作者のページに戻る

 



ゆっくりと、その身体を起こす。
二、三回右手を開閉して、不自由がないかを確認する。
体は、間違い無く動く。
でも、動かそうとする度に蟷螂の斧、とでも言うべき微弱なノイズが身体に混じる。
きっと本人による抵抗なのだろう。
それでも私はこの身体を動かすことを止めはしない。
例えそれによって私が砕かれようとも、捨てられようとも、彼には生きて欲しい。
そのまま、足を二階のある部屋へと進める。
あの――赤い妖精がいる部屋へ。

――生まれてきた事が罪だというのなら…どうやって清算すれば良いのだろうか?
――生まれてしまった事に、どうして罪が在るだろうか?
――生きてしまった事に、誰がどうやって罰を与えるというのだろうか?


部屋の扉を開ければ、そこにはその妖精が居た。
ちょうど眠ろうとしていたのだろう。寝巻きに着替えてベッドに潜り込もうとしている。

「どうしたの?」

そう妖精が問うてきた。
私は答えない。
答えないまま妖精に近づき――
そのままベッドに押し倒した。
そして続く動作で服を破り捨てる。
妖精の肢体を見る。
戦闘のための兵器である以前に女の躯であるそれ。
それを見ても、己の股間は一切反応しない。
そうであろうな、と私は思う。
彼は永い間、妖精を抱き過ぎた。
幼い頃から、つい最近まで。
幼い頃の性交渉は、後の身体に大きな影響をもたらす。
彼の場合は高すぎる身長と、性欲の欠如だ。
目の前の妖精は恐怖を感じたのだろう、暴れる素振りを見せる。
だが私はそれを赦さない。
四肢を押さえ込み、力を入れる事が叶わない体勢で拘束する。
やがて、気力が尽き果てたのだろうか、やがて諦めたかのように静かに目を閉じる。

――或いは生きる事がその罪への免罪符、という答えもあるかも知れない。
――でも、その答えでは生まれた事しか赦してはくれない。
――生まれて、生きて、生きている途中の罪など、生きる事は赦してはくれない。
――最初の罪は殺人。
――次の罪は誘拐。
――その次は強姦。
――天国地獄の概念があるというのなら僕の末路は地獄行き確定だ。
――例えその行動が、異端である事に気が付かなかった時の行動でも。


女の躯は血に強い。
毎月一度はそれを見ているからだ。
それは彼の持論だし、私も確かにそう思う。
でも、それは大人の女だけだ。
妖精ではどれだけ高齢であろうと血には強くなれない。
毎月一度のそれは、新たな命を生む為の儀式の抜け殻。
『再生』によって生み出されるだけの妖精では…決して血には強くなれない。
多分、彼はそのことに気が付いてはいないだろう。
…そんな事は如何でもいい。早くこの妖精からマナを奪わなければいけない。

――僕の中の何かが壊れている今、僕はふとあの時の事を思い返す。
――あの、何かが壊れた瞬間を。
――僕はある日、ナナルゥによって外に連れ出された。
――父に殴られるのが怖くて、懸命に抵抗した。
――でも、逆らう事は出来なかった。
――僕の力は、彼よりも遥かに上回っている筈なのに。

――「なあルティナ、こんな薄暗い所に居ないでさ、明るい外に出ようぜ」

――その一言で、あっさりと僕は負けてしまった。
――おっかなびっくり外へ出て――
――外を見た。
――僕位の年齢の子供が、実に楽しそうに遊んでいた。
――その時、自分の異常さを思い知った。
――ナナルゥの言っている事が初めて分かった。
――僕の中の、何かが、音も無く崩れ去った。
――その後直に父に連れ戻され、ナナルゥのいない所で殴られた。
――狙われる場所は、体。
――他人の目に付く場所は一切殴らないから徹底している。
――以来、僕は父を信じる事が出来なくなった。
――でも、表面上はそれを隠していた。
――それがばれたら、又殴られる。
――それが只、ひたすら怖かった。


