Somewhere......

 薄暗い一室、その隅で、一人の女性が机に向かっていた。
 頭髪は整えられることもなく好き勝手にはね、服装にもどこかだらけたところのある女だった。しかし、そのだらけた印象とは裏腹に、野良猫のしたた かさと好奇心をたたえた瞳が特徴的でもあった。
 女は手元の紙に何かを書き込み、それを凝視しては捨て、凝視しては捨てを繰り返している。
 床にどんどんたまっていく紙くずなどに、気を払うことはない。
 それをどれだけの時間続けていたのか、床の半分が紙くずに覆われた頃、一つしかない入り口から足音が聞こえてきた。

「ヨーティア様。ただ今もどりました」
  それまで他の何を気にすることもなく己の作業を続けていた女性は、自分にかけられた声でようやく顔を上げた。
「お〜〜〜。やっと帰ってきたか、イオ。ずいぶん、遅かったじゃないか」
 イオ、と呼ばれた女性は貫頭衣に似た法衣をまとった、こちらもやはり真っ白な長髪をした女性であった。知的な面持ちをしているが、表情が少なく、声にも 抑揚があまりない。
「はい。今回はイノヤソキマまで足を運びましたもので。お待たせして申し訳ありません」
「あぁ、まったくだよ。お前が行ってから、ホントにろくでもない客しか来やしない。バカと話すのは疲れるったら・・・・・・」
「そうですか。今、お茶をお入れいたしますのでお待ちください」
 白髪の女性は一度奥の部屋にひっこんだ。
 途中、自分がいない間に展開された部屋の惨状にわずかに眉をひそめたが、何も言うことなく一人分の紅茶を手早く用意してもどった。

「それで? 今回はどんな収穫があったんだい?」
 紅茶を受け取りながら、女性は好奇心に満ち溢れた、子供のような目をして言った。
「帝国に関する新たな情報が。起こりかけていた反乱は、その決行前に失敗したようです。首謀者たちと彼らに従っていたスピリット。すべて、ことごとく殲滅 されたとのことでした」
「ふ〜〜〜む。新しい騎士団とやらは随分と強力みたいだね」
「いえ。話によれば、反乱軍を鎮圧したのはスピリットではなく、『誓い』のエトランジェだそうです・・・・・・それも、一人で」
 ぼりぼりと頭をかいていた手が、ぴたりと止まる。
 白髪の女性はわずかにうなずき、話を続けた。
「能力の詳細は不明ですが。どうやらマナを大量の矢として扱い、それを自由自在に操るようです。その威力は高位神剣魔法並み。また剣技も強力で、帝国のス ピリットたちに並ぶものはいない、と」
「・・・・・・ほほ〜〜〜ぅ」
 何かを威嚇するように、女性は目をすっと細めた。

「今までの情報からいくと、ど〜やら今回召還された中で最強なのは、やっぱり帝国のエトランジェだな。マロリガンの方からはまだ情報がないが・・・・・・ それだけの力を持ったやつがいれば、議会のバカどもはさっさとデオドガンに喧嘩をふっかけてるだろうしな」
「はい。私もそう思います」
 白髪の女性の肯定に頷きながら、女性は机の隅にまとまった山とした書類をみて苦笑する。
「それに比べるとラキオスは・・・・・・まったく。国力がないからと言って、切り札足るべき存在をぽんぽん使ってるよなぁ」
「無理もありません。ここで出し惜しみをすれば、彼の国はダーツィは愚かバーンライトに勝てていたかも怪しいものですから」
「ま、そりゃそうだ。んで、昔そのスピリット隊をいろいろとかき回していた当の本人は、ぬけぬけと帝国の御用達か・・・・・・ったく、これだからクズは」
 女はけっ、と侮蔑の息を吐き、手元の紅茶をすすった。

「しかし・・・・・・今度のラキオスは、化けるかもしれないよ」
「左様でございますか?」
「あぁ。あのバカ王はともかくとして、エトランジェ二人が面白い」
 そう言うと、女は目の前の紙束の山から、その内の一つをちょいと抜き出した。
「『求め』の契約者は、強さだけで言えば伝説のエトランジェよりも弱いだろうねぇ。けど、こいつは今のところ、神剣の支配に完全に抗っている。第四位の神 剣の精神支配を長期にわたって乗り切るってのは、十分に見事なもんさ。部下のスピリットたちに対して、常に自分と対等な関係で見ているってえ所もなかなか いいじゃない か。・・・・・・それに、こっちのイレギュラーも面白い」

「イレギュラー・・・・・・エトランジェであり、なおかつ四神剣にあらざる永遠神剣の保持者」
「そう、第五位『追憶』。第五位の神剣であるにもかかわらず、その形状上、戦いに向いてはいないと思われる永遠神剣。しかし、そいつを使っているやつの戦 果は、『求め』のエトランジェに見劣りするもんじゃない。そうそう、それにそいつの態度も面白い。真っ先に王族に媚びを売ったと思えば、守り龍討伐の前 夜、ラキオスを見限って人質をかっさらいに行ったって話さ」
 白髪の女性はわずかに眉を上げた。
「人質の少女を? ・・・・・・始めて聞く話ですが」
「あぁ、裏の方でもそうそう出回っていない話だからね。どうやら、王女本人が情報の流出を抑えているらしい。王女サンの方は・・・・・・評価は保留だな。 父親と対立 しかけ、ってのはわかるが、本当の顔はまったく出しちゃいないんだ」
 何がおかしいのか、女性はくっくっと笑い出す。

「いや、これだけ面白い顔ぶれが集まってるのもなかなかのもんだよ。情報はただ漏れだってのに・・・・・・どいつもこいつも、その底が知れない」
 女性はそういってから、自分のカップに新しい紅茶をそそぐ者の表情に気を止めた。
「どうだい、イオ? あんたは、どいつが一番気になってる?」
「・・・・・・・気になる、ですか?」
「あぁ、あんたのそんな顔はめずらしいよ。今の話の中で、興味が出てきたやつがいたんじゃないのかい?」
 イオと呼ばれた女性は少し思案した後に、静かに言った。

「残念ながら、その人々の中で私の関心をひく特定の人物はいませんでした。ただ・・・・・・」
「ただ?」
「『追憶』、その名前を聞いてから、何かが心の隅にひっかかっています。そして、これは私の感情と言うよりも、『理想』の意思のような気がいたします」
「―――『理想』が?」
 意外な答えに、女性の目が見開かれる。
「そりゃ、珍しいなんてもんじゃないぞ・・・・・・いや、これは是非ともその『追憶』とかいう神剣を調べたくなってきたぞぉ・・・・・・」
 クククと唇を歪めた笑みは、見た者の九割九部が退きそうな、かなり邪悪な代物だった。

「・・・・・・ヨーティア様」
 白髪の女性が、抑揚のない声で呼びかける。わずかに眉間に力が入っている所を見ると、どうやらあきれているらしい。
「ん? あぁ、わかってるって。私たちが表に出るのはまだずっと後さ。少なくとも、今のラキオスに期待するものはないしな」
 女性は無造作に書類を放り捨てる。
 ばさ、と上に積まれた紙の山が、まずい方向に重心がずれてばさばさと床へ崩落した。
 白髪の女性がさらに汚れた部屋にため息をつくのを横目に、あくまでも奔放な調子の声は崩れない。




「それに今度の戦い、帝国がいろいろと動いているみたいだからな。こりゃあ、一筋縄ではいかないもんになりそうだ・・・・・・・・・」











 永遠のアセリア二次創作            

龍の大地に眠れ

    二章 : 蝕まれし世界

第五話 : 悪夢の予兆








 バーンライト陥落から数日が過ぎた。
 つかの間の平穏は去り、ラキオスはダーツィ大公国に正式に宣戦布告する。
 悠人たちスピリット隊は旧バーンライトより南下、直接攻勢に出るよう命じられたのだった。



