Somewhere.........

 新興住宅街から少し離れた、古めかしい家屋が並ぶ町並みがある。
 その中でも歴史を感じさせる日本家屋の一つに、帰宅する者の姿があった。
「ただいま・・・・・・と。おや、珍しい。まだ帰っていないのか」
 ぱりっと糊のきいた和服を身に着けた老人は、灯りの消えている我が家をぐるりと一瞥した。
 年を感じさせないしゃんとした歩きで廊下を横切り、居間まで移動する。
「・・・・・・ふむ。置手紙もなしとすると、帰ってから出かけたようにもみえぬが」
 最近ぐんぐんと背を伸ばした(これを言うと本人は極端に嫌がるが)孫に比べると、質素で小さなちゃぶ台はみすぼらしくもあった。が、これを代えようと は、この家に住む二人のどちらもが言いだそうとしたことはなかった。

「ひとまず、待つとするかの」
 壁際の座布団と給湯ポットを引きよせて、卓上の急須に茶葉を入れる。ポットのお湯が急須に注がれると、もわもわとした湯気が髭先をかすめた。
「・・・・・・おぉ、これはいかん」
 ちゃぶ台の上に常備しているはずの湯呑みが見当たらず、老人は腰を上げて隣の厨房へ向かう。流しの横の食器かごの中に、朝方洗った食器に交じって二つの 湯呑みが逆さに立てかけてあった。
 同じ柄、同じ大きさの二つの湯呑みを手に取り、居間に戻る。
 片方を向かいに置いて蓋をし、もう片方を手元に置いて、やや濃く入った緑茶を注いだ。
 二つの湯呑みは十年以上前、自分だけ小さいのはいやだとごねる孫娘の頑固さに負けて買ったものである。
 不思議なもので、そろそろ年も二桁になろうとするのに、両方ともひびすら入っていない。さらに、二つの作りはまったく同じだというのに、使っている内に それぞれの湯呑みの区別がつくようになっていた。

 口元に運んだ湯呑みを傾ける。
 かなり熱いお茶が、強い渋みをともなって舌を刺激した。
「・・・・・・ふむ」
 老人は満足そうとも不満そうとも取れるため息を吐いて、湯呑みをちゃぶ台に戻す。
 掌を暖めるようにしばらく湯呑みを握った後、老人は低く呟いた。
「夕べに何やら・・・・・・、何かが、この近くであったようじゃったが・・・・・・」
 好々爺としたまなじりがわずかに細くなり、その顔は猛禽のごとき鋭さをおびる。
「よもや、人外の力が・・・倉橋、とまではいかずとも・・・・・・いや、しかし」
 自答するように唸り、老人は再び湯呑みをあおった。
 ため息を一つ、そして自分の前に広がる無人の席をじっと見つめる。


「・・・・・・千歳」


 孫娘の名を口にすると、不意に老人の胸にざわりとするものがあった。
 虫の知らせなどというものではと、縁起でもない予感がした。
(まだ、今が『その時』ではないとよいのだが・・・・・・)
 その願いを口にすることはなく、老人は瞑想を始めるようにすっと目を閉じる。
 一室の音が静まり返り、鳴り響くのは壁にかけられた柱時計だけ。
 まもなく、その短針が九時を示そうとしていた。











 永遠のアセリア二次創作            

龍の大地に眠れ

    二章 : 蝕まれし世界

第二話 : 普遍たる価値







 ―――命。
 それはかけがえの無いとされるモノ。その総てが尊ばれるべきモノ。
 はたして、どれだけの人間がそれを明言できる?
 千歳はそんなことを呪詛交じりに考えながら、すぐ側の岩壁が高熱で溶け切る前に真横へ跳んだ。

 かなり広めに作られていた坑道は飛び交う炎によってさらに削られ、今やモグラか虫の巣のような有り様になっている。その中で、バーンライトのスピリット たちは横道や大きくせり出した岩の陰に隠れて千歳たちを神剣魔法で狙撃していた。
 千歳たちによる最初の奇襲が成功したことで、相手側の残存勢力はこれが最後であるのだが、逆を言えば突然の奇襲にも対応しきる猛者だけが残ってしまって いた。そして、残されたレッドスピリットたちは、いまだ勝利をあきらめずにどこまでもラキオス勢にくらいついてきている。この状況はお世辞にも優勢とはい えなかった。

 ラキオスのスピリットと千歳は神剣魔法の嵐から逃れながら、敵部隊の位置を見極めんと移動を繰り返す。幸い、ラキオス勢が出口を押さえているおかげで、 敵は坑道の崩壊を恐れ威力の高い広範囲攻撃に出ることができない。
 どちらにとっても切迫した緊張の中、互いが決め手を求めている。
 策謀の中、また一つの岩石が炎をまとった雷に破壊された。
 千歳が新たな岩陰に身を隠し、一歩遅れてハリオンがそれに続く。しかし、ハリオンはその体をすべりこませる前に、すぐ側を通過した熱線とわずかに接触し てしまった。

 ―――バシュッ!!

「く、ぅ〜・・・・・・っ」
「ハリオンっ―――腕をやられたの!?」
「か、かすっただけですよぉ〜。・・・・・・それよりも、『大樹』ちゃんが・・・・・・」
 上体を折るハリオンを岩陰の奥に引きずり込みながら、千歳はハリオンの手から弾かれた槍型の永遠神剣が離れた位置に転がっているのを目にした。
 いくらスピリットとはいえ、永遠神剣を手放した状態では神剣魔法を使うことはできない。ハリオンは傷を癒やすこともできず、いつもの笑顔に苦痛を上塗り して浅く息を吐いている。

 バーンライト勢は永遠神剣を失ったスピリット―――つまりハリオンと千歳に向け、文字通りの集中砲火を開始した。
 千歳には、背中の向こうで岩壁がだんだんと溶け始めているのが分かってしまう。
 一分もしない内に、この岩壁もまた盾の役割が果たせなくなる。そうなれば、千歳はハリオンを抱えて新たな場所へ移らねばなるまい。だが、確実にスピード が落ちた状態で、神剣魔法の嵐をかいくぐることが可能だろうか?

 千歳はクソッ、と小さく吐き捨て歯噛みする。
 何が、命の尊厳だ。
 こうして寄ってたかって潰し、潰されあうモノのどこに尊厳があるものか。
 同じ潰すなら、コロッケの具にしたジャガ芋のほうがまだましだ。こっちは、潰れた瞬間に霧となって消えるらしいから、腹にもたまらない。
 くだらないことを考えている間にも敵は攻撃の手を緩めない。総がかりになって、敵の全員が千歳たちを狙っている。
「・・・・・・やばい、このままだと・・・・・・! そうだ!」

 千歳の前に、唐突にこの状況を打破する道が開けた。
 心の中で『追憶』を呼び出し、それと同時に意識を集中する。
(ちょっと、駄剣! あんたの力を、私に合わせなさい! はやく!)
 ―――慌てるでない、主殿。勝機を逃すぞ。―――
(御託はいいの! は・や・く・し・ろ!)
 ―――・・・・・・諾。―――
 剣より不可視のマナの糸が現れ、次々と分裂していく。二が四、四が八、それが十二。瞬く間に千歳の周囲はマナの薄い輝きに包まれる。
「・・・・・・行けッ!」
 小さく呟くと共に、千にも届くほどの糸が坑道に広がった。

 千歳は岩陰の裏に糸の大半を移動させ、爆ぜる炎の軌跡をつかまんと意識を集中した。
 坑道中をばらばらに狙っていた状態ではつかみにくかったが、千歳たちの背後という特定された位置から感じ取られるマナの流れを把握するのは容易い。
 すぐに、千歳は自分達の近くに忍ぶスピリットたちの位置を次々と割りだした。
(反撃に出るわ! 合図に合わせて!)
 後方で同じく岩陰にひそむ皆に向けて、探索に使った残りのマナ糸を回線にして呼びかける。マナを使った糸電話のようなものだが、これが意外と役に立って いた。

 千歳は自分の神剣魔法を行使すべく、詠唱に入る。
「この場に集いし、マナへと告げる―――」
 マナの糸を通じて、敵の意識に介入する。
 神剣魔法のプロセスに侵入し、その流れを阻害。
 さらに、己のマナを流し込み、その威力を底上げする。
「真なる覇者の声を聞き、我が言霊とくだれっ―――」
 強く、『追憶』の柄を握る。
 手にじわりとにじみ出す汗で、剣が滑らないように。


「ワード―――リバース!」


 一際、強烈な光が坑道を灼いた。
 かすれた悲鳴と、驚愕の気配が千歳の背後に広がり、神剣魔法の狙撃がにわかに止む。
 千歳は叫んだ。
「今よ! 総攻撃、開始!」
 ドレイクハイロゥを顕現した千歳が岩陰から飛び出すと同時に、別の箇所からネリーが『静寂』の長柄を片手に飛び出してきた。

「よくも、さんざんやってくれたなぁっ! 今度は、ネリーから・・・いくよっ!」

 坑道の中央を飛翔し、ネリーはまたたく間に敵の中に突っ込んでいった。彼女のスピードはラキオスのブルースピリットの中でも群を抜いており、好調の時な らばブラックスピリット並のそれを見せることすらある。
 そんな少女の特攻により、暴発した神剣魔法のあおりを受けたスピリットたちの一人が一太刀に屠られた。
 周囲は慌てて迎撃の体制をとるが、ブルースピリットの膂力に肉弾戦最弱たるレッドスピリットが及ぶはずもない。

 そこへ、ハリオンに『大樹』を投げ渡した千歳がシアーと共に追いついた。
「シアー、あなたも行って! ネリー、シアーと連携して敵を翻弄しなさい!」
「う、うんっ!」
「りょ〜かいっ♪」
 指示に従って、スピリットの双子二人が狭い坑道内を走り回った。時に敵の目をひきつけ、あるいはその目を反らし。背後にまわったどちらかが鋭い一撃を運 の無いスピリットに浴びせかける。致命傷とまではいかなくとも、明らかに敵の動きが鈍る。
 二人が一度に敵を殲滅しないのは訳があった。彼女たちが常に複数の敵を相手取ることで神剣魔法を使う隙を与えず、また今の敵を盾とすることで背後に控え ている敵たちをも牽制しているのだ。

 無論、残る敵にも追撃の手を止めるはずも無い。
「はああああぁっ!」
 千歳は龍の翼を模した光輪を蠕動させ、その力を解放した。片腕で突き出した『追憶』の切っ先を前に、坑道の奥に待機していた敵へ突撃する。
 反応の早い者はとっさに炎を放ったが、それが己の逃げる間を奪う結果となってしまった。
 ずん、と炎を紙一重で避けた千歳の放った平突きがスピリットの脇腹を穿つ。千歳は続いて、前足を引きながら『追憶』を抜き、代わりに前へ出た片腕で横に 立つ敵を殴り飛ばした。その腕を振るった反動で足場をずらし、新たな敵を攻撃の射程に入れる。
 無駄のない動きで一人一人の動きを奪う千歳の舞いを、はたして止められる者はいない。
 乱戦へ持ち込まれた時点で、レッドスピリットたちの命運は決していたのだ。

