今日はなにを作ろうかな。

 わたしの十八番の、お手玉。
 雨の日でも遊べる、すごろく。
 かおりが大好きな、ぬいぐるみ。
 高く、遠くまでとべる、紙ひこうき。
 しゅんのお気に入りの、輪ゴム銃。

 たくさん、たくさん、作るから。
 たくさん、たくさん、遊べるように。


 だから二人とも、はやくここに来てよ・・・・・・。


 こんなに待たせるなんて、ひどいじゃない。
 もう元気になったんでしょ、かおり?
 いつまでぐずぐずしてるのよ、しゅん?

 ちくちく、糸を布にくぐらせる。
 なんにも考えないミシンみたいに指が動いている。
 針の頭がひょい、ひょい、とのぞく。
 ちゃんと手元を見てるのに、目はガラス玉みたいになにも映さない。

 なんでか知らないけど、最近じいちゃんによくはたかれる。
 なんでか分からないけど、その度にじいちゃんは悲しそうな顔をする。
 つぼを割っちゃったり、蔵に忍び込んだりしたわけでもないのに。
 でもそれももう、あんまり気にならなくなってきた。


 それより、早く二人に会いたいな。
 かおりの髪をなでたいな。
 しゅんとけんかしたいな。

 ・・・・・・また、三人で遊びたいな。


 かおりがいてくれればいいのに。
 しゅんがいれば、もうなにもいらないのに。
 どうして、二人とも来てくれないの・・・・・・?






 ・・・・・・・・・・・・さびしいよ・・・・・・。









 永遠のアセリア二次創作            

龍の大地に眠れ

    一章 : 夢幻世界の少女たち

第七話 : 誰が為の剣






 護り龍の寝床

「はああああぁぁぁっ!」

 『求め』が空を切り裂いてうなる。
 横一文字に叩きつけた無骨な刃が、サードガラハムの皮膚に喰らいついた。刃が埋まる前にそれを引き抜き、悠人は地を蹴って自分を狙う巨大な鉤爪をかわし た。
 しかし、その爪先がまとった暴力的なまでの風が襲い掛かり、続いて挑みかかろうとしていたアセリアまでも巻き込んで後方へと吹き飛ばした。

「ユート様、アセリアッ! 下がってください!」
「・・・・・・くッ!」
 エスペリアの警告にアセリアが素早く飛び離れる。
 が、体勢を崩していた悠人は反応が遅れてしまった。そこへ、大気を凍てつかせんとする超低温のマナが襲い掛かった。

「ぐ、ぁ・・・・・・っ!」
 障壁を張って抵抗するが、瞬く間に筋肉から熱が奪われていく。氷の礫が体をかすめ、浅くない裂傷ができた。
「負ける、かぁぁぁっ!」
 悠人は声を振り絞り、気力でそれを耐え切った。


「マナよ、傷を癒して――――――アースプライヤーッ!」


 エスペリアの声と共に、悠人の体が薄い緑光に包まれる。
 指先の感覚が戻り、傷がふさがっていった。
 悠人は心の中でエスペリアに感謝し、『求め』を握りなおすが、途端に体の内側から強烈な痛みが走った。
「くっ、そぉ・・・・・・!」
 既にエスペリアの治癒を何度も受けているが、受けるダメージ量があまりにも多く全快には程遠い。
 それでもなお、スピリットたちの奮闘にも関わらず、悠人たちは龍に未だ決定的な傷を負わせることは中々できなかった。

 もっとも大きな原因は龍の戦闘スタイルにあった。
 ただの腕の一振りで大きなダメージを与え、全員が間合いを離れると強力なブレスが襲来する。加えて脅威と感じる一撃は、受ける前に宙に飛んで避けてしま う。
 アセリアがウィングハイロゥを使い追撃した時は、鞭のように縦横無尽に振るわれる尾を受けて深刻な手傷を負ってしまった。

 制空権は完全にサードガラハムにあり、地を這うより他はない悠人たちには大きなハンデを負った闘いであったのだ。
 歯噛みをしながらも再び突撃するために腰だめに構えなおす。
「くそっ!まだだ・・・・・・っ!?」


 ―――ぞくっ!!


 悠人が駆け出そうと重心を落とした瞬間、体の芯が凍りつくかのような邪気に囚われた。
「なっ、なんだっ!?」
 龍に気圧されたのではない、確かに、今までになかった新たな気配を感じたのだ。
 だが、そんなものがあろうはずが無かった。ここは人が訪れるはずもない龍の祠。この場所にあるのは自分たちしかいない。
 なにをバカなことを、と自分を叱咤した悠人は唇を噛みしめて再び前に向き直った。

 ―――あの龍を倒すことだけを考えろ・・・・・・!

 気合一声、悠人は何度目かの突撃をかけた。
 元より剣の振るい方など知らぬがゆえに、ただ、剣が求めるままに己の体を振るっていく。
 数時間もたったかのように感じる数秒が連続し、やがて時間を忘れる。
 だが、『求め』に意識が飲まれそうになった時、再び悠人の体をあの悪寒が駆け抜けた。


 ―――ぞくっ!


「くっ、な、なんなんだよ・・・・・・っ!」
 身震いし、龍との間に間合いを取って飛び離れる。そのわずかの間に、何かが視界をかすめたような気がした。

「ふぁいあ〜ぼ〜るっ!」

 しかしそれに悠人が目を向ける前に、舌ったらずな声と共に、後方からオルファが打ち出した炎がサードガラハムに向かって走る。その声にはいつにない怒り をはらんでいるように聞こえるのは、決して気のせいではないだろう。
 だが、立ち木一本を丸々燃やし尽くせそうな炎は、あっけなくサードガラハムの眼前で掻き消えた。
 あの、絶大なる威力をもった凍結の息吹によって。

 火球のたどった軌道を逆に進み、一直線にオルファへと向かっていく。

「っ!オルファ、はなれて―――っ!」

 エスペリアが叫ぶ。
 しかし神剣魔法を放ったばかりの体勢のオルファは、それを実行に移すことができない。アセリアも悠人も、立ち居地が悪く、オルファの方へとっさに向かう ことはできなかった。
 誰もが次の瞬間に起きる最悪の光景を予感した、その刹那。誰もが予想だにしなかった出来事が起きた。


 ―――バシュウゥゥゥゥゥッ!


 熱したフライパンに水をかけたような音と共に、あまりにもあっけなく、光がオルファの立つ手前の空間で掻き消えていく。
 サードガラハムの放った冷気の名残がただよう空気の中に、片腕を前方に突き出した姿勢で『それ』は立っていた。
 ほつれた三つ編みの髪が、オルファの頬を力なく打つ。


「・・・・・・・・・ママ?」


 オルファがやや呆然とした声で呟く。
 そう、そこにいたのは確かに海野千歳と呼ばれた少女の姿をしていた。
 けれども、そんなはずはないのだ。
 彼女は確かにサードガラハムの一撃を受けた。守りに失敗し、致命傷ともなる傷を負った。彼女のマナがほとんど消えかけていたことを、その場にいただれも がわかっていた。


 そして実際に、今も、彼女の体からは欠片ほどのマナの気配は感じられなかった。
 それは、スピリットにせよエトランジェにせよ、すべからく死を意味する。
 だが、彼女の体は依然として崩れることも無くそこにあったのだ。


「ち、千歳・・・・・・?」
 悠人が呆然とあげた声にぴくりと、『それ』は気だるげに顔を上げた。
 焦点の合っていない瞳がゆらりと自分の事を見つめた瞬間、悠人はあの寒気の正体を知った。
 その端に流れた血を拭いもせずに、『それ』はゆっくりと口を開く。