 第二詰め所 広間

 上層部の決定により、ラキオス軍はゲリラ戦主体であったバーンライトとの戦いとは違い、ダーツィ戦を一気に本土決戦として決行することとなった。
 今までになく遠き地に滞在することになるので、スピリットたちも慣れぬ荷物作りにてんてこ舞いになっている。
 現在も、広間の所々でどたばたと皆が駆け回っていた。

「ヒっ、ヒミカさん! わたしがここに置いておいた荷物をしりませんか!?」
「えっ、あれはヘリオンのだったの? ついさっき、ハリオンが持っていっちゃったけど」
「ええっ!? じゃ、じゃあ、ひょっとしてこっちにおいてあるのは・・・・・・って。やっぱり、ハリオンさんのだぁ〜〜〜っ!!」
「・・・・・・一字違いで大違い、ね。ご愁傷様、ヘリオン」
「そっ、そんなこと言ってる場合じゃないですよぉ! ハリオンさん、もう行っちゃったみたいだし、わたしはどうすればいいんですかぁっ」
「・・・・・・合流するまで、あなたがその荷物を持つしかないんじゃない?」
「えぇぇえっ! これ、すっごく重いんですよぉぉっ・・・・・・?」
「しょうがないわね、わたしの荷物に少し移しましょう・・・・・・・・・って、このカップケーキの山は何なのっ!?」

「ナナルゥ。あなた、準備はもうできているの?」
「はい。必要と判断される物資の用意はすべて完了しました」
「そう。準備がいいのね・・・・・・じゃあ、もうそれは部屋から出したほうがいいんじゃないかしら?」
「問題ありません。その工程は既に完了しています」
「えっ?」
「?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・荷物は、『消沈』だけ?」
「何か問題が?」
「・・・・・・わかったわ。私がいっしょに見てあげるから、あなたの部屋に行きましょう」
「了解。セリアの指示に従います」

「ママ〜〜〜! ネリーの水筒、どこに置いたか知らない!?」
「知らないわ・・・・・・でも、台所の棚にまだいくつか替えがあったわよ。今回はそれを使ったら?」
「え〜〜〜っ!? あれ、ネリーのお気に入りなのにぃ・・・・・・」
「なら、ちゃんと管理していなくちゃダメでしょう?」
「うっ、べ、べつになくしたんじゃないもん! 昨日だって、訓練の帰りに・・・帰りに・・・・・・あ〜〜〜っ!」
「・・・・・・その時に、置き忘れたのね。場所はわかってる?」
「う、うん! すぐ、とってくるっ!!」
「あまり慌てないようにね・・・・・・って、もういっちゃった」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・ん? どうしたの、シアー?」
「あの、ね。ママにもらったオテダマ、持っていってもいい?」
「・・・・・・荷物の邪魔にならないくらいにしておきなさいね」
「・・・・・・うん♪」

 第一詰め所の方はエスペリアに任せ、千歳は若いスピリットが多い第二詰め所のほうへ手伝いに来ていた。遠出は初めての者も多く、その準備の手助けも一苦 労である。
 年長組が幼年組の世話に駆け回っている中、上の階からファーレーンとニムントールが降りてきた。
 ようやく彼女たちの怪我は完治し、ついこの前まで、帰ってきた隊員たちとの訓練にも意欲的に参加していた。
「こんにちは、二人とも」
「あっ、こんにちは。チトセ様、いらしていたんですね」
「・・・・・・フン」
 ファーレーンは礼儀正しく、ニムントールは無愛想に千歳の声に応える。
 姉代わりのファーレーンは妹分の態度を叱るように見たが、ニムントールはついと顔をそらせただけだった。

 千歳はそんな二人の様子に苦笑を抑える。
「ごめんなさいね。せっかく帰ってきたのに、また貴女たちをここに残していく形になって」
「い、いえ。チトセ様の謝られることでは・・・・・・しかし、私たちだけが残るというのはやはり・・・・・・」
「どーかん。ニムたちだって、もう戦える」
「それについては・・・・・・悪いけど、あきらめて。今回は最初から短期制圧戦だからね。この前のラセリオみたいな防衛戦も少ない、つまりあなたたちのコ ンビネーションを活かす場面も少ないのよ」
 ブラックスピリットとグリーンスピリットの二人のコンビは、回復魔法で戦闘を持続しながら敵陣をかき回す、長期戦向きのものである。
 それを活かせないならば、ようやく動けるようになったばかりの二人を連れて行くことはないと、千歳は悠人たちに進言していた。

「・・・・・・ムカつく。ニムたちが足手まといだっていうの?」
「こっ、こら、ニム!」
 じろり、と睨みつけてくるニムントールの挑戦的な眼に、千歳はにやりと笑った。
「あら。この前の訓練で私に負けて、半泣きになっていたとは思えないくらいの威勢のよさね」
 千歳の言葉に、ニムントールの顔がかあっと赤くなった。
「ニ、ニムは泣いてない! それに、負けてだってないっ!」
「ふ〜ん。あんな顔見せといて、そんなこというんだ? 『曙光』の先っぽも当たらなかったのに?」
「そっ、それは、まだニムが本気をだしてなかったから! そうよ、ニムが本気になれば、チトセなんてけちょんけちょんにしてやるんだから!」
 ニムントールが顔を赤くして怒るのに、にやにやと笑みを浮かべて見下ろす千歳の姿は、ただのいじめっ子にしか見えない。

「結構。それなら、ニムントールは私を『けちょんけちょん』にできるような体力がもどるまで、自主訓練を命じます。ダーツィが落ちたら相手してあげるか ら、楽しみにしてなさいね」
「・・・・・・ッ! い、いいじゃない! ぜったいに、ぜったいにぎゃふんと言わせてやるんだから、見てなさいよっ!!」
「はいはい。期待しているから、頑張ってね〜」
 だだっ、と駆け出すニムントール。その背中に、千歳はひらひらと手を振った。
「あっ、ニ、ニムっ!?」
「ちょっと待った。ファーレーンは残って」
 慌ててニムントールの後を追おうとするファーレーンを、千歳は素早く引き止めた。

「チトセ様、ひどすぎます! あの娘だって、みんなと一緒に戦えないことを気にしているんですよ!」
 珍しく激昂するファーレーンに、千歳はそ知らぬ顔で事務的に言う。
「どんなに言葉を取り繕ったところで、療養あがりの二人を一気に前線へ戻すのは危険なのは事実よ。それに、さっきニムントールが言ったことはある意味正し い。あなたたちの本来の実力は、訓練で見た限りではないはずよ」
 そこまで言って、千歳は急に表情を変えた。

「・・・・・・と、いうのが表向きの話」
「え、表向き・・・・・・?」
「ちょっと、こっちに来て」
 千歳はファーレーンを、広間の奥の台所まで引っ張り込んだ。
 ファーレーンも千歳の真剣な表情に押され、いぶかしげな表情をしながらも続く。
「さて。広間だと、廊下から聞かれる危険があるからね」
「何なんですか? そこまであなたが気を使うような事とは・・・・・・」
「簡単なことよ。貴女たちの・・・・・・本当の、任務の話」
「・・・・・・・?」

 千歳は台所の壁に背をあずけて口を開く。
「ファーレーン。ダーツィ攻めの、今までの作戦との一番の違いは何だと思う?」
「えっ? やはり、目的地が非常に離れている、ということでしょうか」
 その通り、とファーレーンの答えに千歳は大きく頷いた。
「加えてダーツィを守るスピリットの数は、バーンライトの比じゃない。あくまで目標は短期決戦だけど・・・・・・もしもこの戦いが長引くと、厄介なことに なりかねないのよ」
 ファーレーンはその言葉にはっと息を呑み、少しして恐る恐るという風に尋ねかけた。
「あの。もしかして、それはサルドバルトのことを言っているのですか?」

 ラキオスから西、『龍の魂同盟』の加盟国。本来自陣であるはずのその国の名前に、千歳はさすが、という風に笑った。
「やっぱり、ファーレーンは気づいてたのね」
「・・・・・・いえ。何度かそうではないか、とヒミカやセリアと話した程度なのですが」
 『龍の魂同盟』―――同盟とは言いながらも、実際のところ連合軍は愚か、共同して敵に立ち向かったわけでもない弱小三国の集まり。
 その中でも、サルドバルトはラキオスとバーンライトとの小競り合いの間、直接的なものではないにせよ不穏な動きを見せていた。

