Somewhere.........

「ふぅ・・・・・・悠人さんの方はなんとか落ち着いたみたいですけど・・・・・・
 後は、彼が自我を強く保てるかどうか、といった所でしょうか。
 ・・・・・・信じてますよ、悠人さん・・・・・・・・・。

 ・・・・・・・・・。

 それにしても、まさか私たちの気配を悟られるなんて、びっくりしちゃいましたね。
 あら、あなたもですか、『時詠』?
 それにしたって、あれはやりすぎですよ。
 ・・・・・・ええ、まあ、気持ちはわかりますけどね。
 けど、そのせいで二人に変な誤解されちゃったじゃないですか。
 あなたのせいですよ、まったくもう。

 でも、あの剣は・・・・・・やはり、本来の力を失っているんですね・・・・・・。
 いえ。あれを乗り切った上に、自我が残ったことの方が僥倖と言うべきなのでしょうか。
 流石は、あの人の剣。そして、彼女たちの・・・・・・・・・。

 いけない、いけない。私としたことが感傷的になっちゃいましたね。
 ええ、あなたの言う通りです。
 彼女があの世界でどう生きていくかは、私が干渉してよいことではありません。
 ―――それが、あの人との約束なのですから。

 ・・・・・・・・・しかし、テムオリンたちがどうでるかによっては・・・・・・。
 もし、ロウの手に『あれ』が渡るような事があれば、あの人の願いが水の泡になってしまいます。
 ええ。ですがそれまではせめて、私たちはここで願いましょう。


 ―――千歳さん。
 貴女の行く先にあるものが、実り多きものとなるように。
 わたしも、彼女たちも、皆が祈っていますよ・・・・・・・・・。



 ・・・・・・・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・。




 でっ、でも、悠人さんに手を出しちゃダメなんですからね!
 二人とも最近、随分と接近しちゃってませんか!?
 まさか冷たい態度を取っておいて、それが実は愛情の裏返し・・・・・・なんて事はないでしょうねっ!?

 そんなのイヤアアァァァァァァァァッ・・・・・・!!

 千歳さん! お願いですから、今のまま悠人さんのことを嫌っていて下さいよ!
 ・・・・・・・・・それはそれで、ちょっとイヤなんですけど。
 あなたも! くれぐれも、彼女にフラグなんて立てちゃダメですよ、悠人さん!!
 エスペリアの事といい・・・・・・なんでヘタレのくせにそんなに手が早いんですか、あなたは!?


 あぁ、アセリアたちとどうなるかも、すっごく心配ですし・・・・・・・・・。
 悠人さ―――ん!! お願いですから、わたしがそっちに行くまで待っていてくださいよ―――っ!



 だって、あなたは、わたしが千年も待った・・・・・・運命の・・・・・・きゃ―――っ!」


 ・・・・・・・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・。









 永遠のアセリア二次創作            

龍の大地に眠れ

    二章 : 蝕まれし世界

第一話 : 望み無き戦







 スピリットの館 悠人の部屋

 ラキオス軍スピリット隊隊長、高峰悠人はすべての支度を整えて、『求め』を手に取った。
 窓から差し込む朝日は今日も明るいというのに、彼の心の中は今にも夕立が降りだしそうな曇り空だった。
 それでもなんとか衣服をぴしっと正したのは、最近エスペリアに事細かに身なりに気をつけろといわれているからだ。
 副隊長に任命された者からも、仮にも自分より上に立つならばだらしない身なりで来ることは許さないと散々に脅しつけられたせいで、その傾向に拍車がか かっている。彼女に逆らうと、訓練メニューの量が跳ね上がり、命に関わるからだ。
 かなり以前の訓練を思い出し、悠人は身震いした。

「俺だけ神剣の力抜きで片手素振り二千本って、なんなんだよ・・・・・・しかも、オルファたちはその十分の一以下だし」

 結局、途中でぶっ倒れた悠人が意識を取り戻した時、彼女が忌々しげに舌打ちをして、『ちっ、しぶといわね』とかなんとか言っていたような気がしたのは気 のせいだと思いたい。

 だが、その訓練自体は決して無意味なものではなかった。親友の碧光陰とは違い、武術についての知識がない悠人が『求め』に飲まれずに剣を振るためには、 少しでも自分の知識として剣を身に着ける必要があったからだ。
 そして、あの龍討伐から三ヶ月。この短い期間でまがりなりとも基礎を身につけることができたのは、あの無茶な訓練による所も大きい。
 ・・・・・・ただ、それがこうして今から始まる戦争のためのものだったと思うと、どうしても気が滅入ってしまうのだが。
 いよいよ今日、謁見の間でラキオス王が公式にバーンライト王国に宣戦布告することを表明し、両国の戦争が始まるのだ。

 ―――コン、コン。

 ドアがノックされる音が聞こえ、悠人ははっとそちらに目をやった。
 エスペリアにしてはぞんざいな叩き方から、それが誰であるかは悠人にはすぐにわかった。
「千歳だろ? 開いてるから、入ってきてくれ」
 その声に応えて、長身の少女が無愛想な顔をしてドアの向こうから現われた。
 長い三つ編みを揺らして入ってきた少女は、ドアの前で形ばかりの敬礼を取る。
「―――失礼するわ」
 明らかにそう思っていない声で、自分がスピリット隊隊長に任じられた時、副隊長に任じられた異邦者の少女―――海野千歳が入室した。

 彼女は悠人よりもこちらの世界に馴染むのが早く、最近は率先してエスペリアの行っている事務作業などを手伝いだしている。今ではこちらの文字もほぼマス ターしているらしく、書類の受け取りなどに城へ呼ばれることも多くなっていた。
 現に今も、彼女は四日前から東の町ラースと南の都市ラセリオの視察に立て続けに行っていたはずである。毅然とした表情はいつものままだが、少々くたびれ ている様子を隠しきれていない。恐らくは、帰って来た足でここまで来たのだろう。
「たった今、戻ったわ。エスペリアに言われてこっちへ先に来たけど、報告を聞く?」
「大丈夫か、休んでないだろ?」
「別に。謁見の間に行く前に治癒魔法を施してもらうことになっているから、平気」
「そうか・・・・・・じゃあ、頼む。あ、座った方がいいんじゃないか?」
「・・・・・・それじゃ、お言葉に甘えさせてもらおうかしら」
 千歳は頷くと、彼女の永遠神剣『追憶』をテーブルに立てかけて、どっかりとイスに座り込んだ。色気の欠片もない姿勢だが、それを指摘すると本気で殺され かねないので悠人は喉元まであがった言葉を腹に押し込む。
 酷使した足をさすりながら、千歳は手早く各地での報告を始めた。

「ラースの方は、今現在は安定していたわよ。この前の襲撃からの被害も立て直したし、他の問題も特になかったしね」
「そうか。じゃあ、警備のスピリットをこっちに連れて来れたのか?」
 悠人の言葉に、千歳は思い切り眉をしかめた。どうやら、不愉快なことがあったらしい。
「あの変換施設の奴ら・・・・・・自分たちは安全だって思っていた所に襲撃を受けたのがよっぽど怖かったみたいね。スピリット如きだのなんだの言っておい て、いざ人員削減の話を持ち出したら、急に渋り始めたわ」
「おい、それじゃあ・・・・・・」
「勅命だって言って、書状を見せてやったらなんとか黙ったわよ・・・・・・腕利きの三人の内、二人はこっちに連れて来れたわ。ヒミカ・レッドスピリットと ハリオン・グリーンスピリット。今は、二人とも第二詰め所の方に行っているわ」
「二人、か・・・・・・」
 多いと見るか、少ないと見るかは悩む所だが、熟練したスピリット二人ならば戦力としては申し分ない。結果としては上々だろうと悠人は思った。

「ラセリオはどうだったんだ?」
「・・・・・・あっちはもっとクズみたいな奴らばっかりだったわ。信じられる? あいつら、この時期に命じられていた『塔』の建築よりも、自分たちの勝手 でエーテル変換施設の増設を優先していたのよ」
「まさか、今の時期にか!?」
 千歳の言葉に、悠人は驚きを隠せなかった。
 来たるバーンライトとの戦いのために、悠人たちは龍を討伐した時に得たエーテルを各都市に回し、防衛施設の建築を行うよう命令を下していた。
 ラセリオに設置を命じた『塔』というのは、それを建築した都市を護るスピリットたちに絶え間なくエーテルを供給するための装置を組み込んだ防衛施設であ る。
 拠点防衛には欠かせない施設であるゆえに、ラキオスとバーンライトの首都との間にあるラセリオには特にその必要性があったのだ。だというのに、千歳が視 察に訪れた時、住民たちはそれよりも自分たちの利益となる方を優先していた。
 その時の千歳の怒りは、察してあまりあるものだろうと悠人は思う。
「それで、どうしたんだ?」
「責任者は解雇。その取り巻きを六人、降格しておいたわ・・・・・・あぁ、勝手にあんたの名前を使ったけど、納得いかないなら後からくる書類にサインしな ければいいから」
「・・・・・・いや、俺もそれが妥当だと思う」
「オーケー。あぁ、それと建築士の頭、二、三人をちょっとばかり『説得』しておいたんで、建築スケジュールは元通りよ。塔の完成は二週間後・・・・・・ま あ、誤差の範囲よね。以上、報告終わります。隊長殿?」
 千歳はそう言って足を組むと、テーブルに頬杖をついて冷ややかな面持ちで悠人の顔を見た。


「・・・・・・・・・それで?」


 唐突な千歳の問いかけと鋭くなった眼差しの意味に、悠人は訝しげに尋ね返した。
「それで・・・・・・って、何がだ?」
 が、その言葉を聞くと、千歳の視線は更に鋭いものに変わり、だん!とテーブルを苛立たしげに叩いた。
「決まっているでしょう! ―――エスペリアとはどうなったって聞いてるのよ!」
 悠人はぎくりと身をこわばらせた。
 あの夜―――エスペリアの態度に変化が訪れ、その後で千歳に一発ぶん殴られた夜から、三人の関係は薄ら寒いものになっていた。
 エスペリアはひたすらに悠人に距離を置こうとするし、千歳は冷ややかな態度で悠人を『隊長殿』と嫌味と皮肉をブレンドした声で呼ぶ。加えて、何故か彼女 たちの間までどこかギクシャクしている。
 オルファが食事の席で涙ぐましい努力を見せ、三人を盛り上げようとしても、食卓に訪れる冬は一向に去ることがなかった。その度にエスペリアは辛そうな顔 をするし、千歳はオルファの頭をなでながらすべて貴様が悪いと悠人を睨む。アセリアだけはいつもどおり何も言わないが、何故か時おり、千歳につられて悠人 を凝視するのだ。
 はっきり言って、悠人の方が泣きたい気分だった。

「・・・・・・まあ、彼女のあの態度を見れば、あんたの優柔不断ぶりがいまだご健在なのは明らかですけどねぇ?」
 千歳はぴくぴくと怒りに蠢く額の血管を隠しもせずに、悠人に痛烈な嫌味を放つ。
 悠人は少し言葉に詰まったが、言われるままにされるにはこの三ヶ月、鬱憤がたまり過ぎていた。
「なら、どうすりゃいいって言うんだよ・・・・・・!」
「ふん?」
「お前ならどうするって言うんだ!? 最近じゃ、エスペリアは俺と話すことすら露骨に避けてるんだぞ! 話すこともできなくて、顔もあわせられないっての に、どうやったら仲直りができるって言うんだ!?」
 その叫びに、千歳がぐっと息を呑む。
 それは言葉に詰まったと言うよりも、何かを言うのを己が戒めているような、そんな複雑な感情が見え隠れする表情だった。
 悠人はそんな珍しいものを見ても心の内から湧きだしたどす黒いものは収まらず、なおも言葉を重ねようとした。

 ―――こん、こん。

 まさにその時、再びドアがノックされる。
 二人はとっさに、さっと居住まいを正して何事もなかったかのようにふるまった。悠人は素早く千歳から顔をそらし、千歳は組んでいた足を解き、握り拳をほ ぐす。
「ああ。鍵は開いてるから、入ってくれ」
 息を整えた悠人が入室を促した。
 二人の想像通り、入ってきたのは話題の人、エスペリア本人だ。
「失礼いたします。今日のお加減はいかがですか?」
 エスペリアは二人に微笑んで尋ねるが、どこかその優しさに他人行儀なものを感じる。
 悠人はそれを気にしないように、冗談めかして言う。
「いいも悪いもないさ。毎日、訓練と戦術の勉強で頭がいっぱいだ」
「ええ。あんたのおつむの出来は格別に悪いことだし、ここ数日は格別に苦難と拷問のオンパレードな事だったのでしょうね」
 千歳がにっこり笑顔でいうが、無論のこと目は笑っていない。
 悠人はやや頬を引きつらせた。『一番の拷問はお前の訓練だよ』、と言おうかどうかを数秒の間この上なく真剣に悩み、結局無視することに決める。
 一方のエスペリアは二人のいさかいにも少しも動じた様子もなく、愛想笑いすら浮かべていた。そのまま表情を変えることなく、千歳に事務的な調子で口を開 く。

