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あの日から、僕がナナルゥに成り代わったあの日から…殺意という物を覚えた。
その対象はありとあらゆる物へと向かって行った。
僕、父親、ナナルゥ、スピリット、人間、かつてのエトランジェ――
何度、それらを頭の中で殺しただろう。
時には首を絞め、時にはナイフで突き、時には鈍器で殴り、時には四肢を削ぎ、時には五感を潰して――
――それらを実行する事は、出来ないと気が付いた。
知識があるという事がすなわちそれを実行できるという事にはならない。
両者は決してイコールでは結ぶ事が出来ない。

だから、壊した。
フィルと呼ばれていた緑色の優しい娘を、壊した。
彼女がどんな色か、そんな事すら構わずに、ひたすら、ひたすら、ひたすら、壊した。
彼女の心のパレットに、無理矢理僕の混沌色を混ぜて、彼女も混沌色に染めてしまった。
壊すということは、実はそれほど難しいことではない。
唯、相手を拒絶し続ければいい。
相手が必死になって守ろうとしているものを――それが錯覚でも構わない、無価値だと思わせてしまえばいい。
唯、相手を嫌いだと、言い切ってしまえばいい。
相手が自分に寄せている感情を見切って――裏切ってしまえばいい。
唯、相手の立場を崩してしまえばいい。
相手が起き上がろうと、もがいている所を――完全に蹴落としてしまえばいい。

そんな今でも、僕はきっと知識と実行をイコールでは結べない。
僕は、先程スピリットを殺したというのに。
僕は、人を殺した事があるというのに。
この手は、両親の手で染まっているというのに。

――そうだ、だから僕はきっとあの家を出たんだ。
初めは、壊してしまった彼女の瞳が怖かったからだ。
でも、それはきっと所詮後付けの理由でしかなかったと、今思う。
僕は――何も殺したくなかった。
壊すことや、染めることはあっても、殺す事だけは、したくなかった。
だから、僕は家を出たんだ、と思う。
僕が、何時か本当に父親を殺さないように。
僕が、何時か壊すだけじゃ飽き足らず、フィルを殺す事が無いように。
知識と実行力が、イコールで結ばれない内に。
もう永遠に、僕の事をナナルゥとしか見れない父親の側から、僕は離れて行ったのだ。




Alternative 第五話:沈



とある小説に、拮抗した戦闘はまるで優雅なダンスのようだ、という表現があった。
そんなこと書く前に一度、やる気満々のスピリットと殺し合ってみろ、と声を大にして言いたい。
フィルの槍の一撃の軌道を予測し、回避する。
状況は最悪である。
まずフィルの事に関して。
フィルはまあ…戦士としては三流以下だ。
槍という自分の獲物を全く扱いきれてない。
突こうとすれば腕が後ろに行くから分かるし薙ごうとすれば腕が横に行くから分かる。
動作予測が実にし易い、これが今僕がまだ生きている理由。
更に槍という武器の特性を理解していない。
少し考えれば分かりそうな物だが、槍で主に凶器として見なされているのは主に先端の穂先である。
なのにフィルが選ぶ間合いは超近接距離。
これは槍の間合い等ではない。
むしろ――僕のナイフの間合いだ。
しかし―――振り回す武器を槍と見ずに、凶悪な鈍器と見てしまえば、やはりそれは危険としか取れず―
突き出してくる槍を半身ずらす事によって回避、しかる後に心臓を抉る一突き。
が、ハイロゥに阻まれる。
この突きだけでは無い。
首を狙った一閃も、目を狙った突きも、僕の攻撃は全てハイロゥによって阻まれている。
予想通りフィルは完全に対僕用の戦法を採って来ている。
これだけ近接すれば僕の動きは目で捉えられる。
ならば体が反応しなくてもハイロゥを予測箇所に展開すればそれだけでいい。
いくら僕が神剣を振り回せていたとしても、所詮は粗悪品。
技量はあってもエーテルを満足に持っていない僕と、技量は無くてもスピリットとして戦う事の出来るフィル。
――地力が足りなすぎるのだ。