「ま、あなたたち三人ならそうだろうと思ってたし・・・・・・きっと、ハリオンも何となく気づいてるでしょうね・・・・・・あれで、かなり感がいい娘だも の」
 おっとりさNo.1を冠するグリーンスピリットに対する千歳の評価に、ファーレーンは同意するべきか否定するべきかかなり困った。
「さ、さぁ、それはどうでしょう・・・・・・しかし、本当に?」
「さあね。レスティーナ王女がそれを警戒していることは確かよ・・・・・・いえ。ラキオス王がそれを期待している、というべきかしら」
「王が!?」
「何故かはわからない。でも今、勝率の低いデオドガンとの決戦が近いイースペリア、離反の危険があるサルドバルト両国を捨て置いてこの侵攻を行う理由が、 それ以外に考えられないの」
 実際には、千歳はバーンライトが落ちた時点で、サルドバルトは無力になったと思っていた。
 通信機などがあるわけでもなく、海路が開けてもいないこのファンタズマゴリアでは、陸道さえ制限してしまえば情報の行き来はどうとでもなる。同盟関係に ある二国に挟まれる位置にある条件上、バーンライトが落ちた時点で帝国との繋がりを完全に断たれたと思われたからだ。
 しかし完全に孤立したはずのサルドバルトに、今になっていくつもの思惑と注目が集中していることは、千歳の警戒心をかき立たせるに十分なものだった。

「もしも、王の目的の中で、サルドバルトの裏切りが『必然』のものだったら・・・・・・」
「―――裏切りが明確になるまで、ラキオス王はサルドバルトに決して手をださない。むしろそれを煽る可能性すらあると、そういうことなのです か・・・・・・?」
 ファーレーンは信じられない、でももしかすると、という相反する可能性に板ばさみになった表情をしていた。
「王がどの程度までその犠牲を割り切っているのかは、正直見当がつかない。サルドバルトの標的が背後を見せたイースペリアなのか・・・・・・正規部隊のほ とんどを遠地に出すラキオスなのかも」
「・・・・・・!」

 千歳の言葉に、ファーレーンの顔に理解が浮かんだ。
 しかし意思が伝わったというのに、千歳の表情は苦々しげに曇っている。
「そう、それがあなた達をラキオスに残す本当の理由。もしも私たちが帰ってこない内にサルドバルトがラキオスに牙を向けた時・・・・・・あなたたちは最悪 の場合、二人だけでそれを食い止めてもらうことになるわ」
 千歳は本当に、本当に腹立たしげに歯噛みする。
 この数日間、彼女はダーツィ大公国との国力差を理由に長期戦を上層部に進言していた。総力戦を避け、ラキオスにスピリットを残す理由を作るためだが、そ の意見は完全に否決されてしまった。
「チトセ様・・・・・・」
「憎んでくれてもかまわないわよ、ファーレーン。ただ勘違いをしてほしくはないでほしいけれど、この事を悠人は知らない。もしも、あの馬鹿が貴女たちを気 にしていたせいでダーツィ攻略に集中できなくなった、なんてことになったら両倒れになりかねないから」

 ファーレーンは暗い目で自分を見つめる千歳をじっと見つめていたが、やがてその手をとった。
「感謝します、チトセ様。私にこの事を話して下さって、本当にありがとうございます」
「・・・・・・聞いていなかったの? 私は、あなたたちに運が悪ければあきらめて死ねって言っているのも同じなのよ?」
 泣きそうな、困ったような顔をする千歳に、ファーレーンははっきりと首を横に振った。
「みんながいない時にまた敵がくるかもしれない、そう思えば怖いです。でも、もしサルドバルトが攻めてきたら、ラースは壊滅的な被害を受けるでしょう?  そんなことは許せません・・・・・あそこには、私が知っている娘たちもいるんです」

 それに、とファーレーンは少しだけ微笑む。
「防衛戦ならば、私たちの得意とするところです。始めてお二人にお会いしたときも、私たちがエルスサーオに向かうバーンライト軍を討伐しにいくところでし たよね―――それを覚えていたから、私たちを残そうと思ったのでしょう?」
「やだな・・・・・・。みんな、お見通しか」
 かつての守り龍サードガラハム討伐。その時にラキオスを攻めたバーンライトを抑えたのは、ファーレーン率いる少数部隊の手柄だった。
 その時も、圧倒的な戦力差のあった一軍を跳ね除けたのは偶然ではないだろうと、千歳は彼女を知るにつれそう確信していたのだ。

「『信じてるから、頑張って』なんて無責任なことが言えないなら、まだ憎んでもらった方が気は楽なのになぁ」
「・・・・・・チトセ様は、ご自分を低く見すぎですよ」
 ファーレーンはすねた子供を見るような目で千歳を見る。
「何も聞かぬ内から、怒鳴ってしまってすみませんでした。ニムには、私からちゃんと言って聞かせます」
「あ、それは止めて。せっかく火がついたんだから、前よりも強くするくらいの気持ちでつきあってあげてくれないかしら」

 千歳の言葉に呆れるが、また一理もある言い分だとも思ったファーレーンはため息をつきながらもうなずいた。
「・・・・・・わかりました。でも小さい子供じゃないんですから、いつまでもあんな風に炊きつけないでくださいね?」
「そう? だってニムントールは第二の中じゃ最年少でしょ?」
「私が言っているのは、チトセ様の方です」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・マジで言ってる?」
「・・・・・・大マジです」

 不覚にも意表を突かれたが、それ以上にファーレーンらしからぬお茶目な切り返しに、千歳はほんの少し噴きだした。
「ともかくとしまして」
 ファーレーンも少し気恥ずかしかったのか、頬をやや染めながらも会話を戻す。
「ダーツィは帝国の傀儡と言われていますが、本来は海千山千のしたたかな政策で北方にのし上がった国と聞きます。どうか、お気をつけ下さい」
「ありがとう。そっちも、万が一の時は頼んだわ。また、生きて会いましょうね」
「はい、必ず」
 二人はしっかりと互いの手を握り、そしてどちらからともなく眼を閉じた。
 互いの武運を願う言葉は、この世界に一つ。初めてであった時も口にしたその言葉を、千歳たちは共に口にした。

「―――どうか、マナの導きがあらんことを」



 ※※※



 翌日、スピリット隊は南下を開始した。
 サモドアに到着後、さらに南へと続く街道を行く悠人たち。
 しかし、ダーツィ大公国との戦いは、よい意味で千歳を裏切ることになった。
 それは、バーンライト領とダーツィの国境を挟むようにして広がる山脈の存在。これと『追憶』の探索能力のおかげで、悠人たちは敵の挟撃を受けることもな く、街道沿いに点在する部隊を各個撃破していくことができた。

 だがこのまま一気に首都キロノキロへと続く都市、ヒエムナまで直行できるかと思われたその時。悠人たちの前に一つの問題が立ちふさがることになったの だった。


 ダーツィ 国境付近

「―――ケムセラウトまで南下するですって!?」
 千歳は眼を見開いて、エスペリアの顔を信じられないとばかりに凝視する。
 対してエスペリアは以前のような事務的な反応で突っぱねはせぬものの、これは決定事項なのです、と強い態度で千歳を見た。
 ここは国境を越えた地点の街道、そのすぐ近くに建てた野営の一つである。
 といっても、かさばるものをあまり持てぬ身の上ゆえ、ほとんど野宿と変わりないような代物だが、少なくともないよりはましであった。
 そして悠人、千歳、エスペリアの三人は、毎晩必ずこうして集まり、これからの指揮や作戦についての意見を出し合っていた。

「あっちもダーツィの地方都市なんだろ? こっちが攻め落とさなくても、先に首都を落とせば向こうも降伏しかなくなると思うんだけど」
 悠人も納得がいかないといった調子で、参謀の顔をうかがった。
「お二人のおっしゃることはわかります。が、これは絶対命令なのです」
「・・・・・・納得がいかないわね」
 ケムセラウトは、首都キロノキロからずっと東に離れた都市である。
 河川によって周囲の都市から隔離されているそれは、短期決戦を目的とする悠人たちにとってわざわざ目標とする意義がないものであった。