体が――動かない。
それが示す事はただ一つ。
彼の、抵抗。
引きちぎれる鎖では、ある。
壊す事が容易な枷では、ある。
彼は意思の力は強くてもマナの構成体としては妖精達には遥かに及ばない。
当然私――神剣にもだ。
なのに、その鎖を、外す事が出来ない。
だって……彼が私に呼びかけているから。

ねえ…僕の神剣…名も知らない、僕の神剣…
僕は君の事…そんなに嫌いじゃないんだよ…?
だから、だからさ…


「嫌いたくないから、もう…止めて欲しい」

彼の想いが口から出てきた瞬間、もう私には彼を縛る事が出来なくなってしまった。
例えそれによって私が砕かれようとも、捨てられようとも――
そう決意した、筈なのに。
体中から力が抜けていく。
妖精はその機を逃さず全力で彼の身体を弾き飛ばす。

彼は、しばらくの間妖精を見ていた。
やがて、のそりと起き上がり、タンスの中から替えの服を出して来て、彼女に投げて、

「―――ごめん」

と、謝って部屋から出て行った。
私の代わりに、謝ってくれた。

例えそれによって私が砕かれようとも、捨てられようとも――
そう決意していた、筈なのに。
――ルティナに、嫌われたく、なかった。
自分がひどく滑稽な神剣であると、思った。




Alternative 第四話:別




そんな、僕の神剣が起こしたと思われる騒動から一週間が過ぎ――

「何やってるの?」

その日の朝は、彼女のそんな一言から始まった。

「…昨日、使いの人間が帰ってきてね、君を街に送り届ける」

出来るだけ淡々とした口調で、嘘を吐く。
事実としては、先生との約束の一ヶ月がもう迫っている。
先生が一ヶ月と約束してくれた以上、八方手を尽くしてその期間を守りぬいてくれるだろう。
だから、今の内にここを出て、ラキオスへと向かうことにした。

「だから、朝食を食べたら出発する。欲しい物はあげるから荷造りしてきな」

彼女は小走りで二階に駆け上がって行く。
やはり…もう此処には居たくは無いのだろう。
何せ、あんな事をしてしまった後なのだから、当然だろう。
彼女が戻ってきた。
日記、幾つかの本、それとナナルゥの古着。
隣に置いておいたカバンを投げてやる。

「ん。じゃあそのカバンの中に入れておいて」

彼女はそれに従い、黙々と荷物を詰めていく。
――終わったようだ。

「じゃ、食べようか」

味気の無い野菜と、味気の無いパンをただひたすらに消化して行く。
タイミングがただひたすらに悪い、と思う。
あの父親が来なければ、或いは僕が彼女を襲ってしまわなければ、もしかしたら今この瞬間は変わっていたかも知れない。
…叶わぬ幻想だ、と思う。
彼女に話しかけるのは、最早それだけで勇気のいる物になってしまった。
その勇気を、振り絞る。

「…そこのバター取ってくれる?」
「…はい」

バターが、手渡された。
再び沈黙が降りる。
バターをパンに塗り、再び齧る。

「僕も付いて行くから」

何でこうも事務的な会話ばかりスムーズに出来るのだろう。

「何故?」
「君一人で行けるのかい? 行けるのなら別に構わないけど」

その一言は、余計過ぎた強がりだと思う。
やっぱり、人間とスピリットでは、家族にはなれないのだろうか。


最後にもう一度だけ、と言うので、彼女に館を回らせている。
多分、僕にとってもこの館に来るのは最後になるだろう。
そう思うと、哀しい気がしなくも、ない。
彼女が戻ってきた。

「じゃあ、行こうか」

そう言い、歩き出す。
彼女が背後で館に向かって一礼しているのが、分かる。
僕も彼女に習って、心の中で一礼。




移動は意外なくらいあっさりと進んだ。
此方としては常に周囲の気配を探りながら進んでいるから非常に疲れる行軍ではあった。
しかし元父親である所のあの男が現れない。
結構拍子抜けである。
もしかしたら最後の脅しが効いたのかも知れない。
正直、そうあって欲しい。