「チトセ様。先ほど、チトセ様の提出された報告書が戦略研究室に届いたそうです。お疲れ様でした」
「なんて事はないわ・・・・・・あなたの苦労に比べればね」
 千歳は白々しくそう言った。
 言葉尻に込められた意味は確実に通じており、エスペリアの顔が少しだけ揺らぐが、すぐに笑みは元通り戻る。
 エスペリアは悠人に向き直ると、静かにまもなく開戦宣言が行われる旨を告げ、二人を謁見の間に連れて行く前に確認事項を見直すことを提案した。二人に異 論はなく、エスペリアは持参した大陸地図をテーブルに広げた。
 三人の顔が自然と地図上の北方諸国に向けられる。

 大方、千歳にとっての目新しい情報はない。
 北方五国の内、東の三国は『龍の魂』同盟、西の二国はサーギオス神聖帝国の傘下。
 バーンライトとの戦が始まれば、連鎖的にその同盟国との戦も始まる。ラキオスが落ちるか、サーギオスが落ちるかしか決着はありえないとエスペリアは言っ た。・・・・・・無論、それまでにはかなりの歳月を必要とするだろうが。
 エスペリアと千歳が地図に注目する中で、悠人は現実感がないな、と呟いていた。
 千歳はなにを今さらとため息をついたが、考えてみれば悠人は龍討伐以降この館から離れたことがない。幾つかの命令をしたことはあっても、それが実行に移 されることを見た事がないので現実感がないのも当然のことと言えた。
 エスペリアはそれを重く見たのか、最近事あるたびに口にする言葉をなぞらえた。

「戦いでは、私たちを使い捨てるよう心がけて下さいませ。それが、この世界の戦い方です」

 悠人も千歳も苦い顔になった。
 二人にしてみれば、自分たちはただの学生に過ぎなかった身だ。他人を率いるだけでも荷が重いというのに、それに加えて人を使い捨てるだの、見捨てるだの といった事を現実問題として考えることなど、それこそリアルになれない。
 いくらここ数ヶ月の間、戦略研究室やエスペリアから何度も言い聞かされてはいても、命の尊厳といった規律が染み付いている自分たちにとってみれば、それ はどうしても受け入れがたい境界だった。
 だが、今の彼女にそれを言っても受け入れられるものでないことは二人ともわかっている。そして彼女自身、この世界の規律を快く思ってはいないのではない かということも。
 取りあえずは胸の内に疑問とやるせなさを閉じ込めて、悠人はエスペリアを促した。

 今回の侵攻に参加する―――実質的に、本隊となるスピリット隊隊員たちは最終的に全部で十名になったという言葉を聞いて、千歳が眉を訝しげにひそめた。
 自分が予測していたよりも、数が多い。
 第二詰め所で療養中の二人が借り出されたかと危惧し、口を開く。
「ちょっと待って・・・・・・ファーレーンとニムントールはまだ休養が必要なのよ。まだ戦線に出すことは副隊長としても、訓練士としても賛成できないわ」
 エスペリアは千歳の言葉に、それは勘違いだと首を横に振った。
「『月光』のファーレーンと『曙光』のニムントールの待機は、王女殿下並びにチトセ様の進言が受け入れられました。今回の進軍に、二 人が参加することはありません」
「・・・・・・? じゃあ、ラセリオかラースの警備隊から新しい人員が割けたの?」
 一瞬、千歳の脳裏にラースに駐屯しているセリアの姿が浮かぶが、あの石頭の研究員たちが最後の命綱をみすみすこちらに渡すだろうか?いや、自分が知らな かっただけで、他にも熟練したスピリット隊員はこの国にいたのだろうか?
 千歳の視線にすっと顔を避けて、エスペリアはなんでもないことのように言った。
「以前、内定していた隊員の他に、ラースより帰還した二人。そして、オルファリルとヘリオンが加わることが決まりました」
「なんですって!?」
 千歳は声を荒げた。
 ネリーとシアーの姉妹が参加することは覚悟していた。ブルースピリットは皆、即戦力となる強力な戦闘力を有しているからだ。
 だが、オルファとヘリオンの二人は・・・・・・・・・。

「それこそ無茶よ! あの二人は・・・・・・はっきり言えば、前線に出せるほどの力はまだないでしょう!?」
 以前の任務の様に小数部隊の中でなら彼女たちをかばいながら戦うことも出来るが、集団戦ではそれがいかに困難化ということを、千歳は三ヶ月の間に学んで いた。
 エスペリアは千歳の叫びに、ぎゅっと唇をつぐむ。
 その様子に千歳はなおも言い募ろうとした口を閉じた。彼女がこういった様子を見せる時はだいたいが同じ理由によるものだからだ。
「くっ・・・・・・城の人間ども・・・・・・」
 怨嗟に満ち満ちた呟きと共に顔を背ける。
 悠人も大方の所を察したのだろう。悔しそうに、自分の無力を噛みしめている。
 その後、他の人員たちについての人選の話が交わされたが、その間、千歳の頭の中はオルファとヘリオンへの心配が渦巻いていた。

 残った議題は各施設に関するもので、これは千歳が各都市の状況などを報告し、少し三人で新たな防衛施設の建築についての必要性を話し合った。
「だからラセリオに『塔』の建設が終わり次第、『炎の祭壇』か『常緑の樹』を設置しておいた方がいいと思うんだけど・・・・・・」
「いえ、そうなれば、ラセリオに施設が集中しすぎてしまいますから。反発がある可能性も・・・・・・」
「いや、でも・・・・・・」
「しかしこれは・・・・・・」
 千歳とエスペリアの意見が平行線になりかけ、第三者に意見を求める。
「あんたはどう思うの、隊長殿?」
「・・・・・・・・・悪い、『塔』は覚えてるんだけど・・・・・・『炎の祭壇』と『常緑の樹』ってなんだっけ」
「・・・・・・・・・こっ、このバクテリアバカだけは・・・・・・」
 エスペリアが悠人に各防衛施設についての復習をしている間、千歳は痛む頭を指先で押さえていた。結局、新しい施設の増設の意見は却下されてしまった。

 すべての話が済むと、悠人が難しい顔で尋ねた。
「なあ、大体わかったんだけど・・・・・・。本当に、こんな大役を俺がしていいのか?」
 改めて提示された自分の権限の大きさに、少しためらいを覚えてしまう。
「今の俺より、千歳の方がこの世界のことを良く知ってるじゃないか」
 千歳はその言葉に、イスに座ったまま悠人に顔をやった。その顔色には、侮蔑の色はない。
「確かに、知識『だけ』なら私の方が上でしょうね・・・・・・でも、私じゃダメなのよ。これは、自分でも最近気づいたことだけど」
「? どういう意味だ?」
 意味深な言葉に悠人は首を傾げるが、千歳は構わずに肩をすくめて見せた。
「別に・・・・・・今にわかるでしょ」
 そう言って、『ねぇ?』とエスペリアの方を見て同意を求める千歳に、ますます首をかしげる。
 海野千歳ではダメで、高峰悠人ならばよい理由とは一体なんなのだろう。
 悠人はその答えを今、得ることはできなかった。

 そんな彼に、エスペリアは諭すように言う。
「この世界で戦士に求められるのは、力だけです。ユート様は魔龍を倒した勇者なのです。その力を疑う者は、この国にはおりません」
「なんでだよ、龍討伐になら千歳だって・・・・・・」
 そこまで言って、悠人は気まずそうに言葉を切った。
 千歳はあの後で、自分がまったくの未知の力に囚われたと話していた。その時の会話を思い返せば、あれはあるはずのない力であり、あれを他言することは自 分たちに余計な危険を招く恐れがあるという結論をもってしめくくっていた。
 千歳が自分に、と言わなかったのは他のエトランジェである自分たちを含んでいたからだろうと悠人は思っている。
 二人の間に、千歳が話をそらすように会話に割り込んだ。
「一番あの龍に手傷を負わせたのも、止めを刺したのも、どちらもあんただったでしょう? 私たちの中で一番の力を持っているのがあんただってことは、私も 認めているわ」
 悠人に背を向けたままだが、微妙にその言い方に険を感じる。

「けどね、私よりもあんたの方が隊長に向いているって言うのは、そんな理由からじゃないわよ。そこを間違えないでよね!」

 その言葉の強さに、悠人は少し驚いた。
 エスペリアも意外そうに千歳の背中を見たが、しばらくすると思案顔になり、やや厳しい眼差しで悠人を見た。
「ユート様。今のような発言は、決して皆の前ではしないで下さいませ・・・・・・隊長が不安を抱えていると、他の隊員たちにもそれがうつっていきますの で」
 そして背を向けている千歳にも、同じ調子で声をかける。
「チトセ様も。隊長と副隊長の仲が険悪ですと、それが隊員の指揮に支障を招きかねません。どうか作戦時は、ユート様の指揮に従ってくださいませ」
「おい、エスペリア・・・・・・!」
「了解。―――参謀殿」
 悠人が何かを言おうとする前に、千歳がひらひらと手を振って同意の意を示した。
 エスペリアはその適当な千歳の態度に、悠人は千歳がそれをあっさりと同意してしまったことに、それぞれ眉をしかめる。
 ため息を吐くと、エスペリアは気を取り直したように言った。

「どうか、御二人のお怒りや苛立ちは、すべて私に向けてくださいませ・・・・・・私は『献身』のエスペリア。それが、私の役目なのですから」

 今度は千歳が眉をしかめたが、二人に背を向けているので見られることはなかった。
「・・・・・・私たちは、殺し合いをしに行くのよ? 皆が、同じ罪を背負う戦場に・・・・・・なのに、あなただけにそんな重石を押し付けられると思うの?  それじゃあ、あなたが・・・・・・」
 悠人は千歳の言葉に賛成だった。悠人が重々しく頷くと、エスペリアはぎゅっとエプロンの端を握りしめる。
「私たちは道具なのです・・・・・・道具であれば、壊れることもあります。それは、罪ではありません」
 千歳が蹴飛ばすようにイスを立ち、『追憶』を手に取った。何も言わないが、その背からはありありと不満が見て取れる。
 エスペリアは軽く息を整えると、震える指先をぎゅっと自分の手で握り締めた。


「・・・・・・そろそろ、謁見の間に向かいましょう」


 悠人はエスペリアの顔を見て、小さく頷いた。
 まだ、彼女に言いたいことはある。
 けれど、自分にはそれをはっきりと口にすることが出来ない・・・・・・。
 そんな事を思っていた時、横手から悠人に近づいてきた千歳が口を開いた。
「エスペリア。その前に、『隊長殿』が、ついさっき『あなた』に『どうしても』話しておかなくちゃならないことがあるって言っていたわよ?」

「えっ?」
「なっ・・・・・・ぐぶっ!?」

 なんだよそれ、と言おうとした所を肘で脇腹をえぐられる。間合いを詰めたのはそのためか。気づいた時にはやや手遅れぎみな激痛が襲う。しかも悠人の腰と 背を千歳の片腕ががっちりと固定し、しゃがみこむことさえ許されない。
 悠人が呼吸困難に陥ろうが陥るまいが構わずに、千歳はにっこりと言った。
「今の内に、話しておきたい事は全部言っておいたほうがいいんじゃないの?」
「し、しかし・・・・・・」
「『もちろん』、隊長殿もそうお考えよねぇ?」
 千歳はこれでもかというほどに『もちろん』を強調した。隊長の意志と強く言われれば、今のエスペリアは黙るしかない。
 悠人は脇腹を抑えながら、なんとか体勢を立て直す。顔を戻せば、エスペリアはためらいの表情を見せながら、問うように悠人の顔を見ていた。

「あの、ユート様、お話とは・・・・・・?」
「えっ!? あっ!? あ―――っ、その・・・・・・・・・」
 悠人は焦る。
 ―――やばい。やばいぞ、ナニ言ってるんだよ千歳。そりゃあ、話も聞いてくれなくちゃとは言ったけど、何もこんな突然に・・・・・・ってやばいぞ俺、ど うする俺!? でも考えてみればこれはチャンスかも、あぁ、何か言え、俺の口、動け、俺の舌。今、何も言わないでどうする! 頼む、早く、何か言わない と・・・・・・!
 エスペリアの大きな不安とわずかな期待を持った顔に鼓動が早鐘のように打つ。同時に、横合いから放たれる千歳の殺気に冷や汗が浮かぶ。ここで何も言わな ければ、自分は確実に彼女に殺されるだろう。
 三人の緊張が高まっていく。
 そしてついに、悠人の口が開かれようとして・・・・・・・・・!