「わかってるの? あそこはサーギオスの玄関口よ。あそこでどんぱちやって帝国を下手に刺激したら、藪からとびっきりの毒蛇がおしよせてくる わ」
「そのサーギオスから亡命された技術者の方が、ラキオスに保護を求めていらっしゃるのです」
 その言葉に、千歳はむっと言葉に詰まった。
 現在、ファンタズマゴリアでエーテル技術の最先端を行くのがサーギオスであることは、自他共に認める事実である。そこからやってきた技術者ともなれば、 ラキオスは喉から手が 出るほどに欲しがる人材に違いない。

「・・・・・・でもそれが罠、もしくはブラフである可能性は?」
「つまり、千歳は相手が俺たちを分断して、戦力を削ごうとしている。って言いたいのか?」
 悠人の言葉に、千歳はそうだと頷いた。
 ダーツィの裏にあるのが帝国、そして保護を求めるというのも帝国の人間。怪しむなという方が無理だ。
 それを承知しているエスペリアは、あっさりとそれに頷いた。
「可能性として、否定はできません」
「ちょっと、エスペリア?」
「ですが、それでも命令は正式なものです。私たちが無視することはできないのです」
 また会話が振り出しにもどり、千歳は苛立たしげに眉間のしわをほぐした。

「―――よし。それじゃあ悠人、隊長のあんたが決めなさい。もちろん、私はケムセラウトを放って置く方に一票入れたからね」
「ユート様。お願い致します」
「いっ!? ・・・・・・う〜、ん。ちょっと待ってくれ」
 二人の視線が自分に集中して、悠人は少し焦った。

「少し確認していいか? まず、千歳が警戒しているのは、ダーツィよりも帝国の方なんだな?」
「えぇ。あそこのスピリットたちの相手をするには、今の私たちだけじゃあ圧倒的に力不足よ」
 スピリットの身体能力は、与えられたマナ総量に比例する。いかに技量をあげようと、不用意に圧倒的な物理力に立ち向かおうとするのは愚の骨頂といえる。
 そしてラキオスと帝国との保有マナの差は、雲泥という言葉もおこがましいものであった。
「それで、命令はその技術者の保護が最優先なんだろ?」
「それは・・・・・・はい、そうです」
 エスペリアは少し考えた後に、こくりと頷いた。
 悠人は二人の意見を確認すると、しばらくの間考え込んだ。

「それじゃ、こういうのはどうだ? ・・・・・・千歳」
「なに?」
「お前が部隊を組んで、ケムセラウトに行ってもらえないか。『追憶』の力なら、強いスピリットが近づけばすぐにわかるだろ? ケムセラウトを攻めている間 に帝国軍が来たと思ったら、お前の判断で撤退してくれればいい」
「・・・・・・悪くはないわね。その場合、最優先は都市制圧よりその技術者の保護になるけど」
「あぁ、それでいい。戦闘は俺たちがヒエムナを抑えるまで、後ろからダーツィのスピリットたちが来ない程度にしておけばいいから」
「了解」
 その後、千歳が同行者として選んだのはセリア、ヒミカ、そしてオルファリルの三人だった。攻撃に偏った編成であるが、短期決戦と逃亡には向いた布陣であ る。

「エスペリア、こんなのでどうだ?」
「はい。ユート様のご指示に従います」
 エスペリアが頷いたのを見て、悠人はほっとした表情をする。
 まだ戦争に対して抵抗がある悠人にしてみれば、戦闘に積極的ではない今回の作戦が二人に受け入れられたことは非常にありがたかった。

(でも、それも結局は自己満足なんだよな・・・・・・)
 悠人は自分が少女たちを戦いに引き出す作戦を練ることに、いまだ大きな躊躇いを隠すことはできない。
 皆が生き残っていけるだけの力を持っているとはわかりつつも、その思いは強かった。
(勝ちたいんじゃない・・・・・・ただ、俺は負けてはいられないんだ)
 脳裏に浮かぶのは、自分が守らなければならぬ、ただ一人の少女の姿。

(そうだ、俺は佳織のために・・・・・・!)

 そうして一人、じっと思案に暮れる悠人の姿を、エスペリアと千歳はそれぞれの思いを胸に黙って見つめていたのだった。



 ダーツィ ケムセラウト近郊

 本隊から分かれた千歳は、三人のスピリットたちと共に都市ケムセラウトへと向かった。
 ついぞ変わらぬダーツィ軍の消極的な戦法を不思議に思いながらも、自軍に有利な形で戦況は進んでいく。
 そしてついに、千歳たちはケムセラウト近郊へとたどり着いて制圧戦を開始していた。

「これで・・・・・・終わりよっ!」
 ―――斬!!
 『熱病』を薙ぎ払った一撃で、最後の敵がマナの塵へと返る。
 残身の姿勢から永遠神剣を下ろし、セリアは肩で大きく息を吐いた。
 そこへ、後衛に回っていた千歳がセリアの様子を見に来た。
「ご苦労様、セリア。怪我を見るわよ」
「・・・・・・お願いします」
 礼儀正しく、しかしそっけないセリアの返事に、千歳はやや苦笑しながら手当てを始める。
 まず傷の具合を見て、マナの糸でやや深めの傷を縫合。そして手馴れた様子で、包帯をその上から巻いた。

「やっぱり、ハリオンにも来てもらった方がよかったかしらね」
「いえ。この程度の怪我、これで十分です。それよりも、ここまで来たというのに、思った以上に敵軍が少ないことが気になります」
 セリアの言うことはもっともだった。
 これだけ都市そのものに肉薄しても、差し向けられるのは少数部隊のスピリットたちだけ。そしてその数も、その勢力も想像した抵抗をはるかに下回ってい る。
「そう、なのよね・・・・・・探索範囲をいくら広げても、見つかる残りの敵は向こうにいる一部隊だけ。ちょっと異常よ、これは」
 千歳はセリアの意見に頷きながら、残った包帯をしまった。

「もぅ! 敵さん弱くて、オルファつまんな〜い!」
「こらっ。そんなことを言うもんじゃないわよ、オルファ」
「む〜、でもでも〜〜〜」
 ヒミカがオルファをたしなめるのを横目に、千歳は逆の方向を見据える。
「―――みんな、最後の団体様のお越しよ。メトラの方向から二、クトラの方向から一。今までと同じ方法でいくわ」
 返事の代わりに、三人の表情が変わる。

 そして、そこを見計らったかのように槍型の永遠神剣が飛来してきた。
「防げっ!!」
 千歳の声と共に、細かいオーラが組み合わさって一枚の強固な盾となる。
 一瞬にして出現したオーラの華の中央に、槍の穂先が突き立った。
 衝突の瞬間火花を散らし、しかし花弁を二、三枚はがしただけで、盾は完全に槍を止めた。
「ッ!?」
 不意打ちを難なくかわされ、敵が慌てて己の神剣を引き戻そうとする。
 だがその前に、オルファが神剣魔法を放った。

「させないよっ♪ ―――死んじゃえ〜〜〜っ!」
 槍の飛来した方向へ、焔と雷が入り混じりながら飛んでいく。
 一拍置いて、離れた場所から爆炎が立ち上った。
 同時に、背後から現れた敵たちをヒミカとセリアが迎撃する。
「行きます!」
「やああぁあっ!」
 ヒミカは双剣を回転させながら敵の死角をつき、セリアは敵の動きを牽制しつつ慎重に戦う。
 時折、敵が神剣魔法で狙撃するオルファを狙うが、すべて千歳の盾が防いでいった。

 グリーンスピリットの一人が劣勢となった状況を覆そうと、距離をとって神剣魔法を使おうとする。
「・・・・・・マナよ、癒しの風となれ」
 だが、そこへセリアが腕を突き出して静かに唱えた。
「マナよ、我に従え。彼の者を包み、深き淵に沈めよ」
 千歳は、わずかにセリアの方へ気をとられた。
 迅速に編み上げられる魔術の構成、それは千歳の知るブルースピリットの神剣魔法よりも強力な力を感じ取れた。