 数分後、ほとんど戦いは終わっていた。
 坑道内という全力の神剣魔法を出すには不向きな場所。質よりも量を取ったスピリット隊の面子。殲滅戦を想定したバーンライト部隊の編成。
 この勝利はそれらが要因となった結果だったが、もしこれが開けた場所で、都市などを防衛しながらの戦いであったらと思うと、千歳は恐ろしいものを感じて いた。

 いまだ、敵の多くは生きている。背を見せたその時に手傷を負い、坑道の横道に逃げようとした所を斬りつけられた状態で倒れ伏しているのだ。
「ママ〜! こっちも全部おわったよぉ〜〜〜♪」
 屈託のないネリーの声が千歳の耳に届いた。その声に、足元に倒れ伏す命への労りなどあるはずがない。
 そんな響きに、以前の千歳ならば心を痛めただろう。
 しかし、今はそれをごく普通に受け止めてしまう自分がいることを、千歳は自覚していた。
「・・・・・・全員、坑道から待避なさい。始末は、私がつけるわ」
 背を向けたまま、三人へ静かに告げる。
 ネリーが不満そうな声を上げ、シアーがそれをあたふたと止めている気配がした。
 が、千歳を中心に周囲のマナが新たな流れを見せると、ハリオンが二人をやんわりとなだめて連れて出してくれた。

 三人が坑道を出たことを確認し、千歳は呼び集めたマナを用いて新たな術を練り始めた。
「我、此処に汝らを招かん・・・・・・」
 マナが白銀の輝きをおびる。駆動音のような具現するマナの旋律に混じり、かすかな、うめき声が足元から聞こえたような気がした。
「無為なる意味を知る者よ、マナを喰らいし残虐なる茨となれ・・・・・・」
 残る力を振り絞り、顕現するは白光を放つ短槍。その数は三。
 それらの持つエネルギーに、力を解放する前から坑道が小刻みに震え始めている。
 千歳は倒れ伏すスピリットたちへ最後の一瞥をなげかけた。

「―――さよなら」

 せめて、安らかに。
 声にせぬ願いと共に、スピリットたちの伏す場所を中心とした円周の三方に千歳の神剣魔法―――ブルートゥスローンが打ち出された。
 岩の天蓋が支柱もろとも消滅し、重心の崩れた岩石が崩壊を始める。
 びしり、と格別に大きなひび割れが頭上に走った瞬間、千歳はドレイクハイロゥの最後の力で一息に坑道を離脱した。
 離脱する千歳のこめかみを小石がかすめたのを皮切りに、無数の岩石が次々と坑道を埋めていく。刹那の内に、鉱道であったものは墓穴と化した。

 内部の照明も崩壊と共につぶれ、かすかな金の残滓だけが暗闇をなめるようにかすめているのが千歳にも遠目に見えた。
 予測した以上の崩壊はなく、すぐに坑道から聞こえる音は止む。
「『追憶』、まだ敵の気配はある?」
 ―――否。間違いなく、彼の者たちの神剣は滅びた。この戦い、幕じゃ。―――
「・・・・・・そ」
 元より予測していた答えだったので、千歳はおざなりに『追憶』の言葉を聞き流した。

 この場に悠人がいたならば、きっと彼女たちを拘束するだけでよかったのではないかと千歳を責めただろう。
 しかし、千歳はそれをしなかった。
 スピリットの捕虜は敵国との駆け引きの上で決して有効なものたり得ず、かえって護送や禁固の間も獅子身中の虫を飼うリスクを負うことになる。
 彼女たちに情けをかけることで、自分たちに少しでも危険が降りかかることの方が、千歳には怖かったのだ。
 自分は臆病になったと、千歳は思う。
 そして冷酷になったと、千歳は思う。
 痛みは、まだ感じている。
 命を奪った時の、あの心の奥底を針で突かれたような喪失感。
 けれど、その重さが、変わってしまった。
 ―――『彼』の死の後から。


 門番サードガラハム。
 人智を超えた存在。古き叡智をたたえたあの瞳の持ち主。
 彼すらも、剣の前に散る者の一人だった。
 その事実が、今も千歳の記憶に染み付いている。
 彼は、死んだ。
 肉屋の家畜のように切り刻まれて、生け贄のように刃を突き立てられて、死んだ。
 始めて目を奪われた宝玉が目の前でたやすく砕け散ってしまった、そんな時みたいに、あの時に今までの自分の中にあった価値観が壊れてしまったのだと思 う。そしてそれからは、ショーウィンドウの向こうにあった宝石箱すべてが、急に二束三文のガラス玉のようにしか思えなくなってしまった。
 もちろん、彼が自分に夢の中で告げた言葉は今でも覚えている。
 ―――生きろ、と。
 あの言葉だけが、崩れかけた千歳のいびつな心を支えているのかもしれない。


 まだ、わり切れはしない。
 エスペリアのいうように、ともがらの皆を駒とみなすことはできない。
 けど、敵国の彼女たちと、ラキオスの彼女たちとの命の価値は、千歳にとって異なるものとなってしまった。
 佳織、オルファ、ネリー、シアー。あの娘たちのためならば、鬼となることも厭わない自分がある。

 多分、悠人はまだそこまでも割りきる事はできないだろう。
 彼は今も敵味方問わずその命の価値を等しく思い、手にかけた命を悼むだろう。
 そしてそれでも佳織のためと、『求め』を捨てず戦うだろう。
 いつまでもぐだぐだと悩み、余計な所で苦しむのだろう。
 それが、海野千歳と高嶺悠人の違い。
 そして、千歳が悠人こそ隊長にあるべきと思う理由の一つ。
 命の価値を見失いかけている自分の、その危うさを自覚したゆえの行動だったのだ。


 ―――私は、生きたい。
 ―――佳織たちを、生かしたい。
 ―――だけど、あなたたちは違うの。
 ―――怨みたければ怨めばいい。呪いたければ呪えばいい。
 ―――ごめんなさい、そして、さよなら。


 彼女たちへ手向ける離別を残し、千歳はきびすをかえした。
 しばらくもしない内に、ネリーとシアーが千歳のほうへ駆け寄ってきた。
 ネリーは勢いよく、シアーはしがみつくように千歳のまとう灰の外套にしがみついてきた。
「ママ、おそぉ〜〜〜いっ!」
「シアーたち、ちょっと心配した・・・・・・」
 膨れっ面のネリーに苦笑をもらしながら、千歳は二人をそっと抱きよせた。
「心配かけてごめんね。二人とも、怪我はない?」
「ネリーは平気だよっ♪ でも、シアーがぼぉ〜ってしてて危なっかしかったんだよ!」
「ひ、ひどいよ、ネリー・・・・・・。シアー、そんなにぼぉっとしてないもん・・・・・・」
 千歳の胸から顔を上げて、少し唇をとがらせたシアーがネリーに抗議した。
 くすくすと笑いながら、千歳はより強く二人を胸に抱く。
 本人たちはとぼけているが、二人の両手には治癒を施した後に残る特有の赤いあざが散らばっていることを千歳が気づかぬはずがない。
 それでも、笑みを見せ合って、三人は互いの無事を喜びあった。

「・・・・・・チトセさま〜」
 その時、不意にハリオンが千歳に語りかけた。声音はいつものように間延びしたそれだが、少しいつものそれよりも真剣なそれに、千歳はとっさに返事をかえ せなかった。しかしそれでも、ハリオンはかまわずに口を開いた。
「無理をなさったらぁ、めっめっ、ですよぉ?」
 小さな子供をしつけるような言葉が千歳には重く、けれど弱みを見せることは許されず、千歳は顔を上げて言った。
「大丈夫よ。―――私は、大丈夫だから」
 この場でごく普通の笑みを見せられることが、はたして『大丈夫』の証拠となるかははなはだ疑問だったが、ハリオンは追及せず眉を困ったようにハの字にし ていた。

「―――もう、ここに敵はいないわ。行きましょう」
 引く腕で二人の頭をかすめるようになで、千歳は歩き出した。すぐに三人が後に続く。
「・・・・・・オルファたちに合流するんだよね、ママ?」
 シアーが確認のため問いかける。
 ここにいる四人の他のラキオス軍スピリット隊の面々は、現在、悠人に率いられてバーンライトの進路上にある第二の都市、リモドアを侵攻している。
 普通に考えれば、任務を終えたこの四人もまたそれに参加するのが当然である。
 しかし、千歳は即答をひかえ、しばらく眉間にしわをよせてもの思いにふけった。
「む〜、なんでそんなこわい顔するの、ママ? どうしたのさ?」
「え? ・・・・・・あぁ、ごめん。ちょっと、ね」
 ネリーのふてくされた声に千歳は少し気まずそうに返事をして、気を取り直すためにこほんとせきをした。

「みんな、よく聞いて。これより私たちは、エルスサーオに移動。つまり、ラキオスに帰還します」
 この言葉に、三人は驚いて千歳の顔をいっせいに見つめた。
 無理もない。千歳は本隊への合流をしない、つまり受け取り方によっては軍務を放棄するとも取れることを言っているのだ。誤解される前に、千歳は素早く言 葉を付け足す。
「もちろん、本隊を見捨てようなんて思っているわけじゃないわ。っていうよりも、昨日の時点での情報どおりなら、リモドアに残留しているスピリットたちは よほどの隠し玉でもない限り、本隊の敵じゃないのよ。だから今、私たちはここから本隊と合流しにいくより、むしろ本隊が戦っている以外の相手に注意を払っ たほうが得策だと思うの」
「それ以外のお相手、ですかぁ?」
 ハリオンは頬に指を当てて考える素振りをする。千歳は頷いて、簡単に説明した。

 これまでの戦闘から、千歳のイメージするバーンライト軍の戦闘スタイルは『搦め手主体の臆病な蛇』。
 まず、戦争前はちくちくとしたゲリラ的活動を続けていた。戦争の始まりでは、バーンライト領に入った、まさにその時の強襲が記憶に新しい。
 しかし、その攻めの強さと裏腹に、いざ都市に攻め込まれた時の見切りの早さ、またあっさりと伏兵の存在について口を割る指揮官たちの情けなさが異様に目 立つのだ。
「そんな奴らが、前線に出せるスピリット全員ひっぱりだしてまで、リモドアで正面切って戦うと思う?」
「確かに、なさそうですねぇ〜」
「ネリーたちも、ど〜かん」
「・・・・・・うん」
「ありがと。で、仮に伏兵がいたとして、それがリモドアを攻めるならいいのよ。エスペリアとアセリアと悠人の三人がいる限り、防衛線については心配すべき 要素は少ないもの」
 が、それがそれ以外の拠点から攻め込まれた時、ラキオスはどうしても弱い立場に置かれてしまう。
 例えば、この戦乱に乗じて某国がラキオスの背後を突いてきた場合や、もしくは今はノーマークである南部の町から侵略された場合などだ。
「だから、どこから敵に来られても対応のできる場所にいる方がいいと思うの。この面子なら、本隊が合流するまでの足止めの戦いには最適の顔ぶれだもの。本 隊のリモドア占拠が完了するまでに相手に動きがあれば、私たちは危険のある都市に先回りして防衛。なかったら、その時はそのまま本隊と合流すればいい。ど うかしら?」
 千歳の言葉にネリーとシアーはいくばかは納得できた様子になっていたが、ハリオンの指は先ほどから頬に当てられたままだった。

