永久と刹那の狭間にて
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49.永久と刹那の狭間にて
「久しぶりだな!」
「だなー」
ゆっくりと、青年は少女の歩幅に合わせ、隣を歩く。
一人は小さな王女。身を偽る為、今は自分の親友から借りたワンピースを着ている。
そして青年。金の瞳に黒髪。黒のロングコートを着込んだ彼は、今では【夜騎士】の名を女王から授けられ、英雄と呼ばれる存在になっていた。
ラキオス南部。かつてイースペリアという国があった場所。
そんな場所に、二人はやってきていた。
戦争は一時終結。しかしソーンリーム突如現れてたアンノウンに、再び周囲の人間は緊張の色を濃くしているのが現状だ。
しかし数日経っても敵は攻め込むことはせず、そして今までの戦争による疲弊も抜け切らないことから、ラキオスは攻め込まず、また攻め込ませず、微妙な小競り合いを繰り返すことになった。
真夜は【世界】との戦闘の影響を考慮され、今はアズマリアの護衛という任務についている。
そして、彼女が行きたいといったのは、彼女自身の故郷。
彼女が愛し、治めていた国。今はもう、存在しない国。
『戦争が長く続いて、一度も戻れなかったからな。今のうちに、もう一度この目で見ておきたい』
そう言った彼女の目に映るのは、塔が半ば折れた城の残骸。
崩れ去っていないのは、余程城の造りが良かったのか、それともエーテルに頼った建築物ではなかったお陰か。
それは分からないが、確かにそれは確かな形を残していた。
なくなってしまったのは、笑顔と、声と、過去と幸せ。
ギュっと、自分の右手を握る感触。
それは真夜の幻想ではなく、確かにアズマリアの手だった。
きっと、彼女は思い出しているのだろう。
あの日あの時の、確かに自分がいた日々を。
真夜が失った日に見た、まるでノイズのようにチラつく、幸福の幻影を。
「大丈夫か?」
「……うん」
昔誰かがそうしてくれたように、真夜はその手を握り返してやる。
見上げる彼女には、笑みがあった。
自分がそれをしているのだと思うと、気恥ずかしさと嬉しさがこみ上げてくる。
誰かの支えに、今自分はなれている。
あの娘のように、誰かを照らす光に、きっとなれている。
「で、どうするんだ? なんか探し物があるって言ったよな?」
「ああ。大切な、大切なものだ。今まだあるかは分からないが、それでも今だからこそ、私はそれを見つけたい」
離れた手が、少し冷たい。
アズマリアが自分から離れ、そして駆け出す姿を、寂しげな表情で真夜は見る。
自分では気付いていない、そんな表情。
ここに来るまでも、来てからも、自分にあるのは己への問いだ。
選択せねばならない。道を、示さなければならない。
その答えが見つからず、見つけようと道は闇で、まるであの日に似た虚無感すら感じていた。
「俺は……」
一体、何を望んでいるんだ?
Ж Ж Ж
「【永遠者】……?」
「そう。永久を往く者。狭間を越える力の所有者。神に近い、神ではない存在」
秋月瞬が【世界】に飲まれ、消え去ったから数日。
真夜はエリシアに呼ばれ、彼女がいる客間へと足を運んでいた。
そして、告げられる言葉。
それは世界の理。
「アキヅキシュンは、【求め】を喰らい、【誓い】を【世界】に昇華させました。階位は第二位。力は貴方自身が戦ったのですから、分かりますね?」
青の瞳が発する問いを、真夜は首を縦に振って肯定した。
大まかに言えばこう。
エターナルとは、上位神剣三位以上を所有する者たちの総称であり、一個の情報体であること。
かつて戦ったタキオスの【無我】は三位。エリシアの持つ【沈黙】も階位は同じだった筈だ。
つまりそれは……
「エリシアも、エターナルってことか?」
「はい。エリシア・ハーツ。第三位【沈黙】の担い手。周囲からは、【鬼姫】と呼ばれています」
チョッと恥ずかしいんですけど、と舌を出して笑う。
そんな彼女が、自分が生まれる遥か昔から、知らない場所で戦い続けていたという事実が、真夜は上手く飲み込めないでいた。
だって、最初の自己紹介とか教卓で頭ぶつけてたんですよ?
訝しげな視線を物ともせず、というか無視しているのか、エリシアは話を続ける。
「今回悠人君のサポートをしていたのが、<混沌>在籍、【時詠】のトキミ。タキオスや、今ソーンリームに終結している敵は、<法>の勢力です」
結構大掛かりな計画だったらしいですよ? と言うエリシアの説明を、真夜は一旦止めてもらった。
聞きたいことがあったのだ。
「じゃあエリシアは、<混沌>サイドのエターナルってことか?」
「いいえ」
その質問が来ることを、ある程度予想していたのだろう。
真夜の質問にエリシアはにべもなく答えた。
ならば、と真夜は考える。
両陣営に属さない、と言うことは、傭兵のような立場なのだろうか。
いや。自分の中の“鬼”を御させる為、彼女は自分をこの世界に飛ばしたと聞いた。
なら、その為に?