「エーテルシンク―――!」

 魔力が解放される。
 敵に向かって飛び行くマナが巨大な氷塊となり、怒涛の勢いで展開されつつあった魔方陣をかき消した。
「ウァアアァァアアッ!?」
 さらに、魔法を放つ寸前であったスピリットの体を氷が覆う。その場から離れようとした時には、すでに腰から下が凍りついていた。

 敵の立ち位置が直線状に来た好機を逃さず、迷わずヒミカは敵と斬り結んだ零距離から神剣魔法を放った。
「マナよ、炎の槍となって敵を貫け!」
「クッ・・・・・・!?」
 慌てて体をかわそうとするスピリット。だが、遅い。

「―――フレイムレーザーっ!」

 真紅の光芒が、一瞬で敵を貫いた。
 眼前のスピリットがマナの塵となり、彼女の神剣魔法は氷漬けになった敵をも撃ちとった。
「ふう。これで、終わりですね・・・・・・」
 ヒミカはひゅん、と『赤光』を一振りして手元に戻す。
 セリアも軽く頷きながら、『熱病』を鞘に収める。だが、その顔にはありありと困惑が見て取れた。
「・・・・・・最後まで、呆気なかったわね」

 千歳もまた、戸惑っている。
「一体、どうなっているのかしら・・・・・・?」
「やはり、私たちの戦力を二つに削ぎたかったということなのでしょうか?」
 ヒミカが言ったのはそこそこ納得のいく答えであったが、セリアはそれに反論する。
「でも、ヒミカ。だからといって、こうもあっさりと自分たちと帝国をつなぐ街道を手放すかしら?」
「それは・・・・・・そうよね。チトセ様、本当に敵はもういないのですか? あ、決してお言葉を疑うわけじゃありませんけど」
「言いたいこともわかるけど事実よ、ヒミカ。もっとも、この『追憶』が耄碌していたらわからないけど」
 千歳の言葉に、『追憶』は律儀に突っ込んだ。
 ―――主殿、永遠神剣はボケぬ。―――
「そういう台詞は、紙切れ一枚切れてからいいなさい。駄剣の分際で」
 ぴしゃりと反論を跳ね除け、千歳は無駄とは知りながら何度目かの周囲の気配を探った。

「・・・・・・ん?」
「どうしたの、ママ?」
「何かが、来る」
 オルファに答えた千歳の言葉に、セリアははっとする。
「まさか、敵が」
「違う・・・・・・これはスピリットじゃない」
「えっ?」
 千歳の言葉に、三人の娘らが一様に眉を上げた。

「―――来た」
 千歳はケムセラウトの町より近づいてくる影を目視した。
 それは、スピリットのものでもない。
 その正体に、セリアたちもすぐに気がついた。
「あっ。馬車だ〜」
「・・・・・・あれって、ダーツィ大公国の紋章よね」
「そんな。どうして、人間がここに来るの?」
 セリアの問いに答えられる者は、ここにはいない。
 そうしている間にも、動物がひいた乗り物は千歳たちの困惑など知らずに目の前までやって来た。

 いくばかか離れた場所で、馬車はぴたりと止まった。
 しばらくして、その中から人影が現れる。身なりの整った、それなりの地位にいると思われる男であった。
 その男は周囲を見渡すと、千歳たちの方にためらいなく近づいてきた。
 千歳は思わぬ事態に飲まれかけていたが、その男がこちらにかなり近づいてきた時になってようやく我に返った。
「動くな! ―――それ以上の接近は、敵対行為とみなします」
 鋭く発せられた言葉に、セリアたちもはっと身構える。
 男はわずかに驚いたように目を見張り、そして言われたとおりに立ち止まった。

「ダーツィ大公国の地位ある者と見受けるが、間違いないか」
 千歳は『人間用』のしゃべり方、それもやや威圧的に問いかける。
「左様。私がダーツィ大公国、ケムセラウトの領主にございます。そして、そちらはラキオスのエトランジェ殿とお見受けしますが、相違ありませんかな?」
「そうだ。私はラキオス軍スピリット隊副隊長、『追憶』のチトセ。ラキオス国王、ルーグゥ・ダィ・ラキオスの命を受け、この地へ来た」
 相手はただの人間、護衛のスピリットもいない。それなのに、千歳はなぜか不気味な予感を覚えてしまう。
 しかし、今自分が隙を見せるわけには行かない。千歳は自分に喝を入れてきっと領主を名乗る男を睨んだ。

「貴公は何の用あってここへ参られたのか。これより、我らはキロノキロを制圧させていただく。スピリットのいない貴公らに、もはやできることはないぞ」
 男は千歳の睨みに、笑みすら浮かべて返事を返した。
「その通り、我々にエトランジェ殿を止める手段はございませぬ。ゆえに敗者たる者の、ごくごく当然の務めを果たしに参っただけにございます」
「務め・・・・・・?」
 ヒミカがいぶかしげな声をあげたが、男はそれには答えなかった。あくまでも、その目は千歳へと向いていた。


「―――ケムセラウトはただ今をもって『追憶』のエトランジェ、チトセ殿に降服を致します」



 ※※※



 ケムセラウト 宿屋

 突然のケムセラウトの降服宣言。
 それから数日、千歳は正規隊の到着を待ちながら自分にできる処理を何とかこなしていくしかなかった。
 情報どおり潜伏していた、帝国からの亡命者とその同伴者を保護。また自ら降服した高官らの軟禁。
 やることはだけは事欠かず、セリアやヒミカの手を借りながらも仕事に追われる日々であった。

 さらに数日後、無事に悠人たちがヒエムナを制圧したとの知らせが届いた。
 事実上、ダーツィは主力たる二つの都市をあっという間に攻め落とされたことになる。
 しかし、あまりにも事がうまく運びすぎている。
 敗北に対する見切りの早さ、そして身を引く時の駆け引き―――彼らの身の保護など、内容は簡単なものであったがそれだけに承服しやすい条件であった ―――といった、彼らの引き際のよさも目立った。
 そして、彼らの本当の意図は―――依然として見えない。
 千歳は失笑を漏らすしかなかった。
「本来は海千山千のしたたかな、か。ファーレーン、貴女の言った頃、どうやら正しかったようね」
 とそこへ、扉を叩く音が耳を打った。
「チトセ様。いらっしゃいますか」
「えぇ、セリア。入ってちょうだい」

 がちゃり、とノブが回してセリアが部屋に入室する。
「失礼します・・・・・・何を、しているのですか?」
「―――読書の時間よ。続きが読み終わってなくてね、それほど大きくもない本だったから持ってきておいたの」
 千歳はベッドに寝そべりながら、ノートのような冊子をぱらぱらとめくっていた。
 かなりだらしなく見えるその姿にため息をつきかけたセリアだったが、ベッドから起き上がった千歳の顔を見てぎょっとさせられる。

 髪の毛の編んでいない部分がばらばらとこぼれ、両目の下がうっすらと青く隈になりかけている。
 表情も、頭痛か何かに悩まされているように覇気がない。
 さらに、服のあちこちにも皺がより、だらしないというより凄まじいという容貌を演出していた。
「ど、どうしたんですか、その顔は!?」
「あぁ、これ? 酷いでしょ? こっちに来てから、一回も寝てないのよね実は・・・・・・・ふ、ぁ・・・・・・」
「な―――っ!」
 セリアが驚いた顔はいつもの憮然とした表情の何倍も可愛く見えたが、それを本人に言ったら怒られそうなので千歳はやめておいた。

「どうしてそんな・・・・・・まさか、ずっと神剣の力を開放していたのですか!?」
「せいか〜〜〜い。座布団を一枚あげましょう・・・・・・って。なかったわね、ンなもん」
 千歳は先ほど、相手の顔を確認することなくその名前を呼んだ。
 それも、あれから常に『追憶』の探索能力を全開にして、自分の知覚できる限界まで神剣の気配を――― つまり、帝国からの奇襲に備えての警戒網を常にひいていたのからなのだ。
 実質の戦闘行為はまったくないにも関わらず、千歳はバーンライト戦時の数倍の勢いで、確実にその精神力を削られていた。