「――――――あなた、だれ?」


 まるでオルファの同世代のような舌ったらずな声がだれの者なのか、悠人は気づくのにしばしの時間を要した。
「あぁ、かおりの家にいた子だっけ・・・・・・? かおり、今どうしてるのかなぁ・・・・・・違う。あの子はもう、あいつに・・・・・・違う、佳織は・・・・・・!」
 千歳の目にわずかに正気の色が戻り、口元が苦しげに歪む。
「そうよ、佳織はあの城で・・・・・・でも、なんで私は・・・・・・ぐっ!」
 突如、独白の途中に喉元を苦しげに押さえた。
「チトセ様ッ!?」
 エスペリアの声に、千歳の視線が再びゆれる。
 千歳は何かを押さえつけているように、胸を押さえながら苦しそうに笑う。
「エスペリア・・・・・・なんなの、これ。・・・・・・頭、いたい・・・・・・神剣に呑まれるってこういうことなの・・・・・・? でも、変よ・・・・・・ね。あいつの声は相変わらずさっぱり聞こえないって言うのに、何かが、わたし、を・・・・・・!」
 びくっ、と大きく肩を震わせて千歳は両手で胸をかきむしった。食いしばった歯の隙間から、尋常ではない様子のうめき声が漏れる。

「うぅ・・・・・・ッ!ぐ、あ、あああぁぁぁぁ・・・・・・ッ!!」

 かっと、切れ長の瞳が見開かれる。
 その瞬間、悠人はかつて、どこかで耳にした音を聞いた。それが、この世界を訪れる直前に、神木神社で聞いたそれとよく似ていたことを、悠人は随分後に なって思い出した。


「アアアァァアァアアァァァアアァアァァァァッ!!」

 ―――パアアアァァァァァン!


 決壊した水流が荒れ狂うように、白銀の精霊光が周囲を塗り染めた。
 からっぽだった少女の体の中から、凄まじい量のエーテルが膨れ上がっている。
 光芒は一瞬脈打つように明滅すると、千歳の背後に収束していき、一つの形を作り上げた。

 それはスピリットのもつウィングハイロゥのそれによく似ていた。実際の物質ではない、マナが具現化した存在なのだ。
 しかし、その全貌はまったく異なっている。例えば、その持主の長身をすべて包み込むような巨大さ。その鋭利な線を描く形状。表面は羽根がなくなめらかな 表皮がむき出しになって、虫の音のような音を出して蠕動している。

 そう、それはまるで――――――。


 悠人があるものを連想した時、千歳の顔が見え、思わず思考が中断した。
 いや、それは顔と言うにはあまりにも非生物的で、おぞましさすら感じるものだった。それは、いうなれば、感情と言うものをごっそりとそぎ落としたような 白面。
 だが、悠人にはなぜか理解できた。

 それは自分の良く知る少女の顔で、嗤っていたのだ。


 ―――どんっ!


 風が歪んだ。
 悠人は自分の鼻先を、神剣の力をもっても明確に取れぬほどの凄まじい速度で何かが通り過ぎるのを感じた。
『グルルゥゥ・・・・・・!』
 一拍置いて、鈍い爆発音をサードガラハムの唸り声が聞こえ、はっと背後を見た。
 その肩口に膝をつき、龍の体躯に身を埋めるようにして一つの影がうずくまっている。それが片腕を振り上げると、龍の肉体に突き刺さっていた複数の刃が勢 いよく抜け、龍の体液が噴出した。
 刃のように見えたのは、彼女の爪だった―――猛禽類の鉤爪のように肥大化し、腕全体が変形を起こしている。

 サードガラハムは身を捻って、さらに攻撃を仕掛けようとする千歳を振り落とした。
 ぐるん、と空で回転する体にさらに鉤爪を叩きつけようと腕を振り上げるのを見た瞬間、悠人は考える前にその間の空間に向けて跳躍した。

 ―――ギギィィィィン!

 『求め』と鉤爪が交叉し、跳ね飛ばされたのは悠人と千歳のほうだった。
 だが、いくらかの衝撃を緩和することはできていた―――悠人はなんとか体をひねって無事に着地し、痺れた腕を気にするだけの余裕があった。
 しかし、次いで横でむくりと身を起こした千歳の姿にぎょっと息を飲まさせられた。


 ―――ごぽっ


 新たに気道から湧き出した鮮血が、千歳の唇を染めた。
 だが、その顔に苦痛の色は微塵もない。見れば、制服の裾からは赤い雫がぽたりぽたりとしたたり落ちている。
 そんな状態でもなお、その瞳から闘志は失せていなかった。
『この力は・・・・・・まさか・・・・・・』
 サードガラハムが何事かを呟いたが、それをしかと聞き取ることができたものはいなかった。

「テヤアアアアァァァッ!」
 アセリアが、『存在』を振りかぶり龍の懐に飛び込んだ。
「―――――ゥゥゥゥウウウッ!」
 それを見た千歳は弾かれるようにそれに続き、傷ついた体を省みず異形と化した片腕を振るう。
 二人に協調というものは無かったが、それでもなお、状況はサードガラハムの猛攻を圧倒するほどの攻勢に転じた。

 長柄を自由自在に操り、サードガラハムに裂傷を負わせるアセリア。
 上空から墜落するように接近し、狂ったように破壊を繰り出す千歳。
 その二人の昂ぶりに、片腕に携える『求め』が歓喜を爆発させる。


 ―――滅ぼせ!契約者よ、我に甘美なるマナを啜らせろ!―――


 二人の姿に魅せられるように、悠人自身の心も興奮状態に高鳴っていく。千歳がなぜあのように戦えるのか、それすらもどうでもよいことのように感じてい く。頭の中にあるのは、自分もまたあれ位の破壊をもたらさんとする欲望だけだった。

「うおおぉぉぉぉぉっ!!」

 悠人は焼けるように熱い柄を握りしめ、腹の底から叫んだ。


 三人はサードガラハムの巨躯を中心として、凶悪に踊る。
 淡々と何でもない作業を行うように剣を振るうアセリア。いくら傷を負おうが何度でも挑みかかる千歳。狂喜の笑みすら浮かべ『求め』を突き立てる悠人。
 その姿を援護に回りながら、エスペリアは強く、強く唇を噛みしめた。
 元来、守りを主体とする戦闘を得意とする自分では、あの中に入っても邪魔にしかならない。だからこそこうして何度も回復魔法を使っているのだが、回復が 追いつかず自分の力の無さを噛みしめさせられる。
 またそれ以上に、エスペリアは心が締め付けられるように悲しさを感じていたのだが。

「エスペリアお姉ちゃ―――ん!」
「オルファ!?・・・・・・いけません、後ろに下がりなさい!」

 背後から駆け寄るオルファの声に、思わず背後を振り返った。
 オルファは『理念』を片手に、黒い鞘に包まれた永遠神剣を胸に抱え込むように持っている。少女はエスペリアの言葉に従わず、一直線に駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん!ママ、どうしちゃったの?ヘンだよ・・・・・・あれはママなのに、ママじゃないの!」
「・・・・・・?どういうことですか?」
 おかしな言い回しに、エスペリアは訝しげに眉を寄せた。
「えっと、えっとね・・・・・・パパの時とは違う、あれはママなの!・・・・・・でも、ほんとのママじゃない・・・・・・」
 オルファも上手く説明できないのがもどかしそうにしていたが、はっと思い出して『追憶』をエスペリアの目の前に突き出した。
「みて!さっき、『理念』が見つけてくれたんだけど、声がぜんぜん聞こえないの!」
「これは・・・・・・チトセ様の・・・・・・」

 エスペリアは『追憶』を手に取り、その手ごたえの無さに驚きを隠せなかった。
 以前、エスペリアは『追憶』の声を耳にしたことがある。その時、エスペリアはこの剣に明確な意志を感じたが、今、この手の中にある剣は下位神剣のように まったく反応を示さない。
「これは・・・・・・まさか!?」
 サードガラハムの上空にエスペリアは目を向けた。
 エーテルをばらまきながら、宙に踊る千歳の姿が目に入る。そして、意識してみれば、信じられないことに彼女から神剣との繋がりが感じられなかった。
 例えエトランジェであれ、神剣がなければスピリットよりも無力であることは悠人を世話した自分が一番良く知っていた。いや、そう思っていた。

 しかし、それは間違いだったのだろうか。
 今、見たこともない姿となって戦い続ける千歳の体からは、強力なエーテルの反応を感じる。脈動するように現われ、弱まる不安定なものだったせいで、その 全体量は一瞥しただけでは把握できなかったが、それは一個体が有するにはあまりにも異常だった。

 ―――そんな、それではまるで・・・・・・・・・。

 エスペリアが何かを思った時、サードガラハムの動きに変化があった。
 腕の一振りでアセリアを弾き飛ばし、翼を広げた衝撃で悠人を振り払った龍は上空に向け、首を大きくもたげた。喉がかすかな燐光を放つ―――氷結の息吹 だ。
 上空で翼を広げていた千歳は大きく腕を前に突き出した。それは先ほど、オルファをかばったものと同じ姿勢だ。
 手のひらの前方に、エーテルが大量に流れ出していく。腕の中を通過するエネルギーがあふれ出し、肌を食い破って術者に深い裂傷を作り出した。
 が、それでも千歳は同じ空間にエーテルを送り続ける。やがて束ねられたエーテルは収縮し、光沢のある短槍のような結晶となった。

 ―――バシュウウウゥゥゥッ!