 しばらく街道を行く内にまだ年若い二人はただ歩くのに飽きたのか、二人で鬼ごっこを始めた。これも千歳がオルファたちに教えたものの一つである。彼女た ちの遊びの邪魔にならぬよう、つかず離れずの距離をとりながら千歳が歩いていると、ハリオンがすすす、と自然に横に並んできた。
「チトセ様〜。さっきのお話なんですけど〜」
「なに?」
「はい〜。水をさすようで申し訳ないのですけれど〜。今のわたしたちでは、かんたんにはラキオスに戻れないと思うんですよ〜」
「えっ・・・・・・どういうこと?」
 あいかわらずのんびりしたハリオンの言葉の、無視できぬ発言に千歳は問い返した。

「つまりですね〜。わたしたちに与えられている任務はぁ、『現在の』バーンライトのスピリットさんたちなんです〜」
 ハリオンが言うには、スピリット隊に与えられている役目はあくまでも、現時点で確認されている敵スピリットたちの殲滅であるとのことだった。
 確認されていないスピリットたちの調査は軍部の情報部の仕事であり、『駒』であるスピリット隊が憶測で勝手な行動を取ることを人間たちは良しとしないだ ろうということだった。
「みんなで動くなら、まだなんとかおし通せるかもしれないですけど〜。みんな、別の場所にいるときじゃあ、めっ、てされちゃいますよ〜」
「・・・・・・そんな。情報部の人間ばかりがいつも当てになるわけじゃないでしょうに。そもそも、戦っているのは私たちスピリット隊の・・・・・・」
「めっ!」
 千歳が無意味とはわかっていても口に出してしまった不平に、ハリオンは眉を上げて(多分、皺を作ったつもりなのだろう)千歳の唇に指を突きつけた。

「お姉さんの話は最後まで聞かないと、めっ! なんですよ〜」
「・・・・・・は、はぁ」
 ハリオンがスピリット隊のお姉さんを自負している事は、他の娘たちからも聞いていたが、どうやらいつの間にか千歳も妹の一人にされていたらしい。ひょっ とすると、悠人は彼女の中で始めての弟とかに分類されているのだろうか。・・・・・・千歳はたじたじとなりながらも、みょうな想像に具合を悪くしかけた。
「もちろん、わたしはチトセ様の意見に賛成ですけれど、そうじゃない人がいるってことを、わかって欲しいんですよ〜」
「・・・・・・そう、ね。ごめんなさい。私の考えが浅かったわ」
 千歳は素直に謝った。自分の浅はかな思惑を注意してくれた人物にあたるなんて、最低の行為だ。
 ハイペリア流に頭を下げて謝罪した千歳の頭に、ぽん、とハリオンの腕が置かれた。
「え? ちょっと、ハリオ・・・・・・」
「なでなで〜」
 驚いて身を引くよりも早くそのまま小さな子供のようになでられて、千歳は恥ずかしさに赤くなり、あわてて体をひく。
 ハリオンはちょっと残念そうに腕を引っ込めたが、すぐにふんわかした笑みを浮かべて口を開いた。

「それでですね〜。わたしに考えがあるんですけど〜」
「えっ? あっ、ああ、か、考えね、なあに?」
 突然、話が再開したことを気づけずに一瞬まぬけな声をあげるも、千歳は何とか頭を切り替えてこくこくとうなずいた。
「はい〜。だれかが、おけがをしちゃえばいいんですよ〜」
「怪我? それがどう・・・・・・ぁ!」
 千歳の脳裏にラキオスで療養中であるファーレーンとニムントールの顔が浮かんだ。
「そうか。スピリットは人間にとって、そのそとんどが『駒』でも、なるべくは失いたくないものなのよね」

 訓練されたスピリットが戦闘の中で死ぬならば仕方なしともいえるが、戦闘で生き延びたそれを、後にその時の負傷が原因で死なせるのは権力者たちにとって も極力避けたいものなのだ。
 しかし、戦線を離脱するほどの負傷したスピリットとて、戦況によっては再び戦場にかり出されることは珍しくない。それを気にとめる人間はいないから、す ぐの移動も可能である。
 また普通に怪我が治った後でも、特に検査を受けるわけでもなく人間はスピリットたちへ本隊への復帰をうながす。まず、証拠は残らない。
 つまりハリオンは自分達のだれかを負傷兵と偽り、その送り届けを理由に一時的なラキオスへの帰還を果たそうと言っているのだ。
 一時的な街の滞在にはいささか過ぎた理由づけだが、今の千歳には渡りに船だった。

「わたしに任せてください〜。エルスサーオには知り合いの娘たちがいますから、きっとうまくいきますよ〜」
「・・・・・・ありがとう、ハリオン」
「いえいえ〜」
 ハリオンに礼を言いながら、千歳は改めて自分のふがいなさを恥じた。このまま、ハリオンに指摘されずにのこのことラキオスに帰還していれば、自分たちは いい物笑いの種になっていただろう。
 いや、それだけではない。先ほどの坑道内での戦闘についてもそうだ。隠密を取っていたバーンライトのスピリットたちを確認するや、坑道を出る前に、こち らに気づかれる前にと奇襲を提案したのも千歳だった。結果としては一人の負傷者もなかったが、かなりきわどい所であったのだ。
 彼女たちの命を預かる者として、自分がまだまだ未熟であることを千歳は痛感していた。

 ―――ふぅ。生真面目も過ぎれば、いっそ見苦しくもあるの。―――
「・・・・・・黙んなさい、駄剣。凶器風情に馬鹿にされる筋合いはないわよ」
 呆れたような『追憶』の気配に、千歳はぴしゃりと言い放った。
 ―――む、凶器風情とは失敬な。儂をそこらのなまくら包丁か何かと一くくりにしておらぬかの、主殿?―――
「あら、そんなことしたらなまくら包丁に失礼ってものよ。何せ、あっちはまだ『切れる』んだし」
 ―――・・・・・・・・・ぐ。―――
 永遠神剣には決まった形はなく、その中で千歳の持つ『追憶』は、『鞘に納まった両刃剣』という形をしている。これは神剣が多数存在するこの世界において もかなり珍しいのだそうだが、所持者の千歳にとってみれば使えない以外の評価はなかった。
 そもそも、周りで白刃が飛び交う中で、一人だけ鞘を振り回しているというだけでも異様なのだ。自分が現代にまぎれこんだ原始人か何かのように思えてしま う。
 ともあれ、『追憶』をやり込めるのに成功した千歳はとりあえず満足し、少し離れてしまった三人との距離を埋めるため、少し早足で歩き出した。

 かくして、本隊より外れた四人のスピリット隊員たちはラース坑道内での負傷者を理由にラキオスへと帰還した。そして、数日もせぬ内に届いた二つの知らせ が届く――― 一つはリモドア陥落。そしてもう一つは千歳たちへの緊急伝達。
 いわく、ラキオスへと進軍する新たな一軍あり、至急ラキオス南の都市ラセリオへ向かい、本隊合流まで敵の侵入を何としてでも許すな。この任務は非常に困 難であるため、いかなる理由においてもスピリット隊員の欠員は許可できぬものである。

 ―――バーンライト王国の切り札が、ついに現れたのだ。


 ラセリオ 建設中の塔内部

 ラセリオは大陸最北端の国であるラキオスの、外交と貿易の港たる町であった。千歳は開戦前に視察のためラキオスの街を巡ったが、ラセリオはその中でも もっとも栄えた街であり、またハイペリアに近い腐敗をかかえた地でもあった。
 与えられるマナを使って私服を肥やすことを企むものたちも多く、実際その中の一部の者たちのせいで、今現在スピリットたちがいる塔の建設が遅れていたの だ。せめてもの救いは、マナ補給のための基本構造が完成していることぐらいなのだ。
 千歳は以前の建築責任者たちに自分の下してしまった処置を、今さらながら非常に悔やんでいた。―――免職ではあまかったか、と。

「南地区の住民の避難は?」
「完了しました。が、一部からは家財を運び出すための人手を要求する声が・・・・・・」
「無視よ、んなもの。きっぱりと無視。・・・・・・ちょっと、最後に斥候に出た部隊の報告がないわよ!」
「お、お待ちください!」
 ラセリオの警護にあてられていたスピリットたちに指示を出しながら、千歳は苛立たしげに机の上の資料を読んでいた。
 バーンライトの軍勢は千歳の予想以上に厄介だった。
 今まで相手にしてきたバーンライト勢が、一度に復活したかのような馬鹿げた隊員数。リモドアを落とせばラキオスの勝利は確実とぬかしていた情報部の人間 の目に、この紙束をまとめてつっこみたくなる。
「エトランジェ様! ラースより、最後のスピリット隊員が到着しました!」
「ご苦労さま。それじゃ、この書類は持っていくから。後は、ここの防衛に当たる娘が指示を出すから、その娘に従って」
「はっ? エトランジェ様が指揮をなさるのではないのですか?」
「説明をしている暇はないわ・・・・・・でも、そうね。一つだけ、命令を出しておこうかしら」
 千歳は『追憶』を剣帯に納めて室内のスピリットたちを一瞥した。

「全員、何があっても生き延びる事。これは副隊長命令であり、それ以上にスピリット隊隊長の意向であると思いなさい! 以上。全員、持ち場へつけ!」
「はっ、はいっ!」
 スピリットたちに敬礼され、千歳はその中を素早く部屋の外に出た。
 言うまでもなく、『隊長の意向』云々というのは千歳の勝手な名前の拝借であるが、あながちそれだけのものでもなかった。
 まず、悠人本人がここにいたとしても似たようなことを言ったであろう事は間違いないということ。そして、こうして悠人の株をそれとなく上げておくこと で、スピリットたちが少なからず感じているエトランジェへの畏怖を、少しでも緩和させる必要があったからだ。
 実際には、自分が悠人をよいしょするという、最もしたくないことの一つをしてしまったことに内心は後悔の嵐だったのだが、 他人がそれを知ることはその後も決してなかった。・・・・・・ただ、腰元で忍び笑いを止めない『追憶』以外は。

 別室の、スピリット隊員たちに集まってもらっていた部屋に千歳が近づいた時、ドア越しに小さく声が聞こえてきていた。
「だいたい、みんな無用心すぎるのよ! どうしてそんな簡単に、あんな人間たちを信じるの!?」
「セリアお姉ちゃんこそ、そんな風にユート様やママのこと言わないでよ! 少しも話をしたこともないのに、そこまで嫌う必要がどこにあるのさ!?」
「・・・・・・シアーも、そう思う」
「一度や二度話しをしたくらいで、簡単に信用を置けるはずがないでしょう!!」
「だったら〜、まったく話さなかったら、余計にわかりようがないわよね〜?」
「よ、四人とも、お願いだから落ち着いて・・・・・・!」
「同意。今一度、両者が着席することを推奨します」
「へぇ、め〜ずらし。ナナルゥがおさえ役になるなんて。どーして、そんなにあのヒトにいれこむの?」
「・・・・・・その発言は不当です。撤回を要求します」
「ヤだ。めんどくさい」
「こら、ニム! あなたもわざと人を挑発しないの!」
 一分もせぬ内に、部屋の中で行われていることに大方の予測がついた千歳は、すっかり頭を抱えたくなっていた。部屋の中の光景まで目に浮かんでくる。しか し、千歳たちには時間がなく、そんなことをしている暇はない。
 深呼吸を一つ、そして下っ腹に力を入れて千歳はドアを開け放った。

 部屋に入ると、非常に分かりやすい光景があった。
 まず、縦長の机をはさみ、セリアがネリーに顔を突き合わせていた。先に報告があった、ラースから来たスピリットというのはもちろんセリアのことだ。
 ネリーの後ろにはシアーがぴったりとついており、彼女のサポートにまわっているようだった。そのさらに背後にはハリオンがひかえている。
 その彼女たちを落ち着かせようとファーレーンが奮闘し、彼女の隣りと向かいに座っているニムントールとナナルゥが斜めに視線を交わしてにらみ合ってい た。
 見ての通り、今回の任務には本隊には参加していなかったスピリットたちが多く集められている。療養中の二人と地方警備を担当していたセリアまでも引っ張 り出してきたことは、この任務にどれだけラキオスの余裕がないかを現していた。
 千歳は自分の入室にも気づかないほど険悪な様子に呆れ、次の瞬間ふりかぶった分厚い書類を強く机の上にたたきつけた。

 ―――ばあぁん!!