 ともあれ。
 なははは、と空虚な笑いを浮かべる千歳がかなり危険な状態だということは、正気ならば誰にでもわかることだった。
 「まったく、どうしてそういうことを早く言わないのよ! ―――ほら、貴女は少し寝なさい!!」
 セリアは感情が高ぶっているのか、口調が急にタメになっている。
「あぁ、うん。そりゃダメよ、ダメ。私が寝たら、その夜にはこの町が帝国のスピリットにぐる〜〜〜っと囲まれてるんだから・・・・・・なははは」
「い・い・か・ら・寝・る!」
 しょうがない子供をしつけるが如く、セリアはかなりラリっている千歳をベッドの上に押さえつけた。
 千歳はしばらく頭を枕に押さえつけられてもがもがとしていたが、やがて大人しくぐでっとなった。

「まったく。ここから戻ってきたヒミカが、変な顔をしていたわけがやっとわかったわ」
「・・・・・・」
「本当に、もう。エトランジェっていうのは・・・・・・」
 セリアはぶつぶつと不平をもらしながら、千歳の様子を見る。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・い、生きているわよね?」
 ピクリともしないでうつぶせのまま大の字になっているその姿は、かなり不気味なオブジェであった。
 ちょっとだけ心配になって、セリアは千歳の脈を確かめる。手首を握った手にしっかりと鼓動があるのを知り、ため息交じりでその手を離した。
 しばらくだらけていた千歳はごろん、と寝返りをうつ。
「・・・・・・ん、セリア。本、渡してくれない?」
「え? あぁ、これのこと・・・・・・ですか?」
 床に落ちていた先ほどの本の拾い上げながら、セリアは慌てて敬語に戻そうとした。

「ありがと・・・・・あと、どうせここ、私たちしかいないんだから。タメ口聞いたってかまいやしないわよ」
「そういうわけには・・・・・・・いえ、やっぱりそうさせてもらうわ」
 『いかない』と言おうとしたが、その直後、セリアは千歳あまりにだらりとした格好に、こんな相手に敬語を使うことに大きな拒絶感を覚えた。
「でも、何の本なのこれは? ―――えぇ、と『ス、ピリ・・・ット考、察』・・・・・・?」
 かすんだ金文字をたどろうとしたセリアに、千歳は声をかけた。

「読みたい? ―――最っ高に夢見が悪くなること、請け合いよ」

 その声のあまりの暗さと陰気さに驚いて、セリアは思わず、再度同じ問いを発してしまう。
「・・・・・・ 一体、何の本なの?」
「そうね・・・・・・とびっきりのクズの書いた、とびっきりのクズのための本よ」
 千歳は枕を抱いたまま、吐き捨てるようにいった。
 セリアは困惑したまま、適当なページをぱらぱらとめくってみる。
「スピリット隊の作戦指南書? ・・・・・・っ、これって!」
 とある図面をじっと見ていたセリアは、はっと目を見張った。
 そこに示唆された内容に気がついたのだ。
 それは、いうなれば最も効率のよい『スピリットの使い潰し方』。
 自軍を巻き込んで広範囲魔法を放つ、敵を足止めする者もろとも背後から斬り飛ばす・・・・・・。そんな吐き気がこみ上げてくるような策が、つらつらと書 き綴られ ていた。

「何なのよ、これは!?」
 思わず、セリアはノートを千歳の枕元に叩きつけてしまう。
 千歳は片手でそれを受け止め、またぱらぱらとめくり始めた。
「言ったでしょ? クズの本だって」
「えぇ、確かにそんなもの書けるやつはクズでしょうね! それで、そんなものを読んでいるあなたは何なの!?」
 セリアの声は叱責に近い。
 それはそうだろう、自分たちを束ねる者が下種の策を習うことしかできぬような本を読んでいるのだから。

「そのとびっきりのクズの書いた作戦に、どうやっても負けそうな弱虫・・・・・・ってところかしら?」
 小さく肩をすくめ、千歳は皮肉な笑みを浮かべた。
「何回も、何回も読み直してみたけど・・・・・・こと、『効率』と『勝率』を主体にして読み込めば、私が考える作戦なんて、これを書いた男の足元にも及ば ない。・・・・・・ホントに腹立たしいけど、それが覆しようのない事実よ」
「・・・・・・!」
 セリアが何かを言いかけるが、言葉のないままに再びその口は閉じてしまった。
 千歳はそんな反応に苦笑しながら、ぽい、とノートを頭の横に投げ捨てる。
「ま。こんなクズに戦場で会わないように、せいぜいマナの導きにすがっているしかないわね」
「貴女って・・・・・・」
 セリアは心底あきれ果てた、という眼差しで千歳を見た。

「サモドアの時も思ったけれど。エトランジェって、口ばっかりなのね」
「あぁ、あの馬鹿のこっぱずかしい演説のこと?」
「言わなくったってわかってるでしょう。まったく、本当にみんな単純なんだから・・・・・・!」
 あんな口車にころっと乗って、とセリアは憤懣やるせないといった調子で千歳の寝ているベッドの隅に座り込んだ。
 重心の変化に、千歳の頭がわずかにゆれる。

「エスペリアが元気になったのは嬉しいけれど、その理由があんなお気楽な、何も知らない男の言葉だなんて―――あれじゃあ、いずれまたどこかで行き違っ て、同じことの繰り返しになるわ!」
「あ、それには賛成」
 千歳が素直に言うと、セリアは茶々を入れられたと思ったかこちらをじろりと冷たい目で見た。
「私にしてみれば、貴女だって同じよ。オルファたちを手なずけて、その裏じゃ何を企んでいるか・・・・・・」
「別に、私はどんな風に思ってもかまわないんだけどね。あなたのそんなところを買って、わざわざ本隊に引き入れたんですもの」
 そ知らぬ顔であっさりと言い放った千歳の一言に、セリアの中で何かがぶちりと切れた。

「―――あぁ、もう! あなたの、そういう所が、一番信用できないっていってるの!」
 セリアは枕を取り上げたかと思うと、それで千歳をぽかぽかと滅多打ちにし始めた。
 千歳は顔に振り下ろされる枕をごろごろと転がって避け、セリアはその度にまた枕を振り上げては千歳を狙う。
「わっ、たっ!? ちょ、ちょっと、やめてよそーゆーの! マジで頭痛がひどいんだから!!」
「私だって、あなたたちが、来てからというもの―――頭痛の連続よっ!!」
 二人が気づいているのかいないのか、深刻な空気はあっさりと立ち消え、なんというか女子高の修学旅行のようなノリになり始めている。

 しばらくどたんばたんとやかましい音が続き、それが終わった頃には部屋がかなりほこりっぽくなっていた。
「くっ・・・・・・セリア、あ、あなたって意外と執念深いわね」
「そ、そっちこそ・・・・・・随分と諦めが悪いヒトね」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・もう、止めにしましょ」
「・・・・・・そうね。これ以上は不毛だわ」
 セリアが投げ捨てた枕を回収し、千歳はそれに顔うずめながら口を開く。

「それで、あなたがここに来た用は一体なんだったの?」
 わずかな沈黙。ぴしりと固まったセリアに、千歳はいじめっ子の顔で口元をゆがめる。
「・・・・・・ひょっとして、忘れた?」
「そっ、そんなわけないでしょう!」
 セリアは即座に否定したが、心なしかその顔が赤い。
(半ば忘れてたわね。これは)
 千歳は確信を深めたが、それを追求する前にセリアが先をとる形でしゃべり始めた。

「ケムセラウトの領主が、話があるそうよ。私が聞くといったら、エトランジェのあなたにしか話せないことだ、ですって」
「・・・・・・気に食わない言い草だけど、要するにそれだけ重要な話があるということかしら」
「多分ね。どうする?」
「・・・・・・会うわ。でもちょっとこの姿は見せられないから、少し休んでから行く・・・・・・二時間したら・・・・・・おこ、し、て・・・・・・」
 千歳の口調は徐々に怪しくなり始め、しまいにはがくりと枕に顔をうずめたまま沈黙した。

