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「何で―――」
その声が、初めて聞いた彼の声だった。
「何で、俺が、目の前にいるんだ…?」
彼の言っている事が分からなかった。
あの頃、鏡すら見た事の無かった僕には彼の言っている事が全くもって分からなかった。
血に塗れたナイフ。
朱に染まった一室。
茜を纏い、最早動くことの無い――肉塊。
「何で―――母さんが死んでるんだ!?」
彼の言っている事が分からなかった。
でも、彼が怯えているのは分かった。
でも、彼を傷つけてしまったのは分かった。
それは、僕にとっての――最初の罪。
その行動は異端だ、と彼―ナナルゥはかつて僕に言った。
初めは彼の言っている意味が良く分からなかった。
それでも、心配してくれている様で嬉しかった。
何度も、何度も彼と話した。
その内に、僕はナナルゥを拒絶し始めた。
彼は、僕の中の何かをを壊すから。
それが壊れると一体どうなってしまうのか、想像もつかなかった。
だからこそ、僕は懸命に彼を拒絶した。
分からない事は、怖い。
僕の中の何かが壊れてしまった瞬間、僕はきっと僕でなくなる。
そんな、気がした。
本を読む彼女の手が、何時までも動かない。
それに気がついた僕が彼女の方を見てみれば、彼女はただひたすら同じページを凝視している。
本のタイトルを盗み見て、大体のページの目算をして――
――日記が羨ましいのだろう。
そう、結論付けた。
だから、こっそりと部屋を抜け出して、ナナルゥの部屋――今は彼女が使っている部屋へと向かった。
部屋に入って、中を探し回る。
しばらく探した後、ふと目に入った机の引き出しを開けてみると、そこに入っていた。
小さな、でも分厚い手帳。
かつてナナルゥが嬉しそうにこれを見せて、日記を付けている、と騒いでいたのをふと思い出す。
彼女もナナルゥだ、渡してしまっても問題ないだろう。
そして、何の気無しに手帳を開いて――
文字が書いてあった。
訝しげにその文字の羅列を見る。
次の瞬間、きっと僕の表情は凍りついていただろう。
其処に描かれている文字は、やや右肩上がりな文字の羅列。
書いてある内容は、かつて、ナナルゥが疑問に思い、実行して来た数々の事。
これは―ナナルゥの日記だ。
つまり、ナナルゥは、実際にいた。
――いや待て、やっぱり妄想なのではないか?
この文章は僕がナナルゥになりきって書いたもので、それだと僕の思考の異常性が証明される事になる。
いや、でも待て。
確か僕はあの部屋に入った事は無かった筈だ。
入ればあの父親に殴られるから。
だから決して入る事は無かった筈だ。
なのに、何故あの手帳はあの部屋にあった?
それにもう一つ。
これは勝手な憶測でしかないが、僕自身がかつてあの部屋に日記をしまったのならば、その場所を覚えていて然る筈だ。
なのに、僕はあの手帳を探し回った。
つまり――
やっぱり、僕の兄は――ナナルゥは―存在したのだ。
Alternative 第3話:替
夢を見た。
ああ、夢だな、と確信できる夢だった。
だって、僕の目線に映るのは、ナナルゥと――僕自身。
ナナルゥと話している僕を遠巻きに眺めながら、この夢の結末を思い出し、うんざりする。
こればかりは、未だに自分の中での結論を出せていないのだから。
「なあ、ルティナ」
「何でしょうか? ナナルゥ様」
「……だからさ、他に誰もいない時は普通に喋ってくれよ」
無茶を言う、と僕は思う。
あの頃の僕は、父親の言葉に従わないといけなかったのだ。
即ち、「貴様の兄は貴様とは違う存在なのだ。様を付け、心の底から忠実に従え」
今思うと馬鹿馬鹿しくて堪らないが、あの時の僕はそうではなかった。
例えば、周りが深い深い海だったとしよう。
そして、自身が唯一立つことのできる陸が一つだけあったとする。
その他に陸は無く、海に足を踏み入れればそれこそ何が起こるか分からない。
たった一つの場所、自分が存在してもいい場所。
あの頃の僕にとっては、それこそが父親だった。
「なぁ、頼むって。せめて様は止めてくれ」