「パパぁ〜〜〜、ママぁ〜〜〜、エスペリアお姉ちゃ〜〜〜ん! 早くしないとジゴクしちょうよ〜〜〜っ!」


 絶妙なタイミングで窓から聞こえたオルファの声に、悠人は半開きの口を開けっぱなしのまま凍りつき、エスペリアはやや赤い頬のまま固まった。千歳はなん であなたって子はよりにもよってこんな時にとか、『地獄』じゃなくて『遅刻』でしょとか、色々と行き場のない感情がオーバーヒートを起こしてその場に座り 込んでしまう。
 すぐにエスペリアははっと我を取り戻して、慌てて悠人たちから目を反らしてしまった。
「あ、も、もう時間ですので、わ、私たちも行きませんと。お、お、お二人もお急ぎ下さい・・・・・・わっ、私は、先に行っておりますので!」
 火照った頬を手で隠そうとして失敗しながら、エスペリアはあたふたと逃げるように出て行ってしまった。
 だが彼女のことだ。自分たちが慌てて追いかけても、捕まる頃にはまた平常心を取り戻していることだろう。取り付く島もないほどに、かたくなにあの殻を深 くかぶってしまっていることだろう。


 要するに。すべて、パァだった。


「あ゛あ゛あ゛あ゛・・・・・・っ!」
 この天文学的な間の悪さに、千歳は神がいたなら呪ってくれようと頭をかきむしる。
 悠人の方も幾分かショックが抜けきらなかったが、せっかく彼女が作ってくれたチャンスを無駄にしてしまったことを申し訳なく思い、おずおずと声をかけ た。
「あのさ、え・・・・・・っと、悪い」
「・・・・・・・・・ッ!!」
 千歳はその一言に救われた。この言いようのない怒りの矛先を、ついに見つけたのだ。
 隣に立つぼんくらの足を思い切り踏みつけながら立ち上がり、声にならない悲鳴を上げてへたり込む悠人の姿を一切無視して、千歳は足音も荒くその部屋を 去ったのだった。


 エルスサーオ スピリット駐屯所

 ラキオスの発表とほぼ同時にバーンライトからの宣戦布告があり、両国は正式に戦争状態に突入した。
 悠人たちは当初はラキオスを出て、軍備を整えたラセリオから直接バーンライトの首都へ侵攻する予定だった。だが、そこへの唯一の道をつなぐ山道が敵に閉 鎖されてしまい、そのせいで直接バーンライトの三つの都市を北から順々に制圧していくしかなくなってしまった。
 そういうわけで、悠人たちは現在、バーンライトとの都市をつなぐ街道に面するもう一つの都市、ラキオスの東に位置するエルスサーオを訪れているのだ。

 千歳の想像以上に、あの後に顔をあわせた時のエスペリアの表情は硬かった。彼女はあの時自分の期待しそうになったものすべてを振り切るように、悠人に対 してより事務的な姿勢を崩すことはなくなっていた。
 今も、彼女は報告書の束を悠人と千歳に渡すと、二人を置いて隊員全員分の料理を作るため下の厨房に行ってしまった。
 千歳は今でも悠人が自分の設置した場を有効に活用できなかったことを非常に腹立たしく思っているが、このような場所でそれを引きずるほど大人げない真似 はしたくなかったので、今も悠人に付き合って情報を整理している。
 一方の、すっかり意気消沈した様子を見せいていた悠人は、今は少しいらだった様子で千歳の言葉を聞いていた。
 原因は、千歳の手元にある情報部から届いた報告書の内容のせいだ。

「『・・・・・・以上のことより、バーンライトの敵勢力は大きく二個中隊に編成されており、レッドスピリットを中心とした部隊を編成している模様。殲滅に はスピリット隊の適切な対応を必要とするだろう』・・・・・・よくも、そんな当たり前のことをわざわざ書き加えるわね。嫌味ったらしいったらありゃしな い」

「・・・・・・この前の報告だと、ブラックスピリットの数が多いとかなんとか言ってなかったか?」
「ええ。そう言ってたわね」
「前はブラックスピリット、今度はレッドスピリット。本当の主戦力はどっちだっていうんだよ、ったく! 報告が新しくなる度に言ってることが違うじゃない か!」
 悠人はいらいらと自分の手元の紙をめくっていった。
 そのまま破り捨てかねない悠人の様子に内心ため息を吐きながら、千歳は素早くその手から書類を奪い取った。
「情報っていうのは、常に変化するものだってことよ・・・・・・戦略研究所での講習で、何度も聞かされたでしょ」
「そりゃそうだけどさ。それにしたってこんなにころころと言ってる事を変えられちゃ、馬鹿にされてるような気もするぞ」
「・・・・・・ま、それについては否定しないけどね」
 なによりも、これを置いていった人間の態度が自分たちをあからさまに見下していたことがそのいらつきに拍車をかけたのだろうと千歳は何となく思った。

 千歳は報告書の中から数枚の紙を抜き出し、それを二人のいる近くの机の前に広げた。
「そんなザルみたいな情報でも、少しは役に立つこともあるわ。ほら、ここと、ここ・・・・・・何か気づかない?」
「・・・・・・それ、たしか・・・・・・バーンライトの各都市を防衛している特出したスピリットの情報、だったか?」
 すぐに頭の中から適切な情報を引き出した悠人を、千歳はほんの少しだけ見直した。意外と、本番に強いタイプなのかも知れない。
「そう、こっちの情報は前とほとんど変わってないでしょ。こういうのは、敵が隠す必要を感じていない戦力、あるいは私たちに見せ付けるための戦力だってい う可能性が高いと思うの」
「・・・・・・サーギオスから派遣されたスピリットがいる可能性があるってエスペリアがいってたけど、ひょっとしてそれか?」
「まぁ、あくまで私がそう思うだけで、絶対にそうだとは限らないけど。とにかく、これに対する部隊の編成はきっちり整えておくことをお勧めするわよ、隊長 殿?」
「そうだな・・・・・・少し、考えてみる」
 悠人はその紙を手にとって眉間にしわを寄せた。やはり、エスペリアか千歳に音読してもらわないと、こちらの文字はさっぱりだ。だが彼女たちばかりに頼っ ているわけにはいかないと、悠人は一念発起して奇妙な音符文字との格闘を始める。幸い、図も多いのでなんとかその大意をつかむことはできた。

「パパ〜、ママ〜、ご飯ができたよ〜〜〜!」

 オルファの声がドアの向こうから聞こえる。
 千歳はあの一件の後、『あれはオルファのせいじゃない』と三十回自分の心の中で呟いた上でふっきれたので、彼女に理不尽な怒りを向けたりはしなかった。 もっとも、同時に『悪いのはすべてあの馬鹿』と呟いてもいたので、怒りの矛先が悠人に変わっただけとも言えるが。
 いずれにせよ、千歳はいつもの調子でドアに返事を返したのだった。
「―――えぇ。今、行くわ!」

 二人が駐屯所として与えられた館の広間へゆくと、そこでは今回の作戦に参加する者たちの内、二人を除いた全員が広い食卓に集まっていた。ハリオンとネ リーは現在、敵の夜襲の備え町を警邏しているはずである。
 エトランジェ二人が席につくと、誰からともなく食器が取り上げられ、静かに食事が始まった。
 オルファ、シアーは薄ら寒い空気を敏感に察してどこか居心地が悪そうに。ヒミカ、ヘリオンは自分たちがどうしたらいいかわからない様子で気まずそうに。 アセリア、千歳は無表情のまま食事を黙々と腹に詰めて。そして、悠人、エスペリアは互いをなるべく意識しないようにしてそれぞれのポタージュの皿に視線を 落としている。
 アセリアと千歳以外、かなり息の詰まった様で何かしらの救いを求めていた様子だったが、ある時ついに沈黙に耐え切れなくなったオルファが口を開いた。

「きょ、今日はつまんなかったよね、パパ! ここにくるまで、敵さんぜんぜん見なかったもん!!」

「え? あ、あぁ・・・・・・確かに、襲撃は一度もなかったよな・・・・・・」
 悠人は適当に返事をしたが、俺としては襲撃がない方がいいけれど、と心の中だけで呟いた。口に出して言えば、隊長としての心構えがなっていない、などと 注意されそうだったからだ。
「・・・・・・多分、ここがまだラキオスの領域だからでしょうね」
 千歳がぼそりと呟いた。
 悠人たちの視線が集まるが、千歳はそれ以上言わずに再び食事に戻っている。
「? それって、どういう事ですか?」
 ヘリオンが不思議そうに尋ねる。
 それに答えたのは千歳ではなくエスペリアだった。
「バーンライトは自国のマナのほとんどをスピリット隊に費やしてしまったがために、ラキオスに比べてマナ保有量が少ないのですよ、ヘリオン。彼らは以前の エルスサーオ襲撃での失敗を踏まえ、極力、自国のマナの消費を抑えたいと思っているはずです・・・・・・ならば、ここで無駄にスピリットを消費するより も、自国内で戦闘をさせ、それによって得られるマナの回収を狙うでしょう」

 その言葉の意味するものに、シアーは小さく息を呑んでスプーンを取り落とした。隣に座っていた千歳が素早くスプーンを取り上げ、テーブルを拭き始める。
「で、でも・・・・・・そういうことならラキオスにいる内なら、少しは安全だってことじゃないですかっ?」
「・・・・・・逆を言えば、わたしたちがバーンライト領に入ったら、その瞬間から襲撃される可能性が跳ね上がるってことよね」
「そ、そんなぁ・・・・・・・」
 同じように青くなったヘリオンは、なんとか立ち直って再び口を開いたが、彼女の希望的観測をヒミカがたしなめる。
「ヒミカの言うとおりです。それに、ここで絶対に敵襲がありえないというわけではないのですよ。何のために、今もハリオンたちが警邏をしているかを忘れて はいけません」
 エスペリアがばしっと締めくくると、先ほどよりも更に気まずい沈黙が落ちた。食卓の上で変わらないのは、アセリアが使うスプーンの規則的な金属音くらい だ。
 それでも、オルファはなおもがんばって場を盛り上げようと努力を続ける。

「だ、大丈夫だよぉ、エスペリアお姉ちゃん! パパもママもとっても強いし、オルファだってがんばるもん! ねっ? ねっ?」

 隣に座る悠人の腕に甘えながらオルファが明るく言う。
 が、その彼女の態度にエスペリアはぎゅっと眉をよせ、より厳しい声でオルファを一喝した。
「オルファリル! ユート様にその様な口をきいてはなりません!!」
 エスペリアの声にシアーとヘリオンがびくりと身をすくませるが、オルファは納得がいかないと口を尖らせる。
「ぷぅ! ど〜してぇ!? パパはパパだよぉ!!」
「いけません! これより私たちは、ユート様の命に従うための道具となるなのですよ。わかりますか?」
「・・・・・・いいんだ、エスペリア。俺の何が違うっていうわけでもないんだから・・・・・・」
 悠人がオルファをかばう様にエスペリアをなだめるが、これが逆効果だった。
 千歳が、『あんたは黙ってなさい!』という視線を向けるが時は遅く、すわった視線でエスペリアが悠人の顔を見た。
「ユート様。スピリット隊、隊長補佐の立場から申し上げます。私たちは道具なのです、ユート様たちとは違うのです。―――もう、今までのようにはまいりま せん。ユート様がいかに思われようと、それが事実なのです!」
 悠人はそのかつてないほど厳しいエスペリアの口調にぐっとつまる。
 続いて、エスペリアは食卓に集まったスピリットたちの一人一人に厳しい目を向けていく。

「あなたたちも・・・・・・特に、オルファ! 自分の心に刻んでおきなさい。私たちは、ユート様の剣であり、盾です。これからは、ユート様の言葉は絶対で あり、自分の命よりも重いものだと考えなさい。よろしいですね!」
「なっ、目茶苦茶なこというなよ、エスペリア! おい、千歳もなんとか言ってくれよ!!」
 自分の分の食事をすっかり食べ終えた千歳は、悠人の声に迷惑そうに顔をしかめた。
「・・・・・・不肖、スピリット隊副隊長として隊長殿に申し上げるなら」
 どこまでも冷たい声と他人行儀な口調で、千歳は悠人をぎろりと睨んだ。
「それは、私めがどうこう言うことではないと愚考いたします。隊長殿が参謀殿の言葉に倣うにせよ、倣わぬにせよ、最終的にはすべて御自分の態度で示される べきことかと?」
 正論の中で、暗に自分が用意した和解の場を無駄にしたのを攻められているように感じて、悠人は口をつぐむ。
「チトセ様!」
 エスペリアはエスペリアで、ラキオスで注意しておいた事に反する千歳の態度を非難するが、千歳はそしらぬ顔でアセリアに続き自分の席を立った。

 ―――がたっ、がたっ。

「ん、戻る」
「ご馳走さま。次の警邏は私だから、ハリオンたちが戻るまで仮眠を取るわ。オルファ、シアー。あなたたちはネリーを待って夜ふかしちゃダメよ。早く寝なさ い、いいわね?」
「う、うん・・・・・・」
「は、は〜い・・・・・・」
 二人の元気のない返事に軽く苦笑して、千歳は去り際にそれぞれの頭を軽くなでてから自分に与えられた部屋に向かったのだった。

 明日は最悪の一日になるだろうという、確信を抱きながら。


 リーザリオ 国境付近

 翌日、千歳の予想は的中した。
 悠人たちがエルスサーオを放れ、ラキオス領から出た直後に大規模なスピリット隊の襲撃があったのだ。その数、およそラキオス軍スピリット隊の四倍。
 とっさに密集隊形をとることを命じた悠人の判断は正しかった。両軍は膠着状態に持ち込まれが、ラキオス軍には今の所死傷者が出ていない。
 だが、一瞬の油断も許されない状況であることには変わりなかった。


 ―――キュウウウウウゥゥゥ・・・・・・。


 高い駆動音を出しながら上方の空間で生まれていく無数の炎の礫に向かって、後方に下がったシアーが叫ぶ。
「マナよ・・・・・・っ、力を無にせしめよ・・・・・・アイスっ、バニッシャー!」
 急激に周囲の気温が低下し、生じていた炎が霧散した。
 その瞬間に、敵ブルースピリットの一人がシアーの隙をついて切りかかってきた。
「ひゃっ、ひゃぁぁぁぁっ!?」
 身をすくませるシアーの前に、悠人が割り込み、『求め』を相手の永遠神剣に交差させる。

 ―――ギィィィン!

