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僕の家族は最初、父親しかいなかった。
僕が産まれた後、母親とは離婚した、と言うのは、随分と後になってから知ったことだ。

その父親は有る時僕にこう言った。

『外に出るな』

何故、とは問わなかった。
それが当然と思っていたし、その一言の後の展開は既に身を持って体感していたからだ。

その父親は有る時僕にこう言った。

『俺の前に出てくるな』

何故、とは問わなかった。
それが当然と思っていたし、その一言の後の展開は既に身を持って体感していたからだ。

その父親は有る時僕にこう言った。

『今からある女の元へ行き…殺して来い』

何故、とは問わなかった。
それが当然と思っていたし、その一言の後の展開は既に身を持って体感していたからだ。

そして、その日から、僕の家族が一人増えた。




Alternative 第二話:識



また夢を見た。
僕の中の妄想が夢と成って現れた。
あの、初めて会った時の彼の顔が鮮明に映っていた。
昨日といい今日といい、何故同じ話題の夢しか見ないのだろうか?
…いや、原因は分かっている。
今、上で眠っているスピリットだ。
何故か突如現れ、僕が見つけて、ナナルゥと名を与えたスピリットが原因だろう。
そうでもなければ、兄の――ナナルゥの夢など見る事は無いだろう。
ソファーから起き出し、毛布をたたみ、服を着替える。
その後大きく伸びをして一息。
さて、じゃあ彼女が起きたら朝食を作ろう。
………
しばらく待ったが、彼女が起きてくる気配が無い。
まだ待っていても良いのだが、いい加減朝食が食べたいので起こしに行く事にする。
人間は三大欲求には逆らえないのだ。
――まあ、僕の場合は二大欲求ではあるけれど。

扉をノックする。
眠っているのなら返事も無いだろうと高を括り、そのまま扉を開ける。

「ナナルゥさ〜ん、まだ寝てる?」

起きていた。
しかも部屋の真ん中で突っ立っている。
その様子は、夜中だったら間違い無くホラーだと言い切れる。

「…もしかして、僕が来るのを待ってたりした?」

彼女は頷く。
どれくらい? と聞くのは何となく憚られる。

「そっか、それはごめんね。起きてくるものだと思ってさ」

彼女は半目でこちらを見る。
少し、怖い。

「じゃあこれからは起きたら食堂まで来てよ」

そう言って逃げるように部屋から出る。
彼女がそれに付いて来るのが分かる。
部屋から出て、扉を閉めようと振り返ると、彼女が未だに寝巻きのつもりで渡していた僕の古着を着ているのが目に付いた。
枕元に着替えを置いておいた筈なのだが。

「…着替えないの?」

彼女は不思議そうにこちらを見ている。
――知らないのか。
僕はそう判断し、彼女にそれが寝巻きである事、着替えは枕元に置いておいた事を説明した。
彼女は得心いったとでも言うような顔をして、そのまま服を脱ごうとする。
此処は廊下、そして当然彼女の目の前には僕がいる。

「ちょっと待って。…ここで着替えないでよ」

彼女は服を脱ぐ手を止める。
服に隠れて顔は見えない。

「何故?」
「何故も何も……女の子がそう簡単に人前で脱いじゃいけないの。ほら、早く部屋に戻る」

どうやら羞恥心というものが無いようだ。
もしかしたら彼女に対しては赤ん坊が喋っていると考えて接したほうが良いのかもしれない。
彼女はくるりと踵を返す。
…前の見えない状態で。
あ、と言いかけた時にはもう手遅れだった。
ごつ、という痛そうな音。
彼女はそのまま尻餅をついてしまう。
――何やってんだか。

「ちょっと…大丈夫?」

彼女を抱え起こして、そのついでに服を着せなおしてやる。
その途中に見えてしまった色々については見なかった事にする。
それは、フェアではない。

「痛い」
「そりゃそうだよ、頭からぶつかったんだよ。痛くないはずが無い」

彼女の頭を撫でてやる。

「痛いの痛いの飛んで行け〜」

――彼女の視線が微妙に痛い。
赤ん坊はそんな目をしない筈だ。

「何それ」
「おまじないって奴さ。気分の問題。ほら飛んで行け〜」

半ばヤケクソの様に繰り返す。
それでも時間経過と共に微妙に痛い視線が和らいでいくのには安堵の念を覚えずにはいられなかった。


その後、彼女を部屋に戻して着替えさせた後、改めて食堂へと向かった。
彼女をテーブルに座らせ、簡単な朝食を二人分作る。
食事中に、この館にいる人間は僕一人だけなのか、という質問を受けた。