更に最悪はこれだけでは終わらない。
相手の突きを避わし、そのまま勢いを殺さずに横っ飛び。
するとフィルも同様に横に飛び、近距離を保つ。
――距離を取らせてくれない。
これが何より痛い。
これの所為で息をつく事が出来ない。
地力が足りない、とは先程も説明した通り。
ここでの地力とは、腕力、強靭さ、内包するエーテルの量、そしてスタミナを指す。
僕はそれら全てが圧倒的に相手に劣っている。
最初の三つはまだいい、そんなものは技量で如何にでもなる。
だが、問題なのは最後のスタミナ。
こればかりは覆しようが無い。
現に、そろそろ息が上がり始めて来た。
フィルは、只ひたすらに僕に張り付いていればいい。
そうすれば、後は勝手に自滅するだけだ。
しかしまだここで終わってやる訳にはいかない。
賭けに出る事にする。
失敗すれば致命傷。
成功しても時間稼ぎにしかならない様な分の悪い賭けではある、が。
フィルの槍が薙ぎの予備動作を取る瞬間、フィルの心臓に向けた突きと共に駆け出す。
それを判断したのか、シールドを構える。
が、それでいい、初撃は防がれる事が前提だ。
一撃目はシールドハイロゥを貫けない。
だが、左足でフィルの右足を踏み抜くことに成功。
更にその密接状態で、空いた左手を握り、こめかみを殴打。
その衝撃でフィルは地面に倒れこむ。
それを見計らって距離を取り、呼吸を整える事に成功。

賭けは、完全に僕の勝ちだった。
息を整える事が出来た上に、打開策まで見つかった。
――僕が、生き残る術を見つけてしまった。
簡単だ。フィルはハイロゥを複数展開する事はできない。
だから、左の手を囮にして、ハイロゥを展開させてしまえばいい。
そうすれば、後は心臓を貫くなり喉を裂くなりすればいい。
臨戦体制を解かずにひたすらフィルを凝視する。

…彼女は、逃げ切る事が出来ただろうか?
ふとそんな事を思う。
曲がりなりにもスピリットである、あの方角へ全力で走っていればやがて街の方に付くだろう。
そうすれば多少の騒ぎが起こっても無事に保護される事になる。
それまでの時間を稼げば、僕の勝ちだ。
ラキオスで兵器として扱われるか、あの親父殿の元でラキオスの乗っ取りを図るか。
考えるまでも無くラキオスの方がいいだろう。
恐らくラキオスがこの大地を統一すべく行動を起こそうとしてもこの不等式は揺るがない。
時代錯誤の上に過剰なまでの野望、あの親父殿は考えるということを知らない。
――だから、こんな欠陥品に殺されるんだ。

休んだ五秒が過ぎ、更に二十秒ほど過ぎた。
フィルは何時まで経っても起き上がらない。
まさかダウンした筈は無い。
その証拠として未だに途絶える事の無い殺気。
まあ、壊してしまったからな、と僕は思う。
続いて、生きる事を止めてもいいか、と思った。
もう少しだけ時間を稼いだら、フィルに斬られてもいいだろう。
それほどの罪を犯したのだから、それもいいだろう。

「ナナルゥ…」

フィルはそう呟き、ゆっくりと立ち上がる。
――やっぱりナナルゥか。
何を期待していたのだろう、僕は。

「フィル、もう止めろ」

少し考えて、僕はこう言う。
ルティナの声ではなく、ナナルゥの口調として。

「あの親父は俺が殺した。もうお前を縛る物は無い。だから―――もう止めろ」

でも、相手―フィルはそれを聞かない。
此方に一歩、歩み寄る。

「フィル…!」

少しだけ語気を強める。
いくら僕が混沌で、フィルを染め上げてしまったとしても、それでも―だからこそ――ここでフィルに終わって欲しくない。
しかし、フィルの次の言葉に僕は言葉を失う。

「どうしてくれる…あの人は私に言ったんだ…これが―これが終われば……!! ルティナ様に会わせてくれるって!!!」

時間が、止まった。

「それを…それをお前は…! あの人が死んだら私はどうやってルティナ様に会えばいいんだ!!?」
「覚えているのか…? ルティナを…」
「分からないさ! 分からない、分からないけど!! 何処で会ったか、どんな顔なのか、そんな事も分からないけど…!
 ――でも! ルティナという名は私の中に残っていて…!! 私はその人に会いたいと思ったんだ!」

―――何故、伝わらない――

「なのに! お前は、ナナルゥは! 私の中からルティナ様という存在を薄くしていく…!
 ルティナ様は、何処なんだ!!?」

―――ルティナは、ここにいるのに―――

「フーちゃん…」

つい、あの時のように呼びかけてしまう。
しかし、フィルが返す言葉は拒絶。

「その名で私を呼ぶな!! ナナルゥ、お前にそう呼ばれる事ほど不愉快な事は無い!!」

フィルは、槍を掲げ、此方に襲い来る。
最悪が――追加された。
腕力、強靭さ、内包するエーテルの量、スタミナ、そして――
――意思の、拒否。
やはり、僕にフィルは殺せない。
迫り来る突きを、薙ぎを、殺意を、辛うじて避ける。
体力は戻ってきている筈なのに、さっきよりも体が重い。

