5人目の来訪者
記憶
視界が暗い。身体も冷たく、何より動きたくなかった。つむっているだろう眼にポツポツと水滴が当たって否応なしに意識が覚醒する。
身体や手に力を入れるが、全然動く気配もしなかった。
(俺どうしたんだっけ……?)
意識が戻ってくるのと同時に、顔に当たる水滴の量が増えているのが分かった。
ゆっくりと眼を開けて、明るさに慣らしていく。まず、視界に入ったのは横に見える地面。高い樹木だ。
「森…だな」
見れば、樹木は見えている範囲だけでないらしく、奥まで続いている。
眼を閉じてまた眠ろうかと思ったが、明らかに水滴の量が増えていることに気づく。
「雨……」
自分が汚れることを防ぐために急いで身体を起こした。
間接のあちこちが悲鳴を上げるが、この雨をしのがないことには休めない。
ちょうどよく、背の低い大木が後方にあったので腰掛ける。空を見上げる。雲はどんよりと黒い。
これは、しばらく止みそうもないか…
しばらくぼぅ〜としていると、グキュルルルと腹が鳴った。
(なにかあるかな……)と服を探っていく。
しかし、服のどこを探してもそれらしいものはなく断念するしかなかった。
まぁ、今すぐ食べなくても死にはしないだろう……それよりも、
(眠い……)
一体どれくらい寝ていないのか……
俺は雨が降りしきる中、雨音だけを耳に残して深い眠りに落ちた。
ピチャ――
ヒンヤリとした何かが頭の上に置かれて俺は目が覚めた。
かすむ目の焦点を合わせて見ると、木造りの天井。
(あれ…?)
俺 は確か大木で眠っていたはずだが……?
頭の記憶を使うが、前後のことが曖昧でよく覚えていない。そこへ――
「気がついたの?」
横から女性の声がした。そっちのほうを見ようと上半身を起こそうとするが、肩に激痛が奔る。
「……くっ…」
右手で肩を押さえる。そこにタオルが当てられた。
「無茶しないで。酷く憔悴していて魔法をかけても、すぐに効果がなかったほどだから」
女性が優しく話しかけてくる。素直に礼を述べて、再び横になって女性を観察する。
青い銀髪に緑の瞳、かなりの美人だ。
それに、自分が寝ているのはこの女性の寝台らしい。身体にかけられた毛布の匂いがそれを物語っている。
眼だけを動かして部屋をよく見ると、寝台は一つしかなく全てが木製だった。
視線を女性に戻して、俺は気になっていたことを訊いた。
「あの、君が俺をここへ?」
目の前の女性はどう見ても細く、よく見てはいないが自分よりも体の大きい俺を運べる力がないであろうだった。
しかし、女性は予想に反してコクッと頷く。
「あんなところで寝ていたら風邪引いちゃうし、動物に襲われるし。……なにより、あなたはエトランジェのようだから」
「エトランジェ?」
何のことなんだろうか?
「……あの、君は誰かな?」
「あ、ごめん。私はルリム。見ての通りスピリットです」
? また知らない単語が出てきた。なにかの名前だと言うことは想像できるが……
「えっと……ルリムさん…」
「ルリでいいよ」
「じゃあ、ルリ。エトランジェやスピリットって何かな?俺、全然知らないんだけど」
俺が言葉を返して、ルリはきょとんとなる。
(な、なんか悪いこと訊いたか俺!?)
うろたえる俺に対してルリは、
「知らないの?」
「うん、まったく」
きっぱりと伝えると、ルリは多少驚きながらも表情の変化は少なかった。
「えっと、じゃあ……少しここについて話そうか?」
「………(コクコク)」
ルリは立ち上がり壁によって掛けていた地図らしい紙を剥ぎ取った。それを寝台の横にある机に置く。
「この家は、大陸の北。ラキオス王国の更に北にある山脈の中にあるの。そして……」
ルリの指がスッと湖の北側にある都市を示す。
「ここがラキオス。この国は南西から順にサルドバルト、イースペリア、バーンライトに囲まれている。今はここ、バーンライトと紛争中なんだ。もっと南西にはマロリガン共和国。その東にはサーギオス帝国があるけど」
サーギオス帝国の名前を聞いた途端、頭の中を悪い予感が走った。
が、何なのかは思い出せない。地図から目を離して、ルリは俺を見る。
「戦争中のラキオス……ううん、ラキオスだけじゃないか。この世界で戦争の前線に立って戦っているのはスピリットと呼ばれる戦うために存在する種族が存在する。スピリットは女性しかいない。私もそう」
淡々とルリが語っていく。俺は頭の中から記憶が浮上してくるのを感じた。
「スピリットが戦う理由は永遠神剣という特別な力を持つ剣を持っているから。神剣はスピリットにしか使えないの」
一通りの説明を終えて、ルリは腰に手を伸ばして、刃のついた輪―チャクラム―を取り出した。
「これが私の永遠神剣『分霊』。あと……」
ルリの眼と指が俺の脇に向かう。その上には先程使った地図と本があった。その本を手にとって、俺に手渡す。
「これがあなたの永遠神剣です」
「……! でもさっき、神剣はスピリットしか持っていないって……」
首を横に振るルリ。
「もう一ついる。スピリット以外で永遠神剣を使えるものが。それが、エトランジェ。エトランジェは異世界からの来訪者と言われ、スピリット以上の力を秘めているはず」