 鋭い音を立てて、互いの剣撃が相殺された。
 切り結んだまま、悠人は背にかばったシアーに叫ぶ。
「シアー、今の内に下がれ!」
「あっ、ありがとうございますっ、ユートさまっ!」
「シアー、こっち! はやく、はやくっ!」
 ネリーに誘導されてシアーが後方に飛びすさった気配を確認し、悠人は敵から間合いを取った。相手の剣が遠ざかってから、やっと自分の身に迫っていた白刃 の恐怖を感じどっと冷や汗が流れる。
 だが、身をすくませている暇はないのだ。
 ぐっと歯を食いしばって、奥歯の中で恐怖を噛み潰す。
 悠人は敵の後方で神剣魔法を唱えるレッドスピリットの一体に切りかかった。しかし、その手前でグリーンスピリットが立ち塞がって悠人を妨害された。幾合 か切り結び、陣形の内側に待機したヘリオンに叫ぶ。
「ヘリオン、援護を頼む!」
「あ、はっ、はいっ! ええっと・・・・・・マナよ、彼の者を恐怖にてしばれ・・・・・・テラーッ!!」

 ―――ウォォオオオオオォォォオオォン・・・・・・。

 地の底から響く慟哭の様な音と共に、不自然な影が地面を這って進んでくる。
 敵スピリットが異常を察して飛び離れようとした時、彼女の足元まで迫った影が一斉に無数の腕のとなってその体を押さえ込んだ。
「ッ!?」
 その瞬間を狙って、悠人は袈裟懸けに『求め』を振り下ろす!
「でやあああぁぁぁっ!」

 ―――どんっ!

「が・・・・・・ッ!」
 グリーンスピリットの顔が苦悶に歪んだ。
 彼女の体を構成するマナが、深すぎるダメージにより一斉に形を崩す。悠人が『求め』を引き抜く前に、少女の体は金色の霧となって消えた。
「くっ・・・・・・」
 その光景に悲しみを感じてしまう自分を叱咤する。
 顔を上げると、彼が戦っている間にレッドスピリットたちは別のスピリットたちの庇護を受けた場所へ移動していた。

 やはり、アセリアたちが攻撃に回らないと早期決着は無理かと悠人は思う。
 だが、敵の放つ神剣魔法を無効化するにはどうしてもブルースピリットたちを支援に回さなければならない。オルファやヘリオンを、敵の攻撃に加えて神剣魔 法にさらさせるのは非常に危険なのだ。

「―――全員、伏せなさい!」

 鋭い一喝に悠人がはっとして従うと、その頭上を幾百もの炎の粒がかすめた。阻止に失敗した敵の神剣魔法が発動してしまったようだ。
 雨のごとく降りそそぐ炎の総力は馬鹿にできないが、受ける面積が少なければ被害は少ない。対処が素早かったお陰でそれほどのダメージを受けずにすんだ。
「サンキュ、エスペリア!」
「助かったわ!」
 反対方向で戦っていた千歳の声も聞こえる。二人の礼に答える代わりに、エスペリアは警戒の声を投げかけた。
「まだ、敵はいます! 油断なさらないで下さい! マナよ、みんなの傷を癒して・・・・・・ハーベスト!」
 『献身』を中心とした広範囲を緑色のマナが風となって吹き、ラキオスのスピリットたちを癒す。
 同時に、前に出たオルファが先ほど受けたのと同じ神剣魔法を放った。
「こっちもおかえしの、ふれぇいむしゃわ〜っ! くっらえ〜〜〜っ!」
 今度は敵の隊へと炎の雨が降りそそぐ。
 敵が自分の放った神剣魔法に右往左往するのに、オルファは笑みを浮かべている。と、そこへ駆けつけた千歳がオルファの腕をつかんだ。

「オルファ、下がりなさい! あなたはあまり前に出てこないで!」
「え〜〜〜っ!? ママたちばっかり、ずるよぉ! オルファ、もっと遊びたいのにぃ!!」
「下がりなさい、と言ったのよ! ハリオン、この子をお願い!」
「はい〜。お任せくださいね〜〜〜」
 ハリオンは、千歳に預けられたオルファをぎゅっと両手で捕まえた。
「わきゅっ!? ハ、ハリオンお姉ちゃん、はなしてよぉ〜っ!」
 オルファはばたばたと暴れるが、年長のハリオンの腕がとけるはずもない。

 一方、千歳はオルファを再び下がらせるとヒミカと共にレッドスピリットの本隊に攻撃を仕掛けていた。
「シャッ!」
 鋭い呼気と共に、突き出された『追憶』が相手の利き腕を打つ。鈍い音と共に骨が砕け、敵はわずかに顔色を変えると後ろへ退こうとする。その道筋に、ヒミ カが『赤光』を構えたまま立っていた。
「たぁ―――っ!!」

 ―――ザン!

 気合と共に真横へ凪いだ剣が、敵の腹部を払った。
 地に落ちると共に消滅したそのスピリットの間を埋める様に、新たな敵が立ち塞がる。グリーンスピリット、ブルースピリットが二人ずつだ。
「きりがないわね・・・・・・ヒミカ。一分間、ここを一人で抑えていられる?」
「一分、ですか?」
「無理?」
「・・・・・・いえ、やってみます」
 千歳に頷きをかえすと、ヒミカは単身で四人のスピリットたちに飛び掛った。風車のように剣を振るい、敵を寄せ付けまいと舞う。
 その間に間合いを取った千歳は低く姿勢と落とし、『追憶』を構えなおした。
「はああぁぁぁぁっ・・・・・・!」

 ―――ギュウウゥゥゥゥン・・・・・・!

 息を吐き出しながら、自分の中のマナの力を解放する。白銀の光が千歳を取り巻き、巨大な一対の羽と化した。
 千歳の狙いが分かった悠人は、戦っていた敵から間合いを取ってオーラフォトンを展開した。

「マナよ、オーラへと姿を変えよ。我らに宿り、遠くを見通す目となれッ・・・・・・コンセントレーション!」

 集中力を飛躍的に高める精霊光が全員の体を包み込む。
 クリアになった意識の中で、千歳は己のハイロゥの力を解放した。『追憶』の柄の青い宝玉がかすかに光を放つ。
「ふっ!」

 ―――ドゥッ!

 千歳は大きく息を吐き出すと共に、地面のすれすれをハイロゥの力で滑空した。何者の追随をも許さぬ速度で突進しながら、構えた『追憶』を最小限の動きで 打ち出す。
 まず、ヒミカの背後の敵の背中を打ち据える。返す刃でその隣の敵を討つと、その反動をも利用して、距離の離れたレッドスピリットたちの背後へと回りこ む。
「シャアァァァッ!」

 ―――ダンッ!

 刹那の内に現われた敵に反応することもできぬまま、一人の胸に『追憶』が打ち落とされた。
「がふ・・・・・・っ」
 赤き少女は空気の塊を吐き出し、ぐるりと白目をむいてその場に倒れこんだ。
「!?」
 接近に気づく間もなくやられた仲間を前にして、他の少女たちにも大きな動揺がよぎる。
 その多くが相手の異様な能力に逃げ腰になっていたが、一部の者はわずかに残った平常心で目の前の相手を観察した。
 千歳の顕現した異形のハイロゥは、最後の攻撃と共に消えた。つまり、あの力は自分たちのものとは違い、常時使用できるものではないという事だ。
 数ならば、こちらの方が多い。レッドスピリットたちは己を奮い立たせてそれぞれの永遠神剣を構え、千歳に斬りかかった。

 統制の取れた攻撃の嵐を、千歳はなんとか『追憶』で敵の刃を打ち払っていく。
「くっ・・・・・・やっぱり、あれはきつい、かっ」
 蒼穹無縫。そう名づけた千歳の剣技は、一拍の呼吸で対多数の敵にダメージを与えるという大きな効果と共に、その使い手に大きな負担を与えるものだった。
 悲鳴を上げる四肢を、なおも酷使して自らに迫る剣を打ち落とす。
 一つでも打ち落とし損ねれば、自分は一瞬にしてなます切りだろう。そんなろくでもない想像に吐き気を覚えながら、千歳は恐怖を心の奥底に縫いとめて剣を 振るう。

 赤の少女たちは勢いづいて千歳を攻め立てた。
 自分たちの力で、エトランジェをしとめられるかもしれない。その思いが少女たちの戦意を鼓舞し、またその視界を狭めた。
 千歳の首筋を狙って永遠神剣を振り上げた少女の片腕が、ふいに横手からふわりと近づいた影によってなぎ払われる。永遠神剣が己の手から、いや己の腕ごと 失われたことにその少女は遅れて驚愕する。
「――――――!!?」
 そして、彼女たちがその者の接近に気づいた時には遅かった。
「はぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 ―――ザシュッ!!


 『存在』のアセリア。
 ラキオス軍、最強のスピリットが繰り出す攻撃に、次々と金色のマナが弾ける。
 千歳がレッドスピリットたちの神剣魔法の使用を止めている間に、ラキオスのブルースピリットたちが一気に支援態勢から攻勢に出たのだ。
 シアーは悠人の、ネリーはヒミカの戦っていたスピリットたちを共同してしとめている。
 そしてアセリアは、何人たりとも手出しは無用とばかりに長柄の刃を大きくふるって敵を討っていく。
 千歳が駆け寄ってきたハリオンによって治癒を施される間に、アセリアは立ち向かう者から逃走を謀った者まで、そのことごとくをマナの塵に返したのだっ た。


 ※※※


 戦闘はラキオス軍の勝利に終わった。
 悠人たちには一人の死者もなく、怪我をした者も少ない。初めて編成した部隊での戦闘の結果としては、良い方なのだろう。
 だが、それでも悠人はやるせない思いを胸にしていた。

 相手は自分を斬ろうとした敵。攻撃を仕掛けてきたのも向こう。
 それがわかっていても、まだ、悠人は悩んでしまうのだ。
「本当に、これでよかったのか・・・・・・?」
 なぜ、彼女たちを殺さなければいけなかったのか。
 隊員のスピリットたちならば、おそらくこう答えるだろう。『これが戦争だから』、と。それを納得しているのか、いないのかには関わらず。
 だが、自分は違うのだ。
 自分が剣を取る理由は、一つだけ。

「佳織・・・・・・・・・」

 今もラキオスにいる義妹のことを思う。
 彼女のために、悠人は戦うことを決めた。それが確固たる意志だと思おうとした、
 だが、既に自分はそれに疑問を抱いてしまっている。
 佳織のためにと理由づけてスピリットたちの命を奪うことが、本当に正しいのかと。

(それがどうした、俺だって殺されそうになったんだぞ・・・・・・!)
 無理に自分を納得させようとして、あの戦いの中での恐怖を思い出してしまった。
 とたんに気分が悪くなり、背筋を走る寒気に思わず身震いしてしまう。
「・・・・・・ん。どうした?」
 その言葉にはっと背後を振り返ると、『存在』を腰にもどしたアセリアが自分を見ていた。
 あの戦いの後から一向に引かない汗に濡れる自分とは違い、その顔はどこまでも涼しいものだ。
 悠人はそれを羨ましいと思うと同時に、恐ろしいとも思ってしまう自分を嫌悪した。
「あつい、のか?」
 悠人の額を濡らすものを不思議そうに見るアセリア。
 その邪気のない声に毒気を抜かれて、悠人は自虐気味に笑みを浮かべた。
「暑い、か。その方が、いいかもな・・・・・・」
 額を袖でぬぐい、それでも噴き出る汗の粒に内心ため息をつく。
「・・・・・・これは、冷や汗ってやつだよ」
 悠人はアセリアの瞳を見た。その色は、清水の様に澄んでいる。
「アセリアは・・・・・・戦うのが、怖くないのか?」
「こわい?」
 始めて聞く言葉に首をかしげる子供のように、アセリアは尋ねかえす。
「ん・・・・・・よく、わからない」
「・・・・・・そっか。俺は怖いよ・・・・・・殺すのも、殺されるのも」
 悠人は深くうつむくと、大きなため息を吐いた。

(どうしたら、いい・・・・・・?)

