In The Past・・・・・・


「千歳や・・・・・・何をしているのだね?」

「・・・・・・・・・」

「千歳や」

「・・・・・・うっさいわね。見りゃわかるでしょ、燃やしてるのよ」
「それは・・・・・・あの子たちがまた遊びに来る時のために、お前がずっと作っていたものだろう?」
「えぇ、そのとおり。この私が間抜けにもバカみたいに、この数年間を費やして築きあげた、ゴミの山よ」
「千歳」
「ははっ。見てよ、これ。瞬の奴が欲しいって言ってた飛行機の模型。作るのに何ヶ月かかったっけ? 燃えちゃえば、あっという間にただのクズよね。あっは はははははは・・・・・・!」
「・・・・・・・・・」

「あはっ・・・・・・・・・なによ。まだ何か言いたいことでもあるの?」


 ――――――ぱぁん!


「っう! ・・・・・・な、何すんのよ!」
「・・・・・・お前は、何を望んでいたのじゃ?」
「・・・・・・・・・え、っ?」
「この数年、彼らに会いに行くわけでもなく、彼らを探そうとするのでもなく。ただ、ここにいればどうにかなると、本気で思っておったのか?」
「そ、それは・・・・・・」
「怖かったから、か? あの二人に、もう自分が特別な者ではないと言われることが」
「うっ・・・・・・うるさい!」
「自分だけが過去に囚われている間に、彼らが自分のいない世界で幸せを見つけてしまっていたらと思えば、許せないからかの?」
「そんなことっ・・・・・・そんなこと、絶対にない!!」
「では何故、お前はずっと、こんな所にいたのじゃ? 信じて待ち続けることも出来ず、自分の積み重ねてきたものすら認められないというのならば、お前は永 久にそこから立ち上がることはできないぞ」
「っ・・・・・・・・・いやっ! 聞きたくない! 聞きたくないっ!」


「・・・・・・佳織ちゃんの居場所がわかった」


「・・・・・・・・・ッ!?」
「ご両親を亡くされて、彼女とその義兄を引き取った方が亡くなられた後、元のあの家で暮らしておるそうじゃ」
「ウソ、だったら、どうして」
「あの寺の一人息子が、どうやらその義兄の友人らしい。どうじゃな? 紹介してもらえば、またあの子と会うこともできるぞ?」
「・・・・・・・・・」
「千歳や」
「・・・・・・・・・瞬、は?」
「彼のことは―――わからなかったよ。あの家のことは、外の者にはほとんど伝わらないからの。彼の行く先を知る者は、儂の知人の中にはいなかった」
「そう・・・・・・それじゃ、いらない」
「・・・・・・ふむ。それは、どういう意味だね?」


「いらないの! 三人じゃない私たちなんて、私たちじゃない! 佳織がいて、あいつがいて・・・・・・そうでないと、私たちじゃないの! それ以外の、私 たちなんて・・・・・・」


「千歳や・・・・・・」
「もういい、もういいの! ありがと、じいちゃん・・・・・・そっか、佳織は私がいなくても平気だったんだね。あの子、そんなに強そうに見えなかったのに なあ・・・・・・ふふっ。あはははは・・・・・・」
「・・・・・・彼女も、お前も、一人ではないんだよ」
「うん。そうよね・・・・・・佳織は大丈夫でも、瞬のやつはね・・・・・・しっかりしているようで、いっつも危なっかしいんだもん。だから、私がちゃんと そばにいてあげな いと・・・・・・」
「千歳、そうではないじゃろう・・・・・・!」
「ははっ、み〜んな燃えちゃった。うん、でもちゃんと水かけないと危ないもんね。私、ちょっと、ホース持ってくる!」



「千歳・・・・・・・・・待ちなさい! 千歳!」










 永遠のアセリア二次創作            

龍の大地に眠れ

    一章 : 夢幻世界の少女たち

第八話 : その悲しみは






 ラキオス城 訓練場

 ラキオス城内にある一角。滅多に人間たちは訪れないそこで、今日もまた号令が響く。
「全員―――構え!!」
「はいっ!」
「打ち込み二百本! 始めッ!」
「はいっ!」
「え〜っ、にひゃっぽん〜〜〜!?」
「オルファ、愚痴らない! 次に私語があれば五十本追加!」
「・・・・・・ぷぅ」
 スピリット隊隊員たちが藁で作られた人形に向け、木刀で切りかかっていく。
 木刀と言っても、永遠神剣に形を似せて作られたそれは様々な形があり、銘々が本来の自分の武器の形にあったそれを使って人形に挑んでいた。
 千歳はそんな少女たち(+α)の傍に立ち、一人ずつ指導していった。

「ネリー、まだ肩に力が入りすぎてる!」
「は、はいっ!」
「ヘリオン、左手はそうじゃなくて、こう! そんな持ち方じゃ自分の手を切るわよ!」
「はっ、はいぃぃっ!」
「シアー、素振りの最中にべそかかない!」
「だっ、だって、だって、お人形さんたち、痛そうなんだもん〜」
「・・・・・・心を鬼になさい。って、ナナルゥ! 燃やすんじゃないの! 神剣魔法の練習は別・・・・・・あぁもう、こっちのやつを使って!」
「―――了解」
「こら、オルファ!! 途中で逃げない!」
「マ、ママ・・・・・・オルファ、もう、ぜんぶやったよぉ・・・・・・」
「嘘をつかないの! 五十本ちょいしかやってないでしょ! オルファリルはもう一度、始めからやり直し!!」
「パパァ〜ッ! ママがオルファのこといぢめるよぉ〜〜〜っ!」
「・・・・・・・・・なんか、文句あんの? 隊長殿?」
「い、いやぁ・・・・・・その」
「あっそ、じゃあんたはもう二百本追加ね」
「い゛っ!?」

 以上、六名のスピリット隊隊員たちが現在、千歳の指導の元、訓練を行っている。
 本当はこれにニムントール・グリーンスピリットが加わることが内定しているが、彼女はファーレーンと共にエルスサーオ防衛戦時に浅からぬ傷を負い、現在 は第二詰め所で療養に務めている。

 千歳は常時彼女たちを監督しているわけではない。他の訓練では、千歳は彼女たちと同じく習う側に回る。千歳が彼女たちに教えているのは剣の基礎。そし て、身を護るための技術を主体とした剣技だった。
 別段、千歳は彼女たちよりも特別に強いわけではない。実際に、『追憶』を手にした千歳では、『求め』を手にした悠人には勝つことができないだろうし、気 を抜けばスピリットたちにも遅れを取りかねない。
 だが、千歳は彼女たちよりも圧倒的に勝っている面が一つだけあった。

 知識だ。

 幼い頃から、千歳はずっと祖父に連れられて行った道場で腕を磨いてきた。体術は言うに及ばず、一通りの武器はそこそこ扱えるという自負がある。神剣抜き での試合ならば、千歳はアセリアとも五分で戦えるだろう。
 そしてスピリットたちは人間よりも強靭な種族だが、それは言い換えるとたとえ動きが稚拙なままでも永遠神剣との同調と身体能力の差だけ『強い』ことに なってしまう。つまり、彼女たちにとって剣が『強い』と『上手い』は必ずしも直結したものではないのだ。
 ゆえに、スピリットを所有する国家は『訓練士』とよばれる者たちを雇い入れ、『上手い』剣を教える必要がでてくる。千歳が行っているのは、そんな『訓練 士』としての仕事の一端だった。
 千歳が訓練時の乱取りでラキオスの訓練士半数を負かせた後に辞令が下ったその仕事は、かなりやりがいのあるものであった。

 普通、スピリットたちはかなり実戦形式な訓練法で鍛えられており、伸びは速いがどうしてもどこかしら変な癖がついてしまう。アセリアやエスペリアたち位 まで経験を重ねればそれをひっくるめて一つの剣の形にできる者もあるが、年少組や経験の浅いものたちはそうもいかない。これをほうっておいたまま実戦に出 れば命取りとなる可能性もあるだろう。
 例えば、ネリーやオルファは思い切った一撃が放てるが、動きに無駄が多いために油断や隙も多い。
 ヘリオンとシアーは型通りの動きができるものの、決定的な気迫にかける。
 そして、ナナルゥ。千歳が龍討伐より帰還して初めて対面した長い髪のレッドスピリットの少女は、一見してアセリアに似た無口さや淡々とした行動が目立 ち、訓練時でも与えられた課題を眉一つ動かさずにこなしていたが、この少女にはアセリアとは決定的に違う所があった。

「チトセ様」
「ん? どうしたの・・・・・・って! またやったわね、黒焦げじゃない!」
「申し訳ありません」
「な、何の気配もなく神剣魔法を発動させる器用さは大したものなんだけど・・・・・・ねぇ」
「はい、今現在求められている技能ではないことは理解しています」
「・・・・・・・・・なら、どうしてこうなるっていうの?」
「・・・・・・・・・申し訳ありません」

 うっかり、といっていいものかどうなのか。
 彼女がこなす作業は完璧といっていいのだが、とにかくその工程において何らかの予期せぬことが起こる。
 訓練所の隅に追いやられた哀れな犠牲者たち―――ナナルゥによって見事に消し炭とされた藁人形の山を見やり、千歳はそっとこめかみを押さえる。別段、彼 女の注意力が散漫であるわけでもないのに、まるで呪いのように引き起こされる惨事には千歳も毎回、手を焼いていた。
 しかし、千歳にとっての最も厄介な生徒は彼女ではない。
 猪武者、学習力ゼロ、力任せのパワーファイター等などの数々の烙印を千歳によって押されたその生徒は、彼女の指導のたびに怒られ、なじられ、そしてこき 下ろされていた。

「馬鹿、何回言ったらわかるのよ!! 右の握りは卵を握るように柔らかく、いつでも対応できるように気を入れて・・・・・・あぁ、馬鹿、違う、そうじゃな い! そんなに馬鹿みたいに力むんじゃないの! 畑を耕してんじゃないのよ、この馬鹿!!」
「ぐ、ぬぬぬぬ・・・・・・・・・」
「なに! なんか文句あんの!?」
「あ、ありま・・・・・・せん」
「声が小さい!」