「ああ。そうだよ」

厳密には人間として扱ってもらえない人間が一人ですが。

「そうだね…十年位前に親が死んでね、それ以来一人暮らしだ」

僕は又嘘を吐いた。
親父殿はまだ生きています、ここに来たのはほんの半年前です。
そう言っても良かったが、その後の展開として件の親父殿の話や、何でこんな所にいるのか、等と根掘り葉掘り聞かれるのが簡単に予想出来たので黙っている事にした。
――彼女を不安にさせる必要も無いだろう。
あ、親って分かる? と出来るだけ軽い口調で聞く。

「一応は。つまりルティナさんを産んだ人が死んだって事?」

――何でそんな事ばっかり知ってるんだよ。
そんな言葉は心の中に押し留めておく。
そんな技術ばかりが上手な自分に軽く自己嫌悪。

「その通り。…あ、食事の時にする話じゃなかったかな?」
「そうなの?」
「うーん…気にする人もいるから」
「別に私は気にならないけど」
「そう? ならいいや」

食事は続く。
そして話も続く。

「ひょうはらふぁにふふの?」
「物を食べている時は喋らない」
「ふぉめんなふぁい」
「だーかーらー…」

確信犯だろ、この娘。
立ち上がり、拳を準備。
すると彼女は慌てた様子でもごもごと口の中を片付ける。

「ごめんなさい」

…絶対に確信犯だ。
手を上げた先が見つからない。


「よし。…で、何て言いたかったの?」
「今日から何するの?」
「何するのって?」
「私に色々教えてくれるんでしょ?」

ああ、そうだったね、と僕は席に戻り、思案する。
たっぷりの間。
とりあえず彼女に必要な事は―――

「そうだね。じゃあこれを食べたら早速始めようか」





そして朝食後。
テーブルを挟んで僕と彼女は向かい合う。
彼女の目の前にはペンと紙。

「…それで具体的には何をするの?」
「とりあえず文字を書けるようになろう」
「文字?」
「そう、この世の中は文字ばっかりだからね、読めないと困ることが多いよ」

凄い事が起きた。
彼女の顔が絶望に染まった。
「何でそんな大事な事を今まで知らなかったのか」とでも言いそうな顔である。
話が大きくなりすぎている。
――脅かしたつもりは無いんだけどなぁ。

「そんなに力まなくてもいいよ、ちゃんと喋れるんなら文字なんてすぐに覚えられるよ」

絶望色に染まっていた顔がみるみる内に喜びに変わっていく。
その顔は、笑顔を形作る。
彼女が、笑った。
実に嬉しそうに、笑った。
その笑みが収まった後に急に冷静さを取り戻し、僕から目を逸らして、

「そう、緊張して損した気がする」

と小さく言った。
…見ていて飽きない、そう思う。
僕は軽く言ってあげる。

「そ、こんなのは緊張するだけ損だよ、始めようか」

その言葉に彼女は又全力で反応した。
真剣な目でこちらを見ている。
…本当に、見ていて飽きない。

――確かにすぐにおぼえられるとは言ったけどさぁ。
いくらなんでも半日で覚えるのは早すぎはしないか。
夕方になって、お菓子を食べている彼女を見ながらそう思う。
勉強は実に速く進んだ。
何せ繰り返す必要が無いのだ。
一度書いた字を彼女はあっという間に覚え、その日の内に文を書く所まで辿り着いてしまう。
でも、スピリットとはそういう生き物なのかもしれない、と思う。
ある時突然に現れて、他の都合で戦う。
その時に必要なのは、他の命令を理解する耳と脳。
だからなのかもしれない。
こんなにも覚えが早いのは。
――そう思えば、自分を納得させられる。
一瞬でも、まるで兄の様だな、と思ってしまった自分を。





夕食の前に、僕は彼女を引き連れて倉庫へと向かった。
文字を覚えてしまえば後は自分で知識を得た方がいいと判断したからだ。
倉庫の入り口で不思議そうな顔をしている彼女を見て、

「じゃあ、今度は本を読んでみようか」
「本?」
「そう、何の因果か知らないけどこの屋敷には大量の本があってね。僕は全部読み尽くしちゃったし、捨てるのも勿体無いしね」

本当に、一体何故この館にはこうも大量の本があるのだろう。
数は千を軽く越えているし、分かっている中で一番古かった本が世の中に出たのは四人の勇者が活躍していた時代である程だ。
もしかしてこの館に住んでいた誰も彼もが「捨てるのは勿体無い」等とずっと取っておいていたのだろうか?
とりあえず一番近くにあった本の山の中から、薄くて読み易そうな物を出し、彼女に渡してあげる。
続いてその隣の山を崩して――
と、彼女がふと口を開く。