 その答えは出ず、ハリオンの治療を終えた千歳が二人を呼びにくるまで、悠人とアセリアは言葉を交わさずに立ち尽くしていたのだった。


 リーザリオ  郊外

「・・・・・・!」
 千歳が唐突に立ち止まったのを見て、隣を歩いていたネリーが不思議そうに顔を向けた。
「どうしたの、ママ?」
「・・・・・・いえ、なんでもないわ」
「?」
 きょとんとした顔をするネリーに苦笑して、千歳はそっと彼女の手を取った。
「ホントに、なんでもないわよ。さ、私たちも行きましょう」
「う、うん」
 ネリーの嬉しそうな恥ずかしそうな顔を見て、ごまかしが効いた事をこっそりと心の中で安心する。その手を引きながら、千歳は心の中で己の永遠神剣に話し かけた。
(・・・・・・ねぇ、気づいてるでしょ?)
 ―――ふむ、この気配のことかの? 儂としても、忘れようとも忘れがたい気配じゃが・・・・・・。―――
 『追憶』は神剣の気配に非常に敏感な永遠神剣であるため、千歳たちは誰よりも早くにバーンライトの都市リーザリオから発せられる気配を感じとっていた。

 ―――間違いなく、あのアキラィスいう町で討った妖精と同じ気配だの―――

 強く、黒い力。
 それは、そうアセリアが表現したものと同じ波動だった。
(あんたはこの気配、どう感じてる?)
 ―――・・・・・・むう。難しい所であるな。確かに、あの青き妖精めが言っておった『黒い』ということも頷ける。だが、儂の意見を言うのならば、そうだ の・・・・・・『憎い』。これが儂の感じておるものじゃろう―――
 予想外の答えに、千歳はわずかに驚いた。
(『憎い』? えっと、それはこの気配の持主が、あんたが以前に言っていた凄い力を持った何者かと同じか・・・・・・そうじゃないとしても何か関係がある 奴かもしれないって事?)
 以前、この『追憶』が精神世界において対決したと主張する何者かの気配は、あれ以来ぱたりとその気配を絶ってしまったそうだ。あちら側からのコンタクト がないことには『追憶』にもそれの気配を追えないそうなので、あれからその何者かについての調べは何の進展もなく、以来二人もその話題はとりあえずの棚上 げとしていた。
 だが、この気配がそれと同じものだというのなら、リーザリオにいるスピリットはその何らかの手がかりとなる可能性が高いのではないかと千歳は思ったの だ。
 しかし、その希望は『追憶』によって否定された。

 ―――否。そうではない・・・・・・と、思うのだがの。『あれ』とは別のものであることはわかるのじゃが、儂にはこの感情に区別がつけ難い。近くもあ り、遠くもなし。そんなところじゃな―――
(・・・・・・ふぅ、ん。まあ、それでも、あんたの知ってる奴が関わっているかもしれない可能性はあるってことか)
 ―――そういう事になるのかの―――
 『ま、どうでもよいが』という感じの『追憶』の声に、千歳は苦笑するしかない。本当にこの奇妙な相棒は、『追憶』の名前に真っ向から喧嘩を売るような性 格をしていた。記憶がないといいながらそれを嘆こうともせず、また記憶の手がかりを探すことになんの感慨も抱いていない。
 その飄々とした所が、千歳にとっては気安く、同時にあと一歩の所で全幅の信頼をしかねる溝を作っていた。

「お―――ぃ、千歳! ちょっとこっちに来てくれ!」
 部隊の先頭を行く悠人の声が届き、千歳は『追憶』との会話を打ち切って顔を上げた。
「今、行く! ―――ちょっと行って来るけど、警戒は怠らずにね」
「うん! ネリー、がんばるね!」
 元気に返事をするネリーの頭を優しくなでると、ネリーはにかっと笑って手の中の『静寂』を握りしめた。千歳は後ろ手に小さく手を振って、部隊の前で集 まった悠人とエスペリアに駆け寄る。
「どうしたの?」
「はい、もうすぐリーザリオに到着となりますが・・・・・・チトセ様になら、ここからでもスピリットたちの動きがわかるのではないかとユート様が仰ったの です」
「ああ。それで私に偵察をしろ、と・・・・・・ちょっと待って」
 千歳は一つ頷くと、『追憶』に改めて意識を集中した。
 意識を遠く伸ばし、大きな神剣の傍に点在するいくつかの小さい気配の位置を細かく探りとる。ものの数分もせぬ内に千歳は顔を上げた。

「・・・・・・わかったわ。敵は、町の中央に一番強力なスピリットを配置してる・・・・・・多分、報告にあったグリーンスピリット。強さはだいたい、あの アキラィスを襲撃した奴とほぼ同等」
「あれと同じ、か・・・・・・」
 初任務のことを思い出したのだろう、悠人は難しい顔をした。
「他は・・・・・・意外と少ないわね? さっき襲撃してきた部隊の半分くらいのスピリットたちが町全体に点在してる。こっちは、さっき戦ったスピリットと 同じくらいの強さね・・・・・・以上よ」
 一つ息を吐き出して、千歳は永遠神剣から手を離した。悠人は少し迷った顔をして千歳に話しかける。
「相手の頭は、そのグリーンスピリットなんだよな?」
「多分ね。この世界じゃ、戦士に必要とされるのは力だけなんでしょう? ・・・・・・ねぇ?」
 千歳はやや含みをはらんだ言葉でエスペリアを見る。
 エスペリアは千歳の言葉に、感情を持たせずに頷いた。
「―――はい。そのスピリットが最も力を有しているのなら、ほぼ間違いはないかと」
 悠人は二人の会話に苦虫を噛み潰したような顔をしたが、それならばと作戦の方針を立てた。

「・・・・・・それじゃ、エスペリアは全員を指揮して町に散らばっているスピリットたちに当たってくれ。目標は軍事施設にいる向こうのスピリット隊の責任 者たちだ。アセリアと千歳、俺と組んで来てくれ。三人で敵の頭を叩く」
「了解しました、ユート様」
「・・・・・・ん」
「ま、それが妥当かしらね」
 強力なスピリット一人とやりあうには、実力のばらついた大人数ではかえって足を引っ張りかねない。それを踏まえれば、悠人の作戦は理にかなったものだっ た。

「それじゃ、行くぞ・・・・・・みんな、気を抜くなよ!」

「―――はいっ!」
 悠人の号令に全員が返事をし、ラキオスのスピリットたちは行軍の速度をあげて、リーザリオの町へ侵攻していったのだった。


 リーザリオ 広場

 ―――ギィィィィン!

「くっ!」
「・・・・・・フッ!」
 『求め』と噛み合った槍の穂先がうなりをあげてしなり、悠人の顔を狙って突き出される。
「―――障壁よっ!」
 間一髪で千歳が展開した銀色の花弁が槍を受け止め、その衝撃を悠人の手前で完全に受け止めた。
「チッ!」
 舌打ちを一つ、悠人の側から飛び離れたグリーンスピリットは背後から襲った『存在』の一撃を振り向き様に弾き飛ばして三人から間合いを取る。
「槍相手に間合いを置いたら相手の思う壺だって言ったでしょ! 少しは考えなさい!」
「くっ、わ、悪い!」
 千歳の怒鳴り声に返す言葉もなく、悠人は素直に謝っておいた。

 のどかな町の昼下がりの風景は、各所で爆発の粉塵と弾ける金色の霧に彩られていた。
 そしてここ、リーザリオの中央に位置する広場では、今まさにその戦闘の勝敗を決める戦いが繰り広げられていた。

 ―――ギィン! キン! キッ・・・・・・カキィィン!

 絶え間なく火花を散らし、『存在』が槍の穂先、長柄、石突とぶつかり合う。
 わずかにアセリアが圧しているが、それでも緑の少女の顔色に焦りはない。
 焦っているのは、どちらかといえば凄まじい剣舞に入る余地がない千歳と悠人のほうだった。それでもせめてものアセリアへの援護のため、悠人はとっさに高 揚の精霊光を編み上げる。

「マナよっ! オーラとなりて刃の助けとなれ・・・・・・インスパイアッ!」

 赤い光芒がアセリアを包み込む。強化された筋力から放たれた一撃が、穂先を弾いて肩筋に吸い込まれた。

 ―――ザシュッ!

 肩口を切り裂かれた瞬間、『存在』が振り下ろされたのとは逆に少女が飛びすさる。
「まずいっ!」
 千歳が追撃するが、それよりも一呼吸速くグリーンスピリットは神剣の力を解放していた。
 緑色のマナが周囲を吹き荒れ、中心に立つ少女の傷を瞬く間に癒してしまう。
 遅れて少女に振り下ろされた『追憶』が、その手前で錐体を描く結界に阻まれた。

 敵はたったの一人。
 それでも予想以上に悠人たちは苦戦を強いられていた。
 アキラィスで戦ったレッドスピリットは神剣魔法による破壊に秀でていたが、このスピリットが秀でていたのは持久戦だった。
 その強固な結界と自己修復能力の前に、ラキオス屈指の戦士三人をしてなかなか決着をつけることができぬほどだ。神剣魔法をアセリアと千歳が妨害しように も、詠唱時間が非常に短くどうにもタイミングが合わない。

 千歳は剣を数合交わすと、相手にダメージを与えられないまま後退した。悠人、アセリアと並び、肩で息をしながら『追憶』を構えなおす。
「大丈夫か、千歳?」
「くっ・・・・・・。な、なんとか、ね」
 悠人に適当に返事をかえしながら、千歳は横目でちらりと二人を窺がった。
「どうするのよ? ヒミカを呼ぶ?」
 グリーンスピリットに有効な攻撃は神剣魔法だが、彼等ではそれを使えない。自分は一つだけ攻撃系の神剣魔法を扱えるが、制御に難が大きい。
「その時間があるとは思えないけどな・・・・・・」
「・・・・・・同感だわ」
 馬鹿な事を言ったと自分を笑いながら、千歳はこの状況を打破する道を必死に考えた。
 だが、悠人の隣に立つアセリアは無造作に『存在』を握りなおすと、単純明快に言った。
「ん・・・・・・敵は、倒す。それだけ」
 純白のウィングハイロゥがふわりと広がる。
「おい! 待つんだ、アセリア!」
 悠人ははっと彼女を止めようとしたが、遅かった。
「だいじょうぶ・・・・・・負けない!」
 アセリアは再びグリーンスピリットに斬りかかっていった。
 が、それでは同じことの繰り返しなのだ。
「・・・・・・こうなったら」
 千歳は緊張を保ったまま、悠人に怒鳴る。同時に、悠人が怒鳴った。

「悠人、あんた『あれ』やりなさい!」
「千歳、『あれ』をやってくれ!」

 しばしの沈黙。
「・・・・・・・・・は?」
「・・・・・・・・・うん?」
 こんな時だというのに間抜けな顔をしてお互いを見る。息を吹き返すのが速かった悠人が焦りで怒り気味に怒鳴った。
「あれって何だよ、あれって!?」
 千歳もそれにつられてか声を荒げる。
「あれはあれよ! ほら、あんたにぴったりの名前の技・・・・・・そうよ、『クレイジー』!」
「それを言うなら『フレンジー』だっ!!」
 馬鹿の次は気狂い呼ばわりされてはたまらないと悠人が叫んだ。
「どっちも大して変わりゃしないでしょ! それならあんたの言うあれって何よ!?」
「あれだよ、ほら! 訓練所の壁を破壊しつくしたあの凶悪なヤツ!」
「しっ、失礼ね! 好きで破壊したわけじゃないわよっ!」

 ―――ギイィィィン!

 千歳はやや憮然と言い返したが、目前で切り結ぶアセリアと緑の少女のかもしだす鋭い金属音にはっと息を呑んだ。悠人も目前の戦闘に意識を戻したのか、冷 静さを取り戻す。
「・・・・・・・・・お互い、やるしかないと思わない?」
「・・・・・・・・・ああ」
 悠人は黙って頷くと、『求め』を低く構えた。
「くっ・・・・・・しょうがないか。アセリアの援護は任せるわよ」
「ああ!」
 悠人がアセリアの援護に跳びだしていった後、千歳は『追憶』を片手にもって大きく息を吐いた。
 片腕を前に突き出して、その前方の空間に全身の血を流し込むようなイメージを送っていく。

「我、此処に汝らを招かん。無為なる意味を知る者よ、マナを喰らいし残虐なる荊となれ――――――」

 片腕を流れるすべての血管が肥大化するような不快感と共に、周囲に集まっていくマナが急激に千歳の体に流れ込んだ。千歳はマナが体の中で暴走しないよ う、すべての精神力を傾けて念じる。
 凝固したマナが収束し、物質化していく。
 やがて、それは膨大な量のマナが凝縮された結晶体となってその姿を現した。

「―――ブルートゥスローン・・・・・・ッ!」

 千歳はその力を維持しつつ、叫ぶ。
「二人とも、下がって!!」
 その声に悠人とアセリアが素早く敵から飛びすさる。その直前に、千歳はそれを投擲した。悠人が陰になった空間から飛来したマナの槍に、緑の少女は片腕を 取られる。
 その瞬間、槍が触れた部分から氷に焼いた鉄を押し当てたように、少女の体に崩壊を起こしていった。

 ―――バシュウウゥゥゥッ!