「ぐっ―――ありません、副隊長殿!!」

 やけっぱちの大声で叫んだ悠人は木刀を力いっぱい振り下ろし、また千歳に罵倒される。
 別に、千歳は堂々と悠人をけなすことのできる状況にかこつけているのではない。ただ単に、一番あたりちらしやすい生徒がもっともできが悪かったという運 のない条件が重なった結果がこれなのだ。
 まあ、剣を持った経験が一番ないのは悠人であるのだから、それもやむないことといえるだろう。それを責めるのも理不尽なことであることは、千歳も理解し ている。
 が、今の彼はスピリット隊の頂点に立つ者であり、階級だけで言えば千歳の上にある者なのだ。その彼が永遠神剣の強さだけを頼りにするような者では、他の 隊員たちに示しがつかない。
 だからこそ千歳は悠人の指導に手を抜くことはなかったし、悠人自身もそれを理解しているのか真っ向から反発したことはなかった。

「よし、今日はこれまで! 各自、柔軟をした後で順々に休憩を取って。半刻後、エスペリアたちの班と合流するからね!」
「はーい!」
「あ、ヘリオンとナナルゥは残って。もう少し注意しておくところがあるから」
「は、はいっ!」
「了解」
「や、やっと終わった・・・・・・」
「あんたも居残り! 残りの時間、むこうで片手素振りと打ち込みをやってなさい!」
「なっ、なにぃぃぃぃぃっ!?」

 ・・・・・・・・・指導のやり方に差があるような気がするのは気のせいである。多分。


 任された訓練時間はあれこれ講釈を垂れる千歳だったが、彼女自身も他の訓練ではなかなかに苦労をしていた。
 幾分かましになったものの、『追憶』を携えた状態での戦闘訓練はいまだに精神と身体の動きが完全には一致しないし、神剣魔法の理論を学ぶのも手間がかか る上に効率が悪い。
 さらに千歳には龍討伐があってから新たに目覚めた技能を習得するという面倒な作業があった。
 ―――例の『白翼』と『槍』だ。

 『白翼』―――龍の翼に似た形状から『ドレイクハイロゥ』と名づけたそれは、スピリットのウィングハイロゥと同じ要領で発現できることが判明し、ネリー とシアー、そしてヘリオンにコツを教授された。
 始めの内は、それを使って空を飛ぶのはかなりの勇気を必要としたが、慣れてくればそれが非常に便利なものだと思えるようになった。
 ブルースピリットのウィングハイロゥと同じく高空飛行が可能の上、ブラックスピリットに劣らぬ速度がだせるという高性能さ。加えて盾の代用となるほどに 硬い。
 ただその大きさゆえ燃費が悪く、展開してから半刻もすれば自然消滅を免れないという欠点があるが、これにさえ目をつぶれば、それは千歳の大きな武器にな るものだった。

 一方の『槍』―――『ブルートゥスローン』と名づけたそれは、鍛錬を始めて三日目にして始めてまともな形となったまさに努力の結晶だったが、色々な意味 で厄介な力であることが判明していた。
 数日前の訓練中、千歳の手をはなれた鋭い穂先は、的となる数十メートル先の分厚い金属板を貫通しただけでは飽き足らず、背後の石壁を巻き込んでごっそり と消滅したのだ。死傷者がなかったことは奇跡だったかもしれない。
 『残虐なる茨』の名を冠するに足るこの力の前にして、これには千歳も蒼白し、エスペリアでさえも怒るより先に唖然としてしまっていた。数十分後、千歳は この魔法の使用を極力控えるようにとの忠言と始末書の束をありがたく頂戴することとなったのだが。

 悠人の方も、サードガラハムのブレスに対抗した時に目覚めた抵抗のオーラ―――『レジスト』という力を使いこなせるようになるために苦労をしていた。ど うやら悠人は能力補強のオーラフォトンに特化しているようで、他にも防御に特化したオーラや、精神集中を促す作用のあるオーラを生み出そうと四苦八苦して いた。
 もっぱらの課題は、上がる戦闘能力と引き換えに何らかの能力が鈍ってしまうことの補正だろうとエスペリアは言っている。

 ただ剣の技術面においての伸びは思わしくなく、どうやっても悠人の剣は力任せの方向に伸びて行っていた。悠人と『求め』の仲が凄まじく悪いことも災い し、それぞれが自分勝手に戦おうとすることも原因なのだろうと千歳は見ていた。
 そして、やっとの思いで悠人が編み出した技―――『フレンジー』というその技は、見事に千歳の予想が当たったものだった。
 技自体は単純な振り下ろしのみ。ただ、それの繰り出されるスピードと重さが並ではない。ブルースピリットを凌駕する攻撃力を秘めた、シールドハイロゥで すら容易く砕くであろう一撃必殺。
 それを見た時、千歳は自分の積み立ててきた経験など、絶対的な力の前では無力だと見せ付けられたような気分になり、悔しげに唇をかまずにはいられなかっ た。


「せっ、せんろっぴゃくごじゅうよん・・・・・・せんろっぴゃくごじゅうごっ・・・・・・」
「気を入れなさいと言ってるのよ! 死にかけたゴキブリみたいな声出せなんて言われてないでしょうが!」
「ぐうううううっ・・・・・・せんろっぴゃくごじゅうしち・・・・・・ぃっ!!」
「脇があまい! 剣を安定させろって何回言わせるつもりよ、この史上最悪バカ!」
「・・・・・・・・・ぐぅ」

 ―――ぱた。

「キャ―――ッ! ユート様―――ッ!?」
「・・・・・・あ、あら。あなたたち、いつからそこにいたの?」
「・・・・・・ん。さっきから、ずっと、見てた」


 ・・・・・・・・・重ねて言うが、指導のやり方に差があるような気がするのは気のせいである。きっと。



 第二詰め所 浴場

「わ〜〜〜いっ!いっちばんのりぃ!」
「あ〜っ!!オルファ、まてぇ〜〜〜っ!!」
「こら!二人とも、先にちゃんと体を洗いなさ―――」

 ―――どっぱ―――ん!ざ、ざざ・・・・・・・・・。

 反響する声と白い蒸気の中で、オルファとネリーが同時に勢いよく湯船に飛び込んだ音が千歳の耳に届く。
「・・・・・・・・・まったく」
 ため息を一つはき、ほどいた三つ編みを頭の上でまとめてから、千歳も二人に続いて浴場に入った。
 まずは水遊びでもする様にお湯をひっかけ合いながら、きゃっきゃっと笑い声を上げる少女二人を湯船の中からつまみ出す。たっぷりとお説教をした後、二人 の真似をしたそうにうずうずしているシアーを牽制し、やっと千歳は自分の世話に回ることができた。

 訓練を終えたスピリットたちは、何をするにもまずはそれぞれの宿舎の風呂に入るのが通例だったが、その日の千歳とオルファは第二詰め所の浴場に訪れてい た。
 何故、千歳が第二詰め所にきているのかといえば、簡単に言えば彼女たちのお守りのためだ。
 原因はハリオン、ヒミカ、セリアの三人は出払い、ファーレーンが臥せっているため、現在第二詰め所を仕切るものが一人もいなくなってしまったことにあ る。年少の者たちだけでは色々と大変であろうとエスペリアと千歳が彼女たちの世話を焼くことにしたのは、どちらともなく自然と始まった流れだった。
 千歳にはこちらの食材のことがまだよくわからないので、食事はエスペリアに用意してもらったが、それ以外の一通りの家事はハイペリアでの常識とほとんど 変わる事はなく、エトランジェの自分でも十分にこなすことができた。
 一緒に食事をして片付けを済ませた後、少しの間乞われるままに自分の知る遊びを教え、早めに彼女たちを寝かしつける。やっているのはほとんどそれだけな のに、千歳は彼女たちのあどけない寝顔を見るたびに心を満たす暖かいものと、胸を刺すような痛みを感じていた。

 まだ、戦争は始まっていない。
 サードガラハムが倒れたことにより、ラキオスとバーンライトの国力には大きな差が開いた。次の戦争が自分たちの正念場であることを理解したのだろう、と たんに各地で続いていた小競り合いがぱたりと止み、バーンライトは自国の兵力を各都市で集中させているそうだ。
 単純な兵力差を考えれば、バーンライトを落とすことは不可能ではないだろう。そうなれば不安要素であるサルドバルトも地理的に隔離され、大人しく『龍の 魂同盟』に従うしかなくなるはずだ。だが、それに連動して敵の同盟国であるダーツィ、サーギオスがどこまで動くかは予測できない。
 どこまで、戦争が泥沼化するのか。いつまで、この少女たちをそんな下らないことにつきあわせるのか。
 千歳はそれを考えるたびに、自分の無力さを恨めしく思うのだった。

「はぁ・・・・・・ん?」
 最近ため息が多くなったと思いながらまたため息をついていると、戸口から誰かが入ってきたので千歳は何気なく振り返った。
「あっ・・・・・・」
「あ」
「あら、ファーレーンに・・・・・・ニムントール、でよかったわよね?もう起き上がっても大丈夫なの?」
 入ってきたのは上の部屋で寝ているはずの、暗緑色の髪の女性と、明るい緑髪の少女の二人だった。
「は、はい。あの、申し訳ありません。エトランジェ様の入浴のお時間とは知らず・・・・・・」
「私の事は気にしないで・・・・・・もしあなたたちが、私といるのを気に入らないのならしかたがないけど」
「いいえ! そんなことは・・・・・・」
「・・・・・・・・・フン」
「あっ、ニ、ニム!?」

 ニムントールは軽く鼻を鳴らすと、千歳から顔を背けてヘリオンとナナルゥが体を洗っている方へすたすたと行ってしまった。
 ファーレーンは困ったようにニムの背中と苦笑する千歳の顔を交互に見、やがて千歳の近くに腰を下ろした。
「すみません・・・・・・あの子、ちょっと気難しくて」
「構わないわ。あれも普通の反応だと思うもの・・・・・・あ、まだ一人じゃやりにくいでしょう?」
「平気ですよ、これくらい―――あ痛ッ!」
 ファーレーンが手桶を持とうとして肩口を押さえる。
 彼女が負った怪我は、肉体を構成するマナ自体に深いダメージを負わせているらしく、表面上は治っていてもまだ予断のならない状態なのだ。
「無理しないで。背中くらいなら、私が流すわ」
「エトランジェ様・・・・・・申し訳ありません」
「できれば、名前で呼んでもらえない? 私の名前はエトランジェじゃなくて、千歳よ」
「あ、はい、チトセ様」
 千歳は海綿状のスポンジを泡立たせると、ファーレーンの背後に回った。