そう言われ続け、ついにルティナは折れる。
「で、では……ナナルゥさ…ん」
うっかり「ナナルゥ様」と呼びそうになったがそれを無理矢理押し留めて、「さん」付け。
その様子を見て、ナナルゥは笑う。
「ははは。まあいいか」
其処で周囲をきょろきょろと見回す。
が、今度はルティナが口を開く。
「大丈夫ですよ、周囲に人気はありません」
その言葉にナナルゥは安心したように一息。
「そっか、ならいいや」
「ところでナナルゥ…さん、今日は何故こんな所まで?」
こんな所、とは館の裏に広がる森の深い場所である。
僕自身は何度か山菜を取りにこの辺りまで来た事はあるが、完璧に中を把握している訳ではない。
だから、余り奥の方まで来たくは無かった。
「ああ、実は…大事な話があるんだ」
大事な話。
それが普段の「空を飛ぶ道具を作った」だの「水の上を歩ける方法を思いついた」とかの類ではないのは分かった。
一体なんだと言うのだろう。
段々と僕の視点が、ルティナを映さなくなって行く。
つまりそれは、あの頃のルティナの視点で、これからを見なければいけないという事。
この後の、意味不明で理不尽な出来事を。
「…大事な話とは?」
「ああ、今日はさ、俺達の誕生日だよな」
それは件の「大事な話」ではない。
それくらいは分かっていた。
「…ええ、確かそうでしたね」
「うん、これで今日から俺達は18、だ」
ナナルゥは、一拍の間を置いてこう言った。
「あのさ、ルティナ。これから…俺を手伝ってくれないか?」
「手伝う…とは?」
「俺は…今日、この家を捨てる。それについて来て欲しい」
「え…!?」
反応に困る。
今の僕なら迷わず頷く所。
でも、あの時の僕は――
「それは…出来ません」
「ルティナ、お前も分かるだろ? あの親父はお前を力で縛ってるだけだ。それから開放されたくないのか?」
それは、甘すぎる誘惑だった。
でも、僕はそれを考えたくなかった。
だから、話題を逸らす。
「どうして…家を捨てようなどと…?」
ナナルゥは笑った。
僕が最後に見た、笑顔だった。
「あのな、この前俺は分かったんだ。この世界は―――」
空気にノイズが混じる。
それを感じると同時にナナルゥを突き飛ばしていた。
直後、剣閃が僕の髪を飛ばす。
それに構わず立ち上がり、ナイフを構え、相手に向かい合う。
「あはははは!! 物語はまだ始まってすらいないんだよ!?
まだ誰も彼も気が付いちゃいけないんだよ!? 分かってる? 分かったら邪魔だから死んで!!」
スピリットだった――と、思う。
答えに確信を持てないのは、その存在感は今まで知っていたどのスピリットよりもあったからだ。
正直、勝負にならないと思った。
でも、やらなければいけない。
ナナルゥを、逃がさなければいけない。
「ナナルゥ様、急いで逃げて下さい。ここは僕が食い止めます」
「お、おい、ルティナ!!」
構わず駆け出す。
勝負は見えている。
どんなに希望的観測でも十割負け。
だからやるべき事は一つ。
一秒でも長く、時間を稼ぐ事だ。
相手は此方を見る。
その瞳は実に楽しそうな色を映している。
負けてはいけない、そう思う。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉおおおお!!!!!!!!!!」
体中から息を吐き出し、ナイフを一閃。
相手は動かない。
が、その身体に傷一つ付ける事は出来ない。
「ふーん…弱いね、君。物語をぶち壊す可能性の守り手としては三流以下だね」
左の拳が飛んできた。
とっさに右腕で防御。
薄い紙で、金属性の物体の衝突を防げるか。
そんな感じだった。
あっさりと腕は折れ、だいぶ離れた木に叩きつけられる。
体中の酸素が逃げていく、起き上がれない。
「弱い、弱い、弱い!! そんなちっぽけな力じゃ食べる気も失せるわ! どんなに立派な神剣持ってても、そんな半端なエーテルじゃあねぇ…
ねえ―――其処の『ナナルゥ様』!! 君もそう思わない!?」
見れば、ナナルゥは、動いてすらいない。
「ナ…ナルゥ、様…」
聞こえていたのだろうか? 今となっては分からない。