「グゥッ!!?」
 少女が慌てて跳びすさろうとするが、その前に片足の付け根までが崩れている。
 その決定的な隙に、悠人が『求め』を大上段に構えて跳びかかった。

「うおおぉぉぉぉぉっ!」

 ―――ズ、ン!

 剣が歪んだように見えた時には、すでに『求め』の刃が少女の体を貫通していた。
 半身を引き裂かれ、その上に加わった重い斬撃のダメージを受けてはそのスピリットもひとたまりも無かった。
 金色のマナが弾けるのを視界の片隅に納めた時、千歳はどっとこみ上げた疲労にたまらず膝をついた。
「やっ、やっぱり・・・・・・これ、制御が追いつかないわ」
 ずきずきと痛む片腕を抑えたままぼやくと同時に、この区域の『塔』の力が失われていくのを感じた。
 エスペリアたちが防衛施設を抑えたに違いない。
 次々に戦線を離脱していく敵軍のスピリットたちの気配を確認すると、千歳は自分たちの勝利を噛みしめながら、ようやく体を襲った恐怖に身を震わせたの だった。


 ※※※


 リーザリオを占拠した悠人たちは、その日、始めて敵地での一夜を明かすことになった。
 悠人たちは相談の上、ここを奪還しに来る部隊に備えて防衛施設内に寝泊りすることとした。
 連絡は早々に済ませたので、明日の昼にでもラキオスの使者がこの都市を訪れるはずだ。

 千歳はだいたいの雑務が終わると、こっそりと部隊から一人、姿を消していた。
 彼女の姿がないことに気づいたオルファたちが街へ出ようとするのをエスペリアが止め、話合いの末にヒミカが行くことになった。
「・・・・・・一体、こんな時にどこへ行ってしまったのかしら」
 ヒミカは十分ほど街を歩き、やっとつかんだ『追憶』の力を頼りに千歳を探した。その気配はどこかヒミカを導いているように、彼女を一本の路地裏へと運ん でいった。

「チトセ・・・・・・、そこにいるんですか? チトセ?」

 ヒミカがそっとその路地裏を覗きこむと、はたして、そこには一つの影がうずくまっていた。
「くっ・・・・・・だれ?」
「わたしです、チトセ。ヒミカですよ・・・・・・大丈夫ですか? その声、ひどく具合が悪そう・・・・・・」
「あ、ああ・・・・・・ちょ、ちょっとこっちに来ないで! 今、そっちに行くから・・・・・・」
 ヒミカが近づこうとすると、千歳は慌てた様子でそれを押しとどめた。
 そのひどく弱っている様子の声にヒミカは首を傾げたが、暗がりから出てきた千歳のげっそりとした表情にますます驚く。
「どっ、どうしたのですか!?」
「大丈夫よ・・・・・・大丈夫。でも、水を持っていたら、少し分けてもらえない?」
「水? ・・・・・・あ・・・・・・わ、わかりました。どうぞ、使ってください」
 口元を手で覆った千歳から、かすかに胃液の臭いがしていることに気づいたヒミカは、急いで携帯していた水筒を差し出した。
「・・・・・・・・・ありがと・・・・・・ん、っ」
 千歳は礼を言ってそれを受け取り、口の中に水を含むとぺっと道ばたに吐き出した。口の中をさっぱりとさせてから、改めて水筒の水を飲む。

 しばらくの間、ヒミカは千歳を黙ってみていたが、やがて静かに話しかけた。
「・・・・・・わたしも始めての任務を終えた夜は、とても恐ろしかったです。毛布の中で目をつぶっても・・・・・・あの金色のマナの輝きがまぶたにちらつ きました」
「そう・・・・・・」
 千歳は小さく相槌を打った。
「チトセは、まだスピリット隊に入隊して間もありませんし・・・・・・失礼ですが、その、そういう風になるのは、決しておかしなことじゃないと思います よ」
 ヒミカの遠慮深そうな励ましに、千歳は少しだけ微笑んで『ありがとう』と言った。

 水筒の口をぬぐってヒミカに返すと、千歳は彼女と共に今夜の宿へと向かっていき、その道すがらしばしの会話を交わした。
「少し、聞いてみたかったんだけど・・・・・・経験が浅い私やあいつがスピリット隊を率いることに、皆は反感を持ってる?」
「い、いいえ! そんなことは・・・・・・」
「ヒミカ、ここにはエスペリアはいないんだから。それに、私はそういった娘を処罰するために、こんなことを聞くんじゃない。今だからこそ、私はあなたに聞 いておきたいの」
「でも・・・・・・・・・いえ、わかりました」
 ヒミカは少し迷ったが、千歳の真摯な眼差しに押されて首を縦にふった。

「私たちのほとんどは、ユート様やチトセに不満を抱いてはいないと思います。これは本当です・・・・・・でも」
「そうじゃない娘もいる」
 不満がないという者の中にも、エスペリアの様に人間に対して諦めを含んだ考えの者もいるかもしれないが。そんな事を千歳は心の中で呟いた。
「はい・・・・・・一番謙虚なのはセリアですね。彼女のことは覚えていらっしゃいますか?」
「ええ。あなたたちを迎えにラースに行った時も、数回顔をあわせたわ・・・・・・すべて無視されたけどね」
 千歳の言葉に、ヒミカは困ったように笑った。
「彼女は不言実行っていうか・・・・・・何も言わなくても好き嫌いをその態度で示すんですよね。彼女にとって、ユート様たちは城の人間たちと変わりないも のと思っているみたいです」
「・・・・・・なるほど」
「他にはっきりとしているのは・・・・・・ニムントールですね。ラキオスに戻った時に久しぶりに顔をあわせたんですけど、口から出るのは・・・・・・そ の、チトセの悪口ばかりで・・・・・・」
 千歳にはヒミカの言葉に思い当たる節があった。

「・・・・・・ひょっとして、私がよくファーレーンと話をしていたから?」
 千歳は城にいる間、傷が完全に癒えない彼女たちをこの作戦に参加させないように、また彼女たちを処刑―――彼女たちを廃棄し、その体のエーテルを再利用 する事をこういう―――するよう主張する人間の意見を封じるため、一時期レ スティーナ の助力を得て各方面を奔走した。
 その時、ファーレーンに様々な事項の了解を取るため幾度も長々と二人きりで話をしたのだが、それが彼女を姉と慕うニムントールには面白くなかったよう だ。
「たぶん、そうだと思います。あ、でも、ファーレーンはチトセに感謝しているそうですよ! 彼女はユート様に会った事はまだないそうですが、それほど悪い 印象を抱いてはいないようですし」
 ヒミカがあたふたとフォローを入れるのに苦笑して、千歳はやや心配そうに口を開いた。
「それじゃあ、ヘリオンやナナルゥはどう? 私、訓練の時はかなり厳しいことを言ったりもするし・・・・・・」
「ああ、彼女たちは大丈夫ですよ。二人とも、チトセが自分たちのために必死になっていることを理解しています」
 今度は自信をもって、ヒミカはにこりと微笑んだ。本人から聞いた言葉ではなくても、千歳はそれに幾分かは救われた。

「そう・・・・・・それじゃ、あなたはどうなの?」
「ええっ! わ、わたしですか!?」
 ヒミカはこれまでの質問の中で、一番焦った反応を見せた。
「え、えっと・・・・・・わたしは、チトセの人となりを少しは理解しているつもりです。ネリーたちを見舞って下さったり、剣を向けたわたしを許して下さっ たり・・・・・・他にもありますが、チトセと剣を並べることに異論はありません。でも・・・・・・」
 わずかに恐れをはらんだ声でヒミカは続けた。
「ユート様がどのような方なのか、わたしにはまだよくわかりません。顔をあわせたことが今までにありませんでしたし・・・・・・あ、勿論、昨日の様子や今 日の指揮を見た限りでは、城の人間たちとは違う考えを持った方だとは思います」

「・・・・・・それで?」
「はい・・・・・・しかし、あの方の永遠神剣があの伝説の『求め』であることは・・・・・・やはり、怖い、です」
 ヒミカはぶるりと身震いする。
「伝承は聞いています・・・・・・この世界で最も高位とされる第四位の、その中でも特出した力を持つという永遠神剣。そのマナを欲する性は、何者にも抗う 事はできないと・・・・・・わたしたちの自我を喰らい、己の眷属としてしまうと・・・・・・たとえ、ユート様ご本人がそれをお望みでなくとも、いずれ、エ スペリアが危惧するような方となる恐れは・・・・・・」
 それ以上言葉を続けることができずに、ヒミカはぎゅっと口をつぐんだ。

「・・・・・・ごめんなさい。辛い事を言わせてしまったわね」
「い、いえ。とんでもありません・・・・・・」
 千歳は不謹慎だとは思ったが、ヒミカが恐れを抱いている事に大きな安堵を抱いた。
 自分が自分でありたいと言う意思を、スピリットたちがはっきりと持っていることを知る事ができたからだ。とびきり鋭い牙を持つ獣が自分の近くにいる事を 『恐れ』と感じられるのは、正常な意志を持つがゆえの反応なのだから。
 あとは彼女たちを安心させることができるのか、それとも彼女たちの期待を裏切るかは、すべて悠人にかかっている。それについて、千歳はこれ以上手出しす る意志はなかった。

「大体のことはわかったわ。本当に、ありがとう」
「いえ。チトセがそんな事を気にかけて下さって、わたしの方こそ嬉しいです」
 ヒミカはやや青くなってしまった頬を押さえて、にっこりと微笑んでくれた。
「・・・・・・あ、そういえば」
「? まだ何かあった?」
 はたと思い出したという感じでヒミカが立ち止まり、千歳は不思議そうに彼女を見る。
「ここ、リーザリオのスピリット隊の責任者だった方たちが、捕虜としての待遇を請求されているのですが、それについてユート様もエスペリアも頭を痛めてい らして・・・・・・チトセの意見を聞きたがっていました。おそらく帰ったら聞かれると思うので、先に話しておいた方がいいかと」
「捕虜としての待遇? 明日、ラキオスの使者が来るまで防衛施設の一室に幽閉することで了解は得ていたはずでしょう?」
 千歳は嫌そうに顔をしかめた。

 責任者というのは、通常スピリット隊を監督する人間たち―――主に訓練士が選ばれる―――の事だった。監督者とは言っても、そのほとんどが自分たちは闘 争に巻き込まれないよう戦闘が終わるまで拠点の施設に控えているか、戦場から離れた場所で自分の率いるスピリットたちの勝利を待つだけの・・・・・・言っ てしまえば、千歳の大嫌いなタイプの人間が非常に多い役職だった。
 スピリットたちには彼らを捕獲した場合、彼らを捕虜として『丁重に』扱い、その上で各国の官僚たちに身柄が引き渡されることが不文律として決まってい る。戦うのはあくまでスピリット、人間たちには被害を出さないための、千歳にとってはおぞましき悪習だ。
 できることなら係わり合いになりたくない話だが、二人が頭を痛めているという手前、無視することもできない。

 ヒミカは言いにくそうに、そしてわずかに嫌悪を含んだ表情で口を開いた。
「はい、その・・・・・・なんでも、たとえ一日とはいえ、スピリットたちと同じ屋根の下で自分たちを寝せるなど、捕虜としての扱いが悪すぎる。など と・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
 千歳は黙った。
「・・・・・・っ!?」
 ヒミカは息を呑んだ。
 千歳はふつふつと胸の奥から沸きあがる冷たい怒りに微笑みを浮かべ、なぜかそれを見たヒミカは身の危険を感じて即座に三歩くらいひいた。

「・・・・・・・・・それで?」

「は、はひっ!?」
 千歳の氷点下な声に、思わずヒミカの声が上ずる。
「それで、そのフザケた物言いにウチの隊長殿と参謀殿はナニを悩んでいるって?」
「え・・・・・・ええっ、と。ユート様は大変お怒りになられて、気にする事もないと仰ったんですけど・・・・・・エスペリアは、それでは後の引渡しの時に 面倒ごとになりかねない、と・・・・・・」
「ふぅ〜〜〜ん・・・・・・・・・」
 千歳はくすくす笑いすら浮かべている。だが、ヒミカにとってはそれすらも牙をむいた『求め』を前にしたような恐怖を感じされられた。
「あの馬鹿にしちゃ、真っ当な意見だと思うわ。けど、まだまだ『押し』が足りないわね」
「は? お、『押し』・・・・・・ですか?」
 意味がわかりかねると言ったヒミカにニコリと笑いかけ、それはもう素敵な笑顔で、千歳は言った。


「ヒミカ・・・・・・ちょっと頼みたいことがあるんだけど、いい?」


 ここで首を横に振れば、自分はその瞬間に金色の霧になりかねない。
 そんなありえない恐怖を抱き、ヒミカは必死に首を何度も縦に揺らしたのだった。


 リーザリオ 『塔』一室

 リーザリオの防衛拠点の一室。
 その中でも特に無駄に豪奢に飾り立てられた一室に、リーザリオの官僚たちは集められていた。元の自分たちの居場所に収まったことに心を落ち着けたのか、 敵の捕虜になったと言うのにその顔にはまったくの焦燥はない。
 その全員が人数分置かれたイスに頼まれてもいないのにどっかりと座り込み、ここに案内される際に聞いた自分たちの身柄を担当することになったラキオスの エトランジェを待っていた。