 岬今日子のハリセンにも劣らぬ音が狭い部屋に反響し、全員の目がぎょっと千歳のほうを向く。千歳は書類の片方を持ったまま、かたまっている全員を無視す る形で淡々と口を開いた。
「現在をもって、今回の任務にあたる全員の集合を確認。これより作戦会議を行います。・・・・・・皆のその熱意が十分に、この任務で発揮されることを期待 しているわ」
 最後に付け加えられた皮肉に、いち早く立ち直ったセリアとニムントールがむっと眉を寄せた。が、千歳はそれを知った上でさらに言葉を続ける。
「もっとも、こちらにははっきり言って時間がないの。会議とは建て前、現状説明と作戦の説明を終え次第、即、戦闘開始と思いなさい。まずは、これを見て」
 反論を許す間を与えず、千歳は一番上の書類をスピリットたちの前にすべらせた。

「今、本隊は全速力でここへ向かっている。どれほど急いでも、到着は明日の正午から後。そしてこっちが敵部隊の全戦力。こちらの到着は、早くても明日の正 午。このまま行けば、このラセリオで両者が激突することになる」
「それじゃ、今すぐどうなんていうことないじゃない」
「こら、ニ・・・・・・」
 ファーレーンがニムントールをたしなめようとするのを、千歳がさっと手で制した。
「そう。あなたの意見はある意味で正しいわ、ニムントール。でも、それはこの街がリモドアの二の舞を踏むことを覚悟した上での話なら、だけどね」
 ざわり、と皆が一様に息をのむ気配を感じた。
 悠人たちが攻め込んだ戦闘の余波で、リモドアの都市部がほぼ壊滅に追い込まれたと言う話は、すでにここに集めっていた者たちの耳にも届いていたのだ。
「チトセ様。それはつまり、相手の目的は制圧よりも破壊に偏っている、ということですか?」
「今までの戦闘から見て、私はそう思っているわ、ファーレーン。本隊が来るのをのこのこと待っていれば、合流とほぼ同時に敵の到着、間違いなく市街戦に持 ち込まれる。見てのとおり、この町の迎撃体制は未完成。万が一、『塔』を破壊されたら、こちらが一方的な防衛状態に追い込まれる。あっという間に、泥沼 よ」

 それまで黙っていたセリアが、そこで始めて口を開いた。
「つまり、こちらから打って出るべき、ということでしょうか?」
 礼儀正しいもののどこかよそよそしいその声に、千歳は不適に微笑む。
「―――正解」
 今まで積み重ねてきた書類を押しよけ、かわりに棚にかかっていた地図を広げた。
「ここにいる皆を、三つの組に分けるわ。内二組は、この街の警備隊と協力してラセリオの防衛。残りの一組が、敵部隊の足止め、撹乱をさせる・・・・・・こ こでね」
 千歳は人差し指を、リュケイレムの森とアト山脈の境界に置いた。セリアがはっと目を見開く。
「この山は不毛の地。ここを集団で来れば神剣魔法のいい的になるんだから、まず間違いなく相手は少数部隊を組んでばらばらにやって来るわ。とすれば、合流 地点は山を越えた後。その直前を、あちらお得意のゲリラ戦法で叩く。上手くこの部隊が効果を発揮すれば、敵の半分は足止めできるはずよ」
「・・・・・・敵の位置は、どうやって探るのです?」
「私と『追憶』なら、他のどの神剣よりも早く相手の神剣を感知できるわ。無論、これはこの部隊の指揮は私が取るということだけど」
 二度目のセリアの問いに、千歳はきっぱりと答えた。
 そのまま顔を上げ、全員の顔を見渡す。
「襲撃部隊は、一番の危険にさらされる。さて、それを踏まえて聞くわ。だれか、この部隊の参加を希望する者は?」

 わずかな、間。

「私が、行きます」
 一番に名乗り出たのは、最も誰もが予測しなかった人物だった。
「セリア!?」
「あらあら〜?」
 ファーレーンとハリオンがわずかに驚愕の声をあげる。他の者も、千歳以外は目を丸くしていた。
「結構。他には?」
 千歳の言葉にファーレーンはそっと隣に座るニムントールを見、自分たちの傷が完全にいえたわけではない事を自覚して、手を上げなかった。
 ハリオンは、最後の斥候に出た部隊の中に負傷した者があるため、その治療に当たることになっているので、同じく断念。
 ナナルゥはこれが自分と『消沈』にあった役割ではないと判断し、出願はしなかった。
「はいは〜い! それじゃ、ネリーたちが行くよっ!」
「行く〜♪」
 ネリーとシアーが名乗りを上げると、セリアは真剣さが足りないとやや厳しい顔になったが、千歳は構わずに許可した。
「よし。それじゃあ、後の四人がラセリオの防衛に当たることになるわね」

 その後の話し合いの末、ファーレーンとニムントールが都市部、主に軍事施設の護衛。ハリオンとナナルゥが城門前での迎撃に当たることとなった。加えて、 ラセリオ警備隊のスピリットたちが、半数ずつ彼女達の補佐に回る。
 会議の後、全員が各々の準備に出払った部屋で、千歳はセリアに呼び止められた。
「・・・・・・あなたは、何を考えているのですか」
「あら。何を、って?」
「この作戦です! あなたは・・・・・・あなたは私が出願することを知っていて、あのような問いをしたのでしょう!?」
 結い上げた青の髪を怒りに揺らして、セリアは千歳に食ってかかった。彼女がクールな性格であるとばかり聞いていた千歳はやや面食らったが、それでもすぐ に自分の表情を不敵な表情に切り替えた。
「ええ、そうよ? それに、あなたならその意味も分かっていると思ったけど、違ったのかしら?」

 以前、千歳は自分を信用していないのがセリアとニムントールであることを、ヒミカから聞いていた。
 ニムントールの方は新参者の千歳がなれなれしく、彼女の姉分であるファーレーンに近づいたことに由来する不満からなのでそれほど重大なことはない。どの 道、前線に出せる状態ではないのでファーレーンと共にいれば大きな問題はない。
 しかし一方のセリアに関しては、千歳は彼女の不平の源を調べる必要性を感じていた。果たして彼女の行動理念がエトランジェへの畏怖なのか、それともスピ リット隊員たちの安否への不安なのか。
 前者であるのならば、彼女は千歳が率いると明言した部隊には参加しないだろう。また、後者であるならば他のスピリットたちを任せず、自ら名乗り出て千歳 を監視すると言う道を選んだはずだ。
 そして、彼女は迷わず名乗り出た。即ち、千歳の求める答えを即座に示したのだった。

「あんな、私を試すようなことをわざわざ・・・・・・!」
 セリアの思いは、千歳にはもちろん、あの場にいたファーレーンやハリオンにもわかっただろう。彼女が、ただエトランジェへの不満から文句を言っていたの ではないことに。
 自分の心の内を望まぬ内にさらけ出されたことに、セリアは憤慨していたのだ。
「―――ごめんなさい」
 千歳は深く頭を下げた。思わぬ行動にでられたことに、セリアはわずかに言葉に詰まってしまう。
「けれど、私は知りたかった。あなたがどういうヒトなのか、自分で知ることが必要だと思ったの」
 不意に千歳は、龍討伐の前夜に脱走を決意し、そこをレスティーナに止められた時のことを思い出した。奇しくも、今の自分はちょうどあの王女の立場にい る。ならば当然、セリアが思っているであろうことも容易に想像することができた。
「そんなことは・・・・・・あなたの、勝手です」
 セリアはやや声を落としつつも、やはり納まらぬ思いを吐き出す。

「私は、あなたを信用することができません。あなたは・・・・・・あまりにも、得体が知れない」

 千歳はわずかに言葉に詰まった。が、唇を横一文字に引き締めるときっぱりと言った。
「あなたが、私のことを信用する必要はない。ただ、共に戦うあの娘たちを信用していれば、それでよいでしょう?」
「・・・・・・っ! 言われなくても!」
 セリアは厳しい顔で千歳の脇をすり抜けると、廊下へと出て行く。
「準備が済み次第、南門へ来ることを忘れないで。日が傾く前に出発するわよ」
 背後に語りかけた言葉に返事はなく、それでも千歳は後ろ手にドアを締め切った。

 そして、
「・・・・・・ほんと、ヤな女だわ。私」
 そうつむがれた言葉は、誰の耳にも届くことはなかった。



 翌日  ラセリオ 郊外

 リュケイレムの森の端に姿を隠す形で一晩を明かした千歳たちは、翌朝から行動に出た。
 千歳は『追憶』の力を引き出し、前方の山に散らばった神剣の気配を探った。
 ―――ふむ。見た所、あの気配を持つ妖精はおらぬようだの。―――
 『追憶』の言っている妖精と言うのは、アキラィスとリーザリオで千歳たちが交戦した、非常に強力な力を持ったスピリットのことである。千歳もそれを確認 すると、わずかに安堵の息を吐いた。
(いいわね。敵はちょうどいい具合にばらばら・・・・・・それも、ほとんどが三、四人位の集まり)
 ―――が、その数は馬鹿にはできぬぞ、主殿? いちいちすべてを相手取っては、こちらの気力が先に尽きるであろうの。―――
(分かってるわよ、駄剣。それよりあんた、もうちょっと探索範囲を広げられないの?)
 ―――やろうと思えばこの倍はできる。が、そうするといささか雑になるのでな。今、わかっておるものたちの気配をとり逃しては、元も子もあるまい? ―――
(・・・・・・ま、いいでしょ。この分だと、今来ている勢力は報告のあった三割。おおかた、先発隊か。それじゃ、新しい気配があったらその都度、教えなさ い。当然、ラセリオの様子にも注意して)
 ―――やれやれ、人遣いの荒い・・・・・・。―――