いや、それも違う。とすぐさま推論を否定した。
それだけの為ならば、態々こんな大事になるような場所に送る必要などなかった筈だ。
八方塞になって、次の言葉を待つ。
その方が確実だ。
「真夜君。今までの説明で、おかしいと思ったことはありませんか?」
「……いや」
ない筈、だ。
少なくとも、特に違和感はなかった。
<法>は原初の神剣へ帰ることを願い、その為に世界を滅ぼしマナを集める。
それに反発した<混沌>が、<法>を止めるべく戦う。
何もおかしくない筈である。
そう。そういう風に意識を逸らされていない限り。
「何故でしょう?」
「……?」
「何故、<法>と言う組織が生まれ、それを阻む<混沌>が生まれ、それが絶妙ともいえるバランスの中、永遠に闘争を続けているんでしょう?」
その言葉に、脳にノイズが流れるような気分になる。
平衡感覚が失われ、胃の中のものがせり上がってくるかのような錯覚を感じた。
理解が追いつかない。
否、追いつかせようとしないといった感覚が正しいか。
「―――まるでそう。誰かに操られているような」
静かにノイズが止む。
意識はクリアだが、軽い吐き気を真夜は感じていた。
何かからの干渉なのだろうか。
まるで“真理”に近づかれるのを拒むように。
「そう思い、そして私の仲間は見つけました。真理への鍵。誰も知らない過去の記録を」
それ故に、とエリシアは言う。
「我等、<法>とも<混沌>とも同じ道を歩まず、信じた道を辿るもの。<真理>。それが私達の属する永遠機関です」
言い終わってエリシアは軽く一息つく。
恐らく此処まで説明する台詞を、あらかじめ考えておいたのだろう。
置いてあったお茶を飲んでまったりモードに移行している。
言うことはもうないと言わんばかりのエリシアに、真夜はもう一つ質問を投げかけることにした。
「んで、なんで俺にそれを説明するんだ?」
他の誰を呼ぶこともせず、真夜一人にこのことをエリシアは説明した。
これが大したことではないなら、全員呼び出して言ってしまえばいいのにだ。
そしてこんな風に事細かに説明せずとも、相手がこちらにとっての敵だということさえ分かればそれでよかった筈である。
それでもエリシアはこの世の理を真夜に全て教えた。
それは何故?
聡いですねー、と少し嬉しそうにしながら、エリシアは座っていたベットから立ち上がる。
そして右手をそっと、真夜に差し伸べた。
「真夜君は、永遠を生きてみたいと思いますか?」
「……へ?」
「えと、単刀直入に言いますね。私は真夜君に、<真理>に来て欲しいと思ってます。スカウトっというやつですね」
スカウト? 俺を? 永遠?
「えー……。つまりあれか、俺に【永遠者】にならないかと」
「はい!」
いや、はいじゃねえよ。というツッコミは止めにした。
「そうすれば貴方は階位三以上の剣を持つこととなり、必然的に今以上の強さを手に入れる。 <法>のタキオスさんや【世界】とだって、きっと互角に戦えるようになります」
その言葉に、真夜は揺らいだ。
一度戦ったタキオスや瞬は、それこそ越えられない存在だと感じたからだ。
まるで系統樹で言う、人が天使の領域に踏み込めないのと同じように。
強くなりたい。
全て救って笑っていられる力が欲しい。
ずっとずっとそう思ってきた。
誰も、自分も泣かない強さを、ずっと求めてきた。
「その代わり、貴方は全てに人から忘れ去られますが」
故にそれは代償を招く。
永久の領域に踏み込むものは、出会った全ての人々の記憶から消し去られるから。
それはここで仲間になったもの。ハイペリアで知り合ったもの。
大切だと、思った人からも。
だからその説明を受けながら、真夜は思った。
死んだ人間からも、俺は忘れられるのだろうかと。
Ж Ж Ж
時は真夜を待たず、緩やかに確実に流れていった。
エリシアにもらった猶予は半月。その期間も、後二日を切っている。
そして今日も、もう終わろうとしていた。
日はもう半分ほど大地から消え去り、燃えるような赤が世界を照らしている。
アズマリアは日が真上になる時刻から今まで、手を休めることなく瓦礫の中を歩いている。
手伝おうにも何かが分からない以上、真夜に出来ることは、積もった瓦礫を持ち上げたり邪魔な壁を断ち切ったりする程度だ。
「もう今日は諦めよう、マリア。これじゃ暗くて、探そうにも見えねえだろ」
「もう少し…待ってくれ」
頬に泥をつけながら、アズマリアは必死に何かを探し続ける。
どこかで切ったのだろうか。あちこちに擦り傷を作り、着てきた黒のワンピースは所々が破けている。
それでも手を止めなかった。
そして―――
「あった……!」
喜びを含んだ声に、真夜は直ぐに彼女の傍へ駆ける。