 ―――がちゃっ。

「失礼いたします」
 数分もせぬ内に、一人の小娘が彼らの前に姿を現した。
 これがエトランジェと言うものか、と彼らは無遠慮な目でじろじろとその少女を眺め回した。白に近い灰色の外套を羽織って、その中には見た事もない珍妙な 服を着ている。その造作は悪くないし、多少長身とはいえスピリットどもと大した違いもなく、彼らは見下した目で彼女を見た。
 エトランジェは、彼らの偏見の中で構わず口を開く。

「お初にお目にかかります、バーンライトの皆様。私は、ラキオス軍スピリット隊副隊長を任されております、『追憶』のチトセと申します。以後、お見知りお きを」

 その口から流暢な聖ヨト語が紡がれた事にわずかに驚き、幾人かは鷹揚に手を振って見せた。
 千歳は穏やかに微笑んで、更に言葉を続けた。
「皆様が明日、我が国の使者と対面なされるまでの間を『快適に』過ごされるよう、スピリット隊隊長『求め』のユートより、私がその大任を任されることと相 成りました。つきましては、皆様の御要望される宿舎の手配を・・・・・・」
 下賤とはいえ、話がわかる者が出てきたと責任者たちは身を乗り出す。
 しかし、それを制するようにして千歳はすっと片手を前に出した。
「・・・・・・する前に、非常に残念な事が起きてしまいました事を、皆様にお伝えしなければなりません」
 興を削がれるような言い方に、ある者は面白くなさそうに足を組みかえている。
 また、その内の一人が背もたれに首までを預けたまま尋ねた。
「ふむ、何があったんだね?」
 千歳は一つ頷くと、言い聞かせる様に、ゆっくりと、歌う様に軽やかに言った。


「実は非常に、非常に残念な事に・・・・・・リーザリオの責任者の皆様は、御自分たちの敗北を苦に、つい先ほどその全員が自害されてしまったんですの」


 にこり、と千歳が笑む。
 一瞬呆気に取られた全員は、やがてそれが冗談なのだと思い乾いた笑いを漏らし始めた。予想外にうけたのか、次第にその笑いは本物の大笑となり、その中で 立ち上がった一人がいやはやと首を振りながら千歳の肩に手を置いた。
「はっはっはっ・・・・・・いや、それはハイペリア流のジョークかい?」
「あら・・・・・・ふふふふふ」
 千歳は艶やかに笑む。その笑みが絶対零度のそれだと気づけるほど、彼らは女心を理解した者たちではなかった。
 もし、彼女に徹底的にしごかれた悠人がこの場にいたら、『全員、逃げろ! ・・・・・・いや、取りあえず謝れ! 死にたくない奴は慈悲を請うんだ!』と か何とか言って警告できたかもしれない。だが、その時には既に遅かっただろう・・・・・・というか、千歳がこの部屋に入ってきた時点で、彼らの運命の行き 先は決まっていたのだろうが。


「が・・・・・・・・・ッ!!?」

 ―――どさっ。


 千歳の肩に手を置いていた者が急に前のめりに倒れた。
 はたと、室内を満たしていた笑い声が止む。
 千歳は笑みを浮かべたまま・・・・・・男の股座を蹴り上げた足を戻して、その背中に勢いよくかかとを落とした。
「ぐっ・・・・・・」
 わずかに空気が漏れる音がして男が動かなくなる。その男は、自分が仲間の内で最も幸運な者だったという事に気づく日はなかった。

「要するに」

 打って変わった悪魔の如き鬼気をこめた笑みを浮かべた千歳が、足蹴にした男の背を踏みにじりながら低い声で言う。
「あんたらはいないも同然のクズ・・・・・・言いかえれば、死体と同じ存在に成り果てたって事。お分かり? 葬儀はその忠義心を称え、ラキオス軍『有志』 に より火葬。ラキオス軍情報部にこの通達は既に送られているので、あしからず」
 この豹変振りにしばらく全員が言葉を失ったが、すぐに声を荒くして反発が起きた。
「ふざけるなよ!」
「下賤如きが・・・・・・!」
「俺たちを何だと思っている!」
「このことが国に知れれば・・・・・・!」
 千歳は怒り、あるいは掴みかかろうとする数人の男たちを冷ややかな目で見つめ、静かに呟いた。

「やりなさい、―――『追憶』」

 とたんに不可視の糸が黒塗りの鞘から無数に放たれて、彼らの手足をがんじがらめに縛り上げた。ゴミを見るような視線で無様に床に転がる男たちを一瞥し、 千歳はつかつかと内一人に歩み寄った。
 一際うるさくわめく男の胸の上にどかっと足を乗せ、強制的に黙らせる。
「そのお飾りの頭には、自分たちの立場がまったくわかってないみたいねぇ・・・・・・? あんまり愉快なこと言ってると、死体同然から死体そのものにして やってもいいのよ? ま、価値観の上では大した違いはないかもしれないけど?」
 ぐりぐりとかかとを動かして絶妙に呼吸を封じると、男の顔が青くなっていった。つられてか、他の者たちの顔色も悪くなっている。
「は、はったりだ・・・・・・エトランジェは人間を傷つけることができないんだろう!?」
「あら、とんでもない。その制約は聖ヨトの血を引く者にしかかからないのよ。あんたたち如き、全員なぶり殺したところで私にはなんら痛痒はない の・・・・・・くすくす」
 千歳自身、自分の言った事の信憑性を疑ったが、男たちには十分に信憑性を持った言葉として受け止られたようだ。

「そのできの悪い頭によぉ〜〜〜っく、叩き込みなさい? あんたたちが明日の日を拝む道はただ一つ・・・・・・・・・それは、あんたたちの知っているバー ンラ イト側のこれからの作戦内容を、洗いざらい私に吐く事よ」

「なっ、なんだっ・・・・・・ぐふっ!!」
 反抗的な態度を取る男の鳩尾を蹴り飛ばす。千歳は男たちの体に傷がつかないように極限まで手加減していたが、男たちの中にそれを気づくものはいなかっ た。
「ルールは簡単。これからはあんたたちに発言権は一切ない。あんたたちに言う事を許されるのは、命乞いと、今言った条件に当てはまる情報だけ。 Understand?」
 男たちの理解できない異国の言葉で締めくくると、千歳は手始めに足元に転がっていた男の一人を見下した。
「さて。それじゃ、あんた。素直に、そして速やかに『はい』といいなさい・・・・・・このリーザリオの占拠はあんまりにもすんなり行き過ぎた感があるけ ど、バーンライト軍は何を狙っているのか・・・・・・言うつもりはある?」
「い、言うもの・・・・・・がふっ!!」
 男の脇腹を蹴飛ばすと、千歳は続いてもう一人の男に尋ねた。
「あんたはどうかしら?」
「し、知らない・・・・・・わたしは何も・・・・・・ギャッ!!」

 全員が白を切るまで同じことを繰り返すと、千歳は仰々しいため息を吐いた。
「ホンットに、使えないグズばっかりねえ・・・・・・そう、生きている価値もないくらい」
「な、なんだ・・・・・・」
 男の一人が反抗的な目を見せるや否や、千歳は半眼で一瞥した。刹那、男の口が凍りつく。少しは自分の立場がわかってきたようだ。
「しょうがないわねぇ・・・・・・あんまり気は進まないんだけど・・・・・・」
「なっ、なにをするんだ!? はっ、放せ! 放してくれ―――っ!!」
 千歳はわざとらしくやれやれという顔でその男の襟首を引っつかみ、ずるずると引きずり出した。
「別に、ここでもいいんだけど。ほら、せっかく豪華な絨毯があるじゃない、この部屋? あんまり汚すのは気が進まないのよ・・・・・・まあ、綺麗な赤だか ら、それほど『目立たない』かもしれないけどねぇ・・・・・・」
 含み笑いをする千歳の言葉に真っ青になった男は、動かない体を芋虫のようにのたくらせて意味のない抵抗をする。が、千歳はまったくそれを意に介さぬま ま、男を引きずって部屋から出て行ってしまった。

 ―――ばたん。

 ドアが閉まる音と共に、男たちは一様に顔を見合わせる。
 もしかして、でもまさか。
 そんな表情の面々を更に青くするような声が、すぐ側の廊下からドアを隔てて聞こえてきた。


「やっ、やめろ・・・・・・っ! それをどうするつもりだっ!? ・・・・・・ま、まさか・・・・・・うっ、嘘だろう、なぁ!!? やっ、止めろ、止めて くれ!! 頼む!! 何でも言う、何でも言うから・・・・・・ぎぃぃぃやああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ・・・・・・・・・!!」


 ぱたり、と。断末魔の叫びが途絶え、しばらくして再びドアが開く。
「・・・・・・まったく、嫌になっちゃうわよね、人間って」
 洗濯でも済ませたような気楽さで入ってきた千歳の姿に、男たちはひっと息を呑んだ。
「死んだ後も、ちっとも血が消えないんですもの・・・・・・・・・ねぇ?」
 ぽたり、ぽたり。
 エトランジェが手にした永遠神剣の黒い鞘から、赤い雫が涙を流すように滴った。頬には、化粧の様に同色の飛沫がかかり、顎へとつたっている。
 その壮絶な姿に、男たちはもはや失神せんばかりに戦慄した。
 千歳は同じ問いかけを、彼らに繰り返す。


「さて・・・・・・誰か、素直にしゃべりたくなったかしら?」


 もはや男たちは恥も外聞もなく、我先にと自分たちの知る秘密をすべて目の前の少女にぶちまけて、必死の思いで命乞いをしたのだった。


 ※※※


 ―――よいか、主殿。儂はこれでも誇り高き永遠神剣の一振りであるのだぞ! それをよくもまぁ、あの様なことに使いおって・・・・・・!―――
「あ〜〜〜、はいはい。わかってるって・・・・・・うわ、まだちょっと生臭いわ、あんた」
 ――― 一体、それがだれのせいだと思っておるのだの!?―――
 『追憶』の憤懣やるせないといった怒りのお言葉を聞き流しながら、千歳は顔をしかめて己の永遠神剣から顔を遠ざけた。
 千歳の髪は、つい先ほど水浴びを済ませた名残でしっとりと濡れている。心の底からドライヤーが欲しかったが、残念なことにファンタズマゴリアにその 様なものはなかった。しかたなく乾くまで辛抱づよくタオルで髪を拭く。
 時間をかけ、やっと生乾きになった髪を丁寧に三つ編みに結び、自分の荷物と厚めの書類の束を手に取った。
 今度、ラキオスの街で売っていた香油というものを買ってみようか。そんな事を考えていた千歳の耳に、こちらに近づいている足音がとびこんできた。

 ―――パタパタパタパタ・・・・・・がららららっ!

「チトセ様ッ! ここにおられたのですかっ!!」
「あら、エスペリア。どうしたの? そんなに慌てちゃって」
 脱衣所から出ようとしていた千歳の前に、そこへひどく取り乱した様子のエスペリアが走りこんで来た。
 千歳は白々しくエスペリアに笑いかけるが、彼女はそんなことでは騙されないと怒った顔で叫ぶ。
「どうしたもこうしたもありません! 私が外に出ている間に、あの捕虜の方たちに何をされたんですか!?」
「あの方たちって何のことかしら? ・・・・・・ああ、ひょっとして、私が隊長殿から直々に任されたあの性根の腐った方々の事?」
「くっ・・・・・・ユート様もユート様です! 急に外に連れ出されて、どうも様子がおかしいと思ったら・・・・・・」
「まぁまぁ・・・・・・はい、これ。よかったら読んでみて」
 エスペリアはなおも言いたい事がありそうだったが、千歳はそれが吐き出される前に自分の手元の書類をひょいと彼女に投げ渡した。

「何なんですか!? こんなものが、いった・・・・・・・・・ま、まさか、これは!?」
 目を見開いて、エスペリアは自分の手元にある書類を急いで読み始めた。
 千歳はその反応に満足そうに笑い、口を開く。―――暗記したバーンライトの軍事情報の概略を読み上げた。
「リーザリオ占拠はバーンライト軍の予想範囲内。あちらさんの本命は、ここを防衛していたグリーンスピリットではなく・・・・・・」
「そんな・・・・・・ラジード鉱山に、これだけの伏兵を・・・・・・?」
 ラジード鉱山は、ラキオスとバーンライトの国境付近に位置する山脈の一部である。そこへと向かう街道からは、両国の都市への通行が可能であった。ここに 兵を置かれれば、たとえそれが少数部隊であってもラキオスの脅威となりうる。
 その内容に呆然とするエスペリアに、千歳は重ねて言った。
「ま、相手の策がそれだけとは思えないけどね。でも、この情報はなかなかに大きいわ・・・・・・私たちがこれに気づかなければ、かなり大きな被害があった のは間違いないわよね?」
 にやり、と人の悪い笑みを浮かべる。