 ぶつぶつと呟く『追憶』の声をシャットアウトし、千歳はすっと立ち上がった。周りで待機していた三人が、待ちわびていたように顔を上げる。
「ママ〜、どうだった?」
「とりあえず、あと一時間以内にこっちに来る部隊は全部把握したと思うわ。一番初めの御到着は、あと二十分かそこら。問題は一切なし。予定通り、作戦を開 始するわよ」
 千歳の言葉にセリアの顔が引き締まり、片腕に下げた永遠神剣の柄を握りしめた。彼女の持つ『熱病』はアセリアの『存在』と同じ第七位の神剣であり、それ ぞれ第八位を持つネリーとシアーよりも基本的な能力値は上だ。だが、彼女は神剣の力に驕ることはせず、慎重な面持ちを崩すことはなかった。

「打ち合わせの通り、二組に分かれるわ。私とシアー、そしてセリアとネリー」
 口論をしていた二人は、あの後でハリオンの仲介により仲直りをさせられたそうで、目に見えるところに不安な点はない。
「よろしくね、セリアお姉ちゃん!」
「・・・・・・無茶をしたら、無理にでも下がらせるわよ、ネリー」
 言葉は厳しくともその中に込められた思いは暖かく、ネリーは明るく笑うことでセリアの言葉に答えた。
「ママ・・・・・・えっと、シアー、ね・・・・・・あっ♪」
 『孤独』をいじりながら、シアーがもじもじと千歳に話しかける。千歳は何も言わず、ただそっと短い髪を軽くなでた。
 シアーはくすぐったそうにしながらも、嬉しそうにその手にぴたりとよりそった。
 が、それが面白くないネリーは膨れっ面でシアーに呼びかける。

「・・・・・・ちょっと、シアー。ママと一緒になったからって、あんまりべとべとしないでよ」
「〜〜〜♪」
「うわ、無視? シカトっ!?」
「・・・・・・そのへんにしておきなさい」
 うがー、と歯を見せて怒るネリーを、セリアが慣れた様子で引き止める。その後で千歳が同じようにネリーの頭をなでると、ようやく彼女もおさまりがついた ようだった。
 ―――主殿、反応が視認できる位置まで接近した。出るならば、今ぞ。―――
「よし、始めましょうか。―――全員、ついて来なさい!」
 千歳が走り出すと同時に、後の三人が続く。
 四つの影が、空の陰となった。



 ___Side 悠人

 リモドアを制圧した、その直後に届いた新たなる一軍の知らせは、悠人たちに大きな衝撃と焦りを生ませた。戦前の対ゲリラ部隊戦とは違う、対正式軍との連 戦により疲弊を重ねた悠人は、それでもわずかにも早くと己に鞭打って一途ラセリオへ向かっていた。
 この無茶に悠人が体を壊さなかったのは、一重に参謀であるエスペリアが焦りがちな上官を時にはなだめ、時には厳しく進言して休憩を取らせたおかげであろ う。
 ようやくエルスサーオまで行き着いた時、警備隊のスピリットの一人が渡した紙切れもそれに一役をかっていた。

『率先力とならない援軍に、何の意味がある? まずは、体を休めること』

 達筆な日本語で書かれたメモの意味を察し、悠人ははやる心を何とか抑えた。千歳が残した言葉の通り、今の状態で悠人たちが駆けつけても、アセリアやエス ペリア以外はかえって足を引っ張ってしまう危険性が高い。
 それを踏まえて、悠人たちは自分たちの回復を待ち、改めて進軍を開始したのだった。

「・・・・・・なあ、エスペリア。本当にラセリオは大丈夫なのか?」
 ラキオスを南下する街道を早足に進む悠人は、隣を行くエスペリアに問いかけた。エスペリアは落ち着いた表情で、事実だけを述べるように話す。
「この任務にはすでに、本隊に合流していなかったスピリットたちが総動員されました。敵の襲来と私たちの到着はほぼ同時となりますが、それまでは十分に持 ちこたえられるでしょう」
 ふとエスペリアは言葉をくぎり、これは私の想像ですが、と続けた。
「チトセ様は始めから予期せぬ敵の襲来に備えてエルスサーオに待機しておられたのかもしれません。怪我人がいると言っていたわりには、移動が速すぎますか ら」
「あいつは嘘を言ってでも、先にラキオスに戻っておいた方がいいと思ったってことか?」
「おそらくは」
 自分の副官となった少女の慎重さに悠人は舌をまいた。同時に、そこまで予測がいたらなかった自分をふがいなくも思ってしまう。
(いや、今はそんな事を考えている場合じゃない! あいつが命を張って時間を稼いでくれているかもしれないんだ。とにかく、今は早くラセリオに行くことを 考えろ!)
 悠人は自分を叱咤し、さらに進める足を速める。
 神剣の力を引き出して進むスピリットたちの道は、人間の行程とは比べ物にならぬほど短い。一刻もした頃には、悠人たちの目の前に建物の陰が現れていた。

「パパ、見て! あっち!」
 後ろを走っていたオルファが悠人に駆け寄り、徐々に大きくなり行くシルエットの一点を指さした。
「あれは・・・・・・煙!? くっ!」
 ―――キイィィィン!
 唐突に『求め』が悠人の心を揺さぶる。マナをよこせ、と。マナを食わせろ、と。
「ユート様、すでに戦闘が始まっています! 急ぎ、援護を!」
 切迫したエスペリアの叫び。しかし、悠人は『求め』の波動に気を取られ、一拍、指揮を下すのが遅れてしまった。
「・・・・・・敵」
 悠人が声を出す前にマナが動き、後方に控えていたアセリアの背に集まっていった。すぐさまウィンウハイロゥが形成され、淡く青の燐光を放つ。
 悠人が止めようとするも、すでに遅かった。
「アセリア、待て!」
「ん。・・・・・・へいき!」
 ごう、と動いた大気がアセリアのために空の道を切り開く。
「アセリア・・・・・・くっ! しかたない、みんな、走るぞ!」
 取り残された悠人たちは、少しでも差を埋めるために揃って走り出した。

 ラセリオに近づくに連れて、剣戟の音が悠人たちの耳に届くまでになった。
 街を縦断した門前では、幾人ものスピリットたちが互いの神剣を振りまわしている。その中には、アセリアの姿もあった。
 悠人たちが彼女達の援護に加わろうと地を蹴ろうとした直前、離れた場所から詠唱の声が耳に届いた。
「マナよ、業火となりて敵に降りそそげ―――フレイムシャワー」
 紡がれる呪文は、広範囲神剣魔法。乱戦の途中に使えば、敵味方関係なくその効果を受けるそれを使った何者かに悠人は驚きを隠せない。が、さらに驚いたの はその後だった。
「範囲内に存在する敵位置の確認終了。射出角を補正。―――発射」

 ―――ドン、ドドド、ド、ドドン!

 無数の炎の飛礫が天井から、まさしく雨あられと降りそそぐ。
 だが、その真の脅威はその威力ではなく、数えるのも馬鹿馬鹿しいほどの数のそのすべてが混戦中のバーンライト勢だけを打ち据えていることだった。
「敵、二体の消滅を確認」
 どこまでも抑揚の無いその声に、悠人はようやく彼女の正体を知った。
「ナナルゥか!」
「・・・・・・新たな援軍を確認。早急な援護を要請します」
「あ、あぁ、わかってる。ヒミカ、ヘリオン、行くぞ! エスペリアは怪我をしたやつをみてやってくれ!」
「はいっ!」

 全員に号令を下すと、悠人は腰から無骨な斧剣を引き抜いた。
 刀身が青白く輝く。『求め』の歓喜の声が、悠人の心に浸透した。
 悠人の脳に強制して周囲に詳細な神剣の気配を把握させ、それらへ攻撃を与える方法が幾重にもシミュレートさせる。
 敵は素早さに特化したブラックスピリット。おそらく、戦前に集まっていた情報にあった、レッドスピリットの部隊以前からバーンライトにいたスピリットた ち。
 
「うおおぉおおぉぉおっ!」
 悠人が吼える。神剣を肩に担ぎ上げて走る。
 そしてそのまま、警護隊のスピリットに挟み撃ちをかけようとしていた片方に、野獣のごとく襲いかかった。
 とっさに相手は神剣を振り上げて受けようとするが、ナタの入った薪の様に両断される。
 残った一人が霧となり消える仲間の影から斬りかかるが、悠人が片腕を突き出して展開した魔方陣にたやすく受け止められた。
 襲撃者たる彼女らの持ついかなる剣もただ一人の剣を止められず、ただ一人に剣を突き立てられない。
 圧倒的な体力の差。圧倒的な魔力の差。
 これが、四神剣の一、第四位『求め』。
 ―――これが、エトランジェ。
 格の差を見せ付けられたスピリットたちの剣が、わずかに鈍る。
 実際には悠人もそれほど余裕のある状態ではなかったが、自分の虚勢がどれだけ効果があるかは副官二人に説明されていた。


「いい、隊長さん? 誰でも戦いたくないと思うものって、何だと思う?」
「えっ? ・・・・・・そうだな、やっぱり自分よりも強い敵、か?」
「はい、はずれ。ま、この答え、実際は色々とあるけど、あんたの言うそれは必ずしもそうではないわ。私が言いたかった正解はね、『未知たる存在』、よ」
「未知?」
「つまり、計り知れない相手のことです。ユート様」
「あ、いや、それは分かってる。でも、どうしてそれが戦いたくない相手になるんだ?」
「ったく・・・・・・いい? 情報が無い、その力を量れない存在は、それだけで相対する者に警戒させることができる。これは分かるでしょ?」
「・・・・・・うん、そうだな。それは何となくわかる」
「結構。そして、『恐怖』に関する情報は、相手の精神に大きく作用する。『脅え』、『惑い』・・・・・・そういったものは敵の力を大きくそぐ要因となると いうことよ。そして『その存在が実際に脅威である』という刷り込みを相手にさせられれば、さらに相手の気力は半減する。これが答え」
「つまり・・・・・・・俺に、そんな存在になれ、っていうのか?」
「いいえ。しかし、すでにユート様はバーンライトに強い畏怖の念を抱かせておられます。四神剣の勇者、龍退治の英雄。その漠然とした、それでいて強力なイ メージは、『求め』と同じようにユート様の大きな戦力であるのです」
「だからこそ、あんたは戦場では威風堂々と構えていなさい。私たちの・・・・・・あんたの目的のためなら、他からどう思われようが些細なことでしょう?」


(―――そうだ。佳織を助けるまで、俺は負けちゃいられないんだっ!!)
 悠人は振り下ろした剣を跳ね上げて喉元を狙われた一閃を防ぐ。
「っ・・・・・・りゃあああぁぁっ!!」
 『求め』の導く流れに任せて、絡め取った神剣を弾きながら前に思い切り突き出す。確かな手ごたえと共に、目の前が金色のマナと共に切り開かれた。
 味方の死を前にしてわずかに足が鈍るも、続いて二人のスピリットが同時に悠人に斬りかかる。一人は腹、もう一人は首筋を狙った決死の突撃。
 しかしそれは、その直撃の一歩前で半円を描いて繰り出された分厚い刃に阻まれた。続いて振り切った剣を脇に引き寄せ、握りを逆手に返して一歩を大きく踏 み出す。眼前へ振りぬかれた剣の軌道に存在した障害物が、中ほどから見事に断たれた。
 が、最後の残身が間に合わず、悠人にわずかな隙が生じる。そこを、もう一人のスピリットの二撃目が襲い掛かった。
 とっさに避けようとするも、悠人が重心を変えている内に神剣が体に届く方が速い。
 避けられぬタイミングに、深手を覚悟する。

「―――ファイヤーボールッ!」
 ―――豪っ!!

