は終わる。
それが悲しくて。
それが切なくて。
私がただのナナルゥでいられた一ヶ月。
彼に色々教えてもらったあの毎日。
あの日々は、決して終わらないと思っていた。
何時までも夢の中にいたかった。
でも、終わらない物語は無い。
覚めない夢は無い。


思う。
今からでも、ルティナさんと仲直り出来ないだろうか。
今、あと半日しか一緒に居られないと思った時、私の心を占めたのは間違い無く悲しみだった。
彼から教わった沢山の事。
それらは決して手放すことの出来ない物だ。
感謝の気持ち。
嬉しい気持ち。
哀しい気持ち。
色々な知識。
何も無く、空っぽだった私にそれらを与えてくれた彼。
私はきっと、彼の事が好きだと思う。
彼が誰かの代わりでしかなくても、私が好きだと思ったのは間違い無く、彼。
この気持ちが、本の中にもよく出てくる恋なのだろうか。

しかし、そんな事を思う反面こうも思う。
人を好きになるという事が恋だと言うのなら、この気持ちは恋などではない。
何故そう思うのかは、良く分からない。
正確に言うのならば、答えはあるのだが、どう表現すればいいのか分からない。
でも、例えこれが恋じゃなくても、私は彼が好きだ。
彼が私の事を嫌っていたとしても、私は彼が好きだ。
その事実は、絶対に変わらない。
だから、彼が来たらちゃんと話そう。
あの日々を、後悔の残る物にしたくない。
もう一度、彼と笑い合いたい。
決意は固まった。
後は、彼が戻ってくるのを待つだけだ。

「――ルティナさん、早く戻ってこないかな…」

ついつい口に出る。
顔はきっと笑っているに違い無い。



がさり、と音がして。
振り向いてみれば、二人の人物がいた。
ブルースピリットと、グリーンスピリット。
ルティナさんじゃない、とがっかりしながら、何でスピリットがこんな所に、と疑問にも思う。
――何かが、おかしい。
おかしい所。
表情が虚ろである所。
何故か、神剣を構えてハイロゥを展開している所。
そしてそのハイロゥが、漆黒に染まっている所。
其処まで見て、事の深刻さに気が付く。
――この二人、神剣に飲まれている。
と、突然ブルースピリットの女性が剣を一振り。
それは私の鼻先をかすめ、髪を何本か持って行く。
彼女は続いて唖然とする私の目の前に剣を向けて、

「死にたく無ければ付いて来い」

と、何の抑揚も無く告げる。
そうは言われても。
逡巡していると、今度はグリーンスピリットの方が私の腹部を蹴る。
その衝撃で、呆気無く吹き飛ばされる。
そこでようやく危機感と焦燥が私を支配する。
急いで体を起こす。
続いて『消沈』を構える。
だけど、私に出来たのはここまで。
二人のスピリットの目。
暗い暗い、何の感情も感じさせない眼。
それが、私の体を縛り付けてしまった。
そんな錯覚を覚えるほどに、その目は恐ろしい。
彼女らが神剣を構える。
まずい。
私の体が、動かない。
頭が命令しても、動こうとしない。
誰かに助けを求めたくても、喉が凍り付いて虚しく呼吸を繰り返すだけ。

―――怖い。

ブルースピリットの方が足に力を込める。

―――助けて。

そして。
その彼女が突然に苦悶の表情を浮かべ、首の後ろに手を伸ばす。
更に次の瞬間。
彼が動いた。
首の後ろに在ったらしい刃物を掴み、そのまま彼女の首を半分ほど裂く。
彼女は二回ほど痙攣したかと思うと地面に倒れこむ。
そこには、あの館にいた彼は居ない。
今までに一度も見た事の無い表情をした、ルティナ=ナティヴが立っていた。
その顔には、真っ赤な返り血。
彼女の体が消えていく。
彼の顔に付いた血も金色の光となって世界に溶けていく。

「あ…ああ………」

思わず、後ろに下がる。
下がらずにはいられない。
怖い。
今まで生きてきた一ヵ月半の中で、一番怖い。
恐怖。
今、私を支配しているのは、間違い無くその感情。


と、彼が動く。
残ったグリーンスピリットの繰り出す一撃を避けて背後に回る。
続いて金属が空気を切る音。
彼はナイフを手に、彼女に神速の一突。
神速。
確かにその速さに、私はついていけなかった。
おそらく彼女もそうであっただろう。
しかし、彼女の前に盾形の黒いハイロゥが展開し、彼のナイフから彼女を守る。
続いて彼は、カウンター気味に繰り出される彼女の薙ぎ払いを軽く後ろに下がって回避。
再び彼女に斬りかかる。
彼女は槍。そしてスピリット。
彼はナイフ。そして人間。
どちらが有利か、などと考える必要も無い。
現に、彼の攻撃は彼女に傷を与えられない。
今は何とか攻撃を捌き、避けているが、何時までも続くとは思わない。
私が何かをしなければいけない。
『消沈』を構える。
構えるが―――

「―――っ!!」

私は、卑怯で、臆病だ。
足が動く。
戦いの場とは、真逆の方向へ。
逃げる。
逃げる。
逃げる。
もう、何もかもが嫌だ。






――――後書き

あれー?
一応プロットどおりに書いてるつもりなんだけどナー?
そんなこんなでこんにちわ。
離岸流です。
何か、思った以上にイタイ展開になってきているんですがどうしましょう。
ナナルゥ強姦未遂事件なんてあったかなぁ…?
物語が一人歩きしているわけじゃないんですけど、作者の私の思惑とはちょっと違う…
あ。要はやっぱり一人歩きしてるのか。
納得。

とまあ一人納得した所で消沈の理由第四話をお送りしました。
おそらく次の第5話、そしてエピローグを挟んでこの物語は終わりとなります。
此処まで読んで頂いた方にはもう少しだけお付き合い願います。


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