「・・・・・・そう。この情報を得られたのもすべて、あの責任者の皆様が私たちに非常に『協力的に』情報を流してくれたおかげよ。その旨は、『きっちり』 と明日の引渡しの 時に伝えてあげて。敵国の捕虜としてではなく、ラキオスの協力者として扱うようにね・・・・・・」


 捕虜は、両国の戦いの終結時にそれぞれの国に送還される事がしきたりとされている。通常、帰還した訓練士たちは負け方にもよるがその大体は英雄扱いさ れ、それなりの名誉が与えられるのだ。
 しかし、もしラキオスがこの戦争に勝利し、その上で自国の敗北に一役買った人間たちが送り返された時にはどうなるだろう? 味方を裏切って情報を流し、 祖国を売ってまで自分たちの待遇を良くしようと目論んだとされる者たちが、果たしてどのような扱いを受けるのか・・・・・・。

「し、しかし! 彼らがチトセ様に暴行を加えられたなどと証言をしたら・・・・・・!」
「『全員が傷跡一つない』状態で暴行があったと言っても、ほとんど説得力はないし、耳を傾けるような人間はいないでしょうねぇ・・・・・・。精々が、敗北 のショックで全員が似たような悪夢でも見たという事になるでしょうよ」
 今現在、千歳にこの隠し文書のありかから続く目標、都市リモドアの勢力までも洗いざらい告白した責任者たちは、一人残らず借り受けた民家の屋根の下で眠 りに ついている。彼らの体には一切の暴行を受けた形跡もなく、明日の朝が来れば皆、健やかな目覚めを迎える事であろう。・・・・・・ひょっとしたら、就寝した 前後の記憶を失っているかもしれないが。

「さ、そんなに険のある顔しないで・・・・・・夕食の準備はできているんでしょう? 私たちも行きましょうよ」
「しかし・・・・・・ふぅ、かしこまりました」
 得た情報が掟破りに目をつぶっても重要なものだからと納得したのか、はたまたこれ以上なにを言っても無駄だと思ったのか、エスペリアはしぶしぶ千歳に 従った。
 千歳の頭の中では、なおも『追憶』がやかましく文句を言っている。


 ―――よりにもよって、この儂に家畜の血をなすり付けるなど、いくら主殿といえども言語道断・・・・・・! 聞いておるのか!?―――


 千歳が頭の中で完全に『追憶』の声をシャットアウトしていると、二人の様子を見に来たハリオンと顔をあわせた。
「あらあら〜〜〜。お二人とも、やっと来られたんですねぇ〜。あんまり遅いものですから、皆さん、食事を始めちゃいましたよぉ〜」
「そうなの? ・・・・・・あぁ、そうだ。さっき、ヒミカが随分と疲れていたみたいだったけど、大丈夫だった?」
「うふふ〜〜〜。あの子ったら泣きそうな顔して、頂いてきたトリさんたちを血抜きしていましたもんねぇ〜〜〜」
 聞いた所によれば、ヒミカは彼女が抜き出した家畜の血を千歳がビンに入れて持って行ったのを見届けた後、がくりと膝を着いて、『た、助かっ た・・・・・・』とか なんとか謎な言葉を言っていたそうだ。
「まぁ、さっき見てみたら、あの子もご飯をちゃんと食べていましたし〜〜〜。心配ないと思いますよぉ〜〜〜」
「なら、よかったわ・・・・・・あ、エスペリア。後であの鳥を分けてくれた人たちに証書を持っていかなくちゃいけないから、手配を頼めるかしら?」
「・・・・・・かしこまりました。・・・・・・はぁ」
 エスペリアはもう何も言うまいとあきらめの混じった表情で頷いた。
 千歳の言う証書、というのは金銭を持ち歩くことが許可されていないスピリットたちがそれに代用する、証文のようなものだ。それをラキオス軍の関係者に見 せれば金銭と交換できるが、何分、現金を手にするまでに手間がかかるので人々の間には疎んじられていた。

 三人が他の隊員たちが集まった施設の前の空き地に向かった時には、既に食事は始まっていた。
 スピリットの駐屯地と違い、それ用の設備が整っているわけでもない防衛施設では料理をすることもろくにできない。そのため何人かが協力して簡単な点火装 置でコンロを作って、今、悠人がその上でバーベキューのように色々なものを焼いていた。
「あ、やっと来たのか! 悪い、もう始めちまってるぞ」
「ええ、別に構わないわよ・・・・・・ところで、私の分は?」
 金網の上には薄切りにした野菜、細かく切った肉などが串に刺さってよい匂いを出している。
 食欲をくすぐらせる匂いだったが、それに千歳が手を伸ばす前にエスペリアの雷が落ちた。

「ユート様、そのような事は隊長のなさることではございません! それに、あなたたちは一体、ユート様にこのようなことをさせながら、何をしているのです か!?」
 エスペリアはぐるっと顔をめぐらせて、周囲に散らばって食事を始めているスピリットたちにもその雷を落とす。
「あ、あの・・・・・・えっと・・・・・・」
 たじたじとなったヘリオンが何かいいわけを考えるように意味のない言葉を呟く。彼女をかばうようにして、悠人がエスペリアの視線の先に立った。
「い、いいんだよ、エスペリア! 俺がやらせてくれっていったんだから・・・・・・」
「しかし・・・・・・もう! わかりました、ならば私が代わりますので、ユート様はお食事をなさって下さい」
 エスペリアはぷんぷんと悠人の場所に代わり、手際よく串をひっくり返し始めた。
 悠人はエスペリアのつんけんした姿に悲しそうに肩を下げたが、諦めてほど良く焼けた肉をとって、千歳の所まで運んできた。
「ほら、お前の分」
「どうも。それじゃ私の方は、この書類・・・・・・って、私が読まないとダメか」
「あ、ああ。悪いけど頼む」
 悠人がすまなそうに頼み、千歳は『追憶』で強化した夜目を使って手元の書類を読み上げた。

 悠人は串を口に運びながら千歳の言葉を聞いていたが、バーンライトの伏兵がラジード鉱山に潜んでいる、という行に彼の眉が深刻そうに寄った。
「ラジード鉱山っていうのは・・・・・・たしか、俺たちが来た街道のもう一つの道の先にあった場所だよな?」
「そうね。ここから進軍されれば、一気にエルスサーオを抑えられるか、ここの奪還に来た部隊と連携して挟み撃ちを受ける危険性があるわ」
 千歳が肉をほおばりながら地図の一角を指すと、悠人は食べ終えた串をポケットに放り込んで考え出した。
「千歳。お前に頼みたい事があるんだが・・・・・・」
「私も頼みたかったのよ。・・・・・・多分、同じ事をね」
 二人は視線を交わして頷きあった。
「それじゃ、明日の早朝に出るわ。奇襲ならそんなに人員は要らないから、四人・・・・・・いえ、三人。私と行く娘たちを割かせてもらうわよ。」
「分かった。じゃあ、細かい段取りはこの後で」
 新しい串を取り上げながら千歳が言うと、悠人は快くそれを承諾した。

「・・・・・・それにしても、やけに美味しいのね? この焼き鳥」
 よく焼けた鳥肉に口をつけながら千歳は眉をひそめた。
 ラキオスでも何回か食べたことのある肉だったが、今食べているそれはただ塩をかけて火を通しただけのものにも関わらず、なかなか美味だった。
 その言葉に、何故か悠人が照れていた。
「そ、そうか? いや、ずっと前に焼鳥屋でバイトしたことがあってさ。その時に覚えたんだけど・・・・・・」
「・・・・・・ふ〜ん」
 興味なさそうに黙々と肉を食べる千歳。が、心の中では訳もない苛立ちがふつふつと沸いていた。
 ―――おもしろくない。
 千歳はじっと手元の串を見つめ、低く呟いた。


「料理、か・・・・・・・・・」


 後に、この言葉がきっかけとなって悠人たちの身の上に多大なる災厄が襲うこととなるのだが・・・・・・・・・。

 今の彼に、それを知る術はなかった。




・・・・・・To Be Continued

























 【おまけ】

「そう言えば・・・・・・」
「うん?」
 悠人がぼそりと隣で呟き、千歳は焦げ目のついたリクェムをくわえながら視線を彼に向けた。
「千歳があいつらを一人も殺さずに一泡吹かせる方法があるって言っていたから、あの時とっさに任せちまったけど・・・・・・一体、何やったんだ?」
「・・・・・・なんだ、そんなこと?」
「いや、ちょっとあの部屋から運び出した時のあいつらの顔を見れば、さすがに気になって・・・・・・」
 今は一つの民家に詰め込まれている責任者たちのことを言っているのだと知り、千歳は今日の天気のことを話す様に言った。

「いい? あいつらは、自分たちが傷をする事なんてまったく考えてないような奴らだったわけよ。そういった・・・・・・まあ、あいつらにすれば『常識』 ね。それを根底から覆すようにインパクトのある光景を目の当たりにさせてやれば、確実に落ちると思ったの」
「ああ、それでわざわざこの鳥の血をかぶって、まるであいつらの一人を斬ったみたいに見せかけたんだろ。でも、それだけじゃないよな? ヘリオンなんか、 千歳に言われて 訳もわからずオルファたちの耳をふさいでいる間に物凄い悲鳴が聞こえたって、俺に泣きついてきたんだぞ?」
「ははは・・・・・・後で謝っとくわ」
「・・・・・・まあ、そうしてくれ。で、何をしたんだ? あいつらの中の誰にも、これと言った傷は全然なかったし・・・・・・」
 悠人が興味津々と身を乗り出すと、千歳は食べ終えた串を指と一緒にぴんと立てて説明を始めた。

「まず、人体には必ず共通した痛点ってやつがあってね。武道の中には、そういった箇所を突いて小さい打撃で大きいダメージを狙う技もあるのよ」
「ふんふん」
「例えばここ、指先には末梢神経が集中していて。ここに一直線にこう、思いっきりぶすっと細い針なんかを ブ チこむと、上手く太い血管から外れれば見た目の傷はほとんどないまま・・・・・・」
「・・・・・・いや、もういい。止めてくれ。頼むから、ホント。頭を下げてお願いします、ハイ」
「・・・・・・・・・あら、そう?」
 プレゼントを取り上げられた子供の様な顔でこちらを見る千歳の視線に戦慄しながら、悠人は手元の串を口に運ぼうとして、自分の指にそれが『ぶすっ』と刺 さった光景を想像し体を震わせた。


 ―――今だけは、あの哀れな奴らに同情しよう。


 悠人をしてそう思わせた人間たちは今、自分たちを待つ運命も知らずに悪夢にうなされていたのだった・・・・・・。





















【さらにおまけ】

「・・・・・・ところで、あんまりエスペリアとのごたごたが長引くようなら、隊長殿も『それなり』の覚悟を済ませておいた方がいいと思うわよ?」
「なっ!? な、ナニを覚悟しろって!?」
「そりゃあ、勿論。鬱憤がたまりにたまった私が、ついつい隊長殿の指先をこう、ぶすっっとやりたくなるだ けでは飽き足らず・・・・・・」
「うわあぁぁ―――っ!! いい、それ以上言わなくていい!! 頼むから言うな―――っ!!」
「・・・・・・・・・あら、そう?」

 お年玉を全額取り上げられた子供のような顔をする千歳に、悠人は改めて自分の副官となった少女に戦慄を抱いたのだった・・・・・・。





 【後書き】

 第二章、開幕しました。
 タイトルは『蝕まれし世界』。
 感のいい皆様の御想像通り、『蠢く野望』と『狂乱の大地』を足して二で割った感じのタイトルです。他にも色々混ぜ物がありますけどね。

 今回は、永遠のアセリアの初プレイの時、必ずと言っていいほど頭を痛めさせられるポイントの一つ。『伏兵』にもお題を置いてみました。
 あれってホントに怖いですよね・・・・・・自分もあれのお陰で何回もゲームオーバーを出しました。

 ところで。
 今回、悠人や千歳が一章から二章までの三ヶ月間、色々とした事に裏設定ではなっているんですが。
 かっ、書く余地がない・・・・・・!
 ・・・・・・まあ、この辺の本編になぞらえれば当たり前なんですけどね。
 できれば外伝などを書きたいのですが、それよりも本編を続けたほうがいいか・・・・・・悩みます。

 と、言うわけでして。
 この作品を読んで、なおかつ『外伝を読んでみたい』と希望される心広い、素敵な読者様がいらっしゃいましたら、どうぞ御一報下さい。
 作者が外伝制作に踏み切れるだけの御要望があれば、ちょっと弱気に思い切って取りかかってみようかと思います。

 メールで送られる場合、件名は必ず作品名と『外伝を希望』を頭に入れて下さい。お願いします。
 勿論、本編の感想を加えて下さると嬉しいです。
 添付ファイルは極力避けて、どうしてもという場合は事前にメールで連絡を送って頂いた上で、頂ければと思います。


 さて、次回。
 続きまして対バーンライト戦、後半。・・・・・・または中編。
 特別ゲストが出演予定です。
 それでは、お楽しみに・・・・・・・・・。



 ちなみに。
 指先を『ぶすっ』とやると・・・・・・のくだりはかなり事実なので、自分にせよ他人にせよ絶対に試してはいけません





NIL