逃げる気があったのだろうか? 今となっては分からない。
でも、今にして思えば逃げる気は無かった気がする。
ナナルゥは、自らスピリットの方へと歩み寄り、何か囁いた。
相手は、しばらく宙を見上げていたが、
「肝座ってる仔だねぇ…何だかとっても食べたくなって来ちゃったなぁ
…オッケー、後でテム様に何言われるか分からないけどいいよ、連れてってあげる」
そう言い、ナナルゥを引き連れて何処かへと歩み去っていく。
それを止めたいけれど、僕はダメージで動く事が出来ない。
最後に、ナナルゥは叫ぶ。
「ルティナ!! 俺、もうお前とは会えない! 今までありがとうな!!」
そして、
「不甲斐無い兄貴で、本当、すまなかったな!!!」
「だってよ。ルティナ君、私に殺されなくて、良かったわね〜。『ナナルゥ様』に感謝しなさいよ〜」
その言葉を最後に、僕の意識は闇に沈んでいった。
―――ねえ、ナナルゥ。
―――どうして、いなくなったのさ?
―――本当に、何処に行ったのさ?
―――貴方のいる所に僕は、行ってはいけないのかい?
闇の中で、煙が発生した。
そのまま、煙に包まれる。
――煙?
しかも七色の煙である。
可笑しい。
どうしたらこんな煙が起きるのだろうか?
意識が引き揚げられていくのが分かる。
僕は、内心の焦燥を抑え、ゆっくりと目を開く。
目を開いても、まだ七色の煙は消えない。
その事に、まず驚愕。
「…っつ!!?」
思わず跳ね起きる。
周囲を見渡し、煙の原因を探す。
右、食堂の辺り。
其処には赤い長髪の女の子が立っていて――
「ルティナさん、おはよう」
「あ、ああ…? おはよう」
「もうすぐ朝ご飯できるから顔洗ってきて」
「ん…? う、うん。分かった」
のろのろと身体を起こし、洗面台に行く。
如何もまだ夢の中にいるらしい。
顔でも洗えば本当に目が覚めるかな、と思い、そのまま顔を洗う。
大量の水で顔を洗い、タオルで顔を拭き、今日はいい天気だなぁ、と差し込む朝日に目を細めて―――
「って! そうじゃない!!」
これが現実である事に気がついた。
バケツの中に水を汲み、食堂に突入。
出火元に思いきり水をぶちまける。
荒い息を繰り返した後、火元にいた彼女を問い詰める。
「ナナルゥさん!? 何やってるの!!?」
「料理」
「料理」、じゃねえよ。何そんなに憮然とした顔してるんだよ。
「何であれが料理として成立するんだよ!?」
一息。
「何でフライパンから七色の煙が出てるんだよ!!!?」
――何でそんな意外そうな顔でこっち見てるんだよ。
もう、ため息しか出ない。
朝の後片付けが終わって、簡単な昼食を食べて、のんびりするこの時間。
だが、どうやら今日はのんびり出来なそうである。
本に没頭している彼女の邪魔にならない様にそっと立ち上がり、玄関へと向かう。
相手が扉を開ける前に、此方から扉を開けた。
其処にいたのは、かつての僕の父親。
「…久しぶりだな、ナナルゥ」
「…どうも」
負けてはいけない、そう思う。
「で、一年前に勘当した元息子相手に、貴方は何のご用事で?」
「スピリットを、寄越せ」
予想通り。
でもとぼけてみる。
「スピリット? 何の事ですか? 貴方の元には既にスピリットがいるじゃないですか」
「とぼけるな、近隣の者どもから聞いている。貴様がスピリットを飼っている事はな」
飼う、か。
動物は、自身の存在以上の生物を屈服させる事など、出来はしないのだがね。
「今いるのだろう? 直に連れて来い」
相も変わらず命令口調。
自分の命令を聞かない人間等誰一人いないと信じきっている瞳の中の妄信。
妙に勘違いした英雄気質。
なんというか、敬語を使うのが億劫になって来た。
「なんで?」
「なんで? だと? 貴様、口の聞き方を忘れたか!?」
大丈夫だ、ナナルゥの様に振舞え。
彼なら、絶対に仕損じない。
「忘れたねぇ。言っとくけど最早アンタは俺を縛ることは出来ない、俺の体の事、知らない訳じゃないだろ?」
「…エーテル混じりの体…だが、所詮貴様は出来損ないなのだぞ! 分かっているのか!?」
「ご名答、まだボケてはいないみたいだね。――いや、でもやっぱりボケてるのかな?