 衝突した二つのエネルギーが交錯し、そしてサードガラハムのブレスがかき消された。
『・・・・・・・・・やはり』
 うなるような声が龍の口から漏れる。その瞳にはなぜかひどく悲しそうで、またいたわしげな色をたたえていた。
 千歳は、その隙にさらにもう一つの結晶を生み出し、帳のような翼に向けてそれを打ち出す。


 ―――パアアァァァン!


 炸裂音と共に凄まじい光芒があふれ、巨大な漆黒が千々に引き裂かれた。そこへ、『求め』と『存在』の刃が襲いかかる。
 サードガラハムにのみ目を向けていないエスペリアとオルファだけが、千歳の異常をはっきりと知ることができた。
 いまだとうとうと血を流す千歳に向け、エスペリアは腕を伸ばす。

「マナよ、傷つきし者の力と・・・・・・あっ!?」

 癒しの魔法を施す前に、千歳の姿が掻き消える。同時に、サードガラハムに新たな衝撃が襲い掛かった。
 エスペリアは何度か千歳に向けて治癒魔法を試みるが、その動きを捕らえきれず成功しない。その間も、まるで自分を壊そうとするかのように、千歳は幾重に も体を傷つけていった。
「どうすれば・・・・・・このままではチトセ様は・・・・・・!」
「お姉ちゃん!」
 オルファがエスペリアの服の裾をぎゅっと引いた。
「お姉ちゃん、オルファにそれ、かえして!」
「えっ?」
「『理念』が言ってるの!ママの剣を元にもどせば、ママがかえって来るって!」

 エスペリアは唐突なオルファの言葉に目を見開いた。
 この剣が自分たちの持つ永遠神剣とは何かが違うことは知っていた。だが、この状況で『追憶』の自我を取り戻させることが何に繋がるのか、それになぜそん なことをオルファが言うのかがまったく理解できない。
 しかし、今それを問いただしている間にも、だれかの命が失われるのかもしれないのだ。それに、千歳を最初に見つけたのはオルファだった。彼女たちの間 に、何か自分のはかり知ることのできない何かがあるのかもしれないと自分を納得させ、エスペリアは『追憶』をオルファに渡した。
「わかりました・・・・・・お願いしましね、オルファ」
「うん!」
 オルファは『追憶』を受け取ると、その鞘を持ち、柄をそっと額にあてて目を伏せた。

「おねがい、ママをかえして・・・・・・オルファたちのママをかえして・・・・・・」

 小さい呟きを聞きながら、エスペリアはサードガラハムに挑みかかる仲間たちに治癒を施してゆく。千歳は相変わらず照準が合わずに失敗したが、悠人とアセ リアへはなんとか回復させることができた。


「はあああぁぁぁぁっ!!」
 悠人は、もう何度『求め』を振るったのかわからないほどに戦いに没頭していた。
 龍の片翼が失われたため、形勢は悠人たちに大きく有利になっている。相変わらず致命的な一撃は与えられないが、自分たちの与える攻撃が、確実にサードガ ラハムの命を削っていることに確信を持てるようになった。

 そこに、わずかな油断ができたのかもしれない。
 大きく『求め』を振りかぶり龍のくじ筋を狙った時、悠人は横殴りに何かを叩きつけられた。
 それがぼろぼろになった片翼であることを把握する前に、悠人は岩壁に叩きつけられる。頭を激しく打ちつけ、不覚にも立ち上がるのも困難だった。
「――――――くうっ!」
 続いて、アセリアが鉤爪に大きく肩を切り裂かれて後退した。
 向かう敵が一人となったサードガラハムは、素早く腕を伸ばし自分の眼前に突き進もうとしていた千歳を片腕で捕らえた。
「ぐ・・・・・・っ」
 圧倒的な体格差で、千歳の体はすっぽりと龍の片手に包み込まれてしまう。
 そのまま握りつぶすのは容易いことであったろうが、サードガラハムはじっと己の手の中でもがく少女を見た。
『・・・・・・・・・』
「――――――」
 千歳の瞳には光がなかったが、ふいにその瞳孔がびくりと収縮し、表情ががらりと変わった。サードガラハムの視線を受け、やがてその目はゆっくりと龍の眼 へと向く。茶の瞳孔に刹那、深い陰がよぎった。
 両者はしばし睨みあい、唇を開いたのは千歳の方だった。



「―――随分と腑抜けたものだ」
 その口からこぼれたのは彼女のものとは似つかない、合成音のような低い声だった。その言葉はハイペリアのものとも、ファンタズマゴリアのものとも異な り、エスペリアたちにはその意味を知ることはできなかった。
「敵のなき世に酔いしれたか、愚昧なる門番よ」
『・・・・・・やはり、貴様だったか』
 サードガラハムの口から、怒りをはらんだうなりが響く。
『となれば、その娘は――――――』
「忌まわしき封印は解かれた。あやつは過去を失い、今はただの木偶よ・・・・・・貴様がこの身をひねり潰せば、我は完全に蘇えることとなるな」
『異界の娘、そしてあの剣は・・・・・・そうか、あまりにも変わり果てていたせいであれに気づかぬとは』
 苦々しい声に、千歳の姿をしたものは目を細める。


「永かったぞ。千年の月日はな」


 サードガラハムは一層瞳を険しくする。
『あなどるな、貴様はいまだにその身に囚われたままだ。彼の剣も、力を失ったわけではない・・・・・・我らが力を振るえば、貴様を再び封じることは安い』
 そう言うと、龍は喉の奥から搾り出すようなうめき声を発した。凍結の息吹を吐き出す直前の音に近かったが、それがもたらしたのはまったく異なる現象だっ た。

 ―――キイイイィィィィィィン

 オルファが手にしていた『追憶』が、唐突に光を放った。
 全体から繊維状のオーラが噴き出し、絡めとるように千歳の体に繋がっていく。

「グウッ・・・・・・アアアァァァッ!!」

 どれほどの傷を作ろうと眉一つ動かさなかった者が、初めて苦痛の声を漏らした。
 だが、その口元はふてぶてしく吊り上がり、サードガラハムを嘲るようにせせら笑う。
「む、無駄なこと、だ・・・・・・奴ならばともかく、貴様が、我を完全に封ずることはできん・・・・・・それに、この身が滅びずと、も・・・・・・この 娘、は・・・・・・むしろ、我に近いものを持っている・・・・・・グゥッ!」
 サードガラハムは、その言葉にわずかに目を見開いた。


「いくら永遠神剣の加護があろうと、いずれ、この娘は必ず、選択するであろう・・・・・・我と同化することを。その時、我は蘇える・・・・・・!力を失っ た・・・・・・ごとき・・・・・・敵ではな、い・・・・・・。ク、ククッ・・・・・・グ、ガアアアアァァァァ――――――ッ!!」


 断末魔の絶叫が千歳の口からほとばしる。
 マナでできた糸がすべて解け落ちると、千歳はがくりと頭を落とした。
 その時、なんとか身を起こした悠人には、サードガラハムが千歳の息の根を今まさに止めようとしているようにしか映らなかった。