「っアアァァアアッ!!」
 そこを、真横から飛んできた火球が悠人を狙ったスピリットの腕を打ち抜いた。相手が激痛に神剣を取り落とした所を、立ち位置を変えた悠人が『求め』でし とめる。
「ユート様、ご無事ですか!?」
 先の火球を放ったヒミカが『赤光』を手に駆け寄る。
「ああ、助かった。サンキュ、ヒミカ」
「いっ、いえ。当然の務めですから」
 慣れない感謝の言葉にわずかに言いよどむヒミカ。そんな彼女に礼をした後、悠人は周囲を見渡した。
「もう、この近くに敵はいないな。―――あ、おーい! アセリアっ!」
「・・・・・・ん?」
 悠人は腰のホルダーに『存在』を戻すアセリアを呼び、駆け寄った。無事な姿に一安心するが、それでもそれですませることができずに少し厳しい声で話しか ける。
「アセリア! 一刻も速くここにつかなくちゃいけなかったのは確かだけど、あんな風に一人だけ先走ったりしたら、危ないぞ!」
「・・・・・・ん」
「聞いてるのか? ・・・・・・って、おい。どこ行くんだ!?」
 気のない返事をして、アセリアは敵スピリットが去っていった方角を見ながら、急に歩き出した。悠人は慌ててそれを追いかけてアセリアを注意するが、当の 本人は知らん顔。
 少しだけ、自分のいたクラスの担任の苦労を共感できた気分だった。

 何をいってものれんに腕押しな気分になってきたが、それでもアセリアを放っておけず、悠人はさらに口を開く。
「大体な・・・・・・」
 しかし唐突にアセリアが立ち止まり、悠人は言葉に詰まる。そんな彼の調子などお構いなしに、アセリアは淡々と言った。
「―――いた」
「え? ああ、あれか」
 離れた場所に神剣の気配があった。
 ラセリオを攻めようとしていたが、友軍がすべて退却していることを知り離れていく所のようだった。
「無理に相手をすることはないな・・・・・・って。こら、アセリア!」
 止める間もあればこそ、再びアセリアの背にウィングハイロゥが広がった。
「行ってくる」
「お、おい。俺の話、聞いてなかったのか?」
「だいじょうぶ。負けない!」
「負ける、負けないじゃないんだって! ・・・・・・ああ、もう!」
 脇目もふらず飛び行くアセリア。悠人は髪をがりがりとかいて、彼女を追いかけようとした。

 そこへ、エスペリアが先ほどの戦闘で疲労が少なかった数人を連れて、悠人のところへ走ってきた。
「ユート様、大変です!」
「こっちもそうなんだ、エスペリア! アセリアがまた一人で・・・・・・」
「また、あの娘がっ!? ・・・・・・でも、私たちも行かなくては! この先で敵の牽制をしているチトセ様たちが、まだ帰還していないそうなんです!」
「なんだって!?」
 悠人ははっとアセリアが飛んで行った方角を見据える。ぎり、と歯を噛みしめた次の瞬間、放たれた矢のように走り出した。
 急ぎ、エスペリアとオルファがその隣に続いた。

(くそっ。アセリア、千歳・・・・・・無事でいてくれよ!)



 ___Side 千歳

 もう、何人の敵と遭遇したかも分からない。何人の敵を倒したかも分からない。
 わかるのはただ一つ。こちらに死者は無く、そして自分がいる限り決して出させはせぬということ。

「シャヤアアアァァァッ!!」
 ―――どむ!!
「が、はっ!」
 蛇の顎のように軌道を変えた『追憶』の鞘がスピリットの腹部にめり込む。
 そこへ、『孤独』の刃がシアーの手によって振り下ろされた。
「やっ、ヤアアアアァァッ!」
 ネリーのような覇気はないものの、型に正確な無駄の少ない一撃に、敵は深い手傷を負う。しかし次でしとめるという所へ、背後を見せたシアーに他の敵が斬 りかかった。
「アァアアアァァッ!」
「ひ、ひっ!」
「させないっ!!」

 ―――ギイイィィン!
 千歳は右腕でシアーをかばい、突き出した左腕でオーラフォトンを編んだ盾で受け止めた。が、敵もさるもので、受け止められた剣を返して二撃目が袈裟懸け に放った。
「ハァ―――アッ!!」
「チ、―――ィッ!」

 ―――プシュッ!!
 二つの血飛沫が宙を舞う。
 片方は、千歳の斬りつけられた左腕からの出血。精霊光で強化したとはいえ、その強度は結界と比べれば紙のようなものだった。
 もう片方は、スピリットの腹部に突き立てられた白銀の槍の付け根から。傷口からマナが連鎖して崩壊し、致命傷へと変わる。
「ぐぅ・・・・・・っ!」
「が、ぁああっ・・・・・・」
 にらみ合うことしばし、先に倒れたのはスピリットの方だった。
 スピリットの死に反応して太刀型の神剣が消える。改めて噴き出した鮮血に、千歳はわずかに顔をしかめた。

「ママ! こっちはやっつけたよ!」
 ネリーの声が聞こえ、千歳はやや離れた場所から新たに近づいてくる敵部隊を一瞥して鋭く言い放つ。
「全員、散開っ!」
 セリアとネリーが東、千歳とシアーが同時に逆方向へ逃げ出す。追撃してきていたスピリットたちが一瞬の躊躇を見せ、その隙に距離を稼ぐ。

 この様なヒット&アウェイを半日は繰り返してきたが、それもそろそろ限界に来ていた。
 隣を駆けるシアーの息も上がっているし、千歳の体中にできている傷も両手の数を越えている。
「いっつぅ・・・・・・『追憶』、また頼むわよ」
 ―――承知。―――
 『追憶』の先から糸状に編み上げられたオーラフォトンが実体化し、主の腕を這う。そのまま皮膚の下にもぐりこみ、縫合の要領で無理やり傷口を閉ざした。
 ―――しゅるるるっ・・・・・・ピンッ。
「く、あっ―――」
 漏れる苦痛の声。だがその痛みの代償に血は止まり、左腕の違和感も少しは減った。癒やしの力のない、『追憶』ならではの荒療治だ。
(これでまだ・・・・・・闘える!)
 しかし、もう千歳は騙し騙し使っていたドレイクハイロゥの力も使い切り、『追憶』を使った探査もする暇がないほど事態は切迫していた。敵の数は情報以上 に多く、ここで千歳たちが退却してはこのままラセリオまで責め込まれてしまう。

「マ、ママ・・・うしろっ・・・・・・!」
「くっ、もう来たかっ」
 脅えるシアーを背後にかばい、千歳は後方へ向き直る。
 迫り来る気配は三体。決して多くは無いが、今の千歳たち二人には荷が重い。
「シアー、あなたは行きなさい。このまま行けば、セリアたちと落ちあえるからね」
「・・・ふるふる」
「ねえ、お願いよ、シアー。あなたが速く二人を呼んでくれれば、勝機がみえてくるかもし・・・・・・」
「ヤ、いや・・・っ!」
 オルファやネリーと比べて、シアーは他人の感情に敏感な娘だ。余裕の無い千歳の虚言など、簡単に見破っているのだろう。
 こんな時だと言うのに、千歳にはなぜかそれが少しだけ嬉しかった。
「・・・・・・しょうがないわね。いい? ある程度、敵をひきつけたら私があいつらの足を止める。その隙にまた逃げるわよ」
「・・・うん」
 シアーが小さく頷く。
 二人が互いの神剣を構え、覚悟を決める。
 その時、突然『追憶』が千歳に後方へ注意を促した。
 ―――主殿!!―――
「えっ?」

 ―――ビュ・・・・・・ウン!

 影が千歳の頭上を飛翔する。青い波が軌道を残して、二人の前方に揺らめいた。
 千歳たちを狙っていた三本の神剣が慌てて矛先を変えたが、遅かった。
「ハアアアアアァァァッ!!」
 ―――ザン!
 一振り、神剣を手にした一本の腕が宙を舞う。
 振りぬく柄で敵の神剣を受け止め、長柄が反転する。
 二振り、逆の位置に立っていたスピリットが横薙ぎに斬られる。
 ようやく地に付いた足の爪先が返り、ぐるりと上体の向きが変わる。
 三振り、厚い剣の腹で軌道上の二人を弾き飛ばす。

「テヤアアァァァァッ!」
 澄んだ気合が響き、斬撃の嵐は容赦なく敵を打ち据える。
 岩石から顔を出す原石のように飾らぬ剣技は、その剣の使い手の心を如実にあらわしたものだった。
「アセリア・・・・・・間に合った、の?」
 千歳が呆然と呟く。
 気が抜けたせいか体中のマナ糸が緩み、傷口が開いた。
「くっ、つあぁっ・・・・・・」
「マ、ママ!?」
 苦痛に膝を突く千歳に、シアーが慌てて駆け寄った。
「チトセ様! ここにいらっしゃいまし・・・っ!?」
 千歳は軽い貧血を起こし、ろれつが回らない。
「あ、エス、ペリア・・・・・・」
「う、動かないで下さい! 今、傷を癒やします・・・・・・アースプライヤーッ!」
 エスペリアの掌から放たれた緑の輝きが千歳の体を包む。
 ごまかしとは違う、正真正銘の癒しの力にすべての傷が見る間にふさがっていった。
 しかし完治するまで続けようとするエスペリアに、千歳はその手を遮る。
「ネリーと、セリア、は・・・・・・?」
「大丈夫です! ヒミカとヘリオンが合流しています。ですから、チトセ様は傷をはやく」
「いい・・・平気よ。それよりも、シアーをお願い・・・・・・」
「チトセ様っ!?」
 エスペリアに疲労した少女を託し、千歳は再び戦場へ足を運んだ。

 アセリアはあの三人をすでに下し、新たな敵を求めて『存在』と共に舞う。
 やや離れた場所からは、重い爆発音が聞こえてくる。その気配は、『赤光』。
 そして―――。
「たあああぁぁぁあっ!」
「―――!」
 ずん、と刃が結界ごとスピリットの体を破壊する。その破壊力は、とうてい『追憶』の及ぶ所にはない。鮮血に染まった『求め』が、歓喜に震えるように金色 のマナを吸収する。
 が、その担い手は神剣の楽しみなどあずかり知らぬと、己がためにそれを振るい続けた。

「・・・・・・悠人」
 千歳がやや離れた場所から彼の名を呟く。
 その音にこめられるのは、羨望、嫉妬、そして憎悪にも似た負の感情。
 いつだって、彼は手に入れてしまう。自分が身を引き裂かれんばかりに望み、欲するものを易々と。
 ただの言いがかり、八つ当たりともいえる言葉ゆえに、それを口には出せない。
 だからこそ、千歳はくすぶる想いにふたをして、心の奥底にしまいこむことにした。