川で、水を汲む。
済んだら彼女の所へ戻って昼食を取る。
それが終わったら後は街まで後少しである。
考える事は彼女の事。
どうも、僕は彼女との接し方を間違えていたらしい。
そう思ったきっかけは、つい先日の夜中だった。

その時、僕は眠っている彼女を横目に彼女の日記を開いていた。
よくない事であるのは分かる。
でも、あんな事をしてしまった僕を彼女がどう思っているのか、気になった。
あの館での生活をどう感じていたのか、知りたくなった。
後ろの―最新のページから開いていく。
やや癖字になっている項目。
其処からパラパラと前の方へと戻して行く。
初めのページに近づくにつれて、文字に硬さが混じり、段々とどこかで写した様な綺麗な文字に代わって行く。
これも成長の証なのだろう、と僕は思う。
外からの情報を写し取るしかなかった者が、様々な知識を得て自分の意味を持つ。
そして日記の最新の項、彼女が最後にペンを走らせた所に書いてあったのはたった一言。

ルティナさんは、優しい。

そんな、一言だけ。
一体何をどう考えれば僕を優しい人間だととれるのだろう。
あれだけの酷い事を言って、あんなに酷い事をして――
それでも、彼女は僕の事を優しいと言ってくれている。
その真意は、何なのだろう。
優しい、か
―――そう言えば、聞こえは良いのだが。

「――其処で何やってるの?」

びくり、と停止する気配があった。
立ち上がり、其方を向く。
其処に立っていたのは、かつての父親。
その両手には、斧が握られている。
ああ、確かにあれで頭を割られてしまえば僕も即死だろう。
だからこそ、この瞬間なのだろう。
最後に休むポイントを読み、水を汲もうとする時に向かう集中の先を利用する。
でも、僕が簡単にそんな事を赦すはずがない。
僕がそれに気がついてしまった以上、それを為す事は出来ないだろう。
周りにスピリットの気配は――無い。
多分彼女の所だろう。

「ナナルゥよ…もう一度、言う。スピリットを、寄越せ」
「なら僕ももう一度言おう。失せろ。今ならまだ、老人の戯言で済ませてやる」

次に同じ目的で来たら…分かるよな?
そう言った。そして、もう一度この男は現れた。
そんな今でも――僕はどうすればいいか分からない。
殺せはするだろう。でも、そんな事をしてしまえば僕は両親殺しだ。

「ナナルゥ…! 今が機だと言う事が、本当に分からないのか!? ラキオスにスピリットが一人しかいないこの状況!
 今なら…ラキオスを牛耳る事が可能なのだぞ!?」

そう、それがこの妄信家の思想。
ラキオスの乗っ取り。
でも、考えるまでもない。そんな物は、頓挫するに決まっている。

「あのな…一人しかいないってのは本隊の話だろうが…周りにはまだ訓練中のスピリットが沢山いるぞ」
「そんなものは無視してしまえばいい! 一挙に城を制圧してしまえばこちらの勝ちだ!!」

世界が動いているのではない、太陽が動いているのだ。
そんなくだらない理論に納得していたのは、いつの時代か。
世界は陽を中心に動いている。
それは、絶対不変の事象。あがこうが、もがこうが、変えようのない摂理。
なのに――まだ太陽が動いていると信じきっている馬鹿がいる。
過去の威厳に囚われ、妄執を突き進む。
それを止めてやる術を―僕は知らない。

「哀れだ…哀れだよライゼン=ナティヴ。アンタは決して馬鹿ではなかった。
 もっと外を見れば良かった。もっと無欲であれば良かった。もっと――他を認めてやれば良かった」
「黙れ!! 俺はかつての英雄の子孫―! 因果の主ラスガリオンの子孫だ!
 もういい、ナナルゥ! 貴様は俺が殺す!! ――だから大人しく殺されろ!!!!!!」