「止めろおおおぉぉぉぉぉぉっっ!!」


 ふらつく足が怒りで勢いよく踏み出される。耳鳴りがし、はっきりとしない意識の中で悠人はただ一点を見据えていた。
 『求め』を振りかぶる。
 今までの中でもっとも重く、もっとも力強く振り下ろされた斬撃は、サードガラハムの胸に深々と突き立てられた。
 致命傷であることは、はじける膨大なマナと『求め』のあげる歓喜の声が示していた。
 サードガラハムの腕がゆっくりと地に落ちていく。その傍に、エスペリアが急いで駆け寄った。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・・・・」
 荒い息をつきながら、『求め』の刀身を引き抜く。
 龍の血が、白に近い色合いの上着を染め上げた。
 今の一撃は龍の命を奪うに値するものだったことに加えて、悠人の残っていた気力を根こそぎ奪うだけの精神力を使った一撃だった。
 背後でエスペリアが鉤爪の中から千歳を救い出し、「チトセ様・・・・・・!」と小さく悲鳴を上げた。
 悠人はなんとか振り返ろうと『求め』を引き抜いたが、その時頭上から響いたうなり声に再び身構えた。

『大きすぎる力、そして・・・・・・・・・。また、戦いがはじまるのか・・・・・・』

「っ!くそっ、まだ死なないのか!?」
「龍のマナは失われています!ユート様、落ち着いてください!」
 慌てて飛び離れる悠人にエスペリアがなだめるように言うが、本人の声も上ずっていて説得力が薄い。それでも精神力の限界に来ていた悠人は肩を落とすしか なく、ふらふらとエスペリアの近くまで歩み寄っていった。

「千歳はどう・・・・・・っ!だ、大丈夫なのか!?」
 悠人はのぞき見たエスペリアの腕の中の千歳の惨状にうっと息を呑んだ。
 千歳は顔を始め、服からのぞく場所に怪我のない所はなく、その顔からは血の気がすっかり失せている。服の中の四肢はありえぬ方向へねじれ、明らかに複数 の骨折をしていることを知らしめていた。
「まさか、死んで・・・・・・」
『その娘は死んではいない・・・・・・が、かろうじてだ。その妖精の力では、すべてを癒すことはできぬ』
 エスペリアの代わりに、サードガラハムが悠人に告げた。悠人はその平然とした言葉に怒りを覚えて振り返ったが、続く言葉に目を見開いた。
『我の残った力を使えば、その娘を生かすことは十分にできよう』
「なっ―――!?」
 予想もしなかった言葉に、悠人は一瞬呆気に取られた。

『異界の小さき者よ』

 力強い言葉に、悠人は少しびくりと肩を揺らした。
 こうして限界しているだけでも奇跡の様なものだというのに、龍は確かな声で今も語りかけてきている。
『汝のもつ剣は大きな力を持つ。汝は何を求めて戦うのだ?その剣のまま、戦うのか。それとも別の意志なのか』
 そこまで言うと、サードガラハムは大きく息を吐き出した。
『・・・・・・いや、よい。どちらにせよ、我を倒したのだ』
 その時、龍の瞳にかすかな憂いがよぎるのを悠人は確かに見た。そして、その視線の先にはエスペリアたちの姿があったのも。
『だが。願わくは、これが最後の戦いとなることを・・・・・・』
 サードガラハムは優しい瞳で千歳に、次いで彼女を抱くエスペリアと、その背後に控えているアセリアたちに目を向けた。

『小さき妖精たちよ。これから起こるであろうことは、汝らの運命も変えていくだろう』
 力の限界に来たのか、サードガラハムの巨体が幻のように霞んできた。
 悠人たちはただ、先ほどの衝撃で開いた空に光の粒子が上っていくのを立ち尽くして見つめているしかできなかった。
『我々は人を好かぬが、妖精たちは近くに感じている・・・・・・そなたたちに未来があることを願う』
「守り龍様・・・・・・」
 エスペリアはサードガラハムの言葉に感じるものがあったか、とても切なげな瞳で薄れていく光を見つめている。
『異界の小さき者よ』
「な、なんだ」
 悠人は少し震えそうになる声を整えながら、龍に尋ねかえす。

『自らの求めることに純粋であれ』
 その言葉を最期に、龍の身体はほぼ完全に実体をなくした。
 深い知性に満ちた眼差しに、悠人は今までの自分の行いは許されざる大罪だったのではないかとすら思った。
「おい・・・・・・!ちょっと待てよ!」
 絶対に届かぬ腕を、悠人はサードガラハムに伸ばした。淡い燐光が指先をかすめる。


『負けぬように・・・・・・妖精たちを守るのだ』


 最期に悠人の耳に届いたのは、自分の心を暖かく包み込み、そして冷たく糾弾する言葉であった。

「・・・・・・!おまえはっ、俺たちを殺そうとしている龍じゃなかったのかよっ!?」

 いくら声を高く叫んでも、もうあの声が届くことはない。それを知ることは容易かったが、納得することは到底できなかった。
 やがて、がくり、と膝が崩れ落ちる。
「―――ユート様」
 エスペリアの気遣わしげな声が遠い。悠人は歯を食いしばって、ひたすらに自分の心を襲う虚脱感に耐えていた。

 エスペリアは地に膝をつく悠人をいたわしげに見やっていたが、ふいに自分の腕の中に暖かさを感じてはっと視線を下げた。
 どこから現われたのか青白いマナの輝きが、千歳の体を包み込んでいた。
 薪を焦がす炎のように全身を包んだ燐光に照らされながら、千歳の体は急速に復元されていく。エスペリアは自分たちの使うものとはまったく異なる力を、驚 愕に目を見開いた。
 唇に張り付いていた乾いた血が粒子となって消えうせ、だんだんと血の気が戻っていく。
「この力は・・・・・・」
「―――みずの、ちから」
 アセリアがぽつりと呟く。

「ママだ・・・・・・!」

 『追憶』を胸に抱いたオルファが明るい声をあげる。
「オルファ、わかるよ・・・・・・!ママだよ、もどってきてくれたんだ!」
 その言葉の意味を知ることのできるものはなかったが、オルファはかまわずにエスペリアのそばに走りよって、千歳の胸の上で『追憶』の鞘を抱くように握ら せた。


 ―――とくん――――――


 『追憶』が青い光の中で脈動するように震えた。
 千歳の体を覆っていたマナが、鍔にはめ込まれた乳白色の宝玉の一つに見る見るうちに吸い込まれていく。
 やがて、龍の最期の輝きが消えた後に残ったのは、地に膝をつく悠人と、穏やかに目を瞑る千歳、彼らを見つめるスピリットたち。そして主を失い、さらに空 虚になった洞窟だけであった・・・・・・・・・。


 Somewhere・・・・・・

 千歳はその場に立ち尽くしていた。
 周囲には、渦巻く星雲が美しい光を放ち、煌めいている。
 なぜか、こんな場所いても足元はしっかりしているため、無様にふわふわすることもない。
 その中で、千歳は一人恐怖に怯えていた。

「・・・・・・・・・『あれ』はなんなの?」

 何故、自分はこんな場所にいるのか?何時からここにいるのか?
 疑問ではあったが、それよりも大きな影が千歳の心を握っていたのだ。
 サードガラハムの一撃を受け、確かに自分は死んだと思った―――だが、唐突に『あれ』が自分の心の奥底からわきあがってきたのだ。
 それは、自分がこの世界に来て『追憶』を手にするよりも以前から感じていた、あの衝動だった。あれが明確に湧き上がった時、自分の中で抑制していた何か がはじけた。

「・・・・・・私は、何なの?」

 圧倒的な力と、限りない破壊欲。
 龍の腕に囚われて後の記憶がないが、あれらが自分の意志ではないと言い切れる自信が千歳にはなかった。自分はそんなことをしたいと思ったことはない、そ れは断言できる。
 しかしあの時、自分は異形と化した腕を振るい、体を染める血に陶酔した。それもまた事実なのだ。
 どちらが本心なのか、自分の身に何が起きたのか。一切がわからない。
 地に付けるべき足が大地に拒絶されたような孤独感を感じながら、千歳は自分の顔を両手で覆った。