 それにしても、と千歳は思う。
 どうしてスピリットたちというのは、こんなにも綺麗な娘ばかりなのだろうか。
 皆、顔立ちの造作が整っているだけでなく、こうして近くで見ても白い肌には腫れ物一つない。手傷を負ってもグリーンスピリットが手当てをすれば、その傷 跡はかすかにも残ることはない。
 それほど自分の容姿に気を使わない千歳でも少し羨ましくなってきてしまうが、それと同時に疑問がわきあがってもきた。
 城の人間たちはクズばかりだ―――少なくとも一人を除いては、というのが千歳の主観だった。しかし貴族ぶった誇りをひけらかす者から、品性からして下劣 と言ってもいい者たちまで、彼女たちを慰み者にしようとするものは一人としていない。
 無論それに越したことはないし、その様な不埒者がいれば絶対に許さないが、千歳にはとても不思議に思えてならなかった。彼女たちの多くは人間からの支配 に屈しているし、もし心無い輩に強く求められれば断りきることは難しい気がする。彼女たちが大事な戦力であるからか、とも思ったがどうもピンと来ない。
 人間とスピリットたちの間にある壁、それが自分の考えているようなものではないのかもしれないと思いながら、千歳はもやもやした謎を手桶の中のお湯と共 に洗い流した。

「髪はどうするの?」
「片手なら大丈夫ですから、自分でやります」
「じゃあ、これで終わりね」
「あの、本当にありがとうございました」
「なんでもないわ、これくらい」
 千歳はそう言うと、冷えた体にお湯をひっかけてからシャンプーの入った瓶に手を伸ばす。
 身なりに気を使わない千歳が、唯一手入れを怠らないのが彼女の髪だった。
 ここ十年、はさみを入れたことのない鴉の濡れ羽色の髪を一房ずつ丹念に洗っていくのは時間と根気とシャンプーを大量に使うが、それを面倒と思ったことは 今まで一度としてない。
 比較的短い髪を手早く洗い終えたファーレーンは、ハイペリアのものよりも使い勝手が悪いシャンプーと格闘している千歳をちらりと見やると、おずおずと話 しかけてきた。
「あの・・・・・・もしよろしければ、お手伝いしましょうか?」
「そう?―――じゃあ、お願いしようかしら。こっちの方、頼むわね。でも、無理はしないでよ?」
「ええ」
 ファーレーンの好意に甘え、二人がかりでシャンプーの瓶を軽くしていると湯船のほうからまた水音が荒々しく響いた。
 わざわざそちらを見なくとも、またオルファたちが飛び込んだに違いなかった。

「ほぉ〜ら、オルファ! これでもくっらえ〜ッ!」
「わぷっ! やっ、やったなぁ〜!? ていやぁ〜〜〜っ!」
「ちょ、ちょっと! ニムの所にお湯とばさないでよッ!」
「きゃはははっ! はっずれ、は・ず・れぇ〜〜〜っ!」
「あ、あわわわ・・・・・・二人とも、さわいじゃだめだよぉ・・・・・・」
 とたんに騒がしくなった湯船に向けて、千歳は声を荒げる。

「こらっ! 二人とも、静かになさい!! 静かに・・・・・・あぁ、もう! ヘリオン、ナナルゥ、二人を止めて!!」

 背を向けたままでは二人とも言うことを聞かないと判断し、手が空いている二人に助力を願ったが、この時人選を誤ったことを千歳は後に痛烈に後悔すること になる。
「え、えぇ〜っ!わっ、わたしですかぁっ!?」
「了解」
 ヘリオンはまごまごしながら二人をたしなめようとするが上手く行くはずもなく、ナナルゥは承諾の返事を返しながらなにを思ってかさっさと更衣室の方へ出 て行ってしまう。
 二人が当てにならない事を知った千歳は、しかたなく、まずは自分の髪を洗い終えてしまおうと手桶にすくったお湯を一気に頭からかぶった。しばらく洗剤を 落としながら耳元で流れる水音を聞いていると、再び背後で更衣室に続く扉が開いた音が耳に届いた。

「警告します。今すぐに抵抗を止め、投降しなさい―――さもなくば、攻撃を開始します」

 すべての声が反響する風呂場の中で、ナナルゥの声がやけにはっきりと聞こえた。
 どうやら、いなくなってしまったわけではないようだ。しっかりとした声で注意を促しているし、これは安心か――――――。


 ―――・・・・・・・・・『攻撃』?


 ワンテンポ遅れて感じた疑問と戦慄に身震いし、首の骨が鳴るぐらいの勢いで振り返った千歳の視線の先には、素っ裸のままダブルセイバー型の永遠神剣 ―――『消沈』を手にしたナナルゥが戸口に仁王立ちしていた。
 最悪なことに、お互いにしか意識が向かっていないオルファとネリーはナナルゥのことが目に入っていない。
 警告を無視されたナナルゥは、無表情のまま『消沈』を手にした方とは逆の手を真っ直ぐに風呂桶に向けて突き出す。

「ちょっ、ちょっと待ちなさ――――――!」

 千歳が慌てて止めようとするが、手遅れだった。
 真紅の輝きが視界を塗りつぶす。
 ―――あぁ、馬鹿やったなぁ。
 爆発が収まった後。自分のミスを悔やみながら、千歳は側面を破壊された風呂桶から流れ出すお湯を気の抜けた顔で見つめるしかなかっ た・・・・・・・・・。


 第二詰め所  広間

「ハッ・・・・・・ハッ・・・・・・ハーックション!」
「―――クシュッ!」
「ヘックシ!」
 大小様々なくしゃみが轟く広間で、千歳は小さくため息をつこうとした。
「・・・・・・クシュンッ!」
 が、代わりに首筋を撫でる夜半の空気に身震いし、自身も小さなくしゃみを吐き出す。
 使い物にならなくなった風呂桶から少女たちを引き上げる内に、皆、すっかり湯冷めしてしまっていた。
 ファーレーンとニムントールを早々にベッドに送り、鼻水をこらえるヘリオンとシアーに毛布をかぶせると、千歳はオルファ、ネリーそしてナナルゥに厳重に 注意したが、もしナナルゥの魔法が壁を砕いていたなら、これに加えて即刻城に呼び出しをくらっていただろう。どちらにせよ、風呂桶の修理を手配しなければ ならないので呼び出しはくらうだろうが、この時間帯にそうなるのと明日改めてやるのでは大きな差がある。

「うぅ・・・・・・寒いですぅ・・・・・・」
「ですぅ〜〜〜」
 毛布に包まりながら震えているヘリオンたちに、千歳は鼻をかんだ紙を屑篭に投げ捨ててから言った。
「もうすぐ、エスペリアが夕食を持ってきてくれる筈だから・・・・・・それが、スープか何かであることを願うしかないわね」
 鳥肌のたった二の腕を服の上からさすりながら、千歳はぼやくように呟いた。
 その時、必死さがひしひしと伝わってくる半泣きの声が、千歳の座るイスの背後から聞こえてきた。

「ママ・・・・・・ぁ、もう、ネ、ネリーたち・・・・・・そろそろ、限界、なんだけど・・・・・・クシュッ!」
「そ、そろそろ・・・・・・オルファも・・・・・・そっちに、いきたい、なぁ・・・・・・」
「・・・・・・・・・同意します」

 風呂場の一件でのお仕置きとして、壁に向かい、床の上に直に正座をさせられたネリー、オルファ、そしてナナルゥの三人だ。そろそろこの体勢に入って三十 分は立とうとしている。
 慣れない姿勢と部屋の隅に追いやられる精神的苦痛はなかなかのものであることは千歳自身、身をもって幼少期の折に体験した、効果のほどは折り紙付きの代 物である。
 千歳はそろそろ潮時かと思い、それでも一応、確認のため口を開いた。
「・・・・・・オルファ、『はしゃぐ時は』?」
「『ま、まわりの、じょうきょうを考えましょう』・・・・・・」
「ネリー、『注意されたら』?」
「え、えっと・・・・・・『い、一回で、聞き分けます』」
「ナナルゥ、『器物は』?」
「・・・・・・『なるべく破壊しないよう、心掛けます』」
「よろしい。足をくずしていいわよ」
「はぁ〜〜〜っ、やっと終わっ――――――!?」
「あ、足がしびれて、痛い、いたい、いた――――――!!」
「―――――――――!!??」
 足をくずそうとして筋肉に走った恐ろしいほどの痺れに、三人分の声にならない悲鳴が上がる。
 千歳はそれを満足そうに聞き届けた後でイスから立ち上がり、シアーたちの畏怖の視線を受けながら腹這いになっているオルファたちの元に近づいていった。
 ぐったりとして、時おり体を痙攣させている少女たちを昔の自分の姿と照らし合わせてくすくすと笑い、そっとオルファのふくらはぎに手を伸ばした。

「ぴきゃっ―――!?」
「ほら、力を抜いて・・・・・・少しほぐしておかないと、明日の朝がひどいわよ」
 手馴れた動作で三人のふくらはぎからかかとまでをマッサージしていくと、三人は三者三様に身悶えた。
 三人がなんとか立ち上がれるほどに回復する頃、ようやく玄関の戸が叩かれる音が聞こえてきた。
 エスペリアが食事を運んできてくれたに違いないと、オルファは喜び勇んで走り出そうとしたが、一拍置いて腰が砕けるようにその場に座り込む。ネリーが面 白がってその足をつっつくと、オルファは悲鳴を上げて、ごろごろと床を転がった。
 楽しそうに悲鳴を上げながらお互いの足をつっつきあい始めた二人に、ほどほどにしておけと忠告して千歳は玄関先に向かった。
 玄関先にいたのは、千歳の思ったとおり今晩の夕食を持ったエスペリアだった。パンの入ったバスケットを肩に通し、スープが入った大鍋を両手に携えてい る。一人が持つには重過ぎるものなので、ひょっとしたら『献身』の力を使っているのかもしれない。

「いらっしゃい、エスペリア。今日は少し遅かったわね」
「チトセ様―――。お待たせしてしまったのなら、本当に申し訳ありませんでした」
「・・・・・・・・・?」
 エスペリアがふわりと微笑む。
 だが、千歳はその微笑みにあの影を見たような気がした。
「あら? 随分とにぎやかですけど、何かあったのですか?」
 オルファとネリーがお互いの足を触ってばたんばたんとしている音がここにまで聞こえてきて、エスペリアは玄関先からそれをのぞきこむように千歳から顔を そらした。
 その動きがどこか演技くさく、千歳はますます顔を訝しげにしかめたが、このままこうしていても埒が明かないのでとりあえず彼女の料理を台所まで運ぶのを 手伝おうと思った。