―――背後から、彼女の気配を感じた。
何で、と思う。
何で戻ってくるんだ。
あのまま逃げ続けていれば、無事だったのに。
このまま進んできてしまうと、フィルと戦いになってしまうだろう。
それを感じてしまった僕に、隙が生まれた。
逆袈裟に放たれる槍の一閃。
それによって僕の手からナイフが飛び――折れ曲がる。
折れ曲がったナイフは宙を舞う。

真上に掲げられた槍は今度は袈裟に降りかかり、僕を穿つだろう。
だから、避けなくてはいけない。
この二人を戦わせない為にも。
なのに――足が動かない。
僕の目は只ひたすらに空中で消え逝く神剣に注がれる。

『私は……!』

神剣の声が、聞こえた。
僕の足は只その響くような声によって縫い付けられる。

『私は…永遠神剣『代替』…! ルティナ…! 私の持ち主…!!』

槍が、破壊を以て振り下ろされた。
その衝撃で、体中の骨が、筋肉が、細胞の一つ一つが、悲鳴を上げる。

「―――ルティナさんッ!!!!」

その声に後ろを振り返る。
彼女が――ナナルゥさんが、此方に駆け寄ってくる。
『代替』の、僕を呼ぶ声は続いている。
体が、地面に伏した。
何とか言葉を絞り出す。

「………大丈……夫……………聞こえ……いるよ…『代替』…」

神剣が、安堵した。
そんな気がした。
そして、ぷっつりと、『代替』の声も、気配も途絶えた。
すると、体が更に重くなった。
僅かではあったが僕を護ってくれていた神剣の加護が無くなったからだ。
ああ、もう駄目だ。
体が動かない。
身体は、仰向けになって空を眺める形になっていて、あの二人を見ようと首を動かすことさえ叶わない。

「…フー…ちゃん……ナ…ナルゥさん……本当に――ごめん…ね……」

―――僕のその呟きは、巨大な爆音によって、遮られる。




青い空を見て、自由に飛び回りたいと夢想した事の無い人間は居ないだろう。
鳥のように自由に、気ままに、あの青い蒼い空を飛び回りたいと思った事の無い人間は居ないだろう。
でも、所詮はそれまで。
幻想ではなく、本当に居たのだと分かった彼の思考はそこで止まらなかった。
空を飛びたい。
でも飛べない。
なぜ人は飛べないのに鳥は飛べるのか。
人は翼を持てば飛べるのか。
人以外でも翼を持てば飛べるのか。
そもそも翼を持てば本当に空を飛ぶ事が出来るのか。
鳥が飛ぶのに必要なものは本当は翼では無いのではないか。
ああ―――空を飛びたい、飛んでみたい。
彼は、青い空を見上げては、常々そう言っていた。

だから、僕は彼の色は空色だと思った。
高く、広い、何もかもを許容している、空の様な色だと思った。

そんな青空を見て僕は思う。
僕はあまり晴れの日は好きじゃない。
気分が良すぎるから。
気分が良いのにやっていた事は最悪な事ばかりだったから。
最初の罪は殺人。
次の罪は誘拐。
その次は強姦。
その又次は殺人。
更に何人の人を壊してきたのだろう。
僕の節目となった出来事があった日は決まって天気が良かった。

体が無くなって行く感覚が、ある。
足から、それはせり上がっている様だった。
爆炎が、段々収まっていく。
そこに立って居るのはきっと彼女だろう。
――結局、僕は彼女に何をしてやれたのだろう?
一緒に過ごして、壊しかけて、結果的に壊して、一体彼女に何をしてやれただろう?
彼女にそれを聞きたくても、もうそんな力は残って居ない。
ゆっくりと目を閉じる。
さようなら。
さようなら、ナナルゥ。
さようなら、先生。
さようなら、フーちゃん。
さようなら、『代替』。
さようなら―――ナナルゥさん。

最後に、正真正銘最後の力を振り絞って、もう一度だけ目を開ける。
目の前に映るのは、雲一つ無い忌々しいほど快晴の青空。
こんな天気であって、良かったと思う。
綺麗過ぎる空を――最後に見る事が出来たのだから。


ああ――きょうというひがはれであって、ほんとうに、よかった。

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