出来損ないとはいえ、普通の人間に比べれば遥かに強いんだから」
一歩、歩み寄る。
相手は、それにあわせて後ろへ下がる。
「ふ…ふん。だが俺にはまだスピリットがいる。それを忘れるな!」
「でも、連れて来てはいないみたいだねぇ」
相手は己の優位を確信してここに来た。
しかし、現在優位に立っているのは僕の方だ。
相手にしてみれば飼い犬だと思っていた存在が急に牙を剥いているのだから。
その優位が揺るがない内に起こせる事は起こしておいた方がいい。
手っ取り早く済ますというのなら、彼を殺してしまえばいい。
簡単だ。恐らくは二秒もいらない。
「と、とにかくだ!! おとなしくスピリットを差し出せ!」
「ふざけるな。いいから消えろ」
殺意を軽く当ててやる。
それによって相手は完全に逃げ腰になる。
「…そ…そもそも貴様はスピリットを飼ってどうしようというのだ!?」
「そうだね…この後ラキオスにでも送るさ」
こんな下衆に渡す位なら、ラキオスに行った方がいいに決まっている。
「ふざけるな!! 今はチャンスなのだぞ!? ラキオスにはスピリットが一人しかいないのだぞ! これを逃す手があるか!?」
本当に殺してしまうべきか。今なら決して不可能ではない。
が、それは出来なくなってしまった。
――彼女が見ている。
だから、それは出来ない。
あの元父親は気が付かないのか、口から唾を飛ばしながらの大激論を展開する。
それを無視して言い放つ。
「今更戻ってきて、彼女を差し出せだ? ふざけるのも大概にしろよな」
「ふん、出来損ないが偉そうな口を利くのだな! 貴様に拒否権はないのだ、従って貰うぞ!!」
「あーやだやだ、人権無視の大暴論。これじゃあ理知的な会話は不可能かね」
「…貴様…! 調子に乗るな…!」
相手を流しつつ、意識は後方の物陰に行く。
其処で彼女はこの会話を聞いている。
「ラキオスに送る? 一体何を考えているのだ貴様は!」
「俺としちゃあアンタこそ何を考えているのだ、だよ」
「分かっているんだろう? だったらその問いは無意味になるぞ」
「そうだな。じゃあ俺の迷惑の掛からない所で勝手にやってくれ、以上」
「…ふん、本当にお前は変わってしまったな。かつてのお前は何処に行った?」
かつてのお前、か。
それは、どちらを指して言っているのだろうか?