「これを読んで何が分かるの?」

目線を彷徨わせ、言葉を探す。
たっぷりの間の後、主観なのかそうでないのか良く分からない論の展開を始める。

「…それはナナルゥさん次第」
「…どういう事?」
「ん…例えば今ナナルゥさんが持っている本。仮に君がこれを読んで『面白い!』と思ったとしよう」

彼女は神妙に頷く。

「でも僕がこれを読んだ感想が『つまらない』だった、そういう事」

「はぁ?」、と声が漏れる。
幾らなんでも分かり難かったか。

「分かり難かったみたいだね…つまり物事の受け止め方なんて人それぞれなんだから、何が分かるかなんて本人でも分からないって事さ」

言葉の追及が怖いので、そのまま立ち上がって更に本の山を崩す。
先の論を自分の言葉で言ってしまうと、こうなる。

自分の色は、自分で染めるべきだ。

生物は心がある。
その心の在り方によって生き方や行動理念は大きく変わる。
その時の心の在り方を、僕は色で表現する。
例えば心が赤い人なら情熱的だとか、心が青い人なら冷静な人だとか。
そんな事を言ってしまえば、彼女は思考を色と考えてしまうことだろう。
僕以外の人間がそう言ってやるならいい。
でも、僕はだめだ。
僕が持つ僕自身の色は――混沌だ。
子供が好き勝手に絵の具を混ぜて行った結果生まれた、黒でも白でも灰色でもない、色の区別を付けられない混沌。
決して、誰かに混ぜてはいけない。
僕は構わない。今更何か他の色が混ざっても混沌が増すだけ。
でも、誰かに混ぜてはいけない。
その誰かすらも、混沌の一部となってしまうから。
それは、歪な結果を生むだけだから。
僕の混沌に触れて、混ざらないように。
歪な結果に、ならないように。
だから、彼女には本で知識を得て欲しかった。
本は透明だ。
でも、人を彩る手助けはしてくれる。

彼女くらいの子が読める本など大体限られて来る。
絵本やら何やら簡単な本を何冊か選び出して、

「とりあえずその辺からどんどん読んでいって」

彼女の腕に上げた。
そのまま回れ右。
倉庫の奥へ奥へと進む。

「………ん、……な…?」

彼女の声が聞こえた。
本とは実は結構防音効果あるよなぁ、と思う。
彼女の聞こえる位の声で、

「何か言ったー?」

と聞く。
当然本を見繕う目と手は緩めない。

「本が好きなの?」

本が好きか、とそう聞かれた。
それに対する答えは――

「そんな事無いよ。普通さ、普通」

嘘である。
本当はかなり好きだ。
知らない事が沢山載ってるし、嘘と本当が混沌と混ざっていて、見ていて飽きない。
もしかしたらそんな思考を読まれたのかもしれない、やっぱり本が好きなのだろう、と言われた。
そうで無ければここまでの行動力は無いだろう、とも言われた。

「鋭いね、ナナルゥさん。でもやっぱりそれは外れだよ。僕が本を読むのはただの現実逃避のため。好きで本を読むのとはわけが違う」
「現実逃避?」
「そう、現実逃避。本は空想の生産地だからね。嘘で溢れた世界なのさ」
「嘘って、いけない事じゃないの?」
「時にはね。でも、本が吐く嘘は優しい嘘。人を傷つける嘘ではない」

そう、本の世界は裏切らない。
常に、常にハッピーエンドで締められる。
幸せなんて対岸の出来事でしかないこの身には――羨ましすぎる。
混沌を透明で彩っても、混沌でしかないのに。
でも、透明が混じっただけで、その色は今までの混沌では無くなるから。
もしかしたら、少しでも混沌が薄まったのではないかと―夢を見れるから。
もしかしたら、他の色に成れたかも知れないと―幻想を味わえるから。

「さ、もう行こうか」

そう言って、倉庫を後にしようとする。
が、彼女の声に止められた。

「ルティナさん」
「んー? どうしたの?」
「本当にここにある本、本当に全部読んだの?」
「あはは、信用無いなあ。全部読んだよー」

何ならあの倉庫の中の本のタイトル、全部言ってやろうか。
そんな事を考えながら彼女が戻ってくるのを確認する。
その後、ゆっくりと、倉庫の扉を閉じる。
さてと――今日の夕食は、何にしようか。

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