「ええ。オルファたち、エスペリアのご飯を楽しみにしてるのよ・・・・・・早く運んでしまいましょう、手伝うわ」
「あ、はい。では、こちらをお願いします」
 エスペリアは大鍋を下ろしてパンの入ったバスケットを差し出した。わざわざ軽い方を差し出す所がエスペリアらしく、少し苦笑してそれに手を伸ばした。
「わかったわ、それじゃ・・・・・・!?」
 さっさと運んでしまいましょう。
 そう言おうと思った唇が凍りつき、持ち手がかかった指がこわばる。
 千歳に預けられようとしていたバスケットが二人の腕からこぼれ、鈍い音と共に地に落ちた。

 ―――どさっ。

 形のそろえられた丸パンが地面に転がる。
「ど、どうなさったのですか? あぁ、パンが・・・・・・」
 落ちたパンを拾おうと腰をかがめようとしたエスペリアの腕を、千歳はとっさに乱暴につかみ、引き寄せた。
「きゃっ!? チ、チトセ様・・・・・・?」
 エスペリアがうろたえた様な、困惑した様な声を出す。
 が、千歳も彼女に負けぬほど混乱していたのだ。ただ、その混乱の理由を認められず、沸点を通り越した感情が瞬く間に冷え切っていく。

 緑を基調とした衣服、柔らかい栗色の髪、穏やかな翡翠の瞳―――。
 すべて、いつもどおりのエスペリアだ。
 そう、見かけは同じ。見かけは。

「エスペリア、――――――『それ』は何?」

 自分の口からこぼれた声は、彼女に一度もしたことのない寒々と冷たいものであった。
「チ、チトセさま・・・・・・?」
 狼狽した声にさらに目を鋭く細め、ごまかしは許さないと千歳はエスペリアの瞳をにらみつけた。
 大きく息を吸い込むと、千歳の鼻腔にはエスペリアの香りに混じってかすかに、それでいて吐き気がこみ上げる匂いがはっきりと飛び込んできた。それは、彼 女からするはずもない、千歳の嫌悪するもののそれ――――――。


 ――――――牡の、体臭。


「・・・・・・・・・あいつ、なのね?」
 千歳の言葉に、エスペリアの顔がさっと青ざめた。
「ちっ、違います・・・・・・! これは・・・・・・」
 エスペリアが必死で弁解しようとするのを置き捨てて、千歳はエスペリアの腕をさっと離すと身をひるがえし、闇の中へ大きく足を踏み出した。
 背後から千歳を呼び止めようとするエスペリアの声が追ってくるが、聞こえない。足場の不確かな砂利道を、わずかに足を踏み外すこともなく、ずんずん突き 進む。
 千歳は胸の中にこみ上げる吐き気を押さえ込みながら、ぎりぎりと音を鳴らして歯を食いしばった。


 ※※※


 整然としただだっ広い部屋の中で立ち尽くす自分がいる。
 いくつもの扉がある中で、一番奥の半開きになったドアから聞こえてくるかすかな声。

 ―――何ヲシテイルノ?

 ゆっくりと近づいていくと、つんとくる異臭が鼻をつく。
 訳もなく足の筋肉がこわばり、それ以上進むことを拒否しようとする。

 ―――何ヲシテイルノ?

 震える足を前に出しながら、より強くなる異臭に息を詰まらせる。
 聞こえてくる音がより鮮明になり、それがいくつもの音が混じりあっているものだということを知る。

 ―――何ヲシテイルノ?

 足の震えが指先まで伝わり、ノブの高さに持ち上げた腕がよりひどく震える。
 それでも、もう止められない。
 この場から逃げ出してしまいたいと強く願うのに、体は勝手に進んでいく。

 ―――何ヲシテイルノ?・・・・・・ュ・・・・・・・・・

 千歳の指先に冷たいノブにかけられる――――――。


 ※※※


 ―――ばあぁん!

 荒々しい音と共に玄関の扉を乱暴に開ける。
 後ろ手に勢いをつけてドアを投げ出し、ちゃんと閉まったかの確認などせずに千歳はずかずかと廊下を進む。
 千歳はただ一つのドアを目指して進み、目の前に現われた扉に向けてノックもせずにそれを押し開いた。

 そこにはまるで死刑囚のような顔をした悠人がベッドの縁に座り込み、床の一点を見つめていた。
 自分の部屋に押し入ってきた千歳に顔も向けず、悠人はうなだれたまま動かない。
 千歳はそれでも構わぬとばかりに、彼の目の前まで歩み寄ると冷たく、感情が死んだ声で呼びかけた。
「弁解は、ないわね」
「・・・・・・・・・あぁ」
 小さく、呻くような声だったが、確かな返事がかえった。
「一応、聞いてあげる。あれはあんたの意志? それともそれの所為だというの?」
 そう言って、ベッドの足に立てかけられた『求め』に顎をしゃくる。
 悠人は一言も答えずに、ただ、ゆっくりと顔を上げた。
 悲しそうな、辛そうな表情。今にも叫び出したいのに、それができないという顔を見て、千歳は自分がいない内にこの館で何があったのか、大方の所を理解し た。
 だが、それでも勘弁するつもりなんてなかった。
 硬く握りしめた拳を震わせて、大きく振りかぶる。

 腰の入った正拳の一撃が、悠人の頬骨を穿った。

 悠人の顔が横に揺らぐ。
 千歳は振り下ろした拳を震わせて、大きく肩で息を吐いた。
 ずきずきと痛む指を引き戻して自分の横にだらりと下げると、それに応じるように悠人の顔が元の位置に戻る。
 頬が内出血で黒ずみ、唇を切ったのか少し血を流していた。
 ぽとり。したたる雫をぬぐいもせずに、悠人はまた床に視線を向けていた。
 苦しい程の静寂が二人の間に流れる。
「――――――ッ」
 やがて、千歳が唇を噛みしめて背を返し、ドアの方へ向かう。
 指先がドアにかかった時、短い声が千歳の耳に届いた。


「悪い」


 千歳はぴくりと肩を揺らしたが、それ以上語る言葉はないとドアを元の位置へと叩きつけたのだった。


 ラキオス城 書庫

 いつの間にか文官の顔ぶれがすっかりと変わった書庫の一角は、相も変わらず薄汚れていた。
 千歳は本を引き出すごとに舞い上がる埃に辟易しながら、なんとか求める本を集めていく。集めているのは、スピリットを中心とした部隊の編成や、スピリッ トたちの集団戦闘における兵法を記したものを中心としたものだ。
 悠人と千歳がスピリット隊の重職に任じられてより後、エスペリアから学ぶ事柄もそれに関連してきたものが自然と増えてきた。

 気になっていたスピリット隊の指揮系統などについても、わずかずつながら知識をつけることができた。
 スピリット隊隊長とは、軍部においてのほぼトップとも言える権限を持つこと。その一任においてかなり重大な事柄―――例えば軍事施設の建築や撤去、定め られた割合とはいえ、大量のエーテルを如何に使用するかを自由にされるといった権限を持つこと。
 そして、理由は不明だが・・・・・・ここ数年の間、スピリット隊隊長の職は空席であったということ。
 副隊長の自分には、隊長の補佐の他に、王族または隊長の承認を得られれば隊長権限とほぼ同程度の権力がふるえるそうだ。
 話によれば、エスペリアはいわば参謀であり、階級的には千歳と同格となるらしい。

 そんなことを思い起こしていると、千歳のいる本棚の向こうから誰かが小走りに駆けてくる気配がした。
 向こうもほぼ同時に本棚の陰にいる自分の気配を感じ取ったらしく、さらに速度を上げ、逃げ道をふさぐようにさっと本棚の間から姿を現した。

「さぁ、見つけましたよ! 今日こそはおとなしく―――チ、チトセ様ッ!?」

「エ、エスペリア・・・・・・?」
 オルファたちの悪戯の現場を押さえたような時の顔をしたエスペリアは、早口でこちらに詰め寄ろうとし、それが千歳であることに気づくとうってかわってう ろたえた表情を見せた。
 千歳の方も、あの時以来どうもギクシャクとしていたエスペリアと思いがけぬ形で顔をあわせ、どうしたらいいかわからない。
 しばし無言のまま立ちつくし、千歳は思い切って口を開いた。
「だれかを探しているの? また、オルファたち?」
「えっ―――!? えっ、え、え、えぇ。そ、そ、そうなんですよ。ええ。ちょっとオルファたちを探していたんですけど、チトセ様と、見間違えて、しまっ、 て・・・・・・・・・」

 エスペリアはもごもごと言いよどみ、しだいに眉を寄せる千歳から気まずそうに目をそらせた。
 悪戯の先導者、オルファやネリーたちと千歳の背格好は似ても似つかない。たとえ千歳が膝を抱え込んで丸まっていても、彼女たちと『見間違える』様な者は いないと断言できるだろう。
 だが、それを指摘するにはどうにも気まずく、千歳はなんとか取りつくろった笑顔でエスペリアに微笑みかけた。
「・・・・・・私も、手伝いましょうか?」
「い、い、いえ、とんでもありません!! あ、いえ、ど、ど、どうぞお気になさらないで下さいませ。し、失礼いたします・・・・・・・・・」
 まるでヘリオンのようにどもりながら、エスペリアはらしくもなく、あたふたと逃げるように走り去ってしまった。
「・・・・・・・・・なんなのよ一体」
 しばし呆然と彼女の背を見送ったが、気にしても仕方がないと自分に言い聞かせ、千歳はため息を吐いてまた本棚に積み上げられた埃と書籍に意識を向けた。

 エスペリアには他にも色々と教えてもらうことが増えてきたというのに、その矢先に『あれ』が起き、以来、三人はどうも以前どおりにふるまうことができな い。
 悠人とエスペリアの間には冷たい空気が流れ、自然と千歳と二人の間にもしこりのようなものができてしまっている。・・・・・・まあ、それを差し引いても 今のエスペリアは不自然だったが。

 誰が一番悪かったのか、と聞かれれば千歳は迷わず『悠人だ』と答えただろう。
 エスペリアが人間に向けてなんらかの隔たりを自らに強いていることは、同じ穴の貉同士よく分かっていた。多分、エスペリアは悠人が権力を手にしたこと で、自分の周囲を取り巻く人間たちのように振舞うようになると思ったのではないか。千歳はそんな風に思っている。
 だからこそ、悠人が他の隊員たちに手を出す前に自らの身を差し出した。―――あの晩のことは、おそらくそんなことだったのだろう。
 その時、悠人は―――自分はそうではないというのならば―――はっきりとエスペリアを止めるべきだった。彼女を止め、お互いの胸のうちを洗いざらいぶち まけてしまえばよかったのに、結局悠人の優柔不断さのせいでくだらない行き違いが生まれてしまった。