それにしても、相手は煩い。
ナイフを抜刀。
そのまま相手の喉元につき付けてやる。
ぴたりと声が止まる。
「俺は代替品。誰かの代わりにしかなれない存在だ。そんな事を気にする必要は無い」
「……ふん。随分とスピリットに肩入れするのだな」
「悪い見本はいくらでも知ってるつもりさ」
例えば、自分の手を汚さない為に息子に殺人技術を仕込んだりする人間とか。
「っつ…! この、妖精趣味が…!」
例えば、スピリットを駒にする為に壊したいけれど、世間の目が怖いから自分の息子に代わりに壊させる人間とか。
仕込んだのはアンタだろ、と思う。
「ふふん。褒め言葉として受け取って置くよ」
彼女がこの場から去って行く気配を感じる。
「妖精趣味」という単語に反応したのだろう。その時だけびくりとした気配があった。
―妖精趣味なんて言葉、何処で覚えたのだろうか?
それが気になる。
「もういいだろう、さっさと消えろ」
ナイフをしまってやる。
深い意味は無い。
ただ男二人が近距離で見つめ合う状況に嫌気がさしただけだ。
今も殺気は放ち続けている。
「まあ、なんだかんだ言って衣食住の世話になった事は事実だ、今回は見逃してやる。
もう一度言う、消えろ。次に同じ目的で来たら…分かるよな?」
二の句が継げない男を玄関から追い出し、扉を閉め、鍵をかける。
正直、これで終わってくれるとは思わない。
もしかしたら出発を早めた方がいいだろうか?
そして、それよりも先にまず、彼女と話さなければいけない。
先の大事より、今の小事。
……小事で済めば良いのだが。
食堂に戻ってみれば、其処に彼女はいた。
椅子に座り、目を閉じ、耳を閉じているその光景は、何かを隔絶しようともがいている様にも見えた。
「……ナナルゥさん?」
彼女が、顔を上げる。
その顔には不審の念が感じられる。
それでも僕はとぼけてみる。
「どうしたの? 何か様子がおかしいよ?」
長い間が、あった。
「…別に、何にも」
「…ふーん」
沈黙が、降りる。
一人でいる静かな時間は好きだが、ここにいる人物は二人。
多人数でただ黙っているだけの時間等、気まずいだけだ。
話を切り出すのに、かなりの勇気を要した。
「――で、何処まで聞いてたの?」
テーブルを凝視していた彼女が、顔を上げた。
「何で分かったのだ」とでも聞きたげな顔だ。
「僕とあの男の会話、聞いてたんでしょ?」
「………うん」
そこで、再び会話が途絶える。
しばらくの間の後、今度は彼女が口を開いた。
「ねえ」
「ん? 何?」
「代替って、どういう事?」
一瞬、絶句。
「ねえ、教えてよ。分からない事があったら何でも聞いてって言ったのはルティナさんだよ」
「…聞いての通りさ。何かの変わりの事」
「そんな事が聞きたいわけじゃない。分かっているんでしょ?」
「……まいったね。もっと別の事聞いてくるかと思ったよ」
「それは――」
恐らくは本題の前の緩衝剤としての役割を期待していたのだろう。
でも残念、この話題、大分核心をついている。
…仕方がない、話さなければいけないだろう。
彼女はナナルゥで、その名前がかつての僕の兄の名である限り、これは避けては通れなかったのだろう。
そう、思う事にする。
「あのね、僕の行動は、ぜ〜んぶ兄さんの行動をトレースしているだけなの」
「え………?」
「僕にはさ、双子の兄が居たんだ」
「知らなかった」
「そりゃあ言ったこと無いからね。でまあどっちか片方が目立って優秀だともう片方の影は必然的に薄くなるわけで、僕らもその例に漏れなかった」
「……………」
懐かしい、話だ。
「それで彼の行動を僕は真似ている」
「……何で?」
「簡単な話。彼は天才だったんだ。
彼は何でも出来た。運動、勉強、何もかも。
顔立ちも整っていたし、万人に好かれる性格だった。
おまけに人の心を掴む何かがあった。彼の周りには常に人がいたな」
本当は、彼の色を再現しているだけだ、とは言わない。
僕の中の混沌を隠す為だ、とは、言わない。