 ―――ざわり、と何かが自分の中で蠢くのを感じながら。


「ママ〜〜〜っ!」
 その時、千歳の背後からオルファが走ってきた。スピードを落とさないまま、体当たりするように千歳の足に抱きつく。
 普段ならどうということは無い衝撃が、千歳の体をわずかに揺らす。
「ママ、だいじょうぶ? だいじょうぶ? シアーが、ママのお怪我がホントにひどかったって!」
 幼さの残る顔が、心配そうな表情に曇る。
「オルファ・・・私は、平気よ。大丈夫だから、ね?」
「そうなの? ホントに? ・・・・・・なら、よかったよぉ」
 戦場には相応しくない花のような笑みをオルファが浮かべる。だが、突然その目は獲物を探す猫のようになり、周囲をぐるりと一瞥した。
 現れた本隊の襲撃に圧され、バーンライト勢は散り散りに撤退を始めている。

 相手をしていた敵を退けた悠人もこちらに気づいて、警戒を怠らずこちらに歩いてきていた。
「千歳・・・・・・よかった、無事だったんだな! オルファも、大丈夫か?」
「うん♪ もう、オルファたちの勝ちだよね、パパ♪」
「ああ、でも油断するなよ。まだどこから敵が来るか・・・・・・」
 悠人はそう言いながらも、すでに『求め』を下ろして戦闘体勢を解いている。
 だが、千歳もオルファも互いの神剣を手にしたまま、近くを逃走しようとしている手負いのスピリットたちを見ていた。
 彼女達を取り逃がせば、必ず本国で治癒されてバーンライト攻略時の障害となることは間違いない。
 千歳は『追憶』を握りしめる。
「あのままじゃ、逃げられるわね」
 その呟きに、オルファが大きく頷いた。
「うん! とどめ、ささなくっちゃ! まだ終わりじゃないもんね!」
「なっ、何言ってるんだ、二人とも! もう戦闘は終わったんだぞ!?」
 二人の会話に、悠人は驚きを隠せずに止めに入ろうとする。
「―――まだ、終わってないわ!」
 千歳がきっぱりと言うと、同意するようにオルファが『理念』を振りかぶる。その唇からは、破壊をもたらす旋律が流れるように紡がれた。

「永遠神剣の主、『理念』のオルファリルの名において命ずる! ふれいむしゃわーっ!」
 深紅の双剣が燃えるように輝く。
「敵さんたちの逃げ道、ぜ〜んぶ焼きつくしちゃえ♪」
 発動した神剣魔法に、中空がにわかに朱に染まる。続いて、地が朱に染まった。

 ―――ずずずずん、ず、ずん!

 しんがりを務める者は頭上から、逃げ行く者は背後から炎を浴びて吹き飛ばされる。
「あははははっ♪ 燃えろ、もえろ〜っ! 死んじゃえ、しんじゃえ〜〜〜っ!!」
 オルファは笑う。
 悠人を励ます時と同じ、千歳が遊びを教える時と同じ笑顔で、敵が炎の中で舞う姿を笑う。
「もういいわ、オルファ―――あとは、私に任せなさい!」
 敵の陣形が崩れたのを確認し、今度は千歳が飛び出した。
 後で悠人が何かを言っているが、聞くに値しない。
 神剣魔法を受けてもいまだ立つ者たちを、千歳は容赦なく『追憶』で強く脊柱を打ち据えて止めを刺した。
 ここまで叩かれれば反撃がないのは当然だったが、それでも何人かには逃げ切られた。
 千歳は肩で息をしながら、先ほどの道を戻る。と、少し離れた森の中からオルファと悠人の声が聞こえてきた。

「・・・・・・もういいんだ! やめてくれ、オルファ!!」
「ええ〜〜〜っ!? せっかく敵さん、がんばってるのにぃ」
「・・・・・・っ」
 千歳はわずかに息を呑む。
 森に少し入った場所に二人・・・・・・いや、三人はいた。
 オルファが一本の樹木を前に、正確には樹木との間に挟まれて『理念』に腹部を貫かれたスピリットと向き合っていた。逃げ遅れたスピリットはすでに瀕死で あり、えぐられた腹部の凄惨さと、なおも笑うオルファに悠人の顔が顔をしかめている。
 千歳はこの光景を見ても、悠人ほどの驚愕を抱くことはなかった。
 彼女の訓練の一部を取り持つ千歳には、すでにオルファが戦いについて感じているものに見当が付いていたからだ。

 ―――ゲーム。
 オルファにとって、戦闘とはその一語につきる。
 ルールはなく、ポイントは自身が殺した敵の数。
 ゲームセットは、すべての敵の殲滅。
 そして、彼女が求める何よりの褒賞は―――。


「オルファがんばって、敵さんみ〜んな殺さなきゃ! そうしないと、パパとママにほめてもらえないもん!!」


 彼女に悪意はない、そして疑念もない。
 千歳はそれを知っているから、もう、驚かない。
 しかし、オルファの優しさのみを知る悠人には、それは許容できることではなかった。
「いいから! やめるんだ、オルファ!!」
「そ、そぅなの? どーして?」
 オルファは不思議そうに尋ねる。
 千歳は二人に歩み寄り、硬い声で言った。
「―――オルファ、敵は確実にしとめなさい。油断をするなと、いつも言っているはずよ」
「千歳っ! お前、なに言っているんだよ!!」
「あ、ママ! えへへ、ごめん、ごめん。うん、今やっつけちゃうから、見ててね♪」
 オルファは刃に挟まれた柄を握りなおす。かすかに、スピリットの体がはねた気がした。
「永遠神剣の主、オルファリルの名において命ずる! このスピリットの体に、浄化の炎を!!」
 彼女が選んだ最後の一撃は、千歳が思いつく限りもっとも容赦のない方法。
 悠人が制止するが、間に合わず、オルファは高々と己の勝利を宣言した。
「体の中で、爆発しちゃえ♪」

 ―――ガ、ガアアァアァァン!!

 スピリットの体ごと、背後の樹木が爆裂四散する。
 生々しい赤い雨が三人の頭上から降りそそぎ、すぐにマナの霧へと変わっていった。
「あ〜、気持ちよかった! オルファ、敵さんやっつけた時が一番、気持ちいいんだ♪」
 紅と金のドレスを着たオルファが満足そうに笑う。
 悠人の顔はすでに蒼白だった。
「オルファは・・・・・・オルファは、なんとも思わないのか? あんな戦い方をして・・・・・・」
「? 何のこと、パパ?」
 問わずにはいられない問いかけも、オルファにはその意味すら届かない。
「もう、敵は戦う気はなかったんだ。なんで、殺さなきゃいけなかったんだよ?」
「オルファ、何かまちがえちゃった? でも、敵さんは殺さなきゃいけないんだよ。―――だって、敵さんだもん!」
 迷いのない瞳に、悠人は自問するように片手で顔を覆った。
 千歳はこのまま二人を側にいさせることに危険を感じ、口を挟む。
「オルファ。このあたりに敵が残っていないかどうか、調べてきて」
「え〜〜〜、いまぁ?」
「ね、お願いよ、オルファ」
「ぅ〜ん・・・・・・わかった。行ってくる」
 千歳はこの近くに敵がいないことなど分かっていたが、それでもオルファの背中を見送った。

「・・・・・・さて、いろいろと言いたそうな顔をしてるわね?」
 オルファの背が見えなくなった後、千歳は半身だけを悠人に向けて呟いた。質問というよりも、その声音は確認に近い。
「―――なんで」
 しぼり出すように悠人は呻いた。
「なんで、殺したんだよ・・・っ」
「こっちも聞きたいわね。なんで、見逃そうなんて思ったの? 彼女たちを見すごせば、確実にバーンライト攻略戦での障害が増えるのよ」
「そうなるとは限らないだろ・・・・・・!」
「それじゃ、そうならないとは誰が保障するっていうの? ひょっとしてあんた、自分さえいればスピリットぐらい、いくらいても敵じゃないなんて思い上がっ てるんじゃないでしょうね?」
「ふざけるな! そんなわけあるかっ!!」
 悠人の怒りが爆発した。
 対して千歳の感情は、いまだ氷よりも冷えきっている。

「お前は、平気なのか!? オルファが・・・あの優しいオルファが、あんな風に人を殺すところを見て! あの時どうして、止めをさせなんて言ったんだ よっ!! 命は・・・・・・命を大切にしろって、お前はエスペリアにそう言ったじゃないかっ!!」

 神剣の力など無くとも、今の悠人の怒気が千歳にはひしひしと感じられた。
 もともと、悠人は何よりも情に厚く、悪い言い方をすればそれに流される所のある人間だ。率直な気性で、それでいてどこかが歪つな形をしている。
 それが、瞬と似かよっていると千歳が思ったのは、いつのことだっただろう。
「確かに。私はあの時、エスペリアにそう言った。でも、それは敵に情けをかけることとはまったく違う。敵の血が流れなければ、その分をこちらが払うことに なるかもしれないのよ。そんな無用な危険性を、彼女たちに押しつけるのは職務怠慢で済むものじゃないわ。どちらを護るべきかなんて、あんただってわかって はいるんでしょう?」
「・・・・・・なら、オルファのことはどうなんだ」
「どうなんだ、ねぇ。それじゃあ、こっちが聞くけど。あんたはオルファが取った行動、全部が全部間違っていると思うの?」
「・・・・・・! そ、れは」
 悠人は言葉につまる。自分がしていることもオルファがしたことも、本質的には違いがないと心のどこかでは気づいているから。
 過程がいかに違おうと、それらが帰結するのは『死』という一点。そして悠人にとって最も責められるべき己の罪は、まさにそれなのだから。
「どの道、あの娘がこの戦乱の中で生き残るためには、自分の身は自分で守れるようにならなくちゃいけない。それがどんな形であろうと、そのために敵を倒す ことを覚えていく必要がある。その中で、容赦なくこっちを殺しにくる相手の命を気づかえないのが、そんなに大きな罪だっていうの?」
「俺には、わからない・・・・・・。でも、それなら同じように命の大切さも知らなきゃいけないはずだ!」
 ちくり、と千歳の胸にささくれるモノがあった。良心では賛同しつつも、口からは悠人と対抗する言葉しか放たれない。
「じゃあ、あんたがあの娘に、命の尊厳とやらを教えてあげたらどう? この世界の人間に、戦わないスピリットへ情けをかける奴なんていない! 今度はあん たが、もう戦いたくないっていうオルファを無理やり戦場に引っぱり出すの!?」
「話をすりかえるなよ! 俺が聞いているのは、オルファを大切にしているお前が、なんであんなことを許しているのかだ!」