 そして残念ながら、あの二人の悶々とした雰囲気に挟まれて勉学に励めるほど、千歳の精神は図太くできていなかった。
 というわけで、千歳は以前にもましてこの書庫に通いつめて独学の割合を伸ばそうと考えたのだが、千歳の思った以上に、求める本はなかなか見つからない。
 その一つの理由としては、スピリットについて書かれた本自体が、想像以上に少なかったことがある。考えてみれば、ハイペリアでも奴隷制が生きていた頃は 彼らについて書かれた本などそう多くはなかったかもしれない。
 加えて、スピリットについての本を著するような者もまた、非常に少なかった。
 あったとしても、そのほとんどがスピリットを国の資産としてみる文官たちや、彼女たちを消耗品と言ってはばからない王族の類のため、千歳の求める知識は 一切かかれていなかった。
 そういった本に出会うたびに、千歳は時間を無駄にされたことと、ファンタズマゴリアの人間どもの腐敗ぶりに不快な気分になるのだった。

「まったく、イヤに、なるわ、よ・・・・・・ねっ!?」
 ―――ばさばさばさっ!
 背伸びをして、千歳の背丈よりもわずかに高い棚にあった本を引き出した時、両隣に会った数冊の本が巻き込まれて床に落ちてしまった。
「・・・・・・はぁ」
 ため息を吐いて、散らばった本を集めなおす。
 ハードカバーの厚めの本が多く、一々もどすのも面倒くさいことこの上ない。
 背表紙の色だけを見て、似通った本の多い棚にでも突っ込んできてしまおうか・・・・・・。
 そんなやましい事を考えながら、千歳は背表紙に題名も著者も何も書いていない漆黒の革張りの本を手に取った。

「? 何かしら、これ・・・・・・?」

 ぱらぱらと前半部をめくって内容を確かめた時、千歳はわずかに目を見張った。
 それは本というよりも、手書きのノートを集めたような代物だった。インクがにじんで少々読みにくい所も多いが、千歳の目を引いたのはその内容だった。
 各スピリットの属性に応じた部隊の編成・・・・・・敵地においての自軍運用・・・・・・僻地戦においての留意事項・・・・・・。いずれも、千歳の喉から 手が出るほど必要な知識ばかりだ。
 慌てて表紙を丹念に調べる。
 すると元は金で圧されていたと見られる字体の跡が、かすかに見て取れた。

『スピリッ 考察 〜軍   要た 者たち〜      リット隊       マ・ル   マ著』

 意味もなく、ぐっとこぶしを握った。
 どうやら今日はツいているらしい。
 千歳は意気揚々とそれを外套の中にしまいこみ、適当に残りの本を棚の中ほどにしまいこんで今日の本の探索は切り上げた。千歳のポケットの中には、今もあ の王女直筆の許可証が納められている。木っ端役人に見咎められた所で痛くも痒くもない。
 しかし、もしこの時、千歳が注意深くその内容を吟味していれば、彼女は違う行動を取っただろう。あるいは、この場にまだエスペリアが残っていたならば、 千歳 が懐にしまいこんだ本をどうあっても戻すように進言したかもしれない。
 それほどまでに、千歳が手にした本は『最悪の大当たり』だったのだ。

『スピリット考察 〜軍務の要たる者たち〜  スピリット隊隊長 ソーマ・ル・ソーマ著』

 それこそが、その本にかつて圧されていた金字のすべてであった・・・・・・・・・。


 ラキオス城 城門周辺

 千歳には中世の王城がどのような構造になっているかについての知識はなかったが、このラキオス城がかなり強固な砦であることはわかっていた。
 多くの一兵卒がすべての城門を絶え間なく監視し、そのすべてが近くに警鐘を置いた上に呼び子を携帯している。そして、王城から城壁にかけてはほぼ等間隔 にスピリットたちが駐屯する施設が設けられ、常時、迎撃に備えられた造りになっている。

 千歳はまるで囲いの中にいるようだと思いながら石積みの城壁を見上げ、次にここからは遠くに見える王城へ首を傾けて目を細めた。遠目から見れば、それな りに美しい、幻想的な光景なのだが・・・・・・。
「・・・・・・私にとっては、魔王の城ね」
 囚われの姫を気取る気など毛頭ないが、人の皮をかぶった妖怪どもの巣窟の呼び名としてはこれぐらいが妥当だろうと千歳は思う。
 それに事実、本当の囚われの姫は今もあの中にいるのだから、まったくの間違いではない。 

 先日、佳織との面会が謁見の間で許されたが、千歳は悠人についていくことができなかった。
 冷たく突き放すように、『あんた一人で行きなさい』と言った千歳に対して、悠人はなにを勘違いしたのか『サンキュ』と小さく礼を言っていた。
 千歳にとっては、ついこの前、堂々と本人の目の前で救出作戦を失敗させ、あまつさえ見捨てたのも同然にすごすごと逃げ帰った自分にそんな権利はないと 思っていたし、何よりもお涙頂戴の兄妹再会劇に立ち会わされるなんてまっぴらごめんなだけだった。

 自嘲気味に軽く鼻を鳴らして城から顔をそむけようとした時、ふと、何かが傍にある林の方からがさごそとなにかが動いているような音がかすかに聞こえてき た。
 ウサギか何か―――この世界にも似たような生物がいるかもしれない―――でもいるのかと、千歳は少し気になって茂みの奥へ足を運ぶ。
 太い木々が何かを隠すように連立しているため、奥の様子はなかなかに知ることができず、千歳は『追憶』の力を少し使い、ほどよい枝の上に飛び乗った。 ひょい、ひょいと木の枝を飛び移り、先の物音がした方へ近づいていく。
 そこには、色々な意味で千歳の目を疑わせる光景が広がっていた。

「う〜〜〜ん・・・・・・う〜〜〜ん・・・・・・・・・」

 一つの白い塊が、巨木のまえにへたりこんでなにやらうんうん言っている。無論、ウサギの類であるはずもなく、よくよく見れば自分の良く知るスピリット隊 の制服を着た少女であることが見て取れた。
 お腹でも痛いのかと気づかう前に、何故こんな所にいるのかと尋ねたくなるのも無理はないだろう。千歳は色々と自分の中で膨れ上がる疑問の中から、最も基 本的な問いを口にした。

「・・・・・・・・・何をしているの?」

「わきゃあぁ――――――っ!」
 なにやら愉快な悲鳴を上げて、少女がもんどりうって尻餅をついた。
 少女は痛むお尻をなでつつ、きょろきょろと小動物並みの素早さで周囲をうかがう。だが、横ばかり見ているせいで、少女の上にたたずむ千歳を見つけること はできない。

「だ、だ、だ、だ、だ、だれっ!? お化けっ!?」

 えらい言われように苦笑しながら、千歳はそっと枝の上から飛び降りて、少女の背後に立った。
 枯れ葉を踏み砕く音に少女ははっと振り返り、そこに立つものを認めてさらに目を見開く。すれ違う人間たちは千歳を見たとき同じような反応を示す。普段は さして気にしたこともないが、千歳はこの時ばかりは同じように大きく目を見開いていた。
 少女は千歳の良く知る制服を身につけ、ヘリオンと同じように黒髪を二つにくくっている。大きな瞳が瞬きもせずに、凍りついたようにこちらをじっと見つめ ていた。

「・・・・・・・・・あなた」
「あっ!えっ、っと、あっ―――!」
 話しかけようと口を開いた瞬間、少女はわたわたと立ち上がりながら千歳の言葉を遮るようにサイレンのように叫んだ。なにを思ったか唐突にびしっと敬礼 し、少女ははきはきとしゃべりだす。

「はっ、初めてお目にかかります! わたし、この度ラキオス城の警備に回された者です! エトランジェさんとは初見になりますが、以後よろしくお願いしま す! 以上! では、さような―――」
「待ちなさい」

 ―――ぎゅ。

「ぐぇ」

 勝手に自己紹介してさっさと立ち去ろうとした少女の後ろ襟を、千歳は素早く鷲づかみにした。腕を緩めぬまま、逃がさないように質問を始める。
「あなた、所属はどこ?」
「お、王宮警備班、第三班です」
「・・・・・・自分の神剣はどうしたの?」
「い、今は・・・・・・宿舎のほうに・・・・・・」
「・・・・・・・・・神剣を持たないで、警備? へぇ・・・・・・よほど自分の腕に自信があるのかしらね?」
「そ、それは・・・・・・あ、あははは・・・・・・」
「ふっ、ふふふふ・・・・・・」
 苦しい笑いと乾いた笑いがしばし流れる。
 千歳はため息をはくと、少しまなじりを吊り上げて少女を見下ろした。


「それで、これはどういうお戯れなのかしら―――レスティーナ王女殿下?」


 ―――ピシッ。


 少女の顔が一瞬にして凍りつく。
 だが、すぐに恐るべき精神力で平常心を持ち直すと、少女は訳が分からない、という顔を作った。
「えっと、何のことだか、わたしにはさっぱり・・・・・・」
「・・・・・・わからない?」
「は、はい・・・・・・」
「そう・・・・・・」
 大きくため息をつくと、千歳は軽く息を吸い込んで背後を振り向いた。

「では、職務怠慢ということでその辺の兵士にでも引渡すとしましょうか。だれかいな・・・・・・! む ぐっ」
「わぁ――――――っ! わ、わ、わわわぁ――――――っ!」

 少女は大慌てで千歳の声を掻き消そうと叫びながら、その口をふさいだ。
 千歳は両手で口を押さえ込まれたために少し苦しい思いをしたが、ゆるりとその手を振り解いてじっと少女の紫紺の瞳を見すえた。
「・・・・・・では、話してもらえるのかしら?」
「・・・・・・・・・」
 静かな千歳の問いかけに、少女の―――レスティーナの瞳が揺れる。
 一瞬、無邪気な瞳に厳しい光がよぎり、それが千歳に彼女があの白いドレスの王女である事を確信させた。
 こうしてスピリット隊の制服を着込んでいるのは、他の一兵卒たちの目を引かないためだろう。通常、スピリットたちは非常時以外そこにいない者とされてい るので、少し毛色の変 わった者がいても人間たちは大した注意も払わない。
 それを目的としてレスティーナがこれを着込んでいるのなら、つまり彼女は忍びの用でここにいることとなるが・・・・・・。

「おい、本当にこっちから聞こえてきたのか?」
「あぁ。確かに人の声、だと思ったんだが・・・・・・」
「気のせいに決まっているだろう。何を好き好んでこんな所に入り込む奴がいるっていうんだよ?」