そして彼女が指差す瓦礫の山の奥。その隙間から小さな箱が見えた。
彼女が命ずるより早く、真夜は【月詠】を抜刀する。
無理矢理吹き飛ばせば、中の箱が崩れた瓦礫の下敷きになってしまうだろう。
【《やてん》を前から30度だけ右に】
「申告感謝!」
《夜天閃月》の斬戟が放たれる。
斬線に沿って撃ち出された魔法刃は、積み重なった瓦礫を綺麗に削ぎ落とした。
吹き飛んだ瓦礫が音を立てる中、それでも危ないと真夜はアズマリアを制して箱の元へ歩み寄った。
恐らく金属製なのだろう。
もしかすれば、あのマナ消失からも耐えたのだ。通常の鉄とは材質が違うのかもしれない。
「これか?」
「……ああ」
待たせたアズマリアにその箱を渡す。
それを地面に置くと、アズマリアは懐から小さな鍵を取り出した。
真夜自身も、存在を知らなかった鍵。
恐らくずっと、彼女はこれを持っていたのだろう。
そしてカチャリと音がして、箱が開く。
「…これは……」
それは短剣だった。
白い鞘に白い柄。蔓のような金の装飾が施されている。
アズマリアが軽く抜くと、中から白刃がその姿を覗かせた。
夕焼けが反射し、まるで刀身が燃えているかのように見える。
「イースに受け継がれてきた宝剣だ。…よかった。ちゃんと残っていた」
半ばまで抜かれた剣を、アズマリアは再び鞘に収める。
瞳を閉じ、それを握り締め…真夜にそれを差し出した。
告げる。これをお前に、と。
「イースペリアに伝わってきたモンなんだろ? だったら俺は―――」
「これがあれば」
貰えねえ、とそう言おうとした真夜の声を、アズマリアが止めた。
そしてその時になって真夜は気付く。
アズマリアは、泣いていた。
「これがあれば。…これを真夜が持っていてくれれば、きっと私はお前を思い出せる。忘れていても……またお前が好きだった自分に、戻ることができる……!!」
聞いていたのか、エリシアとの会話を。
【永遠者】になれば、【永遠者】以外の人間からは全ての記憶がなくなってしまう。
それは例外などなく、アズマリアもその一人。
ずっと守り続けると言った。あの日の夜に誓いを交わした。
それでも、戦う力が欲しい。
だから悩んだ。だから直ぐに断らなかった。
「大丈夫だ。きっとこの剣があれば、私はお前を思い出す。お前との繋がりを、切れずにいれる」
強い子だ。
とても自分には真似出来ない、そういう強さをこの子は持っている。
「だから…だから……」
ああ、そうか。
この子は太陽だ。
暗い夜を、照らしてくれる光なのだ。
一度目の光が消えたとき、広がる闇を恐れることはなかった。
でもそれは、自分の思い違いだった。
恐くなかったんじゃない。恐がることからも、逃げていたんだ。
だから気付く。
アズマリアに忘れ去られ、彼女が自分を照らしてくれなくなる未来を、恐れていることに。
『一分一秒でも、私のことを覚えてて欲しい。私のことを思って欲しい。―――そう、思ったから』
過去のあの日を思い出す。あの娘の言葉を思い出す。
自分が初めて恋をした、少女の笑顔を思い出す。
アズマリアから、白金の剣を受け取った。
心は定まった。迷いは消え去った。
本当は、単純なことだった。
自分が何故剣を振るっていたのかを、思い出せばいいだけだったのだ。
「マリア」
自分で声を出して驚いた。
俺は、こんなに優しい声で、誰かの名を呼べるのか。
頭一つ分小さい、彼女の髪にそっと触れる。
クセ一つない綺麗な長髪は、潤んだ紫の瞳は、酷く美しい。
「もう一度、誓っていいか?」
「シン…ヤ……?」
「俺はお前の剣になろう。俺はお前の盾になろう。斬れば破り、防げば阻み、全ての敵の前に立ち塞がろう」
左腕がないので、真夜は短剣の柄を咥え剣を抜く。
燃える白刃は輝きながら、真夜とアズマリアをそれぞれ映す。
「好きだ」
「―――っ」
自然に、恥ずかしくもなく言葉が出た。
息を呑んで自分を見るアズマリアに、真夜は笑いかける。
「だから忘れない。忘れさせない。ずっとずっと、一緒にいよう」
この剣は、忘れない為にあるんじゃない。
ずっと一緒に歩く為にあるんだ。
俺がこの子の光であるなら、道を照らし続けよう。
正しいかは分からない。間違っているのかもしれない。
それでも、これが自分の望んだ答えだから。
だからもう、迷わない。
「いやか?」
「……いやと言うわけが…ないだろう」
ギュっと少女が自分を抱きしめた。
次いで漏れる嗚咽の声を、真夜は聞かないことにする。
そしてゆっくりと、小さな彼女を抱きしめ返した。
暮れなずむ空
迫り来る夜
君と繋いだ その手がとても温かくて
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