 しばらく睨み合い、ぶつかり合っていた二人の視線が外れる。外したのは、千歳のほうだった。
「・・・・・・なんで、オルファが戦っているか、今のあんたにはわかっている?」
「え・・・っ?」
 突然、低く落とされた千歳の声に、悠人はやや戸惑って尋ねかえす。
 千歳はきっと顔を元の位置に戻す。
「あの子は、アセリアみたいに剣のために戦っているんじゃない・・・・・・ましてや、エスペリアみたいに義務や命令のために戦っているのでもない! それ が、あんたにはまだわからないの!?」
「それじゃ・・・・・・!」
 なんのために、と尋ねようとした悠人は、その前に自分の頭で一つの答えを導きだした。
 思い浮かぶのは、普段のオルファの姿。悠人を父と慕い、千歳を母と慕い、エスペリアたちを姉と慕う彼女の笑顔。
「俺たち・・・・・・なの、か?」
「そうよ・・・あの娘の行動理念は、戦うより何よりも、私たちと一緒にいるということ。だから、私たちのだれかが傷つけられたら怒るし、傷つける敵にかけ る情けなんて感じない・・・・・・!」

 ―――オルファ、何かまちがえちゃった? でも、敵さんは殺さなきゃいけないんだよ。―――だって、敵さんだもん!―――

 残酷な、あどけない言葉が悠人の耳を反芻する。
「そのオルファの心を、私が否定できるはずがないでしょう! あんなに小さい娘が、私たちのために命はってくれているのに、もう汚れきっている私たちのど こにそんな権利があるっていうのよっ!! そんなことをされてもこっちは辛いだけだって、あんたならそう言う!?」
 千歳の言葉は、恐らく真実であるのかもしれない。悠人でさえ、そう思わせる力がその声には宿っていたから。
 だが、いやそれならばなお悠人は千歳にこう言わずにはいられなかった。

「なら、なおさら、俺はオルファをこのままになってしておけない。いつか、命の価値を知った時、一番傷つくのはお前じゃない。オルファだ」
「―――それぐらい、わかってるわよ。私も。今しているのはただの、その時までの逃避。でも、これだけははっきりと言える」
 千歳は決意を込めた、強い目で宣言した。
「それまでは、そしてそれからも。私は、決してあの娘を見捨てたりしない・・・・・・私が必ず、あの娘を支える。傍にいてみせる」
 揺るぎのない千歳の声に、悠人も小さく頷きを返した。
「俺が、誓えるのは・・・・・・もう、オルファのことを否定しない。さっきのことは忘れられないけど、そのことでオルファのことを避けたりはしない。今 は、それだけだけど」
「そ、勝手にしたら」
 千歳は軽くため息をついた。らしくもなく興奮してしまったせいで、少し顔が火照っている。それを気づかれたくなくて、ひたすらそっけなく悠人に背を向け た。
 それを追いかけるように、悠人の声が千歳の耳に届く。
「・・・・・・まだ、納得したわけじゃない・・・・・・けど、悪かった、千歳。お前だって楽なわけないのに・・・・・・俺は」
「気にしなくていいわよ。あんたに気遣われたってこっちは嬉しくもなんともないんだから」
「はは・・・それでも、サンキュな。俺、もう少し考えてみるから、さ」
 悠人は思ったことを吐き出したせいで、乾いたものとはいえ、笑みすら取り戻せるまでには回復したようだった。
 無論、悠人はあの血塗れたオルファのすべてを許容したわけではない。けれども、血塗れたオルファだけが本当のオルファなのではない。そのことを思い出せ ただけでも、二人の会話の意味はあったのだろう。

 ちょうどその時、少しふてくされた感じでオルファが戻ってきた。
「ママ〜〜〜、もう敵さん、みんないなかったよぉ!!」
「そう。ご苦労さま、オルファ」
「ぷぅ! ニムじゃないけど、オルファ、めんどくさかったよぉ!」
「ああ、ごめん。ごめんね、オルファ」
 よしよしとオルファの頭をなでる千歳。その変わり身の早さに背後で悠人がやや呆れているようだったが、無視した。
「む〜〜〜、・・・・・・いいよ。これもおっしごとだもんね」
 千歳の謝罪にしぶしぶと納得したオルファの顔が、ふいに悠人の方を向く。そっと千歳の腕から抜け出して、悠人の所に駆け寄った。
「パパ、だいじょうぶ? さっきも何だかつらそうだったから、オルファ心配しちゃったんだよ」
 悠人の顔が、わずかに曇る。
 やはりオルファに心配をかけたことの申し訳なさよりも、まだあの光景が先に目蓋をちらついてしまうといった顔色だ。
 それでも、オルファがすがりつく腕を振り解こうとはしないだけ、まだましといった所だろうか。
「ね? どこか痛いの? どこ? オルファ、すりすりしてあげるから」
 悠人は目線を下げ、正面からオルファの顔を見る。
 しばらくして、やはりまだ無理が残っていることがわかる表情で無理やり笑顔を作った。
「ごめん、オルファ。俺、どうかしてた。・・・・・・心配かけて、ごめん」
「ううん! パパが元気なら、オルファそれでいいよっ!」
 二人が互いを思いやり、そのせいで生まれる心のすれ違いが、千歳の記憶を刺激した。

 ―――ドレダケ想ッテモ届カナイ。
 ―――ドレホド求メテモスレ違ウ。
 ―――ソンナコトガ、ドコカデ・・・・・・・・・。

「・・・・・・っ」
 ずきりと痛む頭。
 軽く額を押さえて、千歳は二人に気づかれぬようにその場を離れた。
 しばらく、二人の姿が見えなくなるまで歩いた後、千歳は妙な頭痛が治ったことを確認すると、誰へともなく口を開いた。
「・・・・・・いい加減、出てきたら?」
 千歳の声に、風もないのに突然にどこかの枝がざわめいた。一拍の間をおいて、影が木の上から降りてくる。着地すると共にウィングハイロゥを消したセリア は、昨日と同じ小難しい顔で千歳を見ていた。
「気づいて、いたのですか」
「ま、なんとなくだったけどね。そういうのは鋭いのよ、私」
 しらっと答える千歳に、セリアはますます目を細く吊り上げた。
「聞かれているとわかって言っていたのなら、先ほどの会話も本心かどうか怪しいものですね」
「さて。それを判断するのは、私じゃないわ」
「くっ・・・・・・! どこまでふざけているのですか、あなたは!?」
 意外と、セリアは自分と似ている所が多いようだと、千歳は思った。たとえば、こんな風に手玉に取られることを極端に嫌う所とか。
 しかし彼女は人間ではなく、自分はスピリットではない。だからこそ、千歳には彼女に期待することがあった。
「―――それを、自分の目で確かめてみる気はない?」
「な、それはどういうことです?」
 意味深な言葉に、セリアが疑念の声をあげる。

「簡単なことよ。あなたは昨日までのように、ずっと片田舎でくすぶっているだけの女じゃないでしょう?」
「これを機に、私に本隊へ戻れというのですか。しかし、それは・・・・・・」
「今回のようにラキオスが裏をかかれた形になった以上、上層部はよりむきになってバーンライト攻めを決行するわ。本隊の戦力増強も、多少の無理がきくはず よ」
「・・・・・・・・・」
 難しい顔で考え込むセリア。彼女の頭の中では、これが良からぬことの誘いである危険性と自分たちへのメリットが交錯しているのだろう。
 しばらくしても答えはなく、千歳はスピリット隊の現状を端的に伝える必要があるかと思った。
「さっきの会話を聞いていたならわかるだろうけど、今現在のスピリット隊は一枚岩とはいえないわ。隊長の精神は不安定で、自分の神剣に飲まれる危険性がま だ少なくない。参謀のエスペリアは、その隊長の暴走を覚悟してしまっている。副隊長の私は、少なくとも二人の味方ではない。残りの娘たちにそれほど大きな 問題はないけど、先走りがちなアセリアやオルファを止めるには、悪いけどヒミカとハリオンだけじゃ役不足なのよね」
「私に、スピリット側の抑え役になれ、と?」
「明察ね」
「子供でもわかることです」
 憮然とするセリアに、千歳は肩をすくめて見せた。
「あらそう。で、この話、受けてくれるの? くれないの?」
「・・・・・・返答の前に、言っておくことが」

 セリアは姿勢を正して凛とした顔で告げた。
「私は、あなたたちのことを信用していませんから。もし、みんなの足を引っ張ったり、害になると判断した時には・・・・・・容赦、しません」
 セリアは挑むように千歳を見た。言葉に飾るものを含めず、最後を締めくくる。
「それを知っての上で私を再登用するのなら、好きにすればいいわ」
 千歳はほとんど間をおかず、けっこうだと頷いた。
「OK。では、その条件で。これからはよろしく頼むわよ。『熱病』のセリア殿?」
「―――ええ、こちらこそ。エトランジェ、『追憶』のチトセ様」
 一人は不適に微笑みながら、もう一人は口元を一直線に引き締めながら、互いを利用せんとする者たちはしらじらしく互いに挨拶を交わしたのだった。



 その後、幾度に及んでバーンライト軍がラセリオへ新たな手勢を送るも、すべては一拠点に身をおいたラキオス軍スピリット隊を揺るがすものではなかった。 やがてじりじりとラキオスは迎撃地点を延ばしゆき、遂には山道のすべてを確保するという、今までの両国の戦争では初の快挙を成し遂げるまでに至った。
 バーンライトの喉元へ剣を突きつけられた状態で戦力が尽きたか、ラセリオ侵攻はある時ぴたりと止まった。
 情報部はこれを、その戦争の終わりを篭城戦として迎えるつもりだと判断。ラセリオに出されていた戒厳令は撤回された。

 今回のラキオス襲撃を重く見たスピリット隊は、これを素早い情報の伝達と部隊の移動の両方が不十分であるためとして、上層部へ軍属情報部の改革、もしく は本隊への指揮統制に優れたスピリットの転任を求めた。
 上層部は後者を許可し、晴れてスピリット隊本隊に新たなメンバー、『熱病』のセリアと『消沈』のナナルゥが加えられることとなった。(ファーレーン、ニ ムントールの二人は今回の戦績から、いまだ療養が必要と判断されて第二詰め所に戻された。二人が戦線へ復帰するのは、もうしばらく先になるだろう。)

 最後の山道での戦闘から数日後、当初予定していた物資もちょうど使い切り、ラキオスはスピリット隊の帰還を命じる。
 ほんの一時の休息。だが、それでもあの激闘を終えた千歳は願わずにはいられない。
 たとえ気休めには過ぎなくとも、それが少しでも、この少女たちの癒やしにならんことを・・・・・・。




・・・・・・To Be Continued



 【後書き】

 お久しぶりです。
 こちらは数ヶ月、パソコンから放れましておりましたが、気がつくと、新たなアセリア設定が次々と暴露されていました。
 プレーステーション版シナリオもなかなかの人気らしいですし。
 なんだか、このままいくと、予定していたシナリオに大幅な変更が予測されます。
 もちろん、更新がさらに遅れるということです。いや、プロローグからの書き直し・・・・・・・?
 ・・・・・・いづれにせよ、申しわけもありません。

 あまり弱気になっても仕方ないってことは、わかってはいます。
 しかし、慎重であるべき所は慎重でありたい・・・・・・ジレンマです。
 断念はしません。ただ、ちょっとくじけているだけですので、お間違いなく。
 つきましては、皆様の御意見なども聞いてみたく思います。
 こちらがすぐのお返事を出せるか、今現在の状況ではお約束できませんが、どうか皆さまのSS感想掲示板への御一報をよろしくお願いします。




NIL