 その時、先ほどの声を聞きつけたのか、背後から兵士が何人かこちらに近づいてくる気配がした。
 レスティーナははっとそちらに顔を向けると、千歳にすぐに向き直って小さい声で叫んだ。
「―――手を、貸してください!」
 突然、王女の口調で話しかけられやや面食らったが、千歳も近づいてくる声を耳にし、レスティーナの顔を真剣に見つめ返した。はったりで読んだ自分の声の せいで王女に不利益なことがあれば、いろいろと面倒なことになりかねない。
「・・・・・・何をすれば?」
「こちらへ!」
 レスティーナは千歳が最初に見た時、彼女がうずくまっていた場所へと向かう。
 千歳はそれに続き、レスティーナが指し示すものを肩口から覗き込んだ。そこには、木の根に挟まれるようにしてちょうど腕一本が入りそうな穴が草に隠れる ように開いていた。
「これに腕を入れてください。一番奥に取っ手があります」
「どれ? ん・・・・・・っ」
 千歳がその中に手をいれてその奥を探ると、すぐに硬い金属器に指が触れた。
「―――あった」
「それを引っぱるのです・・・・・・あぁ、早く!」
 確実に近づいてくる声にレスティーナは焦った声を出す。
 千歳は無理な体勢で苦労しながらもそれを強く引いた。しばらくして、がこん、という音がすると共に大きな手ごたえが返る。
 レスティーナは千歳が自分の指示どおりにしたかを確かめる前に、木の傍に転がっている大きな岩に手をかけた。でこぼこの、大人が五人がかりでも動かすの は容易ではなさそうなそれは、千歳の目の前で中ほどから卵の殻のようにぱっくりと開く。その中には沿うやら大きな空洞があるらしく、レスティーナは迷うこ となくその中に片足を入れた。
 千歳が目を見張っている内に、レスティーナは岩の中から生まれた空洞に入っていく―――やがて頭を除いてすっかり姿が見えなくなると、それが千歳のほう をぐるりと向いて苛立たしそうに叫んだ。

「何をしているのですか! そなたも、早く!」

 千歳は自分が間抜けにもぽかんと口を開いていたことを始めて自覚し、慌てて口を閉じるとレスティーナの下に駆け寄った。
 そして、自分が岩だと思っていたものの内部がどのようになっているのかを見る前に、千歳はぐいと腕をひっぱられて、つんのめるように岩の中の空間に転が り落ちたのだった。


 ラキオス城 隠し部屋

「いっ、たぁ・・・・・・」
 したたかに打ち付けたお尻をさすりながら、千歳は身を起こした。
 自分がいる場所を確認するために周囲を見渡す。
 そこは、迷宮のようなレンガ積みの低い壁だけが続いていた。床は、長年掃除した形跡もなく、埃がびっしりと石畳の間に入りこんでいる。
 光を入れる天窓も、松明のような灯りもないその空間は、千歳の背後であの岩に見せかけた出入り口が閉じられると、すべてがまったき無明の闇に沈んだ。
「・・・・・・ここは?」
「このラキオス城が建築されるさらに以前、聖ヨト王の御世に建立されたといわれています・・・・・・真偽のほどは、私も存じません。このままでは話もしづ らいですね、こちらへ。」
 レスティーナが遠ざかる気配がして、慌てて千歳は『追憶』の力を使った。
 強化された夜目を頼りに浮かび上がる白の背中を、上体をかがめながら追う。

 通路は薄暗かったが、かつ非常に長かった。灯りと言えば申しわけ程度に壁にこびりついた光ゴケくらいだが、しかしそんな中でもレスティーナは慣れた足取 りでこの通路を進んでいる。
 千歳は地理的に言えばここはとうに城の外だろうと目星をつけた。
 十分ほども歩いただろうか。不意にレスティーナの足が止まり、突き当りの壁に設置された装置の上に手を置く。
 がこん、と何かが外れる音がすると共に天井の一部が割れ、階段が現れた。レスティーナはそれに足をかけ、迷いなくそれを上り始めたので千歳もそれに続 く。

 千歳が顔を出したのは、古びた空き家の暖炉の中だった。少し埃を吸い込んでむせながら、ぐるりと周囲の様子を窺がう。
 寂しい雰囲気の一室―――多分、居間だろう―――は人の生活感がなく、床はたまに申しわけ程度の掃除をされた感じの場所だったが、どこかスピリットの館 を思い出させる造りをしていた。周囲には生活に必要最低限の家具がいくつか置かれているが、そのすべてが年代を感じさせる。
「・・・・・・・・・ここは?」
 千歳はもう一度、先ほどの問いをレスティーナに繰り返した。
 スピリット隊の制服に身を包んだレスティーナは髪を止めていた紐を外しながら、顔を合わさずに答えた。

「その昔、神剣の勇者が住んだ家。今は、王家に管理された場所。そして――――――私の、もう一つの家です」

 千歳はその言葉の意味を測りかねて、訝しげに眉をひそめる。
 レスティーナも千歳の疑問に気づいており、穏やかな表情を浮かべて振り返った。
「チトセ。そなたはラキオスを―――この国を好きですか?」
 唐突な問いかけに少し迷ったが、千歳は正直に答えた。
「・・・・・・いいえ。どちらかといえば、嫌いね」
 レスティーナは部屋の隅に置かれた飾り棚を開けながら、驚いたことに、千歳の言葉に鷹揚に頷いた。
「そなたならそう答えると思いました・・・・・・でも、私は、この国が好きです」
 静かに、レスティーナはそう言いながら、綺麗にたたまれた白いワンピースを取り出した。
「幼い私は先代ラキオス王に、この抜け道のことを教えていただきました。ここの通路からは、自由に城内と城下を行き来することができます。・・・・・・私 は度々、この部屋を訪れ、街娘のような身なりになって城下に赴いてきたのです」
 テーブルの上にワンピースが広げられる。
 それは、ほんの少しおしゃれに作られただけの、王族の身を飾るには相応しいとはいえないものだった。
 しかし、王女はそれを、いとしそうに見つめている。

「―――私には、あの限られた城の中にいる時よりも、ここから街へ赴く時の方が国の美しさを知り、そして自分がこの国を愛する事ができるようになることを 知りました」
「・・・・・・つまり、自分の国の現状を自分の目で見る事で、王族としての責任なんかを再確認していたの?」
「そんな、大層なものではありません・・・・・・」
 千歳が自分の思いつく限りの答えを導き出すと、レスティーナは苦しそうに微笑んだ。
「いえ、始めの内は、私もそう思っていたでしょう。けれど・・・・・・いつからか、私はここから城の外へ出る時だけが、心休まると感じるようになりまし た。王女ではなく、『レスティーナ』ですらなく、ただ一人の街娘になってラキオスの地を踏むことが、幸せと感じるようになったのです」
 黙ってレスティーナの告白を聞いていた千歳は、ふと、彼女の言葉に自分を重ねてみた。
 何不自由ない城での生活よりも、城下の町での行楽の方が己の生を感じることができると言うレスティーナ。それを聞けば、多くの者はそれを富める者だから こその言葉だとやっかみを抱くだろう。
 だが人は時に、万民には理解されないような物にも心寄せることはあるのだ。
 千歳にとって、佳織と瞬との友情だけがかけがえのないものであり続け、彼らよりも長く交友が続く友よりもあの二人と送った日々だけが一番のものであるよ うに。

 だが、そんな千歳の内心を知る余地もないレスティーナは、自虐的な表情で顔を伏せた。
「・・・・・・そなたはきっと、浅はかで、愚かだと思うでしょう。そなたたちに苦難を押し付け、自分はこの様な道楽に興じる馬鹿な娘だと・・・・・・今 も、私は・・・・・・戦争が始まろうとしているこの時に私が城を離れるなど、もっての他だと知っていながら・・・・・・」
 レスティーナは己が情けないとばかりに唇をかみしめる。
 とても悲痛な顔をしていながら、その瞳からは一滴たりとも涙がこぼれることはなかった。今の彼女が『王女レスティーナ』であるからなのか、千歳はそんな ことを思う。

 千歳には、どうあがいても彼女の王族としての暮らしの重責と苦しさをすべて理解することなどできない。自分は特別な家系に生まれたわけでもない、ただの 一介の学生でしかなかったのだから。
 だが、ただ一つ、今こうして自分が向き合っている少女の必要としているものは、千歳にも理解することができた。

「・・・・・・確かに、褒められるものではないわね」

 千歳の言葉に、レスティーナの肩が震える。
「あなたは自分の身の危険も顧みず、護衛もなしに、自分の身を危険にさらそうとしたのだから・・・・・・今は、特に危険な時期だと自覚しているにも関わら ず」
「・・・・・・はい」
 素直に頷くその姿が、なんだかとても幼く見えて、あの初見での堂々とした態度とのギャップに少し唇がほころんだ。
「分かるわね? 自分がなにをすべきなのか」
「えぇ。今回のことで、私も自分の愚かさを見直すことができました。もう、これからは・・・・・・」
 ふっきれた顔でレスティーナが何かを言おうとしたが、千歳は構わずに言葉を重ねた。

「これからの散歩は、なるべく私が城にいる時にしましょうね。行く前に声をかけてくれれば、極力そちらを優先するから」

「・・・・・・・・・は?」
 レスティーナは呆気に取られた顔で、言ったことが理解できないとばかりに千歳の顔をぽかんと見た。
 一方の千歳は澄ました顔で、レスティーナがテーブルに置いたワンピースを取り上げる。
「それじゃあ、日が落ちる前には戻ったほうがいいでしょうし、さっさと行きましょう。あ、この服じゃ目立つだろうし、ここに私にも着られる様な服があった ら貸してもらえないかしら?」
「え、ええ。それはかまいませんが・・・・・・って、そうではなく!」
 自分のペースを崩されることに慣れていないのか、つめよるレスティーナの顔は赤い。
「そなたは何を考えているのですか!? どこをどうやったら今の話の流れで・・・・・・!」
「問題は、あなたが一人っきりで護衛もなく城下をうろつくのが非常に危ないということ。つまり、あなたの護衛となる者が常時ついていれば、さほどの問題は なくなるといえるわね」
 千歳の言葉がだんだんと理解できていったのか、王女の顔がただ一人の少女の顔になっていく。
「・・・・・・それともエトランジェ一人ぐらいでは、殿下の護衛には不足があるかしら?」
「そんなことは・・・・・・まったく・・・・・・しかし・・・・・・本当に?」
「私の方に問題はないわ。後は、あなた次第よ」