「私は一体、どうしてしまったの・・・・・・!」

 この世界に来てから非現実的な出来事の連続だったが、いい加減に我慢の限界だった。
 レスティーナに全部ぶつけたと思っていた苛立ちや怒りが、新たに噴きあがって身を焦がした。
 感情の昂ぶりに任せて額に爪を立てると、その痛みで余計に苛立ちが膨れ上がった。


『その答えはすべて、汝の内にある。小さき娘よ・・・・・・』


 静かな声にはっと顔を上げると、サードガラハムの巨体がいつの間にか目前に現われていた。
 千歳はのろのろと、頭上に光る二つの金の双眸を見上げた。
「あなたは、知っているの・・・・・・?あれが、何なのか」
『―――答えは是であり、否でもある。我はあの存在を知っている。が、そのすべてを知るわけではないのだ』
「全部じゃなくていいから教えて!私もう、気が変になりそうなの!!」
 ヒステリックな叫び声をあげる千歳に、龍はなぜか悲しそうに目を伏せた。
『残念だが、我からでは汝の求める言葉を与える事はできぬ・・・・・・小さき娘よ、汝を知れ。それが、汝の求めるもの答えを示すであろう・・・・・・』
「そんな・・・・・・でも、私は・・・・・・」

 サードガラハムは言い聞かせるように千歳に語りかける。
『まだ、時はある。汝が答えを求める限りは―――汝の向く先が定まらぬまでは―――それまでに、知らなければならぬ。己が護られていること、また、己が護 る者であることを・・・・・・』
「わからない・・・・・・あなたがなにを言っているのか」
『今はそれでよい、今は―――』
 龍の言葉は優しく、それだけで千歳は自分の目頭が熱くなるのを感じた。


「私は、生きているべきじゃなかったのかもしれない・・・・・・」


 千歳はぽつりと呟いた。
「この世界に来た時、もっと早くに死んでいれば、この世界の命を奪うことはなかったんだから。あのスピリットたちも、あなただって!私には生きている意味 なんてないのに!あの子は私たちじゃない人間を求めて、あいつも、私のことなんか・・・・・・!」
 先を続けるのが苦しくて、唇を噛みしめた。
『我が死ぬのもまた、マナの導きによるもの。それを気に病む必要はない』
「・・・・・・・・・」
『―――だが、我が死ぬことにより深き門が開かれる。これを止めることはできぬ・・・・・・このままではまた、大いなる災厄をこの大地に呼び込むこととな ろう』

 サードガラハムの声の調子がわずかに変わった。
「災厄?」
『そう、この世界を蝕まんとする者たちがまた現われるのだ。我にはこれを防ぐ術はない・・・・・・』
 千歳は一瞬、サードガラハムの討伐を命じたラキオスの人間たちの姿が思い浮かべたが、それは違うと直感的に自分の予想を否定した。
『小さき娘よ。もし、汝が我を滅したことを悔やむのならば・・・・・・この世界を救ってくれ。歪んだ秩序に縛られるこの大地を、解放してほし い・・・・・・』

 サードガラハムの悲痛な声に、千歳は息を呑んだ。
 龍が自分になにを望んでいるのか、まったくわからなかった。奴隷と同等の立場にある自分に、世界を救え?冗談にもならないほど、馬鹿げた言葉だ。
 だがそんなことをいうには、その金の相貌はあまりにも真摯で、真剣だった。
「私は・・・・・・私には、そんな大層なことができるとは思えないわ」
 千歳は唇をかんだまま、うなるように呟いた。


「でももし、それがあなたを殺してしまったことへの償いに少しでもなるのなら・・・・・・」


 サードガラハムの門番はその瞳を細め、厳かに言った。
『感謝するぞ・・・・・・小さき娘よ』
 その言葉に応じるように、サードガラハムの巨躯が蒼き電光をまとってその姿を薄れさせていく。
 消えているのか。それを知り、本当に自分が龍の言葉に応じてよかったのかが不安となって心を塗りつぶす。その偉大といえる存在の最期をこの目に見なが ら、千歳はとてもやるせない気持ちになった。
『我が意思は・・・・・・に、取り込まれることにより・・・・・・滅する。されど・・・・・・我が力によって・・・・・・最後・・・・・・本来 の・・・・・・を』
 消える。強大な力が、かけがえのないその智が、龍の肉体が消えていく。
 千歳は自分の頬が濡れていることに気づいた。
 悲しい。この龍が死ぬことが、自分はとても悲しい。
『小さき、むす、め、よ・・・・・・汝の道は、険しい・・・・・・されど、決し、て・・・・・・己を、見うしなっては、なら、ぬ・・・・・・』
 金色の瞳が掻き消えて、後に残ったのは低い余韻を残した龍の声だけ。

『さら、ば・・・・・・だ・・・・・・』

 千歳もすべてが消え去った空間を見つめて、別れの言葉を告げる。
「―――さよなら」
 返す言葉はなかった。
 だが、千歳はずっと、龍の消えた場所を見つめ続けていた。
 己の体が浮遊感に見まわれ、あの良く知る声が自分を呼んでいることに気づくまで・・・・・・。


 ・・・・・・・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・。


 リクディウス山脈

「く・・・・・・ぅ」
 随分と長い間寝込んでいたような気がする。
 だが、うっすらとまぶたの裏に感じる光は赤く、それが夕日の色であることを知るのはそう難しいことではなかった。

 ―――主殿―――

 指先に、久しい温もりを感じる。
 自分の胸の内にのみ響くその声に千歳は言い知れない喜びを覚えたが、それを素直に言葉にすることができない。
 千歳は目を開かないまま、だれにも聞き取れぬほど小さな声でぼそぼそと口を開く。
「今ごろ起きても遅いのよ・・・・・・。あんたってホント、肝心な時に役に立たないわね。この駄剣」
 ―――・・・・・・・・・申し訳もない―――
 『追憶』の声の元気のなさに、千歳は思わず眉根を寄せた。
「珍しく・・・・・・殊勝ね?」
 ―――儂はまた、何もできなんだ・・・・・・。あの夜、儂があのような無様な風体をさらさねば・・・・・・主殿は―――
「何を指して言っているのかは知らないけど・・・・・・それは、あんたのせいじゃないわ。初めてあんたに会った時に言ったはずよ・・・・・・私は私の剣を 振るんだ、って。あんたがどんな存在であれ、私はあんたの力を使わなければこの世界で生きてはいけなかった。だから、私は信用しきれないまま、あんたを利 用した」
 千歳は軽く息を吸い込んだ。
「私がしたことは皆、私の勝手によるもの。それは、あんたがどうこうするものじゃない・・・・・・罪は、剣にあるんじゃない。それを使う者にあるんだか ら」
 『追憶』がわずかに動揺するような気配を見せた。
「・・・・・・何?私があんたを庇うのが、そんなにおかしい?」
 ―――おかしくはない・・・・・・が、何分、初めてのことでな。少し面食らった―――
「なによ、それ」
 小さく噴き出す。この剣と話していると、どうしてこんなにも心が軽くなるのか。千歳自身、自分が不思議だった。

「いつ、元に戻ったの?」
 ―――つい、先ほど。赤き妖精と、彼の者の助力を得た・・・・・・我の独力では、再構成にあと半年はかかったであろう―――
「彼の者・・・・・・?再構成って?」
 赤い妖精というのがオルファのことであるのは何となくわかったが、それ以外はほとんどわからない。
 千歳の疑問に、『追憶』はある一つのイメージを送った。
 夢に見た、蒼の体躯、そして金色の瞳。それは―――。
「・・・・・・あの龍・・・・・・サードガラハムが」
 ―――うむ。赤き妖精が儂を原初の海よりすくい取り、彼の者が我が意志の再構成を促した。あの夜のことを覚えておるか?―――
「あんたが意識を閉じたあの晩のこと?ええ、覚えているわ」
 肯定の意思を伝えると、『追憶』の声に力が入った。