その蚊ほどにしか通っていない血の所為で、この男はここまでの野心を持ってしまった。
エトランジェ――その力はやはり、魔性でしか無いのだろうか。
斧を振り上げ、一直線にこちらに走ってくる。
血走った目。
普通の人間から見ればかなりの早さも、僕から見れば遅すぎる。
振り下ろされる凶刃がどれだけの破壊を秘めていても、当たらなければそれは意味を成さない。
半歩、体をずらす。
それだけで破壊は意味を成さなくなり、動きの障害にしかならなくなる。
後ろに移っていた重心を前に移し、その勢いを殺さぬまま斧の腹を殴る。
その衝撃で斧は吹き飛び、目の前の男の腕は嫌な方向に曲がる。

「え……?」

信じられないようだ。
僕はナイフを抜き、一歩歩み寄る。
終わらせてやりたい。血の魔力に取り付かれた狂気を。
その方法を、僕は一つしか知らない。

「ま、まて…ナナルゥ! 今まで育ててやった恩を忘れたか!!?」

それは、この間のやり取りで返した。

「お、親の命令が聞けぬのか! 俺はお前の父でお前は俺の子なのだぞ!! 何故、俺に逆らう!!?」

又これはおかしい事を言う。
親としての勤めを果たさない人間が、息子に子供で在れと囀る。

「止めろ、止めろ!! 今ならまだ、ナナルゥ、お前を使う所があるんだ!! だから――」
「僕は――ルティナなんだけどねぇ」

彼は一瞬ぽかんと呆けたような顔をする。
構わず首を裂いた。
多分、即死だろう。
返り血は、付かない。
そんな物が付くほど、僕の剣閃は遅くない。
死体を一瞥、そして僕は走り出す。
ぐんぐんと、ぐんぐんと速度を上げていく。
僕は優しくない。
優しいはずが、ない。
そんな人間は、自らの色を混沌だ、等とは言わない。
そんな人間は、自らの母親を殺して、双子の兄を誘拐しない。
そんな人間は、父親に命じられるままにスピリットを壊したりしない。
そんな人間は、自らを慕ってくれるスピリットに暴言など吐かない。
そんな人間は、自らを慕ってくれるスピリットに嘘など吐かない。
そんな人間は、勘当されようと、何であろうとも、絶対に父親の乱心を止める。
間違っても―――殺しはしない。




見えた。
ブルースピリットと、グリーンスピリット。
グリーンスピリットの方の名前はフィル。
僕が――壊してしまったスピリット。
ブルースピリットの方は分からない。
恐らく僕がいない半年の間に確保して、フィルや他の人間に命じて壊させたのだろう。
あれは、決して自分の手を汚そうとしない。

そのブルースピリットが足に力を込め、彼女に襲いかかろうとする。
咄嗟に神剣を投げた。
走る足は緩めない。
神剣は狙い過たず、ブルースピリットの首に刺さる。
首に刺さったナイフを掴み、そのまま一気に首を半周させる。
今度は、返り血がついた。
構わない。どうせ直に消える。
彼女を見た。
彼女は、震えていた。

「あ…ああ………」

――もう、あの場所には帰れないと思った。
優しい人間は、スピリットを殺しはしない。
突如、フィルが背後から槍による一撃を放って来た。
それを避け、最少の動きで逆に背後を取り、背中を穿つ一撃。
相手は動きに付いては来れなかった。
でも、ハイロゥが展開、僕のナイフを阻む。
直後、相手の右足が後ろに下がる。
それを察知して、僕は後ろへ跳ぶ。
一瞬遅れて身体を捻った薙ぎ払いがやって来た。
回避成功。
ナイフを掲げ、斬り付け、相手の攻撃をかわし、戦いの場を上手く誘導する。
目的は、彼女の逃げ道を一つに限定する事。
そう、僕達が向かっていたあの街の方角へと。

「―――っ!!」

彼女が走り出す。
僕の目論見どおり、街の方角へ。
さて、後は適当に時間を稼いでから逃げ出せば良い。
―――出来ればの、話だが。


作者のページに戻る