 レスティーナはぎゅっと口をつぐんだ。
 行きましょう。そう言いたいのに、後一歩のところで何かが邪魔をしているような表情をしている。
「なぜ・・・・・・そこまで、してくれるのですか?」
 その質問に、千歳は少し困ったが、すぐに何でもないように答えた。
「あの夜の『借り』を、ここで返しておくのも悪くないしね。・・・・・・あぁ、そうそう。あと、あなたに親切にすれば、佳織の待遇もよくなるかもしれない でしょう? ・・・・・・それに」
「・・・・・・・・・『それに』?」
 レスティーナの首が不思議そうに傾くが、千歳はなんでもない、と手を振ってその問いかけを遮った。
「そんなことはどうでもいいのよ。行きたいの? 行きたくないの?」
 答えはすでに分かっているが、ぶっきらぼうに尋ねる。
 だって、恥ずかしいではないか。

 『この国は好きじゃないけど、あなたのことは好きかもしれないから』なんて口にするのは・・・・・・・・・。


 ラキオス 城下町

「こっち! ほら、こっちだよ!!」
「わ・・・・・・っ、ちょ、ちょっと待って!」
 千歳はぐいぐいとひっぱられる腕に追いつこうと慌てて走っていた。
 あの館から出た後、既に二人は路地をいくつか抜けていただが人の姿はほとんどなかった。どうやらあの館は、町の人間たちの暮らしとはある程度隔絶された 場所にあるらしい。
 それを千歳が確認する前に、護衛対象が自分の腕を捕まえて走り出していたのだ。
 迷路のように入り組んだ建物に挟まれた細い路地を抜け、前方に現れた街をぐるりと囲む城壁の石段を駆け上がる。
 その高度はかなり高かったが、千歳の手を引く少女は驚くべき速さでそれをすべて駆け上ったのだった。

「とうっちゃ〜〜〜くっ!」

「う、わぁ・・・・・・これは、また」
 滅多に人の寄り付きそうもない場所に建てられた―――展望台か何かかとすら思わせる―――古めかしいレンガ造りの舞台にに立った千歳の目の前には、とて も雄 大な湖面が広がっていた。
 ここからの実際の距離は、実際にはかなりのあるだろう。しかし千歳がもしここから手を伸ばせば、その湖面の水をすくいとれそうな予感さえした。蒼い水面 は、透明な光をたたえながら深い色合いのグラデーションを描きながら瞬いている。千歳は心の底から、この湖こそ、今までに見た自然の中で最も美 しいものだと思うことができた。
「わたしのお気に入りの場所なんだ。 どう? 気持ちいいでしょう?」
 千歳の隣で、彼女をここに連れてきた少女―――レスティーナが言った。

 太陽の下に出たレスティーナは、窮屈なドレスの中にいた王女様とはまったく違った印象の少女に変わっていた。
 今の彼女は先ほどの白いワンピースを身にまとい、長い黒髪を二つの団子にしてまとめている。
 先ほどのスピリット隊の制服を着ていた時も随分と違う印象を受けたが、今のレスティーナはどこからどう見ても、ただの可愛らしい町の少女にしか見えな かった。
 ちなみに、千歳の方は男物の黒い上着をまとい、白のブラウスに茶色のスカートをはいていた。三つ編みは、ゆったりとした焦げ茶の帽子に詰め込んでおり、 『追憶』は楽器を入れるような特徴的な形の袋に入れて肩から下げられている。一見すると今の千歳は流れの吟遊詩人のようにも見えるかもしれない。
 あの屋敷に収納されていた衣服―――多分、王族が城から非公式に離れる時のために集められたものなのだろう―――の中から、虫食いのないものを適当に集 めただけだったが、意外と着心地は悪くない。

「えぇ、本当にそうね、レス・・・・・・っと、あなたのことはなんて呼べばいいのかしら? まさか本名で呼ぶわけにも行かないし」
「あ、うん。そう、だね。・・・・・・うん、それじゃ、わたしのことはこれからレムリア、って呼ぶように。いい?」
 思ったよりもあっさりと、レスティーナの口から新しい名前が紡がれる。
 考えてみれば、彼女が城を抜け出すのはこれが始めてではないそうだから、この程度の『設定』は元々自分で用意していたのかもしれない。
「あっ・・・・・・そうそう。そういえばチトセっていう名前は珍しいから、何か別の呼び名がないと、怪しまれるかもしれないよ」
「そうなの? それじゃ、どうしようかしら」
 千歳が少し困った顔をすると、レスティーナ―――もとい、レムリアは、少し考えて口を開いた。
「名前をちょっともじって呼んでみたらどう? チトセ・・・・・・ティセ・・・・・・トーシェ・・・・・・う〜ん、どうもピンとこないなあ」
「本名にこだわらなくても、適当につければいいじゃない?」
「だめだよ! それじゃ、おもしろくないもん! う〜〜〜ん・・・・・・ね、チトセ、ってどういう意味をもった言葉なの?」
 レムリアの言葉に、千歳は少し考えて口を開く。
「そうね・・・・・・ハイペリアじゃ、長い年月、って意味があったわ。『千年』とか、『年月』とか・・・・・・」
 千歳がわざと日本語を交えて言うと、レムリアはその音にあった言葉を考え始めた。

「『センネン』・・・・・・『ネンゲツ』・・・・・・う〜ん、センネ・・・・・・ネーゲル・・・・・・セーネ・・・・・・うん! セーネ、セーネっていう のはどう?」

 きらきらと瞳を輝かせて『これだ!』とでもいうような表情に、千歳は少し笑いをかみ殺した。
「むっ! なぁに、その笑い方!」
「ふふっ。なんでもないわよ・・・・・・セーネ、ね。うん、気に入ったわ」
「そっ、そぉ? うん、それじゃ、今からあなたは『セーネ』! わたしのお姉ちゃん!」
 いつの間にか新たな設定が加わったが、千歳はさして気にせずに同意をかえしておいた。

「・・・・・・それで、ここはどのあたりなの?」
 あたりの様子を見ながら千歳―――セーネは言う。
 後ろを振り返り、今まで上ってきた石段から城下を見下ろした。・・・・・・といっても、ここからではほとんど今来た小道ぐらいしかはっきりとは見えない のだが。
「う〜ん。そうだなぁ・・・・・・あっちの路地を行けば、お城に出て、市場の方に行くには・・・・・・ううん! 口で言うより、見たほうが早いね。行 こっ!」
 セーネの腕を取って、レムリアは明るく笑った。
 その笑顔がちょうど、自分になついていた頃の佳織のものに良く似ていて、懐かしそうに目を細めながら、セーネはレムリアにひかれるままに足を踏み出した のだった。

 二人は、肩を並べてラキオスの城下町を歩き回った。
 『千歳』はここに来てより、城下を歩く機会がなかったし、この国に住む人間たちのことなど深く考えたことはなかったため、ただ漠然と以前に見たラースや アキラィスが少しばかり大きくなったような町並みを想像していたが、ラキオスは彼女の予想以上に立派な城下町を有していた。
 荷台に山積みになった果物や野菜、色とりどりの天幕からは絶え間なく売り子の呼び声が響き、ヨーロッパの露街市を思わせる。
 セーネは荷台に積み上げられた野菜を興味深そうに見つめていたが、ふとハイペリアでも見かけた野菜にそっくりな緑色の物体を手に取った。
「あ、それ、リクェムだよ」
「リクェム? ああ、そういえばピーマンみたいなのが、食事にも時々あったけど・・・・・・へぇ、味だけじゃなくて、形もそっくりなのね」
「ぴぃまん?」
「あ、うん。私の故郷にも、似たようなのがあったのよ」
「へぇ・・・・・・それって、なんだかおもしろいね!」
「そうね・・・・・・あら、こっちはじゃが芋そっくり」
「えっ? どれどれ?」
 レムリアとセーネは互いに笑みを交わしながらハイペリアとファンタズマゴリアの野菜比べをしていたが、少し離れた屋台から焼き菓子の香りがただよってく ると、突然レムリアの目の色が変わった。

「セーネ、向こう! ヨフアルがあるよ!」

「ヨフ・・・・・・なに?」
 訝しげな顔で尋ねると、レムリアは黄色い瓜のようなものを荷台に戻して、説明するのももどかしいとセーネを屋台の方までひっぱっていった。
「おじさん、ヨフアルちょうだい! 二袋ね!」
 何枚かの硬貨を手渡しながらレムリアが言うと、屋台の主人は手元の器具から手際よくできたての菓子を紙袋につめていく。
 手渡された二つの袋の一つを、レムリアはセーネに手渡した。
「はい、おいしいよ!」
 セーネは手の中の暖かい紙袋から、中の一つをつまみあげた。
 少し厚めの生地に、特徴的な網目のでこぼこがついている。その見た目といい、香りといい、それはまるで・・・・・・・・・。

「・・・・・・・・・ワッフル?」

 その呟きに、レムリアは不思議そうな顔でセーネを見、自らもその一つを取り出した。
「? それワッフルじゃないよ、ヨフアルだよ―――はーむっ」
 レムリアはわざわざ擬音まで口にして、幸せそうにワッフル―――いや、ヨフアルをほおばっている。セーネも試しに口にしたが、風味は幾分か違うものの、 それはやはり自分の知っているワッフルそっくりだった。
 だが、『やっぱり、ワッフルじゃない』などと言うのも大人気ないので、セーネはヨフアルといっしょにその言葉を飲み込む。しばらくの間、二人は歩きなが ら黙々と紙袋の中身をお腹に詰め込んでいた。

 ―――・・・・・・・・・主殿―――

 半分ほどを食べ終えた時、背にしていた袋の中から『追憶』の憮然とした声が聞こえてきた。セーネは『千歳』の面持ちになり、心の中で返事をする。
(なに?)
 ―――儂は確かに、己の意志で主殿の元に残ることを選んだ・・・・・・だがのぉ―――
 むっつりとした感情がセーネの頭のすみをよぎる。


 ―――ここまで粗雑な扱いを受けるとは思っておらなんだぞ。あぁ、肩を揺さぶられるでない。カビがつくではないか!―――


 その声に驚いて、千歳は慌てて肩の袋を片手で抑えた。
 直後、袋の中の汚れが余計に押し付けられたのか、『追憶』の悲鳴にも似た声が上がる。
(・・・・・・わ、悪かったわよ。でも、しかたないでしょ? あの部屋に、あんたが入りそうなものが他になかったんだから)
 ―――わかっておるわい・・・・・・ええぃ、口惜しい。そも、何ゆえに主殿はこの小娘の道楽なぞに付き合う必要があるのだの? この者のことを嫌って おったのではなかったのか?―――
(ちょっと、あんたがボケてる間にいろいろあったのよ。いろいろ・・・・・・ね)
 ―――・・・・・・・・・む―――
 自分が呆けていた期間のことを持ち出されると、『追憶』はいまだ引け目を感じているのか途端に素直になってくれる。これは、千歳にとっても大助かりだっ た。