 ―――儂はあの時、確かに捕らえたのだ・・・・・・『求め』の契約者に干渉していた何者かを。・・・・・・あの気配!儂は確かに、あれを知っておった。 如何なる場所で、如何なる時かは知れぬ・・・・・・が、あの力は間違えようもない―――
「悠人に干渉した『誰か』・・・・・・馬鹿な。あの時、館には私たち以外は誰もいなかったわ」
 ―――主殿は気づかれなかったのも止む無き事。あれは世界を隔てた場所より届いたものであった。儂はあの気配を感じた刹那、強い、妄執に囚われ た・・・・・・主殿の許しもなく、『それ』の気配を探り、それを滅さんと欲した・・・・・・!―――
 『追憶』の声はいつになく興奮していたが、急にため息をつくようにしぼんだ。
 ―――・・・・・・だが、一蹴に伏されたのは儂の方であった。呆気ないほどに儂の精神は微塵に砕かれ、崩壊をかろうじて免れる直前になんとか逃れた儂 は、主殿が知っての通りただの木偶と成り果てたのだの・・・・・・本当に、不甲斐ない様をさらしたものよ―――
 すべてを語り終えた『追憶』は、もう一度千歳に謝った。
 が、千歳は謝罪の言葉を聞きながら、まったく別のことを考えていた。
 サードガラハムが遺した言葉が脳裏をよぎる。

『我が死ぬことにより深き門が開かれる。これを止めることはできぬ・・・・・・このままではまた、大いなる災厄をこの大地に呼び込むこととなろう』

 『追憶』の言葉を信じるならば、世界を隔てた地から自分たちを観察し、『追憶』を―――『求め』よりは弱いとはいえ、そこそこは強力な永遠神剣に部類さ れるそれ―――を、一蹴にする存在がいる。
 それこそが、サードガラハムの言っていた『世界を蝕まんとする者』なのだろうか?
 千歳は己の中で虚偽と真実の区分ができぬまま、口を開いた。
「ねえ、『追憶』・・・・・・私、あの龍と約束してしまったの。この世界を救ってくれ、だって。私にそんな大層なことができるはずもないっていうのに。気 づいていた?私、あんたよりもっとやばいヤツを体の中で飼っているみたいだわ・・・・・・」
 ―――・・・・・・主殿―――
 千歳はうっすらと目を開いた。
 夕日の色にくっきりとふち取られた雲がすべるように流れていく。
「まあ、できる限り約束は守ってみせるわ。私はこの世界で―――ファンタズマゴリアで生きてみる。あんたがあの夜に気づいた『誰か』・・・・・・もしかし たら、それが私の最終的な敵なのかもしれないわね。取りあえず、それに会うまでは生きてみることにするつもりよ。私の中にいる奴のことも知りたいしね。で も、それにあんたが付き合うことはないわ。あんた、そこそこ強い永遠神剣だし、簡単に他の主人を見つけられるでしょ?こんな化け物みたいな女に従っている 必要は・・・・・・ない」
 永遠神剣が無くとも戦うことができる可能性がでてきた、と言うわけではない。千歳はあの力を自分の意志で使いこなすのは非常に難しいことだと本能的にわ かっていた。
 しかし、それを差し引いてもあえて言うべきと思った言葉だと思ったのだが、『追憶』は穏やかな声音で千歳に語りかけた。

 ―――主殿は少々、厄介をためこみ過ぎる所があるの―――

「・・・・・・・・・」
 ―――儂が主殿の元を離れたとして、主殿はその後どうされるつもりだの?主殿の内に何かが眠りについていたことは薄々察しておったが・・・・・・。 ―――
「・・・・・・知っていた?ならなんで」
 ―――何も言わなかったか、という問いなら、聞かれなかったからの。もっとも、主殿が素直に儂に相談するようなことがあるとも思えなんだが―――
 意地悪そうな笑い声が今にも聞こえてきそうな言い草に、千歳はすこしむかっときた。
 ―――・・・・・・が、あれは主殿自身の力と言い切れるものではないことは分かる。そんなものを抱えたまま、独力で果たすことができるほど、主殿の目的 は簡単なものなのかの?―――
「それは・・・・・・・・・」
 千歳は口を開いたが、すぐにそれをつぐんでしまう。
 ――― 一度決めたからには、主を変えるつもりはない。それに、こう言ってはなんだがの。儂以外に、主殿に付き合いきれる永遠神剣が他にあるとは思えぬよ―――
 随分な言われようだったが、千歳には言い返す言葉がなかった。

「・・・・・・私、あんたをこき使うわよ?」
 ―――まぁ、それもよかろ―――
「私、あんたのこと完全に信用してないわ」
 ―――それも、しょうがないことだの―――
 飄々とした『追憶』の声に千歳は胸の奥が少しだけ暖かくなったが、まだそれを素直に受け止めることができない。
 ―――なに、儂が主殿について行くのはあながち主殿のためだけというわけでもない。己のためでもあるのだの。これは何の確証もないことだが・・・・・・ 儂の求めるものもまた、主殿の行かれる先にある気がしておるのだ。よって、儂が主殿を利用しようとしているのもまた、事実。そう、深く考えることはあるま い―――
 それが本心のものなのか、自分に遠慮してのものなのかは分からないが、千歳はそれを聞いて少しは心が軽くなった。そして内心で、損得勘定でなければ信用 できない自分を嘲った。


「わかった―――後悔しても知らないから」
 ―――うむ、望むところよ―――


 千歳は『追憶』の鞘をぎゅっと強く握り、上体を起こした。
 空気を思い切り吸い込むと、清涼な風が肺一杯に飛び込んできた。
 久しぶりに胸のつかえが取れた気分になった千歳は、『追憶』を膝の上におき、思い切り伸びをした。
 周囲は青々とした葉を茂らせた木々が生い茂り、茂みの向こうからちょろちょろと水の流れる音が聞こえてきている。
 その風景は、千歳の記憶の中にあった―――スピリット隊が朝方にたどった山道の一角だ。
 頭を預けていた岩の傍で『存在』の手入れをしていたアセリアが、身を起こした千歳にふいと顔を向けてきた。
「チトセ・・・・・・起きたか?」
「あ、うん、アセリア。私、どれくらい眠っていたの?」
「・・・・・・ん」
 アセリアは答えの代わりに、かなり傾いた夕日に向けて顎をしゃくって見せた。
 龍の祠に足を踏み入れた時が中天ごろだったが、意識を失った時点を覚えていないので残念ながらさほど重要な情報にはならなかった。

「あっ!ママ〜〜〜ッ!!」

 小川の方から顔を出したオルファは千歳が起き上がっているのを目にした途端、ぴょんぴょんと飛び跳ねるようにして駆けながら千歳の胸に飛び込んできた。
「ママ、ママッ!だいじょうぶ?オルファ、ホントに、ホントに心配したんだよっ!?」
 大きな瞳にいっぱいの涙をためて自分をのぞきこむ少女に、千歳は優しく微笑んだ。
「・・・・・・ごめんなさい、ありがとうね、オルファ。私も『追憶』も、もう大丈夫だから」
「よかったぁ・・・・・・よかったよぉ・・・・・・」
 オルファはぐづつきながら千歳の服を涙で汚したが、千歳はさせるままにして小さな頭をゆっくりとなで続けた。ドレスが所々ほつれ、疲れの影が濃いオル ファの手には濡れた布がある。それはきっと、自分のために用意してくれたものなのだろう。
 しばらくそうしていながら、千歳はふと顔を周囲にめぐらせて、ここにいるのが自分たち三人だけなのだということに始めて気がついた。
「・・・・・・エスペリアと悠人は?」
「ん。二人とも、まだ、来てない」
 アセリアの言葉に引っかかるものを感じて、千歳は眉に力を込めた。
「『来てない』?」
 ―――おぉ、そう言えば。主殿が目覚める前、あやつめがまた暴れておったの。あの妖精も、なんのつもりか残っておったようだったが・・・・・・。―――
「なっ、―――なんですって!?」
 千歳は思わずオルファを抱きしめたまま、素っ頓狂な声をあげてしまった。

 間違いなく、『追憶』が言っているのは『求め』のこと―――つまり、悠人が再び神剣に意識を飲まれようとしているということになる。
 サードガラハムとの戦いで悠人もエスペリアも体力はほとんど限界に来ているはずだ。そんな状態で『あれ』がくれば、悠人がどれほどの意志の持主であろう とも耐え切れるかうかがわしい。
 相手がエスペリアであることもより不安をあおる。彼女はしっかりした女性だが、自分のことを軽く見すぎているのだ。レスティーナが言った―――『自分の 身を省みることを知らない』という―――条件に当てはまりすぎている。
 野獣となった野郎と諦めのはやい少女が二人きり・・・・・・危険だ!!