 先にもあったような唐突な沈黙に、セリアは恐る恐るといった風に声をかけた。
「―――ちょっと?」
「すー・・・・・・すー・・・・・・」
 返事の変わりに聞こえてくる規則的な呼吸音に、セリアはふぅと呆れのため息をついた。
 ここまで気を張り詰める前に、自分たちにでもさっさと相談をすればいいのだと呟く。
 いずれにせよ、このだらしのない生物をこのまま自分たちの代表として引っ張っていくわけにもいかず、セリアはしかたなく千歳をしばらくの間ほおって置く ことに決めた。

 そこへ、ノックもなく部屋のドアが開く。
 入ってきたのは、『理念』を手にしたオルファだった。
「ねぇママ〜、まだお仕事おわらないの・・・・・・って、あれ? セリアお姉ちゃん?」
「あら。どうしたの、オルファ?」
「うん。だ〜れも遊んでくれないから、オルファつまらなくって・・・・・・あ♪ ママ、お昼寝してるの? オルファもお昼寝する〜〜〜♪」
 とてとて、とベッドに駆け寄ろうと自分の脇を通り過ぎるオルファの襟を、セリアは猫の子をつかむようにして持ち上げた。

「わ、わわわわ!? セリアお姉ちゃん!?」
「オルファ、悪いけど今はちょっとだけ我慢してくれないかしら。代わりにわた・・・・・・ヒミカが、相手をしてあげるから」
 『私が』と言おうとしてから、元気いっぱいのオルファに対して自分はかなり疲れていることを自覚し、セリアはあっさりとヒミカを身替わりに差し出した。 良心の二文字は、とりあえずハイペリアの彼方へ放り出す。
「ん〜・・・・・・うん! ヒミカお姉ちゃんとも最近遊んでないし、オルファそれでもいいよ」
「そうしなさい。それじゃ・・・・・・あら」

 セリアはオルファが扉の脇に立てかけた『理念』に目を止めた。
 普段、オルファやネリー姉妹は日中に自分の永遠神剣を持ち歩くことは少ないのだが・・・・・・。
「オルファ、あなたずっと『理念』を持っていたの?」
「うん! ママがね、ここにいる間は絶対に遠くに行っちゃダメだし、『理念』を追いてっちゃダメよ、ってオルファに言ったから」
 セリアはちらりと千歳の寝顔を横目に見た。
 千歳の片腕にしっかりと握られた『追憶』の姿に気づき、ぽつりと呟く。
「ただのお気楽というわけじゃない、か・・・・・・」

 それに、千歳の枕元に転がっているあの本。千歳はそれを評して『クズの本』と言ってはばからなかったが、それを何度も読み返していた。
 それはふざけた調子ではぐらかしていたが、千歳は一重に外道に対処する術を見つけるべく研究を重ねていたのだ。
(それにしても、あの本もラキオスのものだと思うけど。あんなモノを臆面なくかける人間と言えば・・・・・・)
 セリアの脳裏に、一つの名前が思い浮かぶ。
 直接の面識はないが、いまだラキオスの軍部から忘れられぬ男、その者の名前を。

「まさか・・・・・・ね。その人間はとうにラキオスから駆逐されたはずだもの」
「え? なに?」
「なんでもないわ。ほら、行くわよ」
「は〜い。ばいばい、ママ♪」
 自分の思考を振り払い、セリアは部屋の明かりを消す。
 そしてオルファがベッドに手を振って、二人は千歳を部屋に残し去ったのであった。


 ラキオス城 廊下

 人気のない内裏、そこの廊下をレスティーナは一人行きながら、呟いていた。
「ヒエムナ、ケムセラウトが落ちた・・・・・・しかし、あまりにもうまく行き過ぎています」
 情報部によれば、敵国のスピリット部隊のほとんどはいまだ首都にて健在、しかしまったく動きを見せようとはしていないという。
 これでは、二つの都市などはなから眼中になしとでもいうかのようだ。
「何かを待っている? サルドバルトには相変わらず動きがないけれど・・・・・・」
 何か、自分たちは大きな思い違いをしているのではないか。そんな気すらしてきてしまう。

 そうこうしている内に、レスティーナは目的の部屋までたどり着いた。
 この戦争の事務などでしばらくかかったが、ようやく彼女との約束を果たすことができる。レスティーナは緊張しそうになる己の心臓を叱咤し、それから落ち 着いた様子で扉をノックした。
「ぁ、はい・・・・・・」
 扉の向こうから聞こえる小さな声の主に、レスティーナは告げる。
「カオリ、入りますよ」
 レスティーナが部屋に入ると、机に向かっていた頭がくるりとこちらに振り返った。
 角のないエヒグゥのような形をした特徴的な帽子の耳が、ふわりと広がる。以前に聞いた所、あるハイペリアの動物を模したものであるらしい。
「レスティーナ王女様・・・・・・」
 高嶺佳織―――この部屋に囚われの身となっているエトランジェであり、悠人と千歳の人質となっている娘は、王女の久しぶりの来訪に頬をゆるませた。

 レスティーナもまた笑顔を見せながらも、王女たる姿勢を崩さずに佳織に話しかける。
「あまり来られなくてごめんなさいね、カオリ。退屈はしませんでしたか?」
「あ、はい。本を読んでいましたから、大丈夫です」
 佳織は机においていた本を示した。
「そうですか、もうそんなところまで・・・・・・やはり、カオリのもの覚えのよさは、素晴らしいですよ」
 レスティーナは心からの賞賛をこめて、佳織を褒めた。
 千歳もまた聖ヨト語の読み書きを履修しているが、それはあくまでも永遠神剣というファクターと、本を自由に収集できる立場にいるため。
 これといった教材もなしに、制限された環境と物資の中で、それだけの位置にたどり着けると言うことは十分、快挙というに価した。

「そんな、これは絵が多いからで・・・・・・普通の本はまだ・・・・・・」
「そんなことは・・・・・・ぁ」
 ない、と言おうとした時、その本の表紙に目を止めたレスティーナはわずかにいいよどんだ。
 それは四神剣の勇者、すなわち悠人たち以前のエトランジェの伝説を記した本であった。
「どうか、したんですか?」
 佳織の問いかけに、レスティーナは動揺してしまった自分を叱咤する。
「いえ、なんでもありません。―――それより、今日は伝えることがあって来ました。カオリにとっては、よくない知らせです」
 その伝承の結末・・・・・・エトランジェの最期について、佳織に教えるべきことはない。不要な心配でこの娘の心をかき乱すよりも、自分に話すべきことが あるはずだとレスティーナは克己した。

「戦いが、本格化しようとしています。ユートとチトセは確実にこの戦いの要となり、戦場にでていくことになるでしょう。戦場にいる時間が長くなれば、それ だけ危険にさらされます。二人にはエトランジェの力があり、エスペリアたちもついていますから大丈夫とは思います」
 一つ息をついて、非情なる言葉を続ける。
「―――しかし、最悪の覚悟だけはしておいてください」
「え・・・・・・っ!?」
 佳織は息をするのも忘れて呆然となり、それからレスティーナにつめよった。

「ダメ・・・・・・だめです! お兄ちゃんも、ちぃちゃんも優しいから、そんなっ・・・・・・戦うなんてできないです!」
 必死に懇願する佳織の姿にも、レスティーナは決してたじろぐ姿を見せない。
 それは、王女たる自分には決して許されぬのだから。
「やめさせてくださいっ・・・・・・お願いします!」

「―――ごめんなさい。それは、できません」

 きっぱりとした否定に、佳織は泣きそうな顔になってしまう。
「どうして・・・・・・」
「戦いは、もう始まってしまったのです。今、エトランジェという貴重な戦力を、外すわけにはいきません。二人が戦列から離れれば、戦況は苦しくなります。 その結果、より多くの人々が苦しむ結果となるのです。私は王女として、戦線から彼らを外すことはできないのです」
 辛そうな顔をしてはいけないと、レスティーナは自分に言う。加害者たる自分が被害者のようにふるまうことなど、決して許されないのだから。