 ―――・・・・・・よかろう。主殿の決めたことなれば、とやかくは言わぬ。が、館に戻った時には必ず儂の手入れを頼むだの―――

 千歳はその言葉に頬を引きつらせた。
 永遠神剣の手入れの仕方は本人とエスペリアに教えてもらったが、『追憶』はとにかく奇麗好きで、千歳の腕がだるくなるまで細かい装飾のある柄の部分や、 今では一粒が青くなった宝玉などをこれでもかとばかりに磨かせるのだ。
(うげっ、またあれ? 今日はもうやったじゃない・・・・・・訓練の後で)
 ―――今、儂はあの時以上に汚れておるわ! よいか主殿、儂はとやかくは言わぬが・・・・・・。―――
 そう言いながらも『追憶』はぶつぶつと文句をたれ始めたので、千歳は『コイツは十二分にとやかく言っている』と思った。


「どうしたの? 冷めちゃうよ?」
 レムリアの声に、千歳ははっと『セーネ』に戻り、手元に残った最後のヨフアルに目を戻した。レムリアはとっくに自分の分は食べ終わったようで、包み紙を くしゃくしゃに丸めてポケットにしまいこんでいる。
「あ、うん。私には少し、多かったわ。レムリア、半分食べてくれない?」
「ホントっ!? あ・・・・・・でも、いいの?」
「もちろん。はい、どうぞ」
 二つに分けたヨフアルの、大きい方を差し出すと、レムリアはそれを受け取って、幸せそうに口に運んだ。
「うれしい・・・・・・ずっと、こんな風にこの街を歩いてみたかったんだ・・・・・・」
 セーネは最後のひとかけらを飲み込み、隣を歩くレムリアを見た。
 少女の頬は興奮で少し血色が良くなっており、再びセーネの腕をとった指先は温かかった。

「となりにお友達がいて、一緒に同じものを食べたり・・・・・・一緒にお洋服を見たり・・・・・・それ、で・・・・・・・・・」

 レムリアは急に声を落として、セーネから顔を背けた。
 自分の本当の立場を思い出したのだろう、つらそうに、申し訳なさそうに下を向く。
「・・・・・・ごめんね、勝手なこと言っちゃって。セーネはそんなつもりで来てくれてるわけじゃないのに。・・・・・・わたし、わかってたの に・・・・・・」
 するりとレムリアがほどこうとした指先を、セーネは放れる前にぎゅっと握った。レムリアはそれに驚いたように、セーネの顔をはっと見る。
「いいのよ、こうしていても。今だけは、あなたが『レムリア』であるように、私は『セーネ』―――あなたの、姉なのだから」
「でも・・・・・・でも・・・・・・」
 セーネは優しく微笑みながら、レムリアの紫紺の瞳を見つめた。

「 あなたは気兼ねなく、今を楽しめばいいのよ。たとえ今日という日が落ちるまでにこの手が離れてしまっても・・・・・・私たちが望む限り、またいつか、この 手をつなぐ日がきっとくるわ」

 セーネの言葉は誓いというよりも、願いに近いものだった。
 自分から離れて行ってしまった二人の手を思う。この絆は必ずだと思っていたのに、千歳が再び彼らの指を握る日は来なかった。
 だが、それでも願ってしまうのだ。
 もう一度、取り返すことができるならば、と。
 『レムリア』を佳織の代わりにするつもりはない、あの二人の代わりになる人間なんて、『千歳』にはいない。だから、せめて『セーネ』だけは『レムリア』 だけを見ていようと。
 そう願いながら、セーネはより強くレムリアの指先を握りしめた。

 レムリアの顔が上がる。
 セーネの顔を食い入るように見つめ、自分の手を強く握る指先を感じて、そして、くしゃっと顔を喜びに歪めた。
 おそるおそる、レムリアの唇が開こうとする――――――。


 ―――ワアアァ――――――ッ!!


 突然、前方からたくさんの人間の歓声が沸きあがり、二人は驚いてそちらに目をやった。
 見れば酒場のような建物の前で、数人の男たちが演説をしている。彼らの身なりは粗末で、それほど教養のありそうな人間には見えなかったが、町を行く人々 は彼らの声に耳を傾けている。
 二人が近づいてみると、徐々に彼らのしゃべっている事が耳に届いた。


「もうすぐだ! もうすぐバーンライトの奴らは痛い目を見るんだ! 勝利は見えている! あの魔龍のマナを得たラキオスに、あのへっぽこどもがかなうもん か!」


 一番前で中身の入った酒瓶を持った男が高らかに吼えると、隣にいた男がそれに続いた。


「こっちは、聖ヨトの血脈を受け継いだ偉大なる王国だぞ! あっちはもともと、ただの田舎者! どちらにマナの祝福があるかなんて決まっているぜ!」


 わっ、と先ほどのように群衆が沸く。
 その中から、年若い男が拳を振り上げて叫んだ。


「あの伝説のエトランジェが二人もいるんだ! クズみたいなスピリットどもが束になったところでかなうもんか!」


 ぎゅっ、とレムリアがセーネの腕に取りすがった。
 セーネが怒りのままに彼らに食ってかかるのを怖れたのか、それとも自分の震えを抑えるためなのかはわからない。


「そうだ、そうだ! エトランジェたちにはバーンライトといわず、サーギオスまで潰してもらおうじゃねえか! そうすりゃ、俺たちは朝から酒をかっくえ る! そうなりゃ、エトランジェ様々、スピリット様々だ!!」


 一斉に笑いがわきおこる。
 セーネにはそれが限界だった。レムリアの肩を強く引き寄せると、素早く今来た道を引き返していく。
 ぎりぎり、と自分の歯がのこぎりの様な音を出した。さっき食べたヨフアルをこの場で吐き出してしまいたくなりながら、この地を踏むのも汚らわしいと大股 で歩く。
 二人はもう、笑みを見交わすことも、言葉を交わすこともなく。あの湖が見えるまで、強ばった体を支えあっていた。

 あの仕掛け扉がある位置から少しはなれた場所で、ふいにレムリアがセーネの腕を引いた。顔をあわせないまま、すぐそばの階段をそっと指差す。
 セーネは少し迷ったが、彼女が動こうとしないので、しかたなくそれに従った。
 階段の上は展望台になっており、始めに見た湖がより鮮明に見渡すことができた。
 しかし、あれほど自分の心を打ったその景色が、今はなぜかとても虚ろに見える。赤く染まりかけた夕日がさざなみをあぶり出し、青かった湖はまるで血の池 のよ うだ。
 顔を横に戻すと、レムリアはセーネの片腕にしがみついたまま、その顔を上げていた。もう、肩は震えていないし、歩いていた時よりもずっと足取りもしっか りしている。
 しかし、その顔は深く悲しみに彩られていた。


「・・・・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」


 小さく、本当に小さく呟かれた言葉に、セーネはぎゅっと唇を横に結んだ。
 玉砕覚悟で佳織を救出しようとして見事に失敗し、彼女に会った夜のことが思い出される。

『今の私は、ラキオスの王女として、そなたに謝ることはできません。それが、無意味である内は』

 王女レスティーナはそう言っていた。
 ならば今、こうしてセーネに謝っているのは、誰なのだろう?
 自分のしたことでもない、まったくの他人の心無い言葉に傷つけられたくらいで自分に謝っているのは。
 そして何故、こんなにもつらそうなのに、この少女は少しも涙を見せずにいられるのだろう。

 その悲しい心の内を察したセーネの腕は、自然とレムリアの頭の上に伸びていた。
 艶やかな黒髪をそっとなでるが、レムリアはそれを拒むことなく、セーネのなすままにされている。
 だから、もうしばらくはこうしていようかと心を決め、太陽がすっかり赤く染まるまで、二人の少女がそこを動くことはなかった。



 永遠戦争。
 これは後にそう記されることとなる物語の、誰も知らない一頁。




・・・・・・To Be Continued



【ステータス情報】



 〈新たなスキルを習得しました〉



※アタックスキル※

蒼穹無縫の儀T Lv.2  行動:1/最大:3 全体【敵】
対HP効果: 500 属性: 青   アタック.T T.S.L.16
ドレイクハイロゥを 持つ者は、スピリットの追随を許さぬほどの高速での移動が可能である。
剣技・蒼穹無縫はその敏捷性を活かし、一拍の呼吸で敵全体を攻撃する技だ。
攻撃力は低めだが、これを受けたものは畏怖により集中を乱し、抵抗力を下げてしまう。




※ディフェンススキル※

エインシャントウィングT Lv.2  行動:3/最大:6 変動【敵】
対HP効果: 450 属性: 物理 ディフェンス.T T.S.L.16
ドレイクハイロゥを 展開し、敵の攻撃を受け止める。
高い防御力に加え、即座に次の行動に移ってカウンターアタックを放つ事が可能。
敵アタッカーの攻撃が成功する度に、このスキルの対HP効果の半分のダメージを与える。





 【後書き】

 第一章完結です。
 スピリット隊隊員が、これで全員揃いました。
 ナナルゥは本作ではちょっとキャラがつかめませんでしたが、意外と書くのはすいすいいけました。・・・・・・何故?
 まあ、それに越したことはないのですが。
 レスティーナはやっぱり難しいですね。レムリアとの兼ね合いが、今後どうなっていくかとても不安です。
 しかし、主人公の設定上か、悠人と仲良くしているところよりも、仲たがいしてる時の方が断然話が良く進むんですよね。悪い傾向だと思いつつ、止めること ができない己が弱き意志を自覚しました。

 ちなみに、レスティーナの城からの脱出経路は完全にフィクションです。
 ひょっとしたらこうだったんじゃないかな、という作者の想像から生まれたこの作品内だけの設定ですので、ゲーム未プレイの方はお間違えのないように。
 もしかしたら設定集とかに正解が載っているのかもしれませんが、生憎と私は持ってないので知りません。


 さて第二章は北方五国統一編。
 フラグ立てとレベル上げ以外やることがない・・・・・・なんてことにならないように、努力したいと思っております。・・・・・・別に、思うだけじゃあり ません、やります。きっと。

 それでは、第二章でお会いしましょう。





 ・・・・・・ところで、本当にこの後書きを読んでいる人なんているんだろうか。
 少し心細くなる今日この頃。



NIL