 肉体は修復されていたが精神的な疲労は大きく、足が崩れそうになったが、それでも千歳は体を引きずって何とか起き上がった。
「くっ、こうなったら全力で戻って『あれ』を止め・・・・・・いえ、抹殺しないと。でも、もしもう遅ければ・・・・・・いいえ!たとえどっちにしても、も う殺すしかない・・・・・・!!」
 ―――・・・・・・なにやら壮絶な覚悟をしておるようだがの、やつめの契約主はなんとか耐え切っておったぞ。主殿が心配されておるようなこと は・・・・・・まぁ、なかっただの―――
「な、ん、で、自信なさげに言いよどむのよ?」
 ―――たいした意味はない。気になさるな―――
「きっぱりと・・・・・・無理っ!」
 断言すると千歳はオルファを膝から下ろし、今朝歩んだ道へきっと鋭い視線を向ける。
 神剣の気配が二つ。悠人とエスペリアのものに間違いない。確かに、今は『求め』はおとなしくしているように見える。が、それは果たしてすでに目的が果た されたからなのか、諦めたからなのか・・・・・・。
 ―――そのように気を張らずとも、あやつはすでに退いておる・・・・・・儂も少しばかり、手を貸させてもらったしの―――
 『追憶』はざまあみろ、といった風に含み笑いをしている。
 その様子が少し気になり、千歳は怪訝そうに手元の黒塗りの鞘をにらみつけた。
「・・・・・・ナニをしたワケ?」
 ―――何、すこーしばかり奴の精神に横槍を入れてやったのだ。奴め、儂が目覚めたことを直前まで知らなんでな。くくっ、いや、あの呆気なさはなかなかに 愉快であったぞ―――
 それっきり、『追憶』は千歳の問いかけにも答えずにクスクス笑いを止めなかった。しかしまあ、この様子ならば、最悪の事態はどうやら免れたようだと千歳 はやっと一息つくことができた。


「お〜〜〜ぃ・・・・・・!」


 ちょうどその時、悠人たちが手を振りながらこちらに近づいてくるのが見えた。悠人は包帯を所々にまきつけひどく辛そうだったが、千歳が起き上がっている のを見ると安心したように頬を緩めた。
 千歳がエスペリアに笑いかけると、彼女は少し驚いたように目を見張り、ほっとした様子で笑みを返してくれた。
 夕日が全員の顔を照らし出している。
 みんな、ひどい有様だった。
 だれもが疲れ果て、満身創痍な状態だった。
 だがそれでも、千歳は笑みを浮かべた。
 もう一度全員の顔をぐるりと眺め、自分たちが生き残ったのだということを改めて実感していた。


 心に広がる安堵の中、千歳は随分と後になって気づくことになる―――『追憶』の柄にある三つの乳白色の宝玉の一つが、いつの間にか鮮やかな紺碧の光を宿 していることを。


 ラキオス城 謁見の間

 こんなにも短い間に二度、この謁見の間に入室を許されたのは悠人や千歳にとって初めてのことだった。
 周囲を取り囲む人間たちは、つい前までは浮かぬ顔をしていた者たちまでもが卑しい笑みを浮かべてにやにやとこちらを眺めている。
 千歳は精一杯かしこまった表情のまま、片足で赤い絨毯を踏みにじりながら吐き気をこらえていた。

 エスペリアが全員を代表して報告を済ませたが、その中にあの千歳の豹変について触れることは一度もなかった。
 無論、彼女が忘れているのではない。合流の後、千歳はあの時の自分の行動はまったく不明のものであり、また自分の意志によるものではない事をはっきりと 全員に告げていた。
 あの時の千歳が発揮した力は強大であり、他国に渡すには危険すぎ、また潰すには惜しいものであることを踏まえていたからこそ、事前に告白することで千歳 は己の保身をしたのだ。良くも悪くもラキオスに尽くすエスペリアは、この臆病者たちに自分が危険な存在でありうることを言わないだろう。その時は、千歳は 明確にラキオス王国に反抗の意志を示すからだ。
 サードガラハムは―――リュケイレムの魔龍は、あくまでもラキオスのエトランジェとスピリットたちによって倒された。その中に、正体不明の化け物の姿は なかったのだ。

 上機嫌で玉座に現われていたラキオス王は報告を聞き終えるや否や、とどろくような大声で大笑した。
「よくぞ、あの魔龍を打ち倒した!エトランジェの名は、伊達ではないようだ」
「―――ハッ」
 追従する文官たちの笑いの中、千歳だけが短く返事をかえす。
 悠人はうつむいたまま何も言わないが、近くにいた千歳にはかすかに歯軋りの音が耳に届いていた。
「・・・・・・これで、我が国は龍の保持していた大量のマナを手に入れたわけだ」
 満足そうに顎を揺らしながら、ラキオス王はまなじりを下げる。
 その言葉から見て、どうやらファーレーンたちが向かったエルスサーオは、防衛しきれたということになる。彼女たちは全員無事だったろうか?多分、防衛に 成功したのなら可能性は高い。千歳はわずかに安堵の息を吐いたが、続く王の言葉についこめかみが引きつるのを感じた。


「護り龍とは所詮は名ばかり。―――こんなことならば、もっと早くにスピリットたちをぶつけておくべきであったな」


「・・・・・・・・・くッ!」
 怒りで肩が震えるのを止められない。
 サードガラハムの瞳が脳裏に浮かぶ。あれは、決して自分たちが冒してよい存在ではなかった。スピリットたちを侮辱されたことと同じくらい、千歳にとって あの龍を汚されることは苦痛だった。
 レスティーナだけが千歳の激情に気づいていたが、何も言わず、彼女もまた肩を落とした。
「エトランジェよ、今回の働きは高く評価しているぞ」
 ラキオス王はそれも知らず、なおも口を開く。
「非力なスピリットどもの役に立っていなかった分が、今、ようやく取り返せたのだからな」

 ―――黙れ。

 千歳は心の内で毒づく。
 これ以上、彼女らを侮辱するな、あの龍を汚すなと。
 千歳の心の内の声を、『追憶』だけが聞いていた。


「『求め』のエトランジェよ。今日より、そなたをスピリット隊の隊長に任命する」


「!」
 ラキオス王の言葉に悠人はわずかに驚いたように肩を震わせ、こちらの様子をうかがう。少々、千歳にも意外だった。
 これまで、悠人はラキオスの人間たちに反抗的な態度を取ってきた。それに対し、千歳は常に服従を甘んじて受けながらも耐え続けてきた。
 取り立てられるならば千歳の方が先であろうと、どちらともなく自然とそう考えていた。
 だが、今ラキオス王が隊長に任じたのは悠人のほうだった。
 果たしてそれは、『求め』こそが伝説の『四神剣』の一振りであるからなのか、それとも、他に理由があるのか・・・・・・。
 答えは出なかったが、すぐに千歳にも鷹揚な声がかけられた。


「『追憶』のエトランジェよ。そなたには、副隊長を任ずる。これからもこのラキオスのため、より一層働いてもらうぞ」


「御意に。―――謹んで、拝命いたします」
 千歳はより深く頭を垂れた。
 ラキオス王は満足そうに頷き、また悠人へと視線を戻した。
「これからは、あの館を好きに使うがいい。ある程度の自由は認めよう。スピリットたちも好きにしろ―――大切な道具だからな、使い物にならないようにする な。ふわっはっはっ」

 ―――ぎんっ!!