「理解して欲しい、とは言いません。許して欲しい、とも・・・・・・言いません」
 じっと、佳織はレスティーナの言葉を聞いていた。佳織は彼女の言葉、そしてその誠意が真実のものであると、信じることができた。
 二人が傷つくことが怖い、他の人々が傷ついてしまうことも怖い。
 避けられぬ犠牲の二文字に板ばさみになりながら、佳織はそれでも口を開いた。

「レスティーナ王女様、一つだけ、聞いていいですか?」
「・・・・・・なんでしょう?」
「この本に出てくる勇者様、どうなっちゃうんですか?」
「・・・・・・!」
 神剣を持ち、ラキオスに勝利をもたらした英雄。最後は語られることなく、ただ去ったと伝えられる勇者。
 だが実際には、それは違う。彼が当時のラキオスの人間によって謀殺されたことを知っていたレスティーナには、佳織の問いがこう聞こえた。

『お兄ちゃんたちを、どうするつまりなんですか―――?』

 狡兎死して走狗煮らる。その掟は、たとえ世界が違おうとも健在なのである。
 今、悠人たちを戦いに向かわせている自分は、はたしてこの戦争の後に、なにを彼らにすることができるというのか。
 レスティーナは脳裏をかすめた最悪の想像を振り払い、なだめるように言った。
「これは、ただの、古いおとぎ話ですから・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
 佳織はただ目を伏せて、確かな答えがないことを追求することはなかった。
 レスティーナはそんな彼女の優しさに感謝しながら、そろそろ行かなければならぬことを思い出した。

「それでは、今日はこれで失礼します。また今度、カオリの世界の話をしてくださいね」
 佳織のするハイペリアの話は『レムリア』にとっての町の散歩に並ぶ、レスティーナにとっての数少ない心の癒しであった。
 最近のレスティーナの関心は、ハイペリアでの日々の生活についての話だった。特に、自分と同世代の子供たちが行くという『学校』の話は、さまざまな面で 彼女の心を打つ場面か多い。
「この前は、あなたのお友達のお話が途中まででしたね? ・・・・・・今度は、チトセのことも教えてもらえますか?」
「えっ? は、はい。でも・・・・・・」
 佳織はふと表情を曇らせて、言いにくそうに言葉を濁す。

「ちぃちゃんとは・・・・・・わたし、あんまりお話したことがないですから」
「えっ・・・・・・?」
 レスティーナは意外な言葉に耳を疑った。
 千歳の佳織に対する思い入れは、兄の悠人に勝るとも劣らない。単身、佳織の救出に打って出たのはその際たる現れであるし、その以外の場面でも、オルファ が千歳に佳織のことを尋ねられたと言う話をたびたび耳にしてい た。
 そんな彼女のことを、佳織自身が『よく知らない』というのは非常に違和感を覚える言葉だった。
「あ、昔はよくいっしょに遊んだってことは覚えてるんです。でもわたし、そのころの記憶はあまりしっかりしてなくて・・・・・・」
「そう、なのですか?」
 はい、と佳織はしゅんとした様子で頷いた。

「ホントはちゃんと、そんなことも聞いてみたいんです。でもちぃちゃんは、私とあんまりお話しようとしてくれなくて、すぐに離れて行っちゃっ て・・・・・・ひょっとしたら、わたし、嫌われるようなことをしちゃったのかも、っていつも思っちゃうんです」
 思いつめた様子の佳織に、レスティーナは困ったように首をかしげた。
 レスティーナは知っている。どれだけ、二人のエトランジェがこの少女のことを思っているのかを。
 しかし、それは自分の口から証明されるべきではないこと、それを知るがゆえにレスティーナは短い返事をかえした。
「大丈夫ですよ、カオリ。ユートはもちろん、チトセもあなたの身を本当に案じています」
「・・・・・・はい、レスティーナ王女様」

 ドアに向かったレスティーナは、佳織の部屋から去る前に、もう一度だけ宣告を繰り返した。
「今は、二人とも本当によくやってくれています・・・・・・。ですが、これからの無事を保証することはできません」
 背後の少女の表情が曇ることを知りながら、念を押す自分の醜さにレスティーナは内心自己嫌悪になりかける。

「―――ごめんなさい、カオリ」

 扉を静かに閉めた後、レスティーナは小さく息を吐き、ぽつりと言った。
「これで、いいんだよね・・・・・・セーネ」
 少女の顔を一瞬だけのぞかせたレスティーナは、すぐに思いを振り切るようにして歩き始めた。
 レスティーナが内裏を抜けて執務室に向かう途中、その姿を見て駆け出してきた一人の兵士がいた。それは軍部の情報を、いつもいち早く自分に届けてくれる 男である。

「レスティーナ様! 本隊から、緊急連絡が入りました!」
「! 何か、動きがあったのですか?」
 レスティーナの問いかけに、男は大きく頷く。
「ダーツィ大公より、書状が届けられたそうです。内容は、停戦の進言であるとか」
 レスティーナは目を見張った。
「停戦―――この時期になって?」
  いくらスピリット隊のほとんどが健在とはいえ、主要都市二つを抑えられた状態での発言とは思えない。

「ダーツィが停戦に出した要求は?」
「はい。要求は大きく四つ。一つが、ラキオス軍の王都キロノキロへの五年間の不可侵。ヒエムナ近郊の街道と国土の割譲を条件にした、ケムセラウト の返還。亡命者の持ち出した、帝国の研究資料の返還。最後に、停戦に関する合意を互いの代表者による会合によって決定すること、だそうです」
 レスティーナはダーツィの要求について考えた。
 不可侵条約の方はあてにならぬが、今現在、両国が正面からぶつかり合うことは、近郊諸国の動きもあり不安である。それならば、ダーツィの北の領土と街道 を押さえることで、とりあえずの終止符とすることは悪い話ではない。
 持ち出された研究資料というものは初耳だったが、おそらく返却するにしても、秘密裏に写しを取るであろうからさしたる問題ともならない。
 問題は、その停戦条約結ぶ会議についてだが・・・・・・。

「会議のことについての情報は?」
「・・・・・・それが」
 兵士の表情がわずかに曇った。
「ラキオスに二人のエトランジェがいる以上、その脅威に脅かされた状態での会議などは不可能である。よって、会議の場は両国の都市ではなく、帝国領――― リレルラエルとするのがもっとも望ましい、と」
「なっ―――!」
 レスティーナはあまりのことに、呆然となりかけた。
 帝国はダーツィの同盟国、実際にはダーツィを傀儡とする国である。
 今回の戦争の真の怨敵とも言うべき相手の膝元に、わざわざ出向けて言うなど、正気の沙汰とは思えなかった。

「バカな、そんな危険な場所に誰が望んで赴くというのですか?」
「そ、それが、そうあるものが言いました所、大公側の使者は―――」
 兵士は冷や汗をぬぐって言う。
「ならばエトランジェを代表の護衛とすればよい、と言ったそうです。帝国のスピリットが脅威となるならば、それに拮抗するものを同席させれば、両国の対等 な立場での会議はひら かれるであろう、と」
「エトランジェ、を?」
 嫌な予感がレスティーナの心をよぎる。そして、それは見事に的中した。
「国王は、この合意を承諾したそうです。そして、こちら側の代表の護衛とされたのは・・・・・・」
 兵士が声を落として言った名前に、レスティーナは今度こそ息を殺して叫んだ。



「チトセが――――――!?」




・・・・・・To Be Continued



 【後書き】

 こんにちは、Nilです。
 今回は予兆、とタイトルにあるように、やや展開が少なめです。
 ・・・・・・悠人が多く書けないのは、けっこうストレスでした。彼にはもっとでばって来てほしいんですけれど・・・。
 次回、非常に原典から外れますので、一部の読者の方々、お楽しみにどうぞ。そしてその他大勢の読者の方々、どうか見捨てないでください。






NIL