「勿論、僕も彼が好きだったし、憧れていたさ。
で、僕らが18歳になった時。
彼は、消えてしまった」
其処で一呼吸置く。
彼女の方は見ない。
「原因は、良く分かっていない。
事件かもしれないし、失踪かもしれない。
僕がそれを知ったのは、家に戻った時の両親の言葉が、僕を迎えたものじゃなかった事からなんだ」
何で、僕は嘘を吐いているのだろう。
原因等、分かっているだろう。
要するに僕が無力だったから。
僕の混沌にナナルゥは触れてしまったから。
だから、居なくなってしまったのだ。
そんな分かりきった事を、どうして誤魔化すのだろう。
「…それで?」
「後は簡単。帰って来た僕を迎えた言葉は、兄さんを迎えた言葉だった。僕の話は、これでお終い」
そう言って、逃げるように踵を返す。
もう話すことなど無い、そんな拒絶を表す。
「ルティナさん……」
が、彼女の方はそんな事構いはしないようだ。
内心の動揺を押さえ込みつつ、僕は彼女に問う。
「ん? 何?」
「そんな、自分が要らない人間みたいな言い方しないでよ」
『そんな、自分が要らない人間みたいな言い方するなよ』
あの時の、再現だった。
「…実際にその通りだからそう言っているだけだよ。僕は居ても居なくても同じような人間だったからね。事実は事実として受け止めないと」
『…本当の話ですよ。僕がいなくても、父様には貴方がいます。貴方がいる今――きっと僕は不要な人間ですよ』
あの時の、ナナルゥが僕の価値観を壊そうとしてくれていたあの時のリフレイン。
「あまりにも可哀想じゃないか! そんな考え!!」
『そんな考え方、可哀想過ぎるだろ!?』
落ち着け。冷静になれ。
「要らない人間って何なの? その基準は? その理由は? 誰が決めて、誰が従うの!? そんな哀しい事言わないでよ!」
『なあ、要らない人間って何だよ? その基準とか、定める理由とか、そんなの誰が決めて、誰が従うんだよ!?』
彼女は、あの兄ではないんだ。
ただ、彼女の色に則って動いているだけだ。
「……簡単だよ。何もかもが他人によって決まる。そして、少者は弱者。民主主義ってのは酷だね」
『…簡単ですよ。僕の価値を定める人間は、父様です。それに従うしかないんです』
「そんな事で自分を納得させて!! 少しでも可笑しいと感じなかったんですか!? 少しでも寂しいと思わなかったんですか!?
ねえ! 教えてくださいよ、ルティナさん!!」
『何納得してるんだよ! それが可笑しいと感じた事は無かったのか!? 少しでも寂しいと思った事は無かったのか!!?
なあ、ルティナ、答えてくれよ!!』
ナナルゥが、其処にいる。
何故あの時助けなかったのかと僕を責めている。
それをただの、幻想だと思いたかった。
兄の存在を、妄想だと思いたかった。
そうすれば、全ては夢で済ませられた。
全て――夢で済ませていたかった。
「―――五月蝿いッ!!!」
『―――五月蠅いッ!!!』
でも、そんな事は出来る筈は無く、兄は過去に実際に存在していて。
今ここにはナナルゥという名の少女がいて。
僕の名前はルティナで。
誰もがナナルゥと呼び出した僕自身。
あの時、僕はどう思っていたのだったろうか?
色々な想いが頭の中を駆けずり回って、まともな思考を為す事が出来ない。
あの時は逃げていた。
でも、今はただひたすらに噛み付いた。
「貴女に、貴女に何が分かる!!? あの時、家族の記憶から消えた少年は何処に行けば良い!?
彼の替わりにならないと生きていけなかった少年はどうすればいい!? ねえ! 知っているなら教えてくださいよ、ナナルゥさん!!」
「簡単でしょ!? 『自分はここにいるよ』って言ってあげれば良かったんだよ! 忘れられたらもう一度思い出してもらえば良い!」
何で、貴女はそんなにあっさりと答えを出せるんだ。
何で、ナナルゥはあんなにも自信に満ちた答えを出せるんだ。
「知った風な口を聞くな!! 何も知らないくせに! 貴女に何が分かるんだ!?