 無意識の内に、悠人に向けて『あんた、わかってんでしょうね?コラ?』的な視線を向けてしまう。
 だが、悠人にはそんな心配はいらなかったようだ―――彼は絶望に打ちひしがれた顔で悔しそうに爪先を見つめていた。
 王の後ろに控えていたレスティーナが一歩前に進み出、エトランジェ二人に話しかけた。

「あの者のことは任せよ。そなたらの働きには報いよう」

「・・・・・・もったいない、お言葉に存じます」
 少しだけ顔を上げ、千歳はほんの少しの間、レスティーナの顔を正面から見据える。紫紺の瞳と視線が合ったわずかな時間、王女はかすかに、千歳に向けて頷 いてみせた。
 二人だけの暗黙の了解が交わされた後、再びレスティーナは何事もないように口を開いた。
「隊長の任については、エスペリアに聞くように。前任者の仕事を知っています」
 その言葉に、千歳は少しだけ不自然なものを感じた。
 そういえば、今まで千歳はスピリット対の隊長を見たことがなかった。実務はエスペリアが受け持っているようだが、彼女は隊長というわけではない。自分が スピリット隊の指揮系統についての知識をほとんど持っていなかったことを知り、千歳は己を叱咤した。
「―――承知しました」
 悠人が短く答えた。
 もはや悠人が従順になったのも慣れたのか、ラキオス王は笑みさえ浮かべている。
「うむ、下がってよいぞ。次の戦いまで、傷を癒しておけ・・・・・・戦いはこれから始まるのだからな」
 ―――次の戦い、か。
 千歳は眉間にしわを寄せた。
 ラキオスはマナを得た。これで、バーンライトとの開戦は決定的なものとなったのだ。
 戦争が始まるのだ。
 千歳の心の中に、一切の高揚はなかった。


 スピリットの館 広間

 悠人と千歳は向かい合うようにして、イスに座り込んでいた。
 千歳は頭痛をこらえるようにテーブルに腕をついたまま頭を抑え、悠人はぐったりと背もたれに体を預けている。
 竜の爪による傷はマナを消耗させるらしく、一際それを受けた悠人はより疲労が大きいようだった。
 千歳も悠人に負けぬほどの傷を負っていたが、龍の最期に施された治癒により悠人よりは幾分かましだった。それでもやはり万全というには程遠く、ふと気を 抜くと意識がとびそうになる。
 うたた寝をしているように、時折がくりと頭を落とす千歳に、ふと悠人がゆるゆると感情のない声をかけてきた。

「・・・・・・俺が、隊長だってさ」
「・・・・・・・・・まさに、悪夢ね」

 千歳の言葉に、まったくだ、とでも言うように悠人は自嘲げに口の端を歪める。
「てっきり、そういうのはお前の方に任されると思ってた」
「・・・・・・私は副隊長らしいし、そう変わらないわよ」
「・・・・・・そうか?」
「・・・・・・そうよ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 お互いに何も言わなかったが、お互いの心境はある程度理解できた。


「―――本当に、これでよかったのかな」


 悠人の言葉に、千歳は皮肉な笑みを浮かべる。
 自分たちの立場が向上した。より、人間たちの信用を得ただろう。佳織も、レスティーナの言葉を信じれば、少しは待遇もよくなるだろう。
 ―――いいことずくめじゃないか?
 そう、自分に嘘をついても、結局は虚しいだけだった。


「いいわけないでしょ・・・・・・馬鹿」


 千歳はそう言うと、頭の自重を片腕に預ける。悠人の方はまぶたを閉じ、何かを思い返しているようだった。
 そっと自分も目を閉じると、あの穏やかな金色の瞳が思い返される。それが次第に薄れ、頭の中を塗りつぶすように、あの時自分の中で膨れあがっていた暗い 衝動と人間たちの醜い笑い声が交錯した。
 うつらうつらと舟をこいでいると、だれかが広間に入ってきたのを『追憶』が教えたので、慌てて頭を上げる。
「・・・・・・エスペリア?」
「はい」
 エスペリアは心配そうに、自分たちの顔を見る。
 二人は頭を上げて精一杯の笑顔をかえそうとしたが、千歳にはそんな気力すら残っておらず、さっと顔を下に向けてしまった。
 悠人はエスペリアのほうを見たまま、彼女に問いかけた。
「なぁ、エスペリア。本当に龍は・・・・・・この国に、何か害を及ぼしていたのか?」
 答えを聞く前に、悠人は自分自身に答える。
「―――俺には、そうは見えなかった」

 悠人は問うた。自分たちは何のために戦い、あの龍は何のために死んだのか、と。

 何も見ないでいようとすると、どうしても脳裏にサードガラハムの姿が浮かんでしまって、千歳はついに口を開いた。
「―――きっと、門番サードガラハムは『人間にとっての護り龍』なんかじゃなかったのよ・・・・・・そんな、小さいものではなかった」
 悠人は驚いたように千歳のほうを向き、彼女が眼を合わせないので、仕方なく視線をそらせた。
 二人の無気力なまでの力なさに労しそうに口をつぐんでいたエスペリアは、思い切ったように唇を上げた。


「戦うことが、私たちの役目です。私たちは・・・・・・戦うための、道具です」


 エスペリアは胸の前で指を組んだ。
 その仕草が、まるで祈りを捧げる修道女を連想させた。


「お二人は、カオリ様のために戦ったんです。それは、正しいことのはずです・・・・・・それ以上、考えてはいけません」


 小さく、いけないのです、ともう一度エスペリアは繰り返した。
 その言葉には説得力があったが、悠人も千歳も、それを受け入れることができず気まずそうに顔をそらした。
 特に千歳にとっては、エスペリアの言葉は自分の罪を軽くするものではなかった。
 佳織が求めるのは、悠人だ。
 私が彼女を助けようとするのは、単なるエゴに過ぎない。それは決して、佳織のためと呼べるようなものではない・・・・・・。
 千歳は窓の外へ目を向けた。

 スピリットたちの、サードガラハムの犠牲を経て。
 自分は殺戮者となり、この手を血の紅に染めて、それでもなお生きることを選んだ。
 それは間違っている。
 絶対に、それは許されることではない。
 それでも、自分は選んだのだ。
 だからこそ、この苦しさを忘れないようにしよう。


 ―――私は、罪人になる。


 ・・・・・・・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・。




・・・・・・To Be Continued



【ステータス情報】



 〈新たなスキルを習得しました〉



※サポートスキル※

ブルートゥスローンT Lv.2  行動:3/最大:9 変動【敵】
対HP効果: 500 属性: 無  ディバインM.T T.S.L.16
擬似マナ結晶体の槍 を創造する。
これに貫かれた敵は、体内で小規模なマナ消失を引き起こすであろう。
その真の凶悪さは攻撃力の高さよりも、行動回数の高さにある。
アンチブルースキルであるため、バニッシュされない。






 【後書き】

 ・・・・・・あれ、こんな連載、あったっけ?
 といわれても文句が言えないほどに間が空いてしまいました。
 この一話に一体どれだけ時間がかかったろう・・・・・・自分の書いたものに納得がいかず、全体を約五回は書き直し、また納得がいかず・・・・・・という 工程を何度も繰り返していました。
 多分、実質的に書いたのって、ゆうにこの三倍位の量がありますよ。
 文を作るって、難しいですねぇ。ふぅ(溜息)。
 他のSS作家の皆様の筆の速さが、とても羨ましく、また憧れてしまいます。・・・・・・どなたか、コツを教えてくださいませんか?・・・・・・ダメ?


 さて、次回が恐らく第一章最終話となります。
 お楽しみに・・・・・・なさってくださる懐の広い方がいることを願い、今日はこの辺で・・・・・・。




NIL