「エトランジェ………!!」
トントン
ドアが小さくノックされる。ルリが扉に近づくが、腕を引いて止めさせ俺は窓から外に出た。
「おや、扉からではなく、窓からでるとはあなたは相当の変わり者ですね」
地面を転がりながら体制を整えている俺に嫌みな声が聞こえる。転がりの回転を利用して、立ち上がって見る。
ルリの家の扉の前には、めがねを付けた上着の前をはだけた学者風の男が薄気味悪い笑顔を貼り付けて立っていた。
男の後ろには、5人のスピリットが立っていて皆が皆、剣や槍といった武器を持っていた。
「ソーマ何をしに来た…」
「何をしに来たとは、心外ですねぇ。谷から落ちたあなたを探しにここまで来たというのに」
「落ちた?落としたの間違いだろう」
今思い出した。俺はいつからか分からないが、気の遠くなるような時間をサーギオスの辺境で過ごしていた。
ある時、俺の家をスピリットを引き連れたソーマが訪れて、俺は帝国に力を貸せと言うソーマの勧誘を断った。
途端、スピリットは襲ってきて俺は逃げた。そして谷の崖まで追いつめられて俺は落ちた。
どうやってサーギオスの奥地からラキオスの山脈まで来たかは分からないが、おそらく地面に激突する前に身体が光ったのが関係しているのだろう。
「まぁ、いいでしょう。それより、前に言ったことと重ねて言います。サーギオスに力を貸しなさい」
「返答はしたはずだ」
「この状況を見てよく考えてください」
話している間にスピリット達が俺の周りを取り囲んでいた。俺の答え次第でいつでも攻撃できるように手を武器に添えている。反対に俺の手元には何年も反応しなかった『本』だけ。とてもじゃないが太刀打ちできない。
(さて、どうしようか……)
不利な立場を他人事のように考えている自分を認知して思わず失笑が漏れる。その失笑にソーマの眉がピクッと動いた。
「何を笑っているのですか。それとも、気が変わりましたか?」
ソーマの声に変わりはない。が、そのうちに含む焦燥が手に取るように伝わってきた。俺は少しの間目を閉じて開ける。
「答えは………却下だ」
瞬間、ソーマが叫んで周囲のスピリット達が動いた。俺は目を閉じて覚悟していた。だが、ありえないはずの金属音が響く。
なんだ……?
眼を開けてみる。仰向けに倒れているスピリットと俺の目の前にチャクラム―『分霊』を握っているルリがいた。『分霊』を構えたままソーマを睨んでいる。
「なんですか。あなたは?」
「……ここで暴れないで」
「なんです?」
「ここは、精霊達が穏やかに暮らす場所なの。ここで暴れるのは止めて!」
自分の心の中の感情をそのままはき出して叫ぶ。
確かにここの空気は今までいたところとは違うとは感じていたが、精霊がいると聞いて納得する。
顔を少しむずむずさせて、ソーマは笑みを絶やさない。すると、赤髪のスピリットの一人が小さく口を動かす。
「なら、ここの周辺をすべて燃やしてしまえば関係ないでしょう」
呪文を唱えているスピリットを横目で見ながら、ソーマはにやりと笑った。
「やめてっ!!」
力の限り、ルリは叫んで、スピリットめがけて駆けた。しかし、横から飛び込んできたスピリットに捕らえられてしまう。
(くっ……)
握っている拳に力を込める。肌に爪が食い込んで血が流れた。
場所を移さなくては。俺はただそのことを必死に思っていた。その時……
「なに……?」
押さえつけられていたルリが俺の方を見て、口にした。
「これは……!」
俺の足元を中心に巨大な魔法陣が展開されて、この場にいる全員を包んだとき、景色が変わった。
ルリの家がぐにゃりと歪んで、周囲は完全に樹だけになる。同時に、ドサッという音を立ててソーマが倒れた。
普段、何事にも動じないソーマのスピリット達がもソーマが倒れて慌てる。
「そいつを連れて、帰れ」
吐き捨てるように、一体の赤スピリットに言って、スピリットは睨みながらも大人しく言うことを受け入れ去っていった。
後には俺と崩れているルリだけが残った。
「あ、あの……」
立ち上がってルリが口を開いた。
「ありがとう、何をやったかは分からないけどおかげで精霊達も無事だったし…」
「…そうか」
それだけを呟いて、俺はルリに背中を向ける。
「あっ、どこ行くの?」
「…さあな、誰も居ないところかな」
「私の家で傷を治してからでも…」
俺は首を振る。
「俺は『不死のエトランジェ』だからな。一緒にいると迷惑をかける…」
「不死のエトランジェ…?もしかして、あの…」
物思いにふけるルリを振り返らずに俺はその場から立ち去った。
ギリと、心の中で軋む音がした。
あのまま、ルリの行為に誘われて居ても良かったろうに、安息を許さない自分が居るのを感じる。
「おっと……」
急に足下がクラッときて、地面に膝をつく。疲れているわけではないのに、いくら足に力を入れて歩こうと叱咤してもそんな気配がない。
「まぁ、いいかな…」
しばらくここで寝ていれば、回復するだろう。そんなことを考えながら俺はまた、眠りの淵に足を踏み入れた。