誰よりも近くにいた羨望の存在に成り代われた時の歓喜! それに気付いた自分への侮蔑! そんな感情、貴女に分かるわけが無い!」
「じゃあ、私はどうすれば良いの!? 戦争の道具でしかなくて、人間の奴隷で、なのに道具になりきれない私はどうすれば良いの!?」
『貴方が不幸なら、私は何!? 貴方に犯された、戦争の道具にしか成り得ない筈なのに、そんな事すら出来無い私は如何すれば良いの!!?』
沈黙。
ナナルゥの姿が、途端に消え去り、目の前のスピリットが別の人物へと成り変わっていく。
頭の中の温度が急速に下がっていく。
廃熱先は腹の腑の中。
「――言ったよね」
暴力的な何かが、僕を動かしていく。
その何かの原動力は――
目の前にいる彼女を、ただひたすら――
「僕の行動は、全て兄の行動のコピーだって」
ひたすらにひたすらに―――
「じゃあ、あの時何で僕は君を拾ったと思う?」
ひたすらにひたすらにひたすらにひたすらに――――
「答えは簡単。僕は君を初めて見て、『兄ならきっとこうするだろう』、そう思って君を拾った。何を意味するか分かる?」
ひたすらにひたすらにひたすらにひたすらにひたすらにひたすらに―――――
――壊して、やりたいと。そう思う事。
それも、それすらも――かつての繰り返し。
混沌色に混ぜてはいけない、そんな事知ったことか。
此方に足を突っ込んできたのはそっちなのだ。
なのに何故此方がそれを避けなければいけない。
突き進んできたのなら、穢れる事も、当然覚悟の上だろう。
世の中の全ての物事に、答えが用意されていると思うな。
それを求めるのなら、自分で答えを用意しろ。
誰かが――全てを教えてくれると思うな。
自らの求めを達するのに必要な穢れを躊躇う様な奴は…壊れてしまえ。
「――ごめん、頭冷やしてくる」
突然、頭が冷えてきた。
その後に訪れるのは計り知れない罪悪感。
僕は、彼女に何をしようとした?
彼女が僕意外に縋るものが無い事を見越して――何をしようとした?
嘘偽りの感情を植え付けてまで―何がしたかった?
それが、お前の求めなのか?
混沌色の持ち主は、全て破滅を望んでないといけないのか?
違うだろう。
混沌色の持ち主だからこそ、誰かの破滅を望んではいけないのだ。
顔をあげた彼女と目が会う。
それがどうしても気まずくて、逃げるように背を向ける。
否、逃げているのだ。
「ねえ、ルティナさん…」
足を止める。
振り向きはしない。
怖くて、そんな事は出来ない。
「私と初めて会った時、貴方自身はどう思ったの?」
僕は、答えない。
――いや、答えられない。
「貴方のお兄さんなら私を拾うと思って貴方は私を拾った。なら、貴方自身はどう思ったの?」
その問いに答えることなく、僕はキッチンから出て行く。
お前程度の考えなど、全てお見通しだ。
そう言われている気がした。
――なら、貴方自身はどう思ったの?
答えない。
答えられない。
答えたく――ない。
そんな答えを出したらきっと彼女は僕を軽蔑するだろう。
問い。
僕はどういう意思の元に、彼女を拾ったのか?
答え。
今なら分かる。
僕は――当たり前に在る、家族の生活をしたかったんだ。
例えそれが――兄の名を模した代替の存在とでも。
―――後書き
ルティナ、己の真意を悟る、の回でした。
因みに「消沈の理由」でも「Alternative」でも三話は長くなる傾向にあるようです。
ここは物語の中でも重要な所でもありますし、それだけ必要な文章も自然と増えてきます。
何が言いたいかと申しますと、実は私、この三話で結構力尽きてます。
なので残りの4、5話が蛇足的な話になってるように感じてしまったのでその事に関して先に謝罪しておきます。
本当に、申し訳ありません。
しかし、作者が蛇足と感じた残りの話も読んでいただけると幸いではあります。
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